6.結衣と彰人
「……まったく、ファミレスで待ち合わせとか、学生かよ」
――もう日付も変わろうかという時間帯のファミリーレストラン。
まばらな客の中に見知った顔を探し、ホール隅の四人がけテーブル席に座った彰人は、向かいの先客に開口一番悪態を吐いた。
だが、それがむしろ親愛の表れであることぐらい、呼び出した張本人の結衣は当然のようにお見通しだ。
「しょうがないでしょう? 時間が時間なんだから。それに、こういう所は久し振りで懐かしいんじゃない?」
すでに注文していたらしいアップルパイを頬張りながら、結衣はにっこり笑う。
毒気を抜かれた様子で彰人は、まあな、と応じた。
「……にしても、非番だって聞いてたのに、どうしてスーツ? ファミレス来るのに」
「ここの所、ずっと基地に詰めてたからな。適当な私服が無かったんだよ」
いかにも決まりが悪そうに彰人は、ただでさえ崩し気味に締めてあったネクタイを、乱暴な手つきでさらにゆるめた。
「ふーん。わたしはまたてっきり、最近はドレスコードのあるようなお店ばっかり行ってるからかと思ったけど」
「バカ言うなよ。俺なんぞに、そんなカネもヒマもあるわけないだろ」
水とおしぼりを持ってきたウェイトレスに、メニューを指差してさっさと注文を伝えた彰人は、そうぼやいて結衣に苦笑を返すが……。
高校生の頃から変わらない、少しばかり子供っぽい可愛らしい赤いフレームの眼鏡の奥で、結衣の瞳はすべてお見通しだと言わんばかりに輝いていた。
「まあ、あなた自身はそうでしょうけど。我らがカタスグループの八坂会長その人に連れて行ってもらうとなったら、そこいらのただ高いだけのお店ってわけはないでしょ?」
おしぼりで手を拭っていた彰人の動きがピタリと止まる。
「……なんでお前、そのこと……」
「一応、わたしもジャーナリストの端くれですから。八坂会長が、自分の命を救ってくれたイクサの若き有望株に、最近特に目を掛けてるって話ぐらい知ってるよ」
「……まぁ、いいけどな。別にやましいことでもないし、隠す話でもない」
言って、彰人はおしぼりをテーブルに投げ出した。
「取り敢えず……結衣、お前がちゃんとジャーナリストとしてやれているってことは分かったワケだ。――安心したよ」
「……あなたこそ。結構ハデに暴れてるって有名みたいだけど、見たところ大きな怪我もないようだし……無事で何より」
結衣は穏やかに笑いながら、コーラの入ったグラスを差し出す。
「ちょっと遅れちゃったけど……ひさしぶり」
「ああ。お前も、相変わらずで何よりだ」
ひとまず手もとにある水のグラスで、彰人は乾杯を受けた。
「さて、実際何年ぶりになる? 確か、前に会ったのは……宮司の爺さんの葬式のときだったか」
冷水で唇を湿らせ、記憶をたどる彰人。
――かつてカイリの養い親だった宮司の老人を、死に瀕したその折……縁者として、自ら願い出て『処理』したのは彰人だった。
臨終と同時に頭に銃弾を撃ち込み、生屍として再生しつつある亡骸を、〈冥界〉となった伏磐へ、隔離壁の上から『遺棄』する――。
〈その日〉、死の在り方が覆ってから、新しい弔いとして定着した『処理』。
それは、精神的に非常に過酷な仕事だ。
だが、だからこそ……幼少の頃より自分だけでなく、姉も世話になった恩人だからこそ彰人は、そうした仕事を辛いからと、他人任せにするわけにはいかなかったのだ。
恩人を世界から切り離すその作業の一つ一つに、どれもかつての世界の倫理観からすれば残酷でしかないその所業に――せめて、ありったけの感謝と、弔いの念をこめるために。
「うん……そう。宮司さんのお葬式以来。だから……三年ぶりだね」
結衣も、どこか遠い目をして、少しばかり力無い言葉を返した。
葬式が行われるのは、実際には故人の亡骸を〈冥界〉へ遺棄し終わってからのことだ。だから、結衣自身が処理の現場に立ち会ったわけではない。
だが……。
それを為した彰人の重責を思い――さらに、最期の時まで、公には行方不明ということになっているカイリの身を案じていた故人のことを思うと――今でも、胸に痛みを感じずにはいられなかった。
……結局、結衣と彰人の二人は、カイリの身に起きた出来事を、宮司に話すことはなかった。
いや、出来なかったと言うべきかも知れない。
しかし――当の宮司は、二人の様子から、何とはなしに事情を察していながら、気付かない振りをしていたのではないか――と、今では思う。
「…………」
ふと、お互い言葉の接ぎ穂を失ってしばらく黙っていると……ちょうどその場を割ってウェイトレスが現れ、彰人が注文した品を置いて立ち去っていった。
何を頼んだのか、特に気にしていなかった結衣だが、テーブルに置かれた品と、目の前の彰人とのギャップに、思わず「何それ」と吹き出してしまう。
「見ての通り、期間限定のスペシャルミルクレープだ。……いいだろ別に、基地に詰めてるとこんな、いかにもな甘い物なんて食えないんだからよ」
唇を尖らせながらも満足げに、アイスクリームやらフルーツやらに埋もれつつも立派な威容を誇る、巨大なミルクレープの鎮座した皿を、手もとに引き寄せる彰人。
「そう言えば彰人君、案外甘党だったっけ。それって昔っから?」
「いつからかは覚えてねえけどな……姉貴のせいなのは間違いない」
「……ナナ先輩の?」
手に取ったフォークをくるくると回しながら、彰人は苦笑する。
「あの人辛党だったからなあ。しょっちゅう激辛料理とかに挑戦しやがって……俺たちの甘味への執着は、そのたびに実験台にされていたことの反動みたいなもんだ」
言って、さも美味そうに、幸せそうにミルクレープを頬張る彰人。
その姿を見ながら結衣は、今まさに彰人が、恐らくは無意識のうちに選んだであろう単語を、頭の中で反芻していた。
俺『たち』……彰人は間違いなくそう言った。
それが他に誰のことを指しているのか、結衣は聞くまでもなく知っている。
――そう……カイリ君も、甘い物が好きだった。
彰人が、カイリに対し、彼なりのケジメを付けようとしていることは、本人から聞いたことでもあり、結衣も理解していた。
だが、そんな相手を心の中でどう位置付けているのか、その本心については、たった今ようやく理解出来た気がした。
大切な姉を――恋人だったはずの姉を。その命を、喰らった相手。
憎んでいるはずのその相手はそれでも、やはりかけがえのない幼馴染みで――そして親友なのだという、そんな想いを。
「……そっか。そうなんだね……」
「――あん? どうしたよ、人の顔じっと見て」
頬にクリームでも付いているのかと、慌てて顔に手をやる彰人に、結衣は微笑みながら首を振って見せた。
「……ところで彰人君。カイリ君の行方について、何か分かった?」
「おいおい、ものによっては機密事項だぞ? 言うと思うか?」
フォークを止めることなく、質問を突き返す彰人。
対して結衣は、あっさり「もちろん」と頷く。
「でも……その様子じゃ、これといった手掛かりは見つかってないみたいだね」
彰人は大げさに肩をすくめてみせた。
「ご明察。アイツのことは俺だってずっと網を張ってるが、かかりゃしない。
……まあ、若干ながらアイツの特徴に合った目撃情報が大陸の方から上がってるから、日本を出てることは間違いないだろうが……」
「うん、それはわたしの方でも掴んでた。その辺の話を総合して考えると、今は中東からアフリカの方へ行っていそうなんだけど……あの辺りの情報は拾いにくいからなあ」
「だな。それと……これはまだ確証が得られたものじゃないが、あの〈アートマン〉が、やはりその辺りの地域に移動していたという情報もある」
「……アートマンが?」
アートマン――サンスクリット語で〈我〉を表す呼び名が付けられたインドの凶悪殺人犯にして、世界で実在を認識されている、数少ない屍喰だ。
「はっきりとした所在が確認されれば、関係国の要請がなくとも、討伐のために部隊が投入されるだろう。……もちろん、俺も含めてな」
「危険……だね」
「まあな。だが、もとが凶悪殺人犯の屍喰なんざ、野放しにしていられんだろう。
それに……接触すれば、屍喰という存在について、何か分かることもあるはずだしな」
言って彰人は、大きく切り取ったミルクレープに、さらにフルーツを適当に乗せ、大口を開けて頬張る。その仕草は、どこを取っても緊張も気負いも感じられない。
――危険極まりない任務の話をしながらも、そうして、まるで平静さを失わないのは、相変わらず大した剛胆さだと、結衣は素直に感心する。
「で、結衣。そっちの方は何か掴んだのか? わざわざ呼び出しまでかけてきたんだ、まさか記事のネタに困って俺を頼ってきたってわけでもないだろ?」
「………。これ、見てくれる?」
結衣はバッグから出したタブレット端末を操作すると、そのまま彰人に渡す。
フォークを咥えたままディスプレイを目で追っていた彰人の眉間に、見る間に皺が寄っていった。
「これ、三十年ほど前、オスロ大学に通うある学生が書いた論文の要約なんだけど」
「……〈その日〉の異変を予言してるようにも見えるが……まさか、誰かのイタズラってわけじゃないよな?」
「――〈その日〉の少し前のことだけど。カイリ君が、熱中症で倒れて病院に運ばれたことがあったの、覚えてる?」
質問に対し、急に昔話を返された彰人は……面食らいながらも、言われた通りの思い出を記憶から引っ張り出す。
「? ああ……あれだろ、姉貴へのプレゼントを買いに、一人で遠出したときの。
宮司の爺さんから連絡を受けた姉貴が、真っ青な顔して病院にすっ飛んで行くのを、必死に追いかけた記憶がある。何せアイツの体質じゃ、それが日にさらされてのことなら、命に関わる問題なんだしな。
だが……それがどうかしたのか? 結局、何事もなかったじゃないか」
「じゃあ、もう一つ。……そのとき、わたしの方が、あなたとナナ先輩よりも早くに病院に着いていたことは?」
「ああ……そういやそうだったか。カイリの病室で、お前が先にヒデェ泣き笑いの顔してたから、それ見た姉貴がちょっと落ち着いて、大泣きせずに済んだんだよな……確か」
意地悪な思い出し笑いを浮かべる彰人。
結衣は一言、「ひでー顔で悪かったわね」とそれに付き合ってから、話を戻す。
「あのとき……先に病院に着いたわたしは、ロビーで、一人の西洋人とすれ違ったの。
後で宮司さんやお医者さんの話を聞いて、その人が、倒れていたカイリ君を助けて病院に運んでくれた人だって分かったんだけど――」
結衣は、彰人が持つタブレット端末に手を伸ばすと、著者の青年の写真を指差した。
「それが、こいつ……ロアルド・ルーベク……なのか?」
ゆっくりと頷く結衣。
「彼はきっと、世界を変える――」
「……なに?」
「その人が、すれ違いざま、つぶやいていた独り言。どうしてだか、記憶に引っかかったままになってて。
あのときにも、何のことだろうって不思議には思ったけど、カイリ君は無事だったし、結局それ以上特に意識したりはしなかった。
でも、今は……」
真剣極まりない結衣の瞳と言葉を向けられた彰人は、一声唸って難しい顔で黙り込む。
偶然と、あっさり片付けるには気になる符号――。
結衣の抱く、その疑念も分からないではないが、彰人としては、そうと断定する材料も少ないと、どちらかと言えば否定的な心象でいるらしい。
「わたしは……この人、ロアルド・ルーベクが、この異変に――カイリ君のことについて、まったくの無関係だとは思えない。少なくとも、何かを知っているって……そう思ってる。
――だからね、いっそ直接会いに行こうと決めたの。
どうやら世界中を転々としているようだけど、何とか今の居場所も特定出来そうだし」
「……お前の予測通りにせよ、そうでないにせよ、どのみち真っ当な人間とは思えん。
正直を言えば、ふん縛ってでも止めたいところだが……」
彰人は大きなため息を吐く。
「お前のその目――どうせムダなんだろうな」
「ごめんね。手掛かりを掴めるかもって思うと、もう、じっとしてられなくて」
結衣の謝罪が、言葉ばかりのものでないことは分かる。
だが逆に、だからこそと言うべきか、彰人の口からはもう一つため息が漏れ出た。
「……この論文のデータ、貰っても構わないよな? 俺も少し調べてみたい」
「もちろん。後で送っておくね」
一も二も無く快諾する結衣に、頼む、と言い添えて、彰人はタブレットを返した。
「とにかくだ、結衣。いざ出発するとなったらその時は、何処に行くにせよ、詳しく俺に報せろ。
乗る飛行機の時間から、現地での滞在場所、滞在中の予定まで、くまなくだ。それがイヤなら、渡航禁止措置をかけてでも引き留める。――いいな?」
「……気遣いは嬉しいけど、わたしだって結構仕事で海外飛び回ってるんだよ? 危険な目にだって遭ったこともある。だから、そんなに心配しなくても――」
「これ以上」
苦笑混じりの結衣の言葉を、彰人が強い口調で遮った。
「これ以上――昔馴染みが行方知れずになるのは、御免だからな」
「……そっか。ん、そうだね、ごめん。言われた通りにするよ」
「そうしてくれ」
やや乱暴にそう言って、彰人は思い出したようにまたミルクレープに取りかかる。
その様が、気恥ずかしさを隠そうとする学生のようで、思わず結衣はくすりと微笑んだ。
「……何だよ?」
「ううん、何でも。――ね、彰人君、今日まだ時間大丈夫?」
「もう日付変わってるけどな。……まあ、久々の非番だから、緊急の呼び出しでもかからない限りはまだ大丈夫だが」
彰人の返事に、結衣は無邪気な顔で大きく頷いた。
「そっかそっか。じゃあ、もうしばらくお喋りに付き合ってよ。
ちょうど仕事のグチをぶちまけたかったところだし、〈級友殺し〉なんて悪名高い伊崎隊長殿が、どうやって八坂会長とお近づきになったか、詳しい話も聞いてみたいし」
「アルコールも抜きに、深夜のファミレスでか? そんな――」
「いいでしょ? 学生の頃みたいで」
機先を制した結衣の言葉に、彰人は片頬を歪めてみせる。
「……おごりか?」
「まさか。ワリカン」
「……だよなあ、この流れだと」
苦笑しながらも、彰人の表情はどこか明るくなっていた。
歴戦の強者としての険は消えて、身体の大きいイタズラ小僧のようにも見える。
「分かったよ。こうなりゃ、ドリンクバーの元を取るまで付き合ってやるさ」
「くれぐれも、変な合成ジュースは作らないでよ? 一応、いい大人なんだから」
ため息混じりに釘を刺して、結衣もまた、朗らかに笑った。