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還ってきた男

練習場にドイツからの留学生、男女5人ずつが入ってきた。


場の空気が一気に張り詰める。


なんだか、風格があるなぁ。


それを俺は、部屋の隅から眺めていた。


湧き上がる今朝から何度目かの欠伸。それをなんとか噛み殺しつつ、必死で眠気を振り払おうとする。


「泰斗さん。試合前だというのに、流石に余裕がありますね。」

頭を左右に振る俺の元に凛ちゃんが近づいてきた。


「はは、緊張していても仕方がないからね。試合前に一番必要なのは余裕ですよ。余裕」

人差し指をビシッと立てて言うと、


「よ、余裕ですか。難しいですね……」

凛ちゃんがなにやら真剣な表情で呟く。


いや、冗談なんだけどなぁ。


俺が頭の後ろを掻いていると、


「ふーん、試合前に大切なのは余裕。いい事を聞いたわね。とても勉強になるわ」

別の女に話しかけられた。


げげっ、小鳥遊瑞葉⁉︎

なんでこんなところに……。


譚道用の鎧を着込んだ小鳥遊瑞葉が、いつの間にか隣にいて、手先で鎧兜を弄んでいた。


どこから現れたんだよ……。


「や、やぁ、小鳥遊さん。今日は良く会うね」

「そうね。というか私、名前教えたかしら?」


「え?ああ、それは……」

俺が言い淀んでいると、


「泰斗さん、もしかして小鳥遊さんと知り合いなんですか⁉︎」

凛ちゃんが横から会話に割り込んできた。


「ん?ま、まぁね。もしかして、凛ちゃん、小鳥遊さんのこと知ってるの?」

俺が尋ねてみると、


「当然ですよ!」

凛ちゃんが大きく頷いた。


「全日本中学校譚道大会で三連覇。昨年の中学生世界大会でもベスト32の好成績を収めた譚道女子界の期待の新星ですから!」


目を輝かせる凛ちゃん。


「ほ、ほう。お前……かなり頑張ってるんだな」

俺が言うと、


「まぁね。どっかの馬鹿が突然いなくなったせいで、日本譚道界の未来とかいうものを私一人で背負わされるようになったから」

小鳥遊瑞葉が面白くなさそうに言った。

その言葉に一瞬、動きが固まる。


突然いなくなったどっかの馬鹿。それ、もしかして俺のことか?


「なんだか、わるいな」

思わず謝罪してしまう。


「なんで、あんたが謝まるのよ?関係ないでしょう?」

小鳥遊瑞葉が呆れたような表情をして天井を見上げた。


「どっかの馬鹿っていうのはね、鮎川泰斗っていう男なの。本当に強くて、私の目標だったのよ」

紡がれる言葉。


「昔、何度も戦ってその数だけ負けた。毎回、自分が負けた時の映像を繰り返し見て、相手の動きを研究していくんだけど、まるで歯が立たないの。そういう次元じゃないのよね」

寂しげに語る小鳥遊瑞葉。

その横顔を俺は無言で眺めていた。


「一度だけ鮎川泰斗にね、私に何が足りないのかを訊いてみたことがあるの。そしたら、なんて答えたと思う?」


小鳥遊瑞葉の質問を聞き、ゆっくりと息を吐き出す。


「……笑顔だろ?」


俺の言葉に、小鳥遊瑞葉がひどく驚いた表情をした。


「よく分かったわね⁉」

「まぁな。……お前は今も昔も心に余裕が無さそうだから」


ポンっと頭の上に優しく手を置く。

すると、小鳥遊瑞葉が物凄い早さで拳を繰り出してきた。


おっと危ない。

上体を反らすことでそれを躱す。


顔怖すぎ……。


「偉そうなこと言わないで」

随分とご立腹の様子だ。


さっきまでしおらしかったのに。


「一つ、どうでもいい事を聞くが、そんなに何度も映像を見返したのなら、そいつの顔は覚えているのか?」

俺の疑問に、


「映像では鎧兜を被ってるから顔は確認できないのよ。まぁそれでも、実際に何度か会っているから覚えてる。常に他人を見下したような生意気な表情をしていたわ」

辛辣な言葉が返ってきた。


常に他人を見下した表情?

小学生の頃の俺、どんな顔してたんだよ?

額の汗を拭う。


「中学時代に世界大会で優勝した時のインタビュー映像も見たけど、あれはかなり酷かったわ。生意気さに更に拍車がかかってた」


言葉を失う。


もう少しオブラートに言ってくれ。心が折れる。


「ま、まぁそう言ってやるなよ。その鮎川だって一生懸命、頑張っていたわけだし。努力努力で手にした世界大会優勝だろう?」

へっへっへっと引きつった笑いを浮かべながら、過去の自分を擁護する。


何やってんだ俺……。


「ふん、何が努力努力よ。世界大会と言ってもあくまで中学生部門よ?」

小鳥遊瑞葉がバカにしたように鼻で笑った。


「当時のあいつは、もう少しで世界チャンピオンだって狙えるくらいに強かったんだから。楽勝だったに決まってるじゃない」

さも当然かのように言い放つ小鳥遊瑞葉。

その言葉に思わず目を見開く。


何言ってんだこいつ……⁉


「ですよねー!鮎川さん、超絶強かったですよねー!!同じ譚道部の人にその話をいつもしてるんですが、全然取り合ってくれないんですよー!」

今まで黙って話を聞いていた凛ちゃんが突如、会話に乱入してきた。


おいこら、話がややこしくなるだろ!


「いやいやいや、ちょっと待て。流石にそれは言い過ぎだろ……」

俺が二人の会話を遮って、なんとか反論しようとしたその時、


ブーーーー。

場内にサイレンが鳴り響いた。


「あっ、もう試合が始まる。私、行かなきゃ」

その音を聞いた小鳥遊瑞葉が辺りを見回し、足早に去っていく。


話を最後まで聞いてけよ……。


あっという間に遠ざかる後ろ姿。

仕方なく、凛ちゃんと二人、壁に背中を預けて試合を観戦することにする。


試合は男女同時に始まった。


ドイツ留学生は男女共に1チームで日本の学生10チームを相手する。


……始まる前は体力的に心配だったが、杞憂だったな。


目先で行われている試合。

日本の学生達が1ポイントも獲得できずに次々敗退していく。


「全く相手になってませんね……」

隣で凛ちゃんが力なく呟いた。


実力差がありすぎる。

練習相手にもなっていないといった感じだ。

しかし……実力差で言えばあいつも同じくらいか。


俺の視線の先で女子側の一つの試合が終わった。


女子のチーム3、大将。

小鳥遊瑞葉。


ドイツ留学生側の大将からあっという間に3ポイントを連取し、勝利してしまった。


昨日見た型とも、今朝見た型とも違う。

攻撃重視の特攻スタイル。


「出た!小鳥遊さんの神風速攻!!!」


場内がどよめいた。


神風速攻?

「あいつ、何個型を持ってるんだよ……」

若干、呆れ気味に溜息を吐く。


「ねぇ、俺って、中学の時とそんなに顔変わったかな?」

ふと隣の凛ちゃんに訊いてみると、


「はい、変わりました!」

清々しいほどの即答。


「昔の写真と今の自分、鏡を使って見比べてみて下さい。まるで別人です」


凛ちゃんの言葉を聞き、静かに目を閉じる。


成長期に受けた強烈なストレス。

あの事件を境に俺は変わった。


母と譚道。大切なものを同時に失い、何かが壊れた。


自分が一番分かっている。


俺がゆっくりと目を開けると、


「あ、泰斗さん。私、そろそろ出番なので行きますね」

笑顔の凛ちゃん。


「昔はライオン。今はホホジロザメ。海底に沈んだ王者の牙は益々鋭くなりましたっ」

去り際に謎の台詞を残していく。



顔の話か?

ライオンとホホジロザメってどんな例えだよ……。


凛ちゃんの後ろ姿をジト目で見送った俺は、

「さて、そろそろ俺も行くか」


自らも壁際から離れると、男子用の更衣室へと足を運んだ。


◇◆◇◆


「おい、お前!その鎧なんだよ⁉」


男子更衣室。

中は薄暗く、蒸し暑い。

譚道用の鎧を身につける俺に、眼鏡男が文句をつけてきた。


「何って、自分の鎧だよ。オーダーメイドなんだ」


くすんだ灰色の革鎧。


「譚道の鎧は黒か白が基本だろ!!」

眼鏡男がギャーギャーと騒ぎ立てる。


「それは日本の風習であって公式のルールではないだろう?今回は特に、相手がドイツ留学生で、赤や青などの派手な鎧をつけてるんだから、ちょうど良いじゃないか」

俺が適当に答えつつ、身支度を完了させていると、


「お前ら一緒のチームなんだから、仲良くしろよ。俺たちは勝つことを求められているんだぞ?」

やれやれといった感じで新海が割って入ってきた。


「黒咲は置いといて……去年の中学譚道大会、都大会覇者の佐藤。今年の春高校選抜、都大会準優勝者の杉内。俺と同じ千葉の強豪、三和高校で主将を務める山田。明らかにこのチームには実力者が集められている」

新海が真面目な顔をする。


「これは主催者の鈴木修が勝つことを期待しているからだ。練習試合だなんて軽い気持ちじゃない。本気で勝ちに行くぞ!」


熱い言葉に、俺も眼鏡男も口をつぐむ。


……こいつら皆、結構すごい奴らなのかよ。一人も知らないな。


鎧を纏い終えた新海達が更衣室を出て行くので、その後に続く。


戻ってきた畳の上。


「今は君たちの一つ前のチームが試合をしている。しっかりと見ておきなさい」

試合場の端に立った鈴木修が俺達、チーム10に指示を出してきた。


今は次鋒戦か。


試合場の中央。

余裕の笑みで一方的な試合運びをするドイツ留学生。相手の男は完全に弄ばれている。


全く本気を出していないって感じだな。


同じチームのメンバーと畳の端から試合を眺めながら、ふと思う。


小鳥遊瑞葉は俺が鮎川泰斗だと分かっていなかった。

周囲にいる他の人々も当然、俺が鮎川泰斗であることに気づいていない。

そもそも、人間は興味を失ったものに関しての記憶を直ぐに忘れてしまう。鮎川泰斗という選手がいたことを覚えてる人すらそれ程多くないだろう。


そんな中、俺に気づいた鈴木修。

一体、どこで分かったのだろう?


俺が首を傾げていると、


「おい……黒咲」

隣から小さく声が掛けられた。


ん?

声がした方を振り向くと、そこには眼鏡男がいた。


「試合をしっかり見とけ。次は大将戦、お前の相手が出てくるぞ」


眼鏡男に言われて試合場に視線を戻すと、ちょうど次の試合が始まるところだった。



ドイツ留学生の大将は、茶髪の角刈り。

ギラギラと目を輝かせて真っ赤な鎧を纏っている。


まるで獣だな……。


向かい合った両者が鎧兜を装着し、小剣と小楯を構える。


「第9試合。大将戦、始め!」

主審の声が場内に響いた。


動き出す赤鎧。

一気に相手との距離を詰めると、上下左右様々な角度から果敢に攻め立てた。


今までのドイツ留学生達とは明らかに違う動き。


手を抜いているようで、手を抜いていない。


他の留学生達は自分が楽をする為に力を温存しているといった感じだった。


しかし、こいつは……遊んでいる。


赤鎧の手数が更に増えていった。

それになんとか対応しようとした相手の選手が、足を縺れされて転んでしまう。

派手に地面に尻餅をついた相手に、

「ごらぁ!!!」


赤鎧が小剣を叩きつけた。

相手の選手の手元から小剣があっさりと吹き飛ぶ。


「試合終了!!!」

再び主審の声が場内に響いた。


あっという間の出来事。

試合を見終えた、メンバー達が押し黙る。


尻餅をつかせたのも狙い通りといったところか。


俺が目を細めていると、


「黒咲君、今の試合を見てどう思ったかね?」

鈴木修が尋ねてくる。


一斉に集まる視線。


何故このタイミングで俺に訊く……。


「……あまりにも早く決着がついたものでよくわかりませんでした」

短く答える。


「そうか。赤鎧の彼の名は、アレックス・ベレ。ドイツの地区大会でも優勝を収めている実力者だ。油断するなよ」

それだけ言うと、鈴木修がその場から離れていった。


ほぉと隣で、眼鏡男が息を吐き出す。


「次は僕たちの番だな。先鋒は任せたぞ新海」

眼鏡男の言葉に、


「任せろ。俺が勝って、チームに勢いをつけてやる!」

新海が頷き、試合場中央に向かっていった。


遂に俺達の番だ。


先鋒戦。

新海がドイツ留学生と向かい合う。


「第10試合。先鋒戦、始め!」

主審の声が響いた。


動き出す両者。


昨日見て分かってはいたことだが、新海は他の日本選手とは動きが全く違う。


スピード。テクニック。バランス感覚。

全てが一級品だ。


激しい攻防。

両者の小剣が何度も交差した。

沸き立つ場内。


男女含め、俺たちのチーム以外の試合は全て終わっており、道場内にいる全ての人々が一つの試合に注目していた。


「試合終了!!!」

主審の掛け声が響き、試合の終わりが告げられる。



……結果は1-3。

何とか1ポイントを取った新海だったが、内容では終始相手が圧倒しており、完敗としか言いようのない試合だった。


「すまん……」

新海は静かにそれだけ言うと、男子更衣室へと戻っていった。


……他のチームメンバーの試合すら見ていかないのか。


ひどく疲れ果てた新海の後ろ姿を無言で見送る。


ヨーロッパで本格的な譚道の修練を積んだ留学生が日本に来ることは殆どない。理由は、来るメリットがないからだ。

今回、ドイツからの留学生が日本に来てくれたのはきっと、鈴木修の人脈あってこそだ。


日本にいて、ヨーロッパ選手の圧倒的な力に触れる機会は少ない。

VRマシーンを使うにしても、実力が離れ過ぎた人とは当たらない仕組みになっているからだ。


新海は今回、初めてヨーロッパ選手の力を体感したのだろう。

そして、一方的な敗北を喫した。


かなり精神的にきているみたいだな。


ゆっくりと視線を試合場に戻す。


「つ、次行ってきます」

緊張の面持ちで二番手として試合場に向かったのは杉内。

小柄な彼は、まともに剣すら合わせて貰えなかった。

電光石火。


次鋒戦。

0-3 ストレート負け



「頑張ってくる」

力強く頷き、試合場に向かったのは三番手の山田。


彼は動きは遅いが力が人一倍ある。

前半はかなり良い試合をしていたが、後半に相手が速さ重視の戦法に切り替えた為、あっさりと負けてしまった。

終わってみれば完敗。


中堅戦。

0-3 ストレート負け。


あっという間に三敗。

場内が静まり返る。


既に団体としての勝利はなくなった。しかし、これは練習試合。まだ続く。


「行ってくる」

一切の抑揚のない声で言ったのは四番手の眼鏡男、佐藤。


彼は防御無視の攻撃スタイル。最初から怒涛の攻めを見せた。

しかし、数秒後には小剣が宙を舞う。

カランカランと地面との間で軽快な音を立てた。

小剣は俺の真横に落下していた。


副将戦。


剣飛ばし、一本負け。


場内から溜息が漏れた。


「クソッ!駄目だ!」

戻ってきた眼鏡男が鎧兜を外し、歯軋りをした。


……場内のボルテージは最低だな。

完全に黙り込む人々。


俺は眼鏡男の隣をすり抜けると、試合場の中央へと向かった。


「おい……!」

途中で眼鏡男声を掛けてきたので、背後を振り向くが、続く言葉が見つからないのか、黙り込んでいる。


はぁ、全く……。


俺は左手の人差し指を一本立てて、静かに言った。


「心配するな。俺は負けないよ」


そのまま試合場の中央で相手と向かい合う。


赤鎧の男、アレックス・ベレ。

口元に獰猛な笑みを貼り付けていた。


あくまで自分が狩る側だと思っているらしい。大した自信だ。


俺が鎧兜を被る瞬間、


『泰斗さーん!頑張って下さーい!』

沈黙を破り、どこからか応援の声が聞こえてきた。


凛ちゃんの声。


『黒咲!とにかく相手の動きをよく見ろよ!』


続いて眼鏡男の声。


少しは元気が戻ったらしいな。


小剣、小楯を構え、主審の掛け声を待つ。


『アレックス・ベレ。ドイツの地区大会でも優勝を収めている実力者だ。油断するなよ』


刹那の間に思い出したのは、数刻前に鈴木修に言われた言葉。


……油断するなか。

なかなかに難しいことを言ってくれる。


ふっと息を吐き出した。


今日は本当に欠伸が止まらないなぁ。


「第10試合。大将戦、始め!」


主審の掛け声が耳元に届くと同時に俺は動いていた。


ゆっくりと一歩を踏み出し、ゆっくりと相手の兜に小剣を当てる。


トン。

切っ先が軽く触れた。


ブーーーー!!!


場内に響き渡る、ポイント獲得を知らせるブザー音。


赤鎧の男は最初の体勢から微塵も動いていなかった。

未だに何が起こったのか理解できていないのか、固まっている。


周囲の人々からも歓声の一つも 上がらない。


「始め!」

主審がただ粛々と試合を進める。


ハッと我に帰った赤鎧の男。

俺に向かって小剣を叩きつけてきた。


それを体を僅かに捻って躱す。

男が剣を振り抜いた時、既に俺は相手の懐に潜り込み、その胸元に己の剣先を触れさせていた。


ブーーーー!!!

二度目のブザー音。


赤鎧の男が剣を振り抜いた状態で再び固まっている。


「始め!」

主審の掛け声。


最後の掛け声だ。

俺は未だ固まったままの赤鎧の男の剣に自分の剣をあてがうと、


トン。

優しく押し出した。


男の手からあっさりと剣が抜け落ちる。

重力落下に従い、真っ直ぐに地面へと到達した小剣。


ブーーーー!!!


「試合終了!!!」


主審の声を背後に聞きながら、ゆっくりと試合場を後にする。


目を見開いたまま動かない眼鏡男。

鎧兜を外した俺は、その右肩をポンと叩くと、すれ違いざまに言った。


「だから、俺は負けないって言っただろ?」


◇◆◇◆


「ニュースなどでは鮎川の姓で報道していたようだが、あの時既に君の姓は黒咲に変わっていた。私はそれを知っていたから、分かったのだ」

「はぁ」


鈴木修と二人。

合宿施設の駐車場で話す。


「対戦要請はいつ入れるかわからない。メールには重々に注意しておいてくれよ」


そう言うと、鈴木修は夕暮れの景色の中を去って行った。


その後ろ姿を見送り、俺も合宿施設内へと足を運ぶ。


合宿のメニューは全て終わった。

後は荷物を持って帰るだけだ。


昨晩寝た広間に足を踏み入れると、


「おーい、黒咲」

篠部が近づいてきた。


「お前、圧勝だったな。流石だぜ」

拳を突き出してくるので、


「おう」

自らの拳をそれにあてがう。


「しっかし、男女それぞれ勝利を収めたのは一人だけ。ヨーロッパの選手ってやっぱり強いんだなぁ」

「まあ、そこら辺の学生が日本のプロより強いくらいだからな」


適当な会話を交わしつつ、自分達の荷物を手に取った。


バスに乗り込むために施設を出て行く他の合宿参加者。


篠部と共にその後に続く。


帰りのバスは既に到着していた。


「うわ、満員だなぁ」

バスに乗り込んだ篠部が素早く視線を走らせ、空いてる席を見つけて腰掛ける。


ええっと、空いてる席は……。

俺は自らも空いてる席を見つけると、そこに腰掛けた。


隣には行きと同じく、小鳥遊瑞葉。

既にアイマスクを装着して、睡眠モードだ。


動き出すバス。

それと同時に目を閉じる。


……やはり、1日、2日でも他人と共に行動するというのは疲れが溜まるな。


直ぐに襲ってくる眠気。

俺はあっさりと意識を手放した。


バスの揺れに身をまかせること数時間。


「起きなさい、着いたわよ」

優しく揺り起こされた。


目を開けると、そこには小鳥遊瑞葉。


「もう、俺たちだけか」

辺りを見回して呟く。


「ええ。あなたがいると、私が降りられないの」

小鳥遊瑞葉の言葉に急かされ、俺が慌ててバスを降りようとすると、


「ちょっと待って」

背後から呼び止められる。


なんだ?

俺が背後を振り返ると、小鳥遊瑞葉が酷く真面目な顔をしていた。


「そろそろ戻ってきなさいよ」

その口がゆっくりと動く。


「三年間も経った。もう誰もあなたのことを避けたりしないわ。」


静かなバス内に木霊する言葉。


……なんだ、気づいたのか。


「今日の俺の試合、どうだった?」

静かに尋ねる。


「……凄かったわよ。怪物じみていた中学時代のあなたが霞むほどにはね」

同じく静かに答える小鳥遊瑞葉。


「そうかい。お前がそう言うなら間違いないな」

俺は小さく笑って言った。


「現実も悪くないよなぁ」


バスを降りると、凛ちゃんが待っていた。


「泰斗さん!遅すぎです!電車がくるまであと5分。走りますよ!」

「あ、ああ」


そう言って走り出す凛ちゃん。

その後を必死について行く。


……やっぱり、この子に付き添いは必要ないよなぁ。


ギリギリのタイミングで到着したホーム。


「あの電車です!」


息を切らした俺と凛ちゃんは、今にも出発しそうな電車に飛び乗った。


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