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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
二章 灯が消えるまで
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1.変わり、変わらぬ世界


かつて科学を持たぬ人々は想像し得たろうか。

電気が光となり、網となり、世界を覆うなどと。

脆弱な人の身が、宇宙へ至るなどと。

――永遠もまた、同じだ。

持たぬからこそ、想像はその先へ至り得ない。

生と死を表裏とするのは、理解の限界に過ぎず、

永遠を忌避するのは、想像の足踏みに過ぎない。


         〈R・ウェルズ 『新世生命論』〉






             *


 ――南米コロンビア、首都ボゴタ近郊の小都市。

 かつて、政府軍と反政府ゲリラとの戦闘によって破壊され、以来荒れ果てたまま放置された地区に建つ、廃ビルの一角で……八坂(やさか)邦大(くにひろ)は一人、倒れたデスクの陰で息を潜めながら、己の最期を覚悟していた。


 〈冥界〉の建造について、現地の代表者と会合を開く予定ではるばる日本からやって来た彼が、犯罪組織による襲撃――その想定外の事態によって追い込まれたこの地区は、入り組んだ迷路のような構造に、生屍(イカバネ)たちがひしめく、危険極まりない場所だった。

 護衛に付いていた人間が一人、また一人と襲われる中、それを助けることも出来ずにひたすら逃げ惑うのは、まさに悪夢をさまよっているかのようだったが……ジリジリと容赦なく照り付ける熱帯の太陽が、これは紛れもない現実なのだと、その身に焼き付ける。


「!……来たか……」

 潜んでいる部屋に、複数の気配が近付いてくるのが分かる。

 ここはビルの上階、しかも出入り口は一つしかない。――進退は窮まっていた。

 ……せめて潔く自害するためにも、護衛から拳銃の一つも借りておくんだったか――。

 ふと頭を過ぎった、いかにも後ろ向きな後悔に、苦笑をもらす八坂。

 その瞬間――。

 入り口の傾いたドアを破って、人影が三つ、勢い良くなだれ込んできた。

 フィクションに現れるゾンビに近い存在のはずが、それよりもよっぽど生気に満ち――それでいて明らかに人ではないと、本能が直ちに認識するモノ。

 人間と変わらぬ体組成を持ちながら、人間とは決定的に違う何かを、得たか、あるいは欠落した存在――生屍。

 彼らを突き動かしているのが、殺意か、狩猟本能か、それ以外のものなのか、それは分からない。だが、その矛先が、この場の唯一の生者である八坂に向けられているのは確かだった。

 獣のように素早い彼らが三体も相手では、脇を抜けて逃げ出すのも不可能だろう――。

 やはりこれまでか……と、覚悟を決めた八坂の目に、刹那、別の人影が映り込む。

 入り口から飛び込んできたそれが、何者かと八坂が判断するより早く――激しい銃声と閃光が場を掻き乱した。

 瞬く間に、二体の生屍の頭部が、人と変わらぬ赤い血を撒き散らして砕け散る。

「………!」

 思わず呆然と立ち尽くす八坂の前で、その人影――戦闘服姿の青年は、残るもう一体の生屍の頭部も、手にしたアサルトライフルの精密な三点射で一瞬で撃ち砕くと、八坂のもとへ駆け寄り、その顔を覗き込んだ。

「ケガは? 動けますか?」

「あ、ああ、何とか……大丈夫だ」

 八坂の返事に安堵したように頷き、青年はヘッドセットの向こうに呼びかける。

「目標を確保した、撤収する。――ああ。もうしばらく退路を抑えておいてくれ」

「……しかし、まさか……こんな所にまで助けが来てくれるとは思わなかったよ」

 八坂が苦笑混じりにつぶやくと、青年は険しい顔で応じた。

宮寺(みやでら)専務とその一派は、我々がこのまま揃って朽ち果ててくれるのをお望みのようですが」

「宮寺が?――そうか。そういうことか」

 かすかに驚きはするものの、すぐにしたり顔で頷く八坂。

「らしくもない、随分と強引な手に出たものだ」

「それだけ追い詰められていたのでしょう。

 基地司令も、今回の我々の出撃命令には不審を感じたらしいので……僭越ながら、自分がその手の作業を得意とする部下に探りを入れさせています。証拠を掴むのも時間の問題でしょう。……もっとも――」

「ああ。私が生きて戻らなければ、君たちのその努力も握り潰されるだろうな」

「その通りです、それに――」

 言い置いて、青年はいきなり八坂の襟を掴んで自分の方へ引っ張り込みざま、天井に向かって発砲する。

 驚いた八坂が首を巡らせるのと同時に、天井の亀裂から、頭を失った生屍の身体が落ちてきた。

「我欲に取り憑かれたカネの亡者にグループを牛耳られては、自分たちも真っ当に仕事が出来ませんから」

「……そうか。そうだな。ああ、何としても、生きて戻らなくては」

「状況は依然厳しいですが……その調子で諦めないで下さい。

 自分たちが必ず、日本へ送り届けて差し上げます」

 言うが早いか、ふらりと戸口に姿を現した新たな生屍の頭部をあっという間に撃ち抜いて、流れるような動作で弾倉を入れ替える青年。

 その肩に手を置き、八坂は強く頷いた。

「もちろんだ。――ありがとう、頼りにしている。あー……」

「自分は、伊崎――伊崎(いざき)彰人(あきと)と言います。会長」




             *


 ――〈その日〉から、実に十年の月日が流れていた。

 人間の『死』の変容と、生屍という存在の、科学的・医学的研究は世界規模で変わらず続けられていたが……肝心要の原因と根本的対策について、人類は未だに明瞭な答えを見つけられずにいた。

 まず、生屍となった者がどうして人を襲うのか、それすら判明していなかった。

 食料にするためというなら、脅威ではあっても理解はしやすい。

 だが、彼らは人を襲いこそすれ、喰らいはしないのだ。そして、同じ生屍となった者に敵意を向けるところは、今のところ確認されていない。

 では同族を増やすためなのかと言えば、確かにそれは現在最も有力な説ではあるが、やはり疑問も残っていた。

 一定の範囲に生きた人間がいれば襲いはするものの、その範囲の外まで探しに行こうとはしない積極性の無さ、そして同族がいても、ともに何かをしようとするでもない、社会性の無さなどがそれにあたる。

 人も含めて生物に基本的に存在する、種の保存に則した行動がまるで見られないのだ。

 〈冥界〉の観察などから分かった、生屍の基本的な活動と言えば、あてどなくうろつく、という程度のものでしかない。

 完全に立ちぼうけというわけでもなく、座り込んだり寝転がったりもするのだが、そこに目的や理由は見当たらない。何も知らない人間が見れば、行動意欲を激しく失った者が、茫然自失でいるようにも感じるだろう、という具合だ。

 また別の説としては、彼らは天敵に反応しているのだというものもあった。

 これは特に、生屍は屍喰(シニカミ)に対しても敵意を向ける……という情報を基に成り立っているのだが、まずその情報のはっきりとした検証が出来ていない上に、そもそも今の人間には生屍を退けることは出来ても、完全に滅ぼす術がないという事実から、まださほど有力視はされていない。


 だが……こうして正体が判然としなくとも、『それ』がそこに在り、人間社会と切っても切れない関係になってしまっているのは確かなことなのだ。

 だからだろう、十年という歳月のうちに、死を迎える人間への対応、そして生屍となった者への処理……そうした面に対する人類の意識、それ自体が変化を始めていた。

 未だに、そうした『処理』に対しては、倫理観から起こる嫌悪や恐怖が根強くまとわり付いてはいるものの……それを異常事態への臨時的な対処でなく、一種の『日常』として捉えるようになり始めていたのだ。

 もちろん、だからといって人間の『死』に対する認識の根底が覆ったわけではない。

 亡骸が土に還ることはなくなっても、人格の消滅という意味で、それは確かに喪失であり、別離であるのだから。

 ただ、死者が生屍として『生き』、土に還ることがないという事実が常識として浸透するにつれ、『死』の扱いを巡って、新たな主張も現れていた。

 生屍とは一種の転生であり、来るべくして来た人類の変化への道筋であり、受け容れるのが当然で、否定するべきでないという、〈その日〉の異変を肯定するような類のものだ。

 そうした意見を掲げる人間は、同時に生屍の人権すらも主張し、国連を通じて世界的に生屍の〈冥界〉への隔離を先導するカタスグループを、迫害者として非難もした。

 さすがに、そこまで極端な人間はまだごく少数派であったものの……カタスグループへの非難という事柄だけに絞って見れば、他にも様々な主義主張があり、決して小さなものではなかった。

 その最たるものが、この事態そのものが、カタスグループが利益を追求するあまり――あるいはもっと飛躍して、世界を牛耳るために行った自作自演だ、とするものだ。

 しかもこうした主張は、実際に世界への影響力をいや増すカタスグループを牽制するべく、国家や他の大企業によって秘密裡に擁護すらされていた。

 一時、現状打破のために利害を超えて築かれていた世界的な協力関係はしかし、時が経ち、慣れと余裕が生まれるにつれて、また元通りの足の引っ張り合いに逆戻りしていったことになる。

 しかしそれは、ある意味人間という生き物にとっての、偽りない自然であるのかも知れなかった。



 ――総じて、世界は……。

 決定的な異変を迎えながらも、今のところはまだ、これまで通りの、いかにも人間らしい人間社会を維持してはいた。

 小さな――しかし消えようのない変化の兆しを幾つも内包しながらも、今のところは。





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