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死者は雨の下で踊る

宗教色の強い台詞が出てきていますが、紅凌はその宗教を信じているわけではない為知識が足らず、違和感を感じる方や不快に思う方がいらっしゃるかもしれません。どうか、ご容赦ください。


 世界が泣いている。沈黙を保ったままの墓石の群れの中に、少女は居た。年齢に見合わない地味な黒傘は役割を果たさず、雨が叩きつけてくる。ぬかるんだ道に残された足跡を追って来たが、未だ目的の人物に会うことは叶わず、冷気に身を震わせるのみ。持った鞄の取っ手が食い込み、左手に赤い蛇の跡がうっすらと出来上がる。



 緩やかな丘を半分程登った時、ぶつかり合う金属音が雨音を縫って響いた。それに続いて重量のある物が地に着いた震動が伝わってくる。雨で霞む視界に目を細めると、前方に動く影が何かに覆い被さっているが、墓石に遮られて影の下は見えない。背伸びをした少女の目に入った物、それは掘り起こされた棺だった。まだ若い女性が、死してそれ程時が経っていない美しい姿で中に横たわっている。黒ローブのフードを被った長身の影は、遺体の青白く血の気の引いた肌に優しく触れ、その剥き出しの首筋に顔をゆっくりと近づけていく。

 その行動に、少女は影の正体に思い至る。人間に最も近い姿を持ちながら、人間を獲物として生きる強欲且つ邪悪な存在。生まれながらに大罪を背負う忌むべき怪物—吸血鬼(ヴァンパイア)。人類史上最悪最強の敵として憎悪される存在だ。その怪物が、安らかな眠りにある死者を辱めようとしているかのように見えた。

 少女は、傘を放り出して側の地面に突き刺さった鶴嘴をその代わりに引き抜いた。そして、それが人類の義務であるかのように、泥水を跳ね上げながら影へと走りかかる。走り来る足音に反応して振り向いた影に、反射的に閉じた視界のまま鶴嘴の一撃を振り下ろす。それは、少女自身の腕力では到底制御できない程の威力と速度を伴って影へと襲い掛かった。


「えっ—?」


直撃したにしては軽過ぎる衝撃が腕へと伝わり、鶴嘴の先端は柔らかいものの中に深々と突き刺さる。恐る恐る目を開くと、右手で額を押さえて驚愕の表情で見上げてくる青年と、そのすぐ傍らに振り下ろされて地面に埋没した鶴嘴が目に入った。

 青年は、衝撃でフードが外れたのか黒い長髪と深い青の瞳が顕になっている。額から流れ出した血が雨に溶けて頬を伝い、まるで血の涙を流している様であった。押さえた右手の下から覘く青年の瞳にあるのは理性と驚愕のみで、狂気や欲望は欠片も見つからず少女は戸惑う。

 しかし、青年が立ち上がろうとする動きに反射的に鶴嘴を引き抜いた。泥が付いた鶴嘴を向けられた青年は、額を押さえたまま左手のみを上げて少女を制した。


「何か勘違いをしていないか?」

「黙れ吸血鬼!死者の安らかなる眠りを妨げるなど許されぬことだ。その女性から離れろ‼」


青年の堅いテノールに対して、少女は震える手で鶴嘴を構えて精一杯威嚇する。青年の左眉が情けなく下がったが、少女は懸命に首を振った。


「それは誤解だ。俺は死者を害するような事はしていない。」

「嘘をつくな!墓を掘り起こすなど、どうせ吸血か転化の為に—」




 「まずい—‼」


青年が慌てて棺の方を振り返った為に、少女は最後まで言い切ることはできなかった。青年の視線に釣られ少女は、青年の肩越しに見たものに驚愕する。雨のカーテンの奥に、棺の中でゆっくりと身を起こす女性の姿があった。青白い肌はそのままに、引き攣る程見開かれた瞳が虚空を見つめている。生ある者とは到底思えず、さりとて死者であるとも思えない。それは、まさしく生ける屍—吸血鬼の姿だった。

 女性が既に転化した後であった事に恐怖する少女には目もくれず、青年は女性に向かって地を蹴り飛び出した。聞いた事のないその行動が何を意味するのかは、吸血鬼の生態に詳しくない少女にはわからなかった。唯、この場にいる己以外の生命体が、己の生命を脅かす程度には危険な存在であることだけは明白だった。人間よりも圧倒的に強い存在である吸血鬼を2体も相手にして生き延びる事は、普通の人間にはできない。そんな特殊な事ができるのは、“吸血鬼狩人”(ヴァンパイアハンター)と呼ばれる吸血鬼殺しの専門家達だけである。残念な事に、少女は特別な力は何も持たず、吸血鬼に捕食されるしかない普通の学生だった。

 絶望に染まる少女の視線の先で、女性が妙に硬い動きで棺の中で立ち上がる。女性は、関節に負荷が掛かっているような動きでよろけるように地面に降り立ち—そのまま青年に襲い掛かった。青年は、掴み掛かってきた女性の両腕を上に跳ね上げる事で躱す。そして、女性が再び襲い掛かってくる前に懐へと跳び込み、顎へと掌底を叩き込んだ。後ろへと跳び退った女性は、僅かに避け損ねた衝撃で泥の中を転がり、ぎこちない関節の動きで立ち上がる。警戒しているのか、再び襲い掛かる事はなく、獣の如く歯を剥き出しにして唸りながら青年を充血した眼で睨みつけている。

 少女は、眼前で起きている戦闘に困惑していた。女性が吸血鬼に転化してしまっているのは一目瞭然である。しかし、何故青年と争うのか理解できないのだ。新生の吸血鬼が創造主を襲うという話は、母の研究においてさえも聞いたことがなかった。そもそも、争う2体の様子はまるで異なっている。女性が本能のままに動く獣の様であるのに対して、青年の対処は理性的で無駄がなかった。2体とも、すぐ傍に餌となり得る少女がいるというのに注意すら向けない。女性に至っては、少女の存在に気付いていない可能性もある。

 2体は、雨で霞む視界もぬかるんだ足場も物ともせず再び組み合った。お互いの腕が、音を発てそうな程圧迫されている。歯を鳴らして威嚇する女性の腕を、青年がへし折りにかかった。組み合った女性の腕を手前に引き寄せる事で一息に間合いを詰め、そして右腕を固める。しかし、その拘束から逃れようと女性は手負いの獣の如く暴れた。



 「伏せろ!」


短時間もみ合った後、青年が突然叫んだ。理解する間もなく反射的にしゃがんだ少女の頭上を、何かが高速で通過する。背後の墓石群の一つに突き当たって落下したもの、それは千切られた腕であった。少女は、恐怖で泥の中にへたり込んだ。腕を失ったのは女性の方であるようで、血に伏せたその体からは右腕が消え失せて不自然な空白だけが存在していた。それと対峙する青年の方は、重苦しく濡れたローブを纏って女性を見下ろしている。その濡れた顔は、何処か憐れみを浮かべているようでもあった。

 起き上がろうと地に衝いた女性の左手を、顔色一つ変えない青年の振り下ろした踵が砕く。痛覚があるのかないのか、骨が皮膚を突き破った左手を抱えて女性は低く呻き声をあげる。青年は、芋虫のように蠢くそれの背骨を脚で押さえ付けて徐々に体重をかけていく。吸血鬼の生態等殆ど知らない少女の目にも、女性が明らかに弱ってきていることが分かった。吸血鬼同士の争いどころか流血すら殆ど見た事のない少女の眼前に、その泥と血に塗れた凄惨な光景が広がっている。淡々と作業のように女性を苛み続ける青年の目にはこの世の物は何も映っていないようで、少女はその事に底冷えする恐ろしさを覚えた。それと同時に、その空虚な姿から目が離せなくなる。

 何も映さないその蒼い瞳を見つめる少女の手に、柔らかくて冷たい何かが絡みつく。反射的に下した視線の先にあったのは、少女の手を掴む泥で汚れて青褪めた細い指だった。失神する事ができたら、どれ程幸せであったろうか。しかし、普通より少しばかり気丈な人間であった少女にその幸福がもたらされる事はなかった。居るともしれない神が代わりに少女に授けた物は、僅かな行動力。即ち、その可愛らしい小さな口を裂けんばかり開き、肺に世界中の空気を吸い込み—人生最大の悲鳴を響き渡らせる事。その濁音混じりの高音は、雨の薄布を突き破り墓地を囲う森の中で踊った。それで終わりである。森を抜けたその先に救いを求めるには、少女の体は小さく森は広かった。

 つまり、少女の危機を知りえたのは青年只一人。高音による攻撃に眉を(しか)めて振り返った青年の目が捉えたもの、それは青褪めた顔の少女とその手に絡みつく潰れた腕であった。青年が普通の吸血鬼であるならば、泥の中で絶望して震える少女を気にかける意味はない。餌を弄んでから吸血したいと考えるようなある種狂っている吸血鬼であればいざ知らず、殆どの吸血鬼にとって吸血は食事に過ぎないのだから、餌の精神が正常であろうと異常であろうと関係はない筈である。寧ろ、壊れていれば落ち着いて食事をする事ができるので、余計な手間が省ける事だろう。争っている2体がどちらも吸血鬼であるならば、どちらが生き残ろうとも少女は所詮餌にしかなり得ないのである。



 しかし、その哀れな少女を見た青年は溜息を一つ零して、足蹴にしていた女性を掴みあげて少女に近づいて来た。女性は、未だ無事であった右脚を掴んで引きずられ、泥に一本の道を造りあげてる。かつては美しかったであろう顔と髪が泥に塗れた女性は、少女の傍まで引きずられて来ると地面へと投げ出された。青年は、打ち捨てられた人形より酷い状態のその女性を再び踏みつけて押さえ込む。生気がなく焦点の合わない女性の瞳が、それでも何かを探すように揺らぐ。薄布に包まれたように現実味のないその光景を、少女は呆然と見つめる事しかできなかった。

 その薄布向こうで、少女の遥か頭上から押さえ付けるように腕が伸びてきた。その黒々とした手から反射的に逃れようと上体を捩じった少女の腕を、青年はいとも容易く押さえ付ける。命を摘み取る力の強さに肩を強張らせた少女の目の前で、青年の手は少女の腕に絡みついたままであった千切れた腕を掴み—そして、引きちぎった。

 まるでぼろ布か何かのように引きちぎられた指が、赤黒い血を雨に溶かしながら泥の中に零れ落ちる。指を失った腕は僅かに痙攣するだけで青年の手に収まり、少女の腕には泥の手形以外何も残らない。人類の本能に刻まれた恐怖から解放されて呆然と見上げてくる少女の視線に気付くこともなく、青年は掴んでいた腕を後方に放り投げた。無造作にしかし綺麗な放物線を宙に描いたその腕は、開かれたままだった棺に落下し、熟れた柘榴のような音の後完全に沈黙した。少女の腕に残された手形も、やがて雨に押し流されて消えてしまった。

 少女を救った青年は、足元の女性に目を落とすと、長い腕でその衰弱しきった体を引き上げた。最早抵抗する力も残されていないのか、女性はなされるがままに吊り上げられる。その泥に塗れた姿は、瀕死の獣の様でもあった。獣は、最期のあがきの様に微かに唸る。しかし、青年はその唸りや様子を気にすることもなく、その体を棺の方へと投げ捨てた。いくら女性であっても成人している筈のその体は、派手な音と泥飛沫をあげて棺の傍を転がる。跳んだ泥が、青年の靴とローブの裾を僅かに汚した。

 別の意味で唖然とする少女を、突如黒い布が包み込んだ。


「被っていろ。」


慌てる少女の耳に、青年の静かなテノールが響く。その閉ざされた空間は、光を通さない暗闇でありながらどこか暖かい。霧雨に紛れ込むように仄かにムスクとシダーウッドが薫るそれは、雨に打たれ続けて冷えきった少女の体を通り抜ける風から優しく切り離し、異国の風と生きた体温の安心感を与える。外では、跳ね回る水音がしていた。



 降りしきる雨の中、風が獣の呻きを運んで来る。青年の水音が、少女の傍から遠ざかって行く。ぬくもりが与える安心を甘受しながら、それでも突然視界を遮った布から逃れようと少女はもがいた。再び、布の更に向こう側で魚が跳ね回るような水音が続く。幽かに差し込む光を見出したその時、獣の断末魔が湿った風を切り裂いた。その絶叫は、確かに命の灯火が吹き消される事への怨念籠った呪いの言葉であっただろう。風に攫われる事のなかったその死に際の呪詛は、少女の耳にこびりつき氷の刃で心の臓を八つ裂きにした。

 死の気配に怯えて被せられた布を振り捨てた少女の視線の先で、胸元を赤黒い大輪の薔薇で飾った女性が糸の切れた操り人形のように泥の中へと倒れ伏した。その前に立つ青年の右肘から先は色濃く染まり、命の残滓が指先から滴り落ちて水たまりを造っている。少女を包んだ暗闇は青年のローブであったようで、細身のキャソック姿で命が消えゆく様子を静かに見つめていた。その横顔は穏やかで、何かを祝福しているようにさえ見える。静謐を湛えた一枚の宗教画のような光景の中で、青年がゆっくりと跪いて大きな掌で女性の顔を優しく覆った。やがてその手が離れると、虚空を見つめたまま開かれていた瞳が閉じられて女性に眠りがもたらされる。


 「神よ、御子キリストは彼らに約束されました。”私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きている。私を信じて生きている者は、すべて永遠に死ぬことはない”と。慈しみ深い神よ、今この世からあなたの元にお呼びになったヘレナ・スタインを、お約束のとおりあなたの国に受け入れてください。すべての罪の絆から解放されて、永遠の光のうちに迎えられ、救われた人々と共に復活の栄光のうちに立ち上がることができますように。」


跪いたままの青年の口から、吸血鬼の魂の為に厳かな祈祷文が紡がれる。最後の祈りも、正しい動作もないその祈祷は、それでも神聖で侵す事を躊躇わせるものを漂わせていた。暫しの黙祷の後、青年は先ほどとは比べ物にならない丁寧さで女性の遺体を抱え上げた。そのまま数歩先にある棺へと、優しく横たえる。そして、蓋が閉じられる事なく棺は青年の手で墓穴へと戻された。

 少女の視界から消えた棺のすぐ脇で、青年は燐寸(マッチ)を懐から取り出して火を点けた。燐寸独特の音を発して点いた小さな炎が風で揺らめく。青年はその様子を見て僅かに目じりを下げると、その小さな炎を柔らかに手放した。火を点したままの木の切れ端が、女性が眠る墓穴に吸い込まれる。やがて、パチパチと小さく燃える炎の音が風に乗って少女の耳に届く。青白い炎が、吸血鬼の体を舐め上げ貪り尽す。女性—ヘレナ・スタインは、再びこの地上へと戻る為の器を未来永劫失ったのである。降りしきる雨の中で、浄化の火は青年に見守られて長い間燃え続けていた。



 少女はその間に逃げるべきであったのかもしれない。例え、その相手が吸血鬼を素手で葬り去る事ができるような存在であっても、寧ろそうであるからこそ。しかし少女の脳裏には、この墓地に足を運ぶ理由となった母の言葉とそこから導き出される確信めいたものがあった。母は時々口にしていた、王都の傍の墓地で頼りになる友人が墓守をしている、と。その友人は吸血鬼の事に詳しく、困った事があって訪ねれば助けてくれる、とも。彼こそがそうであると、そうであって欲しいと少女は願う。彼が母の云う友人ならば、自分を助けてくれるかもしれないから。

 少女は自らが振り捨てた青年のローブを拾い、炎を見つめる青年にそっと近付く。未だ燃えている遺体ができるだけ視界に入らないように、青年だけを見つめてその横に立つ。


「助けて頂いてありがとうございました。」


隣に少女が来た事に気付いているだろうに、青年は目も向けない。それを無視して、ローブを差し出しながら感謝を呟く。青年は視線を少しずらして少女を見遣ると、その腕に抱えられたローブを受け取る。そして少し考える素振りをしてから、燃える遺体を隠すようにそのローブを墓穴へと落とした。ただ泥に汚れたローブを処分しただけかもしれない、しかし少女はそこに青年の自分に対する気遣いを見た気がした。

 改めて仰ぎ見た青年の顔は、思っていたよりずっと若かった。老成した表情をしていた為判りにくかったが、青年の年齢は少女と然して違わないように見える。少なくとも、母の友人にしては若過ぎる。彼が母の友人であるという確信が揺らぐ。ならば彼は誰なのだろう、そして母の友人は何処にいるのだろうか。急に落ち着きが無くなった少女に、青年は訝しげな眼を向ける。


「何の為にこんな場所に来たかは知らないが、今日は帰った方がいい。そして、此処で見た事は忘れてしまえ。それが自分の為になる。」


早く追い返したいのか、青年は少女が歩いてきた道を指さして無表情に促す。少女が放り出した傘が、雨に打たれ風に飛ばされて道の先に転がっていた。



 青年が母の友人でないのならば、この青年と関わる意味はない。青年の言葉に従って去るべきだろう。しかし、少女はどうしても母の友人に会わなければならないのだ。少なくとも、少女はそれしか道がないと考えている。


「助けて頂いた身で申し訳ないのですが、一つお聞きしたいことがあるのです。」


できるだけ丁重に言葉を紡いだ少女に対し、青年は何を聞かれると思ったのか眉を顰めて渋い顔をする。それでも一応質問を聞いてくれる気はあるようで、顔が少女へと向いた。


 「母の友人であるはずのこの墓地の墓守の方にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?相談に乗って頂きたい話があるのです。」


青年は、少女の言葉に訝し気に首を傾げた。深い青が、何かを探すように少女の顔の上を滑る。


「この墓地の墓守には、友人と呼べるような人間はそれ程いない筈なんだが・・・。君は誰の娘だ?」

「吸血鬼戦史研究者のセシリア・ブラックフォードが私の母です。墓守の方は吸血鬼狩人と聞いていますの

で、恐らくその関係での友人だと思います。」


少女の母親の名前を聴いた青年の表情が一拍遅れて揺れる。そして、何かを思い出して懐かしむ様に目が細められた。そこそこの有名人であった母であったが、青年の反応は他の人々と違うものに見えた。


「そうか、あの娘の・・・。」


呟く青年の表情はやはり老成していて、年齢を曖昧にしてしまう。外見年齢は若々しいが、その表情は老人が昔を懐かしむ様によく似ていた。

 

 「君の母親がセシリアだというなら、君はこれが何を示すか知っているか?」


青年が懐から金属のメダルを取り出して、少女に問いかける。そのメダルは青年の掌に収まる大きさで、銀製のようだった。随分と古い物なのか表面が年月の経過を感じさせるが、彫り込まれた意匠は充分に見て取れる。蛇が絡みついた頭蓋骨と、その蛇ごと頭蓋骨を貫く十字架。蛇の鱗にはラテン語で「memento mori」と刻まれ、裏面には聖都の紋章が繊細に彫られている。


「聖都発行の吸血鬼狩人徽章・・・。」


そのメダルは、特定の条件を揃えた者に聖都が発行する吸血鬼狩人の証明であり、勲章のようなものだ。このメダルを持つ者は、つまり聖都公認の吸血鬼狩人という事になる。一般に広く知られている物ではないが、母の職業柄少女はその意匠を見た事があった。

 精巧なその意匠を認めて顔を上げた少女の目線が、はっきりと分かる微笑を浮かべた青年の目線と絡む。先程まで何処か虚空を見つめているようだった青が、確かに感情を伴って少女を認識していた。


「君が探しているのがセシリア・ブラックフォードの友人である墓守ならば、それは俺の事だ。御覧の通り吸血鬼狩人でもある。セシリアには大きな借りもあるし、君が彼女の娘ならば喜んで話を聴くさ。」


丘を降りるように促す青年の態度は、追い返そうとしていた時とは違い温度を纏っている。いつの間にか小降りになった雨はもうすぐ止むのだろう。吹き抜ける風が、厚く沈んだ灰色の天蓋のカーテンをゆっくりと引いていく。


「とりあえず、俺の家で話を聴こう。濡れた服を乾かさないと風邪をひく。そんなことになれば、俺がセシリアに怒られる。・・・ああ、彼女の体が完全に灰になるまでには時間が掛かるから、今日の仕事はもう終わった。棺を埋めるのはまた明日だ。」


青年に案内されようとする少女の目に、未だ小雨が降る中で燃え続ける遺体が映った。立ち止まった少女の視線の先に目を向けた青年は、柔らか言葉を紡ぎ安心させるように頷いて少女に先を示す。その先にはやはり、放り出された傘が転がっていた。


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