合宿へ
「今日からよろしくお願いします。泰斗さん」
勝治さんの娘の凛ちゃんが頭を下げて挨拶をして来る。
凛ちゃんは今年で中学二年生。
ショートカットにくりりとした丸い目から活発そうな印象を受ける少女だ。
「ああ、こちらこそよろしく。早速行こうか」
東京の中高生を対象とした譚道の強化合宿。
行われるのは千葉県の海辺にある合宿施設で、近くに譚道の練習ができる道場があるとか。
保護者などの付き添いは許可していないようなので、俺も強化合宿に参加するというか形で凛ちゃんについていく。
都内の顔も知らない奴らと合同練習。
……面倒くさい。
勢いで付き添いを引き受けてしまったが、失敗したなぁ。
まさか、自分も練習に参加する羽目になるとは思わなかった。
あまりキツイ練習でなければいいが……。
全く乗り気ではない俺が、電車でゆられること約30分。
ほう。ここが千葉駅か。
初めて来たが、思ったより広いな。
千葉県に到着した。
「泰斗さん。ここからはバスで移動ですよ。乗り場はこっちです」
凛ちゃんが人混みをかき分けてどんどん駅内を進んで行く。
うわー。凛ちゃん頼もしいなぁ。
俺がついてくる必要あったのか?
先を行く凛ちゃんの後を追って進んで行くと、やがて巨大なバスが見えてくる。
これに乗って目的地に向かうということか。
……怠い。
集団移動とか勘弁してくれ。現地集合でいいだろう。
大勢でいると必然的にストレスが溜まる。本当に面倒くさいな。
俺が渋々とバスに近づいていくと、
「こんにちは。譚道合宿に参加する学生さんですか?」
入口付近に立っているお姉さんが尋ねてくる。
それに、
「はい!加藤凛と黒咲泰斗です」
隣の凛ちゃんが元気よく答える。
俺の苗字は両親が離婚した時に鮎川から黒咲に変わった。
「はい。確かに確認致しました。バスの中にはいったら、空いている席に座って下さい」
俺と凛ちゃんがバスに乗り込むと、
うわ……。
殆ど席が空いてねぇ。もしかして俺たち最後か?
中はぎゅうぎゅう詰めの状態だった。
二人で座れる席は無さそうなので、仕方なくバラバラに座る。
俺の隣は……女か。
女の第一印象は、怖いだった。
漆黒の黒髪を肩口で揃えており、肌は雪のように白い。
顔はキリッとした日本美人で非常に整っているのだが……目つきが非常に悪い。
凄まじい威圧感。
まるで睨まれているみたいだな。
「よろしく」
挨拶をしながら席に腰掛けると、
「あんた……見ない顔ね。どこの学校?」
隣の女が早速話しかけてくる。
初対面の人に遠慮とかないのかな?
「一応、真中高校だ。譚道部には所属してないけどな……」
無視するのも悪いので、おずおずと答えると、
「真中高校?聞いたことないわね。譚道では無名校なのかしら?」
女が更に話を広げてくる。
「さ、さあ。どうなんだろうな?俺自身はVRマシーンを使った試合以外は殆どしないし、そこら辺は詳しくないんだ」
適当に答えると、
ギロリ。
突然、女に鋭い目で睨まれる。
な、なんだ?めちゃくちゃ怖いんだけど……。なんか悪いこと言ったかな?
俺が女の様子を伺っていると、
「そういうことあまり大きな声で言わない方がいいわよ」
女が声のトーンを抑え気味に言ってくる。
「……何故に?」
俺も小声で尋ねると、
「何故って……。VRでしか戦わない人は殆どが遊び感覚でしょう?この合宿に参加するような人は皆、本気で強くなりたい人。あなたみたいのが参加していると知ったら快く思わないわよ」
女が説明してくれる。
そんなものなのかなぁ?
言いたいことは分からんでもないが。
……というか、この合宿かなりレベル高そうなんだけど。練習キツいのだけは本当に勘弁してくれ。
俺が小さく溜息をついていると、
「一応言っておくと、バスが走り始めたら私寝るから。話しかけないでね」
女が自分のバッグからアイマスクと耳栓を取り出しながら言う。
寝てくれるのか。それはこちらにとっても大歓迎だな。ずっとこの調子で話されたらたまらない。
「分かった。静かにしてるよ」
俺が言うと、
「そう、助かるわ」
女がアイマスクと耳栓を装着する。
そして、それと同時に、
「人数が揃いましたので、出発します」
運転手のおじさんの声が車内に響き、バスが動き出す。
バスが進むにつれて窓の外の景色が長閑になり、気がつくとバスの中にいる人々の殆どが眠りに落ちていた。
皆、疲れが溜まっているのだろうか?きっと普段から厳しい練習をこなしているのだろう。
ゆっくりと車内を見回していると、
ん?
一つの箇所で視線が止まる。
それは隣の女のバッグ。赤い派手なエナメルバッグの横についている名札。
小鳥遊瑞葉。
……聞いたことある名前だな。
誰だっけ?
女の名前に聞き覚えがあり、ポケットからスマホを取り出しで検索してみる。
すると、
あっ。
驚いて女の顔を見る。
アイマスクで目元が隠れているが、それでも確かに昔の面影がある。
俺、この女と試合をしたことがあるぞ……。あれは小学生の頃。
まだ、男女の垣根がなかった時だ。
懐かしいなぁ。まさかこんな所で再開するとは。
というか、同い年だったのか。
女の様子を眺めながら思う。
そういえば、昔はこいつのことをやたらと意識していたな。
試合をしたら勝つのはいつも俺で、正直相手にならなかった。
ただ……可愛かったんだよなぁ。
今ほど目付きが悪くなく、親子さん達に大変人気があった。
一度も話したことはなかったが、小学生の俺は惚れていた。
小学生といえど、試合をさせればやはり男子の方が強い。殆どの女子が地方大会で負けてしまう中、唯一人、全国大会に出場していた。
そして、必ず俺と戦う。
ちやほやされているのが気に入らなくて、普段は本気を出さない俺が実力差を見せつけようと必死だった。
今考えると俺最低だったな。
技と相手の嫌なところを攻め、嫌な勝ち方をしていた。
好きな女の子に嫌がらせをする男子。その典型だった。
マジでダサすぎる。
相手が覚えていないようで助かったな。
懐かしさ半分。恥ずかしさ半分という不思議な気持ちで揺られるバスの中。
心地よいリズムに身を委ねている内に、眠気に包まれる。
俺は自分でも気付かない内にストンと眠りに落ちていた。
◇◆◇◆
全国小学生譚道大会。
六年生の部。
男女混合で行われる大会においても、小鳥遊瑞葉の強さは圧倒的だった。
準決勝に行われた試合も、相手に1ポイントも与えず完勝。
瑞葉自身の手応えもバッチリで今回こそは優勝してやると、意気込みもかなりのものがあった。
そして、迎えた決勝戦。
瑞葉の相手は宿敵、鮎川泰斗。
四年生の時も、五年生の時も決勝で当たり、敗れている相手だ。
今回、瑞葉は猛練習を積んでいた。彼と戦う為だけに。
彼と行った前回の決勝のビデオも何度も見直し、戦い方も徹底的に研究してきた。
してきたつもりだったのだが…。
試合開始から僅か10秒。
瑞葉の持っていた小剣が宙を舞っていた。
小剣が空中で綺麗な弧を描き、派手な音を立てて地面に落下する。
小楯や小剣を取り落とす。
ある程度、譚道を嗜んでいるものにとってはあり得ない負け方だった。
試合終了の合図が響き、会場に驚きと落胆のどよめきが起こる中、瑞葉は唇を噛み締め、動けなかった。
悔しさと自分自身の不甲斐なさ。
慢心に自惚れ。
怒涛の勢いで溢れ出てくる様々な感情に胸が焼かれ、少しでも動いたら涙がこぼれてしまうことを瑞葉自身が分かっていた。
◇◆◇◆
「泰斗さん。着きましたよ。起きて下さい!」
再び俺が目を開けると、バスは既に止まっていた。
バス内に残っているのは僅か三人。
俺と、俺を起こしてくれた凛ちゃん。そして、隣で爆睡している女。小鳥遊瑞葉。
やばい、完全に乗り遅れた。
早く降りないと。
席から立ち上がり、足元にある自分のバッグを掴む。
そして、
「おい、そろそろ起きた方がいいぞ」
バチリと隣の席の女のアイマスクを叩く。
「うっ……」
呻き声を上げている女を置いて、バスを降りた。
バスを降りた瞬間、潮の匂いが鼻をつく。
海が相当近いらしいな。
目の前には白い外観の建物。
一緒にバスに乗っていた連中が中に入っていっているのを見る限り、これが合宿施設なのだろう。
思ったより綺麗だな。
建物の入口を潜ると、中は和式造りになっており、俺を含めた合宿参加者は広い畳敷の部屋に通される。
「ようこそ、強化合宿へ。私がこの合宿の企画者、鈴木修だ」
そこで俺たちを出迎えたのは一人の男。髪が薄くなりかけの、どこにでもいそうな中年のおじさんだ。
しかし、その姿を見た瞬間、合宿参加者の間にどよめきが起こる。
それもそのはず。
この男……かつての譚道の日本チャンピオンだ。少し前まで、日本譚道協会の理事も務めていた。
譚道界ではかなりの有名人。
合宿の企画者がこんな大物だなんて、聞いてないぞ……。
周りの反応を見る限り、他の参加者も俺同様に知らなかったらしい。
「鈴木修だ。凄い……」
隣の凛ちゃんも驚いているようだ。
やがて、どよめきが小さくなった頃、再び中年の男、鈴木修が口を開く。
「今回、私がこの合宿を企画したのは、日本譚道界の未来を担う君たちに世界と戦える選手になって欲しいからだ。その為に、こちらのメニューをこなしてもらう」
そう言って鈴木修が手に持っていた画用紙を広げる。
そこには、黒いマジックペンでびっしりと文字が書いてあった。
ほう。二つのコースに分かれるのか。
合同練習コースと個人練習コース。
画用紙には二つのコースの練習メニューが書かれていた。
基本的に合同練習コースは千葉の選手達との交流戦をメインにこの合宿施設の近くにある道場で練習。
個人練習コースはランニングなどの体力作りを中心に、小剣や小楯を握らないものが殆どだ。
そして、両方のコースに共通するのが、
ふーむ。最終日にドイツからの留学生達と練習試合か。
ヨーロッパ出身者との試合。厳しそうだな。
参加者全員が十分に練習メニューを把握できるだけの時間が経過した頃、
「練習メニューはしっかり把握でききたか?今から、合同練習コースと個人練習コースどちらに参加したいか挙手をとるぞ」
鈴木修が言う。
「泰斗さん。どちらにしますか?」
隣の凛ちゃんが小声で聞いてくる。
「俺は…個人練習コースかな」
俺が答えた瞬間、
「個人練習コースにしたい人は手を挙げろ」
鈴木修の声が室内に響く。
手を挙げたのは、俺と一人の見知らぬ男。僅か二人だった。
まあ、そうだよな。
わざわざ合同合宿に参加して個人練習を選ぶ奴なんて、かなりの変わり者だ。
俺がその結果に納得していると、
「それでは、個人練習コースの二人はこの画用紙を見て、メニューに取り組むように。他の奴らは俺の後についてこい」
鈴木修が大勢の参加者を率いて部屋を出て行く。
「それじゃあ、泰斗さん。また後で」
そう言うと、凛ちゃんもその集団の後に続いて部屋を出て行った。
広い部屋に残ったのは二人。
俺と個人練習コースを選んだもう一人の男。
その男は俺の元にズンズンと近寄ってくると、
「いやー、完全に場違いの所に来ちゃったよ。俺実は、まだ初心者なんだよね。本当に困ったよ。…あ、俺の名前は篠部敬太ね」
実にフレンドリーに話しかけてきた。
栗色の短髪に大きな目。
タンクトップに短パンという、いかにも体育会系といった感じの格好をしている。
めちゃくちゃ運動神経良さそうだな。
「俺は黒咲泰斗だ。正直、俺も場違いな所に来ちゃったと思って居心地の悪い思いをしていたんだよ。なんだか仲間ができたみたいで嬉しいな」
「はは、そうか。それなら、二人でこの合宿を無事に乗り切ろうぜ」
俺の言葉を聞いたその男、篠部が満面の笑みになる。
うーむ。裏表なさそうな奴だな。
感情がそのまま顔に表れているといった感じだ。
俺が篠部の様子を観察していると、
「取り敢えず、このメニューをこなそうぜ」
篠部が言う。
「おう」
その言葉に従い、先ずは二人でランニングをすることにする。
ランニングのコースは海辺。
足場はコンクリートで舗装されているが、左手には青い海が広がり、湿った風が激しく吹いている。
そんな中、
「ま、待て篠部。ペースが速すぎる」
俺は共に走る篠部に声を掛けた。
な、なんだこいつ。めちゃくちゃ速いじゃないか。
息絶え絶えの俺に、
「はは、そうかな?実は俺さ、中学まで陸上部だったんだよね。長距離の選手。今年、高校に入学してから譚道を始めたんだ」
篠部がドヤ顔で言う。
こいつ……わざと速く走りやがったな。この言葉が言いたかったって、顔に書いてあるぞ…。
「そうなのか。それなら、俺とは丁度逆だな。俺は中学まで本気で譚道をやっていたが、高校に入学してからは趣味程度に嗜む程度さ。」
「へぇ。それじゃあ、何でこの合宿に参加したんだ?」
「お世話になっている人の娘さんがこの合宿に参加するというから、付き添いで来たんだ」
「なるほどなぁ」
篠部が納得したように頷く。
俺たちはその後、互いの身の上についての他愛もない話をしながら、ランニングを終えた。
勿論、俺が譚道を止めるきっかけになった事件についてや、かつてあらゆる譚道の大会で優勝しまくっていたことなどは言っていない。
「いやぁ、いい運動になったなぁ」
二人で畳敷きの部屋に戻ってくると、篠部が呟く。
ふむ。確かに海辺を走るというとはなかなか爽快だったな。
画用紙を覗き込むと、次のメニューは、
……VR対戦でヨーロッパ出身者に一勝。
「げげ。そんなの無理だろ……」
メニューを見た瞬間、篠部が悲壮感たっぷりの声を上げる。
うーむ。確かに譚道においてヨーロッパ選手と日本選手には絶大な実力差がある。
しかし、
「ヨーロッパ出身者でも、強い奴ばかりではないだろう。遊び半分でやってる奴や、それこそお前みたいに始めたての奴もいるだろうし。何とかなるんじゃないのか?」
俺が言うと、
「むむ、言われてみればそうだな。トップ選手間の実力に差があるからといって、下層にも差があるという考え方は間違っているな。何回かやっている内にいずれ、俺よりも弱い奴とも当たるだろう。」
篠部が力強く頷いた。
実際は下層にもかなり差があるだろう。ヨーロッパと日本では譚道の浸透度合いが違う。ヨーロッパに住む人々 の大半が一度は本気で譚道に取り組んだことがあるはずだ。
しかし、
やる気がない状態で戦うよりは、やる気がある状態で戦った方がいい。
それこそ、万が一にも勝てるかもしれないからな。
俺と篠部は二人でVRマシーンがある部屋に移動した。
VRルーム。
建物の北側、最奥の部屋。
まるで、学校の保健室だな。
並べられた幾つものベッド。その周りには外部からの視線を遮るためのカーテンがついており、枕元にはVRマシーンが設置されている。
その内の一つに近づいてベッドに体を横たえると、カーテン閉める。
「お互い、頑張ろうぜ」
「ああ」
カーテン越しに聞こえる篠部の声に相槌を打つと、俺はVRマシーンを装着した。