4.信念の二人
――相変わらず、やかましい……。
そう思いながらも、しかし慣れというものなのか、一種の安堵感すら覚えるようになった輸送ヘリの回転翼の轟音を、耳で聞き、身体で感じながら、伊崎彰人は並んで座る部下たちの姿を確認し直す。
「……今回の作戦も脱落者は無し。完璧な指揮でしたね、隊長」
彰人の隣りに座る副官の梶原兼悟が、抱えたアサルトライフルの銃身を指で弾きつつ、人懐こい笑みを浮かべる。
特別大声を出しているわけでもないのに、この優秀な副官の言葉は、いつも綺麗に耳に届いた。
本人いわく、発声のコツの問題らしいが、彰人はそのコツとやらが未だ掴めずにいる。ゆえに、返す言葉は心持ち力を込めて大声だ。
「それは、俺がまた強引な突撃をしたことへの皮肉か?」
「半分は。……ただ、そうした隊長の姿が、隊の士気を高め、結果として損耗率を下げているのも事実です。なので、我々の隊特有の戦術と見るのも間違いではないかと」
童顔に見合わない兼悟の毒舌に、彰人は小さく苦笑を漏らす。
「どのみち褒められてる気はしないな。……が、何にせよ――」
彰人はもう一度、居並ぶ部下たちを見回した。
「誰も『殺さずに』済んだのは幸いだった」
「ええ」
兼悟も素直に同意する。
――相手が人間であれ、生屍であれ、〈その日〉以来、戦闘において、味方の戦死はただの喪失ではない。そのまま新たな生屍として蘇生し、手近な味方に襲いかかる危険があるのだ。
そのため、戦死した仲間に対して、ただちに取るべき措置は、冥福を祈ることでも、ましてや家族の下へ連れ帰ることでもなく――もう一度、改めて鉛弾を撃ち込むことだった。
もう一度、極力無惨に『殺し直す』ことで、生屍として再生するまでの時間を長引かせるのだ。
当然、それは実行する人間にとって大きな精神的負担となる。
そうしなければならないと分かっていても、戦友を想い、人としての尊厳を想うがゆえに引き金をためらい、そこから隊が瓦解したというのは、彼ら〈黄泉軍〉に限らず、今や世界中の軍隊で掃いて捨てるほどに転がっている話だった。
「中尉! 伊崎中尉!」
ヘリの副操縦士が振り返り、声を張り上げて彰人を呼んだ。
すぐさま反応し、彰人は兼悟を伴って操縦席の方へ近付く。
「どうした?」
「本部からです。帰投次第、残務は副官に預け、至急、司令室へ出頭するようにと」
「兼悟、悪いが後は頼んだ!」
基地に戻るや、ヘリの回転翼も止まらぬうち、兼悟とともにいち早く大地に降り立った彰人は、爆音に負けぬ大声とともに、自身のライフルを兼悟に押し付ける。
「了解しました! 隊長は気兼ねなく、しっかり絞られてきて下さい!」
機外に出て直に風圧にさらされると、彼自慢の発声のコツとやらも用を成さないのだろう、さしもの副官も声を張り上げていた。
「説教が前提か、勘弁してくれ!」
「なら、他に心当たりが?」
「いの一番に出頭命令を食らうような真似は、最近はした覚えがないんだがな!」
「営倉入りなんて話だけは勘弁して下さい!」
「縁起でもないんだよ!」
いかにも気乗りしないという表情のまま、彰人は敬礼を残して営舎の方へ走り去っていく。
それを同じく敬礼で送ってから兼悟は、他の隊員が降りてくるのを待ち、指示を与えて兵舎の方へ戻らせた。
そうして、残った自分も、ヘリのパイロットと後の予定について確認をし合ってから、兵舎へ戻ろうと踵を返したそのとき。
彼の耳が捉えたのは、ヘリの整備員たちの会話だった。
「……さっきすれ違った伊崎中尉だろ? 訓練生時代に……」
「そうそう。〈級友殺し〉な。訓練中の事故で瀕死になった仲間を、教官の指示も待たずにためらいなく撃ち殺したって話だ。
しかも、それが寮のルームメイトで、入学以来ずっとバディ組んでた相手だってンだから怖えよな」
「あの人のチームに入ったら、助かるケガでも問答無用で処理されそうだ」
ひとしきり笑い合った後、いざ作業にかかろうとする整備員たちを、兼悟は「おい」と鋭い声で呼び止める。
「あっ? か、梶原少尉!」
鬼の形相で、射殺さんばかりの視線を向けている上官に気付いた整備兵たちは、あわてて背筋を伸ばして向き直った。
「引き金をためらわないのは、人一倍相手を思いやる心と、覚悟がともに備わっているからなんだよ。
それを恐ろしいと感じるなら、誰か他の中途半端な隊長殿に従って、一度、最悪の地獄を覗いてみるか……いっそのこと、イクサなんざ辞めちまうんだな」
それだけを言い置いて、立ち去る兼悟。
数多の戦場を生き抜いてきた人間の凄みに、文字通り震え上がった整備員は、何も言えず、ただ黙ってその背中を見送ることしか出来なかった。
「おお、来たね。待っていたよ」
来客用の応接セットこそあるものの、他所の軍隊や、それこそ企業などで同じような位置付けにいる人間の執務室に比べれば、いかんせん質素で殺風景な司令室。
そこに、呼ばれるまま足を踏み入れた彰人を迎えたのは、予想していた――かつ、いい加減聞き慣れた――怒声などではなかった。
応接用の、しかし上等とは言い難いソファから腰を上げ、颯爽と彰人に歩み寄ってきたのは、年の頃四十前後の、品の良いスーツをきっちりと着こなす、いかにも名士という形容がふさわしい男だった。
親しげに肩を叩きながら、派手過ぎず嫌みでもない、実に魅力的な笑顔を向けるその名士に、さしもの彰人も驚きに面食らって眼を白黒させる。
「か――会長っ? 司令、これは一体……」
「会長が、直にお前と話をされたいとのことでな。先刻いらっしゃった」
助けを求めるように奥を見やった彰人に、ソファから立ち上がりながら基地司令は、いつもの巌のような表情のまま答えた。
それを受けて、名士――カタスグループの基礎となった宮大工の集まり、堅州組の創始者一族として、千年近い長い歴史を持つという名家中の名家、八坂家の現当主である八坂邦大が、後に続く。
「まあ、そういうことだ。……改めて君に、先日の礼も言いたくてね」
八坂は彰人と司令に座るよう促すと、自らもソファの元の位置に戻った。
彰人は、司令と並んでその向かいに腰掛ける。
「――会長。どうやら、警護らしい警護も付けず、お忍びのような形でいらっしゃったようにお見受けしますが……その『先日の件』があったばかりだというのに、さすがに不用心に過ぎるのではありませんか?」
眉根を寄せた彰人の、いきなりの諫言。
司令が慌てて口を挟もうとするが、それよりも早く、当の八坂会長本人が苦笑を以て応えた。
「……やはり厳しいな、君は」
「当然の意見と考えます。会長ご自身の身の安全は勿論ですが、部下を余計な危険にさらすわけにはいきませんので」
――それは、一ヶ月前、南米はコロンビアでの出来事だった。
『スラム街近辺の住民の安全確保のため、〈冥界〉建設の助言が欲しい』との政府要人の要請を受け、八坂は自ら現地へ下見に向かったのだが……それは強引な手段で会長職を奪おうとする、カタスグループ内の幹部が、現地の犯罪組織を抱き込んだ政府要人と結んで仕掛けた罠だったのだ。
そうして、事故に見せかけるため、スラム街でも最も危険な、生屍と犯罪者がひしめく地区に置き去りにされた八坂を、部隊を率いて救出したのが彰人だった。
「あの事件を画策した宮寺専務とその一派が、残らず逮捕されたのは聞きましたが……だからといって危険がなくなったわけでもないでしょう。
職務として命令を全うしただけの自分に礼など不要です。それぐらいならいっそ、御自重下さっている方が有り難い」
「……伊崎、言葉が過ぎるぞ!」
歯に衣着せぬ彰人の物言いにさすがに堪えきれなくなったのか、司令が叱責するも、八坂自身が手を挙げてそれを制した。
「伊崎中尉。君が私の思っていた通りの男と分かって安心したよ」
さらりとした表情のまま、一人立ち上がった八坂はソファを離れて窓辺に寄る。
そうして向けられた背中を見ながら、
――もう昇進出来ない、ってのは構わないが、クビとなるとさすがにマズいな……。
と、つい勢いで物を言ってしまったことを少し後悔する彰人。
そんな彰人の心中を知ってか知らずか、背を向けたまま八坂は言葉を続ける。
「……中尉。我が家には、『決して金儲けを第一には考えるな』『世のために必要なら散財も惜しむな』という家訓があってね。
それを守り続けてきたからこそ、家も会社も、少しずつ成長しながら、今日まで永らえてこられたと思うのだ。
だから〈その日〉を迎えた際、この混乱を鎮めるため、財産をなげうつのは当然のことだった。もしかすると、この日のために我が家は続いていたのではないかと、そんな風にも思ったほどだよ。
……とは言え、私もまったくの無私の心で行動したわけではない。
これが上手くいけば、はたいた財産の元を取るぐらいは可能だろうし、あわよくば、また少しグループを大きく出来ると、その程度のことは考えていた。ところが――」
八坂はくるりと振り返る。
強い意志の垣間見える鋭い眼差しは、真っ直ぐ彰人に向けられていた。
「グループは、私の予想を遙かに超えて巨大化してしまった。
私を亡き者にしようと画策した者たちは、そうした急成長によって、より膨らんで見えた富と権力に魅せられたのだろう」
彰人は八坂の言に、その当の首謀者だった宮寺という人物の、グループ内での主張と、その顛末を思い出す。
〈その日〉より十年――。
死の変質、それそのものについては、未だ何ら明らかにはなっていなかった。
だがその分、新たな『死』への対処においては、様々な方策が練り上げられてきた。
〈黄泉軍〉のような、生屍に対応する職種の人間が迅速に活動出来るための世界共通の法整備や、葬儀の形式の変容などが、そうした方策の中で現在機能しているものだが……その一つとして新たに導入が検討されているのが、個々人のバイタルサインをリアルタイムに計測し、情報として集約するシステムだ。
簡単に体内に埋め込める小型のバイタルチェックを介することで、死に瀕する人間がいた場合、速やかに処理を行うべく、その所在をいち早く把握しようというのである。
そして――そのシステムは、将来的に国籍を持つ人間全員に、バイタルチェック埋め込みを義務付けることが考えられているため、医療機器メーカーなどは、この上ない巨大市場と見て、真っ先に主導権を得ようと、開発にしのぎを削っていた。
……宮寺という人物は、その市場争いに、カタスグループも参戦するべきだと主張していたのだ。
そもそも、すでにカタスグループ内では同じコンセプトのシステムが運用されており、〈黄泉軍〉の隊員やグループの主要人物は、グループ製のバイタルチェックを体内に埋め込んでいたのだが……。
そうした先駆者としてのノウハウに、〈黄泉軍〉の活躍や、〈冥界〉の建設による社会貢献から来る世界的な信用があれば、この分野においてもグループが主導権を握るのは難しくないはず――。
それが、宮寺の言い分だった。そしてそれは、おおむね間違ってはいなかった。
だが――会長の八坂は、その意見に首を縦に振ることはしなかった。
八坂は懸念していたのだ、今の『死』が変質した社会を――世界を、これまで通りに動そうとするための仕組みのすべてを、カタスグループが掌握してしまう事態を。
そう……そうなることこそ望ましいと考える、宮寺らとは真逆に。
異変による混乱が極まっていた頃ならともかく、ある程度の落ち着きを見た今、カタスグループが、かつての世界で力を握っていた大国たちにとって、生屍とはまた別の脅威として見られつつあることを、八坂は自覚していたのだ。
狡兎死して走狗烹らる――ではないが、たかが一企業体でしかない自分たちグループが影響力を強め過ぎると、あらぬ野心を警戒された挙げ句、人間同士の無用な争いの火種になるかも知れないと危惧したのである。
そうした八坂の主張に反し、ひたすら利を求める宮寺らに同調する者も少なくなかったが――筆頭である宮寺が企んだコロンビアでの事件とその顛末により、反対派の勢力は急速に縮小。
結果として、八坂の方針は覆ることはなく……。
カタスグループは、まさにその影響力拡大を懸念していたであろう、アメリカ・中国・ロシアの三国が強力に後押しする研究機関に道を譲る形になり……同機関の開発したバイタルチェックシステムが国際的に採用されたのが、最近のことだった。
……ちなみに、同システムはまず試験的に、この一ヶ月を目処に、国連加盟国の主要人物、並びに各国の情報・通信も含めたライフラインに関わる仕事に従事する人々など、万が一の際に社会的影響が大きい人物に、順次先行導入されることになっている。
「そして……だ。権力や富を必要以上に欲する人間は、宮寺たちにとどまるはずもない。当然ながら今後も現れることになるだろう。
私が、グループの利益よりもまず、公共への奉仕を優先するという、今の方針をとり続けるとなればなおさらだ」
「公共への奉仕、ですか……」
何かを考えるように、彰人は一度視線を落とした。
「――会長。世の中では、生屍、引いては屍喰を、人間の進化の形だと、肯定的に捉える向きもあることをご存じですか?」
「ああ、もちろん承知している。で……君もそうだと? 中尉。正直に言ってくれ」
「自分は――逆です。あれが、あんなものが、人間の歴史の先に立つ存在であるはずがない。
第一、そうであるなら、人間は何のために生きていると言うのですか。死んだその先に進化があると言うのなら、我々に『生きる』意味などなくなってしまう。
それはすなわち、やや乱暴な言い方をするなら、人類という種の行き止まり――滅亡と同義でしょう。それを、座して受け入れるわけにはいきません」
彰人のただならぬ想いの籠もった言葉を真っ向から受け止め、八坂は大きく頷いた。
「その通りだ。――我らは戦わなければならない。人が人として生き、そして死んでいける、真っ当な世界を取り戻すために。
だがそれは、決して平坦な道ではないだろう。
だからこそ、私には――中尉。君のような、確かな信念を持った優秀な人間が必要なのだ。
私個人に忠誠を尽くせとは言わん。だが、我らが今確かめ合った、我らの進むべき道には変わらぬ忠義を捧げてほしい。
これからも、力となってほしいのだ」
すっくと立ち上がり、彰人は八坂に敬礼を返す。
「――喜んで。……もっとも、そこに書類仕事の手伝いなどが含まれていたりするのであれば……ご命令であっても承服しかねますが」
ひとしきり笑って八坂は、敬礼する彰人の手を取り、強く握った。
「さて……いずれは、手伝い以上のことを頼むかも知れないぞ? 出来れば、そのテの勉強もしておいてもらいたいものだ」