富田十紀子
昨年の失踪事件の折りに、合同会議で徳島がオトミと呼んだこの人物について詳しく語っておく。
五年前、ソミック社は全く実用的なヒトガタロボットを完成させた。このことも前巻に述べた。それを可能にしたフジ樹脂の発明者である藤節雄が世界的な有名人になったことも述べた。
その衝撃的な記者会見の時、藤の背後でそれよりはやや控えめなスポットライトを浴びたふたりの同僚研究者がいた。富田十紀子、当時三十一歳と、佐伯瑞穂、当時三十三才である。
ふたりはフジ樹脂を用いた画期的な新型ロボを開発中であるとして紹介された。富田は製作総括を、佐伯はフジ樹脂をドライブするFBOS(BodyOperatingSystem)について紹介されたのだが、視聴者はふたりの、とくに富田の刃物のように鋭角的な美貌と全身から醸し出されるカリスマ的な雰囲気に気圧された。
もっとも国民は見ほれながらも、その構想が実現するのは早くても五年先くらいなのだろうとして聴いていた。メディアも有識者もそうだった。しかし結果は歴史が示すとおり、その会見からわずか半年後に真にヒトガタのフジロボが発表されたのである。
シンジ君と呼ばれた少年形の第一号ロボは三百人を越す内外のメディアの前で、カーペットにプリントされた図形の上でケンケンパーを軽く跳んでみせ、トランプをシャッフルし、生卵を割り、ゆで卵を剥き、紐を結んでまた解いて、ラジコンのヘリコプターを操縦して、「長町の長い七曲がり」を七度繰り返し、赤とんぼを歌ってみせた。
最後にはサッカー・ジャパンのレプリカに素早く着替えると、投げ入れられたサッカーボールを自由自在に操ってみせた。このことも先に述べたとおりである。
そしてその総括がやはりあの富田十紀子であることが公表されると、本人は多忙であるとしてプレゼンには姿を見せなかったのだが、メディアが半年前の富田のビデオを何度も再生してみせた為に、またちょっとしたオトミフィーバーが起きた。
当時、シズは大学に入ったばかりだったが、まさかそのロボが四年ほど後にわが家に来て、その半年後に富田十紀子と直接話を交わすことになろうとは夢にも思わなかった。
富田は小野とともに空也のアパートを訪ねてきた。予め連絡があったためシズも母のヒロもそこで待機していたのだが、失踪事件の責任を直線的に問えばシズは「加害者」の立場で、父親とソミック社にいささか負い目を感じていた。
富田が訪問してきた理由は普通の人間なら見逃してしまうある一点にあった。センターからのリハビリを受電しながら空也のアパートにもどったトオルが、玄関を入って、
(お父さん、ただいま。カメちゃんただいま)
と挨拶をしたのがそれだった。
空也は少しも意に介しなかったのだが、小野から渡された報告書を見た富田は瞬時にそれを拾い上げた。
なぜならカメは別個体であってもトオルの手足同様に体の一部である。すべてはトオルの指示で行動するのだから、「自己」はカメにはない。人間ならば、前出でものべた年老いた農夫が自分の節くれ立った掌を眺め、「ご苦労だったなあ」と呟くことはあるかもしれない。牧歌的かつ哀愁を帯びた諧謔としてである。
しかし、諧謔は喜怒哀楽を発酵させて出来る高級産物であり、その四つの要素が未熟な、あるいは不備なトオルにはまったく無理なはずである。
とすれば、どういうことだろう。
富田からそのことを聞いた空也とシズはなるほどと思った。
マスターに「可愛いヤツだ」と思ってもらえると考えた、というのであれば、それは一応納得できる。しかしそれにはマスターがそのように教導していたのでなければならない。人間の愉悦の感じ方には大きな個人差があるために、ロボの思考のインフラに人に愉悦を与えよという規則は組みこまれていないからである。
富田はまずはそこを確かめるために訪ねてきたのであるが、その巧みな質問技術に空也とシズは感服してしまった。
この人はまるで臨床精神科医だ。もっとも、広い分野にわたって超一流の知識と知恵と技術がなければつとまらん仕事だな。
富田の映像を見たシズの複数の友人は、(シズはオトミに似ているよ)といわれた。実際に会ってみると、似ていると気が付いたが、モノがちがうと思った。
富田はほどなくトオルのその行動に合理性を与える教導はなかったと判断したようである。
(お願いがあります)
次ぎに富田は切り出した。トオルの行動のすべてを記録させて欲しい。視覚、聴覚センサーから得たもの、思考のプロセスなどをである。
本来、これらはロボの誕生当時はサポートサービスのために行っていたのだが、ユーザーからのプライバシーが侵犯されるという批判を受け禁止となっていた。今は自社の人間が試験的にマスターとなるロボのみにそれを課しているだけだった。
空也はもともと自分のプライバシーなどには頓着しない性格だったので、富田の申し出を承知し、(いいだろう?)と妻と娘にも同意を求めた。ヒロは一も二もなく同意したがシズは少し考えた。
その様子を見た小野はすぐにいい添えた。
(シズさん。どうしても困るときは、センターへの送信切断をトオルさんに指示して下さい。これは交信の切断ではありませんのでサブマスターのあなたの指示も効きます。カメが手足をひっこめますが一時間以内ならこちらからも何も申しません)
わざわざ切断なんてかえっていやらしい。やるもんですか。しかし、今後、トオルの前でおかしな真似はできないということよね。風呂に一緒に入るなんてのはとーんでもないことになったが・・・ま、いいか。
「あの子には何かがあります」
「何か、ですか」
富田と小野がやってきた二日後だった。富田がシズのPCに現れて、そういった。
訪問してきたときにも思ったことだが、今スクリーンでみる富田は本当にわたしに似ている。メディアから得ていた知識では富田は三十六、七歳のはずだが、シズの目には三十歳くらいにしかみえない。洗いざらしの白衣がよく似合う。
「ええ、何かです。じつは、トオル号にもお父様にも内緒であなたに頼みたいことがあるの」
富田は何かについての話題はあっさりと断ち切り、すぐに用件に入った。それ以上の説明をするつもりはないということなのだろう。
「シズさんは五つ☆カードのプレゼンターですってね。人間の微妙な所作の観察に鋭い目を持っている。お父様もね」
「え? そんなことどうしてご存じなんですか」
「尚かつ、物事を論理的に考える能力がある。そこを見込んでの頼みなんです」
富田の物言いは訪問してきたときもそうだったが、一方的かつ断定的であった。しかし、こちらの心臓の根っこを掴む不思議な語り口が不快に思うまを与えない。
「どういう頼みでしょうか」
「ロボについての論文や批評がたくさん出てるが、90%は無責任なものだわ」
「ソミック社が沈黙を守っているからですね」
思い切って富田に槍をいれた。
「そうね」
富田は当然というようにうなずいた。張本人のアッケラカンとした返事にシズは思わず笑ってしまった。富田も笑った。いい笑い方だとシズは思った。衒うでも恥じるでもない。なかなかこうは笑えないものだ。シズはそういう眼力を持っていた。
やっぱりモノがちがう、オトミちゃん。
「ロボで心を作って、そこから人の心を考えたいと提唱した学者もいますね」
「お笑い草ね」
富田は文字通りの一笑に付した。
「難しいのですね」
「それもノーコメントといいたいけれど、頼み事がある人にそれはないね」
「はい」
シズは緊張する自分を感じてもいた。
「難しい、といえば難しい。要はアコーダンス。調和の問題よ」
富田は真剣な表情でまずそういった。
「人間とロボのですね」
「これがコメント。ザッツオール」
「あらま」
シズは失望し抗議しかけたが、富田の表情をみてはっとした。この言葉にかなりの重みを掛けていたと気がついた。
「とにかく、現状は喜怒哀楽という単元的なものでさえ未達なのだから、マスターが喜ぶからとか、喜ぶ顔がみたいからやる、などはありえない」
あ、「カメちゃん、ただいま」のことをいっているのだわ。
富田は黙ってうなずいた。
「Aタイプは人間の子どもに酷似しているために、そのことを知っている人間さえもついついそのことを忘れてしまう」
「はい」
「トオル号ならなおさらよね。あれほどの子は他にはいないのだから」
「え? それじゃ、やはり」
最高のグレイドなのか。少なくとも富田十紀子がマークしている個体なのだ。アコーダンスはトオルにかかってる・・・? ん、父にもわたしにも?
富田はシズの心の声が聞こえたかのように軽く肯き、表情を固く引き締めた。
「ロボの脳のソフトを知りたがって色々とテストをするユーザーがいるわ。止しなさいというのだが、仕方のないことでもあるわ。おかげでループトラブルが絶えない。ところがね、シズさん。出来のいいロボだと、そういうことが少ないの。アタックを受けることがよ」
「はああ・・・」
シズは意外だった。より人間っぽいロボほど人は色々と知りたがり試したがる。そうじゃないのか。
「意外ですね」
「人間に似るほどアタックが多く、厳しくなると推定していたのだが実際はちがった。出来が悪く機械っぽいロボほどアタックを受けるの。面白いでしょう?」
「そうですか」
シズはうなずいた。もしもシズがジャーナリストなら凄いコメントをゲットしたと小躍りするところである。
「機械として遇するか、人として遇するかということですね」
富田は小さくうなずいた。
「それじゃ、これからお願いをいいます。あとで文言でもそちらに流しますが、まずは聞いてください」
そしてシズは、トオルにも空也にも内緒でカメちゃんの件に類似する言動を観察・記録・報告することを依頼されたのである。具体的な作業としては、ソミック社から送る指輪にその都度圧力を掛けるだけでいいという。
「お礼はします。わたし達の前にゼリーでできた壁があるとイメージしてください。コンクリートならハンマーで破壊できるがゼリーの壁はそうはいかない。壁かそうでないのかさえ判断がつきかねる。こんな説明であなたなりの何かをイメージしてもらえれば嬉しいけど」
「そのゼリーの中に、あるいはその前とか後にトオルが立っているとおっしゃる?」
「・・・」
富田は瞬かない目でシズを見、かすかに肯いた。
シズは決心した。
「わかりました。ご依頼の件、承諾します」
「よかった。あなたの記録するひとつのノートが私たちには十の課題となって跳ね返る。ただし遠慮は全く無用よ」
「心して勤めます」
シズは守秘義務契約にパーソナルコードを打ち込んだ。
画面から富田の顔が消えてもしばらくシズは考えこんでいた。
トオルと暮らしていて日頃から感じていたのは、ロボを受け入れる人間と人間社会の方に課題があるのではないかということであった。富田たちはその熟成を注意深く見守りながら、ロボを進化させて行こうとしているのだろう。とすれば、ウオッチされてるのはわたしであり、父であり母なのだ。
五つ☆カードに話をもどす前に、ふたりの仙台行きについての経緯を語っておこう。
仙台に住むシズの祖母、そしてヒロの母親、菊田サトはまもなく八十を迎える。現代ではまだまだの年齢で、実際体も頭も矍鑠としていたのだが一年半ほど前に家の階段で足をすべらせ膝を骨折してから少し様子が変わった。
幸い骨はしっかりと繋がったが、リハビリがうまく進まず、最近は万能型の車イスの生活にウマが合ってしまっている。歩行が体を整えるのに重要なのはなにも馬ばかりではない。二足歩行の権限を有する人間も極めて重要だ。本当に歩けないのならともかく、努力すれば歩けるようになるところを歩かないというのはやはり色々とよろしくない。
(体のタガが外れてしまったよ)
サトはこういって嘆いてみせるのだが、体じゃなくて心のタガが外れかけているのだと、これは一緒に住む娘のミキ、ヒロの妹の言である。
(リハビリを簡単に投げ出すんだから。もっと辛抱すれば出来たのに。ああいう根性のない人だったとは思わなかったわ)
ミキはヒロにそうこぼした。
(そうじゃなくて、ああいう人になったのよ。年を取って)
ヒロはそう訂正してやった。が、ミキにはなんのタシにもならない。
(困ったわ)と、妻に相談された空也は、介護ロボを検討したらどうかと提案した。それならリハビリもアシストしてくれるのだから、なるべく早い方がいい。高いかもしれないが、あそこの敷地の四分の一も売れば買えるのじゃないか、と。
(敷地を? 困るわよ)
ヒロは介護ロボの購入には賛成だったが、自分も相続権がある菊田家の土地を簡単に売って欲しくなかった。
うちなんか、土地なんか全然ないのに建てたんだから。
ヒロは思案した。
トオルを短期間でもいいから貸してその効用を体験させ、サト本人と妹夫婦が自分の懐でまかなう気にさせよう、と結論したのである。そこに考えが及ぶとすぐに妹と話をつけて、
(今月トオルちゃんをシズと一緒に行ってもらうからね)
ということになった。
空也は慌てた。シズがトオルを連れてテストをしてくるとはいいアイデアだが、思いも掛けないことだった。言い出した手前もあるから承諾せざるをえなかった。これが経緯である。




