マチ号ループ
診察室のカーテンが開かれていて、そこから洩れる灯りで駐車場は結構明るい。灯りは人の心を落ち着かせる。医師の機転によるものだろう。
開け放たれた玄関を入ると七、八人もの人間が待っていた。しかし、幸いなことに大抵は切り傷や軽度の火傷らしく、「意識がない患者を抱えてます」とシズがいうと、四十代の女性看護師はすぐに診察室に通してくれた。大の大人を軽々と抱えて歩くトオルにみな目を見張った。
診察台に横たえられたマスオは、医師が、「菊田さん」と、大声で呼びかけると、すぐに意識をとりもどし、あちちと頭を抱え、続いて足首の痛みを訴えた。
診察の結果、頭皮に浅い傷が出来たが脳には異常がなく、右足は腓骨先端骨折と判明して即座にギブスがはめられた。その一部始終をトオルはじっとみていた。
「坊や。名前は?」
「内山トオルです」
「家は近くかい」
「いえ。今日埼玉からきました」
「そうか。それじゃ、菊田さんのところじゃさぞかし助かったことだろうな。ギブスは初めてみるのかい」
頬髭を伸ばした医師はこの状況を楽しんでいるようにさえみえた。思ったよりも重傷者がいないせいだろう。
「はい。初めてです。どの位で治りますか」
「ギブスは三週間だな。それがとれればすぐに歩ける。今日は痛むかもしれないから薬を出すからね。松葉杖が必要なら明日取りにおいで。今日は頭も打ったから動くのは無理だね。頭はふた針縫ったが心配は要らないよ。明日来たときにガーゼを替えるからね。わかったかい」
まだ、ぼうっとしているマスオよりはこのロボの方が頼りになるとみたらしく、医師はトオルに細々とした指示を語った。シズは待合い室で待っている。
「はい。わかりました。ありがとうございます」
「うん。トオル君は優秀なロボのようだな。マスターはあの綺麗な女の人かい?」
「いえ、マスターはお父さんです。今日は埼玉の自宅におります」
「ひょっとして、お母さんはヒロさんかな」
「はい、そうです。内山ヒロです」
「やっぱりそうか。ヒロさんはお元気かね」
「はい。元気です」
「帰ったら、仙台の医者の長谷川がよろしくといっていたと伝えてくれるかい」
「はい。承知しました」
医師とトオルの会話をマスオは呆けたような表情で聴いていた。
そのマスオをトオルが負ぶって外の車に乗せ、シズが薬をもらって車に乗ろうとしたときだった。
「お姉さん。待ってください」
「え、また地震?」
「ちがいます。あの子をみてください」
今、ついたばかりらしい車から頭に白い布を巻いた中年の女性が現れた。応急処置らしく血が大きく滲みだしているが、気丈にも自分で運転をしてここまで来たらしい。そばにトオルと同じくらいの女の子がいた。
「ロボです。お姉さん、あの子、ループしてます。みてきていいですか」
ループというのは輪のことだが、プログラムが同じ箇所をぐるぐる回ってしまうことをいう。実際はそうでなくてもソフト障害を広義として使う。自身がプログラムで動いているトオルならもっと的確な表現があるのだろうが、シズに分かり易い言葉を選んだのだろう。
「いいわよ。ここで待ってるから。おじ様、もうちょっと我慢してね」
「ああ、俺はもう大丈夫だけど、ループがどうしたって?」
トオルが駆けてゆくと、マスオも頭と足の痛みを忘れたように興味深そうに窓から様子を眺めた。
この行動はなにかしら。このような非常事態では親切の遂行はきりがないわね。それともロボどうしは特別なのか、遭難信号を傍受した船舶みたいに。
こりゃテイクノートだわね。プッシュ。
トオルは小走りでもどってくるとシズにいった。
「お姉さん。あの子は富田先生、とそればかりを繰り返していて、ループから出られません」
「センターは答えてくれないの」
「はい。サポートセンターはずっとビジーです」
「こんな状況だから、あっちもきっと忙しいのね。どうしよう」
「お姉さん、お願いがあります。代わりをやってください」
「え? 代わり?」
「富田先生の代わりです。うまく行く確率は高いです」
「ええ!、わたしがあ、駄目よ」
トオルはシズの返事を待たなかった。病院にとって返すと看護師を連れてきて白布を巻いた女性を頼むと、どう言ったのかその白衣を借りてしまった。シズは仕方なく車からおりた。
「お姉さん。これを着て胸に携帯を下げ、それから髪をうしろで縛ってください」
シズは、あれよというまに富田十紀子になった。
「トオル。どうするの。わたしわからないわよ。困るわ」
「お姉さんも僕も富田先生と直接会ってますが、あの子は先生を映像でしか知りません。大丈夫です。まず先生コールのループから出してやる必要があります」
トオルはそういうとシズの背中を押すようにしながら女の子のところに寄った。
女の子は宙の一点を見つめ、ひきつったような顔でぶつぶつとなにかを呟いていたが、その仕草が可哀想なほどの美少女だった。もっとも、オーナーの注文でどのようにでも作れるのだから、それを不思議に思う必要はない。要はオーナーのセンスである。
「AF六〇六一一三号。常磐マチ。富田先生が来たよ」
トオルは女の子の頬を両手で挟み、大きな声でそういった。
「トミタセンセイ? センセイ?・・・」
「そうだよ。ほらここにいるよ」
トオルはそういうとシズをぐいと前に押し出した。シズは覚悟を決めた。トオルと同じように女の子の頬を手で挟み、顔を近づけていった。
「マチ号。富田よ。会ったのは初めてね。どうしたの」
「あ・・・センセイ・・・」
女の子の目が大きく見開かれた。
「お姉さん、今です。両方のおっぱいを同時にパンと叩いてください。強く」
「え?」
「AF形はそうすると強制回復のプログラムが走るんです。同時に強くです」
「えええ? そんな・・・」
「早く」
シズは仕方なく自分の体で周囲の視線を隠すようにしながら、両方の掌でかすかな膨らみをみせているマチの胸をぱんと叩いた。自分にも覚えがある幼い弾力が掌に返ってきた。するとマチの目の奥に一瞬光が走った。
「あ・・・富田先生」
「マチ。情けないよ。わたしの子どもはもっとしっかりしなくちゃ。ん?」
シズは腹をくくり、トオルに接したときのような富田の口調を真似ていった。シズは両親に似ず器用なたちである。ひとりで鶏小屋を作ったという祖父からの隔世遺伝かもしれない。
「すみません。あたし、なんだか・・・」
トオルが前に出た。
「マチ。僕は内山トオルという。先生に連れられて君を励ましにきたんだ。これから僕がいうことをよく聞いて答えて。先生、いいですね」
「よし。マチ、トオルのいうことを私のいうことだと思ってよく聞くんだ」
シズは優しくかつ威厳をこめていった。それからあとのふたりの会話はわからない。トオルは電波で(多分)直接話し掛け、人間でいうところの臨床心理学の治療のようなものを施したのだろう。
二分ほどたつと、マチは、「あっ」と声をあげた。同時に憑き物が落ちたように表情に命がもどった。
「トオル君、ありがとう」
「よし、もう大丈夫だよ。君のお母さんの常磐深雪さんはもう病院に入っている。すぐに後を追って介護しなさい。お医者さんもお母さんも君を必要としているよ」
「トオル君のお姉さん。どうもありがとうございました」
マチはシズに丁寧にお辞儀をすると赤いスカートを翻して病院の中に駆けていった。シズの変装(?)は復活したとたんにばれたようである。
しかしマチの走り方をみたシズは、はっとした。これまでじつは他のA形ロボを間近に観察する機会がなく、また関心もなかった。しかし今マチの動きと比べるとトオルの動き、歩き、駆ける、いかに優れているか。それがわかった。
知らなかったわ・・・なるほどねえ。富田さんがマークするわけだ。
人工知能に抽象的な思考をさせるには人間同様の身体感覚があることが必要だ。そういう論文があったのをシズは思いだした。
例えば、スケートをしている自分を想像してください、といわれたとき経験のない人は大変だが、経験ある人が想像をするとイスに掛けている手足の筋電流を測るとスケートをするに必要な筋肉に電流が流れるのだ。
今度、富田さんにこれをぶつけてみよう・・・すでに知っているか。
「お姉さん、ありがとう」
「ん? あ、いいのよ」
いつのまにか、シズ姉さんが単にお姉さんになっている。
姉はわたしがひとりなんだから、もともとそれでいいのよね。でも、なにがきっかけだったのかしら? テイクノート。そういえばマチも治ったとたんに表情が生き生きとしたわ。契約外だけどこれもテイクノート・マチにしておこう。プッシュプッシュ。
「しかしトオル。今のは詐欺行為よ。でも、おっぱいを叩くとどうなんてそんなの初めて聞いたわ」
「一般の人には教えてません。お姉さんも他人にはいわないで下さい」
「わかったわ。でも、どうしてあんたがやらないのよ」
「僕にはできません。セクハラになりますから」
ななな?
「な、なにをいうのよ、トオル。私だって同性だからって許されないのよ」
「でも、お姉さんはできました」
「え・・・にくいわね。けど、トオル、あんたもそうなの。ぱん、が効くの?」
「A形はAF形とはちがいます」
「あ、わかった。叩く場所がちがうんだ。そうなんでしょう?」
「お姉さん。富田先生にそっくりです」
くはあ。かわしたよ、この子。これこそテイクノートだ。
「お姉さん。さっきの看護師さんに五つ☆カードをあげてください。そう約束して白衣を借りたんです」
「あらま」
またまたテイクノート!




