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「遊園地行こうよ!」と奇怪な音声が聞こえたのは僕の気のせいではなかった。
学校から病院まで道すがら、僕と彼女はよく行動を共にするようになっていた。
僕と彼女以外、誰もいない一本道路。電柱の陰には猫が潜んでいる。おとなしいカラスがこちらを観察している。人間は……ともかく僕と彼女しかいない。
「僕に言ってるの?」
「今私の目の前にいて奇妙な表情をしている知的生命体に私は言ってます」
僕はよく考えた。彼女が僕を誘うには理由がないし、そして僕が彼女と一緒にいくメリットなんてない。
そういうことを考えるとめんどくさくなってくる。どうでもいいや、と。
「僕なんかが一緒に行けないよ」と気弱そうな声を出してみる。
「……え、なにそのわざとらしい言い方」
「あれ、違った?」
「……結構前に言った私の要望か。よく覚えてるね」
「女の子に話しかけられると緊張する体質なんだ。ごめんね」
「もうそのキャラいいって!
病気の欠陥のせいか、僕の記憶力はすこぶるいい。多少異常なぐらいには。
「べーつに、そういうの今求めてないから! 君は私の誘いに乗る! そして爽やかなスマイルでありがとう、という! わかる?」
「そんな闘牛みたいに興奮しないでよ」
「もー!」
彼女も大概ノリがいい。
……でも、そもそも、なぜこんな誘いをしてくるのかが気になるところだ。
僕は勝手に彼女のことを想像しようとする。しかし、それは途中で彼女の不満主張によって寸断された。
「確かにね、病気で死ぬ運命にある私たちは世界に対して反発したくなるときもあるよ! こんなの知るか―! って。でも私に対しては優しさを見せてくれてもいいじゃん。ほら、私たちの関係は?」
「戦友」
「その通り」
彼女はしたり顔で言う。
「だから私たちは絆ポイントを貯めないといけないんだよ。そうじゃなきゃ最後の戦いに勝てなくなる」
「その最後の戦い、確定敗北イベントって噂だよ」
「ともかく!」
彼女が声を張り上げる。僕はそれを終わらせるために口を開いた。
「いく」
「私は――。うん?」
「いくよ。言ってなかったっけ。僕、幽霊みたいな人間になりたいんだ。お化け屋敷に行きたい。本職と競り合ってみるのもこの際いいかもしれない」
「……それはちょっと言ってる意味がわからないけど」
そんなことを言う彼女は、なにやら焦った様子で腕を後ろに回していた。そして急にこちらに視線を合わせなくなり、前を向く。
彼女の艶やかな黒髪が揺らめく。
「……ジェッドコースターじゃ、だめ? お化け屋敷はちょっと……」
「いくのやめとく?」
「もうすぐ死ぬ女の子に意地悪すると地獄に落ちるって聞いたよ」
「もうすぐ死ぬ男の子は無敵判定があるらしいよ」
「……ほんとにいくの?」
「もうすぐ死ぬ僕らが幽霊に負けるわけにはいかないでしょ」
「弱みを握った途端ノリ気だね……いいよ、行ってやろうじゃないか……」
すごく行きたくなさそうだった。
ごほん、と僕は咳払い。
「別に無理しなくても……」
「なんで今頃無駄に優しさを見せるの!? いや、いいよ。女に二言はないから」
ワイルドな女の子だ。
僕は彼女の評価を上方することにした。
「あ、『もうすぐ死んじゃうクン』。遊園地、今週中には行くからね?」
「え、早くない?」
「実はチケットの消費期限が迫ってて……」
なるほど。
そんな会話をしていたら、病院に着いた。さっ、と彼女が僕の手にチケットを握らせる。
「来なかったら弁償」
するりと彼女は病院の奥へと消えていった。
……手ごわい。
◇
僕達の様子を見ていた看護婦さんが「いい思い出ができるといいね」と言った。
――あなたは精一杯楽しむ義務があるんだから。
そんなことを、看護婦さんは言った。
『義務』という言葉。強制系。
それは善意だ。死ぬものに対する同情だ。
別に気にすることじゃない。
でもこういう些細な言葉に苛立って、勝手に押し付けるなよ、なんて思ってしまう。
こんなこと、考える方が間違いだって、僕はよくわかってる。
◇
『優しい人は救われるべきなんです』
善意はなんであれ、良いものだから。
昔、本で読んだそのセリフが忘れらない。
救われる、『べき』。
表面上は暖かい言葉でも、その詩の作者は優しい人が救われない時があることを知っている。だから『べき』という言葉を使った。
きっと、その作者は救われない優しい人々の存在を嘆いていた。
◇
次の日、学校に行こうと家から出ようとした時だった。
ピンポーン、と音が鳴る。こんな朝からなんだろう? と思って玄関の扉を開けて……閉めた。
「あけろー!」
外から騒がしい声が聞こえる。
僕は扉を開く。
「なんで一回閉めたの?」
「悪霊の類かと思って」
「まだ死んでないし!」
いや、なんでここにいるんだ?
「今日は決闘という名のデートの申し込みに来ました」
「病弱なので応じるのはとても難しい」
「いや、今こそ限界を超える時だよ。やればできる、もっと熱くなれってテレビの人も……わー閉めないで~」
今日は金曜日。学校のある日だ。
僕は制服、彼女も制服。なのにデート?
昨日の遊園地の話が思い浮かぶが、今日に限ってはありえない。
とりあえず、親が来る前に僕は急いで玄関から遠ざかることにした。
「どうしたの? 急に早足になって。そんなに学校が恋しい?」
「僕の近くにいる霊から逃げようと思ったんだ」
「いや、絶対に逃がさないから」
「……」
ある程度自分の家から遠ざかった後、普通の歩く速度に戻す。
「それで、今日の用なんだけどね」
彼女が切り出す。
「『もうすぐ死んじゃうクン』って不良?」
「僕はいい子だよ」
「世界に刃向かいたくない?」
「どっちでもいいけど」
「じゃあ、学校サボって遊園地いかない?」
……まさかの話だった。
「『もうすぐ死んじゃうクン』は世の中のルールを気にしないんだよね? 寿命が残り少ない以上、そんなの気にしたって意味がないからって」
「そうだけど」
「じゃあ付き合ってよ。私、学校サボってみたかったんだー。死ぬ前にやりたいことは数多く! その一つに『学校をさぼって男の子と遊園地デートに行く』が含まれております!」
「……はあ」
やけに限定的な願いだ。絶対に今その場の思い付きで言っている。
それにそもそも、彼女の計画にはいくつも問題がある。
「僕らは今制服だよ? こんな姿で行ったら怪しまれるでしょ。通報されるのはさすがに嫌だなあ」
「ダイジョーブだよ。どうどうとしてたらバレないから。大学生が制服コスプレデートしてる感じでいけば平気だって!」
「それはそれでちょっと嫌だな……」
世の中のすべてがどうでもいいからといって、積極的に辱めを受けたいわけではない。
「どこまで私たちの姿が通用するか、チャレンジしてみよ?」
「無駄なチャレンジ精神だね」
彼女には少々無謀なところがある。死にたがり感というか、生き急ぐというか。
破滅主義的な投げやりな突発的行動。結果は失敗が多く、行動力が高くなる意外にはあまり恩恵がない生き方。
「どーしても! どーしても行きたいの! おねがい!」
全力で手を合わせてお願いしてくる彼女。
彼女は友達が多い。実は僕と彼女はクラスが同じで、そういう人間関係は嫌でも目に付く。普段学校で僕らは話さない。彼女の周りにはいつも誰かがいて、僕の周りにはいつも誰もいない。
それなのに彼女が僕をわざわざ誘うということは……さすがにここまでの無茶を聞き入れてくれる人がいない、ということなのだろう。
「君の友達を誘えばいいんじゃないの? 『もうすぐ死んじゃうちゃん』が誘えば、みんな快く来てくれそうだけど」
――空気が凍った。
彼女の顔がこわばった。表情は白く、腕が不器用に動く。
泣きそうな顔で、彼女は言う。
「……私の病気のことは、親以外知らないよ」
嘘だな、と思う。
病気のせいで友達の誰かとトラブルがあったんだろう、と勝手な推測を建てる。
「それに、もうすぐ死ぬことを理由に相手を従わせたく……ないもん。だめだよ、それは。自分を許せなくなる」
とても苦しそうに、彼女は言う。
――現実迫観念症。
心・精神的に負ったダメージは現実のものとなり体に作用する。暴言を受ければ虫刺されのようなあとが肌に浮かぶこともある。大きな失敗からくる精神的ダメージで手足が、麻痺することもある。
がくん、と彼女の膝から力が抜けるのが見えた。
彼女の体は、前へ。僕の方向へ。
仕方がないので僕はそれを受け止めた。今は学校の通学路。彼女に肩を貸して道の壁まで運び、ゆっくりと地面に下ろす。
「じゃあ、『もうすぐ死んじゃうちゃん』は誘える友達がいないんだね。君の病気のことを理解してくれるような人じゃないと、誰も学校をサボってくれないだろうから」
「……そうだよ」
「そっか」
彼女は苦しげに息を吐く。
壁に身を寄せ、座り込んでいる彼女。それを僕は見下ろしている。
座り込んで広がったスカート。自分の身を抱きしめ、彼女の制服がしわになっている。
彼女は僕の目を見る余裕すらない。僕は無言で彼女の様子を眺めている。
大丈夫? なんて言葉はかけなかった。僕の言葉が彼女を傷つけようが、殺してしまおうが、僕には関係のない話だった。
彼女は病気のことを知っても普段通り接してほしい、と言ってはいたが、ここまでのことを望んでいたんだろうか。
どうでもいいや、と僕は思う。
やがて彼女の息遣いが静かになってきたころ、僕は声をかけた。
「遊園地、いける?」
「……君はいくの?」
「戦友だからね。当然行くよ。心配しないで」
「……そっか」
彼女は無理やり笑って見せる。
文句も何もなく、極めて自然に振る舞おうと努めているように。
彼女から見た僕は、冷たい視線を終始浴びせかけるロボットみたいなやつだろう。多少の動揺もなしに、自分で決めた規則に従っている。生きているくせに生きていない、幽霊みたいなやつ。
彼女が僕に手を差し出す。起こせ、ということだろう。
それぐらいには付き合ってもいいだろう、と彼女の手を伸ばす。
起き上がった彼女はもう、普段通りに見えた。力強く、断固とした意志さえ持っているように見えた。
僕は……。
罪悪感など、感じていない。
そう言い聞かせた。
『感情』は『反射』で起こる。
だから『理性』を『使って』、『感情』を抑える。
僕はなにも感じてなんかいない。
世の中で起きるすべてのことはどうでもよくて、僕には関係ないことだ
そうやって僕は死ななければならない。
◇
平日の真昼間から行く遊園地は非常に人が少ない状況にあった。平日の真昼間から遊園地に高校生が入れるのは、僕らが何も失うものがない半死人だからだ。咎められたって気にする必要がない。こういう時、このステータスは非常に助かる。
「わーい! 乗り放題ー!」
彼女は喜んでいる。
各種アトラクション。水族館や、お土産が並ぶ建物。通路を歩けばたくさんのキャラクターがお目にかかれる。
ごおおおお、とジェットコースターの動く音。追って聞こえる数多の人々の絶叫が耳によく響く。
「ジェットコースターのりたーい!」
彼女は元気だった。
「どうぞ。ついていくから好きなのに乗るといい」
「お? 珍しく優しさ見せるね~。ひょっとしてさっきのこと気にしてる? 私の病気が悪いんだから、いつも通り振る舞ってくれていいからねー」
そういって気丈に振る舞う彼女の姿は。
……僕にとって気持ちのいいものではなかった。
やめてほしいのだ。いいひとみたいに、優しい人間みたいに、気を遣ってくる振る舞いは、僕にとって毒だ。
侵食される感覚がある。
――『お前はあくまで人間だろ?』
鷹野瞬の言葉を思い出す。
――『心を封じて、人間じゃないみたいに生きるなんて無理があるぜ。おまえ、人並みに善意が好きなやつだろう?』
……それでも、僕はこの世界から受ける感覚すべてを無視しなければならない。
幸・不幸の感情はコントロール可能なもので、所詮は反射で起きる生理現象。たんなる感情如きに左右されるわけにはいかない。人間は『理性』で『感情』を支配できる。
――『じゃあ結局、おまえは自分が人間だって認めるわけだ』
僕はゆっくり目を閉じる。
潮時なのかもしれない。彼女と過ごすことに、僕は耐えられない。
僕は生きているくせに死体のように余生を過ごしていきたいのに、それに限界を感じてしまう。
「さっ、レッツゴー!」
こっちの気を知ってか知らずか、相変わらず彼女は元気だ。
運の悪いことに、僕らが最初に目指したジェットコースターはちょうど駅に到着していた。さらに平日ということで、待ち時間がなく僕らはジェットコースターに乗ることになる。安全装置は僕らを逃がさない檻みたいで、まるで囚われているみたいだ。僕はジェットコースターの上でため息をつく。
彼女の行動は忙しすぎる。おかげで、それに付き合わされる僕まで、考え事をする暇がなくなってしまった。
「うわー、むりー、ちょーむりー」
足をばたつかせ、満面の笑みで破顔する彼女はまるで幼い子供の様だった。
ここまで来ると僕はもう、彼女になにも言い出せない。
ガタン、とジェットコースターが動く音。
「死んじゃうクン、死んじゃうクン! てっぺん! もうすぐてっぺん着いちゃう!」
何気に呼び方が短縮されている。
「そうだね、着いちゃうね」
「返事適当だね! あああー、死んじゃう、あそこで私の命終わる。うわあああ……」
異常なハイテンション。なにがここまで彼女を興奮させているのだろうか。
「ひょっとしてさ、『死んじゃうちゃん』ってジェットコースター乗ったことなかったりする?」
「……えへへ」
まじか。
ガタン、とジェットコースターが峠を越える音。
加速が、始まる。
「きゃああああああああああああ!」
「……」
風切る景色の最中、彼女の横顔を眺めていた。
……すごい表情だった。
黒い髪が荒れ狂い、暴神だか風神だかみたいな様相になっている。
「うっひゃああああああああ」
「……」
「死んじゃううううううう!」
「……」
彼女の大声はおそらく、乗客の誰にも負けていなかった。たぶん、これも彼女の貴重な個性の一つなのだろう。
そして元居た位置にジェットコースターは戻る。始発地点。旅の終わり。
僕らはジェットコースター乗り場を離れ、乗り場の近くのベンチに座る。
「わー……たのし……楽しかった……ね……」
『楽しかった』がまるで遺言みたいだ。いまの彼女の口から漏れる過去形は、そこはかとなく臨終の風情を思わせる。
そう思っていると、彼女が「うっ」と口元を抑えた。青い表情。
僕はカバンの中からビニール袋を取り出し、差し出す。
彼女は青い表情のまま、にっこりと嘯いた。
「大好きだよ」
「僕も」
そして彼女は盛大に吐いた。
「おろろろろっ!」
一応、彼女は華の女子高生である。
遊園地の係員は心配そうにこちらを見つめているが、なにもしてこなかった。僕らはジェットコースター乗り場から少し遠ざかっている。役割があるだけに、係の人はそこから離れられない。
仕方がないので、僕は彼女の背中をさすってやる。
「バカなの?」と皮肉を一つ置く。「おろろろろろっ!」と返事が返ってきた。まともな返事が来ないと、論破したような気分になれることを僕は知った。
「大丈夫なの?」
「おろろろろろっ」
「死にそうだね」
涙目の彼女は「まだその時じゃない」とうわ言を吐いた。
僕は辺りを見渡す。平日の遊園地は人が少ないけれど、それでもいないわけじゃない。何人かの往来人が僕と彼女をちらりと見る。見世物めいた彼女の存在。
どうでもいいや、と僕は思う。
しばらくすると、彼女は少しづつ元気になって、自分のゲロ袋をゴミ箱に捨てれるぐらいになった。
なんとなしに遊園地に来た時の心情を忘れて、僕は積極性を見せることにする。
「お化け屋敷いこう」
「……君、鬼畜? まあ、いこうか」
気分が悪い癖に、彼女は僕の提案に積極的だった。捨て鉢かなにかに似ているような気がするけど。
「よーし、いこう……いくぞ……うひひひっ」
暗い目でうわ言をいう彼女は、ある意味、無敵感を纏っていた。失うものがない者特有の強さ。そういうことを考えると、僕は少し気分がよくなる。
よれよれの体を引きずる彼女と、健康体の僕。正体はどっちも病人だ。そんな感じに、お化け屋敷に辿り着く。
中は暗い。何が出てくるかわからない、そういう雰囲気がある。しかし、怖いとは思わなかった。中にあるのは未知でもなんでもない、人間が造った道具だ。お化け屋敷で死人がでてくるわけでもなければ、死人がでるわけでもない。
僕らはお化け屋敷の中を進む。映像の中のお化けが、このお化け屋敷のいわくつき度を熱心に語ってくれている。ここに入った者は呪われて死ぬ。演説めいたその語り姿は、どこか滑稽にみえた。
弱り切った彼女は震えながら言う。
「怖い……無理……『死んじゃうクン』が前歩いて……」
弱気な彼女を煽ってみる。
「『死んじゃうちゃん』ってかわいいところあるよね」
「……そう?」
「ここ、照れるところじゃないよ」
仕方がないので、僕が先頭を歩く。遠慮がちに背中の服を掴まれる、感触。少し乱れた息遣い。
半死人に背後を取られている、と考えると、お化け屋敷もなかなか怖いところがあるな、と僕は変なことを思っていた。
そして僕らは進んでいく。真っすぐに長い道。突き当りの先は覗けない。
突き当りに辿り着く。曲がる。
ぷしゃー! といきなり、白い煙が上がる。突然のことに体がビクンと動く。反射反応。
別に怖かったわけじゃない。驚いただけの、人間として自然な反射反応だ。
「ぷくくく」
背後から不気味な声が聞こえる。彼女の声。なんだか少しイラつく。これではお化け屋敷というより、驚かせ屋敷だ。恐怖より反射による反応で侵入者を怖がらせたことにするなんて、趣旨がずれているのではないか?
ひとまず、彼女のことは、人が驚いている様を見て笑う悪霊の類だろう、と勝手に定義しておいて、無視することに決めた。
次に、棺が並んでいるエリアに着く。天井には約十本のロープ。
壁に貼ってある張り紙には『汝、正しき道を往くには正しき紐を引くがよい。間違えれば罰が下るだろう』と書いてある。ご丁寧に、その下には「アタリはランダムに設定されるので、二週目のお客様もお楽しみいただけます」と書いてあった。
……雰囲気が台無しじゃないか? これ。
「慎重に、慎重に選ぼうね……」
彼女がか細い声で言う。
僕は面白がって三本のローブを引いた。
「ぎゃあああああああ!」と彼女。
同時に、爆竹の音と、棺から勢いよくでてくる骸骨と、扉が開く音。
彼女は元気よく叫んでいた。彼女こそが、お化け屋敷を正しく楽しんでいる客に違いない。設計者も大満足だろう。
ついでに、僕はアトラクションより彼女の魂の叫びに驚かされていたりする。
「あはは……お化け屋敷……すき……」
ついに間違った倒錯愛を抱き始めた彼女のことをなかば面白がりながら、僕は進む。背中の服を遠慮がちに握ることが定位置となり、それが彼女がしっかりとついてきていることの証明ともなっていた。
『最後の試練』と書いてある部屋の扉に手を掛ける。中に入る。
あるのは一本道だ。そして出口の存在もうかがえる。この暗闇からは、外の景色にある光は眩しく見えた。ようやく、お化け屋敷も終わりだな、と思う。
「やったっ、ゴール、ゴールだよ……!」
神の救いを見たかのように、彼女は興奮気味にそう言った。しかし、出口までは長い。
無駄に百メートルぐらいある。何も起こらずに通り抜けられるとは思えない。
希望を目の前にしたからか、勇気を回復させた彼女はうきうきと僕の背中を両手で押してきた。どうやっても先頭に立つ気はないらしい。
ある程度進むと、あああ……とホラーめいた音声が聞こえてくる。壁のそこら中に、恐ろしい顔をした女の霊が浮かび上がる。なかなか恐ろしい。
あああ……。
ああああああ……。
あああああああああああ……。
声のボルテージが上がっていく。そこら中にスピーカーが仕掛けられているのだろう。立体感のある音声が、脳を狂わすかのような響きを持ち、恐ろしい霊気の侵食を錯覚させる。
それは、侵入者を逃がしてしまう幽霊の嘆き。最後の抵抗。いくな、いくなと呼び止める。執念の籠った呪いの音声。
今までで一番お化け屋敷してるな、なんてことを思う。ホラー映画の中に入ってしまったかのような錯覚。これはすごい、と僕は心の中で素直に製作者を賞賛した。
と、その時、背後から巻き付いてくる腕があった。別に幽霊とかではなく、彼女の腕だ。
間近に感じる、熱、鼓動、吐息。甘ったるい匂い。ここに僕がいるのかを確かめるかのように力が込められた腕には、確かな拘束力がある。
振り向いて彼女を凝視する。目の前にあるのは余裕のない表情。
「……こ、これはですね。怖くて、やばいほど、怖くて」
密着体勢。
切実にそう訴えかけてくる彼女をどうでもいいと思いながら、僕は彼女を引きずって前進を始めた。
「仮にも女の子に抱き着かれてるこの状況で、それを堪能せずに前に進む『死んじゃうクン』ってすごくかっこいいと思う」
「意味わかんないこと言ってないで、はやく外に出よう」
そうして彼女を引きずりながら、なんとか僕らはお化け屋敷を脱出した。遠慮がちに、僕の体から腕が取り外される。
彼女は恥じるように両手で顔を抑えた。
「うううう、もう絶対、お化け屋敷には行かない」




