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 ◇


「最近の検査の結果がよくなくてね」


 彼女はさりげなく僕のじゃがりこを奪いながら、そんなことを言った。最後に残ったチーズ味。


「このままだと、私たちのデスレースは私が先に勝ちそうだね!」

「……いや、それって勝ちって言えるの?」

「そりゃそうだよ。レースは先にゴールした方が勝ち。私が先に死ぬから私の勝ち! わはは!」

「……」


 彼女の心境は測れない。彼女の笑い声は嘘のように聞こえると言えばそんな気もするし、いつも通りな気もする。


 だがそれはあまりにも僕には関係のないことだ。レースの結果なんてどうでもいい。僕が先に死のうが、彼女が先に死のうが、たいした意味はない。その差がいったいなにを生むっていんだろう? ほんの少し長く生きながらえることに、僕は羨ましさを感じない。


 ふと興味がわいて、僕はこんな質問をする。


「ジェットコースターの話なんだけどさ」

「げっ」

「まって、話を聞いて」


 そういう話じゃない。


「……こういう例え話があるんだ。乗ったら七十五パーセントの確立で死んでしまうジェットコースターに乗るか、乗ったから五十パーセントの確率で死んでしまうジェットコースターに二回乗るか。『死んじゃうちゃん』ならどっちを選ぶ?」

「うーん、確率的にはまったく同じってことだよね? 一回怖い思いをするか、二回怖い思いを体験する代わりに、少しでも生きるびる時間を伸ばすか」

「そうそう。人によっては、直感的にこっちのほうが助かりやすい、とか考えて選択する人もいるけど、本質的にはそういう質問かな」


 それに、人生の経験論的に結論を出す人も多い。例えば、五十パーセントの確立を乗り越えやすかった人生を送った(気がするような人)はもちろん五十パーセントを選ぶだろう。これは逆説的にも言えることで、五十パーセントで失敗が多く感じた人は、もういっそ、と七十五パーセントを選ぶはずだ。


「私は五十パーセントかなー」

「どうして?」

「だって、死ぬ可能性が高い! ってなってから考える考え事って、価値があるような気がしない? 走馬燈もいっぱいみれそうだし、後悔とか、幸せなこととか、そういうことを感じる能力があがると思うんだよね」


 面白い意見だ、と僕は思う。


「『死んじゃうクン』はどうなのさ」

「僕? そりゃもちろん、七十五パーセントだよ。生き残れる可能性が同じなら、恐怖を体験する時間なんて短い方がいいに決まってる」

「えー、えらく理性派だね。私、そんなに割り切れないなあ」

「僕からしてみれば、感情派に思える君こそ、怖い時間を削るために七十五パーセントを選ぶべきだという気がするけどね」


 それに、死ぬと確定してからの思考が価値を持つなんて間違いだ。そんなものにはなんの価値もない。むしろ、死ぬとわかったら後悔する時間の方が間違いなく長くなるだろう。


 その葛藤や苦悩を人間的美しさと言うのなら、本質的に僕の思考とは相容れない。


「まあでも、私ジェットコースター怖いし、一回しか乗らない方がいいかもしれない」


 彼女は適当な言葉でこの疑問を閉めた。

 彼女は雲のかかった大空を仰ぐ。


「君はさ、死ぬのって、怖くないの?」

「どうしていきなりそんなことを聞くの?」

「平気そうに見えて、羨ましいから」


 ジェットコースターの話。死ぬことに対して理性的に対応すること。最善を選ぶこと。


「逆に『死んじゃうちゃん』は死ぬことが怖いの?」

「うん、怖いよ。私は綺麗に死ねるんだろうかって、そればっかり考えてる。私はちゃんと死にたい。でも、そんなことできるのかな?」


 彼女は平気そうな顔で笑っている。それこそ今口にしている悩みが嘘のように。

 僕は彼女の真の感情を読み取ることができない。その必要もない。


 彼女は言葉を続ける。


「ねえ、『死んじゃうクン』はいつ死ぬの?」

「……」

「生きていたいって思う? なんのために生きたいの? 夢は? 希望は? なにもないならさ――」


 彼女はひどく歪な顔で微笑む。


「――一緒に死のうよ」


 呪いのような言葉。

 僕は、彼女の瞳を見つめた。相変わらず、彼女の感情はわからない。いったい何を考えているのか、推測する手がかりすらない。


「どうせ生きることに意味なんて感じてないんでしょ? 私のことなんてどうでもいいんでしょ? それは知ってる。でも、どうせならさ」

「メリットがない」

「死ぬことが怖いの?」


 彼女は安い挑発を返す。


 どうなんだろうね、と僕は曖昧な返事をする。


「私は怖いよ。でも、自殺はできる。自殺する勇気を持ってる。馬鹿馬鹿しいって君は笑う? でも、『自分で死ぬ勇気』を持ってることは、私にとって誇りなんだよ。私は弱くなんかない。私は自分で選べる。病気なんかに殺されてやらない」


 君はどうなの? と彼女は問いを投げかける。とても挑発的に。


 嫌なことに、その言葉は僕の琴線に触れた。


「僕は自分で死ねる」


 たった一人で。


「この言葉は嘘かもしれない。誰かが僕を否定するかもしれない。でも、そんな誰かの言葉なんてどうでもいい。君の言葉でもだ。僕が自分を殺すことを、僕だけは信じる。何が起ころうと、それは僕にとっての真実だ」


 やせ我慢。嘘つき。強いフリをしている愚か者。


 そんな幻聴が、いつだって聞こえる。


 僕は彼女を真っすぐに見つめる。

 馬鹿にするように、「一緒に死んであげるよ」と笑いながら言う。


「どうせ自殺するつもりだったんだ。生き証人は欲しかったんだ。だからついで(・・・)に僕が君と一緒に死んであげる」


 彼女の言葉のせいじゃない。僕は自分で選ぶ、自分で決める。

 彼女は人形みたいな笑みを見せる。


「うん、一緒に死のうよ」


 病院の屋上からは、散り損ねた桜の花びらが舞い落ちていた。


 相対的に感じられる、静寂の支配と、薄い死の香り、終わりの連想。


 春が終わる。命の芽吹きを象徴する季節が、終わりを迎える。


 彼女は僕の手を握る。外見的には、一部たりとも動揺は見られない。僕も彼女も、普通の人間みたいに自死について口にする。


 そこに僕がいるか確かめるように、彼女は僕の手を強く握る。


「――いつか一緒に死のうね」


 私はきちんと死にたいから。

 だから。


 ――逃げないでね?


 彼女は僕の手を握りしめる。


「もちろんだよ。君も頑張ってね」


 僕は皮肉げに言い放つ。


 本当なら、僕は彼女の言葉を否定するべきだったのかもしれない。死ぬのは愚かだって、自殺は命を軽視することだって、偉そうに説教を始めるべきだったのかもしれない。


 でも、僕らには生きる上で希望なんてなかった。


 いつかよくなると思えることが。

 幸せになれると信じられる希望が。


 この生は、どんどんどんどん悪くなるって、信仰のように掲げて、信じ込んで、精神的に死んでいた。


 僕らの選択は限りなく妥当なものだった。


 ずっと苦しんで視界が狭くなって、それで生きることを諦めることを、誰かは愚かと笑うだろう。でも、その誰かは逃れられない苦しみを知らない。


 いつかよくなると思えないことが、明日が来ることが苦しいことが。

 眠ることが怖いことが、朝起きる時に吐き気に襲われることが。


 まるで想像できない、そういう誰かだけが、僕らを否定するだろう。


 僕も彼女も死にたがりだ。でも、それのなにが悪い?


 ◇


 僕は、彼女のことなんて点で理解していなかったのだ。

 その気力がなかった。どうでもよかった。

 たしかに、あれは対決だった。決着は行動によって、間違いなく変えられた。

 僕は彼女のことを、もっと想像するべきだった。

 僕は彼女のことを勝手に決めつけた。

 だから、約束をした。

『いつか一緒に死のうね』って。

 ――もしもあの時、彼女の思いを想像していれば。

 彼女の思いを、苦痛を、悲しみを、やるせなさを。

 推して、図っていれば。

 共感しようと、していれば。

 ……そんなもの、すべて無駄だ。

 この考えは信仰であって、理性ではない。


 ◇


 対決のあとに着くのは『決着』だと鷹野瞬は言った。

 僕と彼女の関係は、まだ終わらない。

 対決はのあとの決着は、まだ済んでいない。


 ◇

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