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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
二章 灯が消えるまで
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11.風前の灯


 ――大いなるサバンナそのものが、そこに住むすべての命が、道を空けていた。

 立ち尽くすカイリと、その視線の先――彼のもとへ一歩、また一歩と近付く青年の間の道を。

「……よお。何たって世界は広いんだ、願ったところでそう会えるものでもないって思ってたんだが……案外上手くいくもんだな。

 やっぱり『お仲間』同士、何か引き合うものがあるってことかねえ?」

 普通に会話が出来る程度の距離まで近付いてきた、カイリより幾分年上らしい青年は、気安げにそう話しかけてきて笑った。

 しかし、一見愛想の良いその笑みが、形通りの意味を為していないことは、カイリのような屍喰(シニカミ)でなくても気付いただろう。

 彼は確かに笑っている――よろこびのために。

 だが、そこに塗り込められた感情は、友好がもたらす歓喜ではない。


 彼の自己本位な欲望が予感する、愉悦――昏い悦びによるものだ。


「……僕に、何か用ですか?」

 相手を見極めようと神経を集中しながら、カイリは尋ねる。

 これまで味わったことのない類の緊張感に、屍喰となった身では有り得るはずもない、冷や汗すらかいているような気になる。

「うん? 用が無いと、話しかけちゃいけないのか?」

「さっきの口ぶりだと、僕を捜していたみたいですけど」

 硬い表情を崩さないカイリに、青年はやれやれとばかりに肩をすくめる。

「面白味のねえヤツだな。そうまで話を急がなくてもいいだろうによ。

 ……オレはさ、こう見えて結構感激してるんだぜ? 初めて同族に会えてさ。

 なあ――〈神の化身(アヴァターラ)〉?」

「………。僕はそんなご大層なものじゃない。人違いじゃないですか」

 カイリの眉がぴくりと反応する。

 相手もそこまで分かってのことではないだろうが、かつて本意でなくとも神を騙った彼にとって、その手の呼称は、最も神経を逆撫でされるものだった。

「その白い髪に白い肌、赤みがかった瞳。なるほど、〈神の化身〉なんて言いたくなるわけだ、どこをどう見たって聞いた通り。……間違えようなんざねえよ」

「だったら、どうだって言うんですか」

 否定し続けたところで結局話をムダに長引かせるだけだと判断したカイリは、ぶっきらぼうに言い放つ。

 青年は、ニヤリと毛色の違う笑みを浮かべた。

 これまでは、曲がりなりにも表には出さないようにしていた邪悪さが、そのまま仮面になったような笑み――。

 いや増す緊張感に、カイリはぞわりと背筋が怖気立つのを感じた。

「オレは……こっちはこっちでまたご大層に、〈アートマン〉とか呼ばれてるモンだ。聞いたことぐらいあるだろ? 実は――」

 やっぱりか、とカイリは得心する。

 ……生前は凶悪な殺人鬼として知られた屍喰。屍喰に対する、人間の未知ゆえの恐怖を、最も悪い方へと印象付けた張本人――。

 そうと分かれば、彼が遠方からずっと向けていた、自分への、どこか歪んだ『興味』の正体も理解出来た。

 何の用があって自分を捜していたのか――その理由も。

「見せて欲しいんだよ、〈神の化身〉――お前の『死』を」

 果たして、青年――アートマンが告げたのは、カイリが予想した通りの答えだった。




             *


「カイリ君が……特別?」

 質素なスチールテーブルを挟んで座する、車椅子の男――ロアルド・ルーベク。

 人によっては〈預言者〉とすら称するその特異な天才の発言に、あまり良い意味を感じ取れなかった結衣(ゆい)は、その単語を繰り返しながら、わずかに眉をひそめた。

「そもそも、屍喰とは……私は、いわば魂が遺伝した者たちではないか、と考えている」

 幾分表情を引き締めたロアルドは、結衣の問いかけに明確な答えを返すことなく、そのまま自らの話を続ける。

「それがどれだけ昔のことかは分からないが……。その細部こそ違えど世界中で語られているように、かつては人と、それを超越した者たちが共存する、神話の時代というものがあった。

 その超越者が、長い年月の果てに人と交わり、溶け込んで……そして現在、再び世に顕現したのが屍喰という存在ではないかと、そう思うのだよ」

「では、あなたは……屍喰とは、かつて神と呼ばれていた存在だとでも?」

 ごく真っ当に受け返してしまう結衣。

 突拍子もない話だと理性は否定したがるものの、脳裏に焼き付いている記憶がそれを許さない。

 あのとき、事故に遭ったバスで最後に見たカイリの姿――その雰囲気は、まさに人を超越した『何か』としか思えなかったからだ。

「さて……彼らが神であるのか、悪魔なのか。そこまでは私にも明言出来ないよ。

 その時々、見る人の主観によっても変わるものだろうからね」

「それは……そうかも知れませんけど……。でも、ともかく、あなたが先に主張した通りだとするなら、世界中のほとんどの人が、何らかの超越者の子孫であるはずですが」

「そう、だから……『魂の遺伝』と表現したのだよ。そもそもその因子は今の科学で見出せるものではないし、仕組みが普通の遺伝とは違うのだから」

「どういうことですか」

「受け継がれ、形を変え、常に何らかの影響を及ぼし続ける肉体の遺伝と違い、魂の遺伝は……多くの人の中に散らばった欠片が、また一つに集まったとき、初めて完全な形で意味を為すものでね。

 大河に落ち、溶け込んだ一滴の血の雫が、海に出、雨となって降り注ぎ、気の遠くなるような長い年月と、天文学的な確率を乗り越えて、再び一つに集い元の形を取り戻す――たとえて言えばそんなイメージかな。水に溶け込んだ、ほんのわずかな成分でしかないものが、改めて血としての形と意味を持ち得ると、そういうわけだ。

 いや、あるいは……それすらも、かつての超越者たちが計算していたことなのかも知れないがね。

 特定の時期に、その血が集い、意味を為すように。

 そう……人の世界に起きる、君たちが言うところの『異変』に合わせて」

「では……屍喰とは、いったいどういう役割をもっているんです?」

 続けて結衣が向けた問いに、珍しくロアルドは難しい顔をした。

「こればかりは、私にも推察しづらいところがある。

 おおむね、喰らうという行為を通して、生屍(イカバネ)が不死化している要因――恐らくは人間の存在としての根幹、これまた『魂』というものだろうが――ある意味停滞状態にあるそれを、本来の星の循環に還しているのだろう……とは思うのだがね。

 それにしては数の比率を考えても効率が悪いし……まったく別の理由か、他に理由があるとしても不思議はないね。

 ……ただ、人としての意志を残しているあたり、屍喰とは『種族』としての行動原理よりむしろ、個々人の理念というものが何より重視される存在なのかも知れない。

 そう――さしずめ、神話の時代、神や悪魔といったものたちが、各々様々なものを司り、そしてそれが主義や理想といった精神的なものにまで及んでいたように――」

 一息にそれだけ話してから、失礼、と言い置いて、ロアルドは激しく咳き込む。

 その様子にどこかただならないものを感じて、反射的にバッグから水の入ったペットボトルを取り出す結衣だったが、ロアルドはやや疲れた笑顔でそれを遮った。

「……申し訳ない、大丈夫だよ。歳を取ると、いちいち大袈裟になってしまって困るね」

「本当に大丈夫なんですか? 何か病気を?」

「まあ、この歳になると完全に健康体とはいかないがね。

 ……大丈夫、大したものではないよ」

 ロアルドはやはりどこか具合が悪そうだったが、医師でもある本人が問題ないと言う以上、素人の結衣にもう言えることはなかった。

 ……そもそも、目の前に体調の悪い人間がいればさすがに人としての倫理感が心配もするが、結衣にはそんな人間らしさを切って捨ててでも、彼から聞き出さなければならないことがあるのだ。

 分かりました、とあっさりロアルドの自己申告を受け入れて、改めて話を戻す。

「それでは……彼ら屍喰が、生屍を食料としていることはない、と?」

「……恐らくはね。だが、完全に有り得ないとも言い切れないだろう。

 世の中には一生に一度の食事で事足りる生物もいるぐらいだ、単に極端な少食なだけかも知れない。

 まあ、少なくとも、人間ほどの飽食家でないことは確かだね……美食家かどうかまでは分からないが」

 顔色は依然として良くないものの、そう答えるロアルドの姿は、ひとまず復調したように見える。

 だが、あまり話を長引かせて、さっきよりも悪い状態になられては困る――と、結衣は意を決し、一気に話を切り込ませていくことにした。

「それで、カイリ君は……何が特別なんですか?」

 ロアルドは、一つ息をつく。

「………十年前。〈その日〉の一月ほど前のことになるか……熱中病で倒れている彼を見つけた私は、その場で手当を施し、手近な病院に運び込んだ――そうだね?」

 ええ、と結衣は小さく頷く。

「だが正確には、私は彼を手当などしていないんだよ。病院に運んだだけなんだ」

「え? でも、そのときカイリ君は、もう状態も安定していて……早い段階で適切な処置をしてもらえたお陰だろうって、お医者さんも……」

「状態が安定……それはそうだろうね」

 ロアルドは、遠くを見るように目を細める。


「何せあのとき彼は、一度『死んで』いたのだから――」


「…………え?」

 絶句する結衣。

 耳に届いたのは、あまりに単純明快な言葉。

 だからこそ、なのか――理解が追い付かない。


 ――カイリ君が……死んでいた……? あのとき、もう……?


「……つまり――だ。

 私が見つけた時点で、すでに彼は瀕死の状態だった――運悪く人気の無い場所で倒れ、そのまま、強い日光と外気温にさらされ続けたせいだろう。

 もはや私にも手の施しようはなく、彼は死に――そして、蘇生したのだよ……屍喰として。

 そう――彼は恐らく、他の誰よりも……そして世界に『異変』が起きるよりも早く、まるでその先駆けとなるように、屍喰となっていたんだ」

 立て続けにロアルドの告げる事実に、結衣はなおも言葉を失っていた。

 やがて――ややあって。

 少なくとも意識の上だけは我に返ると、彼女はこれまで保ってきた冷静さもどこへ、あわててロアルドに詰め寄る。

「で、でもあの後、彼には、変わった様子なんて何も……!」

「それについては推測でしかないが……。

 何より彼自身に、死んだという自覚がなかったのが一番大きいんじゃないだろうか。

 蘇生した、という自覚もないから、自分はこれまでと何も変わっていないと、『思い込んで』いたわけだ。

 そう……〈その日〉を迎え、改めて明確な死に直面するまでは」

「………そんな」

「私が彼を特別と言ったのは、そういう理由からなんだよ。

 ……そんな彼に付き添い、研究したいという欲求もあったが……そうした特殊な存在がどういう道を歩むにせよ、私のようなただの人間が余計な干渉をするべきではないと思い直してね。――以来、彼とは接触することなく、今に至るというわけだ」

「じゃ、じゃあ、カイリ君の行方については、分からない……んですか」

 明らかな落胆を見せる結衣に、ロアルドは幾分表情を引き締め、首を横に振った。

「そうでもない。けれど、それを教える前に聞きたい。

 ……霧山(きりやま)結衣さん。君は――彼をどうしたいんだ?」

「どう、って――」

 勢いのまま感情を口にしかけて思い止まり、結衣は改めて考える。


 会って話をしたい。

 昔のような関係に戻りたい。

 自分のこの想いを伝えたい……。


 感情に則して単純に挙げるなら、そうした答えにもなるだろう。だが、それらを引っくるめて、彼女がずっと胸に抱いていた望みは、もう少し違う形になる。


「私は……彼を救いたい。

 叶うのなら、元に戻してあげたい。

 生き物は生まれた以上、いずれ死んでいくのが、悲しいけど、摂理だと思うんです。だからこそ、命は――一生懸命に生きるんだと思うから。

 だから……死んだはずなのに死なずにいる命というのは、間違ってる。

 だから……たとえそれが、永遠の別れにしか繋がらないとしても――戻してあげたい。

 ……彼の命を、本来あるべき姿に、戻してあげたいんです」


 結衣の答えを聞いたロアルドは、しばらく目を伏せていた。

 その中で、どんな思考が巡っていたのか……やがて彼は、ゆっくりと頷く。

「……なるほど。私個人としては、それに同意は出来かねるが……けれども、君のその望みを否定する気もない。

 あるいはそちらの方が、やはり世の真理なのかも知れないからね」

 予想外に平穏なロアルドの対応に、結衣は少し拍子抜けしたような気分だったが、ともかく異論も何も無いなら、肝心の答えが聞けると勢い込む。

「それで……カイリ君は今、どこに?」

「……アフリカだよ。

 そうだな、今なら恐らく……スーダンの西から中央アフリカ、コンゴ民主共和国の北部……その辺りの地域だろう。だが――」

 答えを聞くや、すぐさま飛び出しそうな勢いだった結衣も、その一言に動きを止める。

「それが分かったところで、残念ながら会いには行けないよ」

「……は? そんな、どうして……」

「もうじき、世界に次の変化が訪れるからだ。……およばずながら、私もそれを後押しするつもりでいる」

「どういう……どういうことですか!」

 ロアルドの雰囲気にただならないものを感じ取り、結衣は椅子を蹴り倒して立ち上がった。

「世界に地磁気というものが存在していることは知っているだろう? 方位磁石が北を指す理由だよ。

 そしてそれは、遙かな太古から、何度か逆転したことがあると分かっているのだが……その逆転現象がもうすぐ起きるんだ」

 結衣はいぶかしげに目を細める。

「……地磁気逆転の話なら知ってます。特に、ここ十年ほどの間に地磁気が多少弱まっているのが観測されて、もしかしたらそうしたことが起きるのかも知れないというウワサがあることも。

 でも、それがもうすぐだなんて、そんな話は聞いたことありません。そもそも地磁気の逆転は数十年に渡って起きる現象だとも聞きますし。

 それに、たとえ地磁気が逆転したところで、大きな影響は出ないと――」

「それだけならばね。目立った変化は、せいぜい方位磁石が逆を指すようになるぐらいだろう。

 だが……問題はそこじゃない。

 地磁気が逆転するということは、その瞬間、地球を覆う磁力の層が極端に弱まるということでもある。……分かるかな? 太陽風のような宇宙線から、わずかな間でも、地球はまったく無防備になるということなんだ。

 もちろん、太陽の活動がいつも通りなら、それでもやはり大した影響は出ないだろう。けれど……ちょうどその瞬間、太陽で大規模なフレア爆発が起きて……強烈な宇宙線が降り注ぐとしたら?」

「――――!」

 ようやく、結衣はロアルドの言わんとしていることを察した。

 ……いわゆる宇宙線が人体に有害であることは有名だが、磁力の層が消えようと、やはり防壁となる大気がある以上、そこまで深刻な被害は出ないだろう。

 そうなれば一番の問題になるのは、電子機器への影響だ。

 磁力の層があってなお、太陽でフレア爆発などが起きれば多少なりと通信障害が発生するというのに、その防壁すら無くなるとなれば、どれほどの影響が出るというのか――少なくとも、船や飛行機のような乗り物を動かしていられるとは思えない。


「そう――地球上の電子機器、通信網は、ほぼ全滅するだろう」


 結衣の考えを見透かしたようなロアルドが淡々と、しかし彼女の予想をはるかに上回る答えを言う。

「つまりそれは、壊れたものを直そうとしても、そもそもそのための機械すら動かないという、悪循環の始まりでもある。

 ……ざっと見積もって今後数十年、人類は前時代的な生活を余儀なくされるだろうね」

「ど、どうして……どうしてそんなことを、これまで黙っていたんですか! もっと早いうちから声を上げて世間に報せていたら、対策だって余裕をもって――!」

 結衣は荒ぶる声をそのままに、テーブルを叩いて抗議するが、ロアルドに気にする様子はない。

 超然とした雰囲気のまま、ちらりと結衣を見上げる。

「表向き、私は犯罪者だ。それでなくとも、学会を追放された異端者だよ? 世間というものが、そんな人間の言葉を真に受けると思うかな?」

「それは……。でもあなたほどの人間なら、何か手段が――」

「そうだね。手段ならいくらでもあるとも」

 からかって悪かった、とばかりにロアルドは小さく笑う。

「それなら、すぐにでも――」

「……もっとも、君が望むような手は、何ら打つ気はないのだが」

「……え?」

 ロアルドの笑みからは一切の色が消えていた。

 一瞬――結衣は、車椅子に腰掛けているのが、人間ではないような錯覚に陥る。

「当然だろう? 先に言ったように――私は、それを後押しするつもりでいるのだから。

 ……君は、今、世界で導入を急がれているバイタルチェック、その基本システムを作り上げた張本人が私であることを知っているだろう? その情報を追うことでここへ辿り着けたはずなのだからね。

 さて、実はそのシステムだが……少し細工がされていてね。

 特定の信号を送ると、誤作動を起こすようになっているんだよ――心臓の拍動に影響を与えるような類の」

「――!」

「地磁気の逆転による世界への影響がどれほどのものになるか、さすがに細部までは予測しきれないのでね。

 通信網が途絶してしまう直前にバイタルチェックを誤作動させておけば、仮に太陽風から生き残ったライフライン関連の施設があったとしても、管理する人間がいなくなって沈黙してくれるというわけだ。

 さらには、事態を収拾しなければならない各国の首脳陣もまた、同じ状況になる。

 残念ながら、すでに独自の機器を導入しているカタスグループの人間には影響しないが、世界的に見れば、充分過ぎるほど充分な混乱を引き起こしてくれるだろう。

 ……〈その日〉があってなお、何とか維持されてきた人々の生活は、一夜にして、今度こそ間違いなく――崩壊する」

「どうして――どうしてそんなことを! あなたは、この世界を破壊したいんですか!」

 怒りに燃える結衣の瞳が、ロアルドの瞳を真っ直ぐに見据える。

 ――そこにあるのは、狂気の光などではなかった。信念に裏打ちされているであろう、強い理性の光そのものだった。

「どうして……か。

 このままでは、いずれ人は皆、楽園へと還るだけだからだよ。

 そしてそうなれば、いずれまた蛇によって新たな、しかしこれまでと同じような歴史を刻むしかない実を食わされるか、無慈悲な神に飼い慣らされるだけになってしまう。

 だから……変化を促さなければならないのだよ。

 たとえそれが、今の人類にとって非道であろうとも――甘えを完全に捨て去るためには、徹底的に追い込まなくてはならないんだ。

 神にも蛇にも拠ることなく、人が、人であるうちに……自らの意志で次に食らう実を選び取り、そして、今度こそ楽園を後にするために」

「もう……もういいです! これ以上、あなたには付き合っていられない! わたしはわたしの出来る限りの手で、あなたのその計画を邪魔してみせます!」

 最後に一度、両手で大きくテーブルを叩くと、結衣は部屋を文字通りに飛び出していった。



「……嫌われたな。まあ、当然だろうが」

 それを待っていたように、入れ違いで部屋の奥のドアが開き、ヨトゥンが姿を見せる。

 ロアルドは車椅子ごとそちらを向くと、苦笑混じりに肩をすくめた。

「……で、君も私を止めるかい、ヨトゥン?」

「そうしたところで、大した違いはないだろう? 第一、もう大して時間の余裕はない、違うか?」

「……さすがだね、良く分かっている。

 そう……世界の灯は、言葉通りの風前の灯というわけだ」

 言って、ロアルドは車椅子に深く身を沈める。

「さて――ヨトゥン。君を呼んだのには、こうして、私が話せるだけのことを話す以外に、もう一つ理由があるんだ」

「ああ」

「ぶしつけな願いで申し訳ないが……私が死んだら、友人として喰らってもらえないだろうか。――私のこの身を、この魂を」

 ロアルドの頼みに、ヨトゥンはしばらくの間を置いて、小さく笑った。

「死にかけた初老の男……か。いかにも味は期待出来そうにない」

「おや、君たち屍喰に、味を感じる余地があるとは思わなかった。

 ……しまったな、ならば先の彼女に、口直しのデザートになってくれるようお願いしておくべきだったかな」

 ロアルドも、ヨトゥンにつられて表情をやわらげる。

「昔からお前の頼みときたら、いつも、他に選択肢の無い指示のようなものだった。

 初めて、というわけだ――こうした、純粋な頼みごとは」

 言って、ヨトゥンはさっきまで自分がいた、奥の部屋の方を振り返った。

「仕方ない、旧友の(よしみ)というやつだ。……向こうにあったワイン、あれ一瓶で手を打ってやるさ」

「……安物だぞ?」

「構わんさ。――生憎と、俺は美食家(グルメ)じゃないらしいからな」





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