02
ヒューヒューと、空気が抜ける音が聞こえてくる。
廃墟と化した建物が月明かりに照らされて浮かび上がる。
壁に磔にされた女。金髪を乱し暴れる。手足には何も付いていないのに逃げ出すことが出来なかった。
喉に穴が空いた女は声にならない声を必死に上げる。ヒューヒューと音が鳴る。
涙に濡れ、涎も垂らし、暴れても体は動かない。
それを見ていた影は笑う。楽しそうに笑う。腹を抱えて笑う。
女は恐怖に震え必死に逃げようとする。暴れて、叫んで、声にならなくて。
影はひとしきり笑うと、楽しげに女に近づく。
女は一層激しく暴れるが、喉から溢れた血が飛び散るだけ。
影は恭しく女の手を取ると口づけした。そのまま鼻を押し付け臭いを嗅ぐ。嬉しそうに体を震わせた影は、その手を喰った。
手始めに人差し指。バキバキと骨ごと、ぐちゃぐちゃと味わうように。女は目をひん剥き、無音の悲鳴を上げる。
笑う。影は笑う。楽しそうに。
我慢できないとばかりに横っ腹に喰いついては、離れて女の声にならない悲鳴とその表情を楽しむ。
深夜の食事は女が事切れるまで続いた。
*****
「失礼しました」
東京某所、公安第0課の本部に灯夜たちはいた。
公安第0課は、喰人鬼が確認されてからしばらくして作られた警視庁公安部の中の組織である。喰人鬼が関係する事件を専門に喰人鬼が関わる全ての事柄には0課が関わっていると言われる。今現在公安内の他の課より遥かに大きな組織となっている。設立10年にして今の日本には不可欠な組織である。
また、その特殊な業務内容と設立から間もない事もあり、構成員の年齢が若いというのもその特徴である。
そんな組織のトップの部屋課長室に、彼らは昨日の喰人鬼について呼び出されたのだ。
「褒めてくれるんかと思っとったけど、そんなことなかったな」
真っ白な廊下を3人で並んで歩いていると、寛太がポツリと漏らした。
隣のほのかはジトーっと寛太を睨みつけた。
「西さんの頭って遊園地か何かなんですか?」
「どういうことやねん!」
「少なくとも西さんやわたしは褒められる要素なかったですよね」
「そんなことないやろ。俺なんてこう、真っ先に突っ込んで大活躍やったやん」
「真っ先に敵の権能にやられた、ですよね」
「でも、あれがあったから灯夜が上手いことやれたんやろ」
「……それ別に褒められる要素ないですよね」
ほのかは昨日の事を思い出して、身震いした。灯夜に助けられなければ死んでいたかもしれない。喰人鬼はそれだけ危険な存在なのだ。
緊張で体がうまく動かなかった自分を責め、あの時一瞬でも灯夜を怖いと思ってしまった事を恥じた。
「でも褒められる聞いとったのに、行ってみればグチグチ言いよってあのおっさん」
「あの人はグチグチ言うのが仕事みたいなものだから仕方ない」
「そやけど、灯夜くらいは褒められてもよかったんちゃうの。それだけの活躍はしとったやろ」
「喰人鬼は可能ならば殺すなというのが原則だからな。上からしたら実験体が手に入らなくて不満ということなんだろう」
「……でも魁さんは悪くありません。わたしたちが、足を引っ張ったから……」
ほのかは立ち止まって、顔を俯かせる。カツンと革靴が床を叩いた。
「そ、そんなん気にせんでええやろ。な、灯夜!」
「そうだな」
「……なんで西さんが言うんですか」
寛太はほのかの様子にワタワタと焦り、灯夜に詰め寄る。灯夜は嫌そうに顔をそむけながらもしっかりと返事を返した。
そんな様子を見て、ほのかは手で目をこすると、笑った。
寛太はホッとして自分の金髪頭を掻いた。
「よーっ、どうだ、ちゃんと褒められてきたか」
そんな3人に声をかける男が現れる。
ボサボサの髪に、伸び放題の髭。だらしなく着崩したスーツはしわくちゃ。猫背で片手を上げて歩いてくる。
「全然褒められんかったんですけど、どういうことなんすか!?」
「ハハハッ、そりゃ上司の優しさってやつよ。最初からグチグチ説教されるなんて聞いて課長室行きにくいだろ。気楽に行けるようにって配慮だよ」
「そうなんすか」
「そんな訳ないだろ」
「上げて落とされて余計ショック受けました」
呆れる灯夜と、睨むほのか。
男は、向木大輔。40過ぎで頼りない見た目だが、0課のF班をまとめるF001隊の隊長で0課内でもかなりの実力者だ。
「そう怒るなよ。実際初任務にしては素晴らしい成果だったじゃないか。課長は、まあ上の意向もあるしああ言うしかないんだろうよ」
「やっぱ、俺大活躍やったやんな!」
「「「お前(西さん)じゃない(です)」」」
スッと前に出た寛太に3人のツッコミが飛んだ。
「そんなことより、お前らに頼みたい事件がある」
「事件……ですか?」
「ああ、もちろん喰人鬼関係だと思われる事件だ。お前らF101隊は深海に付いてくれればいい」
「了解です」
「深海は優秀だ。彼女の指示をしっかり聞いて現場でのやり方学んでくるといい」
向木は言いたいことを言うと満足気に頷き、片手を上げて去っていった。
それを見送ると真っ白な廊下に中年のおっさんと入れ替わるように甲高い少女の声が響いた。
「あ、魁灯夜!」
そこにはウェーブのかかった長い金髪をなびかせた美少女。灯夜を指さしこちらへ向かってくる。
「さあ、深海さんの所へ行こう」
灯夜は何もなかったかのようにさっと踵を返して歩き出す。
寛太とほのかも少女の方を気にしながら灯夜を追ってくる。
「なあええんか。あれって──」
「ちょっと待って、魁灯夜!」
慌てて追ってきた少女は、灯夜の前に立ちはだかる。
腕を組んで灯夜を睨みつける。
「なんで無視するのよ!」
「無視なんてしてないって。奇遇だな朝倉」
朝倉エリカ。0課の職員育成のための教育機関であるアカデミーの主席にして、灯夜たちと同期で0課へと配属された少女である。
エリカと灯夜はアカデミー時代からの犬猿の仲である。正確には灯夜にいいようにあしらわれてそれにムキになってエリカが噛みつくという感じだが。
「あ、貴方、は……っ! いつもいつも私バカにして!」
「いや、バカにはしてないぞ、ちょっとからかってるだけで」
「そ、そそそそれが、それが……っ──んんっそんなことを言いに来たんじゃないのよ」
「お、おう……」
「自分から言い出したのに、何言っとるんや……?」
「……西さん!」
「…………ん、んんっ! んんっ!」
寛太はほのかに耳打ちするが声はしっかりエリカに届いていた。慌てるほのかと、頬を染めるエリカ。
しきりに咳払いをしたエリカは仕切り直せたとばかりに話し始めた。
「魁灯夜、その様子じゃこってり絞られたみたいね」
「ああ」
「なんでも初任務で喰人鬼を捕獲出来ず殺してしまったらしいじゃないの」
「そうだな」
「アカデミーでは貴方の実技が飛び抜けていて、私が主席なのに私は座学の朝倉なんて言われてたのよ……許せない! んんっ、でも実際にはどう、私は初任務で捕獲成功して、貴方は失敗。それになんでF隊にいるのか知らないけど程度が知れるわね」
「おい! いくらなんでも言い過ぎちゃうか。灯夜が失敗したのは俺らが足を引っ張ったからや! 主席かなんなんか知らんけどあんまり偉そうなこと言うなや!」
「そ、そうです!」
「な、何よ。別に私は……私は当然の事を言っただけよ! 貴方が悪いんだから」
気分よく灯夜を攻めていたら、突然金髪の男に反撃されて戸惑うエリカ。
寛太もほのかも突然灯夜をバカにする女に怒りが湧いていた。昨日、灯夜は自分たちの尻拭いをしてくれたような物なのだ。それなのにと。
一触即発の寛太とエリカを前に灯夜は口を開いた。
「朝倉は初任務上手くいったんだな。おめでとう」
「ん!? ん〜〜〜……私は貴方なんかに負けないから! 覚えときなさい!!」
灯夜の予想外な賞賛に何も言い返せなくなったエリカは悔しそうに拳を握ると、顔を真っ赤にして捨て台詞を吐いて走り去った。
その様子を笑みを浮かべて見送る灯夜。
「やっぱり朝倉をからかうと楽しいな」
「灯夜ってこんなキャラやったっけ?」
「……鬼畜?」
「いや、アカデミーの頃からしょっちゅう絡まれて面倒だったんだが、からかうと楽しいって事に気づいてからは楽しくてな。いつものことながら嵐のような奴だ」
「悪い顔しとる……」
「朝倉さんってあんな感じの人だったんですね、意外です」
灯夜たち3人は気を取り直して深海の元へと向かった。