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6

『最後の破滅の願い』

 それが破滅の剣に込められている。


 ――力が欲しいんだろう?


 なにもできなかった弱い自分から決別するために。


 ――別に死んでしまってもいいと思っているんだろう?


 自分を許せなくて。

 運命論を信じるがいい。決戦が約束されている。お前の傍には蒼の継承者がいる。そいつは決戦に備えているぞ。


 我が力を使うがいい。

 そしてお前は滅びるがいい。

 どうせ貧弱なお前では、我が力に耐えきれまい。


『賢者の塔』に、お前は辿り着けない。


 ――憎い敵を屠って、死んで見せろ。


 ◇


「……ド。アイザード。……アイザード!」


 肩をゆすられて驚く。ここは冒険者ギルドの目の前。

 服を買ってもらい、全裸の危機を乗り越えた俺(すごい字面だ)含む一行は、冒険者ギルドに辿り着いていた。


「いくぞ」と言うアシャスの声で、俺たちは進んでいく。


 ……さっきのは、何だったんだろう。夢?


 ……ぼうっとしていた。剣が囁き声を俺に伝えてくる。我を求めよ、力を手にしろと訴えかけてくる。


 剣は俺の中にある。望めばまた、剣は俺の手に現出するだろう。しかし、些細な意思しか籠らない戦意でその剣を手にしたのなら、性能はただの魔剣と変わりない。


 ――破滅を願え。


 それが条件。真価を発揮するために、破滅を望まなければならない。恐ろしい感覚がまだ頭の中に残っていた。しかし、この剣は決して手放してはならないものだと、直感した。


 アシャスが冒険者ギルドの扉を開ける。

 中には大勢の人がおり、真昼間だというのに酒を煽っているような人達も多く見受けられる。


 ギルドの中は広く、三十ほどのテーブルに酒を頼むためのカウンター。依頼が張ってある掲示板と、受付嬢が待機しているカウンターがある。

 雑多多様な人種や種族。もちろん、ここにいるほとんどは人間だが、ドワーフやエルフ、ホビットのような種族もいた。


 俺は興味津々の目でそれらを見つめる。エルフは聞いた通り耳が長くて美しく、ドワーフは酔っぱらってしまっているのか地べたに寝転がっていた。

 俺の近くにいるホビットは人間の子供ほどの身長しかないせいか、酒樽を椅子にして冒険者たちと喋っていた。そういう使い方もあるのか、と感心する。


 アシャスが俺を見る。


「俺たちはギルド長に話がある。アイザードはぶらぶらしていてくれ。ついでにここの雰囲気を知っておくといい」

「わかった」


 そうして受付嬢のいるカウンターに向かおうとする。

 すると、俺たちに気付いた冒険者の一人がこちらを向いた。「ア、アシャスだ……」と恐ろしげに呟く声。それが聞こえたのか、他の冒険者がこちらを見ておかしな声を上げ、それをみた冒険者が……。


 こうして情報のドミノ倒しが起こり、今やほとんどの冒険者が静かになって俺たち、正確にいえばアシャスを見つめていた。その目のほとんどには恐れが籠っており、中には敵意などといったものも籠っている。


 Sランク。実質の最高ランクの冒険者。それならば、アシャスが有名なのは当然のことだろう。しかし、この不気味なほどに静まり返った雰囲気は、それだけでは説明がつかないような気がした。

 アシャスたちはもう慣れっことでもいうように、ギルドの奥にある扉へと入っていく。残された俺は居心地の悪い思いをした。冒険者たちの視線が突き刺さすように俺へと集中している。


 だがしばらくすると興味を失ったのか、冒険者たちは宴会に戻り始めた。注目されるのはアシャスだけだったようだ。


 ほっとする。突然アウェー感あふれる場所に放り込まれたみたいでなかなかきつい思いをした。だが今なら普通に動けるだろう。


 ギルドにくる依頼はどんなのだろうか? と気になったので掲示板のほうまで移動する。

 ふむ……。掲示板に主に貼られているのはモンスターの討伐だ。リヴァイバルスライムの討伐、ウェアウルフの群れを駆逐せよ、商人の護衛任務……。


 そのほかにも。


 家の引っ越しの手伝いとか、犬を探してくれとか、冒険者がやらなそうな依頼もあった。新人向けの依頼だろうか? 報酬はそこまで多くないが、数をきっちりとこなせば食つなぐことは簡単そうだ。


 他にも『冒険者ギルドの歴史』と本が置かれていたりして、俺は目を輝かせる。冒険王アークルヴァが創設した冒険者ギルドは、力なき民衆を守るため、という理念の元に作られたようだ。現実的なものとして落とし込むために、依頼と報酬という制度を作り、発展させた。それになになに、その設立には英雄騎士ソルが絡んでおり……? 初めて聞く情報だ。俺の憧れる英雄騎士、ソルはこんなところでも活躍していたのか。ソルに関する記述がずらりと並んでいる。気になって、そのいくつかに目を通す。


『英雄は、罪を背負いて蘇る。もう一度人類を救うために』


 ……なんというか、伝説的だなあ、と思う。神聖化しているというか。本当にこんなことあったのか? と言いたくなる記述もいくつかあった。神みたいに固く信じられている、人類最強の英雄。罪を、背負う。馬鹿らしいな、と俺は思う。


「ねえ、もしもし、あなた?」


 掲示板やいろんな書物を眺めていると声を掛けられる。

 冒険者でもない俺が見ているのはまずかったか! と一瞬焦るが様子を見るにそういうことではなさそうだ。


 俺に話しかけてきたのはエルフだ。長い金髪を持つ、女のエルフ。

 狩りをする種族だからか、履いているのはびっちりとした皮ズボン。長い耳の片方にはイヤリングが吊るされており、背は高い。


 非人間的で不可思議な美貌を誇る女に声を掛けられ、少しキョドる。


 ……そもそも俺は女慣れしていないのだからしょうがない。


「えっと……はい」

「もしかしてだけど、あなたの名前はアイザードっていうんじゃないかしら?」

「え? あ、そうです。……占い師ですか?」


 俺のおかしな返答に、エルフの女はくすくすと笑った。


「ちがいますよ。私はレンジャーです。そうね、私があなたの名前を知ってるのは、あなたのお兄さんのことを知っているから。どうかしら?」


 吐き出された予想外の情報に、思わず距離を詰めてしまう。


「ナギル兄さんを知ってるんですか!?」

「そうよ。私たちはナギルの仲間だったのだから」

「……だった?」


 疑問をたたえた声を出すと、彼女は複雑そうな表情をした。


「ナギルは二年前から行方不明なの。詳しいことは私たちの仲間を紹介しながら話すわ。ついてきてちょうだい」


 俺は彼女に案内されて、ドワーフと獣人がいるテーブルに座った。異種族に関してはナギル兄さんに教わった知識が主なものとなっている。

 例えば、このドワーフは見たところ、あまり若くはなさそうだとわかる。髭に白いものが混じっているドワーフは百五十の齢を超えた者の証だ。彼は若いドワーフから敬われる立場にあるだろう。


 そして次に、獣人はオオカミの顔をしていた。獣人とは人と獣の中間に位置するものであり、魔力があまりないかわりに身体能力が高い。寿命は一部を除いて五十と、やや短命な種族だ。


 死の五年前までは全盛期と変わらない強さを誇り、逆にその五年という佳境に入るとものすごい勢いで力が落ちていく。これを待つ命の目盛り(シュビーティングライフ)というのだとか。

 エルフの女が俺のことを紹介してくれる。


「みんな、この子はアイザード。ナギルの弟ね。言い忘れていたけど、私の名前はミーラ。よろしくね、アイザード」

「あ、よろしくお願いします。アイザードです」

「ふふ、わかってるって」


 アイザードと紹介されたのにまた自分の名前を連呼してしまい、赤面する。

 たぶん緊張しているのだ。彼らはナギル兄さんの仲間たち。ナギル兄さんのランクはA。彼ら彼女らもきっと、凄腕の冒険者に違いない。


 ドワーフの男がのっそりと手を上げる。


「わしの名はダンガン。酒が好きだ。宝が好きだ。勇ましいものが好きだ。よろしく頼む」


 簡素な紹介に、力の籠った言葉尻。偏屈で正しい正義感を持っている。そんな印象を抱く。


「次は拙者だな」とオオカミの獣人が言う。


「拙者の名はジャガレット。獣人だ。武を愛し、此の身を高みに馳せんがため武者修行をしている。君は剣士か?」

「はい」

「ふむ、良い使い手のようだ。欠かさず剣を振ってきた生真面目の気を感じる」


 黒目の大きな獣の目に見つめられる。

 なんとなく照れる。このいかにも武人、といった獣人に褒められると自分が凄い奴のような気がしてくる。


「ありがとう。そっちの首飾りも素敵だな。かっこいいよ」

「ふふ、そうか? なかなか話がわかるようだな」


 ジャガレットが首にかけている首飾りは獣の牙に糸を通してぶら下げているものだ。

 オオカミ型の獣人ということは、彼はおそらく『牙の氏族』なのだろう。人間に国があるように、獣人にも民族などの区切りがある。牙の氏族は首飾りに対して特別な思い入れがあるらしいから、一言言及すると今後の関係が円滑になる……というのはナギル兄さんから聞いた話だ。


「それでこの剣は我が父君から頂いたものでな」とジャガレットは目をきらきらさせながら話しかけてくる。


「すごい……。かなり使い古されてるじゃないか。もしかして長い間受け継がれてきたものだったりする?」

「おお! わかるのか! アイザード殿の言う通り、これは我が祖先から代々受け継いだものでな」

「かっこいい……」

「そうだろうそうだろう」


 なぜだか無性に男心というか、剣とかのカッコよさに関する部分に共感を持った。


「すごい勢いで仲良くなってるわね」

「宿命だ」

「運命だ」

「……すごい勢いで仲良くなってるわね」


 そんな風にして、ナギル兄さんの仲間たちとなし崩し的に仲良くなる。

 ミーラはエルフ随一の弓の使い手で、冒険内での敵の索敵、そして狙撃で梅雨払いをしてくれるため、本当に助かるのだとか。


 ダンガンは力が強く、手先が器用。ダンジョンのトラップを解除したりでリーダーシップを張る頼りになる仲間。

 わしはトラップの解除など盗賊(シーフ)みたいで好かんがな! とダンガンは言っていた。ドワーフの矜持とか、いろいろあるらしい。


 そして俺の身の上話をミーラたちにして……同情された。

 家族が死んでしまったこと。

 アシャスに拾われて、仲間になったこと。


 ……ナギル兄さんを探していること。


 ミーラはとても辛そうな顔をしてくれた。そして俺の肩に優しく手を載せて言う。


「災難……でしたね。もしよかったら、私たちと一緒にきませんか? ナギルの弟だもの。ほうっておけないわ」

「わしがこんなことを言うのもなんだがな。アシャスのパーティーはあまりいい噂がない。腕がいいから何度も死地に飛び込むことになるだろう」

「拙者も賛成だ。君はぜひうちに来てほしい。聞くに魔法と剣、両方が得意だそうじゃないか? 拙者らのパーティーは魔法の面で弱くてな。おまけに信頼のできる仲間となれば、ぜひうちに欲しいのだ」


 親身になってくれるミーラ達。

 しかし、俺は首を振った。俺が今生きていること。

 特別性。継承者。


「申し出はありがたいんだけど、俺はアシャス達についていくよ。……本当に感謝してる。でも、俺はあのパーティーじゃないとダメな理由があるんだ」


 そういうと、素直に引き下がってくれた。

 中でもダンガンは相当に唸り、納得がいかなそうだったがなんとかという体で抑えてくれた。


「……いつでもわしらを頼るといい。ナギルはわしらの恩人であり、わしらはナギルの恩人だ。岩石より硬い絆は何物にも代えがたい。わしらにはお前さんを助ける義務があるといっても過言ではないのだから」

「ありがとう。……ナギル兄さんは本当にいい仲間を持ったんだな」


 見ていればわかる。

 彼らが持つ互いへの信頼感は貴重なものだ。長年付き添ったから、命を助け合ったから、だから彼らは、今パーティーとして運命を共にしている。

 とても、羨ましかった。

 俺は首を振って思考を振り払う。

 俺には聞くべきことがあるのだ。それを聞かなくては。


「……ナギル兄さんはどうなったんだ?」


 そう言うと、ミーラたちは複雑そうな顔をした。もしかして、と俺は最悪を予期する。

 ジャガレットが俺の問いに答える。


「そう心配するな。おそらく死んではおらぬ。ただ……『やるべきことがある』といって二年前にパーティーから抜けてしまったのだ。冒険者の仕事はごく少量だがこなしているようだから、生きてはいる」

「でも、会えてないってことだよね?」

「然り」


 そういえば、とミーラが言う。


「ある時からナギルの様子がおかしくなったの。アイザードはなにか知らない?」

「俺が十の時、七年前に家に帰ってきたとき、ナギル兄さんの様子がおかしかったんだ。その時、ナギル兄さんはなにをしてたかわかる?」


 俺が十の頃、帰宅したナギル兄さんの様子はおかしかった。

 幽鬼みたいな表情をしていて、頬は落ちくぼんでいる。死んだ表情というのが相応しい、抜け殻みたいな兄さん。


「なにもなかったわ。その時私たちはずっと一緒に行動していて、ナギルにおかしなところはなかった」


 ……ん? どういうことだ? と思う。

 あれだけ様子がおかしかったのだ。ミーラからなにか手がかりを得られると思ったのだが……。ナギル兄さんに劇的ななにかがあったのは間違いないのだ。


『百人を生かすために、一人を殺すのは正しいことだと思う?』


 ナギル兄さんはこんなことを言っていた。きっと、なにかを見殺しにせざるを得ないことがあったはずで。


「ナギル兄さんは罪悪感に取りつかれてるみたいだったんだ。……泣いてた。七年前、きっとなにかがあったはずなんだけど……」


 俺がそう言うと、ミーラは困惑した。なにも心当たりがない、という感じだ。

 ならそれは、思った以上に小規模なもの?

 ナギル兄さんが帰郷するために俺たちの家に向かう途中、その時は仲間とはいなかったはずだ。なら考えられるとしたら、その短い期間になにかが起きた、ということだろうか?

 それを伝えると、またもやミーラは府に落ちない、という表情をした。


「……私たちとナギルが別れた場所から、あなたの家にいくまでの距離は相当短かったはず。アイザードがここに来るのだって一日もかからなかったでしょう? ここから家への経路は短いし、治安もいいからなにかが起こるなんてないはずなのよ」

「じゃあ、いったい何が起きたんだろう?」

「寄り道をしたとか?」


 たぶんそういうことなのだろうが、いまいちしっくりこない。

 俺はナギル兄さんがあそこまで傷ついた理由が知りたかった。いつもは穏やかなのに、あの日は父と怒鳴りあうことまでするほどだった。


 ――いったいナギル兄さんになにがあったんだろう?


「ともかく、一か月前にナギルがここにいた、という情報が最新のものよ。これだけのことしかわからなくてごめんなさい」

「いやいや、謝る必要なんてないよ。それより俺はお礼が言いたいな。こんなに良くしてくれて、ありがとう」


 俺のお礼に、ミーラはにっこりと笑ってくれた。

 一通り身の上話をし終えた後、俺は彼らとナギル兄さんの過去について話し合った。

 兄さんはこういうことをしてくれたーとか、俺にとっての憧れで英雄みたいなものなのだー、とか。

 ミーラたちもいろいろなことを話してくれた。ジャガレットがナギル兄さんに挑戦をして惨敗。その後に仲間になった話だとか。贈り物を選んでいる時にダンガンの目利きが役に立ったとか。

 楽しい楽しい……そういう話のはずだった。

 みんな笑っている。俺だって笑っていて、おかしな話に涙がでるほど腹を抱えて笑っている。


 ――でもなぜだろう。もう一人の自分が、そんな光景を見下ろしているような気がした。


 俺は楽しんでいるように見える。しかしそれはフリだ。笑っているフリ。楽しんでいるフリ。


 フリ,フリ、フリ、フリ。面白くもないのに笑っていて、笑わなくてはいけなくて、吐き気がする。


 ――気持ち悪い感触。


「……おっとごめん。なんか冒険者ギルドの雰囲気って独特で酔っちゃったや」

「おいおい、酒も飲んでないのにか?」

「熱気とか、そういうものがあるだろ?」


 俺は適当な理由をつけて、その場を離脱する。

 振り返る。ナギル兄さんの仲間たちが、相変わらず楽しそうに談笑している姿。


 ――なぜだかそれを見て、無性に寂しい気持ちになった。


 俺は冒険者ギルドを出て、その裏に回る。壁にもたれかかる。手を顔に当てる。

 昔のことを思い出していた。シーナと父さん、ナギル兄さんがいた日常。


「……でも終わってしまったんだ」


 こんなことでくよくよするのは今更のことなのかもしれない。

 もう一年もたったのだ。いい加減忘れて、平気な顔をして生きるべきだ。

 けど、気づかされた。思い知らされた。俺が笑っている時、陽気に誰かと喋っている時。なんだかとても、後ろめたいのだ。俺は笑っている……シーナも父さんも、死んでしまったのに?

 俺は笑うことができる。シーナと父さんが死ぬまえと同じ行動をすることができる。人間として性格が変貌したり、陰気になったりしたわけじゃない。

 だが薄っぺらかった。楽しく、ないのだ。

 自分の表情も声も、なにもかもが嘘のようで、俺が俺でないようで。

 ……死者に思いを引っ張られて自殺してしまうのは馬鹿のすることだ。

 そういう心情がある。

 例えばの話だ。

 物語の中の主人公が、恋した少女が死んでしまって落ち込む。ついに後を追って死んでしまう。こういう話を見た時、俺は思うのだ。

 二人は愛し合っていた、だからこそ。

 だからこそ、主人公は生きるべきだ。……そう俺は思っていた。その少女が本当に主人公を愛していたなら、あとを追って死んでしまうなんて絶対に望んでいないはずなのだ。自殺は独りよがりだ。誰も望んでいない。だから最低の行為だ。……そう思っていたはずだった。

 俺は一人、壁に寄りかかって座り込む。膝を抱え込んで、うずくまる。

 今なら、俺はその主人公の気持ちがわかる気がした。

 死にてえな、なんてことを思う。

 本気ではない。けど、少しだけそんなことを思ってしまう。


 人が死んでしまうこと。

 ナギル兄さんは言っていた。死んでしまった人のことを諦めるために人は涙を流すことがある。決別の象徴として、自分の中で区切りをつけるために思いっきり声をあげて泣く。

 そして、それだけは絶対にしたくない。

 そんなことを、言っていた。


 自分で自分を抱え込む。膝を抱え込んで、自分を抱きしめる。

 俺はどうすればいいんだろう? と思う。

 生きていても楽しくない。笑っているのは見せかけで、取り繕っているだけだ。

 俺はナギル兄さんの仲間たちを見て、彼らが談笑しているのを見て……心底羨ましかった。


 もう俺が持っていないものを持っている彼らが羨ましくて、疎ましいぐらいで。

 彼らが悪いわけでもないのにそんなことを思ってしまって、俺は勝手に楽しそうな光景を見て傷ついて。


 バカみたいだ、と思う。


 シーナと父さんがここにいてくれればな、と思う。


 ……そんなこと、天地がひっくり返ってもありえないけれど。


 でも「もしも」があれば、俺は救われていた気がする。

 こんな風に一人ぼっちで膝を抱え込んで、苦しむことはなかった気がする。


 ……ちくしょう。


 頬が濡れているのに気付いた。

 それはきっと、俺の弱さの証。

 諦めるための涙。

 死んでしまった人に対して決別するために、人は涙を流す時がある。


 心が折れている。


 もうシーナと父さんが蘇ることはないと、俺は知っている。


 だから俺は、こうして拳を握りしめて。


 なにかに耐えるみたいに歯を食いしばって、なにか呪って。


 一人で流したくもない涙を流している。


 ……シーナ、父さん。


 俺は――。


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