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1 色褪せた世界で、君の名を呼ぶ

色褪せた世界で、君の名を呼ぶ、の最初

「いつか一緒に死のうね」



 そんな約束をした。

 本当なら、そんな言葉はすぐにでも否定するべきなのかもしれない。

 でも僕だって彼女だって、生きる目的を持っていなかった。生きる時間だってなかった。


 今は高三の五月、散り損ねた桜の花びらが地に舞い落ちていく様子を見ていた。

 僕らは病人。病院の屋上から、高い位置から地上を偉そうに眺めている。


 憂鬱げな彼女の横顔を、僕は眺める。

 結局「そうだね」と僕は答えた。彼女の言葉を否定する気力がなかったし、どうだってよかった。


 生きるとか、死ぬとか。

 約束を守るとか、守らないとか。

 興味がなかった。


 うん、と彼女は答える。僕の返事になんの意味もないみたいに。

 ――死期が迫っている病人がするべきことはなんなのだろうか、と彼女を見ながら考える。やはりそれは、個人の裁量によって決められるべきなのだろう。

 刺激的な日々を送ろうが、いつもと同じ日常を送ろうが、どちらでも構わないはずだ。


「きちんと正しく死にたいね」と彼女は言う。それもまた、死期が迫る病人が取れる選択の一つなのかもしれない。


 僕は軽く頷く。きちんとした死に方なんて、僕にはわからないが、彼女には彼女なりの死に方が思い描かれてるはずだ。僕が関わる余地なんてない。


 予想ばかりを立てている。聞けばすむものを問い詰めたりしない。そういう現状に満足して、完結している、それが僕という人間。


 夕暮れ時が迫って来ていた。赤い光が彼女を照らす。長く、整えられた黒い髪。ほっそりとした手足。ぱっちりとした目と、伏せられたまつ毛。僕と同学年である彼女は、はっきりいって容姿は優れているように思えた。僕のような価値のない人間と違って、生きる価値があるように思われた。


 けれど死んでしまえば僕だって彼女だった同じ、臭い肉の塊だ。価値はほとんど等しいものになる。


 こういうことを考えると気分がいい。死に向かう病人に許された卑屈な考えは、僕にとって数少ないアイデンティティーのようなものだ。別にこういう考えを咎められても笑い飛ばせるのは、僕が失うものなんてなにもないからだ。


「もっと生きていたくはないの?」


 と僕は試すように聞く。


 彼女は笑って答えた。


「もったいないな、とは思うよ。生きられないのは。でもいいかなって思うんだよ」

「へえ」

「妥当な結末かなって、思うんだよね」

 それで会話は途切れた。


 なにをもって妥当なのか、なにをもって彼女が完結しているのか、僕にはわからない。

 想像する余地すらもない。

 でも頑張れば、少しぐらいは想像できたかもしれない。


 彼女の思いを、苦痛を、悲しみを、やるせなさを。


 推して図るべきだったのかもしれない。


 でも僕はどうでもよかったのだ。死期が近い人間としてなげやりな生き方をすることを選択したから。いつだって「どうでもいいや」と考えていたから。


 ――でも、けれど。


 もしも、僕がもっと想像力を働かせていたら。

 もしも、彼女に共感しようとしていたら。


 ……なにかがかわったかもしれない、のだろうか?


 たぶん何も変わらない。変わらなかっただろう。

 僕は彼女を死にたがりと決めつけた。


 ◇


『概念色欠乏症』


 それが僕の病気に与えられた名前だった。

 つい最近になって、いろんなことがわかるようになってきた病気。昔から存在していた病気の癖に、なぜつい最近になってわかるようになってきたのかは理由がある。


 患者は主に、色を失っていく。例えば、健常者が『赤』と定義する色があるとする。


 患者は病気の進行に伴って、『赤』が『青』に見えるようになる(緑に見えるようになったり、変化は人によって様々だ)。そして今まで『青』に見えていた色が『赤』に見えるようになる。

 だがその中身は同じものだ。信号の色が青く見えるようになったからといって、現実で青となるわけではない。そしてそれは患者にだって本来の色は自覚できる。


 色の反転は頭で考えれば理解できるし、日常生活においてそこまでの支障はない。

 そしてこの病気の面白いところが、「患者がその色を赤と認識しない限り、反転は起こらない」ということだ。つまり、オレンジには「赤」が含まれているが、それはオレンジそのままの色として認識される。


 目の病気ではない、脳の病気。


 患者の脳内で起こる出来事がゆえ、説明は難しく、検証は不可解なものとなる。


 こんな命題がある。


『あなたの見る赤色は、他の人が見る赤色と全く同じものなのだろうか?』


 今だって証明する手立ては存在していない。『赤』は人が赤と認識するから赤になるのであって、自分の視覚情報を完璧に、そのまま他者に伝達する手段など存在しない。


 概念色欠乏症の患者は世の中に違和感を覚えながら、誰にも理解されることはなかった。


 いつの間にか死んでしまうから、なにかの病気なのだろうということだけがわかっていた。


 現代の脳解析によって、脳に異変があることが察知できるから、それで今は、概念色欠乏症という病気が認知されている。


 ◇


 僕の病名が診断された次の日のことだった。

 高三の春、新学期早々ついてないな、と他人事みたいな悪態をつきながら、僕は病院を出た。

 そこで僕らは初めて出会ったのだ。


「やっほ」


 明らかに待ち構えていたとわかる登場をしたのは、同じクラスメイトの女子だった。


 ほとんど関わったことがなかったクラスメイトの挨拶は、僕を困惑させるばかりだった。


「……やっほ」

「ノリいいねー。同じ病院勤め同士、よろしくね」

「何か用?」

「用? 用はあるよね。呼び止めたんだもの」


 とびきりの秘密を抱えてるみたいに、彼女は勿体ぶる。どうでもいいや、と思って彼女の横を通り過ぎようとする。


「仲間意識、あるんだよね。君に対して」


 興味がない。


「今どんな気持ちなのかなって思うんだ。同族として」


 どうでもいい。


「まあ? そういう意味では私は君の先輩だしね!」


 一人でしゃべり続けているかわいそうな子がいるな、という認識を僕はしていた。


 ――背後から、からかうような声音が放たれる。


「ねえ、『もうすぐ死んじゃうクン』は今どんな気持ちなの?」

「……」

「聞いてみたいんだよね、同族として。今後の人生の参考として」


 彼女が僕と同族だというのなら、残りの寿命はあと一年もないということが予測できた。今後の人生の参考、は皮肉的な意味で使われているのだ、と思う。将来のない彼女の暇つぶしが、今行われていることだ。災害的な運の悪さ。


「ああ、こんなもんかって思ったよ」

「……」

「強がりかもね。死にたいわけでもないし。でもまあ、抵抗しても無駄なんだろうなってわかった。だから精一杯、いじらしく僕は死ぬことを消化しようと思うんだ。どう、面白かった?」


 暇つぶしに絡まれたことの腹立たしさが、僕の言葉を攻撃的なものにする。


「へー」


 余裕綽々の声音。沸き上がる不快感を心の中に感じた。でも、それだってどうでもいいものだ。僕は感情的になるべきじゃない。

彼女が可愛らしく、首をかしげてみせる。


「君、面白いね。怒ったからなのかもしれないけど、死ぬことに対してあまり怯えてないみたい。実際は違うかもしれないけど、『そう振る舞えてる』」

「あ、そう」

「もしかして自殺しようとしたことでもある?」


 あるわけがない。そんな理由を持つほど、落ちぶれちゃいない。


「へー、ないんだ。だとしたら咄嗟にこんなことを言えた君は相当変人だね。まるで日常的に死ぬことについて考えてた経験があるみたい」

「言葉を返すようだけど、君も相当な変人だよ。僕の目に映る君は、もうすぐ死ぬ人間をからかおうとした低俗なやつだ」

「あ……そっか。ごめんね、それはちょっと悪かったかも」


 今更になって気づいた、という様子を見せる彼女に狼狽させられる。


 僕は無神経な質問をする彼女に対して、怒りを抱いたのだ。

 ……でも、彼女に悪気はなかった?

 だからといって彼女のしたことがなくなるわけではないけれど、僕だって彼女に対して攻撃的になるべきではなかったのもしれない。


 なぜ僕がこんなことまで考えたかというと、彼女に対して想像を働かせたからだ。

 今までの会話で、彼女の死期が近いのは見て取れる。だから、彼女は焦ってしまったのかもしれない。


 贔屓目かもしれない。けれど、死期が近い同族として、少なくとも僕は彼女を責める気になってはいけないという気もする。


 彼女の焦るような様子を眺める。冷静な人間を気取っていたのにボロがでて、取り繕うとする愚かな人間を眺めている。


「君、似合わないことをしようとしたんだね」


 僕はそんな言葉を放った。勝手に相手のことを理解したフリをしたセリフ回し。

 意趣返しとして僕は言葉を続ける。


「『もうすぐ死んじゃうちゃん』は焦ってるんだね。まるで最近残りの寿命がはっきりしたみたいだ。それで、相手の気持ちを考えずに、とにかく焦って話しかけてしまった」


 よくよく見れば、彼女の息遣いはわずかに乱れているように見えた。まるで、ついさっき僕の病気のことを知って、急いで追いかけて来たみたいに。

 僕は彼女に質問をぶつける。


「――あとどれぐらいで死ぬの?」

「……一年ぐらい、かな」

「そう。じゃあ、お揃いだね」

「ふふ、お揃いって、なんじゃそりゃ」

「まるで同族みたいだ」

「なに、冗談でも言ってくれてるの?」


 彼女の表情に余裕が戻っていく。活発が色づいて、呼吸が落ち着き始める。


「ね、もう少し話さない? 私が『なんでもうすぐ死んじゃうクン』の病気のこと知ってるか、話さないとフェアじゃない気がするし、さ」


 余裕を持った彼女は、僕に一歩近づこうとした。


 けれど、


「ごめん、そういう気分じゃないんだ」


 なにもかも、どうでもいい話だった。


 もうすぐ死ぬ人間が何を思うか、とか。

 どうやってこれから生きていくのか、とか。


 どうでもいいのだ。彼女はそうは思わないだろうが、僕はそんなことに意味を見いだせなかった。


 どうせもうすぐ死ぬなら、なにを知ろうとなにを思おうと全て無駄。


 彼女との短い会話に付き合ったのは不快感を持ったからであって、それ以外に理由がない。

 僕はもはや彼女に何も感じていない。悪い人間ではないとわかると、かえって興味が薄れてしまった。


「じゃ、じゃあさ!」


 彼女が慌てて言う。


「明日! 学校終わって、その後、病院での診断まで時間あるでしょ? それなら暇だし、別にいいよね?」

「まあ、いいけども」

「やった!」


 笑顔を見せた彼女は、まるでもうすぐ死ぬ人間ではないかのようだった。


「じゃあね! また明日会おうね、『もうすぐ死んじゃうクン』」


 病院にUターンしていく彼女。

 僕らはお互いの名前すら知らずに別れた。


『もうすぐ死んじゃうクン』『もうすぐ死んじゃうちゃん』


 そんな皮肉な名前を呼びあって。


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