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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
二章 灯が消えるまで
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8.〈巨人〉の名付け親


「……ここか」

 ――世界の商業、金融、文化の中心たる大都市……アメリカ・マンハッタン。

 その北東部、ハーレム地区にほど近い一画に建つ古びたアパートに、ヨトゥンはいた。


 ……マンハッタンはそもそも人口密集地で〈その日〉の被害が大きかった上、島という地形が冥界化に適していたのだが、国連本部を初めとする重要施設も多く、またアメリカとしても易々と全面放棄するにはプライドの問題があったのだろう。完全な冥界化は見送られ、ハーレム地区など、一角だけがその任を負って封鎖されていた。

 今となっては、さすがに万が一に備えて重要施設の多くはその機能を他所へ移転しており、また人口も大きく流出したが、まだ世界有数の大都市であることに変わりはなく……かつて生屍(イカバネ)を駆逐せんと軍事力を集中投入した名残から、中心部ではなおも、被害を未然に防ぐ目的で、多くの兵士が巡回する姿が見受けられる。


 だが、ヨトゥンが訪れたアパートの周囲は静かなものだった。冥界を囲う隔壁にほど近く、それゆえろくに住民がいないためだろう。

 人がいなければ生屍が現れることもなく、監視する必要もなくなるというわけだ。

「……ん?」

 目指す最上階の部屋へ向かうため、建物中央の広い階段へやって来たヨトゥンは、急ぎ足で駆け下りてくる誰かがいるのを聞き取り、足を止める。

 やがて彼の前に現れたのは、利発そうな黒人の少年だった。

 身なりも小綺麗できちんとしていて、ねぐらを探して入り込んだ浮浪児などでないのは明白だ。

 少年は、まさかこんなところで人と会うとは思っていなかったのか、大袈裟なほど全身で驚きを表していたが……やがてすぐ何かに思い至ったのだろう。

 ゆっくりと階段の残りを下りながら、陽気な笑顔とともにヨトゥンに話しかける。

「やあ、おじさん、先生のお客さんだね?」

「先生? それは、ロアルド・ルーベクのことでいいのかな?」

「そうそう。そのルーベク博士のことだよ」

「……ふむ。前もって約束を取り付けた覚えはないんだが」

「へへ、先生は何でもお見通しだからな。

 『今日は客人が来る大事な日だ』って何だか嬉しそうに言ってたし、間違いないね」

 得意げに語る少年に、ヨトゥンも相好を崩す。

「なるほど。お見通し、だな」

「まァでも、大体、今ここに住んでるのなんて先生とオレぐらいだから、おじさんみたいな身なりの良い人が来る理由なんて、先生ぐらいしか思いつかないんだけどさ」

 言って、少年はまたへへへ、と人懐っこく笑い、ヨトゥンに右手を差し出す。

「オレ、ランディ・ウェルズ。先生に色々と教えてもらいながら、助手みたいなことやってるんだ。よろしく」

「ああ、よろしくランディ。――ヨトゥンだ」

 ごく自然に握手を交わすヨトゥン。そこに、人と違う存在としての気負いや緊張は見られない。

 それはある意味、そうした自分を完全に認め、受け入れているがゆえの自信なのかも知れなかった。

「ヨトゥン……巨人、かあ」

「ほう、良く知っているじゃないか。どうやら優秀な生徒らしいな」

「へへ、まァね。にしても、ぴったりだけど、まんまな名前だ。本名じゃないでしょ?」

「昔、君の先生が付けてくれたものだよ」

 ヨトゥンの答えに、やっぱり、と何度も頷くランディ。

「ところでランディ、君は何処かへ行くところじゃなかったのか?」

「あ、うん。ちょっと先生に頼まれてお使いにね。……いや、ハドソン河越えなきゃなんないから、ちょっとじゃないかも知れないけど」

「なら、急いだ方がいいんじゃないか? 悠長にしてると日が暮れるぞ」

「……そうだね。先生とヨトゥンがどんな話するのか、興味はあるけど……先生の用事を放り出すわけにもいかないし。もう行くよ」

 大きく手を挙げて、ランディはヨトゥンの脇を抜けてアパートの玄関へ向かう。

「ああ、気をつけてな」

 一言挨拶を置いてその場を去ろうとしたヨトゥンだが、ランディは玄関の前で立ち止まり、自分の右手とヨトゥンを見比べて、小さく首を傾げていた。

「……どうした? まだ何かあるのか?」

「んー……ヨトゥンってさ……」

 何かが引っかかっているが、そもそもその何かが分からない……。

 そんな風に、難しい顔でしばらく唸っていたランディだったが、ややもすると「いいや」と激しく頭を振る。

「なんでもない。それじゃ、またね」

 そして、今度こそ外へと元気よく駆け出していった。

 それを見送り、ヨトゥンも自分の右手を見下ろす。

「やはり何らかの違和感はあるということか。……カンの良い子だ」

 何度か拳を握ったり開いたりと繰り返した後、改めてヨトゥンは階上を見上げつつ階段を上っていった。



「やあ、久し振り。本当に……久し振りだ、ヨトゥン」

 そう言ってヨトゥンを迎えた男は、その言葉が持つ年月の重みを、そのまま体現していた。

 白いものが多分に混じり始めた髪と髭、深い皺、それでいてますます輝きを増したのではないかと思われるぎらついた瞳――。

 それらは別人のようでありながらも、記憶の中の若々しい姿と、確かに繋がっていた。

「……老けたな、ロアルド。お前はどちらかと言えば童顔だったはずだが」

「そういう君は、まだまだ若いね。私よりずっと老け顔だったはずなんだが」

 言って、車椅子に深々と腰掛けたロアルド・ルーベクは、喉の奥で笑う。


 ……最上階の最奥に位置するロアルドの部屋は、一見すれば廃墟のようですらあった他の部屋と違い、さすがに生活感が見て取れた。少なくともこの部屋は、電気や水といったライフラインもきちんと整備されているらしい。

 ただ、世界各地を転々とする生活のためか、私物らしきものはあまり多くなく、調度品なども使い捨てに出来るようなもので占められていた。加えて、以前の住民が置いていった物を片付けていないのだろう、何に使うのかも分からないような、古びた機械類が、埃を被った金属製の棚に雑多に並べられている。

 その中に、隠れるように幾つか作動中の機械があるのを見て取ったヨトゥンは、それらの用途を思い返し、一人小さく頷いた。

「……なるほど。やはり、ただ老け込んだだけでなく、患っているか」

「分かるかい? さすがだ、一応そうは見えないよう隠しているんだが。

 まあ……実際のところ、もう一週間と保たないだろうね」

 死期が目前にまで迫っているという事実を、ロアルドはあっけらかんと開陳する。

「然るべき施設で治療にあたれば、もう少しは保つと思うが。……と言ってもその気があれば、すでにそうしているか」

「そういうことだ。……それに、君も知っているように、今の私は大手を振って表を出歩けるような身ではないのでね」

「それとて、その気になればいくらでも誤魔化せるだろうに」


 長い間ロアルドの行方を追っていたヨトゥンは、本人が言うように、彼がスネに傷持つ身であることをよく知っていた。

 様々に名を変え、身分を偽造し、世界を渡り歩いていたロアルドは、その過程で多くの犯罪組織やテロリストといった、反社会的な集団と関わっていたのだ。

 学会から追い出され、真っ当な仕事にもあぶれた彼が、世界を回りつつ独自の研究を続けるには、あらゆる分野において天才と称するに相応しい彼の頭脳を欲する、非合法な集団と関係を築くのが一番だったのだろう。


「……で、そうして死期を悟ったから、弟子でも取ることにしたのか?」

「ランディのことかい? まあ、そんなところだが、引き取ったのはもうずっと前のことだよ。彼の才能に惹かれてね。君が思っている以上の大物になるよ、彼は。

 願わくば……それが僕の研究を引き継いだ果てであって欲しいところだが」

「ふむ。何でもお見通し、と太鼓判を押された先生のお墨付きだ。興味を持って観察させてもらうとするか」

「……そうだね。君にはそれが出来る。果てなく永い人生の、ささやかな楽しみの一つにしてもらえれば何よりだ」

「……やはりお前には、俺には見えていないことが『視えて』いるらしいな」

 それまでは、旧友に再会するに相応しい穏やかなものだったヨトゥンの表情が、険を備えて引き締まる。

「教えてくれロアルド。……この世界に何が起こった。俺は――一体何者になったんだ。頼む、教えてくれ。

 お前も、それを話したいからこそ、自分の足跡を、手掛かりを――計算され尽くしたように世界各地に散りばめ、時機を図って俺を呼び寄せたんじゃないのか?」

「……さすがにバレたか。君ほどの人間を相手に、ちょっと露骨すぎたかな」

「なら――っ」

 ヨトゥンに詰め寄られたロアルドは、しかし別段これまでと調子を変えるでもなく、小さく首を振る。

 その余裕あるさまは、死期を前に諦観しきっているようでも、また、すべてを理解し悟りの境地にいるようでもあった。

「まず初めに、これだけは否定しておかなければならないが……僕とて、その答えを知っているわけではないんだ。

 他の人間に見えないものが『視えて』いることは確かだが、それがどういう真理を表しているのかなんて、分かりたいと願い、分かろうと努力することは出来ても、真に理解するなんて出来やしないのだよ。

 ……太古の預言者がそうであるように、矮小な人の身に過ぎない僕には、ね」

 ヨトゥンはなおも何かを言い募ろうとしたが、すぐに冷静さを取り戻したのか、気持ちを落ち着けるように天井を見上げて大きく一つ息をついてから、改めて視線を落とした。

「……分かった、すべての真実を教えろと無茶は言わん。

 だがお前は、ずっと昔に、すでに俺が他の人間とは違うことを見抜いていた。いずれこうして屍喰(シニカミ)となるのを知っていたように。

 いったい、お前は何を視た。どう解釈したと言うんだ?」

「俗っぽい言い方をするなら、〈魂の遺伝〉……そんなところかな」

 しわがれてはいるが、しかし力強さまでは失われていない声で、ロアルドは答える。

「魂の………遺伝」

 ロアルドが間を置く中、口の中で繰り返すヨトゥン。

 しかし続きを期待する彼を裏切って、ロアルドは部屋の奥にあるドアを指差した。

「さて……申し訳ないが、ヨトゥン。しばらく、奥の方へ控えていてもらえるかな。

 実は今日は、もう一人客人を迎える予定になっていてね。そろそろ時間のはずなんだよ」

「何だと? おい、俺の話はまだ――」

 さすがにそんな要求を黙って受けるわけにはいかないと、食ってかかろうとするヨトゥンだったが、その最中、ふと部屋の外の方へ視線を向ける。

 階段を上がり、こちらへ近付いてくる気配があることを察したのだ。

「ともかくそういうわけでね。先方とは一対一で話をするべきだと思うから、お願い出来ないだろうか。

 ……大丈夫だ、君との話をうやむやにしようというわけじゃない。

 ただ、きっと君と同じような話になると思うから、何度も説明しないで済むようにしたいだけでね。ご覧の通りの病躯だ、長く話すのはさすがに疲れる。

 君なら、ドア越しで少々距離があっても、その気になれば聞き取れるんだろう? いやもし、そういったことは屍喰としての能力の範疇外だと言うなら、そちらで音声を拾えるようにしておくが……」

「……なるほど。さすがに、実際に屍喰がどれほどの能力を有しているかまでは、お前でも把握しきれていないわけか」

 ヨトゥンは先に見せた怒りを収め、言われた通りに奥のドアの方へ向かった。

「準備は必要ない。この部屋の音を聞き取るぐらい、造作もないことだ」





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