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屍喰神楽 ~シニカミカグラ~  作者: 八刀皿 日音
一章 〈その日〉から
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9.選ぶ道の先に


 ――〈その日〉から、一年が過ぎた。

 生屍(イカバネ)の〈冥界〉による隔離を提唱し、国連の特別オブザーバーとして認められたカタスグループと、各国政府の連携による生屍への対応行動は、少しずつではあるが安定の度合いを増しつつ、規模を拡大していた。

 しかし当然のことながら、それでも、世界中のあらゆる地域に対応出来ているわけではなかった。世界の総人口と、一日に発生する死者数というものを鑑みれば、人の住む地をすみずみまで管理下に置くなど、どだい無理な話だからだ。

 それゆえに、事故や病気による突然死からの、突発的な生屍の発生が、生活を脅かしたりするのでは――という人々の不安と緊張は、まだまだ消えるにはほど遠かった。

 実際、そうしたわずかなほころびから、加速度的に被害が拡大し、対応不可と判断されて近隣住民に避難命令が出され、結果、打ち棄てられた都市も一つや二つではない。

 しかし――。

 こうした状況下にあっても多くの人々は、可能な限り〈その日〉以前の生活サイクルを守り続けていた。

 死に瀕した人間への対応など、変えるべきは変えながら、それでももとの日常を、何とか再現し続けていた。

 それはきっと、人間の本質の一面なのだろう。

 致命的な鈍感さ、浅薄な図太さでもあるが、そこに根を張るがゆえに力強く芽を出す、適応力という名の。




             *


 ――終業のチャイムが鳴ってから、もう一時間以上になる。

 担任に頼まれた資料整理の手伝いをようやく終えて戻ってきた結衣(ゆい)は、ほとんどの生徒が帰ってがらんとした教室で一人、窓際の席で頬杖を突き、傾き始めた太陽をじっと見据える彰人(あきと)の姿を見つけた。

 それは今日に限ったことではなかった。〈その日〉以来、この関西の高校に転校してからというもの、結衣は幾度となく彰人がそうしているところを見てきた。

 そして、そういうときはむしろ気を遣って、あまり邪魔にならないようにしているのだが……今日は結衣にも思うところがあった。

 結衣は彰人の前の席に、彼とは逆に、窓に背を向ける形で腰を下ろす。

「……あれからもう、一年になるね」

「ああ。そうだな」

 返事はないかも知れない、という結衣の考えとは裏腹に、視線こそ動かさないものの、彰人はすぐに反応した。――どこか乾いた声音で。

「結衣。お前と、お前の親父さんには本当に感謝してるよ。二人がいなかったら、この一年、こうして真っ当な生活を送るなんて、絶対にムリだっただろうからな」

「もう……それはもう良いって言ってるでしょ?

 わたしだって……あのとき、あなたが助けてくれなかったら、今ここにこうしていないだろうし。ウチのお父さんも、それを感謝しているからこそ、あなたの身元を引き受けたんだから……」

 一年前の記憶――。

 決して忘れられるはずもない、その壮絶な記憶を引き出しながら、しかし結衣は努めて明るく、さっぱりとした調子で言う。


 ――〈その日〉からの数日間。

 それはまさに、世界中で混乱が最高潮に達していたときだった。


 一年経った現在でも、人の生屍への変異について、正確な解明・把握が為されているわけではない。だがそれでも、どのような形であれ、『死』が絶対的な引き金になっていることは周知の事実となっている。

 つまりは一般常識として、故意でなくとも他者に害を与え、時に死なせてしまうような可能性のある行為は、直接、後の脅威へ繋がるという強い自覚が出来たのだ――倫理的な問題はもちろん、己の身の安全のためにも控えなければならないと。


 だが、異変が起きてすぐの頃は当然、そんな認識などあるはずもなく――。

 死者がバケモノとなって甦る……伝播し、増幅していくその恐怖にパニックになった当時の人々は、己の身を守るべく、狂乱の中、我先にと無秩序に行動してしまった。

 無論、理性的にそれを諫めようとした人物も多くいたし、他者を殺してでも保身に走ろうとするような人間など、ほんの一握りだっただろう。

 いや……むしろ、割合だけで言えば、見知らぬ他人でも、助けられるなら助けるという、情けまでは捨てきっていない人間の方が、よほど多かったはずだ。

 しかし、その中で、たった一人――。

 たった一人だけでも、群衆に突き飛ばされ、あるいは踏みつけられでもして、そこに誰の悪意が無くとも、命を落としてしまえば。

 それは新たな火種となり、さらなる恐怖を生む。

 いや増す恐怖は、人の人間らしさをさらに削り、パニックを加速させ、確実に次の犠牲者を作る。

 そしてその犠牲者が、また新たな恐怖を撒き散らすのだ――負の連鎖となって。


 しばらくの時が経ち、パニック状態でい続けることにも疲れ、半ば諦めをもって生屍を観察することになって――。

 ようやく人々は、生屍が、狩人のごとく執拗に自分たちを追い回すわけではないことや、生きている人間が突然生屍になるわけではないことなどに徐々に気付き始め、落ち着きを取り戻していくのだが……〈その日〉からの数日間は、当然まだその段階にはない。

 むしろ、負の連鎖が、最も猛威を振るっていたときだ。


 〈その日〉――バスの事故現場から逃げ延びた結衣が、唯一の肉親である父が突然の仕事の都合で家に居合わせず、関西にいることを知り、そちらへ向かうことになったのは、まさにそんな、最悪の混乱期だった。

 事実、その道のりでは、生屍との遭遇や、半ば暴徒化した群衆など、今思い出しても背筋が寒くなるような事態にいくつも出くわした。

 バスの事故現場からともに逃げていた彰人が、どのみち自分の家に帰る意味も大して無いからと、同行して助けてくれていなければ、父と再会するどころか、生きてさえいられなかっただろうというのが、結衣の正直な思いだ。


「だから、お互いさまだ、って。いつも言ってるじゃない」

「――だったよな。すまん」

 ようやく視線を夕日から移し、彰人は相好を崩す。

 その笑顔は、形こそ昔と同じだったが、そこにかつての眩しいような明るさはなく……翳りさえ垣間見えた。

 もっとも、笑顔に翳りを帯びてしまうのは、自分も同じだと結衣は思う。

 それは、〈その日〉の混沌を間近で体験しなかった、無遠慮な級友から実際に指摘を受けたりもしたので間違いない。

 だが……。

 あの地獄に身をさらし、その上で、今世界が置かれている状況を知れば、屈託なく心の底から笑うなど、もはや出来るはずもなかった。


 まして――その地獄の始まりに〈彼〉のあの凄絶な姿があるとなれば、なおさらだ。


「けどよ……言っちゃなんだが、親父さんの仕事――翻訳家なんて、そこまで儲かる仕事でもないんだろ?

 なのに、俺のこと、金銭面でも何かと助けてくれてさ……卒業してちゃんと仕事に就いたら、世話になった分、少しずつでもきちんと返していくから」

「うん。そういう形でなら、お父さんも喜んで受け取ってくれると思うよ。

 でも……今の言い方だと、やっぱり大学に行く気はないみたいだね、彰人君。何だかんだで成績は良いんだし、学費なら――」

「まあ……その問題もあるけどな。大学受験しない理由はそれだけじゃねえよ。

 ――ちなみに結衣、お前は? どうするんだ?」

「わたしは行くよ、大学。……将来は、ジャーナリストになって、世界を回りたいから」

 気恥ずかしげにそう答える結衣に対し、彰人はわずかに目を伏せた。

 茶化したり笑ったりするでも、大きく感心したりと強い興味を見せるでもない。

 真剣に聞いていると言えばそうなのだろうが……その『真剣』の方向が、どこか違っているようだった。

「……そうか。やっぱりアイツのこと、諦めきれないか」

 淡々とした彰人の言葉に、結衣はすぐには答えなかった。

 自分の中の感情や考えを改めてまとめて、整理し直して……そうしてようやく形にする。

「そうだね。……うん、そうだよ。

 あのとき、結局、怖がって逃げちゃったこと……後悔してるから」

「けど、あの感覚……覚えてるだろう?

 間違いなく、アイツはもう、人間じゃなかった。

 姉貴を殺して喰らう――そんなバケモノになってたんだぞ?」

「そうかも知れないね。……でも……そうじゃないかも知れない」

 鋭さを増した彰人の目を、結衣は怯むことなく、真っ向から見据えた。

「分からないことだらけだけど……はっきり言えるのは、あのとき、他の生屍と違って、カイリ君には意志が感じられたってこと。――彰人君もそう言ってたじゃない?」

「ああ……確かにな。そう、アイツは明らかに何かが違ってたんだ。

 もしかすると、アイツが噂の〈屍喰(シニカミ)〉ってやつなのかも知れねえけど……それでイコール人間の味方ってことにはならんだろ。生きている人間は喰らわない、なんて保証も無いんだしな。――いや、むしろ、あのとき感じた言いようもない恐怖からすれば、敵と判断する方が妥当だ。

 それに……カイリに限って言えば、意志があるならなおさらだ。

 つまりアイツは、明確な意志をもって、姉貴を喰らった――そういうことなんだからな」

 平静を装っているが、その声に抑えきれない感情が染み出しているのは、結衣にもすぐに分かった。

 ――当然だ、と思う。

 彰人たち姉弟と結衣の付き合いは高校に入ってからなので、そこまで長いわけでもないが……姉弟の互いが互いを、唯一の肉親のようにとても大切にしていたのは、充分に感じられたからだ。

 姉弟の本来の養い親は、親戚でありながら、世界がこんな状況になっても彰人に連絡の一つも寄越さないどころか、結衣の父が彰人の保護について連絡を取ったとき、厄介払いが出来ると喜んでいたぐらいだったのだ。

 彰人と七海(ななみ)の姉弟が、互いを思い遣り、支え合おうと、強い気持ちを備えることになったのも自然のことだろうと思えた。

 それに、たった二人の家族という意味では、結衣も同様だった。

 彼女も長年、父と二人だけで支え合って生活してきた。だからこそ彼女は、七海と彰人の姉弟の絆に、すぐに共感することが出来たのだ。

 そして、だからこそ分かってしまう。

 そんなかけがえのない、ただの姉以上の姉が、本来なら人生の新たな支えとなるはずの――しかも幼馴染みで、親友でもあったはずの人間に――その身を喰らわれていたという事実が、彰人の心にいかに大きな影を落としているかを。

 異変が起きてすぐの頃は、悠長に物思いに耽る暇もなかったし、あまりの出来事に、却って現実感がなかったこともあるだろう。

 ならば、ある程度の時間を置き、さらに考え事をする余裕も出来た今ぐらいが、一番つらい時期なのかも知れなかった。

 ――けれど……と、結衣は改めて決意する。


 それが分かるからと言って、自分の意志を曲げたくはなかった。

 自分を助けてくれた恩人だからこそ――そして、大事な友達だからこそ。


「でも――カイリ君があんなことをしたのも、何か理由があるのかもしれない。

 そもそもナナ先輩は、カイリ君に殺されたわけじゃないのかもしれない。

 彼に意志があるなら、そうしたことも話してもらえるかもしれないでしょう?

 ――だから」

 結衣はそっと眼鏡に指をやって整える。

 赤いフレームのそれは、可愛らしいデザインで、持ち主を実年齢より幼く見せていたものだったが……その眼鏡を通してさえ、今の彼女の表情に、子供じみた甘えや無邪気さのようなものは欠片も存在しなかった。

「わたしは、もう一度、彼に会いたい。会って、話をしてみたい。

 そうして、彼もまた何かに苦しんでいるのなら、そこから救う手助けをしてあげたい。

 ……それが、わたしの望み」

「……だから、ジャーナリストを目指すんだろう?

 アイツを見つけ出せるように。救える方法を探すために」

 どのような形であれ、彰人の感情を高ぶらせてしまうに違いない……そう覚悟していた結衣だったが、彰人は意外なほど冷静だった。

 いや、むしろ、先ほどまでより、よっぽど雰囲気が穏やかになったようにさえ感じられた。

「う、うん。――もちろん、それだけじゃないけどね。

 純粋に、この異変の真実を追いかけたいっていう……その気持ちも本当」

 肩透かしを食らったような形の結衣の答えに、再度窓の向こうへ視線をやった彰人は、「……そうか」と大きく息を吐き出した。

「まあ……お前がカイリのことをどう想っていたのかも……それが未だに変わってないのも知ってたからな。いずれ、そういう道へ進むだろうと思ってたよ」

「………。バカなこと言うなって、すっごい怒られるんじゃないかと思ってた」

 彰人は苦笑を漏らした。

「言ったってどうせ聞きやしねえだろうが。見た目も人当たりも、気ィ弱そうな雰囲気出してるくせして、こうと信じたらテコでも動かねえ頑固者だもんな、お前は。

 そこは親父さんともバッチリ意見が合ったんだ、違うとは言わせねえぞ」

「あはは……。ン、そうだね。……ありがとう」

「……別に礼を言うようなことじゃねえだろ。積極的に応援、てわけじゃないし、そもそもお前の人生なんだ、俺がとやかく言う筋合いなんてないんだからな。……好きにやればいいさ」

「じゃあ……彰人君は? その自分の人生、卒業したあとどうするつもり?」

 結衣から質問を返された彰人は、一瞬、迷ったようだった。

 しかし、ずっと隠し通せるものでもなく、また先に結衣の方から正直に打ち明けられた負い目もあるのだろう――彼女と同じく、真剣な眼差しとともに答えを口にした。

「俺は卒業したら、養成所に入るよ。……〈イクサ〉になる」

「……そっか。やっぱりね」

 結衣は伏し目がちに頷く。……今度はきっちり、予想通りの返答だった。


 ――イクサ。それは、正式名称を〈黄泉軍(ヨモツイクサ)〉という、カタスグループ所有の、対生屍処理を専門とする私設軍隊の名称だ。

 当初は、異変への対応策の一環として、とにかく早期に運用する必要があったため、即戦力となる傭兵や退役軍人が大半となって組織されていた黄泉軍。

 だが、当然ノウハウもない生屍との戦闘では損耗も大きく、加えて金を頼みに寄せ集められた集団なので、内部規律も良くないという問題があった。

 そこでカタスグループは、軍隊としての骨組みをより強固にするだけでなく、通常の軍事教練に加えて、これまで培われた生屍に対しての知識、戦術を教授し、より効率的に任務を遂行出来る専門家を育成するために、独自の養成所を設立したのである。

 もちろん、〈その日〉よりまだ一年。プロジェクト自体ようやく始動したばかりで、肝心の養成所そのものも、グループ本拠の日本にようやく一号が完成したところだ。実績など無く、通常の軍隊に比べて、どれほど効果的な訓練を受けられるかも分からない。

 だが、確かなこともあった。

 黄泉軍となるのに、それがこれ以上ない最短距離ということ――生屍と、それを喰らうと噂される屍喰なる存在に、命を賭けて向き合い続ける……そんな環境に、最も早くたどり着けるということだ。


「何とかして、カイリ君と、もう一度――そう思ってるのは一緒なんだ」

「……そうだな。会う目的は……真逆かも知れねえけどな」

 ことさら静かにそう返す彰人の心底に、改めて結衣は燻り続ける怒りを見た。

 それは悲しい怒りだ。

 決して報われず、決して救われず、しかし捨て去れないもの……。

 彰人とて、それが分からないわけもないだろう。だが、それでも彼は、時による風化に任せるでもなく、ましてや人に頼るでもなく、自ら決着させる道を選んだのだ。

「……そっか」

 だから、結衣はただ頷いて肯定することしか出来ない。先に彰人が、自分の決意を後押ししてくれたように。

 それに、黄泉軍に身を置いてまで探すからと言って、問答無用でカイリを殺めるような選択を、出来る出来ないは別にしても、彰人がとるとは思えなかった。

 そして、わずかなりとも会話を交わす機会があれば、彰人も考えを変えてくれるかも知れないと、結衣は信じている。

「お前も、止めないんだな?」

「だって、言ったところで聞かないのも一緒でしょ?」

 わざとらしく呆れ気味にそう言うと、彰人も「まあな」と頬を緩めた。


 ――選ぶのが、どんな道でも。どんな結末に至るとしても。


 彰人に「帰ろっか」と声を掛けて、結衣は席を立つ。


 ――きっとわたしたちは、もう一度会わなきゃいけないんだ……カイリ君に。






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