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 ◇


 僕が鷹野瞬と出会ったのは、三か月前のことだ。

 図書館で居眠りをし終わって、遅い下校をしていた時のことだ。


 夕暮れ時。一人でこぐ自転車。世界から人間が減ってしまったかのような、錯覚。


 川原を通ったとき、なにかを抱えてうずくまる少年の姿が目をひいた。シャベルを持っていたから、目を引くのは当然といえば当然で。


 だいたい同じぐらいの歳にみえて、やけに興味をひかれた。そいつはなにかをこらえているように見えた。たぶん、泣いていた。


 野次馬精神だったのかもしれない。同じ年ぐらいの、いい歳した男が泣いている。なにごと興味を持たない僕でも、劇的なシーンには意識を引っ張られる。


 なにを考えたのか、僕は彼に声をかけた。病気で死んでしまう僕だから、なにをしたって失うものがない、ある種の破滅主義的な面が作用して、彼に声をかけてしまったのかもしれない。


「なにしてるの?」


 彼は死んでいない(、、、、、、)目で答えた。


「埋めてるんだよ、猫を」


 僕は足下にある土に塗れた残骸を見つめる。毛は土に汚され、頭は埋まり、動き出す素振りをみせない肉の塊。


「バカみたいな行為だ」と彼は言う。


 腹を立ててるみたいに、彼は呟き続ける。

 バカみたいだ、バカみたいだ、って呪うような声音で吐き続ける。


「何の意味もない。死んだ命は所詮肉の塊だ。俺がなにを思おうが、祈ろうが届きやしない。自分が満足したいがための代替行為だ」

「……」

「でも俺はこのバカみたいな自己満足を求める行動を、他ならぬ自分自身でバカにしてるのに、やり続けてるんだ。見下してるんだよ。それでも俺は猫の死体を埋めるしかない」


 バカみたいだ、と彼は呟く。


「肉の塊なんかに、価値なんてない。誰かに確認しなくてもわかる事実だ。死体に価値があるなんてのは感情論だ」


 彼の言葉には憤りが混じり、不満が混じり、やるせなさが混じっていた。


 彼は怒っていた。それはこの世のすべてに対してかもしれないし、他ならぬ自分自身に対してかもしれない。


 僕は彼が猫に土をかける姿を見ていた。スコップが土に刃を突き立てる動作は力強く、猫にかける土は優しげに見えた。たぶん、それは錯覚に過ぎないのだろう。僕が彼からなにかを感じ取って、それで見る光景が歪んだが故の、錯覚。

 彼が猫を埋めるのを待って、僕は彼に言う。


「お疲れ様」

「ああ」


 猫の死体が土に隠れてしまった今、彼の目は不思議と澄んで見えた。消化し終えて、飲み下したみたいに、まともな理性を保っているように、そう見えた。


 怒りを失って、憤りを忘れた彼はまるで死体のようで、空気の抜けた風船みたいだった。


 彼はスコップを担いで土手を上がっていく。


「元気でね」と僕は声をかける。


 彼は僕の言葉に立ち止まって、ゆっくりと振り返った。


「おまえもな」


 やっとといった様子で笑顔を向ける、彼の摩耗した様子を見て、僕は彼を嫌うことはないだろうな、とぼんやりと思った。


 ◇


 鷹野瞬という男からは、どこか普通の人間とは違う雰囲気が感じられた。猫が死んでしまってそれで考え込みすぎてしまったのか、なんなのか。病む一歩手前で踏みとどまり、世の中を見限って見くびって見下して嘲笑うような男。

 彼は親に恵まれ、服を着て、飢えることはなく、普通に学校に通う、普通の高校生だ。けれど、彼は僕との思考の歩調が合う。

 いつもいつも屋上で考え事をしていて、悩んで苦しんでいるように見える。

 素直な人間ではなくて、理不尽に対して憤っていて、皮肉屋な、そういう人種。

 万人に好かれるようやつではない。でも、


  ーー猫が死んだ。死んだんだよ。


  やるせなく、耐えきれないとでもいうように呟いていた彼の姿は。


  少なくとも僕は嫌いではない。


  ◇


 猫の件から三か月。僕らの関係は続いていた。

 気心を許せる、といっていいかはわからないが、そこそこに仲の良い友人として。


「へえ、面白いことがあったもんだな」


 放課後の屋上、給水塔の上。

 そこから鷹野瞬はそう言い放った。


「お前は病気で死ぬ女の子と知り合って、そしてお前自身も死ぬ宿命にあるわけだ。そりゃ、面白いな」


 第三者として、彼は最もな感想を投げてくれた。

 夕暮れ時、学校にある西校舎から見る景色。茜色の日が落ちて、世界が変わる瞬間。


 闇に落ちて、世界のすべてが一変する数刻時。

 僕と鷹野瞬は決まって西校舎の屋上に集まる。彼はいつも給水塔の上、僕はいつもフェンスの間から夕暮れを覗いている。


 つい最近会った清水継葉とのことを、彼に話した。面白い、と彼は言った。

 死んだ猫を惜しむ彼は、死にかけている人間に対してどう思うのだろうか?


 彼は愉快そうに笑う。


「でもさ、お前、無理があると思うぜ」


 かちり、とライターの音がする。なにも見なくても、彼がタバコを吸っていることが僕にはわかった。


「お前は世界に対してなにも感じない、興味がない。全てがどうでもいい、関係がない。そう思っている? 人間をやめるつもりなのか?」

「そうかもね。馬鹿馬鹿しいと笑ってくれていいよ」

「違えよ。俺が言いたいのはそういうことじゃない」


 鷹野瞬は煙を吐き出している。


「おまえ、そんなことができるやつか? そもそも一人称をいつから『僕』なんてものに変えた? 不思議なんだよな。おまえ、準備してただろ」

「……」

「いつでも外界からの干渉を断てるように、世の中をどうでもいいと思えるように、死んだ人間になれるように。いつからだ? いつから死ぬのがわかってたんだ?」

「そうだよ。僕がしゃべり方を変えた時からだ。『僕』と言い始めた時からだ。死ぬのがわかったんだよ。なんとなくだけど」

「自分の死期を悟るとか、猫みたいなやつだな」


 鷹野瞬は皮肉げに笑う。


「お前と喋ってると退屈しないよ。お前は飛び切りおかしなやつだ。ユニークでもないのに人を笑わせる素質を持ってる」

「バカにしてるでしょ」

「そんなわけないだろ。信じろよ、俺を」


 そういう彼の口調は、どうにも僕のことをバカにしているようにしか見えなかった。


「僕は死ぬんだよ」


 鷹野瞬が黙る。


「死ぬんだ。終わりなんだよ。抵抗は無駄だ。でも僕が『おかしなやつ』なのは、僕にとって意味があることなんだ」


 もうすぐ死ぬものが願うべきことはなんだろう?

 最大限の幸せ? ささやかな日常?

 劇的なイベント? 他人に自分を継承させること?


 どれも僕にとって、無価値で無意味なものにしか見えない。だって、僕はどうせ死ぬ。


 僕が幸せになろうが、安らぎを得ようが、わくわくしようが、誰かのためを思おうが、全部無意味だ。


「僕は世界なんてどうでもよくて、冷めてないといけないんだよ。そういう人間じゃないといけないんだ。誰に馬鹿にされようが、僕のこの考えこそが無意味だと言われようが、自分に操をたてないといけないんだ。どんな変わったことでもいい。唯一性を保って、僕は死なないといけない。そうじゃないと……苦しんで死ななきゃいけなくなるだろう?」


 すべてがどうでもよくて無意味なら、きっと『すべてをどうでもいいと思う思考』すら無意味なのだろう。

僕はそんな議論を途中で放り投げた。盤外戦術。『考えない』『どうでもいい』という結論を出して放棄した。

……だって、そういう考え方をしていないと苦しんで死ななくちゃならない。諦めてるだとか、破滅的な考えだと言われ用が、僕はそれ以上に、苦しみ抜いて死ぬことがごめんだった。


「死ぬことばかり考えてるんだな」


 鷹野瞬の言葉に熱が帯びる。僕が許せない言葉を吐いたみたいに。

 猫のことをみればわかる。彼は死を悼みすぎるような人間だ。


「じゃあお前にとって世の中はひどく無価値で、興味を惹かれるものではなくて、おまえはそれでいいのか? 死ぬからっていって死んだように生きて、そんなんでいいのか? その生き方は敗北だろ。プライドが許しちゃいけないだろ」


 そもそもそんな風に生きれる人間なんていねえだろ、と鷹野瞬は言う。


「お前の周りで誰が傷つこうが、お前に関心を持とうが、おまえはそれらすべてに対して無反応に生きていくのか? 無理だ。好意は嬉しい。悪意は嫌だ。人間である以上、感情がどうしても沸いてくるんだ。お前にそんな生き方、無理だろ」


筋が通らないしとても効率的じゃない。お前の生き方はおかしい。


「おまえ、病んでるんだよ」


 人間という生き物は理性を持っていて、感情を持っている。


『理性』は人間が『使う』ことを意識して発揮される。

『感情』は人間が『反射』して起こる自然現象。


「おまえ、変だぜ」


どこまでも鷹野瞬の言うことは正論だった。


 ……でも彼は持っていて、僕には持てない絶対の考えがある。


 僕と彼女が持てない共通のものが。

 生が、希望が。

 いつかよくなる、と思えることが。


 ――僕らは世界から断絶されている。


 持たざることが個性であり、特権である。


「――なあ瞬、でもお前に僕の気持ちはわからないだろ?」


 沈黙が続いた。


 給水塔の上からはため息ばかりが聞こえてくる。

 笑えもしない馬鹿げた空想を宣う僕に呆れているのかもしれない。

 でも、それだって僕にとってはどうだっていいことだった。そう思わなければ(、、、、、、、、)ならないのだ(、、、、、、)


 そして長い長い、沈黙が続いて。

 日は暮れていって、カラスの鳴き声が耳障りになっていく。

 はあ、と鷹野瞬のため息が聞こえる。


「じゃあ、想像してやるよ。お前の気持ち」

「それこそ無茶だと思うよ」

「いいや、できる。お前の気持ち、汲み取ってやる。首長くして待ってろ」


 不可能だ、と僕は思う。

 健康な人間一人を理解するのだって、人は苦労する。徒労に終わる。


 ーー綺麗に理解しあえてハッピーエンドで終わるのは物語の中だけだ。現実では決してありえない。


 でも僕は彼を止めようとも思わなかったから、勝手にやらせておくことにした。


「なあ、そういえばなんだけど僕、女子と写真撮ったよ。リア充っぽくない?」

「……あ?」


 鷹野瞬が給水塔から降りてくる。

 僕は清水継葉と撮った(撮られた)写真を携帯から見せた。

 彼女の顔はドアップで、後ろで僕がポツンと佇んでいる写真。


「……なにこれ、おまえ景色?」


 背景に溶け込んでいるという新手の褒め言葉なのだろう。


「ラブラブ写真だよ、たぶん」


 はあ、とこれ見よがしに彼はため息をつく。


「おまえも災難だな。自撮り大好き女子の写真災害に巻き込まれたらしい。おまえの顔、死にすぎてるだろ」

「天才薄命って言うしね。しょうがないよ」


 鷹野瞬はまじまじと僕の顔を見つめる。


「一+五は?」

「六」

「残念、イチゴだ」

「……」



 ◇

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