第八十二話 蒸気機関の王と竜
飛行船での空の旅。
眼下に広がる鋼鉄製の街並みは、遥か遠くまで広がっており、赤土の大地のようにも見えた。
時々、ガラス窓の向こうを、白い雲が通り過ぎる。
つまりは、それくらいの高度を飛行しているという訳だ。
「うううっ、なんか、落ち着かないよー」
アリスは窓の外を見ようとせず、イスの上でガタガタと震えていた。
初飛行機が怖いのだろう。
超能力を使って飛ぶのとは違う感覚なのだろうか。
「アリスー、下の街並みが壮観だよー」
「見ないから!」
リンの誘いを、引きつった顔を向けながら断る。
「あ、他にもいる!」
リンの言う通り、遠くを、同じような飛行船が何隻か航行しているのが見えた。
見た限り、今乗っているのよりは小さいものばかり。せいぜい半分くらいかな?
この飛行船は、ヘレナさんの言う通り、特別なものなのだろう。
エシュリーはというと、ガラス窓に、顔面を押し付けて、夢中で景色を見ていたりする。
こーいう仕草は、まさにお子様だな。
「乗り心地はいかがでしょうか?」
後ろからかけられた声に振り替えると、ヘレナさんがそばにいた。
「なんか、ワクワクしますよね、こういう乗り物って。……アリスは、怖がっちゃってますが……」
「こ、こわく……ないもん! ただ、不安なだけだし」
アリスが足を震わせながら言ってくるけど、それが怖いってことじゃあ無いのか?
「ふふっ、アリス姫、ご安心ください。外装が軽金属装甲で覆われているこの飛行船は、たとえ砲弾を受けたとしても、中のバルーンに穴は開きませんし、複数に仕切られていますので、万が一、一つ二つに穴が開いたとしても、浮力不足になることはありません」
「うーん……安全かどうかの確認というより、気持ちの問題と言いましょうか……」
ヘレナさんの説明では、不安は解消されないらしい。
まあ、乗り物の不安って、理性で分かっていてもどうしようもないもんね。
「じゃあさあ、こういうのどう?」
リンがアリスの横に座り、その上半身を抱きしめた。
「あっ」
アリスは小さく声を漏らすが、そのままリンの体にしがみつく。
「何かに掴まってた方が落ち着くでしょ?」
リンがアリスの背中と頭に手を添える。
「う……うん、ありがと。……ちょっと、落ち着く」
アリスの足の震えが止まっている。
リンの抱き付き作戦は成功みたい。
そんな二人を見てて、ふと思い、エシュリーを窓からひっぺがす。
「うわわわっ!?」
いきなり引っ張られて驚いたのか、エシュリーが暴れ出した。
その暴れる腕ごと、抱きしめてやる。
「どうだエシュリー、落ち着いたか?」
「わたしは最初から落ち着いとるわ!」
そうか。
「モナカは?」
「うん?」
「モナカは、落ち着くの?」
「うーん、そーだねー」
落ち着くと言えば、落ち着くんだけど……
「お気に入りのぬいぐるみを抱いている感じかな?」
「そ、そうか……お気に入りか……」
ぬいぐるみ扱いされて怒るかと思ったが、お気に入りという単語の方が気に入ったようである。
エシュリーを抱きしめ、そのまま外の風景を一緒に眺め続けた。
飛行船内で三日ほど過ごしたところで、王都に到着した。
と言われても、ずーっと地面は鉄板続きで切れ目が無く、どこからが王都なのかサッパリ分からなかったけど。
主要塞と言われるひときわ高い建造物に案内される。
到着時間に合わせてくれたのか、今すぐに王と面会できるという。
慌ただしいけど、折角なので、そのまま王のいる部屋へと通してもらう。
案内されたのは、謁見の間ではなく、応接室のようなこじんまりとした部屋であった。
そこに王と、白いローブと紫色のストレートロングが印象の男性、それと護衛とおぼしき兵が二名が待っていた。
王様は、中年男性で茶色の髪と茶色い目の色をしている。少々小太りで、着ている緑色の服は、王というよりも小型飛行機のパイロットのような印象を受けてしまう。
ローブの男は、無表情にこちらに目を向けている。よく見ると、その目は鮮やかな黄色であり、瞳孔の形が爬虫類っぽい。人間じゃあないのかな?
特徴的なたまご型のヘルメットをかぶった兵士たちは、両手でライフル銃を抱え持ち、微動だにしない。
「陛下、女神エシュリー様たちをお連れしました」
ヘレナさんはそう言ってから、わたしたちの後方へと下がる。
そうなると、先頭がわたしとなるわけで、少し緊張しちゃう。
「ヘレナ、ご苦労。ようこそいらっしゃいました! 女神エシュリーにアリス姫、それにモナカさんとリンさん。わたしがこの蒸気機関の国の王、アルハト・ヘイムです」
「うむ、出迎えご苦労であった、アルハトよ」
初対面でいきなり偉そうなエシュリーに耳打ちしておく。
「エシュリー、呼び捨てじゃあ無くて、せめて王とか様とか付けようよー」
「わたしの方が偉いんだから、これでいいのだ」
いいのか? いいのかな? いや、宮廷儀礼とか分かんないけど……
「モナカさん、女神エシュリーは神ゆえ、敬称略でも構いませんよ?」
アルハト王に、さっきのヒソヒソ声が聞こえていたみたいだ。
ちょっと恥ずかしい。
「あ、あ、それはどうも。栗入モナカです。よろしく」
「どうぞよろしく」
にこやかに会釈してくれるアルハト王。
結構いい人そうで安心した。
アリスやリンもあいさつを返すが、アルハト王だけがそれに答えた。
後ろに控える護衛はともかく、ローブの男も終始無言なのだ。
「あの、よろしければ、そちらの御仁も紹介して頂けないでしょうか?」
そんなローブの男について、アリスがやんわりと指摘する。
「おお、そうであったな申し訳ない」
アルハト王は、ローブの男と、言葉を取り交わす。
何ごとかを言おうとした王の口を手で制し、ローブの男が一歩前に歩み出る。
その瞬間、エシュリーは拳を固め、リンはポーチに手を添えた。何かを感じたのだろうか?
「わたしの名はエニアス。竜の国の九大のうちの末席におる者だ」
表情を作れないだけなのか、興味が無いのか分からないけど、エニアスさんは終始無表情である。
「竜の国? って、ドラゴンさんなの?」
「いかにも」
わたしの言葉に、丁寧に答えてくれるエニアスさん。
「ねえ、エシュリー。竜族って、人間の姿をしているの?」
「安心しろ、魔法で姿を変えているだけだ。本当の姿は、モナカの想像通り、羽の生えた巨大なトカゲだ」
何に安心するのか不明だけど、巨人族が前にしたように、魔法のおかげか。
トカゲ呼ばわりされても、エニアスさんは無表情のまま。忍耐強い人で助かる。
「アルハト王、どういうことなのでしょうか? 竜族が来られるとは聞いておりませんでしたが? それに、商業的な関りだけで、国家間での交流も無かったはず」
約束と少々違うことに、アリスが語気を強めて抗議する。
言われた当のアルハト王は、柔和な笑みを崩さない。
「事前告知しておかなかったのは申し訳ない。ただ、国交が無いのは今でも変わらずでして、エニアスさんが今日突然来られたのです。丁度、アリス姫方が来られるというので、同席して頂いた次第でして――」
「それでも、この部屋に入る前に、何らかの形で連絡が来なければおかしいです」
「そこまで考えが至らず、申し訳ない」
やんわりと収めようとするアルハト王に対し、アリスは依然強気の姿勢だ。
「君らに会いたいと言ったのは、わたしの我がままだ。ひとつ話があったのでね」
エニアスが、その二人の間に割って入った。
「エニアスと言ったか、九大ということは、うちの民に攻撃を仕掛けたのはお前か?」
そこにさらにエシュリーが割って入って行く。
「あああ、エシュリー。ここは抑えて抑えて……」
話しが更にややこしくなりそうだったので、エシュリーの前に立つ。
「いやいやー、竜さんすみませんねー。うちの若い子がやんちゃしちゃって、はははっ……」
エニアスさんはじっとこちらを睨んでいる。
うーん、誤魔化せてないのかな……
「エニアスさん、あとで竜に戻ってみて! わたし、竜とか見たこと無くて!」
リンがさらに明後日の方向の要求を、エニアスに突き付ける。
場の空気がなんというか、変な感じになった。
「う、うむ……それは良いが……」
「おお! モナカ! 一緒に見てみよう!」
「ま、まあ、竜の姿とか見たくはあるね」
「ちょっとみんな! ここでビシッと言っておかないと、国の威信に関わるわよ!」
「あう、ごめんなさい」
いつもは見ない険しい剣幕のアリスに驚き、反射的に謝ってしまう。
わたししか謝らないんで、わたしだけが悪いみたいじゃあないか、これ。
「ほら、リンも、エシュリーも、アリスに謝って」
無理やり二人の頭を押さえて謝らせる。
「ふーっ、一仕事終えた気分」
「なんも終わってないから」
まだ声が厳しいな、アリス。
「――わたしの話しをしてもいいかな?」
エニアスさんが、静かに告げる。
あっ。
「どーぞどーぞ」
両手のひらを突き出し、平伏して話しを促す。
「女神エシュリー、キミの国についてだ」
「ほぇ? わたしか?」
なんとエシュリーご指名だ。
「キミの国に宣戦布告を申し出る」
「ええっ!」
「よしっ! 受けてたとう!」
「ちょっとモナカ! 大変だよ!」
「竜との戦闘とか、ドキドキしちゃう」
エニアスさんからの爆弾発言に、それはまあバラバラな返答を返すわたしたちであった。




