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 次の日の学校。

 僕は無為な時間を順調に消化することに成功した。


 誰とも喋らず、誰とも関わらず。

 それが僕の生き方だった。別に病気になったからこうなったわけではない。

 ……いや、そうとも言い切れないかもしれない。一応、一日に二度三度ぐらいは、学校で話す機会もあった気がする。友達、と言えるかはわからなくても、宿題の範囲を聞けるぐらいの相手はいた気がする。


 でも、どうでもよかった。今まで人間関係をつないでいたのは今後困ることのないようにするためだ。今となっては『今後』が行方不明だし、気にしても無駄だ。


 こうやって僕は没落していくんだろうな、と思う。

 まるで、世捨て人みたいに。まあそれはそれで面白いかもしれない。


 そうして下校。そこから清水継葉しみずつぐはに会ったのは必然というか、仕組まれたことだった。


「なんたって待ち伏せしてたからね!」


 昨日、病院の前で出会った『もうすぐ死んじゃうちゃん』は「やっほー」と声を、校門付近でかけてきて、それで自然に自分の名前を自己紹介してきた。


 なるほど、彼女の手腕は鮮やかなものだ。昨日言った通り、なんとしても僕と対話をするつもりらしい。


 どうやっても逃がしてやらない、と宣言された。凄い人間だなあ、と皮肉的に思う。


 病院に行く道すがら、僕は彼女に言う。


「君ってストーカーの素質ありそうだよね」

「失礼な! 私が得意なのは戦術的潜伏と遠距離からの調査だよ!」

「……」


 彼女は少し、変な人種なのかもしれない。まあ、こちらも人のことは言えないのだけど。


 僕らは病院からある程度近くにある喫茶店に入った。


 どこにでもあるような喫茶店。机と椅子が並び、メニュー表が立てかけられている。

 人はあまりいなかった。少し寂れている雰囲気。

 少数の社会人、大学生がカタカタとキーボードを打つ音が聞こえる。

 彼女がまず椅子に腰を掛けた。「レディーファースト!」と言いながら。


 追従する僕は静かに椅子に腰を掛ける。

 彼女はニコニコという。


「寂れた喫茶店。男女二人。言葉だけでドキドキするね?」

「まるでデートみたいだね」

「二人とも仲良くデッドするしね」

「心臓の音が止まりそうなぐらいに緊張するね」


 僕らは長年連れ添った夫婦みたいに死人ジョークを言い合う。どうでもいい茶番だ。


「第一ね、最初に私が君を誘った時、意外と断られてびっくりしたんだけど」


 愚痴みたいに、彼女からそんな言葉が飛び出す。


「断るならね、『ぼ、ぼ、僕なんかが一緒に行けないよぉ』みたいな感じで断ってほしかったな」

「注文が多いね。はい、そんな君に喫茶店のメニューをあげるよ」


 彼女は僕の言葉を無視した。


「だいたいね! 自分から男の子を誘うなんてこと、はじめてだったんだから! すごい傷ついた! 責任取ってよ!」

「いや、知らないけど。まあ、君ってモテそうだし、誘いを断られるのは予想外だったのかもね」

「いきなりそういうこといっちゃう?」


 彼女が照れた。

 あらためて見ると、彼女はそこそこオシャレに気を使っているように見えた。


 薄い、ナチョラル系の化粧。香水の甘い匂い。

 カバンにはアクセサリーだかキーホルダーがついているし、制服を着ている状態で目いいっぱい気飾りしている。


 思春期だなあ、と僕は遠い立場から達観的に思う。

 もうすぐ死ぬくせに、よくもそこまで気を配れるものだ、とも。


 まあ、人の価値観なんてそんなものなのだろう。僕と彼女は違う人間だ。


「すみませーん」と彼女が店員を呼ぶ。


 その店員に彼女は注文をしていく。


「カフェラテと、スボルガ~チーズのドーナッツ、カマンベールカルボナーラ、甘い果実のカラフルボール。あ、ふわふわ卵のスフレチーズケーキもお願いします!」

「……すごい量、注文するね」

「そう? 普通だと思うけど。それと――」


 店員さんは彼女の早口な詠唱をすらすらと紙に書き留めていく。優秀な助手の適性もありそうだな、なんてことを思う。


「ほい。じゃ、君はなに頼む?」

「僕? ……おいしい水を」

「ええー、それなんかすごいいい水で、すごいお金取られるよー。ジュースにしなって」


 ……喫茶店って、水もお金とられるものだったっけ? まあいい。

 僕は彼女の忠告に従ってオレンジジュース(580円)を頼んだ。


「コーヒー頼まないとかこっども~」と言ってくるのは無視した。


 ここは個人経営の喫茶店。変わり種の料理が多いのだとか。

 注文の品が来るまで、僕らはしばし雑談をする。


「それで、どうして私が君の病気のこと知っているのかって言うと……別にストーカーじゃないよ?」

「わかってるから。続けて」

「よしゃ。うん、それでね。私が君の病気のことを知ってるのは、君の通ってる大病院の院長が、私のお父さんだからなんだ」

「へえ。すごい身分。でもなんでわざわざ僕の診断だかなんだかの、僕のことを書いてある紙を盗み見たの?」

「そうだね……。君の病気って、今世界的に注目されてるじゃん? 『概念色欠乏症』。今の君って、結構モルモットなんだよね」

「……へえ」


 それはまあ、心中穏やかではない話だ。

 モルモット、実験動物。

 ……別に痛みを伴ったりするようなことは、されたことはないけれど。



『この色を見て欲しいんだ? 何色に見える』『なるほど、これは水色だ。私の目にもそう見える、じゃあこれは?』『いいや、こっちは色を変えたんだ。これは青色だよ。君は青を緑として見てるんだよね? でもこれを水色として見た。つまり……』『視神経としての異常ではなく、脳に問題があるのだな。青を認識しなければ、やはり君は通常どおり色を見れるらしい』



 ……心当たりは、まあまあある。


「お父さんが脳医学専行だったから、すごく興味があるみたい。『その人が見る景色はその人のものだけである。同じ色彩の景色を共有することはできない』」

「……」

「人が見ているものは同一じゃない。私たちは同じ物質を『リンゴ』と名付ける。でもそれが同じ形をして、同じ色をしている保証なんてない」

「うん」

「そういう脳の神秘を解明できたらって考えるとね。すごい楽しくなるみたい。私のお父さん、変だから」


 なんだかな、と思う。

 彼女は妙に寂しそうに自分の父について語った。そして、脳医学、概念について妙に詳しい気振りがある。

 もしかしたら、父にはあまり構ってもらえてなくて、それで父の専行について詳しくなったのかも――。


 これは推測だ。当たっていても外れていても、どうでもいい推測。


 僕はいつだって自己完結していて、その真相を質問したり、確かめることがない。

 想像して推測して、勝手に決めつけて満足している。本質的には、どうでもいいことだから。


「お父さんからいろいろ聞いたから、それでその患者が私と同じ学校に通ってて、同じ年だったから、喋ってみたかった。それだけ」

「……」

「勝手に病気のこと知っちゃって、ごめんね。あんまり知られたくないはずなのに……」


 彼女は憂鬱げにそう言った。

 話せば話すほど、彼女は勝手に泥沼に嵌っていった。


 たぶん、たぶん彼女は、病気のことを他人に知られるのは嫌がる人種だった。

 それに触れられたくない人種だった。

 けれど僕の病気に触れてしまった。

 自分がされた嫌なことを、人にしてしまった。

 それがたぶん、彼女の後悔。


 たぶん、たぶん、そういうことだ。


「別に、気にしてないよ」

「……え?」

「そんなこと、気にする必要ないと思うよ。僕だって君だって、もうすぐ死ぬんだ。そんなに他人に気を使う必要がどこにある? 誰かを踏みにじる権利なんて誰も持っていないけど、もうすぐ死ぬ僕らは、権利とか、世の中のルールとか、気にする必要、あるのかな?」


 世の中のすべて、どうでもいいものでできている。

 本当は違うのかもしれない。僕以外、誰もそんなことを思っていないのかもしれない。


 けれど僕にとって、「どうでもいい世界」が真実だった。


 どうせ死んでしまうから。

 信念なんて意味がないから。


 誰かが僕を咎めたとする。『残り少ない寿命に意味はある』って。でも、そいつに僕のなにがわかるんだ?


 自由に生き、投げやりな人生を送ることができるのは、もうすぐ死ぬ人間に残された唯一の尊厳だ。


 高尚な人間だったら、正しく、善い人間として生き抜くことを思考とするのかもしれない。

 でも残念ながら、僕はそんな高尚な人間じゃない。


「だからさ、そんなに気にするなよ。どうせ君は死ぬんだ。最後にやりたいことぐらいやってしまえばいい。きっとみんな優しいから、君の我儘は許されるはずだ」

「……じゃあ、君はどうするの? 私を……許すの……?」


 縋るような目付き。

 どうして彼女がそうも気にするのか、僕にはわからない。


「どうでもいいよ。許すとか、許さないとか。でも少なくとも、今僕は君に怒ったりはしてないよ」


 それで彼女は、少し力が抜けたような顔つきになる。

 からかうように、彼女は言う。


「もうすぐ死ぬ人間として、ルールを気にせずに私を傷つけようと思わないの?」

「そうだね。じゃあイライラしたら頑張って君にやつあたりしにいくよ。覚悟しておくといい」


 僕は無責任で、適当な発言をする。

 僕は彼女に怒りを感じる利益を感じなければ、意味も意義も感じない。


 それでいい、と僕は思う。


 僕はこういう人間でいい、こうやって死んでいけばいい。


 にへら、と彼女は笑う。


「『もうすぐ死んじゃうクン』って、変な人だよね」

「そりゃ変にもなるよ。もうすぐ死んじゃうんだから、仕方ない」

「うん。でも君、魅力あるよ」

「……どうも」


 そしてまもなく、頼んだ料理が運ばれてきた。

 量はあまり多くない。なんというか、そこはかとなく高級料理っぽさがある。

 だから彼女はあれだけの量を注文したのだろう。これぐらいならまあ……平均以上の多食能力がある高校生なら食べれそうだ。

 といっても値段は張るし、普通の高校生の頼み方ではない。

 彼女は医者の娘。きっと恵まれているのだろう。


「オレンジジュースだけで寂しくないの~?」

「いいんだ。好きなんだよ、オレンジジュース。色的にも。あと、ここのオレンジジュース他のところよりもおいしいし」

「オレンジジュースって書いてあるけどスムージーだからね。この店、ちょっと特殊で普通のものは出したがらないんだ~」

「確かに、こだわりみたいなのを感じる。値段さえ高くなければ、頻繁に立ち寄ってもいいかも」


 彼女は嬉しそうな顔をした。彼女もこの店が好きで、それが褒められたから嬉しかったのかもしれない。


「ほら、いっぱいあるから私のも食べていいよ。はい、マカロン」

「いらない」

「じゃあ、あ~んしてあげようか?」

「価値がない」

「ひどい!」


 そういいつつも、僕は彼女のマカロンをひょいとつまみあげ、頂戴した。


「奪うな!」と言われる。無視する。


 ……結構おいしい。


 僕は彼女がいろんな食べ物を平らげていくのを眺めている。もっとゆっくりと食べればいいのに、ハムスターみたいに頬を膨らませて彼女は目の前の食べ物を平らげていく。


 生き急いでるみたいだ、なんてことを思う。

 そうして全てのものを食べ終わるころには、彼女はすっかり満腹状態となっていた。


 幸せそうな表情。お腹をつつけば倒せそうだ。


「デブになりそうな食べ方だ」


 感想を呟く。


「うわ、女の敵が現れた」

「女の敵ってなにさ」

「太った? とかいうような人のこと。デリカシーなさすぎ。そんなんで友達とかいるの?」

「ひどいこというね。僕にだって大切な友達の一人や一人ぐらいいるよ」

「一人しかいないんじゃん……」

「十分さ」


 彼女はこちらをかわいそうな人を見る目付きで見た。

 きっと彼女は友達の多い人間なのだろう。価値観の相違は違う人間である以上しょっちゅう起こる。彼女がそう思うならそう思えばいいし、僕には関係のないことだ。


「じゃあさ、私が友達になってあげようか?」

「いらない」

「ええー、じゃあ戦友になろうよ」


 彼女的になにを譲歩したというのだろう……?

 断ろうとして、僕は言葉に詰まる。


 僕はこの世を「どうでもいい世界」と定義づけていた。


 ――でもそれは所詮、設定だ。


 僕は己がそうであるべきだと定めた。自分のキャラクター性。幽霊みたいな人間であるように設計した。

 なにもかもどうでもいい。ならそれなら、彼女の提案に「拒否」という意識を見せることは間違っているのではないだろうか?


 あやふやだ。僕は自分の心を持たない。「なにかをしたい」が存在していない。

 だからこんな風に、迷ってしまう。


「なにもかもどうでいい」と考える人間はどうするべきなのかって。


 拒否する意思を見せてはならないから、彼女の誘いに乗る。

 もしくは、「面倒だから」という理由で断る。

 だが僕の心は、おそらく「面倒」とは感じていないようだった。


 なぜなら、病院でじっと診察を待つよりも、ここでだべっておいた方が楽だからだ。


 僕という人間。僕というキャラ。

 こんな決定で、正しいはずだ。


「戦友ならいいよ」

「ん? いいの?」

「まあ、たぶんいい」

「へえー。相変わらずよくわかんないね。『もうすぐ死んじゃうクン』は。でもひとつわかったことがあるよ。君って押して押せばだいたい折れてくれるね!」

「……もう二度と折れないようにしとくよ」

「げ、今のノーカンでお願いします」


 元気だなあ、と思う。

 もうすぐ死ぬ人間とは思えない、としつこいぐらいに思う。

 立場は似ているはずなのに、こうも違う人種が目の前にいると、さすがの僕も思うところが多々ある。まあ、どうでもいいのだけど。


「じゃ、ライン交換しよー。ふるふるやりたーい」

「別にQRコードでよくない?」

「いいじゃんいいじゃん。やっとこうよ、ふるふる」


 ふるふるって言葉がなんか好きなんだよねー、と彼女は言う。まあ、刃向かう理由もない。

 ふるふる、と携帯を振る。彼女のアイコンがでる。


『継葉』。葉っぱが写っている、綺麗なアイコン。意外とセンスがいい。


「げー、『もうすぐ死んじゃうクン』、初期アイコンじゃん」

「いかにも死にそうなアイコンだよね」

「初期のままでラインを放置とか……なんか許せないな。こんな生き物、伝説上の生き物だと思ってた」

「思うんだけど、『もうすぐ死んじゃうちゃん』ってそこそこの頻度で失礼だよね」

「よーし! せっかく喫茶店いるんだし写真とろー!」


 メンタルの強い彼女には僕の嫌味は通用しないらしい。


「でももうご飯食べ終えたし、オレンジジュースも飲み終わったよ」

「じゃあ私とツーショットで写真撮る?」

「なんでそうなるのか理由がわからない」

「女の子一緒に写真取れたら嬉しいかなって思って」

「僕の思春期は終わったからそういう感情はないんだ。ごめんね」


 冷静に断ったが、彼女は突然後ろを振り向き、パシャリと彼女と僕が写っているであろう写真を撮った。おい。

 次に、ラインで画像が送られてくる。さっき撮った写真。


『間抜け面』とメッセージが添えられる。


「それ、君のやつのアイコンにしようよ」

「やだよ。おかしいでしょ。メインで写ってるの君じゃん。僕、そこらへんの通行人がたまたま写っちゃった人みたいじゃん」

「それもまた風流だよ」


 意味不明なことを言いながら、彼女は僕の携帯をさっと奪った。


「野蛮」と僕は呟く。人の物を盗む彼女の行動は、なにを失っても困らない『もうすぐ死んじゃうちゃん』にふさわしい行動と言えた。

 なにやら僕の携帯を操作し、その後すぐに、僕に携帯を返す。


「……」


 ……さきほどの写真が僕のアイコンになっていた。

 彼女がねっとりと囁く。


「ラインを開けば、いつでも私はそこにいるよ」


 アイコンを初期のものに戻した。


「ああ! ひどい!」

「当たり前でしょ」

「別に友達いないなら影響ないし、よくない?」

「よくない」


 中々突飛な発想力を持つ彼女は、独自の解釈と理屈を持っているらしい。

 しかしこの携帯の所有権は僕にあるので、彼女の理屈は通用しなかった。


「まあ、ともかくこれで君に一人友達が増えたわけだ!」

「『戦友』だよ」

「そうだね! 特別な仲だ」


 解釈というものはすべからく個人の見解に委ねられるので、そう考えるのも個人の自由だろう。

 僕は携帯で今の時刻を見る。五時が近い。

 そろそろいかなければ。


「そろそろ診察の時間だから出よう」

「おっけー」


 会計をすまして喫茶店を出る。僕の会計は580円だったが、彼女の会計は3000円ほどで……。なかなか、高校生の離れしている。

 病院へと向かう途中「そういえばなんだけどさ」と僕は言う。


「なあに?」

「君ってなんの病気で死ぬの? 僕と同じ?」

「ううん、違うよ。私の病気は現実迫観念症(リアルイデオロギー)っていうんだ。どういう病気かって言うとね……」


 彼女は言いかけて、口を閉ざした。

 そして困ったように笑って、僕に言う。


「あはは、ちょっと自分で調べてみて。あんまり、自分でこういうの、言いたくなんだ。弱点を曝け出して相手に気を遣わせるのって、なんか悪いから」


 弱点。日常生活に支障をきたすレベルの病なのだろうか?


 ――現実迫観念。


 少なくとも、僕は初めて聞いた病気だから、あまり有名な病気ではないのだろう。

 わかった、という意志表示のために頷く。

 彼女はためらいがちに口を開く。


「……それで、君が私の病気のこと調べても、態度を変えないで欲しいんだ。私を傷つけてもいいし、無視してもいい。私にとってはそれが一番いいから」


 死に向かう病気だ。本人も思うところがあるのだろう。

 だが彼女の心配は杞憂というものだ。僕が彼女の内容如何によって態度を変えることなどありえない。もしも、彼女が実はあと一か月で死んでしまう、ということが判明しても、僕は彼女に気を使ったりはしない。


 僕らは病院に入っていく。まもなく僕の名字が呼ばれ、診察室に招待される。


「じゃあね」と僕は言う。

「またね」と彼女は言った。


 ◇


 家に帰ったあと、インターネットで彼女の病気について調べてみた。


 現実迫観念症(リアルイデオロギー)。彼女の言った通り、この病気はとても珍しく、かかってしまえば死んでしまうことは確実。脳疾患の一種で、生まれつきで発症するもののようだ。


  しかし、赤ん坊の頃はまったくその兆候はつかめず、論理的な思考を行える年にならないとこの病気が発覚しない。この病気の特徴は、思想が現実に影響を及ぼすことだ。

  自分を責めすぎると、虫に刺されたような腫れが肌に浮かび上がったり、さらに言えばこの病気の患者は『自分の心臓を止めたい』と願えばそれが叶ってしまう。僕らのような普通の人間が全力で自分の心臓を止めようとしても不可能だろう。そんな機能は体に搭載されていない。


 つまりはこういうことだった。『患者は自分の体に悪い影響を与えることができ、心臓すら止めることができる』。よってこの病気にかかった者の自殺率は非常に高い。


 この脳疾患にかかった者は感情を表に出さなくするよう訓練されるようだ。辛くて自分の死を願ってしまわないように。そのために自分の感情をコントロールできるように。……そのわりには、彼女は感情的な人間だったけれど。


 そして興味深いことに、この脳疾患にかかった患者は自分の死ぬ時期がおおよそわかるらしい。寿命の蝋燭が溶けていくのを見ている気分だと、実際にこの脳疾患にかかった患者がインタビューしていた。


 その患者は二か月後死んだと書いてあった。


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