表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
二章 灯が消えるまで
25/35

13.魂の在処、魂の行方


 ――初めてその言葉を言われたのは、いつのことだっただろうか。


 幼い頃、生き神という枷をはめていた白鳥神党(しらとりしんとう)の解体によって、カイリは自由を得た――しかし彼の心までは、同じように解放されたわけではなかった。

 罪の意識と、それに根ざす世間への後ろめたさが、重鎖となって彼に纏わり続けた。

 太陽の下をまともに歩けないという、色素欠乏症ゆえの体質が、それはただ病気というだけでなく、お前の本質が穢れているからだと、絶えず呪詛を囁いていた。


 それらは、子供にはあまりに重い荷物だった。いきおい、顔は下を向く。

 やがて、心も、身体も、うつむくのが当たり前になる。

 それ以外の在り方など思いもしなくなる。


 そう――思いもしなかった。彼女に言われるまでは。



  『ほら、かおをあげなさいっ』



 初めて言われたのがいつだったか、実のところ覚えは無かった。

 始めの頃は、まるで聞く耳を持たなかったからだ。


 しかし、何度も何度も言われているうちに。

 そして、それを言う彼女の輝きに目を引かれて。


 彼はいつしか、言われた通りに顔を上げていた。

 身体も――心も。前を向くことを知った。

 それこそが当たり前なんだと、世界を見据えられるようになっていた。


 だから、それは……カイリにとって、かけがえのない大切な言葉だ。

 七海(ななみ)と自分を繋ぐ、結びの言葉――。



  『ほら、かおをあげなさいっ』



 その一言を、カイリは、改めて耳元で聞いたような気がした。

 それは――生きることを投げ出そうとしていた彼に、今まさに、殺人者アートマンのとどめの一撃が振りかぶられた、まさにその瞬間だった。


 ――ナナ姉……僕ももうすぐ、ナナ姉のところに……。


 肩の荷が下りたような、これまでになく、穏やかで――静かな心持ちだった。

 だが――。


  『ほら、かおをあげなさいっ』


 その一言は、彼の心をざわつかせた。

 甘い思い出として、彼を優しく寝かしつけるのではなく――。

 心の奥底でくすぶる熾火(おきび)に、息吹を込めるかのようだった。


 それは、カイリの心臓に、確かな熱となって感じられた。


 ――何だ? こんな感覚、初めて――いや、違う。

 これ、これは……この感覚は……。


 初めての感覚だと思った。

 だがすぐに、そうではないと気が付いた。――気が付けた。


 その熱は――今、突然現れたわけではない。

 今までもずっと、そこにあったのだということを。


 ――これは…………間違いない。間違えるわけがない……!



   そうだ――〈ナナ姉〉だ……!



 ……アートマンが言ったように、自分たちが喰らうのが魂なら。

 その魂は、〈地の声〉が言ったように、星へ還されるべきなのだろう。

 だが……何の因果か。

 いや、むしろ――二人が共に、離ればなれにならないようにと願ったからか。


 カイリは――自分が七海の魂の欠片を、星へと還すことなく、ずっと自分の中に秘めたままにしていたことを、ようやく悟った。

 〈地の声〉が自分を指して、『お前たち』と呼ぶことがあった理由にも、ようやく得心がいった。

 〈地の声〉には見えていたのだ、カイリの中の七海が。その上で、カイリ自身が気付くのを待っていたのだ。

 『おそい』――と、七海に笑われた気がした。


 ――ああ………そうか。そうなのか……。


 七海の存在を自覚し――。

 そして、それを取り込んだ自分の存在――恐らくそれを『魂』と定義するのだろう――を自覚したそのとき。


 カイリは――屍喰(シニカミ)としての己を、初めて、ほんの一端でも……本当の意味で『理解』出来たと感じた。

 迷い続けた霧が晴れるように――闇夜に灯を見出すように。


「……何だ? やっぱり、死にたくなくなったか?」

 カイリの雰囲気が変わったことに気付いたのだろう――腕を振り上げたまま、アートマンがいぶかしげに問いかける。

 カイリは、諦観ではなく――達観した表情で、静かに頷いた。

「僕は……死ぬわけにはいかない。――僕の中には、僕の大切な人もいるから」

「そうか。だが残念だな」

 気安げにそう言い放つや否や、カイリの胸を貫こうとアートマンは腕を振り下ろす。


 いや――振り下ろしたはずだった。


 妙だと感じて、アートマンは自分の腕を見る。

 果たして――彼の右腕は、いつの間にか、肘から下が綺麗に消えてなくなっていた。

「なに……? なんだ、なにがどうなって……?」

「ようやく、気が付いたんだ」

 混乱するアートマンを、軽々と押しのけ、カイリは立ち上がる。

「僕もあなたも、人間として――この世界の『生き物』としてしか、この体を、力を、使えていなかった。

 それでも確かに、あらゆる生き物を凌駕する力を発揮出来ていたけれども、それは間違いだった。

 ……誤解していたんだ、屍喰としての〈力〉の使い方を」

「な、なにを……」

 奇妙な迫力に圧されて、アートマンは後ずさる。

 ……その足下へ、空から降ってきた彼の右腕が突き刺さった。

「この世界で人として生まれ、生きてきたから、生き物としての法則に縛られ過ぎていた。それすら『変えられる』ことを理解していなかった。だから――」

 一歩一歩、カイリが歩を進めるたび、同じだけアートマンは後退する。

 ……アートマンには、さっきまで同族と見えていたカイリが、もっと別の――より大きな存在になったように感じられていた。

「ぅ……おおっ!」

 そこに生まれた恐怖に抗おうと、自分でもそれと分かる虚勢とともに、残った左腕で殴りかかろうとするが――その途端、今度はその左腕が、ぼとんと地面に落ちる。

 痛みも衝撃も何も無く……ただ左腕が、そこにあるのを拒否するかのように。

「だから僕は、生き物であることを捨てる。

 人としての心まで、捨てるわけにはいかないけれど……〈人間〉という生き物としての自分を――捨て去る」

「そうすることで、お前は……こんな芸当を身に付けたっていうのか……?」

 斬られたわけでも千切られたわけでもなく、ただ地面に落ちた自分の左腕を見下ろしながら、アートマンは乾いた声で問う。

「あなたは……まだ、人として、生き物としての法則に縛られているから。

 自分が本当はどういうものなのか、『気付けて』いないから。

 だから――そこに干渉するのは、難しいことじゃない」

「いったい、なにを……」

 後退する意志も奪われ、立ち尽くすアートマンの胸に、カイリはそっと手を当てる。

「……あなたの言った通りだ。『喰らう』という行為さえ、僕らは誤解していた。

 あれも、ただ、〈人間〉の感覚では最適の表現がないから、ひとまず、最も近しいと思われる『喰らう』という表現に置き換えて理解していただけだったんだ。本当は――」

 アートマンの胸の辺りが、ぼんやりとかすかに輝く。

 そしてそうかと思うと、カイリは当てていた手をぐっと握り締めた。

 途端――。

 糸が切れた人形のように、アートマンは力無くその場に膝を突く。

「口を使う必要すらなくて。

 あなたが言うところの魂を、こうして自分の中に通す――それだけで良かったんだ」

「あ………あ……?」

 何が起こったのか分からないという驚愕を顔に貼り付けたまま――アートマンの身体はとさりと柔らかく大地に倒れ伏す。

 ……抜け殻となったその身体は、もはや動くことはなかった。

「………さようなら」

 寂しそうに一言別れを告げると、カイリはそっとその瞼を閉じてやる。

 そうしてふと感じた気配を目で追えば、逃げた子供たちが呼んだのだろう、〈地の声〉が近付いてくるところだった。

 安堵を覚え、表情を和らげるカイリ。

 だが――。


「――――!」


 その赤い瞳は、すぐさま引き締められ、空へと向けられた。

 そこに何が見えるわけでもない。しかし、彼は感じ取っていた。


 ――何かが起きる、と。


 世界が迎えることになる、新たな、大きな変化――その兆しを。




             *


 ――ふっと、目が覚めた。

 寝心地の良いベッドで、充分に睡眠を取った後のような……すっきりとした、気持ちの良い目覚めだった。

「…………あ、れ……?」

 なにげない疑問が唇から漏れる。

 何か……違和感があった。

「気が付いたか」

 夕焼け空がいっぱいに広がる視界に、ぬっと、背の高い男性が割って入ってきた。

 見覚えの無い人物だったが……なぜか警戒心は起こらない。

 代わりに覚えるのは、妙な親近感だ。

「わたしは……いったい………」

 改めて口に出して、そしてようやく気付いた。

 あわてて体を起こし、周囲を見回す。――覚えのある、古びたアパート前だった。

 続いて視線は、自分の体に落ちる。

 やっぱり――と、思った通りに。

 着ているスーツは、固まり始めた赤黒い血で――自分の血で、汚れていた。

「そんな、まさか……。まさか……!」

「その通りだ」

 背の高い白人の男が、労るような口調で告げる。


「君は、一度死んだ。そして、蘇生したのだよ。

 そう、我々と同じ――〈屍喰〉として」


「う………そ」

 ……ふと動かした手が、何かに当たる。

 拾い上げてみると、それは赤いフレームの眼鏡だった。


 ……想い人に、よく似合うと褒められた、思い出の眼鏡。

 それがあるから、子供っぽいとは思いながらも、変えられずにいた眼鏡。


 彼女の――霧山(きりやま)結衣(ゆい)の、トレードマークだった眼鏡。



 ――彼を元に戻してあげたい。死なない命は、間違っていると思うから――。



 つい先刻、ロアルドに言い放った自分の信条が、頭の中で反響する。

「あ……そんな、そんな……そんなっ!」


 ……間違っている、正されるべきと信ずる存在に、あろうことか自分が変ずる――。


 あまりに皮肉な現実に、結衣はただ、慟哭するばかりだった。







 ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

 屍喰神楽はこのパートをもって二章終了となります。折り返し点、といったところです。


 全体的にこの作品、時系列は無視していないものの、時間も場所もシーンごとあちこちに飛び、さらにはそのシーンの中でも1カットを切り取って語るような形なので、好みに合わない方もいらっしゃるかも知れませんが……申し訳ありません、別に手を抜いているわけでなく、一応仕様なんです。

 メインとなっているのが、歴史の大きな流れ――でもありますので。未熟ながら、その表現の一つとしてこうした構成にさせてもらっています。……といっても、作中でここまでまだ十年程度しか経っていませんが……。


 ともかく、この先も、とりあえず『時間をムダにした』と思われない程度のクオリティは最後まで維持出来るよう(今の時点ですでに無い、と言われるとそれまでなんですが……)努力して進めていきますので、三章以降も続けてお時間を割いていただければ幸いです。

 そしてその上で、少しでも楽しんでいただけるのなら、それはもう本当に、もっとさらにこの上なく幸いというものです。


 ……では、長々と失礼いたしました。今後ともよろしくお願いします。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ