頼み事
ちくしょう……。
弄ばれているのか?この俺が?
俺はイタリア代表選出の最年少記録を塗り替え、百年に一度の天才と呼ばれているんだぞ?
それが、何でこんな……。
今年で16歳。イタリア譚道界の星と呼ばれる男、アダーニ・アランはVRマシーンを利用した譚道の試合の最中、酷く動揺していた。
通らないのだ。
彼が放つ数々の技は全て、相対する男が構える小楯に吸い込まれ、弾かれる。
技を放つたびに、相手のバランスを崩すどころか、逆に自分のバランス崩れてしまう始末だ。
既に相手に2ポイント先取されていて後がない。何とか盛り返しを図らねばならないのだが、
……ダメだ。勝つビジョンが全く見えない。
何でこんな……。
何でこんな強い奴がいるんだよ……。
「Ghost‼」
アランは全速力で相手の元に突っ込んだ。
◇◆◇◆
ものすごい速さで突っ込んでくる相手。
なんだ?試合を投げたのか?
……胴ががら空きだぞ?
相手が右手に持った剣を叩きつけてくる。
それを僅かに体を捻ることで躱すと、
ここだ!
相手の胴部に自らの小剣を叩き込んだ。
ズドン。
相手の体がくの字に折れ曲がり、
「ぐっ……」
口から呻き声が溢れると同時に、
ブブーーーーー。
試合終了を告げるブザーが鳴り響く。
《勝者 「Ghost」》
ふむ。今回の相手はなかなか強かったな。
俺の勝利を示す文字が眼前に表示されると共に、目の前の空間が崩れる。
視界に映る景色が一瞬で切り替わり、俺の周囲の景色が畳敷きの試合場から何もない白い空間に変わった。
《試合を続けますか?》
-いいえ。仮想空間を離脱する。
俺が念じると、
ふわり。
一瞬、体を浮遊感が包む。
そして、意識が現実の体に戻ってくる。
「よっと」
ゴーグルを外すと、ベッドから身を起こす。
僅か一試合。
辺りの様子は別段変わったところもない。
カーテンを開け、隣のベッドの方を見てみると、中に人影が見える。
篠部はまだ勝てていないか。
まぁ、当たり前だな。ヨーロッパ出身者にそう簡単に勝てたら苦労しない。
かなり時間掛かるだろうし、おれは先に元の部屋に戻るか。
廊下を歩いて、畳敷きの部屋に戻ってくる。
ええっと、次のメニューはなんだっけ?
部屋の真ん中に置かれた練習メニューを書いてある画用紙を覗き込むと、
げげっ。
今日の練習もう終わりか。
日暮れ前に終わっちゃったよ。
隣に書いてある合同練習コースのメニューは夜遅くまでビシッリなんだけどな…。
VR対戦でヨーロッパ出身者から一勝の課題をあっさりクリアしすぎたか。
めちゃくちゃ暇になってしまった。
しばらく、その場に留まっていたが、
……ダメだ。退屈すぎる。
出かけよう。
篠部が戻ってきた時の為に、出かける有無を書き記した置き手紙を残すと、合宿施設を出る。
目指す場所は近くの道場。
確か……こっちだったかな?
道場の場所は先ほどのランニングコースの途中にあったので把握している。
合宿施設を出てから五分ほどでたどり着いた。
年季を感じる木造の建物。
その入り口に近づくと、中から喧騒が聞こえてくる。
試合でもしているのか?
相当、激しく動いている様だな。
玄関の下駄箱に脱いだ靴を入れ、あまり足音を立てないように、音がする方に近づいて行く。
薄暗い廊下を歩き、しばらくすると、
おっ。明かりが漏れてる。
一つの扉の前に立つ。
…やはり、試合中か。
扉の隙間から中を覗く。
中は畳敷き。その上で二つの試合が行われていた。
男同士と女同士。
四人の選手が部屋の中央で動き回り、隅の方で他の人々がその様子を観察している。
うーむ。ここからだとよく見えないな。どうなってるんだ?
俺が扉に張り付くようにして中を覗いていると、
「おい。そんなところで見ていないで、中に入って見たらどうだ?」
突然、背後から声が掛けられる。
誰だ?
俺が背後を振り返ると、
げげっ、鈴木修。
そこにはこの合宿の企画者である鈴木修が立っていた。
「…中で見てもよろしいのでしょうか?」
恐る恐る尋ねてみると、
「別に構わんさ。個人練習メニューはもう終えたのだろう?実は丁度君と話をしたいと思っていたんだ。私と一緒に見ようか」
鈴木修が答える。
……俺と話したかった?
なんだか嫌な予感が。
鈴木修を伴って部屋に入ると、ぶわりと熱気が押し寄せてくる。
汗臭いなぁ。
壁際に寄りかかり、男子の試合を眺める。
動き回る白い革鎧と黒い革鎧。
少し見ただけですぐに実力差が分かる。
白のほうが圧倒的に強いな。
速さが全然違う。
俺がそう思った瞬間、白の小剣がものすごい速さで黒の胸部を捉える。
試合終了!
室内に主審の声が響き渡った。
「白鎧の彼の名前は新海健。千葉の子で、全国大会の常連さ」
隣の壁に体を預ける鈴木修が説明してくれる。
ほう。通りで強いわけだ。
俺が納得していると、
「しかし、君がこの合宿に参加しているとは驚いたよ。譚道からは完全に足を洗ったと思っていたのだが、またやる気になったのかい?」
鈴木修が尋ねてくる。
……うーむ。やはり俺が鮎川泰斗であると気づいていたか。
まぁ、何となくそんな気はしていた。
しかし、髪型がだいぶ変わり、身長も伸びたのによく気がつくものだな。
変に感心しつつ、
「今回参加したのは知り合いの女の子の付き添いです。俺自身の為ではありません。今の俺の主戦場は仮想空間ですから」
質問に答える。
「ふーむ、そうか……」
鈴木修が考え込むように下を向く。それっきり動かなくなってしまったので、
……仕方ない。女子の試合でも見るか。
視線を部屋の奥に移す。
すると、
おっ、凛ちゃんだ。
部屋の隅に見知った姿を見つける。
俺と同じように試合を観察しているようだ。
凛ちゃんを含め、その周辺の人々は皆、黒い革鎧を身に纏っている。
どうやら、合宿組が黒。千葉の地元組が白らしい。
先ほどから見ている限り、全体の実力的には合宿組の方が遥かに上だ。
まぁ、自主的に強化合宿にさんかするような奴らの集まりなのたがら、当たり前といえば当たり前か。
ただ、この場で一番つよいのは間違いなく千葉の新海健だ。
地力が違うよなぁ。
見ていて余裕が感じられる。
今、新海と戦っている奴も今までの奴らよりは善戦しているが、最終的には負けるだろう。
体格差がありすぎる。
小剣や小楯を扱う技量は同じくらいだが、完全に力負けしている。
程なくして決着がつく。
新海の勝ち。
まぁ、妥当だな。
俺が結果に納得して頷いていると、
負けた方の選手が、鎧兜を脱ぐ。
その下から出てきた顔は、
女⁉
何と女だった。
小鳥遊瑞葉。
あいつ、何で男側で試合してるんだ?
俺が首を捻っていると、
「鮎川君……いや、黒咲君。一つ頼み事があるのだが」
今まで沈黙し続けていた鈴木修が突然口を開く。
頼み事?
「何ですか?」
鈴木修の方を向くと、
「私は今、日本譚道を強くするための活動を行っている。君も分かっていると思うが、現在の日本選手とヨーロッパ選手の間には絶大な力の差がある。私はそれを無くしたい」
鈴木修が何だか熱く語り出す。
「は、はぁ」
「その為には、実際にヨーロッパの選手達と試合してその強さに触れるのが一番の近道だと思っている」
「ほ、ほう」
「故にその機会を作ることが私にできる唯一の仕事だ」
「それで……頼みというのは?」
「君に、私の弟子になって欲しい。」
……。
……は?
「弟子ですか?」
「ああ。弟子と言っても別に私に師事しろと言っているわけではない。弟子という名目で私の活動を手伝って欲しいのだ。近年の譚道界は後継者育成に重点を置いており、弟子を取っていない私はどうも肩身が狭くてな」
ほう。
つまりはお手伝いさんか。
「具体的にはどのようなことを……?」
「私が連絡したら、VRマシーンを使って指定した相手と戦って欲しいのだ。私の弟子が強いということを示してくれればいい。勿論、報酬は支払う」
ふむ。
VR対戦をするだけでお金がもらえるのか。悪くないな。
これなら引き受けても良いかもしれない。
「分かりました、引き受けますよ。ただ、一つお願いしたいことが」
「何だね?」
「俺はVR内で『Ghost』という名前でプレーしているのですが、その正体が俺であるということは隠して欲しいのです」
俺の言葉に、
「ふむ、分かった。君がそれを望むのならばそうしよう。とにかく、引き受けてくれて感謝するよ」
鈴木修が右手を差し出してくるので、その手を強く握る。
契約完了。
俺と鈴木修は二人で向かい合い、大きく頷いた。
◇◆◇◆
「今日の練習はここまで!撤収するぞ」
鈴木修の声が部屋中に響き渡る。
時刻は午後10時。
辺りはもう真っ暗だ。
……長い。
一体、何時間続けて練習をしてたんだ?
見てるだけでも足が疲れてしまう。
合宿組と地元組。
俺が見ている前で、どちらの選手も素早く片付けを始める。
時間にして僅か五分。
合宿組は一瞬で撤収態勢に入り、準備ができた者から道場を後にしていく。
そろそろ、俺も行くか。
そう思い、壁から離れて部屋を後にしようとすると、
「あ、泰斗さん。こっちの練習を見に来てたんですか?」
背後から声を掛けられる。
振り返らなくても声の主は分かる。
垢抜けた元気のある声。
「ああ、そうだよ。あれだけ厳しい練習をした後なのに凛ちゃんは元気だね」
背後を振り返りつつ言うと、
「そんなことないですよ〜。私ももうヘトヘトです」
凛ちゃんが笑いながら言ってくる。
「そうか。それなら荷物を持つよ」
「あ、ありがとうございます」
凛ちゃんのバッグを受け取り、合宿施設までの道を並んで歩く。
「泰斗さんの方の練習は早く終わったんですか?」
「ん?そうだな。俺はだいぶ早く終わったよ。もう一人はまだやっているかもしれないけど」
「へぇ。人によって終わる時間が違うんですね。どんなメニューだったんですか?」
「ええっと。最初にランニングして、その後はVR対戦をするだけだ。ヨーロッパ出身者に一勝できればその時点で練習終了」
「随分とざっくりとしたメニューですね……」
凛ちゃんが少し驚いたように言う。
まぁ、合同練習コースのメニューは分刻みでびっしりだからな。
違いに驚くのも無理はない。
俺がその様子を微笑ましく見ていると、
「でも、それなら早く終わった理由も納得ですね。泰斗さんはめちゃくちゃ強いですから」
何故かとても嬉しそうに言う凛ちゃん。
凛ちゃんは勝治おじさんの娘。つまりは俺の従兄弟なわけで、当然俺の過去についても知っている。
しかし、
「今となっては俺はそんなに強くはないよ。買いかぶりすぎ」
トン、と凛ちゃんのおでこを指で優しく弾く。
すると、
「またまたぁ。本当は自分が一番強いと思っている癖に、泰斗さんは素直じゃないですね〜」
ニヤニヤと笑う。
…やはり、ダメだ。
凛ちゃんの中では俺が譚道最強という間違った認識になっている。
確かに昔、俺は世界一になったが、それは年齢制限があっての話だ。
何とかしてこの間違いを正せないものかねぇ。
俺だって世界のトップ選手と試合をすれば歯が立たないだろうし、変に勘違いさせていると何だか申し訳ないな。
未だにニヤニヤと笑う凛ちゃんを見て、
「はぁ……」
俺は大きな溜息を一つ吐いた。