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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
二章 灯が消えるまで
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7.〈地の声〉


 ――見渡す限りに広大な、これ以上ないほど言葉通りの『大地』に、昇り始めた太陽の光が降り注ぐ。

 その目覚めに合わせて、動き始める生き物や、逆に眠りについていく生き物の気配が、そこかしこから伝わってくる。

 何度か映像や写真で見た通りに、赤茶けた大地に緑を散りばめたようなサバンナの色彩は、鮮やかではあっても決して華やかではない。だがそれは決して、美しくないこととイコールではない。

 むしろ、ありのままの自然の姿は、人間のちっぽけな言葉で飾る美しさなど超越しているのだと、カイリは五感のすべてで景色を受け止めながら感じていた。


「もとより美しいものを、改めて美しいと感じねばならないのは、哀しいことだ」


 そう声を掛けられたカイリは、別段驚くこともなく背後を振り返る。

 そこに立っていたのは、衣服代わりに動物の毛皮を簡素に身に巻き付けただけの、浅黒い肌に全身、顔に至るまであらゆる場所に幾何学的な入れ墨を施している青年だった。

 背丈はカイリと同じぐらいで、同年代の日本人と比べれば低いぐらいだろう。加えて、華奢とも言えそうな細身だが、それが鋼の刃のごとく、限界まで無駄なく鍛えられた筋肉で引き締まっているがゆえであるのは、一見すれば明らかだ。

「本来、我ら人も、その中の一つでしかなかったというのに」

「僕は……今でもまだ、そうなんじゃないかって思います」

 青年の涼やかな瞳を見据えながら、カイリは答える。

 対して青年は、表情こそ変えないまま、ほんのわずか頷いた。

「愚かなことを――と、笑うところだ。――カイリ、お前が言ったのでなければ」

「……買い被り過ぎです。僕なんて――」

「俺は〈地の声〉。その名に誓い、嘘は言わん。お前自身が気付いていなくとも、カイリよ、お前は広く――雄大だ。この大地そのもののように」

 青年は、サバンナの彼方へと視線を向ける。



 ……カイリが、彼、〈地の声〉という名の青年と出会ったのは、一ヶ月ほど前のことだった。

 〈その日〉の異変以来、国家規模の紛争は鳴りを潜めていたが、争いそのものが消えたわけではない。それは、政情不安定な地域が多く、そのことに乗じて、何らかの旗印を掲げていながら、しかし関係なく他民族の虐殺や略奪を行うような悪辣な武装集団が数多く存在するアフリカもまた然りだった。

 そんな武装集団は、覆った死の理、生屍(イカバネ)という存在すらも、自分たちの獣性を満たすための道具としか見ていないのか――。

 むしろ〈その日〉を経たことで、より苛烈になった残虐極まりない破壊活動を、小さな集落に対して行っているところに遭遇したのが、砂漠を南下して大陸中央へ出てきていたカイリだった。

 ……女子供問わず、目に付き次第虐殺し、生屍となったらなったで、再生する前に何度も何度もあらゆる方法で殺し直す。

 またときには、家族の一人だけを殺して生屍にした挙げ句、他の家族を襲わせる――。

 いかにも楽しげに笑ったりしながら、そんな非道を行う武装集団を目の当たりにしたカイリは、義憤に突き動かされるままその力を振るい、気付けば数十人からなるその集団を、一人で蹴散らしていた。

 怒りが〈衝動〉に置き換わることへの恐れもあって、結局誰一人殺しはしなかったものの……絶対的な力であるはずの銃器が一切通用しないばかりか、人間の根源的な恐怖――それは『畏怖』にこそ近いのかも知れない――を呼び起こすカイリの迫力にあてられた武装集団は、死よりも恐ろしい運命を見たかのように逃げ去った。


 そのとき、入れ替わる形で集落へとやって来たのが、彼――〈地の声〉だ。

 ヨトゥンの時と同じく、会った瞬間、カイリは彼が自分と〈同族〉なのだと気付いた。


 『縁のあるこの集落が襲われていると聞き、助けに来た――』


 そう告げた〈地の声〉が真っ先に行ったのは、集落で生屍と化していた者たちを、残らず喰らうことだった。

 〈衝動〉に駆られて獣のように――ではなく、まるでそれが古来より受け継がれてきた伝統ある葬儀の一環であるように、自らの意志で粛々と――。

 〈地の声〉は、生屍の心臓を抉り、喰らい続けた。


 ……その後、〈地の声〉から自分たちの集落へと誘われたカイリは、その申し出を受けて〈古き民〉と呼ばれる彼の一族に合流した。

 屍喰(シニカミ)という存在に変じながら、それまでと変わらず一族とともに過ごしている彼、そしてそれを受け入れている人々と、話をしてみたいと思ったからだ。

 総勢で百人にも満たない〈古き民〉は、その名の通り大陸に最も古くから存在しながら、しかし極力他者との関わりを避けて、ひっそりと生き続けてきた一族なのだという。

 そのため、現在知られるどの民族とも共通点が乏しく……言語も、集落内で生まれ育った人間でなければ正確な発音すら難しい、独自のものを用いていた。

 屍喰としての能力の一環で、言葉に乗った互いの意志を直接読み取り――また伝えることも出来るため、意思疎通には問題ないカイリでも、発音そのものは理解の外なのか、彼ら〈古き民〉の名前が持つ意味は理解出来ても、それを彼らの言葉として発音することは一ヶ月経った今でもかなわない。

 しかし、そうして本来排他的であるはずの〈古き民〉だが、明らかな余所者のカイリを客人としてもてなし、受け入れてくれた。彼ら一族に守護者として崇められている〈地の声〉の同族であるなら、と。


 ――以来カイリは、

『自分や一族のことを知りたいなら、安易に言葉を交わすよりも、ともに生きてみるのがいい』

 という〈地の声〉の提案に素直に従い、〈古き民〉と寝食をともにして、この一ヶ月を過ごしてきた。


 ……〈地の声〉の同族ということで、神のように崇め奉られでもしたら……。


 かつての心の傷を思い出して、当初カイリはそんな心配もしていたのだが、それは結局杞憂でしかなかった。

 彼ら一族は、カイリに敬意こそ払うものの、〈地の声〉と同じように、ここで生活する以上はと、集落の一員としての仕事すら割り振るほどだったからだ。

 だがそれは、却ってカイリには有り難かった。

 文化こそまるで違うが、それなのに故郷にでも帰ってきたような……そんな安らぎを感じることが出来たからだ。

 この十年、決して感じることなど出来なかった、ごく普通で、当たり前の安らぎを。

 人々の中にあって、人々とともに生きるという……当たり前の。



「……〈地の声〉。あなたたちは、特別な何かをしているわけでもない。

 ただ、あるがままを生きているだけなんですね。この大地との、あるがままを」

 カイリの問いかけに、〈地の声〉は小さく頷く。

「そう、あるがままだ。――これまでも、この先も」

 〈古き民〉としては異端な考えを持っていた両親に連れられ、幼い頃はフランスで学校に通い、外の世界を学んだこともあるという〈地の声〉。

 そんな彼だからこそ、身を以て知っているのだろう、生き方の違い。それを噛みしめるようにして、カイリに澄んだ言葉を投げかける。

「俺もまた、同じだ。老いず、死なずの身体になったというなら、それを受け入れるだけだ。

 一族を守り、そして彼らの死に際しては、その身を喰らい、大地へと還る手助けをする。ただ、それだけのことだ。不自然なことなどない。

 ……成ったのなら、それはすべからく、自然のことでしかない」

 〈地の声〉が言葉通りのことを実践するさまは、カイリも見てきた。

 自らが大地の代行者となって、還るべき命を取り込むような――葬送の一環として、生屍となった死者の心臓を喰らう姿を。

「お前の言う〈衝動〉もそうだ。俺にしてみればそれは、死者の命を還す、その役目を後押しするものでしかない。抗う理由など何も無い」

「それが……僕ら屍喰の存在理由……なんでしょうか」

 〈地の声〉は、今度は小さく首を横に振る。

「それは分からない。俺はそうだというだけだ。

 ただ――己の生きる道を見出すのは、結局、己でしかない。同じく意志を持つ存在である以上、そこに人と屍喰の違いなどない。

 俺は、一族の中で、一族だけを守り続けて生きると決めた。だがカイリ、お前までそうである必要は無い。人としてか、屍喰としてか、悩み続けるがいい。

 悩み、苦しんだお前だけが見出せるだろう、お前だけの道が――いや、違う。

 ()()()()だけの道、だ。……それが、その先に必ずある」

「…………?」

 わざわざ言い直した〈地の声〉の真意が分からず、カイリは首を傾げる。

 しかし〈地の声〉はそれに答えることなく、その逞しくごつごつとした手で、カイリの肩を優しく叩いた。

 表情こそ普段と変わらないが、カイリはそこから、〈地の声〉の自分への励ましを感じ取った。

「――ところでカイリ。今日は子供たちが、いつもの水場でなく小川の方へ水を汲みに行きたいと言うのだ。久し振りに広い場所で水遊びでもしたいのだろうが、お前が付き添ってやってくれるか。場所は分かるだろう?」

「え? ええ……以前連れて行ってもらったあそこですよね? それなら分かります、けど……でも、子供たちに僕だけで大丈夫ですか?

 それなりに距離もありますし、動物に襲われたりしたら……」

「それは心配ない。動物たちは聡明だ。お前が連れている子供たちを襲うなどしない。ヘタに何人か大人を付けるよりよほど安全だ。

 それに、子供たちはお前を慕っているが、同時に、お前がいずれここを去っていくことも理解している。だから、お前に頼みたい」

「――わかりました。そういうことなら」

 柔らかな笑顔で頷き、カイリは今一度、雄大なサバンナを振り返る。

 厳しくも豊かな太陽の光は、大地に溢れんばかりの数多の生命を、あますところなく輝かしく映し出していた。

 悠久の昔より、ただただ、そうし続けてきた通りに。





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