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1.海を知らない〈海〉


楽園で夢を見る時間は終わりを告げた。

ただ、この先にあるのは義務ではない。

人には、囲われた楽園より出る権利がある。

人には、禁断の実を喰らう権利がある。

創造主の意に逆らい、蛇の誘惑に抗い――

己の意志で知と命を手に、楽園を発つ権利が。


        〈R・ウェルズ 『新世生命論』〉






             *


 ――かつては人が住むために造られ、そして、人で賑わっていたという街路。

 同じフランスであっても、花の都パリほどではないが、しかし古いものと新しいものが混じり合い、人々の個性と感性によって華々しく飾り立てられていただろう地方都市の街並み。

 その華やかな色合いも今では、無機質な灰色にも増した、寂寥感の中に沈み込んでいる。

 もっとも……。

 そんな、大きな墓標そのもののような街を一人歩く幼い少女には、人気が無い、という以上の感傷はなかった。

 往時の賑わいなど知らず、生まれたときからこうだった世界しか知らない少女にとっては――こうした風景こそが、通常なのだ。

「…………」

 渡されていた手書きの地図に従って街路を奥まで入り込み、ひっそりとした小さな……かつて宝石店だった建物にたどり着いた彼女は、すでに破壊されていた入り口周りを抜けて、店内に入り込む。

 こうした店は、五十年近く前の混乱期の際、一番に標的にされたのだろう。店内は、暴風が吹き荒れた後のように荒らされ尽くしていた。

 しかし、襲った側も逃げた側も、どちらも相当あわてていたらしく、瓦礫の下などをくまなく探してみれば、飛び散ったネックレスの欠片や、土台から外れ落ちた宝石など、未だにそれなりの価値がありそうな品が、いくらかは見つかった。

 時間をかけて丹念にそれらを拾い集めた少女は、しばらく何かを逡巡するように、集めた品々をぼうっと見つめていたが……やがて、小さなため息とともにそれらを、持っていた、少女の体格には不釣り合いなほど大きな肩掛け鞄へと詰め込む。

 そして、誰もいない店の奥に向かってぺこりと頭を下げてから、逃げるように外へと飛び出した。


 ――これで、パパもママも喜んでくれる。……だけど……。


 こうした火事場泥棒のような真似は、もう何年も続けてきたことのはずだった。

 なのに、最近は自分の中にためらいが生まれていることを、少女は自覚していた。

 ……その理由の一つは、エスカレートする両親の要求が、こうした廃墟だけでなく、現実に人が生活している場所からの窃盗まで指示するようになったからだった。


 胸の奥が、どことなく苦しい。

 悲しいような怖いような感覚が、じわりと全身に染み広がる気がする――。


 いたたまれなくなって、思わず店を飛び出したのもそのせいだ。

 この感覚の正体をはっきりと掴めなくても、そこに嫌がる気持ちが混じっているのは確かだ。


 ……なら、やめてしまえばいい――。


 そんな考えも思い浮かぶ。

 しかし、選択肢として存在しても、少女にそれを選ぶ意志はない。


 ――両親を喜ばせたいと……それだけを願っている彼女には。

 ちっぽけな、たった一つの居場所を守りたいだけの彼女には――。


「おいお前、そこで何してやがる」

 突然声を掛けられ、物思いに沈んでいた少女ははっと驚いて顔を上げる。

 気付けば店の周囲、少女を取り囲むように三人の男が立っていた。

 現代では一般的とも言える、薄汚れた衣服に身を包む男たちは、これまた現在では当たり前となった、銃器による武装をしている。

 だが、それが自衛のためだけのものでないのは、彼らが放つ、剣呑な気配から容易に推察出来た。

 つまるところ、彼らは少女と同じ目的で廃墟を徘徊する人間であるらしい。

 男たちも、少女が同種の人間だと気付いたのだろう――。

 体格に不似合いな、少女の大きい肩掛け鞄をちらりと、どこか愉しげな様子で見やり、そのまま野卑に笑いつつ少女に語りかける。

「その鞄、重いだろう? こっちに寄越しな、お嬢ちゃん。悪いようにはしねえから」

 運ぶのを手伝おうと親切心を見せるかのような言葉だが、それが別の意味であることは、少女に向けられたライフルの銃口が如実に語っている。

「何だよ、見逃すの? もったいないんじゃねえ? この子も結構なお宝だと思うけど」

 別の男が横合いから口を差し挟むと、また別の男が顔をしかめた。

「ンだお前、ガキじゃないとムリってクチだったのか?」

「へへ、まあ確かにガキもいいけど、それだけってわけでもねえよ。

 ……ほら、この娘、キレイな顔立ちしてるだろ。十年――いや、五年も飼ってやりゃ、良い具合になるんじゃねえかなって」

 舌なめずりでもしそうな勢いで言って、その男はリーダー格らしい、初めに少女に声をかけた男に視線を送る。

 表情の変化からすると、リーダー格の男も、その意見に一理あると思い始めているようだった。


 ――十年? それで、わたしの何が変わるって言うの?


 男たちの会話を聞きながら、少女は心の中でつぶやいていた。

 そうして彼女は、今ひとつ感情の見えない、海のように深く青い瞳でリーダー格の男を見上げる。

 それは、男たちの悪意を理解出来ない、無垢な子供そのもののようだった。

「こんな所に一人でいて、生屍(イカバネ)にでも襲われたらどうするつもりだ? お嬢ちゃん。俺たちと一緒に来いよ」

 言葉の意味とは裏腹に、善意など欠片も感じられない男たちの提案を、少女はふるふると首を振って拒否する。

 ……何度も、何度も。

 さらに提案を重ねるたび、どんどん地があらわれ、男たちの態度は粗野に、荒々しくなっていったが……それでも、怯えたりすることもなく、ただ、その動きをすることしか出来ない人形のように、少女は機械的に首を横に振り続けた。

「ああもうメンドくせえ、このガキ、いい加減に――!」

 やはり一度痛い目に遭わせた方が手っ取り早いと思い至ったのだろう。

 男の一人が、少女の恐怖心をあおろうとばかり、大きくライフルの銃床を振り上げる。


 だが――それが少女を打ち付けることはなかった。


 少女は、その小さな手で軽々と――振り下ろされた銃床の一撃を受け止めたのだ。


「……は……?」

 あまりに予想外の事態に、男は呆然とする。

 その間に少女は、大の大人がしっかりと握っていたはずのライフルを力尽くで奪い取るや、それをまるで枯れ枝のように、たやすくへし折ってしまった。

「こ、コイツ、まさか……!」

 少女の脇に立っていたもう一人の男が、何かを感じ取ったのか、いきなり後ずさりしながら、少女目がけてライフルを乱射する。

 だが――。

 外れるような距離ではなく、また、弾倉内の弾丸をまるまる撃ち込まれていながら、少女の身には傷一つ無かった。

「ひ……っ!」

 空になった弾倉を交換することも忘れ、必死に引き金を引き続ける男。

 そんな男に種明かしをするように、少女は握っていた手の平を開く。


 ――ばらばらとそこからこぼれ落ちた豆のようなものは、小さく握りつぶされた、文字通りの鉛玉だった。


「し、屍喰(シニカミ)……! やっぱりこいつ、屍喰だ! 化け物だぁ!」

 誰かが裏返った声で叫び、それを合図とするかのように、男たちはほうほうの体でその場から逃げ出していく。

 静かに佇む少女はそれを追おうともせず、ずり落ちかけていた鞄を肩にかけ直した。

 ……自分が化け物なら、他者から力ずくで奪おうとするような者は何なのか。

 ふっと疑問が湧くが、少女はすぐさま首を振ってそれを打ち消した。


 ――わたしだって、おんなじだ。もしバケモノじゃなくっても。……おんなじなんだ。


 もともと晴れやかでもなかった気分が、さらに重くなる。

 足枷のように纏わり付くその感情を引きずって、少女はまた歩き出した。

 さっきはつい気をゆるめて男たちと鉢合わせしてしまったが、しっかりと気を張って気配を探っていれば、あんな事態に陥ることはない。

 そもそも、こうした廃墟にはびこるのは、主として生屍の方だ。そして生屍なら、遭遇したところで、人間ほどの問題にはならない。

 それでも余計な揉め事は好まず、生屍の気配を避けて帰路についていた少女が、街の中心部を出、郊外へとたどり着く頃には、すっかり陽は傾いていた。

 それを追うようにふと地平線へ目を遣れば、小高い丘になっているそこからは、恐らくは昔日と大きくは変わらないであろう、広大な平原が見渡せる。


 夕陽に映え、視界いっぱいに、黄金色に輝く平原――。


 そうした光景を前にすると少女は、かつて本で見た、美しい夕焼けに凪ぐ海をそこに重ね合わせる。

 それが、彼女にとって、一番の心の慰みだからだ。


 ――海だ……。


 〈(メール)〉――そんな名を付けられていながら、しかし本当の海を見たことのない少女は、青い瞳を無垢に輝かせながら、時が経つのも忘れてその光景に見入っていた。


 ……やがて――。

 そうして、いくらか気分を晴れやかにしていた彼女の、彼女だけの世界そのものに無粋に立ち入るかのように、背後から人間の気配が近付いてくる。

 出会わないようにやり過ごそうかとも考える少女だったが、場所が場所だけにただの通行人の可能性も高かったし、何より今見ている景色から目を背け難くて、そのままその場に立ち尽くしていた。

 黙っていれば、きっとそのまま通り過ぎる――。

 そんな少女の予想とは裏腹に、気配は真っ直ぐ彼女に近付いて来て、背後で止まった。

「ようやく……ようやくお会い出来ました」

 年老いた男のものらしい、しわがれた声。

 そのかけられた言葉の奇妙さに、場合によっては無視する気でいた少女はしかし、戸惑いながら振り返る。

 そこにいたのは、裾が擦り切れてぼろぼろの外套を羽織った、声の通りの老人だったが……外見や、どこかクセのあるフランス語からして、この辺りの人間ではないらしい。

 老人は、感極まったと言わんばかりの歓喜の表情で、静かに、少女の前に膝を折る。


「初めてお目にかかります。私は、白鳥神党(しらとりしんとう)を率いる者。

 捜していたのです……我が神に連なる、貴女のような御方を」






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