第七十話 姫と神の秘書
リビングにあるソファーに寝転ぶ。
ここは極寒の北国ではなく、温暖な気候のファルプス・ゲイルである。
半そで短パンという、ラフな格好でも十分に快適だ。
「自分の家だと、落ち着くねー」
窓を開けっぱなしにしていると、暖かく心地のいい風が入り込んでくる。
その風が、わたしのきめ細かな髪を優しく揺らす。
ほおが髪で撫でられ、ちょっとこそばゆい。
「落ち着くねー」
向かいのソファーでは、リンが同じ態勢で寝ていた。
スタイルも良く、服の間からチラチラと覗く素肌に、ちょっとドキリとする。
視線を逸らすと、別のソファーに座っているエシュリーの姿が視界に入った。
エシュリーの隣では、アリスが大きな紙を手に持ち、笑顔を浮かべていた。その視線が、こちらを向いているような……
いやいや、目を合わせちゃいけない。
「と、いう訳で、これからの予定がこれだよ」
アリスが、持っていた大きな紙をテーブルに広げた。
それは、大きな予定表である。
毎日、会議とか会談とか祭典への出席等で、びっちり埋まっているそれは、個人の予定表なのだろうか?
「いい天気だよねー」
「モナカ、現実逃避しないでって」
「そーだそーだ、モナカ。後は任せたぞ」
「わたしに振るなー。エシュリーのお仕事でしょ?」
そう、新国家エシュリーンと、ファルプス・ゲイルとの国交調整のための、政治的なお仕事なのだ。
エシュリーはそこの主神。つまりは国家元首に当たる。
最終意思決定権は、エシュリーに委ねられているのだ。まあ、怖い。
「モナカは、エシュリーの秘書官でしょ?」
「なんでそうなったんだー」
わたしは政治とか面倒だからパス、と言って、アリスとエシュリーに任せたら、いつの間にかそんな役職に就かされていたわけだ。
「モナカは、わたしの一番の信者だからな。役職無しだと可哀想だろ?」
「かわいそくない」
激しく余計なお世話である。
予定表を改めてみるけど、朝から晩までみっちりで、まったく空き時間が見当たらない。
「わたしは、おうちでゆっくりしていたいんだー」
リンは、関わり合いになりたくないのか、こちらに視線を向けず、寝たふりをしている。
気楽で羨ましいな。
「ねえ、リン」
読んでみたら、ビクリと体が小さくはねた。
「アリス、リンにも役職あげちゃおうよー」
「わたしはいらないよー」
返答はあるけど、顔をこっちへ向けてこない。
リンの方へ行って、上から覆いかぶさる。
耳元で小さくささやく。
「一人だけ逃げるのは反則だぞー」
「リンの役職かー……そーねー……わたしの秘書官とかどうかしら?」
アリスの提案に、リンが心底嫌そうな顔をした。
「わたしは、職人なのにー」
「お家でゴロゴロしているだけじゃん」
そうなのだ。
ファルプス・ゲイルに帰ってきてから、アリスとエシュリーは何度もお城へ行ってるけど、リンは特に何もしていないのである。
「うーん、やる気が失せたんだよ」
「どーしたの?」
「モナカ近いってー。耳がくすぐったいよ」
リンに振り落とされた。残念。
「わたしが魔法技師をやっているのは、有翼人を倒すためだったんだよ」
初めて聞く話だ。
「そーだったの? あのフレイアって人が目標だったの?」
「そーなる」
「もう、目的達成しちゃったんだね」
「そーなる」
リンが寝たまま答える。
目標達成しちゃったから、燃え尽きちゃったのか?
いや、これはまずいかも。精神衛生的にも。
何か新しい目標を見付けてあげないといけないな。
「リンは何が好きなの?」
「戦って勝つこと。あとはお肉食べること」
「男らしいわね……」
見た目は可愛い女の子なのに。
「うーん、アリス、エシュリー。戦う目標って何かある?」
「うーん、うちの国と戦争中の所はいくつかあるけど……」
「よし、バーゼルをやっつけるのだ!」
「エシュリーはいつもそれだねー」
「何を言う! 奴らはわたしの仇なのだ!」
「自分の仇討ちって……」
器用な子である。
「というかモナカ、リンをだしにして逃げようとしても、ダメだよ」
「えー、だってー、政治とかつまんないしー。それに、リンだって心配じゃん」
「うーん、まあ、リンの新しい目標も見付けたいわよね」
「そーそー」
「モナカ、ありがとね。けど、新しい目標は、自分で考えてみるわ」
リンはけなげにもそう言ってくれた。
「そっか、がんばってね」
「それで、さっきの秘書官って話しなんだけど」
「え!? 受けてくれるの!」
リンが続けた言葉に、アリスが喜んだ。
リンとも一緒に仕事がしたかったんだろう。
「いやいや、違う。秘書をやってくれそうな人を紹介するってことだよ」
「やってくれそうな人?」
誰なんだろう?
翌日、その秘書をやってくれそうな人がうちに来た。
「ちょっと、なんですのリン? いきなり呼び出して」
ちょっと不機嫌そうなその女性は、ファルプス・ゲイルに来て初めての街で、リンのライバルを名乗って襲ってきた人物――キルシュであった。
今日は、白いラインの入った紺色のスーツを着ており、前に会った時より大人びて見える。
「おお、キルシュ久しぶりー!」
「あ、えっと……モナカさん、でしたよね。その節はどうも」
軽く一礼される。
前は出会った瞬間、ワゴン車を投げ付けられたんだっけ。
えらく大人しくなったもんだ。
「わたしも憶えておろうな!」
エシュリーが前へ出てくる。
「えーと……あー、ちょっと待って! もう少しで出てきそうで……」
「なぜ覚えておらん!?」
「ああーっ! わたしから金貨百枚とった人!」
「どんな覚え方だ!?」
間違ってはいない。
「やあ、キルシュお久しぶり。とりあえずそこらへんに腰かけてよ」
「ええ、失礼するわ。それで、このお屋敷は、どなたのものですの?」
「わたしたちの屋敷なのだ!」
リンがドヤ顔でふんぞり返る。
「ええーっ! わたしの知らない間に、何があったの?」
あの頃にリンは、金貨百枚も払えなくて、ヒーヒーしてたもんねー。
「ねえ、モナカ、この方お知り合い?」
キルシュに会ったことが無いアリスが、わたしに聞いてくる。
「えー、こちらはキルシュさん。自称最強の超能力者で、自称リンのライバルです」
「自称自称言い過ぎよ!」
今の紹介は、キルシュには不評だったようだ。
「えーと、キルシュ、こちらの方は、アリス。アリス・ファルプス・ゲイル。この国の第二王女様だよ」
リンがアリスを紹介すると、アリスはその場で軽く会釈した。
キルシュは、目を見開いて、口を閉じたり開いたりしている。
「こんにちは、キルシュさん。アリスって気軽に呼んでくれていいわよ」
「こ、こおこここちらこそ、よ、よろしく、おお願いしますわ!」
キルシュが目に見えて狼狽しだした。
そのまま凄い形相で、リンに向きなおる。
「なんで、お姫様があなたのお屋敷にいるの!?」
「いやー、成り行きで友達になっちゃってー」
頭の中で話しの整理がつかないのだろう、キルシュが固まってしまった。
話しが進まないので、かいつまんで今までの経緯を説明していく――
「つまり、わたしに秘書として働いて欲しいと?」
事情を理解したキルシュが、そう切り出す。
「そーなんだよー、いいかな?」
リンが上目遣いで、キルシュに言い寄る。
すっごくあざとい。わたしなら、一瞬でオーケーしてしまいそうだ。
けど、リンをライバル視しているキルシュに通じるかな?
「いいわよ、もちろん!」
あっさりとオーケーしてくれた。
「おお! ありがとう!」
リンがキルシュの両手を強く握りしめた。
「あなたのためにしてあげるんじゃないから! お礼はいいわよ」
キルシュがデレた。
あなたのためじゃないと言いながら、顔が赤くなっているぞ。
「アリス姫様と交流が出来る機会なんて、普通無いじゃない。こんなチャンス、逃すわけ無いでしょ?」
アリスは新しい仲間が出来て嬉しいのか、キルシュの手を掴んだ。
「キルシュさんって、言ったわよね。これから忙しくなるけど、よろしくね! 登録手続きとかは、お父様に言ってチャチャっと済ませちゃうから」
「は、はい! お願いします! アリス姫様!」
まだ、アリスに慣れていないからか、体も声も硬い。
「もーアリスでいいって、言ってるのに」
「ちなみに、わたしのことは、エシュリー様でいいぞ」
「エシュリー?」
「なんでわたしは呼び捨てなのだ!? アリスよりも位は遥かに上だろうに!」
「そこは……貫禄の違い?」
エシュリーがなんか落ち込んで、床に膝をついている。
まあ、しょうがない。
片や自国のお姫様、エシュリーは最初に会ったときは、ただの幼女だったんだから。
キルシュは凄く優秀で、こちらの負担はほとんど無くなった。
ホントはアリスの秘書なのだが、ちゃっかり、エシュリーの秘書も兼任してもらっていたりする。
「モナカー!」
アリスが屋敷にやってきた。
すっごい嬉しそうに、息を切らせながら走ってくる。
何かいいことがあったんだろうか?
「どうしたの?」
息の荒くなっているアリスの背中をなでながら聞いてみる。
呼吸が落ち着いたところで、アリスがわたしに抱き付いてきた。
「喜んで、モナカ! この国で女性同士の結婚制度が可決されたわ! 今日からこの屋敷に住むから、よろしくね!」
「なんて法案を通してるんだ!?」




