01
春、ようやく夜でも寒くなくなって来た4月中旬。
日が落ちてしばらく、すっかり暗くなった時間。
ビルに囲まれた路地裏に人影があった。
ビルの隙間からは紅く大きな月が覗いて、不気味な夜を演出していた。
『──居合わせた一般人が一本角として覚醒した。恐慌状態に陥り窓から逃亡。A103、B102、D104、F101隊は足止めを行え。なお、O対策法に則り戦闘行為を許可する。初任務の成功を祈る』
『──A103隊了解』
『──B102隊了解しました』
『──D104隊了解です』
「F101隊了解」
人影はイヤホンから聞こえてくる声を聞いて、スーツの襟を上げて声を返した。
身長の割にガッシリとした体つきをしている。顔立ちはまだ幼く成人しているようには見えない。
少年──魁灯夜は目に掛かる髪をかき上げると振り返った。
「だってよ」
「マジか、ホンマにこっちに来るかもしれんやん!」
答えたのは金髪をツンツンと立てた、これまた灯夜と同じくらいの年の少年。
西寛太は似合わないスーツ姿で短い金髪をかき乱しながら騒ぐ。髪の根元からは地毛の黒が覗く。
背は灯夜より高い。
「その可能性があるから俺たちはここで待機を命じられたんだろ」
「せやけど、こう、実際に目の前にすると緊張するやろ」
「それで良くここまで来たな……でも待ち伏せは他の隊もやってるここに来る確率はそんなに高くない。まあ足引っ張らなければそれでいいから」
「ひっど、なぁほのかちゃんも緊張するやんな?」
肩をすくめて嘆息する灯夜を前に大げさに悲しむジェスチャーをした。
寛太はその場にいる最後の1人に問いかける。
「は、はぃ! ぃえ、わ、わたしはきん、緊張なんて、してまっしぇんよ!」
最後の1人は少女。
低い身長に黒髪ショートカット、童顔でスーツを着ているというよりスーツに着られている感が強い。
パンツスーツの足元はガクガクと震えていた。
「ああ、こりゃアカンわ……」
「おいおい……」
寛太は顔を覆い、灯夜は天を仰いだ。
その様子に少女──五月雨ほのかは焦る。
「あ、アカンってなんですか! わたしもい、いままで訓練受けてきたんですから!」
「声震えてるし、足ガクガクなっとるし、大丈夫には見えんな」
「に、西さんこそ、アカデミーの成績はわたしより悪かったですけど大丈夫なんですか」
「あー言いよった、それは言わん約束やろ。ほのかちゃんこそ実技の成績は俺より悪かったくせに何言うてんねん」
白熱する2人に我関せずというような灯夜は、路地の先をじっと見つめて警戒していた。
そして、2人に声を掛けた。
「おい、どんぐりの背比べはやめて警戒しろ、そろそろ来てもおかしくないぞ」
「きっついなぁ灯夜は……」
「アカデミー次席だからって、わたし西さんと一緒にされるのは納得いきません」
「おいぃぃ!!」
「おしゃべりして緊張をほぐすのは良いけど、任務を忘れるなよ」
「「…………はい」」
2人は喋るのをやめて並んだ。寛太が一番前で、次にほのか、そして一番後ろに灯夜という順番だ。
既にナイフを手にしていた灯夜に遅れて寛太とほのかもナイフを取り出す。
鬼角折という、特殊な武器だ。
「せやけど、こんな普通のナイフを握ってるだけで身体能力が上がるなんて未だに信じられへんわ」
「…………」
「…………」
「……信じられへんわぁ」
「……西、お前は本当に状況が分かってるのか」
「やけども、喋ってないとやっぱ緊張するんや」
呆れ顔の灯夜と、絶え間なく足を動かしている寛太。ほのかはナイフを強く強く握りしめてそれどころではなさそうだ。
「このナイフの鬼角折は俺たち新人に与えられるだけあって、デフォルトの身体能力向上とナイフ自体が壊れにくくなっているという特性しかないんだぞ。訓練でも何度も触っただろう」
「もっとすごい鬼角折を使えるようになったら、もっとすごい力が使えるんやろ、楽しみやな」
「そんなにすごい権能を使おうと思えばそれこそ──来たっ!」
「行くで!」
あれだけ緊張すると言っていた寛太は威勢よく叫ぶと前へ出た。ほのかもガチガチになりながら追う。
路地の先からはフラフラとしながらも走るような速度で迫る男。その額からは揺らぐように生えた角が1本。ジジジジッと微かな音が響く。見開いた目は爛々と輝き、その焦点は合っていない。
「F101隊、対象を確認! 交戦開始!」
灯夜はマイクに叫び、2人を追いながら声をかける。
「俺たちで押さえるぞ!」
先頭の寛太はすぐに男の目の前までたどり着く。ナイフを両手で握りしめ、タックルを仕掛ける。
男は焦点の合わない瞳をグルりと動かし、見えているのか見えていないのか人間らしくない動きで横に避ける。
「うおっ!」
たたらを踏んだ寛太は何かに魅入られる様にその場に立ち止まった。いや、その瞳には何かを映していた。そして呆然と呟いた。
「……なんでや、そんなはず……」
「おい! 何してる!」
灯夜の叫び声も耳に入って無いようでどこかを見つめてフラフラとしている。目は虚ろで、手は震えていた。
男はそんな寛太に目もくれず灯夜たちの方へと向かう。
「クソっ! 権能か。五月雨気を付けろ」
男が近づいてくると灯夜の視界がブレた。
──膝をついた少女。
──瞳は恐怖に怯えている。
──やめろ。
──鮮血。
──震えた手。
──やめろ。
「──ふざけんな!」
「──えっ!」
灯夜は右手に握ったナイフのグリップを腿に叩きつけ、左手を伸ばし目の前のほのかの襟を掴んで引き倒した。
灯夜の目の前を通過する男の腕。ひん剥いた男の目を睨みつける。
「遊んでんじゃねぇんだぞ……」
素早く間合いを詰めて空振ってバランスを崩した男の腕にナイフを差し込む。
ぐしゃりと嫌な感触が手を伝わる。灯夜は顔色一つ変えない。
「グァァァアアアアアア!」
男は人間のものとは思えない叫び声を上げ、後ろに飛び退る。
灯夜も迷わず追う。
化け物じみた動きの男。それに付いて行く灯夜もまた化け物じみていた。
離れきれないと判断したのか男は室外機を足場に反転し宙を舞った。そして一気に走る。
宙を舞った男を見てナイフで切りつけるものの、浅い。
とっさに逃げる背にナイフを投げつけた。ナイフは男の背中に突き立ち、男は激しく倒れこむ。
その近くには呆然としたままのほのか。
「……グ、じに、だぐない」
男が初めて人間らしい声を出した。
ほのかは呆然と、男に近づく。
「……か、確保しないと」
拘束しようと近づいたほのかに、男は手を伸ばし足首に掴みかかる。
その時、既に灯夜が男に飛び乗っていた。背中に刺さったナイフを抜き去り、ほのかの足を掴んだ方の肩へ差し込んだ。
血が噴き出る。血を浴びる灯夜の目は冷たい。
まだ動こうとした男に灯夜は一切躊躇しなかった。
再び抜いたナイフを今度は背中に深く差し込む、体重をかけて、しっかりと心臓を貫いた。ビクンと痙攣し、動かなくなった。
「……ぇ…………」
目の前の光景にほのかは呆然と声にならない声を漏らした。
何か声をかけようとした灯夜だったが、遠くから声が聞こえてきてやめる。
「無事か!?」
「はい。対象は権能を使用し、攻撃性もありました。戦闘の結果隊員の身に危険が迫りやむを得ず殺処理を行いました」
「そうか……」
駆けつけてきた上官に報告を行う灯夜。
ほのかは血が付いた手を呆然と眺め、放心状態。
寛太は頭を振りながらこちらへとのろのろ向かっていた。
状況を確認した上官は、灯夜たちを労う。
「よくやった、初任務おつかれさん。あとはこっちでやっておくから帰って報告を」
「はっ、了解です!」
灯夜は敬礼をする。
寛太も遅れて並び、手を上げた。
「うへぇ……了解っす」
「おい、五月雨!」
へたり込んだままのほのかを呼ぶ。
その声にようやく気付いたほのかは慌てて立ち上がって敬礼した。
「は、はいっ! 了解でしゅ」
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喰人鬼は化け物だ。人を生きたまま貪り喰う。特殊な力である権能を使い、その身体能力は人間離れしている。
喰人鬼は人間の敵である。彼らに人権はなく、駆除される対象である。それが元々人間だったとしても。
これは人を喰う鬼と、それを狩る公安第0課の物語である。