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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
一章 〈その日〉から
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10.ようやくの弔い


 ――もともと、自然も多く残る伏磐(ふせいわ)市は、主要都市近郊ではあるものの、さほど開発も進められておらず、大きな賑わいはなかった。

 逆に言えば、そうした大都市には無いゆとりのようなものがこの街の一つの魅力だったのだが……。

 半年前に生屍(イカバネ)を封じ込めるための〈冥界〉として指定され、残っていた住民の退避と地域の隔離が完了した今――この地を覆っているのは、そんな穏やかな空気ではなく、空虚という名の寒々とした沈黙でしかなかった。

 そして、その沈黙の中に――。

 支配者のごとく闊歩するでも、咎人のごとく隠棲するでもなく。

 それはまるで、休日の散策のように……街を当て処なくゆったりとさまよい歩く、生きた屍の姿がぽつぽつと見受けられた。

 ――カイリはそんな伏磐に、一年ぶりに帰ってきていた。



 カイリは、見慣れた街路を歩きながら、そうした伏磐の様子を見るにつけ、まるで別世界にいるような心持ちだった。

 たった一年――。

 離れていたのはそれだけだ。だが、記憶の中の光景との印象の落差は、〈その日〉世界に起きた異変の激しさそのものと言っていい。


 ……青森で〈白鳥神党(しらとりしんとう)〉の信者だった夫婦から逃げた後、また行くあてもなく日本中を回っていたカイリだったが、日を追って進む伏磐市の黄泉化が報じられるたび、気持ちが強く引かれるのを感じていた。

 それでもすぐに帰ろうとしなかったのは、知人に出会ってしまい、万が一にも危害を加えたり――変わってしまった自分を見られたりするのを恐れたからだ。

 しかし、急造の壁による第一段階の隔離に伴い、生存者の退避も完了したとのことで、さすがにもう誰かに出くわす危険はないだろうと、カイリはようやく……本当の意味で故郷と信じるこの街へ戻ってきたのだった。


 もちろん、帰ってきた理由は、ただ郷愁に駆られたから……というだけではない。

 きちんとしたものは無理でも、彼は彼なりの方法で、七海(ななみ)を弔いたかったのだ。


 気持ちも考えも、整理がついたなどとは、まだとても言えない。

 だがそれでも、いくらかはあの日より落ち着きを取り戻していたカイリは、ここ伏磐が冥界として完成し、姥捨て山よろしく、他所から送られてくる生屍で溢れかえる前にと、意を決して、二度と思い出したくはない惨劇の地へと足を向けた。


 彼にとってすべての始まりの場所である、あの日の事故現場――。

 そこは、破損したガードレールや折れ曲がった街灯、道路のブレーキ痕など、当時の名残を留めてはいるものの、冥界化にあたり調査目的で回収されたりしたのだろう。肝心の事故車両や、犠牲者の遺品らしきものは軒並み姿を消していた。

 バスの中の七海の亡骸も、影も形も見当たらない。


 ――どうして僕は、もっと早くに……。


 七海のためにも真実を追い求めようと決めながら、結局、一年もの間、肝心要のこの場所からは逃げ続け、目を逸らし続けていた自分の弱さ。

 そのことに、カイリは薄情だと改めて憤るとともに、何より七海に対して申し訳ない気持ちで一杯になる。

 だが、このまま後悔に浸り、何もしないでいれば、これまでと何も変わらない。

 せめて遺品の代わりになるようなものでもないか、と――。

 あの日あの時の、〈衝動〉の熱に浮かされていたせいか、どこか曖昧な記憶を必死に辿り、思い出しつつ、辺りを探し歩くカイリ。

 曖昧とはいえ、身体に――心に、確かに刻みこまれているその記憶は、最も思い出したくないものだ。

 一度死に、人でないモノになってから、体調を崩したことなどないのに……そのときの記憶を探れば探るほど、動悸は激しく胸を打ち、めまいと吐き気が襲い来る。

 心が、己を守ろうと、思い出すことを拒否しようとする。

 だが、今度は逃げるつもりはなかった。

 カイリは歯を食いしばってそれに耐え――少しずつ、記憶をたぐり寄せていく。

「っ!……ナナ姉――ナナ姉……っ」

 いつの間にか浮き上がっていた涙が、記憶の中の視界も妨げるように感じて、ぐいと力任せに目元を拭い去り――そして、彼はふと気が付く。


 ……あのとき。

 彰人(あきと)結衣(ゆい)が走り去り、それを追うように動き始めた生屍たちをねじ伏せた――『喰らう』ことだけは何とか堪えたものの、ケンカすら満足に出来なかったような自分が、あれほど暴力的に、かつ淀みなく、人の姿をしたものを蹂躙した事実に恐れおののき、人の気配を避けて逃げ出そうとした――そう、そのとき。

 無意識に見るのを避けていたのだろうが、いざバスの中から逃げ出す際、視界の隅に入ってしまったその場所。

 自分が喰い散らかした七海の亡骸が横たわるはずのそこには、血に塗れた彼女の制服しか残されていなかったのだ――。


 ――ナナ姉が……消えていた?

 再度起き上がったりしなかったのは間違いなかった。だからこそ、せめて弔わなければならないとこの地へ戻ってきたのだから。

 もしかしたら無意識のうちに都合良く記憶を改竄しているのだろうか、と疑うが、記憶の中で必死に復元したその光景は、真実だ、という確信めいた感覚もあった。

 どちらが正しいのか――その答えを出せぬまま、現場の中心を離れ、手近なガードレールに何気なく腰を下ろすカイリ。

 そうして彼がふと落とした視線は、ひび割れたコンクリートの隙間に、何かが入り込んでいるのを見つけ出した。

「! あれ、まさか……!」

 慌てて拾い上げたのは、どことなく小生意気な、しかし愛嬌ある表情の招き猫っぽい子猫のストラップだった。

 カイリ自身はよく知らないものの、何かのテレビ番組のマスコットキャラクターを元に作られた限定品で、七海がスマートフォンのカバーに付けていたのと同じ物だ。

 紐は千切れ、全体的に薄汚れてしまっているものの、野ざらしになっていたにしては案外状態は良い。

 そういえば……とさらに記憶を辿れば、あのバス事故の直前、七海が彰人に電話していたことを思い出す。窓に近付いて外を見るような仕草もしていたから、事故の衝撃で手を離れ、外に飛び出していたのだろう。

「……ナナ姉」

 小さなストラップを、そっと両の手の平で包み込む。

 あまり物には執着しなかった七海が、珍しく欲しそうにしていた希少品のストラップ。

 何とかその望みを叶えてあげたくて、彰人に協力してもらって置いてある店を探し、遠方まで一人で出向いて買ってきたものだった。

 きっと喜んでくれると思いきや、その日は特に日射しが強く暑い日で、熱中症で倒れてしまい……青い顔で病院に駆けつけてきた七海に、万が一のことがあったらどうするのかと、彰人ともども散々に怒られた。

 涙ながらに怒ってくれて、心配してくれて――でも最後には、願った通り、満面の笑顔で喜んでくれた――。

 ふっと過ぎった、そんなかけがえのない思い出は、胸の奥に温もりを生んだ。

 ――人でなくなってしまった今の彼に、しかし、人であった頃と同じ温もりを。



 ――住む人を失い、崩壊の兆しを見せ始めていながらも……慣れ親しんだ神社の境内は未だ、清閑な空気を失わずにいた。

 街を覆う、寂しく哀しい、死そのもののような冷たい静寂――。

 それとは違い、ぴんと張り詰めたような清浄な静かさは、冷厳でありながらしかし同時に優しく……カイリは懐かしさとともに、予想しなかった安心感をも覚えていた。

 ひとえにこれも、宮司としてここを管理し続けてきた、養い親の人柄によるものなのだろうと、今になって痛感する。

(爺ちゃん……元気でいてくれればいいけど)

 夕陽に紅く染められた境内を奥へ進んだカイリの前には、高さ十メートル近い榊の大樹があった。

 その根元に、事故現場で拾った七海のストラップを埋めると、そっと手を合わせる。

「……ナナ姉」

 せめて安らかに、と言いたい――。

 だが、果たして……自分にそれを言う資格があるのかと、カイリは唇を噛む。

 閉じたまぶたの裏には、七海と積み上げた思い出が、これでもかと次々に浮かんでは消えていき、想いも合わせて膨らんでいく。

 だが、それでも……固くとざされた彼の唇が、それを紡いで形にすることはなかった。

 代わりに、わき出る涙の雫が、音も無く頬を伝い落ちていく。

 彼を包む思い出は、どれも暖かく、心地好く――それだけに、悲しい。悲しいが、しかしそれでもカイリは、いつまでもこうしていたいと思わずにはいられなかった。


 ――いっそこのまま、こうしてこの場所を守り続けていけば――。


 何もかもを投げ出して、過去の大事な思い出だけを見つめて生きる――。

 ふと胸を過ぎったそんな誘惑に、ともすれば屈してしまいそうだったカイリ。

 しかし、そのとき……。

「――!」

 後方に感じ取った異質な気配に、そのまま夢に沈み込みそうだった彼の意識は、乱暴に現実へと引き上げられた。

 慌てて腰を上げ、目元を拭いつつそちらを振り返る。

(……これ、って……まさか……!)

 カイリが見据える中、境内を横切って近付いて来ていたのは――実際には2メートルぐらいだろうが、それよりもずっと大きく感じる、巨人めいた人影だった。





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