マスオさん
あれまあ。
祖母サトの最初に発した言葉はこれだった。
「シズちゃん。暫く見ない内にえらい別嬪さんになって」
「いやだわあ。お祖母ちゃん。叔父様、お久しぶりです」
マスオは少し照れたように目をぱちくりとさせた。
「お祖母ちゃん。初めまして内山トオルです。よろしくお願いします」
トオルは車から顔を出したサトにぺこりと頭を下げた。
「・・・この子、本当にアレなの」
「そうですよ。お祖母ちゃん。家の中まで歩けますか」
「とてもとても、もう片足が棺桶に入ってるんだからね。マスオさん、頼むよ」
(あれなのよ)
ミキが小さな声でシズにいった。
はいはい。
マスオは二つ返事でサトの側に寄って背中を向けた。
「随分ゆっくりだったね。どこまでいって来たの」
ミキが聞いた。
「八木山から青葉城。帰りは青葉通りを真っ直ぐ通ってきたよ」
「あらあ、いかったこと」
「でもこの時期じゃ寒いだけだね。あとひと月もすれば若芽が出て街もぱっと明るくなるんだけどね」
マスオは、ミキと同年だから五十を越えたばかりである。叔父と姪とはいってもシズとは血はつながっていない。そのせいか久しぶりでみるシズの若さが眩しいようである。
「おじ様、髭を伸ばしたのね」
「一年くらい前かな。どう?」
「お似合いですわ」
「そりゃ嬉しいな。ほらいいかい、お祖母ちゃん」
マスオがサトをどっこいしょと負ぶって家に運んだ。トオルはじっとみている。僕が、といわずに先ず先輩がやるのをみて学べ、というのは介護プログラムのイロハかな。
しかし、マスオの動きに合わせてトオルが肩とか腰とか負ぶう両手を微妙に動かしている。体の使い方を学習してるのだ。
すごいわ。
玄関でミキが押さえている車いすにサトは、よっこいしょ、と腰をおろした。トオルはそれもただ見守っている。
「ロボちゃん」
椅子に収まったサトが呼びかけた。初めてロボと接触した人は決まって好奇心と畏れが入り交じった表情になる。
どうみても人間なのに人間ではないという。これが気味が悪くなくてどうする。が、幸い菊田家は得体だけは知れている。しかしサトの接し方は極めて自然であった。人間の子どもへのそれと全く同じようにシズにはみえ、ひょっとして呆けがきてるのかしら。と、心配になったほどである。
「はい。トオルです」
「トオルちゃん。いつまでいるのっサ」
「一週間、三月十五日までお祖母ちゃんとミキ叔母さんのお手伝いをします」
「シズちゃんは?」
「わたしは明後日まで置いてもらいます」
「あらそう。まだ学校だものね。トオルちゃん。ちょっとほっぺたに触っていいかい」
「はい」
トオルが顔を近づけると、サトは皺の寄り集まった手をだしてトオルの頬に触れた。
「わー」
「どうかしましたか」
「んでなくて。てっきりしゃっこいのかと思ったら、しゃっこくないから驚いたの」
みんなが笑った。
「トオルちゃん、しゃっこいってわかる?」
ミキが聞いた。
「はい。ひやっと冷たいという意味です」
「そうだよ。仙台弁もわかるんだ」
「全部ではありませんが、ちゃっこいも知ってます。お母さんも時々いいますから」
「あら、姉さんが? 今でもいうの」
「はい。二度聞きました」
今のは自己宣伝よね。周囲の信頼を得るため、かな。
指輪を押した。
トオルはポケットから腕時計を出した。
「お祖母ちゃん。これを腕につけていて下さい」
「なにっサ」
サトは今度は気味悪そうにその大きめの時計をみた。
シズが説明をしてやった。
「お祖母ちゃん。これはね。健康監視用なのよ。これをやってるとトオルはお祖母ちゃんの体温、血圧、脈拍とかが全部わかるの」
「あらあ」
トオルはサトの腕を少し捲ると時計をくるりと巻き付けた。器用なものである。マスオ夫妻はただみとれている。
「お祖母ちゃん。熱は三十六度四分、血圧は150と92、脈拍は七十五です。正常ですね」
「あらあらあ」
サトは目を丸くした。
「トオルはそれのおかげでお祖母ちゃんの健康状態が離れていてもわかるのよ。安心でしょう。それからね、この時計はトオルと話もできる無線機にもなってるからね。用があるときはいつでも呼んで。夜でも構わないのよ」
ああれまあ。
サトはつくづく感心したようである。
「お祖母ちゃん。車いすを僕が押してもいいですか」
「いいけど、重いがら。そんな細っこい手で大丈夫すか」
「お祖母ちゃん。僕は力があるんです」
トオルはうしろに回るとフレームを両手でもって、サトを車ごとすいと十センチほど浮かせてみせた。
「あらあらあ」
「ほう、凄い力だなあ」
全員が声を合わせて驚いた。トオルは体重八十キロ、身長百八十センチの成人男子と同等の膂力がある。しかし見かけは十歳の少年だから驚異である。実はシズも驚いていた。これまでトオルがそのような膂力をみせたことがなかったのだ。
これも、お祖母ちゃんの信頼を得るためなのね。
テイクノート。プッシュ。
「もういいよ。わかったからね。下ろしておくれ。なんだか申し訳がないよ」
サトはトオルを振り返って落ち着かない表情でそういった。
「お祖母ちゃん。トオルは機械なのよ。疲れるとか飽きるとは全然ないの」
シズはかつて空也がよく自分たちにいった言葉を、そこで使った。しかし機械といったときには体の中のどこかがちくりと痛んだ。しかし、疲れも飽きるもないということを理解してもらうには、それをしっかりと心に刻んでもらうしかない。トオルはむろん平気な顔である。
善き人間なら必ず身についている「弱者に対するいたわり」の心情はまことに尊い。トオルは外見上はいたわられべき幼年の弱者であるから、それを無視すると心に刻みつけるのはなかなかに難しい。
富田がいう、「難しいといえば難しい」という謎めいた言葉には、このあたりのことも入るのか。とすれば、うち破るべき壁を持っているのはロボではなく、やはりそれを受容しようとする人間の側にあることになるか。




