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4.星の記録庫


 ――カイリは、巨大な洞穴をさまよっていた。

 時間にして、何年が過ぎたかも定かではない。入り組みながら、どこまでもどこまでも続いていくその洞穴は、そのまま地球の中心まで繋がっているかのようだった。

 あらゆる命を拒絶した、ひたすらに過酷な静寂の洞は、ただの人では、たどり着くことが出来たとしても、決して奥の奥、最奥までいたることは叶わないだろう。

 いや――人を超越したカイリでさえ、たった一人、何の目的もなければ、進み続けるだけの気力は保てなかったかも知れない。

 生き続けられることと、前へと進めることは、必ずしも同じではないからだ。


 今のカイリには、自分の中に存在する七海(ななみ)が感じ取れた。

 言葉を交わしたりは出来なくとも、誰よりもそばに、何よりも近くに寄り添ってくれているのが理解出来ていた。

 そして――。

 何年、何十年、何百年――どれほどの時間がかかろうとも。

 そこに何があるのか、それ自体は分からなくとも。

 自分『たち』のためにも、この洞穴の最奥まで行かなければならないことが『分かって』いた。

 だからくじけることなく、先へと、前へと、進むことが出来た。



 そうして――また何年も何年も歩き続けて。

 カイリはついに、洞穴の深奥へとたどり着く。


 ……地球は球形だから、まっすぐ地面を掘り進めれば、反対側の地上に出る――。


 そんな、子供っぽい考えがふと脳裏をかすめるのも仕方のないことだろう。

 地の底にあったのは、地上かと錯覚するほどに広大な空間だったからだ。

「……ここは……」

 その空間に居並ぶのは、地上の大都市をそのまま模したかのような、巨大な石材による建築物の数々だった――ただし、そもそも人が住むために造られたものではないのだろう、今、人気が無いのは当然ながら、かつて居た気配もまったく無い。

 そして、それを形作る石材には、崩壊の前兆どころか、劣化の気配すら感じられなかった。つい先日造られ、磨き上げられたばかりのように……悠久という言葉すら取るに足らないほどの――最低でも、数十万年は数えられるだろう――果てない歳月を経てきているはずなのに、である。

「…………」

 当然初めて来た場所、初めて見る景色であるにもかかわらず……カイリはなぜか、郷愁めいた感情が胸に迫るのを感じていた。


 いったいここは何なのか、何があるのか……。


 近場を歩いて回り……数日もすると、カイリはその答えを見出していた。


 ――ここは……〈記録庫〉なんだ……。


 彼がそっと触れる石壁に描かれているのは、かつて世界史の教科書などで見たようなものに、どことなく似た雰囲気を持つ壁画だ。ただこの場のそれは、描かれた、というよりは、画をそのまま石壁に取り込んだ風で――石材同様に真新しく、美麗だった。

 そしてそうした壁画が、一定の区切りをもって整然と、この空間の建築物全体に施されているさまは、それと分かって見てみれば、まさに図書館や資料館といった趣がある――ただし、その規模たるや、想像を絶するものだが。


 そして……そうと気付いたカイリは、改めて、ここに記録されていることを、とにかく順を追って見ていくことにした。

 壁画にも、その周囲にも、説明する文章らしきものは記されていない。

 だが、それが人類の歴史を記したもので……この〈記録庫〉のどこへ、どの壁画へ繋がっているのかは、どうしてか、感覚的に理解出来ていた。

 そうして壁画を巡るうち――カイリは既視感めいたものを覚える。

 それは、今こうして壁画を追っている行動に、ではない。


 壁画に描かれている内容そのものについて――だった。


 ……かつて、学校へ通っていた頃。

 生き神などという籠の鳥ではなく、普通の学生として登校出来る――それ自体が喜びだった彼にとって、勉強は苦行でもなんでもなかった。

 特に、好きだった歴史などはなおさらで、その興味が高じて、様々な世界史の資料を見たり読んだりしたのだが――それらが語っていた人類の歴史が、まさに、ここの壁画の中に再現されているように感じたのだ。

 まさか……と思うものの、ヘタな先入観を持たない方が良いと、ひとまずその感覚は胸の奥にしまい込み――。

 人間が動物を狩って生活している様子の壁画を取り敢えずの起点にして、カイリは壁画に描かれた時代を追いかけていく。

 それは、事細かく、世界のあらゆる地域を語るものへと派生し……この広大な〈記録庫〉全体を巡る、時間にして何年も費やすほどの一大作業だった。

「………やっぱり」

 そうして過ごした年月の中で、カイリは自分の既視感めいた感覚が間違っていなかったと確信する。


 かつて、太古の人類も、現代の人間と同じような歴史を歩んだということなのか。

 あるいははるか何十万年も以前に、今の時代の歴史――すなわち未来を知り得たということなのか……。


 真実がどちらであるのかは分からないが、居並ぶ壁画の中には、彼の知り得る人類の歴史の一片、それをそのまま描いたように見えるものが幾つもあったのだ。

 ――さらに。

 それら壁画が語る、過去の一致とも、未来の予言とも取れる歴史は、近現代史らしき肖像を経て、〈その日〉の世界の異変にまで及んでいた。

 そして、聖域の最奥……一際大きな最後の壁画に顕れたのは――。

「! これ……」

 絶句するカイリ。


 ……かつての文明を、社会を、秩序を喪い――増える一方の生屍(イカバネ)に……拡大する冥界に追いやられながら、しかしそれでも前へ歩もうとする人類。

 その画に顕れたのは、そんな人類のかたわらに立ち、彼らを助けるようにも、追い立てるようにも見える、長衣をまとった少年の姿だった。



 カイリと同じ――白髪に、赤い瞳の。



「まさか……いやでも、そんな……」

 あれは自分だという思いと、そんなはずがないという思いのせめぎ合いに我を忘れ、ただただ立ち尽くすカイリ。


 ……どれほどの時間、そうしていただろうか。


 やがて……混乱冷めやらぬまま、ふと下げた視線の端に、彼は一連の古代文字を見つけた。

 まるで呼ばれているようにふらふらとその前へ行き、手を伸ばして触れてみる。

「…………!」

 まったく見たことも無い文字だった。

 しかし――使い慣れた日本語を手繰るように、その内容が頭に染み渡ってくる。



 『人が道を選び直す時が来ても、私は何を強制することも無い。

  今これを見ているお前にも、何を為せと命じることは無い。

  自身の思うまま、信ずる生を生きよ。

  私であり、私でない命よ。


  この慈悲深き星と最も近しい、最も始めに生まれた命よ』



 書かれた文章を何度も目で追い、何度も読み込み……刻みつけようとするように、改めてゆっくりと手の平で触れて――。

 そうしてカイリは、毅然ときびすを返した。


 もといた世界――自分が今、まさに生きている世界へと戻るために。




             *


 目を開けたとき、視界に入ったのは、見慣れた天井だった。

 〈地の声〉とともに過ごした〈古き民〉の集落で、自分があてがわれていた住居だと、すぐに理解する。

「……これは……」

 カイリが首を振りながら寝台から身を起こすのと、入り口から〈地の声〉が顔を覗かせたのはほとんど同時だった。

「目覚めた――いや、戻ったか、カイリ」

「〈地の声〉……僕は……どうして、ここに……」

「覚えていないか? 同族と争ったあと、ここへ戻ったお前は、そのまま倒れたのだ。

 そして、今日に至るまで眠り続けていた――いいや、違うな。

 確かにお前は眠っているように見えたが、俺には、お前はここにいながら、いないようにも感じた。……カイリよ、お前はどこか別の場所にいたのではないか?」

 〈地の声〉の問いに、カイリは小さく、しかししっかりと頷く。

 そして、自分がどこまでも続く洞穴にいたこと――その最奥で、人類の歴史を記したかのような壁画を見て回ったことを、事細かく話して聞かせた。

 そうするうちに……カイリは、壁画で見ただけのその歴史が、妙に鮮やかに記憶に浮かぶことに気が付いた。


 ――まるで、その場にいて、直にすべてをこの目で見届けたかのように。


「……そうか」

 カイリの話を疑いも驚きもせず、ただ静かに鷹揚に、〈地の声〉は受け止める。

「カイリよ。俺は、お前が、以前よりもずっと、この大地に近い存在になったと感じる。

 きっとお前は、何かきっかけを得たのだろう――だからこそ、この星そのものの記憶に重なり、触れることを許されたのだ」

「この星の……記憶」

「我ら〈古き民〉には、お前が話してくれたような伝説が伝わっている。

 お前は、ただ夢を見ていたのではない。お前は、ここにありながら、実際にこの星の中心へと赴き、その記憶に触れたのだ。

 この星の――そして、お前の。あるいは俺のものでもある……大いなる記憶に」

 悠然とした口調で語る〈地の声〉。

 それを受け、カイリが何事かを答えようとしたそのとき――。

「ああ、カイリ! 目が覚めたのですね!」

 入り口に姿を見せた初老の男が、喜びを全身に表し、一直線にカイリの寝台のもとへ駆け寄ってきた。

「あなたは……」

 見覚えがあるような気がするのに、名前が出てこない――。

 カイリがもどかしい感覚にやきもきしていると、初老の男は笑顔で首を振る。

「この姿では戸惑うのも無理はありません。わたしは――」

「……え?」

 男が告げた名に、カイリは目を瞬かせる。

 そして、答えを求めるかのように、視線を〈地の声〉に向けた。

「そうだ、カイリ。お前が星の深奥を目指して過ごした時間は、夢でも幻でもない。

 ――お前が倒れた日から数えて、もう五十年近くになる」

「五十年……?」

 思わず、外へと駆け出すカイリ。

 そうしてぐるりと視線を巡らせるが、〈古き民〉の集落も、辺りに広がるサバンナも、彼の記憶との大きな違いは感じられなかった。

「……あるがままの我らは、そうそう変わるものでもない。

 だが――外の世界はそうではないようだ」

 後を追って出てきた〈地の声〉は、カイリの内心を見透かしたかのようにそう前置きしてから、世界に起こった異変――〈暗夜〉について、カイリに話して聞かせた。


「……そう……ですか」

 すべてを聞き終えたカイリは、うなだれるかのように一度、頷いた。

 驚きは……なかった。


 すべては――彼が触れてきた、あの大いなる記憶の通りだったからだ。


 それよりも、彼にとって問題だったのは、五十年という時間の流れだった。

 かつての文明が失われたという今では、改めてこれから日本を目指したところで、たどり着くまでに最低でも十年はかかるだろう。

 そうなれば――。

「そうか……結局僕は、もう一度彰人と結衣に会うことは……」

 ぽつりともらしたその一言に、カイリは、自分の中の七海が反応した気がした。

 だから、そっと胸に手を当て、微笑んでみせる。

「……分かってる。大丈夫だよ……もう、うつむいてばかりにはならないから」

 そうして、自分から視線を上げた。

 遠く、遠く――地平線のはるか彼方を見透かすように。


「行こう、ナナ姉――僕らが、僕らとして……生きる道を見出すために」






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