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 ◇


「レイはもう戦えない! アイザード! おまえが魔法を放て!」

「任せろ!」

「もう振り切れないわ。何匹出てくるの……もう、限界よ」

「まだ、まだ負けていません」

「レイ、これ以上の無茶は……」

「俺に続け! 戦況を切り開く。ここを突破すればもうすぐ目的地だ!」

「終わるわけには、行かないんですよ。勝たないと。僕は勝たないと、意味がないんです。死んでも勝たないと……」

「なあ、アシャス」

「……」

「この状況をどう思う?」

「おしまいだな」

「どんどんどんどん悪くなる。そう思ってたけど、最後がこれか。なあ、もう俺は疲れたよ」

「じゃあ、ここで死ぬか?」

「ああ、死ぬ。でも、潔くはないかもしれない」


 ◇

 


 影の者達に追われ、追われつつ、俺たちは最果ての地を進んだ。


 ここまでこれたのは、おそらく奇跡だった。

 もうだめだと思った瞬間、レイが目を覚まして戦況を変えた。次の瞬間、彼はまた気を失った。


 アシャスは切り傷に殴打のあとがあちこちに残っている。それでも倒れないのは、人間ではないからとしか思えなかった。限界を超えている、というのがよく似合う、そういう容貌。


 エレナはとっくの昔に魔力が尽きていた。序盤は彼女の風の魔法が何度役に立ったことか。けれど、彼女はレイを守ることに熱心で、あまり戦いには参加しなかった。


 たぶん、一番ひどい状況なのは俺だ。剣技の使用で体はガタガタ。立ち上がるも足はふらつく。破滅の剣のおかげか、幸いにも魔力にはまだ余裕があった。数発殴られたり蹴られたりはしているが、体の一部を欠損するほどの怪我は負っていない。


 でも、もう限界だった。


 手から零れ落ちそうになる剣を必死に掴む。


 ――剣士は死んでも剣から手を離してはならない。


 それは、剣士としての誇り。父さんとナギル兄さんが残した教え。


 剣だけが俺に残された墓標だった。縋るものはなにもない。何もできずに、なにも成せずに死んでいく。もうそうなること確定的だった。


 俺とアシャスは不敵に笑う。

 賢者の塔がはるか遠くに建っていた。目視できる距離、歩いていける距離。


 だが、それを阻むように展開している奴らがいた。


 影の者達、影の者達、影の者達。軍勢。千は届くかという、影の者達の群れ。

 さらには、その先頭には混沌の罪禍が立っている。


 俺たちは何度も影の者達の襲撃に合った。しかし、混沌の罪禍には遭遇しなかった。

 運が良かったと思っていたが……それは違ったのだ。


 ボスとして、影の者達の王は、ここで待ち構えていたのだ。

 闇雲に俺たちを追えば、砂嵐で見失う可能性は高い。だから確実に対峙するために、奴はここで待ち構えたのだろう。


 確実な一手だ。素晴らしい、と褒めてやりたくなる。

 影の者達の王、死の支配者、混沌の罪禍。


 そして、英雄騎士ソルと同じ姿をしている。最強の存在。かつてはその鎧は白かったんだろうか? 混沌の罪禍である黒騎士が俺たちに真っすぐ剣を向ける。纏うオーラは悪そのものだが、不思議と気高さを感じた。そんなことを感じてしまって、俺は少し悔しくなる。


「ちくしょう」


 なにもかもに腹が立った。

 憧れである英雄騎士ソルが悪に堕ちていたことも。死者を弄ぶような真似をしていることも。


 自分が弱すぎることも。結局、なにもできずに死んでいくのだろうとわかっていることも。


 全部全部、俺は納得していない。でもそれが現実だった。おそらく、避けがたい運命というやつだった。俺たちの旅は、ここでおしまいだ。


 レイがゆっくりと目を覚ます。ぼんやりと俺たちの顔を順番に見つめ、最後に影の者達の群れと、混沌の罪禍を見た。レイは笑う。


「最後に頑張りましょうか。なに、まだ奥の手はありますよ。健気に頑張って、僕たちは抵抗します」


 エレナはレイを止めなかった。「レイ……」とか細く呟かれた音が、砂嵐の渦に消えていく。


 彼は魔丸を取り出す。手のひらに乗っている数は五つ。

 バカだな、と俺は笑ってしまう。


「絶対死ぬだろ、それ」

「いえいえ、僕は悪運が強いのでね。案外生き延びるかもしれませんよ。なんたって蒼の継承者ですし」


 冗談めかしてそんなことを言っているが、おそらくレイは本心から生き延びられるとは思っていないだろう。


 もう無理なのだ。限界を超えて、奇跡を起こしたとして、それでいったい影の者達を何匹倒せるというのだろう。百匹ぐらい倒せたらいいな、と俺は皮肉的に思う。


 にやり、とレイは厭味ったらしく笑って見せる。目の前の影の者たちすべてを、見下しているみたいに。


「さて、始めますか」


 レイが五つの魔丸を飲み込んだ。瞬間、心臓発作に襲われたかのように胸を掴む。

 その腕がぷるぷると震えている。体のそこら中に血管が浮かび、彼はきつく目を閉じる。

 そしてもう一度目を開いたとき、その体は強力な蒼のオーラで覆われていた。


 おぞましいぐらいに、蒼の魔眼がぎらぎらと輝いている。漏れ出す蒼のオーラはまるで出血のようで、一刻一刻が彼の命を削っているように見えた。


「一掃します。――フレイムノヴァ」


 レイの両手から、巨星の炎が浮き上がる。それはどんどん肥大化し、ついには軍隊一つを飲み込めそうなほど巨大な炎の塊となった。


 レイの魂を削った一撃。それが影の者達の群れに落とされる。

 遠目から、霧になっていく黒いものがよく見えた。しかし、着弾したところはほぼ全滅したものの、爆風に飲まれた影の者達のほとんどは生き残っている。


 なにかの魔法で防御したのか、なんなのか。


「やったな、百匹討伐達成だ」

「あと九百匹ぐらいですかね。順調な滑り出しです」


 混沌の罪禍はそのままに、影の者達の群れがこちらに向かってくる。


 黒い濁流。見るだけで嫌になる。


 俺は魔法を連射し、その数を減らしていく。炎の中に水滴を垂らすようなものだ。勢いはまったく衰えない。


 レイが大規模な魔法を発動する。それはまるで、風神の舞。

 広範囲に広がる緑の空気が、影の者達を包み込む。その中にいる影の者達は、見えない刃で切り裂かれたようにズタズタになった。残り、約八百匹。


 しかし、もうこれ以上大規模な魔法は放てないだろう。

 距離を詰められてしまった。ここからは混戦だ。


「うおおおお!」


 アシャスが雄叫びを上げながら突っ込んでいく。

 強い、強い。黒の群れの中にありながら、彼は巧みな身のこなしで影の者達を狩っていく。蹴りつけ、掴んで盾にして、常に一か所に留まらない。


「さて、俺の番かな」


 破滅の剣を、自らの手に現出させる。


 ◇


「アイザード、君はどういう風に死にたい?」


 ナギル兄さんが問いかけたのは、鬱めいた話題だった。

 それはナギル兄さんが少し暗くなった頃。俺が十二歳だった頃。その時の話。


「死にたくないなあ。でもしいて言うなら、納得して死にたいかも。自分に納得して、運命に納得して、ある程度満足して死にたい、かなあ」

「それはアイザードがよく言う、英雄みたいに?」

「うーん、どうなんだろう。でもそんな感じなのかもしれない。誇り高く、俺は死にたいなあ」


 俺は結局男の子で、かっこよさとかを多少は気にしてしまう。誰かを守って死んだとか、剣を握ったまま死ぬとか、自分の尊厳をかけて、誇りをもって、俺は終わってしまいたい。


 ナギル兄さんはふんわりと笑う。どこか、その表情に影があるけれど。


「追い詰められた時、絶対に勝てない戦いの最中にあるとき、そういう時に、人は試されるのかもしれないね」

「まあ、実際俺が死にかけたら、死にたくない―! って泣き叫ぶのがオチだと思う。結構本気で死にたくないんだよね。死ぬのが怖くて怖くて、仕方がないんだ」

「そんなもんだよ。人間はみんなそうだ。死に真っ向から立ち向かえるやつなんていない」


 でも、とナギル兄さんは言う。


「自分を誤魔化すことはできる。自分を騙して、こうやって死ぬことが誇りなんだって、思い込んで死ぬことはできる」


「……ナギル兄さん、そういうの嫌いじゃなかった? 絶対に生き延びる道を探す、みたいなこと、前に言ってた気がするんだけど」

「うん。昔は、ね。でも考えを改めたんだ。綺麗事だけで世の中は回っていない。どうしようもないときもある」


 アイザード、とナギル兄さんは俺の名を呼ぶ。


「剣士は剣を握って死ぬんだ。剣は剣士の誇り。それを握って死ぬことは、最大の誉れなんだ。自分がそう思っていなくてもいい。でも、『誰か』はそういう姿をかっこいいと思ってくれるはずだ」

「……兄さん?」

「死ぬことが確定しても、誇り高く死ななきゃならないんだ。君は悪くない。世の中が理不尽すぎるんだ」

「兄さん――何で泣いてるの?」

「……え?」


 驚いたように、ごしごしとナギル兄さんは目を擦る。誤魔化すように、彼は笑う。


「なんでだろう。感極まったのかな」

「大丈夫?」

「僕、病んでるのかもしれないね。あはは」


 空元気にしか見えなかった。


「兄さん、兄さんには、俺がいるから、だから」


 頼ってほしかった。尊敬する兄の助けになりたかった。だから俺は、ナギル兄さんの手を握った。びくり、と兄さんの体がこわばる。そして恐る恐る、といったように、俺の握った手をほどいた。拒絶されたみたいで、俺は少し悲しかった。


「誰かが悪いわけじゃないんだ」とナギル兄さんは虚ろに言う。

「誰かのせいで誰かが死ぬわけじゃない。運命的で、ただの必然が世界で起こっただけだ。いい人間が幸せに生きられるわけじゃない。なにかが悪いというのなら、それはきっと――世界を創造した神ってやつが悪いんだ」


 ナギル兄さんがどんな姿を見せようが、俺にとっては大切な存在であることは変わらない。


 彼は俺にとっての英雄。ソルの次に憧れる、身近な相手。


 兄さん、と呼び掛ける。返事は返ってこなかった。


 ◇


 ――だから剣を握って死ななきゃならないんだ。


 絶望の戦い。

 勝てないなんて、わかってた。

 アシャスは獅子奮迅の活躍をした。いったい何体の影の者達を屠ったのだろうか?

 しかし、その燃えるような赤い髪は土に汚れ、彼は動かなくなっていた。影の者達に囲まれていて、ここからでは死んでいるのか生きているのかよくわからない。


 レイも似たようなものだった。

 ローブは血に染まり、ギラギラしていた蒼の双眸には力がない。もう彼は立てていない。膝をついて、地面にうずくまっている。


 その背後で、エレナがレイを支えている。


 姉弟に、影の者達が迫っていく。

 そして俺もまた、影の者達に囲まれていた。一定の距離を保たれ、近づいてこない。


 もう、限界だ。力は振り絞りつくした。もう立つこともできやしない。

 剣だけは離さなかった。杖として地に突き立て、揺らぐ視界の中で前を見つめる。


 誇りをもって死んでいきたかった。ナギル兄さんが言っていたように、自分を騙して、俺は立派に死んでいきたかった。


 たぶん、それは救いなのだと思う。

 俺はみっともなく泣きわめかず、ボロボロになりながらも剣を握っている。

死ぬのは怖い。耐えきれない。それが俺という人間だ。でも最期に情けない姿を見せていないのはきっと、ナギル兄さんはの教えのおかげ。最後の最後に、自分に失望せずにすんだ。

俺はなにかに憧れ続けていた。すごい自分を目指した。


 欠片だけでも、俺はそういうものになれたのかもしれない。満足、だった。


 影の者達が一斉に蠢く。彼ら海を切るよう道を開け、そこを一人進んでくる者がいる。


 ――混沌の罪禍。


 ボスが最後は手を下そうというのだろうか? 影の者達が囲む輪の中に、そいつは入ってきた。そして黒い剣を地に突き立て、俺を見つめている。


 ……待ってくれているつもりなんだろうか? 最後は剣士として死ねと、機会を与えてくれているつもりなんだろうか?


 俺は腹立ちまぎれに笑う。何様のつもりだ、と思う。

 もう勝敗は決していた。あるのは絶望だけだった。打開する手段を考えなかったわけじゃない。でも少なくとも、俺の脳みそではそんなことは思いつかなかったし、よほど頭がいいやつだって無理だっただろう。


 ――ゲームには勝つ手段があります。


 レイが間違っていたのだ。負けは最初から決まっていた。多少俺たちが鍛えたからと言って、どうせこの軍団に勝てなかった。賢者の塔に辿り着くのは、不可能だった。


 ……でも、嫌だな。


 このまま死ぬのも、諦めてしまうのも。でもそんなことを思ったって、どうにかなるわけじゃない。だから、せめて立派に死んでやろうと思ったのだ。それしか道は残されていないから。


 ――でも、もしも。


 勝つ手段があるのなら、と俺はどうしても考えてしまう。


 ゲームにはピースがある。俺が見落としていた手札が、人生の中であるはず。それはいったいなんだ?


 どうしても心残りがあった。それは、ナギル兄さんのこと。ナギル兄さんは俺の人生においてかけがえのない存在だった。ならば、ナギル兄さんというカードが、ゲームのピースであるはずで、もしも逆転できるなら、彼の存在が必要不可欠のはずで。


 ナギル兄さんは俺にとっての英雄。きっとこの絶望的な状況もどうにかしてみせる。俺の憧れの存在だ、ナギル兄さんなんだ。


 俺は密かに、こんな状況でナギル兄さんが助けてくれることを願っていた。

 俺の憧れが俺を助けてくれる。物語において、それは胸がしびれるほど刺激的だ。


 このゲームが必然で動いているなら、きっと、きっと――。


 ――なんて、な。


 愚かしい希望論だった。そんなことを信じるほど、子供じゃない。世の中が都合よく回らないことを知らないほど、幼くない。


 言い訳したかったのか、逃避したかったのか。


 ――でも、それももうやめだ。


 俺は剣を地について立ち上がる。

 眼前の敵を見つめる。ただ一人で待ち構える、影の者達の王。


 ラスボスにやられて散る、それでいい。


「――ナギル兄さん」


 ――俺はしっかりと、死ぬからさ。


 決心はついた。ここは最高の舞台だった。死ぬことを覚悟することができた。


「兄さん、兄さん――」


 あなたが俺の支えだから。だから最後に、俺に勇気をください。


「戦って、死んでやる」


 俺の手は震えていたのか、それとも勇気を携え、しっかりと剣を握れていたのか。

 わからない、けれど――。

 人生の最大の集中力を発揮した。


 何度も限界を飛び越えたその先に到達し、全身に魔力をみなぎらせた。


「あああああああああああ!」


 俺は混沌の罪禍に接近し、人生最大の剣を振るう。

 英雄騎士ソルの形をした混沌の罪禍は、たじろぐように後ずさった。


 俺の剣はわずかに兜を掠め、その兜を割ることに成功する。

 だがそこまでだった。ここまで大きく振りかぶった剣は引き戻せない。


 返しの一撃で、俺は殺されるだろう。

 兜が割れ、その顔が露になる。

 緑の目、緑の髪。俺がよく知っている、俺が憧れていた人。


「――ナギル兄さん?」



 ◇



 黒の英雄騎士ソル――そんな形をした、俺の憧れを汚しきったような姿をしているやつが、よろよろと後ずさっていく。


 黒の手甲で顔を隠し、その指の間から緑の目が覗く。


「…………兄さん?」


 砂嵐の吹雪く風が、俺の声を攫っていく。

 不気味なほど静かだった。影の者達は人形のように動かない。目の前の黒騎士も、黙りこくってなにも言わない。


 でも、俺は確信していた。目の前の人物が一体なんなのか。

 他人の空似なのか、操られているのか、取り込まれてしまったのか。


 俺には、よくわかっていた。


「兄さん、兄さんだよね?」


「……」

「どうしてなにも言ってくれないの?」

「…………」

「聞いてくれよ。父さんが、シーナが、死んだんだ。俺だけ無様に生き残ってしまったんだ」

「………………」

「なんとかいえよ!」


 目の前の混沌の罪禍は操られているわけではなかった。他人の空似というわけでもなかった。

 その瞳にある痛みを堪えた姿は、到底再現できるわけでもない。操られているのなら、今すぐに切りかかってくるのが道理だ。


 なぜ彼は動けないのか。

 なんで彼が苦しんでいるのか。それはきっと――。


「俺を殺したくないのか?」

「……」

「なあ、なんで父さんとシーナは死んだんだ?」


 運命めいていた。偶然にもほどがあった。

 彼が俺の敵だというのなら、シーナと父さんの敵でもあることは推測できて当然。

 俺たちが住んでいたのは辺境の地。行われたのは奇襲。


 父さんとシーナを殺した奴は、目的をもって俺たちの住処にやってきた。白の継承者を探しているといっていた。


 ――そんな情報、いったいどこから洩れた?


「まさか、兄さんが関わってるなんて言わないよね?」

「……」

「シーナは、痛い痛いって言いながら死んだんだ。自分のせいで父さんが死んだって、泣いてた。父さんは死んだのに何度も何度も刺されてた。よほど、敵は警戒してたのかな? でも、明らかに過剰だったよ。死体を傷つけてるその姿に、俺は……俺は狂いそうなぐらい腹が立ったよ!」

「……アイザード」


 頭がおかしくなりそうだった。


 涙が溢れてくる。今まで過ごしてきた日々はなんだったんだよ。俺が尊敬していたナギル兄さんは、いったいなんだったんだよ。


 あんなに優しく笑ってくれたじゃないか。シーナに抱き着かれて、嬉しそうにしてたじゃないか。一緒に食卓を囲んで、家族で過ごしたじゃないか。


 俺の頭を撫でてくれた。すごいって褒めてくれた。立派な剣士になれるって、言ってくれた!


 ――英雄を目指すのはいいことだって、あなたこそが、おまえこそが言ったんじゃないか!


「その姿は何だよ。英雄騎士ソルの物まねか? 俺への当てつけかよ! どこまで馬鹿にすれば気がすむんだよ! おまえが父さんとシーナを殺したんだ! 心は痛まなかったのかよ!」


 俺の言葉一つ一つが、相手を傷つけているのがわかった。


 でも、そんなことはどうでもよかった。少なくとも、兄さんは――お前は俺を殺そうとしたんだ。


 言い訳なんてしようがない。俺を裏切ったんだ。思い出すべてを、破滅させたんだ。


 ……でももしも、もしもそれがすべて錯覚で、俺の早とちりで、思い違いだとしたら。


 何か理由があって、それでこんな真似をしているだけで、実はなにか目的があるのだとしたら。


 俺を殺そうとしたのだって、ただのフリだとしたら――。


 ねえ、と俺は言う。


「兄さん、兄さん――全部、嘘なんだよね?」


 か細く、消えそうな声で言う。

 その一言に、どれだけの願いが籠っていたのか。どれだけ切望していたのか、祈っていたのか。


 英雄騎士ソルの恰好をしたナギル兄さんは、ゆっくりと首を振った。


「全部、君の言うとおりだ」


 ――殺してやる。


 ◇


 破滅の剣は囁く。

 おまえが力を求めるなら貸してやろう。好きなだけ与えよう。

 お前は願いを持っている。究極の願い、破滅させてやりたいという願い。


 それこそ、我が真価を発揮するにふさわしい。


 お前はこの後、破滅するだろう。

 憎き仇敵を滅ぼして。

 お前救われないだろう。

 愛していた者を憎悪して。


 それこそ物語の終局にふさわしい。



 ――誰も救われなかった。

 ――希望なんてなかった。

 ――みんな死んでしまった。



 破滅の剣は今こそ、お前に力を与える。


『最後の破滅の願い』に答えよう。


 ◇


 零れ落ちた最後の涙数滴が、地面に落ちて凍り付いた。

 周囲の気温がガクンと下がる。同時に、影の者達すべてが凍り付いた。


 アシャスもレイもエレナも、砂嵐だって氷の礫となって地に落ちた。

 ここは、二人ぼっちの世界。


 ここではなにも息づかない。ただ二人だけが、お互いを殺すために対峙している。

 俺の涙から始まった氷が俺の全身を覆っていった。それは、ある騎士の形へ。

 俺の憧れ、その模倣。目の前のものと瓜二つ。


 ――英雄騎士ソルの姿。


 氷で形作られた偽物となり、俺は剣を構える。


「お前が憎い」

「絶対に殺してやる」

「この裏切り者が」


 感情はすべて凍てついた。ただ一人を殺すために、俺は生涯をかける。

 混沌の罪禍である黒の騎士も剣を構えた。


 黒の騎士と蒼の騎士の対峙。


 もう言葉いらない。ここからは結果がすべてだ。


「弁解は?」

「ない」


 ――剣と剣が交錯する。


 衝突の瞬間、凍り付いた砂が巻き上げられて散っていった。

 恐ろしいほどの剣圧が、その周囲の圧力を一瞬だけ上げた。


 お互いに足を踏みしめ、一歩も引かない。鍔迫り合いは互角。だがそれだけでは終わらない。


 俺は氷の魔力を剣に注ぐ。すると、剣と剣が触れ合っている場所が凍結し始めた。

 黒騎士はさっと身を引き、距離を取ろうする。


「無駄だ」


 鍔迫り合いにおいて、いなされたりしているのでなければ、基本的に先に引いた方が不利になる。


 相手がとれる手段は防御一択。けれど俺は確実な攻撃ができる。


 ――剣ごと相手を切り裂いてやる。


 黒騎士の体から黒のオーラが立ち上った。

 と、同時、黒のオーラが剣にまとわりつき、剣身は邪悪な闇色に染まる。


「ああああ!」


 振り下ろした斬撃は、しっかりと黒騎士に受け止められた。

 俺は第二の一閃に移行する。


 右からの水平切りを繰り出す。しっかりとした防御で、それを受け止められる。

 カウンター気味に、そのまま黒騎士は突きへと移行する。


 なんとかそれを身を逸らしてかわすも、黒騎士は同時に俺の足を踏みつけてきた。


 よろける。手のひらが、氷の鎧で覆われた場所に添えられる。


 瞬間、俺の体は吹き飛んだ。発勁、という技術だ。ゼロ距離から力を爆発させ、相手の体内を破壊する。剣技によく似た、魔力の爆発的に高める技術を、体術として応用したもの。


「……ごほっ」


 口から血を吐く。

 黒騎士は待つように、剣を構えてその場から動かない。

 舐めているのか、なんなのか。


「おまえ、おまえ」


 憎しみが体中を支配する。

 涙はすべて凍り付いた。俺の体内にあるのは、氷と相反した燃えるような憎悪だけだ。


「どれだけ、馬鹿にして」


 父さんとシーナのことが好きだった。たぶん、ナギル兄さんのことも。

 思い出は裏切られた。全てがまやかしだった。それは、誰のせい?


「おまえさえいなければ!」


 怒号を上げ、突進する。

 剣を振るう。それを軽く弾かれる。


「くっそおおおおおおお!」


 剣閃が何度も何度も飛び交う。

 俺の剣は届かずに撃ち落され、反対に黒騎士の剣は俺の氷の鎧を破壊していった。


 致命とならないのは奇跡のようなものだった。

 力は、能力は互角。しかし、技術において、圧倒的な差があった。


「うあああああああ!」


 自分が死んでしまってもいい。

 捨て身の特攻をしかけ、俺は黒騎士の脇腹に剣を突き刺すことに成功する。


 黒の粒子がそこから漏れ出す。俺は剣に氷の魔力を注ぎ、相手を凍らせようとする。

 だが相手の対応は早く、素早く身をひねると、回し蹴りで俺の顎を蹴飛ばした。


 氷の鎧が割れる、キラキラと飛び散る氷の破片。

 黒騎士の剣が俺の心臓を狙う。それを何とか防ぐも、隙だらけになってしまって。


 ――再び、黒騎士の手が俺の胸元に添えられる。その手のひらに、魔力が集まっていく。


 なんでこうも差がある。命をかけて、全身全霊をもって対峙しているのに。


 意思もある、願いもある、憎悪もある。俺ができることはすべてやってる。


 なのに、


「なんで」


 なんでこうも、勝てないのか。


「――君が弱いからだ」


 体が吹き飛ぶのと同時に、心臓が破裂するのを感じた。


 爆裂する痛みが、降り積もった世の中への恨みが。

 憎しみが、悲しみが、嘆きが。


 やるせなく地に落ちる。




 ……ちくしょう。



 ◇


「アイザードという名前にはちょっぴりだけ意味があるんだよ」


 父の声。それは、走馬燈だろうか。


「『アイス』と『ブリザード』。氷の意味を二つくっつけてみたんだ。お前は氷の魔法の素質が高いみたいだから。安易だって? ははは、頑張って考えたんだ。許してくれ」


 父さんは俺に名前を付けた。本当の息子でない俺に、名前をくれた。


「ちなみに『ザード』には『絶対の』という意味があってだな」


 したり顔で、父は俺にうんちくを垂れ来る。


「アイ、『愛』が『ザード』なんだ。絶対の愛だ。ははは、いい名前だろう? 割と偶然な面があるけどな。おまえは愛されて、生まれて来たんだ」


 俺は――。


 たぶん、期待に応えられていない。

 今の俺は、兄さんを憎んでいるから。


 家族を愛せていないから。


 俺は望まれて生まれて来たわけじゃない。でも、生は祝福されていた。


 俺が生きていることで、喜ぶ人がいた。


 シーナが、父さんが、俺のことを好いていてくれた。


 それだけで、意味はあったんだっだって、そう思う。



 ◇


 黒い粒子がわずかに俺の傷口に侵入していた。

 そこから俺は、なにかの記憶を読み取る。それは、古代の英雄ソルの記憶。


 彼は死んだ。そして混沌の罪禍となった。ただの黒い人影として、そいつは生きた。記憶はなかった。自分が何者かはわからなかった。能力だけが引き継がれた。


 そしてしばらくして、それはまともな人間のようになった。緑の髪に緑の目。

 賢者の塔は『星』の管理をするところと言われている。そして星のエネルギーというものは、緑で表されることが多い。


 闘気が朱で示されるように、魔法が蒼で示されるように。


 星の加護を受けて、混沌の罪禍は人間となった。


 そのころにはすっかり自分がどんな存在だったか忘れていた。


 自分は純粋な人間だと思い込んだ。


『ナギル』という名の青年はそうやって生まれた。



 ◇


 口から血を流しながら、俺は再び立ち上がる。

 あるはずの心臓は潰れていて、呼吸ができない。

 勝ち目がない。どうやっても勝てない。


「まだ、立つのか」


 黒騎士が呟く。その声には同情が籠っていて。


「アンタがそうさせるんだろうが」


 俺は吐き捨てるように言う。


「俺がアンタを殺さなきゃならないから、だからこうやって立ち上がらなきゃならないんだろうが。なんで、なんで、なんでアンタは――殺したんだ」


 俺は倒れるわけにはいかない。

 死んでもやりとげなきゃならないことがある。そうでなくては、死んでも死にきれない。


「俺は、俺は!」


 絶対に。


 ――だから、もっと力を寄こせ、破滅の剣。


 どうなったっていい。仇敵を破滅させられればそれでいい。


 どんな代償を払ったって構わない。


 ――だから、だから。


「あああああああ!」


 ――お前の破滅の願いに答えよう


『破滅の剣が、少年の願いに力を与える』


 ――どくん、と心臓が鼓動を始める。


 体中から濃い氷の魔力があふれ出し始める。


 心臓は修復され、氷で覆われた。それは氷の造形。


 氷で心臓を作り出し、一部の機能を補っている。従来の魔法技術では、到底できない芸当だ。


 飛びぬけた力を持つ、破滅の剣。

 だがこの氷の心臓は、そう長くはもたないだろう。戦いの終わりと共に消える、代替品。

 この戦いのためだけに、氷の心臓は存在する。


 俺は歯を食いしばって、痛みに耐える。

 体は元通り動く。だが、今のままでは勝てない。剣で黒騎士には勝てない。


 このままだと負けてしまうというのなら、


 憎い仇敵に無様にひざをつくぐらいなら、


 ――死んだ方が、ましなんだよ。


『破滅の剣が、少年の怒りに力を与える』


 俺は先ほどの幻影のような記憶を手繰り寄せる。

 やつは本物の英雄騎士。なるほど、混沌の罪禍となって能力は落ちているようだが、到底勝てる相手手はない。やつは剣術において人類の頂点。才能が足りなかった俺では、相手にならない――。


 ならばどうするか? そんなの決まっている。


 ――力で上から叩き潰す。


「もっと、力を」


『破滅の剣が、少年の願いに更なる力を与える』


 力に飲まれて、頭がおかしくなりそうだった。両目から流したくもない涙が溢れる。決別するための涙。殺してやりたい。兄さんを殺してやりたい。


 俺の大切な家族を、殺しやがって!


『破滅の剣が、少年の最後の願いに力を与える』


 俺は周囲の水蒸気を凍らせ、何十本もの氷の剣を空中に漂わせる。


 それを一斉に射出し、相手の周囲三百六十度、張り巡らせるように氷の剣を操る。

 だがその程度、といったように、黒騎士はそっと剣を撫でるように振るう。


 氷の剣がすべて粉砕され、残滓のように消えていく。


 俺は次の行動へ。


 大上段に剣を構え、最大の氷の魔力を剣に込める。

 それに答えるように、黒騎士は剣に黒のオーラを纏わせた。


 同時に放つは大上段からの斬撃。


 氷の斬撃と黒の斬撃が衝突し、その地点が抉れて陥没する。

 衝撃波が広がり、俺と黒騎士は吹き飛ばされないようにその場で踏ん張った。氷と闇の粒子が衝突地点で舞っている。徐々に薄れ、視界がクリアになる。


 俺は一気に黒騎士との距離を詰める。剣を水平に一閃。剣の交錯は一瞬。あまりに強力なその剣と剣は、余波として、あらぬところに斬撃を飛ばした。


 切り結ぶたびに、斬撃が地を削っていく。


 黒の斬撃と氷の斬撃。二色の斬撃が、氷の砂漠でまき散らされる。

 俺は今、魂を削っている。破滅の剣に、自分の何かを売り払っている。だから、さっきまでとは比べ物にならない力を発揮することができた。

 今回の攻撃はまともに防御しきれなかった様子で、黒騎士がわずかに防御し損ねる。黒い鎧にうっすらと斬撃の跡。


 小細工は必要ない。技術もいらない。


 俺が勝つにはそれしかない。圧倒的な力の差で、なにもさせずに相手を叩き潰す。

 俺は連続で剣を振るう。一閃、二閃、三閃。黒い鎧が剥げていく。露になるのは、黒ずんだ皮膚。人間の物ではない、影の者達と同じ皮膚。


 もうこいつは、人間じゃないんだ。


「――兄さん!」


 恨みを込めて、死を切望して、彼の名を呼ぶ。


 俺は全身に魔力を滾らせる。


 剣技の構え。納刀し、抜刀術の構え。


 ――抜刀剣・蕾桜。


 桜色の剣身が抜き放たれ、黒騎士の剣を弾き飛ばす。


 黒騎士が距離を取ろうと後ろに下がる。俺は距離を詰めるべく追う。


「兄さん、死んでくれ」


 逃がすわけにはいかない。腐っても相手は最高の英雄。技術で劣る俺はいつだって逆転されて負ける可能性を持っている。


 倒れ込むように、相手の懐に身を投げる。黒騎士は、かわしきれなかった。


 地面に倒れ込み、俺と彼はお互いを見つめあう。


「――終わりだ」


 剣が刺さった場所から、魔力が注がれ凍結が始まる。

 刺されたところから、血のように黒い粒子が舞っている。それが俺たちを包む。


 ナギル兄さんの顔が、ここからは良く見える。緑の目、涙の痕。

 俺達は闇の中に飲まれる。


 ◇


 なにもない、黒い空間。

 いつの間にか氷の鎧がなくなっている。


 ――ああ、なるほど。


 俺は死んだのか、と思う。見覚えのある場所だ。俺が死んで、ずっといた場所。辺りは暗くてなにもなくて、ここに来たからにはずっと耐えなくてはならない。


 いや、今度はそんなことにならないだろう。俺はあの苦しみを知っている。だから今度こそ、潔く消える。後悔は、あるけれど。


 と、その時、俺の目の前にぼんやりと人影が現れる。それは、そいつは。


「……ナギル」


 吐き捨てるように、俺は彼の名を呟いた。俺は憎しみを込めて、でもわずかに憎み切れないことを自覚して、嫌な気持ちになる。


 俺と彼はしばらく見つめあっていた。


 均衡を破ったのは、俺の方だ。


「なんで、なんでこんなことしたんだよ」

「……」

「アンタは父さんとシーナのこと、好きなんじゃなかったのかよ。俺はそう思ってた。勝手な妄想だったみたいだけど」


 ナギルは傷ついたような顔をした。まるで、なにも彼は変わっていないかのように。

 なんでなんだ、と俺は怒りを堪えて繰り返す。


 今目の前にいるのはナギル兄さんなんだって思ってしまって、昔とどう変わったのがわからなくて、困惑していた。こんなこと、する人じゃなかった。


「創世のクリスタル」と彼は言う。


「なんなんだよ、それ」

「……創世のクリスタルは自らを継ぐ、継承者を探していたんだ。しかし、それを達成させるわけにはいかなかった」

「なぜ?」

「創世のクリスタルは善意の塊なんだ。あれは世の中を良い方向にコントロールしようとした。しかし、世界はあまりに広すぎて力が足りない。だから……」


 世界を滅ぼし、少数の人数を選抜し、その人間だけを幸せにし続ける、そういう世界を作ろうとした。


 彼はそんなことを言った。

 治すより壊す方が、生かすより殺す方が容易い。いつだって、世界は不幸の方が重い。飢え死にしている人がいる裏で、楽しんでいる人がいる。でも、そんなの釣り合ってない。その不幸を受けて、その幸せも受け取れるのだとしたら、そういう人はどちらかといえば不幸な人間と言える。悲劇を背負っている人間が『楽しい』という感情を捨て去るわけではない。悲劇の中にいても、人間の当たり前の感情として、楽しさは感じ取れてしまう。それは紛い物なのに。


『世界全体で言えば、世の中は不幸が勝る』。


 だから、創世のクリスタルはそんな世界を作り替えようとした。


「創世のクリスタルがその計画を実行するのは、自らを継承する人間が現れた時と決められていたんだよ。力を委譲しないと、ボロボロの創世のクリスタルは力を振るえない。自分が造った世界を滅ぼせないぐらい、あれは弱っていた」


 彼はぎゅっと目を閉じる。言いたくなさそうに、彼は口を開く。


「朱も蒼も白も、どの継承者も創世のクリスタルを継ぐことはできない。継ぐ候補と選ばれていたのは……君なんだよ、アイザード」

「なんで俺が」

「死にずっと耐えた人間だからだ。その期間は、人間であることを超越してる。普通、自らの消滅を選ぶんだよ。だからだ」


 彼の言っていることは……よくわからない。

 じゃあ、なんで一番に俺を殺さなかったんだ?


「継承者がいなければ、また、君が創世のクリスタルを継ぐことはない。いや、正確には継承者の助けがなければ、誰も創世のクリスタルの場へたどり着けないんだ。最低三人はいないと不可能……」


 俺の思考を呼んだように、彼はそう言った。でも、それだっておかしな話だ。

 俺を殺せばよかったんだ。それで終わった。シーナと父さん、他にも何人か。それと俺一人が釣り合うとは思えない。そんなの、そんなの……。


「世界を滅ぼさせるわけにはいかなかった。どんな犠牲を払っても、継承者たちを殺さなければならなかった」


 彼の表情は影に隠れて見えなかった。でも、泣いている気がした。だからといって許せるものでもなかった。結果はでた。コインの裏表。シーナも父さんも、死んだ。


「父さんは死なないはずだったんだ。わざとじゃない、わざとじゃないんだ。事故なんだよ」


 言い訳するように、贖罪するに彼はいった。俺はそんなことはどうでもよかった。


「なら、シーナは初めから殺す気だった?」

「……そうだ」


 俺はその一言だけで、赦せなくなる。どうやったって、なにがあったって。


「謝るつもりはない。僕は記憶を失ったソルだ。行動規範は彼と同じ。じっとしているわけにはいかなかった。例え手を汚してでも、大切な人を殺してでも、世界を守らなくちゃいけない。偽善? どうでもいい。人数数人が死ぬのと、世界のほとんどの人間が死滅すること。数の差を見れば、どちらを選ぶかなんて当然だ」


 彼は英雄。ソルの化身。高尚な理念を持ち、常にそれが通じるわけではないことを知っている。後ろめたいことだって、彼はやり遂げる。


 傍観する、という選択肢がないのは、彼が英雄という身分だからだ。英雄は誰かに守られたりはしない。選択しないという選択肢がない。自分が絶対に行動しなければならないという、強迫観念めいたものすらも、持っているのかもしれない。


 俺は苛立ちながら首を振る。


「世界がどうだとか、どうでもいいんだ。世界の全員が滅びたとしても、俺はシーナと父さんが生きてくれればよかった。俺が死んでも構わなかった」

「だろう、ね」


 創世のクリスタルが目論む理想郷。それは、ある意味偽善的だとさえ思う。

 それを食い止めようとした気持ちもわかる。だって、幸福な世界のために何人もの人が死ぬ。どちらが正しいとか、俺は完璧な意見を出せないだろう。しかし、創世のクリスタルの目的を邪魔しようとした気持ちは、確かに英雄的だ。


 小より大を取る。より多くの人間のために。


 そうやって、英雄は行動する。でも、それなら彼の行動は矛盾している。


「俺を殺せばよかったんだ」

「……」

「誰が生かしてくれって頼んだんだよ。生きたい生きたいなんて、俺が言ったのかよ。いつだって、アンタは俺に頼ろうとしなかった。……俺はアンタを、支えようとしてたのに!」


 俺の言葉は、所詮感情論だ。話さなかった気持ちはわかる。話せるわけないだろう、とも思う。たぶん、俺は彼にとっての特別だった。俺が彼に愛を示したから、彼は俺を殺せなくなった。彼はどうしても俺を殺したくなかったのだ。だから次善の策として、俺以外のやつを殺すことを選んだ。シーナと俺のどちらかを殺すならば、シーナを殺すという選択をした。でも、それは俺が望んだことじゃない。


「なあ、俺は許せないよ。だって、アンタはシーナと父さんを殺したんだ。父さんを殺す気はなかった? たとえそうだとして、アンタは心からシーナを殺すことを選択したんだ、俺は最初から殺さない予定だったんだろう。でも、納得いかないよ。感情が許さないよ。俺は、アンタが憎いよ。……許すもんか」


 彼は俺という例外を除いて、まさに英雄にふさわしい行動を取った英雄だった。

 罪のない人を殺戮することは、さぞ罪悪感を覚えたに違いない。でもそうしないと世界を救えないから、だからやりたくないけど、殺した。それにとても悩んでいた。苦しんでいた。


 なるほど、嫌になるほど人間的だ。彼は冷酷なマシーンではなく、人間として悩み、選択をした。逃げることはなかった。


 俺はそういうことを、理解できてしまう。だから俺は、彼のことがどんなに憎くても、それでも、


「――でも、尊敬してるんだよ」


 吐きたくもない言葉を、俺は無理やり吐き出す。だって、彼自身の行動はとても英雄的なのだ。俺が憧れた英雄。苦しみを背負っても前進し続ける、その姿。

苦しかったのは、想像できるから。俺じゃできないって、わかるから。


――ここまでわかっていても、俺は彼のことが憎い。


「それでも、それでもアンタが憎いよ。許せないよ。あんなに家族を愛してたのに、なんで英雄として行動できたのか、理解できないよ」


 俺はそのことが悔しくて悔しくて。

 俺は被害者だから、加害者を許せない。感情をすべて切り離して考えるのなら、彼のことを咎めちゃいけない。でも俺にはできない。


 だって俺だったら、英雄として行動せず、家族を取ったはずだ。彼は俺とは違う行動をした。


 自分の大切な少数を見捨てる。世界の滅亡を回避するために。英雄は、私情の一切を無視した選択を取る。取ってしまう。


 ――俺には英雄は、無理だ。


「ごめん」と彼は呟いた。


 謝らないって言ったくせに、それだけは短く、しかしわずかな切実さを込めて、そう言った。


 たぶん、許しを乞いたがっていた。でもそれは卑怯だから、無味乾燥に一言を吐いた。彼は、自分のしたことを、自分自身が許すつもりはないらしかった。


 だからこそ。


「なんで、なんだよ」


 悔しいのだ、苦しいのだ。


 俺は本心から、彼のことを嫌いになれない。本当なら、彼のことを褒めたたえたいぐらいに、立派だと思う。でも俺は、被害を負った当事者だから、どうしても許しの言葉を吐きだせない。


 俺が放つは恨みと呪詛。死んでしまえという呪い。おまえさえいなければ、という怒り。

 嫌だった。だから俺はこれ以上何も言わないように、口を閉ざした。


「僕がこれらすべてを知っているのは、これが試練だったからだ」


 彼は一人で語り続ける。


「蒼の継承者は見抜いていたが、その通りだ。継承者は苦難が贈られる運命になっている。だから僕こそが『苦難』となって入り込んだ。自らの手で確実に始末しようと思った。……でも、僕は負けた。もう試練は、ゲームは終わりだ。ここからは、君が選ぶんだ」


 本当はそのことさえ託さないのが正しいはずだった、と彼は言う。


「試練に失敗させ、確実に創世のクリスタルを継がせないようにするつもりだった。――頼む、アイザード」


 願うように、乞うように彼は言う。


「創世のクリスタルを継がないでくれ。世界を滅ぼさないでくれ。聞こえるんだ、助けて助けてっていう声が。苦しい苦しいって泣き叫ぶ、幻聴が。数が、多すぎるんだ。それだけは駄目なんだ。それだけは食い止めなければならないんだ」


 混沌の罪禍だったくせに、彼はそんなことを言う。

 彼が聞いている幻聴は、一体どれぐらいの数なのだろうか?

 そんなの強迫観念で、本物じゃない、と思う。彼は、犠牲を数でみている。身の回りの影の者達がいくら苦しもうが、その何倍もの人間が苦しむ事態を避けるために、動いている。


 そんなの人間じゃない、と本当ならいいたい。

 でも、彼の罪悪感と、苦しみ抜いた事実を無視するわけにはいかなかった。いつだって、身の回りで起きている苦しみを、彼は忘れていない。だから精神は摩耗し、追い詰められていった。そのことを、見て見ぬふりはできない。彼は人間的に悩みながら、選択した。


「頼む」と彼は重ねて言う。


 知ったことかよ、と俺は言いたくなる。


 どうしても彼が憎くて、でもそれでも、正しさのようなものは認めてしまっていて。

 俺は試練をクリアしてしまっているらしい。

 じゃあここからどうなるのか? たぶん、創世のクリスタルと向き合うことになるのだろう。


 継承者は、まだ生きている。アシャスもレイも、まだ殺されていない。なぜだか、俺にはそれがわかった。


 ゆらり、と彼の姿がぶれる。俺は、彼に言っておくことがある。


「俺はアンタが憎いよ」

「……」

「でも、尊敬もしてるから」

「…………」


 彼は、いつかのように困ったように笑う。


「生きてくれ」と願うように俺に言葉を贈る。


 心中は依然として複雑だ。愛憎が渦巻き、自分でも彼に対してどう思えばいいのか、わからなくなってしまっている。


 でも俺がした選択は、彼に向けた思いは、間違いではなかったと信じたい。




 次に自分の意識があることを自覚したのは、なにもない白い空間にいる時だ。

 ここには、ただ一つの圧倒的な存在があった。


 俺の目の前に鎮座するのは、七色に光り輝くクリスタル――創世のクリスタル。

 だが、その表面にはヒビが生えていて、万全というわけではないらしい。


『器 よ 。 よ く き た』


 謳うように、鳴り響く声が脳内に響き渡る。


 神。それが目の前の物質を表す言葉だった。


 世界を創造したもの。もっとも完璧に近い存在。万能の力の持ち主――創世のクリスタル。


 ナギル兄さんによれば、これは善なる意思をもつものだ。だが、推測するにあまり人間の気持ちに詳しくない、という印象を受ける。


 独善的、と言えばいいのだろうか? 俺はやはり、ナギル兄さんと意見が一致するらしい。


 それに……。


『我 を 継 ぎ、世 界 を 創 造 せ よ。 理 想 の 世 界 を 作 る が い い。誰 も が 幸 せ に な れ る 世 界。 完 璧 な 世 界 を』


俺は前もって用意してあった結論を口にする。


「断る」


 交渉の余地なんてない。


『な に ?』

「悪いけど、俺はあなたの存在だって許せないんだ」


 俺が歩んできたのは、試練という創世のクリスタルに課せられたものだった。それのせいで、シーナと父さんは死んだ。殺したのはナギル兄さんだ。あの魔王のような男は、全身が黒かった。今思い返せば、あれは影の者達の一種だったのだろう。


 だが、そんなことは関係ない。重要なのは、シーナと父さんの死に、創世のクリスタルが関与しているということだ。それが俺には、赦せない。


 でも、と俺は思う。


「俺が蘇ったのは、あなたのおかげだってわかってる。だから、俺は……あなたにお礼を言うべきなんだと思う」


 死ぬのが怖くて怖くて仕方なくて。


 その時に来た救いを、俺は覚えている。それが優しさではなかったとしても、俺は確かに救われたのだ。そして俺は、この世界で生を受けたことで、いろんなことを自覚した。


「俺は愛されてたんだ」という。


 父さんにも、シーナにも……ナギル兄さんにも。

 全員死んでしまった。でも、俺は生を望まれていた。それは否定しようのない事実で、避けようがない。俺は生きる気力がそこまでない。でも、思い返してみれば、幸せな記憶をたくさん持っている。


 それを引きずるのは悲しいけど、辛いけど、頭がどうにかなりそうになるけど、確かに俺は幸せだった。


「俺は生き返ったおかげで、そのことを知れたんだ。だから、感謝してる」

『そ う か』

「そして、そこで生まれ育った環境で、あなたのことが正しいとは思えなかった。だから、ごめんなさい。俺はあなたの跡を継ぐわけにはいかないよ」


 それが、俺の選択。


 創世のクリスタルは点滅を繰り返していた。俺はそこからなんの感情も読み取れない。

 そもそも、感情なんてあるのだろうか?


 ……善なる物質。人間と同じ基準で考えること自体が、間違いなのかもしれない。


『お ま え は 生 き て、自 分 を 受 け 入 れ た の だ な』


 創世のクリスタルの言葉が脳に響く。なんだかそれは、祝福しているみたいな言い方で。

 それならいい、と創世のクリスタルは言う。


『貴 殿 に 光 の 中 の 幸 運 を』


 拍子抜けするぐらいに、創世のクリスタルはあっさり俺を諦めた。それでいいのかって、いいたくなるぐらいに。


 やっぱり、この世界を作った神様は、悪い奴ではないのだろう。そんなことを思う。


 恨みのような感情が、抜け落ちていくのを感じていた。それは、災害を恨む無意味さに気付いたことにいている。これはそういう物質だった。それまでのこと、何だと思う。


『試 練 は 終 わ っ た』


 創世のクリスタルはそう宣言する。


 ◇


 いろんな景色が、浮かんではぼやけて消えていく。

 俺は今から、元居た世界に帰るのだろう。創世のクリスタルの提案を断って、少年アイザードとして生きることになるのだろう。


 周囲は暗く、周りには魂たちが飛び交っているのが見えた。彼らは、全員が嘆いているわけではなかった。満足して死んで、消えていく者達もいた。俺のように、消えないようにと苦しんでいるものもいた。でも、すぐに消えてしまう。夢だったみたいに、魂はシャボン玉みたいに、夢だったみたいに消える。


 誰かが俺を呼んでいる。俺のことを思っている。死者の空間で、|俺は彼女(、、)の声を聞く。


――アイ?


そのきょとんとした声に、どうしようもないぐらいの懐かしさを感じてしまって、


「シーナ」


手を伸ばして、


「シーナ!」


恋焦がれて、必死に叫んで。


 ――その手は握られる。


「えへへ」


 困ったように、彼女は笑う。もう一度出会えたことに、俺は泣きだしそうになる。


「わかってると思うけど、もう私は死んでるの」

「……わかってる」

「だから、ね。今は魔法の時間。今だけは、私はアイと一緒にいられる」


 人間は魔法を受け取ることができる。奇跡を受け取ることができた種族。そんな言葉を、思い出す。


「ナギル兄さんに、会った?」

「会ったよ」

「そっか」


 彼女の姿は、とても不透明だ。魂だけの存在だからか、幽霊みたいな見た目をしている。全身が白のオーラに包まれていて、彼女は特別なんだな、と思う。


「私は白の継承者だから」と彼女は言う。そして、彼女の手のひらにぼやけた光景が映し出された。「ナギル兄さんの思いだよ」と指さす。


「私はこれを伝えないといけないから、待ってたの」

「……待ってた?」

「うん。ナギル兄さん、ほとんど謝ったりしなかったでしょう? 罪悪感につぶれそうな顔をしてるのに、許しを乞いはしなかった。それは、卑怯だと思ったからだよ。自分は憎まれるべきだって思ってたからだよ」


 でも、私はそう思わない。アイはナギル兄さんを憎んでもいい。でも、全部知るべきだと思う。


 彼女の手のひらの光景には、黒の騎士が、父さんを殺した魔王のような男を斬り捨てている光景が写っていた。黒の騎士は声なき悲鳴を上げている。最も強力な影の者達――魔王のような男は、黒の騎士の命令に従わなかった。一つの命を殺せという命令を無視した。混沌の罪禍に操られていた意趣返しとして、命令に逆らった。


 混沌の罪禍である黒騎士は慟哭している。なんで、なんで自分が殺しに行かなかったんだ、と。それは、自分で家族に手を掛ける勇気がなかったからだ。だから他の奴に任せた。英雄なのに、他人頼りにしたんだ。そのせいで、死ななくてすんだ父さんが死んでしまった。


 黒の兜に手を押し当てて、どうしようもない悲しみに身を焦がしている。ごめん、ごめん、という声が悲鳴のように漏れる。


 事故だった、と言っていた意味。死者を弄んで、そのツケが回ってきてしまった。それは

、大切な人の死を呼んだ。ソルの生まれ変わりであるナギルは英雄として行動した。でも彼は甘く、人間だったから失敗した。


景色が途絶える。


「ナギル兄さんはね、父さんのことも、私のことも、アイのことも愛してた」


 彼女は悲しそうに言う。彼女の口から、恨みは漏れない。


「ねえ、なんでナギル兄さんは私じゃなくて、アイを選んだんだと思う?」


 問いかけられるその質問に、俺は答えられない。


「ソルは――死んで蘇った者なの。アイの死の苦しみを、知っていたの。だから、苦しんだアイがより救われるべきだって、選択をした。それが、英雄としての彼の選択」

 でも、それだけじゃないんだよ、と彼女は言う。ソルは英雄。でもナギル兄さんは完全に英雄になれたわけじゃない。情があったせいで、完璧ではない行動をしてしまった。


 ――アイザード。


 残留思念のような声が鳴り響く。それは、シーナが呼び起こしているもの。過去の声が、この空間に木霊する。それは、ナギル兄さんが病み始めた時。父さんと大喧嘩して、そのあと俺が慰めに行った、少し後。


 ――僕は。


 君の言葉に救われた。子供ながら、君は僕のことを思ってくれた。僕が傷ついている時、僕を助けようとしてくれた。そのことに、いったいどれだけ救われたことやら。


 こんな罪深い僕に、そんな言葉はかけちゃいけない。尊敬なんてするべきじゃない。憧れちゃいけない。僕は汚い奴なんだ。


 ナギル兄さんは、ある日突然、でソルとしての記憶を自覚した。使命を知った。継承者を殺さなければならない。そして、継承者の中心、『アイザード』を殺さなくてはならない、と。


 でも――。


 無理だ……無理だ……。


 今更そんなこと、できない、したくない。けれどしなければならない。アイザードが僕を見ていたまなざしを覚えている。親愛が、胸に苦しい。あんなになついてきて、僕の苦しみに共感しようとしてくれて。一度死んだ人だからか、驚いたことに、ほとんど心情を読み取られた。


 ……ああ、僕と同じなんだ。他人の苦しみを見て、自分も感情移入して、同じぐらい苦しむ。君が次の日の夜、うなされていたことを僕は知っている――。


 だから、だから。だから、アイザードだけは殺せない――。それだけは、できない。


 だから、だから。僕は選ぶ。本当はアイザードも殺した方が確実だ。でも僕は――アイザードを生かす。


 ……声が終わる。


 シーナの金色の瞳が、真剣に俺を見つめてくる。ぎゅっ、と俺の手を握りしめる。


「アイの生はね、愛されてたんだよ」と彼女は言う。


 そうかもしれない、と俺は思う。

 ねえ、と彼女は言う。


「アイは、生きて」

「……」

「父さんもナギル兄さんも、私も死んでしまった。でもまだアイは生きているから。生に絶望せずに、生きて」


 その言葉には、『愛』が籠っている。とても、とても。

 それでも俺は。


「……だからなんだっていうんだ」

「……」

「俺は、俺は! ……そんなことよりも、そんなことよりも、誰かが生きてくれればよかったんだよ。俺は愛されてたんだろう。でも、皆死んだんだ。俺は生きられない。だって、俺の隣にはもう誰もいないんだ」


 自分が子どもっぽく思えて仕方ない。これだけ生を肯定されて、祝福されて、それでも俺は、自分の生に前向きになろうとは思えなかった。


 俺はもう、なにも持っていないから。俺のすべては、家族と過ごした思い出だから。

 もうなくなってしまった。だからもう、生きる価値なんてない。


 たぶん、彼女は見抜いていた。俺はこの空間に残るつもりだって。元居た世界に帰るつもりがない。ひっそりと消えてしまおうって、考えていたんだって。


 生を望まないのなら、創世のクリスタルは俺の願いを叶えるだろう。

 そして、それは彼女が望んでいないことだった。


 彼女は困ったみたいに笑う。黙って俺を抱きしめる。「大好きだよ」と俺が死にたくなるようなことを言う。


 もう一度身を離した時、彼女は泣いていた。


「お願い、生きてください」


 感情の籠った切望は、理屈ではない。彼女はただ祈るのみ。俺が生きてくれることを。


「い、いやだ」


 俺はそれを拒絶する。だって、俺はもう生きていたくなんてない。大切な人を失って生きてなんていられない。最後の砦が、ナギル兄さんだった。シーナと父さんが死んだとき、ナギル兄さんが生きているか死ぬことはできないと、言い聞かせた。でもその理由は、もう消えた。ナギル兄さんを殺してしまった。


「お願い、アイ、アイ……」


 ただ、生きてほしい。


 彼女の思いが伝わってくる。生きて、生きて。


 純粋なただそれだけの思いが伝わってくる。


 俺は死にたい、死んでしまいたいんだ。なのにどうして、今更そんなことをいうんだ。もう遅いんだ。もう終わってしまったんだ。君が生き返ってくれたら、俺はどんなことをしてでも生き延びるだろう。でも、そんなことできないから。


 誰かが俺の肩に手を乗せる。

 誰かが俺の肩に手を乗せる。


 ――生きるんだ、アイザード。


 ――僕の分まで、生きて、アイザード。

 

 誰かが俺の名前を呼んでいる。俺の生を望んでいる。俺を愛した家族が、俺の肩に触れている。


 彼女の泣き顔が目に入る。精一杯笑って、俺の手を握りしめている。


 彼女はただ祈るのみ。


 ――俺は。


 わかってる、わかってるんだ。

 父さんに、ナギル兄さんに、シーナに愛されていた。

 父さんに、ナギル兄さんに、シーナに生を祝福されていた。


 俺の生は、望まていたんだ。最初から、最後まで。


生まれた瞬間から、今この時さえも。


「無理だ、よ」


 俺は震える声で弱音を吐く。


「いやだ、誰かがいてくれないと、俺は生きられないんだ。本当に、本当に大好きだったんだ。俺のすべてだったんだ」


 口はそういう。しかし、もう心は――。


「お願いだ、生き返ってくれよ――」


 俺は願望を口にする。いつか口にした、切なる願い。

 彼女は首を振る。「できないよ」と震える声で言う。


「アイ、一人でも、生きて」

「……いやだ」

「信じてるから。約束、したから」


アイは私の分も生きてください。

幸せになってください。過去を振り返りすぎないで、結婚もして、あなたの願う英雄になってください。

できればでいいから、私のことを覚えておいてください。



 約束したから、約束したから。




……ずるいじゃないか、と俺は思う。

俺はもう生きたくないんだ。死んでしまいたいんだ。俺の生を望むなら、俺の願いだって受け入れてくれよ。生き返ってくれよ。

一方的に願いを押し付けるなんて、ずるいじゃないか――。


 俺の生は、祝福されていた。


 誰かと誰かが消えていく。彼女の姿がぼやけていく。

 俺は彼女に手を伸ばす。


「大好きだよ」と彼女は言った。

「大好きだよ」と俺は答えた。


 ◇


 俺たちは賢者の塔の前に立っていた。

 混沌の罪禍を倒したせいか、影の者達は消えていた。

 レイやアシャス、エレナに傷はなく、俺も破滅の剣による代償は今のところ現れていない。


 たぶん、それは創世のクリスタルがしてくれたことなんだろうな、と思う。


 試練は終わった。だから俺たちは死なないように、してくれた。

 なにもかも、夢の中の出来事みたいだった。


 でも、凍り付いた砂漠が、そんなことはないのだと強く俺達に知らせてきた。


 まあ、その光景も、しばらくしたら元の砂漠景色に戻ったんだけど……。


「ついに着きましたね」とレイは言う。


 魔術師である彼は、期待と野望に目をギラギラと輝かせていた。彼はこの塔で、きっと何かを得るだろう。確かな意思をもって、彼はここまで歩んできたから。


「ああ、着いた」とアシャスが答える。


 一見、人間らしくない彼は、賢者の塔を見ても落ち着いているように見える。だが、いつも彼は『静』の状態、つまりは無駄な動きを極力しないのを、俺は観察していたで知っている。


 今の彼は首を鳴らしたり、腕を組んだり、なんだかんだでいつものと違う。

 人間らしくない彼は、よくよく見れば人間らしいところがある、と俺は思う。


 エレナは肩の荷が降りたかのようだった。達成感もあるが、今になって心労が表情に現れて来たという感じだ。ため息が多い。


 俺たちはここまで来た。辿り着いた。

 目的をもって、絶対の意思をもって。


 それぞれで、抱える思いは違う。俺は、今何を思っている?

 当初の目的は達成して待ったので、俺には目的がない。賢者の塔に辿り着くことは、あんまり俺にとって意味がないのだ。


 俺は今までのことを思い返す。


 生きてきたこと。シーナと父さんと、ナギル兄さんと過ごしたこと。シーナと父さんが死んでしまったこと。アシャス達と出会って、冒険したこと。

 いまだに家族のことは引きずっている。でも、俺は生きなくちゃならない。そのことははっきりしている。


 俺は愛されていたから。生きることを望まれたから、生を祝福されてたから。

 家族の達の言葉を思い出す。息子を誇ってくれた父。大好きだよ、と言ってくれたシーナ

。俺を殺せなかったナギル兄さん。


 全部全部、俺が背負わなければならないものだ。忘れるつもりはない。


 俺はにやっと笑って見せる。


 不自然な笑みで、いまだにそれはぎこちない。でも、俺は前に進まなきゃ。

 心の底から喜べなくても、いつかは笑えるって、思わなくちゃ。

 俺はこの先に進む。背負っているものがあるから、思い出を持っているから。


「なあ」とパーティメンバーに声をかける。


 不思議そうな表情が返ってくる。なにをいうんだろう、とそんな感じの表情。

 大したことをいうわけじゃない。ただ、俺は願いを口にするだけだ。


「俺が賢者の塔の扉、開いていいかな?」


 各々反応はこうだ。


「好きにしてください」とレイ。


「どうでもいい」とアシャス。


「いいと思うわよ」とエレナ。


 いつも同じような反応をするな、と思う。

 まあいい。


 俺は賢者の塔の扉に手を掛ける。そして、ドアノブを握る手にわずかに力を込めた。

 俺の人生は続く。俺は前に進まなくてはならない。俺は未来にある光景を、見なければならない。


 この世界にはまだ俺の理解が及ばないことが山ほどあるだろう。


 炎が形作る龍とか、溶けない氷の迷宮とか、茨が蠢く森とか。


 俺はそういうものに、いまだに憧れている。



 俺はゆっくりと目を閉じる。



 目を閉じれば、暖かな誰かの想いを思い出した。それはどうしようもなく重い。のろいみたいだ。苦しい、苦しいよ。

 それでも、俺は皆に生きることを望まれたから。

 俺はそれに答えたいと願ったから。

 俺は前に進まなければならないと思ったから。



 だから、俺は目の前の扉を開く。


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