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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
一章 〈その日〉から
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6.半年が過ぎて


 ――馬鹿馬鹿しいほどに当たり前だった常識は〈その日〉を境に、全世界で覆った。

 死が、消滅ではなくなったのだ。

 これまでであれば、朽ちて土に還るばかりだったはずの屍が、乳幼児というわずかの例外を除いて、等しく起き上がるようになったのである。

 だがそれは、決して喜ばしいことではなかった。

 死は、確かに消滅ではなくなったものの、逆に喪失という一面を、より残酷に体現するようになったからだ。


 〈その日〉以来、命を落とし、そして、起き上がることになった者――。

 彼らは外見こそほぼ生前のままながら、その本質においては、異常な身体能力を以て人に害を為す、バケモノと化していた。

 しかもそのバケモノは、何らかの手段で身体を破壊しようとも、いずれ再生し、再び動き出す不死性も備えていたのだ――一度死んだ身は、もう二度と死ぬことはないとばかりに。

 家族が、隣人が、同胞が――同じ、人間が。

 死を境にして、自分たちに牙を剥く不死身のバケモノに成り果てるその悪夢に、人類は恐れおののいた。


 社会が高度に情報化していたのも、却って災いした。

 恐怖を煽る映像に、何の根拠もない無責任な憶測やデタラメが、インターネットを通じて氾濫し、悪夢から逃げようにも、人々は荒れ狂う情報に溺れるばかりとなったからだ。


 本来であれば、率先して事態の収拾を図らねばならない国家ですら、異変の原因も掴めなければ、有効な対処も取れずにいた。

 彼らに出来たのは、その場凌ぎの対応で何とか、今にも崩れそうな統治機関としての枠組みを保ち続けることだけだったが……しかしその最後の砦を守ることは決して無為ではなかった。

 それが役目を成さなくなっていれば、いわゆる無政府状態となり、この混迷の中にあっても、かろうじて最低限は保たれていた国民の生活が、完全に破綻してしまったに違いないからだ。


 しかし……恐怖がさらなる混乱を呼び、混乱が新たな恐怖を生む――その負の連鎖は、勢いを増すばかりだった。

 そうして、万物の霊長を自負し、世界に君臨していたはずの人間社会は、瞬く間に、呆気なく、混迷の時代へと沈むことになった。


 そんな中――〈その日〉から数ヶ月。

 世界的な企業グループを傘下に置く大資産家が打ち出し、果断に実行へと移した強引かつ大胆な対応策が、人間社会の崩壊を食い止め、歴史を繋ぎ止める希望となった。


 『死者なら冥界へ送ればいい。冥界なら作ればいい』


 グループの若き会長がそう宣言したように、総合建設業を基盤とし、世界中に根を巡らす日本の複合企業、カタスグループの採った対応策とは――人を襲って数が増えるという特性上、特に被害が大きかった大都市中心部などの周囲にバリケードを築き、その中に、問題の動く死者を囲い込むというものだった。

 さらに、その外にいる死者についても、軍隊経験者や傭兵を集めて構成された私設の兵隊を用い、すぐには再生出来ない程度まで身体を破壊した上で、その再生までの間に、バリケード内へ遺棄するという手段を採った。

 加えて、瀕死とはっきりしている人間の情報があれば、その場に立ち会い、対象が死を迎え、起き上がるのが確認されるや、同様の処置を施すようにした。


 その徹底した行動の目的はただ一つ――『人々の側から、動く死者を遠ざける』である。


 それは直接原因の追及になっているわけでも、ましてや根本的な対処となっているわけでもない。

 要は、人間社会がかねてより得意としてきた、『臭いものには蓋』だ。

 ……だがそれは、社会が安定を取り戻す上で非常に効果的だった。

 危険そのものが消えたわけではなくても、その対象がひとまず目に付く場所から遠ざけられているというだけで、人は安心感を得ることが出来るし、そうして作られた余裕が、根本的な異変の研究の推進にも繋がるからだ。


 そして、その効果は世界中が認めるところとなり、各種手続きの無視や銃火器で武装した私設兵の投入など、日本の法律を完全に逸脱した行為であったにもかかわらず、カタスグループとその会長は、罰せられるどころかむしろ功績を讃えられる。

 さらに、もともと技術協力などで多くの国と繋がりの深かったカタスグループは、国連の特別オブザーバーと認められ、先駆者として、各国政府との協力の下、世界中で同様の対応を展開することとなった。

 それとともに、彼らカタスグループが動く死者を指して、生きた屍との意味で使っていた〈生屍(イカバネ)〉という呼び名も、世界標準として浸透することになった。

 ……そんな中――。

 その生屍たちの中に、同じ生屍を襲い、喰らう――まるで人の意志を残しているかのような存在がいるという噂が、まことしやかに流れるようになった。

 実在すらあやふやなものを語りながら、しかしなぜか消えることのない噂。


 それはいつしか、かの存在を誰ともなく〈屍喰(シニカミ)〉と、そう呼んでいた――。




             *


「そうか、もうすぐ春……なんだ」

 つい先日までの猛吹雪も収まり、雪こそ変わらずちらつくものの、雲間から射し込む陽光といい、どことなく空気が穏やかになったような気がして、カイリは改めて指折り、今日の日付を数えてみる。


 ――運命を大きく変えた〈あの日〉から、もう半年余りが過ぎていた。


 現在のカイリの生活は、人目を避けるため基本的には山の中を移動し、衣服を調達したり、雑誌や新聞、テレビ、インターネットで世間の情報を集めるときにだけ街へ降りる、という隠者めいたものだった。

 そうして過ごす日々の中でカイリは、自分が、人間とは別の存在になってしまったことを、改めて思い知らされていた。


 ……まず、食事を摂る必要が完全になくなっていた。

 単に食欲がないという程度ではなく、まるまる一ヶ月飲まず食わずでも、まったく平気になっていたのだ。

 世間で生屍(イカバネ)と呼ばれ始めた動く死体への、『喰らえ』という内なる〈衝動〉は変わらず存在するが、それも栄養摂取の必要性から来るものではないようだった。七海(ななみ)以外未だに誰も喰らっていないにもかかわらず、飢えに悩まされるようなこともないからだ。


 眠る必要もなくなった。

 眠ろう、と意識すれば眠れないこともないが、幾日も眠らずに過ごしたところで眠気はなく、またそれによって体調が悪くなることもない。


 ――そして、身体そのものの変化だ。

 その能力が人間離れしていて、かつ異常なほどの再生力があるのは、こうなったときから分かっていたことだが、それ以外の面でも普通でないことがはっきりしていた。

 極度の暑さや寒さに遭っても、まるで体調に変化が起きないのだ。

 暑い、涼しい、といった温度変化は感じられるが、サウナ風呂のような状況にあっても汗の一つもかくことなく、逆に防寒具も無しに猛吹雪の中にいても、凍えたりしない。

 その上、白子(アルビノ)ゆえの色素欠乏から抵抗力が低く、文字通り身を焼きかねなかった強い日差しの影響すら、まるで受けなくなっていた。

 真っ白な肌をさらしても過度な日焼けを起こすことなく、まぶしさも感じずに、その赤い瞳を直接太陽に向けることも出来る。

 ――しかしカイリにとってそれは、これ以上ない皮肉だった。

 愛する者を喪い、家族、友人との繋がりを喪い、人間としての自分を喪って……ようやく彼は、太陽を仰いで歩くことが許されたのだから。


(……この後は……どうしようか)

 山を下り、一般道へと出たカイリは、寒さが和らぎ始めたとはいえ、まだまだ雪に白く彩られている風景の中、街へと足を向けながら、コートのフードを頭から被りなおす。

 ――ふと見上げた道路標識は、この道が国道102号線であり、青森県十和田市に入っていることを告げていた。

 伏磐(ふせいわ)を出てから、あてもなく北へと向かううち、とうとう本州最北の地までやって来たことになる。

 この先、さらに北上して北海道へ渡るか、折り返して南下するか――カイリは歩道の雪を踏みしめつつ考える。


 自分が特異な存在であることをわきまえて、人に害を為す可能性を考慮し、ただ社会との接触を断って隠れて生きていくだけなら、北海道の雄大な自然は打って付けだろう。

 だがカイリには、自ら手に掛けてしまった七海のためにも、異変の真相を知りたいという願いがあった。

 だから、いずれそうしなければならなくなるとしても、今はまだ、世を捨て完全に隠棲する道を選ぶわけにはいかなかった。

 特別な技能があるわけでもない、一介の高校生に過ぎない彼としては、世界的な異変の真相という巨大なものに対しても、今のところごく一般的な方法で情報を集める――メディアに頼る――ぐらいのことしか出来ず、そのためにも人の生活圏に留まる必要があったからだ。

 もちろん、北海道でそれが出来ないわけもない。

 だが、ただの学生で、特殊な情報源など持たないカイリにとって、唯一、自分だけが得られる手掛かりとして目星をつけているのは、〈自分と同種の存在〉との接触――実在するかどうかも分からないが――であり、そのためには、一つ所に留まるより、色々な場所を巡る方がまだ確率が高いと考えていた。

 ……そう、だから青森を回った後は、今度は日本海側を南下していこう――。

 そんな風に考え、先の行動をこうと決めて……しかしすぐに、カイリは苦み走った微笑とともに、小さく首を振った。――体の良い言い訳だ、と。


 ……僕はただ、行きたくないだけ――あの頃の自分が残る場所に、近付きたくないだけじゃないか。

 こうして、本当に〈人間〉でなくなってしまった今は、なおさらに――。


 寒いはずもないのに、カイリは思わず、コートの前を強く掻き合わせていた。

 思い出したくない記憶を、もう一度胸の奥底に押し込めるかのように。





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