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7.1

 ◇


 倦怠が纏わりつく体を持ち上げ、俺は冒険者ギルドに戻ろうとする。

 するとミーラが待っていた。まるで待ち構えていたみたいに。

 泣いていたことを見られてのだろう。気の毒そうな彼女の表情を見て、慌てて顔を逸らす。


 見られたくなかった。弱っちい自分を。

 何で泣いていたのかなんて、聞かれたくなかった。


「アイザード」と彼女は言う。


 俺は恐る恐る、彼女を見る。


「決めました。あなたに言うことがあります」

「……なにを」

「ナギルが隠したかったことです」


 隠したかったこと。

 それはきっと、本来は俺に話すつもりがなかったことだ。


「これは仲間たちの中でも私しか知りません。ナギルは秘密を隠したがったから。けれど、弟のあなたには知る権利があります」

「兄さんは、何を隠してたんだ?」

「一度、彼は喉元に致命の一撃を受けたことがあるんです。人間なら絶対に死んでしまう、そういう傷を」


 しかし、


「けれど彼は死ななかった。私は見ました。その致命の傷が、黒い影のようなものでふさがれていくところを。……彼は私にそれを見られた時、ひどく怯えた様子を見せました」


 ――僕は、もう人間じゃないんだ。ミーラ、どうか、どうか。


「――誰にも言わないでくれって、私はそう頼まれました」

「……それは」

「私にも、よくわからないんです。でもこれは、彼が知られたくなかった秘密。きっと、なにかある」


 ミーラはそう感じていた。けれど仲間にはそのことを伝えなかった。

 それは、なぜか。


「……ナギル兄さん、その時はよっぽどひどい状態だったんだな」

「はい、ひどく恐れていました。あんなにも勇敢なあの人が涙目で震えるところを、私は初めて見たんです」


 ミーラはナギル兄さんの秘密の全貌を知らない。けれど、ナギル兄さんの様子から仲間にこの情報を一片たりとも漏らすことをしなかった。それだけ、ナギル兄さんの恐れを強く彼女は感じ取り、秘密を漏らすのをためらわれるほどだったから。


「……俺に話していいのか」

「ダメかもしれませんね」

「おい」

「まあでも、いいんですよ。あなたは彼の弟なのだから」


 俺が泣いていたせいだろうか?

 ミーラは俺の肩をがっちりと掴む。


「もしもナギルに会えたのなら……あなたが彼を救ってやってください」

「俺が?」

「はい。誰かを愛したことがあって、兄のことが大好きな弟が、やるべきだと思うんです」


 ミーラは微笑む。

 救ってやる、ということ。

 彼女がここまで言うほどのなにかを、ナギル兄さんは抱えていたんだろう。

 それはいったい、なんなのだろう?


 ナギル兄さんはいったい、どれほど深い絶望に突き落とされた?


 ◇


 ミーラと別れると、用事を終えたアシャス達が俺を待っていた。


「なにしてたんだ?」

「ちょっと話をな。これはお前のものだ」


 カードを渡される。『A』と書かれていて名前が彫られた貴重そうなカード。


「……これって」

「お前はこれからAランク冒険者だ。よかったな」

「いいんだっけ、こんなの」

「俺がいいと言ったらいいんだ。経験こそ浅いが、そのぐらいの実力はあるつもりなんだろう?」

「たぶんそれぐらいの腕はあるって、適当に言っただけだよ」

「実際におまえがそれぐらい強くなくても問題ない。弱かったらフォローしてやる」


 アシャスはどうでもよさそうだ。

 あまり深く考えず、俺はAランク冒険者としてのカードを受け取った。


 ……なにかしらのコネがあったんだろうか? 受け取っておいてなんだが、こんなことが平気でできてしまうのから冒険者からの評判は悪くなってしまうんだろう。


 俺たちは冒険者ギルドを出る。

 振り返れば、ミーラ達が俺に手を振ってくれた。俺は笑顔になって手を振り返す。


「仲良くなったのか?」

「ああ、兄さんの仲間なんだ」

「そうか。よかったな」


 よかった。たぶん、よかったんだろう。

 だがもう切り替えなかければならない。どこか引っ張られるような心があった。俺は、あの暖かそうな人たちと一緒に過ごして、冒険をするべきなんじゃないかって。


 被りを振る。そんなこと、俺は絶対にしちゃいけないしするつもりもない。

 ところで、と俺は聞く。


「これからの目的なんだけど、どうするつもりなんだ?」


 俺たちは自らの特別性に意味を探すために旅をしているのだ。


 継承者。シーナと父さんが殺されたこと。


 ……意味を探している。


「最果ての地にある賢者の塔にいく。塔にはすべての答えがある。そこに辿り着いたら、パーティーも解散するかもしれないな」

「旅の最終地点、か。別にパーティーを解散しなくてもいいんじゃないか」

「場合によってはな。だが目的が済めば俺たちは一緒にいる必要がない」


 思ったよりもドライな関係なんだな、と思う。

 賢者の塔。最果ての地。

 塔にはすべての答えがある。そこに行けばなにもかもが終わりなのかもしれない。

 塔では欲しいものが手に入る。一生遊んで暮らすことも可能だという……。


 だがもちろん、それだけなら人類皆がこぞって賢者の塔に行くだろう。


「……そもそも賢者の塔に辿り着けるのか?」

「心配ない。そのためのレイだ。こいつが魔術的なことで失敗するならどのみちどんなやつでも失敗するだろう」


 俺はフードを深くかぶったレイを見る。

 蒼い魔眼の魔術師。


 アシャスからの信頼はずいぶんと厚いようだ。

 他人の魔力を図るとき、得られる感覚は「自分より低い」「同じぐらいだ」「自分より強い」という大雑把な三択に分けられる。意識を集中してレイの魔力を図ってみたところ、レイの魔力総量は俺とそう変わらない。


 聞いたところによると、彼が得意とするのは魔術の連結や解読なのだそうだ。彼が誇るは魔術戦。高速詠唱の腕は人類の頂点に近いというし、こと単純な魔法による戦闘ならかなり自信があるそうだ。


『上に立つ魔術師は、実戦を知らない老害』と彼は言う。


 広大な魔法を放つことこそが魔術戦だと思っている。実際の戦闘はそんな暇が与えられないし、短時間でどれだけ魔法が発動できるかとだというのに。

 プライドの高いレイは、そんなことを言っていた。


「そうそう、最果ての地のことなんですがね。最近そこにいる影の者達(シャドウラル)が最果ての地の外にでているようです」


 それを聞いてアシャスが眉をひそめる。


「……まて、俺はその話を聞いていないぞ。影の者達といえばC~Aランクに相当する化け物じゃないか。最果ての地の外に出現してたら大混乱になりそうだが」


 この世界の人間は、全員が魔力を持っている。全人口の八割はファイアボール一発は放てる素養がある。つまり、人間は強い。エルフもドワーフも、魔力を持っているが、魔力を持った大勢の人間には敵わない。


 そんな状況にあるのがこの世界だ。そして、そんな一般人のランクはFとされている。

 この世界は防衛、防御に対して攻撃力が突出しがちだ。ランクBにもなれば、村一つ吹き飛ばせる魔力を持つし、たかがDでも、魔力を持つ一般人を蹂躙するぐらいの強さがある。


「なぜだか人を襲わないようですね。噂ではなにかを探しているような行動をとっているのだとか。さらに朗報ですが、影の者達の親玉、SSランクの混沌の罪過(カオスギルティ)も出現しているようです」

「――は? それで冒険者ギルドはなにも対策を取っていないのか? 人類の都市数個じゃすまない損害がでるだろ」

「僕らの世代には英雄に匹敵する冒険者がいませんからね。おとなしいモンスターの群れなので優しく見守って、なにも起こさないことを祈るようです」

「……馬鹿が」


 混沌の罪過(カオスギルティ)と影の者達(シャドウラル)

 影の者達は最果ての地に生息する、影を纏った人型のモンスターだ。最果ての地に向かったもののほとんどは生きて帰ることがほとんどないため、このモンスターについての情報は不足している。


 少ない情報を参考にするに、やつらは影の剣を生成し、それを飛ばして襲い掛かってくるのだとか。そして混沌の罪過についてはさらに情報が不足している。影の者達の親玉らしいのだが、能力の全貌はわかっていない。人型であることだけが確認されており、おそらくは影の者達の上位種だろうと推測されている。


「人類の心配をするなんて、アシャスも意外に人間らしいところがあるんですね」

「……俺は人間だ」

「まあ、こいつらについては気にする必要はないでしょう。きっと外の世界にピクニックでもしたくなったんですよ。最果ての地は寂しいところですから」


 俺はそれを聞いて思わず笑ってしまう。

 外の世界への憧れ。以前の俺が抱いていたものだ。

 化け物もそんな感情を抱くんだろうか? なんて思うと皮肉的な面白さがある。

 俺たちは宿屋へと向かう。


 ひとまずこの街で何日か過ごして、そのあとは最果ての地に向けて永遠と旅を続ける予定だ。

 俺は相変わらず街の風景を見て楽しんだ。珍しいものが売っていたり、特徴的な服装の人がいたり。


 レイに質問すると、煙たがりながら、嫌味を混ぜながらもなんだかんだで答えてくれた。

 この皮肉屋の魔術師はまあ、そう悪い奴でもない。


「なあ、あの屋台で焼いてある食べ物めっちゃおいしそうなんだけど!」

「ロー・ビーフですか。あれ、めちゃくちゃおいしくないですよ。臭いで魔物をつる為の餌です」

「……そうなのか?」

「あれを食べようと思える人物には脳が入っていないんだと思いますよ。その代表格で言えば僕の姉さんですね」


 おいしいし! とエレナの抗議が飛んでくる。

 気になったので俺はその屋台にいってロー・ビーフを購入した。こうして屋台だって立っているのだから、きっと人間だって食べられる代物なのだろう。

 期待に満ちた目を向けてくるエレナに見守られながら、俺はロー・ビーフを食べた。吐いた。……びっくりするほど美味しくない、生臭い。


「……やっぱり美味しくないわよね」


 エレナがしょんぼりとした様子を見せる。

 その落胆ぶりに思わず俺は口を開いた。


「…………いや、おいしいよ」

「ほんとに?」

「……たぶんほんと」


 女性が落ち込んでいる時、嘘をつきとしてでもその笑顔を守るのカッコいい人間なのだと俺は勝手に思っている。

 なおも落ち込んでいるエレナを見て、俺はロー・ビーフを勢いよく食す。


「おお! めっちゃおいしい!」

「ほんとっ!」

「おろろろろろろろ!」

「……」



 数分して宿屋に着く。もう外は夜の帳が下りてきたころだ。

 アシャスが宿屋の主人に金を渡す。


「大部屋を一つ」

「あいよ」

「……待ってくださいアシャス。僕は個別の部屋がいいです」

「断る。お前はこの前発作で倒れてたじゃないか。姉の世話を受けろ。面倒はごめんだ」


 レイはアシャスを睨んだ。


 ……発作? なにか持病でもあるのだろうか?

 レイは特になにも言わなかった。だがフード越しから覗く表情はうんざりとしてみえた。

 レイはプライドが高い。なら、姉に世話をされる、ということに屈辱を感じるのかもしれない。


 俺たちは宿屋の階段をどしどしと上がる。上がってすぐ右手に大部屋があった。

 部屋に入って一息つく。


「ああー、ベット~。あぁー幸せーー」


 入って早々、エレナが気持ちよさそうなベットにダイブした。鎧を着たまま。聞こえてくる声はあまりにも気持ちよさそうで、思わず真似したくなる。

俺もエレナに倣ってベットにダイブした。


「あ゛あ゛ー」と温泉につかったおっさんみたいな声を出してみる。


「頭、幼児並なんですか?」


 レイに嫌味を言われた。少し恥ずかしくなる。

 ごほん、とレイが咳払い。


「脳みそが幼児の姉さんはほっておいて、たぶん脳みそが幼児並ではないアイザード。少しあなたに話したいことがあります」

「なんだ?」

「継承者についてです」


 俺たちは賢者の塔に行く。全てを知るために。

 だがまず、レイたちは自らが継承者だと知っているのだ。ならどうまで知っているか。それはぜひ聞いておきたい。


 俺が頷くと、レイは静かに話し始めた。


「まず継承者とは、世界創造の地位を継ぐもの。創世のクリスタルの力の現身と言われています」

「……初耳だ。ってことは神にでもなるのか?」

「そこはまったくわかりませんね。まあ、現実的に考えてそんなことにはならないでしょうが。僕の予想では、それは単なる比喩。超越した能力を持つ者を神の化身としてとらえただけ、と考えています」


 ですが、とレイは言う。


 こんな言葉を聞いたことはありませんか?



 ――お前は選ばれし者。

 お前は苦しみ足掻くだろう。

 お前は死を恐れるだろう。

 お前は絶望するだろう。

 宿命を背負って立ち上がらなければならない。

 お前は――。



 その言葉は、どこか聞き覚えがある者だった。脳を突くような、追い立てるみたいな嫌な感覚。俺は咄嗟に、その続きを暗唱する。


「――選ばれし者なのだから」

「やはり、ですか。この言葉を聞いたことがあるんですね」


 頷く。だがそれはあくまで幻聴。自分を特別だと思いたい幼い心が勝手に呼び起こしたものだと思っていた。


 継承者が聞くことのできる幻聴だ、とレイは言う。

 しかし――。


「あなたは『自分は継承者じゃない』と言っていましたね。まあ、継承者という言葉を知らなかったからそう言ったのでしょうが……実際その通りです。勝手ながら僕の魔眼で継承者かどうか調べさせてもらいました」


 魔眼で人を見抜くとき、僕の目にはその人物の胸のあたりにクリスタルが見える。

 それが継承者たる人物なんです、レイは言った。

 俺の中に、そのクリスタルとやらが見えなかったらしい。だから俺が継承者ではない、というのは確定。


「……ですがあなたを見た時……違和感を感じたんです」

「違和感?」

「魂が他の人間とは違う。――お前は選ばれし者。今まで調べたところ、この幻聴は継承者のみが聞けるはずなんです。ですがあなたは継承者でもないのに聞いたことがあるという……。確かにあなたはなにかしらの特別みたいです。死を予感する能力、ですか」

「俺は何者なんだろう?」

「こっちが聞きたいですよ」


 とにかく、俺は継承者でもないのに継承者に語られる言葉を知り、魂は異質。おまけにおかしな剣に憑りつかれている。謎が謎を呼びすぎてさっぱりだ。


「僕は思うんです。この世界はゲーム盤だ。ありとあらゆる攻略が存在し、場合によっては……人は神に届くのかもしれない。その攻略は不可能ではない。僕はね、あなたが特別なのは確信しているんですよ。それはもしかして、橋渡し人? 間を取り持つ者? あなたは、創世のクリスタルという存在を暴くための鍵なのかもしれない。僕がそこに辿り着くためのアイテムなのかもしれない」


 少なくとも、この世には謎を解く鍵が存在しているのは間違いないんです。

 そうやって世界が作られた確信があるから。

 アイザード、あなたは僕たちと偶然(・・)出会った。


 ……本当に? これは、運命ではなくて?


「……現実味がない妄想だよ。俺はそんな特別な存在なんかじゃない。俺は家族を死なせたんだ。特別な力を持ってなんかいない」


 ――本当に? と思う。


 ……破滅の剣は言っていた。「お前は例外。お前を蘇生されたのは『創世のクリスタル』だ」と。


 俺は創世のクリスタルによって蘇生された。そして俺はシーナという継承者を子として持つ父さんに拾われた。それは果たして、偶然?


 結果論だ。だが今、俺は二人の継承者、アシャスとレイの傍にいる。

 俺という存在は結局、継承者である人物の傍にいる。二回も連続で。

 人生には偶然というものがつきものだ。しかしこれは……。


 ……だからなんだっていうんだ、と自分に言い聞かせる。


 仮に俺が特別なのだとしよう。でも……家族は死んでしまった。それなら特別に意味なんかない。役に立たなかったのだから。


「もう一つ気にかかることがあるんです」とレイは言う。

「幻聴が囁く試練という言葉。これはいったい、なんでしょうね?」

「……」

「僕は思うんです。あなたの幼馴染が死んだ。それはいわゆる『試練』だったのでは? そしてそれを突破することは叶わず、死んでしまった」


 レイの予測。それを聞いた時、俺は頭の中が真っ赤になった。くだらない試練でシーナは殺されたのかって。


 ……落ち着け。


 それはたぶん、違うはずだ。あの魔王のような男は父さんより強かった。シーナは戦闘タイプではない、治癒術師だ。試練だとしたら、あまりにも不平等で不可能な内容だ。


 それを伝えると、レイは薄く笑った。続く声は、悪魔のような真実めいた力を持った言葉だった。人の罪悪感、欠点を指摘する、そういう類の。


「それを突破する鍵が|あなた(、、、)だったのでは? 特別な何かを持った、そういう少年が鍵だったのでは?」

「……」

「そのシーナという少女、もしかしなくてもずいぶんと能力が高かったのでしょう? きちんとした前衛がいれば勝てたかもしれない。粘って粘って、その末に勝利を勝ち取ることができたかもしれない。けれど……そんな前衛はいなかった。頼りになるべきは弱すぎた」

「……ちがう」

「なるほど、元英雄の父。足手まといにはならなそうです。あと一枚、同じ戦力がいたら勝負はわからなくなったかもしれませんね。子供のころから剣と魔法を英雄たる父から習っていた少年。しかし――」

「――やめろ」


 のど元から低い、怒りに満ちた声が漏れる。

 くっくっ、とレイは意地悪く笑った。


「戯言ですよ。適当なことを言っただけです。僕はその場にいたから知りませんが、あなたの幼馴染は死ぬべくして死んだのでしょう。あなたの能力はおおよそわかりますが、英雄と呼ばれる能力にはまったく至っていませんね。少し鍛えた、少し必死だったらどうにかなるものではありません。単純に生まれ持った才能がその域にない」

「……」

「気に病む必要はありません。――結果として、継承者二人の元にあなたが来た。破滅の剣を背負って」


 ――破滅の剣。


 それこそが、「俺」を完成するための最後のピースだとでもいうように、レイは言った。

 レイの言葉は残酷だった。それは特別俺を責め立てるものではない。

 シーナが死んだのは必然。俺が持つ才能からして英雄の域には届かない。

 事実を事実と言っているだけのこと。お前は弱すぎる。誰も救えないぐらいに。


 ……仕方のないこと、だったんだろうか?


 ――これは世の定め。俺が継承者二人の仲間となったのは運命。


 だからシーナが死んだのは、仕方のないことだった?

 腹が立って、否定したくて。

 こんなのは推論で、馬鹿らしいものだと唾棄したくて。


 ……考えれば考えるほど、今までの道は、結果は、すべては必然のものだった気がする。 俺が継承者二人の仲間になったのが運命なら、シーナが死んだのも運命?


 ふざけるなよ、と思う。世の定めに従って、シーナと父さんは死んだ? ふざけるな、ふざけるな。誰がそんなことを決めた。死んでもいいって、誰が選別したっていうんだ?


 そう考えるととても、腹が立つ。


「きっと僕ら二人にも、試練が訪れるものと予想しています。その時に来る敵に、どう対応するか。ゲームですよ。手札の切り方で勝敗が変わる」

「……知るか。なんとかなるだろ」

「そう投げやりにならないでくださいよ。きっと力が足りないはずです。ならそれを補完する必要がある」

「どうやって?」

「賢者の塔ですよ。きっとなにかがある。なんというか、きな臭いものがあるんですよね。運命を敵として見るなら、僕らが賢者の塔にとても厳しいものになるはずです。都合よく、影の者達(シャドウラル)が最果ての地から脱出している」

「笑いたくなるけど、その影の者達は特に冒険者と交戦したりはしてないらしいな。けど、各地で目撃されてるってことは移動してるってことだ」

「らしいですね。――奴らはいったい何を求めているんでしょうか?」


 レイの言葉はまるで劇物で、訴えかける毒は不思議な魅惑を持つ。

 絶対にレイの言うとおりだ、と言ってしまいたくなるがこれはあくまで推論。


 他愛もない世間話。


「まあ、世の中には不思議なことがたくさんあるからな。例えば魔法とか」


 俺は苦々しくそんなことを言った。

 運命だなんて、俺は信じちゃいない。

 俺はレイに背を向ける。背後からは力を抜いたような気配が伝わってきた。

 そして、苦しさを抑えるような咳。


 ◇ 


 俺はゆっくり目を開く。近くではエレナとレイは眠っている。レイのローブの裾に、血の跡が残っていた。口元から吐いた血を抑えたような、そんな位置。


……アシャスが言っていた、『レイの病』というやつだろうか? 


聞こうと思ったが、肝心のアシャスはこの部屋にはいないようだ。


 やることもないので宿屋の下の階まで降りていくと、馬小屋にいるアシャスの姿が見えた。


 足音をしのんで下の階に降りたのだが、アシャスは敏感に俺の気配を察知し、こちらを見た。


「早起きだな」

「健康な生活習慣をしてるからな」


 今は日の出。鶏がちょうど鳴く一番朝。馬小屋にずらりと並んだ馬たちは威嚇するようにアシャスを見つめている。その内の一頭、アシャスの正面に立つ馬は特に好戦的な雰囲気だ。アシャスは馬たちを興味なさげに眺めていた。


「アシャスも相当早く起きたんだな」

「そういう風に作られたからな」

「師匠が厳しかったのか?」

「……まあ、そういうことだ」


 俺はなぜだかアシャスを睨めつけている馬の一頭を見つめる。黒くて大きな馬だ。綺麗なたてがみからは主人が愛情を持って世話をしたのが伝わってくる。鼻息は荒く、軽い興奮状態だ。


 俺はその馬に餌をやってみようと、近くの人参に手を伸ばし、馬に与えようとする。

 恩知らずな馬はその俺の手に嚙みついた。おまけに抜け目なく人参はしっかり持っていきやがった。許せん。


再チャレンジ。手ごと食われる。


「めっちゃ痛い」

「……バカか」


 涙目の俺は馬の口に放り込まれた手を引っこ抜こうとする。

 ……抜けない。


「馬に愛されすぎて俺の手が戻ってこない」

「殴ればいうことを聞くようになるぞ」

「サイコパスみたいな発言はやめてくれ」


 最初こそ強く嚙まれたが、今は俺の手を離さない程度の強さへと変化している。

 加減ができるあたりよくしつけがされているのやら、されていないのやら。


「アシャス、お前この馬に何したんだ? 嫌われてるみたいだけど」

「俺は馬に好かれる生物じゃないからな」

「生物って」

「そんなもんだ」


 相変わらず俺の手に噛みついている馬をどうしたものかと腕をぶらぶらしてみる。

アシャスが「助けてやろうか?」と聞いてきたが、「愛らしい馬に食べられる感触は新鮮だから大丈夫」と答えておいた。言ってる傍から、馬は俺の腕をべろべろと口の中で嘗め回してくる。うっ、うひゃあ、と俺は艶っぽい声を上げる。そのせいで謎の罪悪感に襲われる。おまけに服がぐちょぐちょになって気持ち悪いし、軽く嫌になってきた。俺は少し涙目になる。


「やっぱ助けて」

「嫌だ」


 チャンスは一回きりのものだったらしい。


「おまえもしかしなくても頭が悪いだろ」

「……知的好奇心が旺盛なだけだ」


 アホ扱いより好奇心に満ち溢れる少年路線の方がましだと思ったので、適当なことを言っておいた。

相変わらず気性が荒い馬を見つめる。


「この馬、よく手入れされてるな」

「そうだな」

「宿のものかな? それにしては立派な馬だけど」

「俺の馬だ」


 ……なんとなく、そんな気はしていた。

 相変わらずアシャスはどうでもよさそう馬を眺めている。

 馬は怒ったように、アシャスの目を見つめ返している。


「正確にいえば、もう俺の馬ではないな。売ったんだ。これから行く土地では邪魔になるから」

「寂しくないのか?」

「まったく」


 俺の目から見て、アシャスは嘘をついているように見えなかった。


「でもこんなに丁寧に手入れされてるじゃないか」

「決められたことだからやっただけだ。感情はない。俺はそういう奴だ」


 俺はアシャスという人間のことがわからない。


「失礼を承知で聞こう。お前は家族が死んだとき、死にたくなるぐらいに悲しんだだろ? そういう匂いがする」

「ああ、もちろんだ」

「……お前は嫌になるぐらい人間だな」

 やっぱり、とでもいうかのようなため息。予想の再確認を行って、的中してしまったが故の戸惑い。

「いつもいつも、疑問だったんだ。『人間』。感情が足を引っ張って、正常な判断をできなくする。そしてそれこそが素晴らしいと尊ぶ。俺にはそれが理解できない」


 知的好奇心、とアシャスが呟く。わからない、だから聞く。お前という嫌になるぐらいにまともな人間の前で、俺は疑問を吐き出すんだ――。


「俺の師はバトルジャンキーだった。俺は奴と多くの戦場を渡り歩いた。傷つき、励ましあう人間たち。死を悼み、前に進めなくなる人間たち。殺しに忌避を覚える人間たち。自分が『犠牲』になって敵を食い止めることに、誇りを感じる人間たち」

 最後の一言。それに特別な怒りを感じる。


 感情と非効率に対する嫌悪。


「まるでその人間たちが愚かみたいな言い方だな。『人間』が人に対して持つ当たり前の感情は邪魔なものだっていってるように聞こえる。人が人のために死ぬのって、そんなに間違ったことなのか?」

「……わからないんだよな、俺には」


 心底不愉快で、理解不能なものに向ける嘆き。

 見下し、嫌悪し、怒りを覚える。自分でない人間たちの、別の生き方が間違っているみたいに。


「死ぬのは敗北だ。例えばの話。目を閉じれば何も見えない。耳をふさげば何も聞こえない。死んでしまえば、なにも感じない。死ねばすべてが無に帰す。……死ねばそれで終わりなんだ。生きることに貪欲にならないのは異常だ。相手を殺してでも生きようと思えない人間がいるのは理解できる。しかし、それは『人間』としてあまりに弱すぎる」


 それは、強い者が弱い者に対して抱く特有の感情。

 弱さを理解できない、だから嫌う。存在があるのは知っている。けれど、そんなものはおかしいと決めつける。


「だがそういう行動こそが『人間』らしいと表現される。素晴らしいことなんだ。相手の命を奪うより、自分が死ぬべきなのが正しいんだ。誰かを守るためなら、自分が犠牲になって、死んでしまっても喜ぶべきなんだ。それが『人間』らしい考え方だ。……本当に?」

「……」

「そんなものは間違いだ、と俺は思う。死体が自分が守ったものの息づかいを聞けるのか? 感謝の言葉は? 体温を感じられるか? 守るという自己満足は正しいし、殺しの忌避を否定したいわけじゃない。でも最後に己は立っていなければならないんだ。死んだ者は敗北者で、生き残った者が勝利者だろ?」


 世の中には馬鹿どもが多すぎる、とアシャスは怒鳴るように言う。


「殺さないのは殺されないためだ。人に良くするのは人に良くされたいからだ。世の秩序を持つため、盗まない、殺さない、姦通しない、そういうルールがある。でもそれは他ならぬ自分がルールに守られたいからだろう? そのルールを守ることとのと死ぬこと、どちらか一つしか選べない状況なら、ルールを破るのが正解じゃなきゃおかしいんだ。けれど綺麗事で世の中は人間を操ろうとする。『自己犠牲は美しい』だって?」


 犠牲、自己犠牲。


 特に怒りの籠った言葉。


 彼の言うことがわからないわけではなかった。


 俺は世の中の理不尽を知っているから。惨たらしく殺されても、死体は文句を言えないのを知っているから。

 シーナと父さんが死んで、正義が勝つわけではないことを痛いほど理解した。


 初めから、英雄が必ず勝つわけではないことぐらいわかってた。でも、でも、見せつけられるのと話を聞くだけではわけが違った。あまりにも悲しくて、価値観が変化してしまった。かつての理想論は口にするのも憚られるようになり、禁句として呪いのように俺の中に残った。


 ――人間賛歌。


 人々は美しさを謳う。誰かのためにあれる人間は美しい、と。

 人々は正しさを謳う。殺しはいけないことです、と。

 ああ素晴らしい、それはいかにも人間なのです。湛えましょう、人間を。正しく清くありましょう。まっとうに品性公正に生きて死にましょう。


 ……それは確かに正しい、正しいのだ。それが理想。そうあれれば一番いい。でも、そうあり続けることはとても難しいと、俺は知っている。

 だって勝利するのは美しい者でも正しい者でもないのだ。

 強い者こそが生き残る。自分のために行動できて、自分が生きるためならば人を平然と見捨てれて、利己的になれるやつこそが生き残る。


 勝つとか負けるとか、美しいとか汚いとかは別にして、生き残るのはそういう奴だ。自己犠牲精神に満ち溢れていて、優しい奴ほど、世の中では損をして、死んでしまいやすくなる。


「だから俺は、お前というまともな人間に聞きたいんだ」


 アシャスは自分の過ちを認めながら、自分が人間から外れていることを認めながら、俺の目をまっすぐに見つめた。


「俺は『人間じゃない』のか? お前のようなやつらが正しいのか? 簡単に傷ついて、心が揺さぶられて、効率的に生きられないことが、本当に正しいと思うのか?」


 嫌味のように彼は『人間』という言葉を使った。もしこれが人間だというのなら、自分は人間じゃなくていいとでも、言いたそうだった。


 俺はゆっくり目を閉じる。

 心が揺れているのを感じた。俺は以前のような純朴な少年ではなくて、正しさを疑っている。英雄が正しい、英雄になりたいと、心の底から言えなくなっている。正しく見えるものが勝つわけではない。……少なくとも、シーナも父さんも絶対に死んでいい人間じゃなかった。


「正しいわけ、ないだろ」

「……」


 それでも、


「でも、人間は感情に引きずられてしまうんだよ。俺はシーナと父さんが死んで、死にたくなった。でもそんなこと、思いたくなかった。自分の弱さが嫌でたまらなくて。俺は可能なら、感情なんてその瞬間だけ捨て去りたいと思ったよ。苦しいのも痛いのも嫌だ。シーナと父さんには悪いけど、俺はすべてを忘れたがったんだ」

「なぜそうしない」

「できないんだよ」


 忘れたくても、目を閉じても、いつまでも浮かんでくる。

 そして気づく。自分がその人たちをどれだけ大切に思っていたのかって。

 人間はいつだって自分の生に意味を求める。俺にとっての意味は、シーナと父さんのためのものだった。


 もう、ここまでいくと忘れることや、捨て去ることはかえって度外な喪失となる。自分を失ってしまう。


「人間の感情は反射で起こる。単純に、忘れるという能力が不足しているんだ。そして記憶は人間を形作るものでもある。過度な忘却はその人間の死だ。おまえにこれらすべてが理解できないのなら、たしかに人間じゃない」

「……」

「人間は記憶、感情、知性がしっかりあるから人間なんだ。猿と区別できるのは、それらがより高次のレベルにあるからだ。アシャス、お前はこのいくつかを否定したけど、全部持ってないわけじゃないだろ」

「ああ、記憶も知性もある。感情は……お前らがいう『しっかり』のレベルにはない気がするな」

「どうだろう?」


 アシャスという男は確かに非人間的だ。

 感情はある。しかし、それはある特定の部分にしか作用しないし、コントロール可能なものだから、人間らしくはない。


 ……人間らしい、というのは確かに当てはまらないだろう。


 けれど、


「アシャス、お前さ。俺の悲しみとか、家族への感情を読み取っただろ。お前にしては人間らしいんじゃないか? 俺、結構悲しくないふりをしてたはずなんたぜ?」

「……経験論だ。俺が見てきた人間の一部と似たような行動、表情を、お前はしていた」


 俺は思う。感情が足りなかろうが、知性でそれは補える。

 確かに彼は人間らしくはない。けれど、人間そのものであることを否定できる段階にない気がするのだ。


「でも結果として、俺のことを理解した」

「結果としてな」

「俺も似たようなことができるんだ。経験論。アシャス、おまえ犠牲が嫌いなんだろ? なんでだ?」


 アシャスは黙った。


 睨めつける視線から、あまり話したくないものだと察したが、それでも彼は口を開いた。

 きっと、ここまで一方的に話しておいて、ここで自分が黙るのは不誠実だからだ。

 俺はアシャスの仕草や言動から、そんなことを勝手に予想する。


「俺の師はある戦いの殿を務めて死んだ。あれほど犠牲をバカにしていたやつが、俺に強さを説いたやつが、最後には自分が犠牲になった。奴は矛盾したんだ。……俺は思慮深い方じゃない。さっき吐いた言葉は奴に教わったことが含まれているんだ」


 アシャスは師のことを「奴」と言う。まるで尊敬していない他人のように。

 それでもアシャスが師の思想を受け継いでいるのは、きっと師を否定できていないからだ。


 俺は少しだけ笑った。


「気づいてるか? アシャス、今のお前はなかなか感情的になってるぞ」

「……それがどうした?」

「お前に感情はあるんだよ。師に対して思うところがあるんだよ。別に嫌いだったわけじゃないんだろ?」


 アシャスの性格から考えて、興味のないものに対してここまで影響されないはずだ。

 尊敬していたのか、好ましく思っていたのか。少なくともすべてを否定できてるわけじゃない。


「俺個人の考えだけど、アシャスは人間だと思うよ。まあ、変わってるほうだと思うけど」

「……お前に言われちゃおしまいだな」


 彼はわざとらしく憎まれ口を叩く。

 そして諦めたように、肩の力を抜いた。


「……お前に聞きたい。自分勝手な俺の師が、なんで最後に自分が犠牲になるような真似をしたのか」

「俺でいいのか?」

「お前に聞いておきたいんだ」

「付き合いは長かったのか?」

「五年だ」

「なら……勝手に親愛の情が芽生えちゃったんじゃないか? アシャスよりも自分のことが大切でも、感情は反射で発生するからな。稀にそういうこともあるらしいぞ」

「そうなんだろうか。だが奴は死に際にも、犠牲は愚かだと言った。どう見ても自分を犠牲に追いやる行為をしておいて、そのすべてを否定するようなことを俺に言った」


 俺は笑った。


 アシャスはあまりに人間らしくないけれど、悩んでいる姿は人間らしい。


「一般論の列挙になるけど、人間はプライドのために平気で嘘をつくからな。人を愛さないタイプだったなら、人を愛するような真似、自分で認めたくなかったんじゃないか?」


 なんとなく、そんな気がする。


「……そうだったのかもな」


 アシャスは目の前の馬を撫でる。気持ちよさそうに、馬は彼の手に頭を擦り付ける。

 俺はその光景を見ながら、過去のことを思い出す。

 俺はシーナが死ぬ間際に嘘をついた。「君のせいで皆が死んだわけじゃない、全部俺のせいだ」。とても拙くて、すぐにばれてしまった嘘だけども俺はこの行為が正しかったと思っている。


 アシャスには「プライドのために、人は嘘をつくことがある」と言った、けれど――。

 人は愛する者のため、その幸福を願って嘘をつく時もある。

 自己犠牲の否定は、アシャスの師にとって、自分と同じ道を歩んでほしくないがための嘘だったのかもしれない。


 俺は勝手な推測をする。


まだもう少し、俺は理想主義で英雄に憧れがちな少年のままでいられそうだ、なんてことを思った。そうでありたいと願った。俺は、人の善意を憎み切れないようなやつだから。


 俺は会ったこともないアシャスの師に、思いを馳せた。


 ◇



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