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5

 

 思い出が回っていく。

 ずっとこのままでいればいいと思った。氷に閉ざされたままでいいと、そう思っていた。

 だが、時間が経ちすぎた。

 俺は、もうそろそろ目覚めるだろう。おぼろげな予知が、そう伝えてくる。


 でも俺は……この先、生き続ける必要なんてあるんだろうか?


 とてもではないが、生に肯定的にはなれない。

 だって、父さんが、シーナが死んだのだ。これ以上生きていたってなんになるんだ?


 ――囁くような声が聞こえる。


 追憶の欠片。

 俺に生きろと促している。憧れるものがあるだろうと、励ましている。

 たしかに、俺には捨てきれない夢があった。英雄願望、子供の夢、冒険すること。

 カッコいい英雄騎士に憧れた。一つの絵本を見て、俺は剣と魔法の修行に身が入るようになった。


 ――どうせ生きなきゃならないんだ。


 俺は自殺ができない人間だ。死ぬのが怖い。死にたいと思っても、結局のところ俺は生き続けてしまうだろう。

 それなら、俺は正しく生きるべきで、鬱めいた心情を引きずるべきではなくて、明るく笑って生きるべきで。

『英雄は強い姿を見せ続けなければならないんだ。アイザード、笑うんだ』

 ナギル兄さんの声。追憶にある、励まし。

『もう剣を握れないか? 体はボロボロか? でも笑うんだよ。辛くても、苦しくても、君は限界の姿を見せるべきじゃない』

 どんなに辛くても、笑うんだよアイザード。

 さあ、いくよアイザード。


 俺にとって、兄さんは――。


 英雄で、憧れで、大好きな人で。

 だから、最後に生き残っている家族がいるから、俺はその言葉を信じて笑って見せなければならない。

 幻影だってわかってた。兄さんがここにいるわけじゃない。俺が生きたいと願っているから、励まされたいから、背中を押してほしいから、都合のいい幻影をみているだけだって。

 そんなこと、そんなことはわかってた。

 だから、俺は笑って見せる。明るい人間であれるように、自分がなりたい人間に近づけるように。


 ――ぼうっと目の前に自分の姿が浮かぶ。


 氷の反射。鏡に映った自分の姿が、なぜだか闇の中でもはっきりと見える。

 そしてその自分の笑った姿は。


 ――ひどく、歪だった。


 俺は……俺は!


 ……なんで笑ってられるんだよ。

 だって、父さんが、シーナが死んだんだ。

 自分が生きるために笑う? 英雄の真似事がしたくて?

 なんで忘れたフリなんてできるんだよ。明るい人間みたいに振る舞えるって、なんでそんなことを信じられるんだよ!


 たぶん、俺は他ならぬ俺自身のことが許せなかった。誰も救えなかった、自分の無力さに失望した。

 たぶん、俺は自分の幸福なんて望んじゃいなかった。こんなやつ、死んでしまえとすら思った。


 目の前の自分の姿を叩き壊したかった。けれど、体が動かない。

 俺は無力感を噛み締める。悔しくて悔しくて、頭がどうにかなりそうになる。


 シーナ、と彼女の名を呼ぶ。

 君のいない世界なんて、生きていたくはないよ。


 悔しかった、悔しかった。

 どうしてこんなことになってしまったんだろうって。

 彼女と一緒に過ごすことを夢見てた。俺は意気地なしだけど、どこかで告白して、恋人になって、手をつないで。

 キスをして、「幸せだね」って言いあって。

 そんな幸福な未来を夢見てた。いつかは叶うんだって、根拠もなく信じた。


 でも、それは幻想。叶わぬ夢。

 彼女は、死んでしまった。


 だから、だからこそ。

 俺は前に進まなければならないのだ。もう縋るものなんてない。夢も希望もない。

 俺はどうせ生きる。意気地なしは自殺なんてできやしない。


 ――笑え、笑え。


 鏡の前で、いじらしく笑顔の練習をする。

 ひどく気持ちが悪かった。こんなのは俺じゃない。

 外に出て、俺が笑えたとして、明るく振る舞えたとしても、こんなのは俺じゃない。

 仕方がないからやっているだけなんだ。英雄になりたいからって言い訳して、俺は明るく振る舞うんだ。

 でもそれは本当の俺じゃない。本当の俺は絶望していて、どこか死にたがっていて、投げやりで。


 ――ずっと、家族のことを忘れられない、愚かな少年のままだ。


 ◇


 ――剣が廻っている


 悔しいか? と語り掛ける。


 悔しかろう、悔しかろう。

 お前には力がない。意思もない。運命すら持っていない。

 お前はなにもできない。どうせ幸福になれやしない。


 お前に待つのは破滅だ。


 ――さあ、剣を取れ。


 破滅の剣を。


 ――さあ、力を持て。


 我が身を握れ。


 お前は最後に一つだけ願いを持っている。

 三つ目の願いは一際強力で、世界だって滅ぼせる。


 なにかを破滅させてやりたいと、心の底から願った時、我は真価を発揮してやろう。


 ◇


 ――こんな理不尽な世界が、憎いよ。


 復讐して、やりたい。


 英雄なんて、信じちゃいない。


 誰も、救われなかった。


 ◇


 氷の中にいたせいだろうか。

 氷の分厚い層が割れる音は、やけに俺の耳に響き渡って聞こえた。


 パラパラと落ちていく氷の破片。

 俺はゆっくり目を開く。


 一年。

 それが経過した時間だった。理屈はわからないが、なぜだか俺にはそれがわかった。


 冷ややかな風が肌に染みる。

 久しぶりにみた景色はやけに色鮮やかに見えた。

 依然として視界に広がるのは氷の世界だ。俺が作ったこの世界は、微塵も規模を縮めちゃいない。


「――目が覚めましたか?」


 下の方から声が聞こえる。

 今、俺は氷山の上に立っていた。地面からは距離がある。

 地表には三人の集団が立っていた。

 一人は戦士。赤い髪をしていて、ハードレザーを着こなす軽装鎧の戦士。体の筋肉はほどよくのっていて、スピード型の戦士なのかパワー型の戦士なのか判別がつかない。

 一人は魔術師。いかにも、という感じのローブを目元まで被っていて、表情は見えない。かなり痩せている様子。覗くギラギラとした蒼い目は力強く、そのがりがりの体躯と不釣り合いなほどだ。

 もう一人は女騎士。大きめの盾に槍を装備している。蒼い髪をした美人。身長が百七十五ぐらいはありそうだ。男の俺とそうかわらない。


 声を発したのは魔術師のようだった。


「聞こえていますか?」

「聞こえてるよ」

「そうですか。よかった」


 そっけなく魔術師は返事をする。ローブをすっぽりと被っているから最初は気づかなかったが、その声は案外若い。俺よりも少し上か、同じぐらいだろう。


 冷ややかで恐ろしささえ感じる蒼い目がこちらを貫く。

 ギラギラした蒼い目。


 ――魔眼だ。


 かなり珍しいものだ。基本は一族の血によって発現したりするものだと聞くが……。

 勘だが、彼の物は相当強力な部類な気がする。

 魔術師は生まれつきのものだと言った。しかし、それが今でもコントロールできていない。

 そう考えると、常時発動しなければならないほどコントロールが難しい、強力な魔眼だと考えるのが妥当だ。

 彼の年齢はわからないが、少なくとも十年以上かけても扱いきれないほどの。


 俺の視線に気づいた魔術師が「失礼。悪気はないんです。生まれつき持っていたものでなんです」と謝ってきた。

 彼は深くフードを被りなおす。その恐ろしげな双眸が影に隠れる。

 ごほん、と取り繕うように彼は咳払い。


「単刀直入に聞きます。あなたが今の破滅の剣の保持者ですね?」

「……」


 破滅の剣のことを知っているらしい。

 ならば、それを目印に、彼はここに来たということだろうか?


 魔術師は質問を続ける。


「ここでなにがあったんですか? ここの氷を溶かすのはずいぶん苦労しました。そして見つけられたのはあなただけ。……いったいなにが起きたんですか?」


 それに返答するのに、俺はしばし時間を必要とした。

 氷を溶かした、と言っているのを聞くに俺を目覚めさせたのはこの魔術師なのだろう。

 一年。一年の間俺はここで眠っていた。

 その間、ここの特殊な氷は全く溶けなかった。

 この氷の源になっているのは俺の氷属性の魔力だ。だが俺にここまでの力はない。破滅の剣の影響だろう。破滅の剣が、俺の能力を増幅させ、強化した。


 いろんなことを考えて、俺は魔術師に向き直る。

 ……なにもかもを全部打ち明けるべきなんだろうか、と思う。


 魔王のような男が家族を殺したこと。

 俺が剣の力を作ってこの氷を作ったこと。


 この氷山の下に、父さんとシーナは眠っている。

 ここは墓場だ。俺がありとあらゆる思いを閉じ込めた墓場。


 だから俺の心の内を話すような気がして、なんとなく俺は喋りたくなかった。

 この魔術師は俺の恩人にあたる。どんなやつかは知らない。少なくとも、あの魔王のような男の仲間ではなさそうだ。

 たぶん、話す『べき』だ。


 俺が黙っていると、再び魔術師は口を開いた。


「――いったい誰が狙われたんですか?」


 覗き込むような言い方に、思わずぞくりとさせられる。

 こいつはなにかを知っている。


 首を振って、返事をする。


「……俺の家族だ。聞いたところ、白の継承者がどうとかで狙われたらしい」

「死にましたか?」

「……ああ」


 思い出すだけで、口にするだけではいい表せようのない感情が胸にのぼせ上った。この感情は、なんだろう?

 だめだ、俺は笑うべきだ。明るく振る舞って、まともな人間みたいになるべきだ。


 俺はゆっくりと微笑んで見せる。


「一年も昔のことだけど、まだ少し悲しいや」

「……そうですか」


 蒼の魔眼が向けられる。俺がどういう人間か、確かめるみたいに。


「あなたに聞きたいことがあります」

「……どうぞ」

「あなたたちは自分に特別性を感じたことがありますか?」

「……特別性?」


 なにを突然、と思う。

 魔術師は続ける。俺のことを見透かしたような目をしながら。


「根拠のない、幼い少年が抱くものとは違う。根拠のある『自分が特別だ』と思う理由。そういうものを感じたことはありませんか? きっと、あなたにはなにかあるんじゃないですか?」


 俺の特別性。

 自分のことを平凡な奴だと思っていた。

 俺は父に鍛え上げられて強くなった。一国の騎士程度なら軽くあしらえるぐらいには。

 けれどそれは父の教育の成果。俺に特別凄い才能があったわけじゃない。


 しかし、と思う。


 どうしても外せない特別性が、ある。


 産まれる前の記憶があることと、死を予知する忌まわしい能力。

 根拠のある、不幸に結びつくからこそ自信を持って言える自分の特別性(・・・・・・)


「僕は蒼の継承者です。そして隣の赤髪――アシャスは、朱の継承者です。どうです? 僕たちの仲間になりませんか? 一緒に自分の特別性の理由を、探しに行きませんか?」


 たまたまなのかもしれない。だがともかく、魔術師の演説はとてもうまかった。彼の言葉は俺の心中を鷲掴みにした。

 俺は自分の特別性を、なんでこんな能力があるのかを知りたかった。

 そして、


 ――継承者。


 白の継承者、シーナ。

 継承者とは何者なんだ? なぜ狙われたんだ?


 それがどうしても気にかかる。家族が殺された理由を知りたがってしまう。


 許せないのだ。あんなに善良な彼女が殺された。俺の好きな彼女が殺された。父はそれをかばって死んだ。

 理由が欲しい。殺された理由が。狙われた理由が。

 どこの誰が仕組んだのか、誰がそんなルールを決めたのか。


 俺が魔術師の申し出を断る理由は特になかった。

 強いて言うなら、俺がこの集団のことを全く知らないことぐらい。

 だが俺にはこれからの目的がない。生きる意味がない。

 なら、意味を与えてくれるこの集団に紛れてしまってもいいかもしれない。


「名前は?」と俺は聞く。


 にやりと魔術師は笑った。


「僕の名前はレイモンド・ウォーカー。レイと呼んでください」

「俺の名前はアイザード。その、よろしく頼む」


 それが俺たちの出会いだった。

 俺たちの特別性。

 殺された理由を探して、彷徨うこと。


 俺が決意を固めていると、遠慮がちにごほん、と女騎士が咳払いを立てる。


「そのなんだ、アイザードって言ったわよね?」

「ああ、うん。どうしたの?」

「とりあえず……着た方がいいんじゃないかしら?」


 冷ややかな風が肌に染みる。

 なんだかやけに寒いな、とは思っていた。


 恐る恐る自分の体を見つめる。

 全裸だった。

 俺は赤面した。


 ……ずっと全裸で話してたのか、俺は。


 ◇


 目覚めは新たなる仲間と共に迎えられた――。


 だから、俺は笑わなければならないのだと思う。

 鬱めいた心情を引きずって、同情してもらいたいわけじゃない。

 俺はいったい、どういう人間だった?


 たぶん、明るい人間だったはずだ。

 陽気で明るくて、くだらない冗談を言うタイプ。落ち込みがちだが、それでも元気になろうと、無理やり気持ちを上にあげて、幸せになろうとするタイプ。


 笑顔は偉大だ。どんなに苦しくても、笑っていれば気持ちが楽になることがある。

 経験として、俺はそういうことを知っている。自分の気持ちなんて関係ない。幸せになろうとする考え方こそが、人を変えるのだということを。


 だから俺は笑えなければならない。


 俺は、氷の鏡の前で、笑顔の練習をする。


 ◇



 俺たちは一番近くの街へと向かっていた。


「素っ裸ーのまっただかー……」


 俺は氷山の上で全裸で仁王立ちしていたのだ。そう思うと死にたくなる。


「素っ裸ーのまっただかー……」

「おい、その変な歌やめろ」

「うん」


 アシャスがうんざりしたような声を上げたので、俺は憂鬱な歌を止めた。


 空気を入れ替えるように、女騎士が言う。


「そ、そういえば自己紹介をしてなかったわね。私はエレナ・ウォーカー。レイの姉よ。よろしくね」


 心優しい女騎士――エレナはそう言った。


 その流れということで、もう一人の赤い髪の男が改めて自己紹介をする。


「アシャス・ハンニバルだ。武器はエッジガントレット。ソウルウェポンだ。魔法は一切使えない」


 そう言うと、彼は自分の武器を見せてくれた。


 ――虚空から武器が顕現し、その腕に宿る。


 その形状は怪物の鉤爪、というにふさわしい。指の一本一本が鋭利な爪状になっており、相手の心臓を掴み、えぐる動作が可能。肘まで伸びた金属は頑強に見え、その部分で防御することもできそうだ。

 まるでモンスターや怪物の腕をそのまま移植したような、そんな見た目をした武器。


 そして、このソウルウェポンは魂の武器でもある。持ち主の魂と同一化して、どんなところからでも取り出せる、という性質があるから、瞬時に腕に装備して相手の攻撃を防ぐ、ということもできそうだ。さらに、ソウルウェポンには武器によって特殊な能力がついている。最大の魅力はその武器の重さを半分無視できることであり、武器を振るう速度、反動性能が飛躍的に上昇する。


 ――魂と武器の同一化。


 生来獣が自分の爪に引きずられることがないように、ソウルウェポンの持ち主はそれを自由自在に扱える。重さはしっかりと存在しているが、反動をかなり抑えられるし、そもそもの武器を振る速度が飛躍的に上昇する。

 ただし、デメリットもあり、その武器が破壊された時の代償は持ち主の発狂だ。その武器は使用者の魂であるから、壊れてしまうとほぼ命は助からないと言われている。



 俺たちは街に向かって歩く。歩き続ける。

 ここまで歩いてきたが、俺は背後にある巨大な氷山を振り返るようなことはしなかった。

 決して溶けない氷の墓場。いつか、いつかは俺が、またあの家に戻ってくることがあるのかな? そんなことを思う。


 街が見えてくる。

 今の俺の服装といえば、さすがに全裸で大地を闊歩する非文明人となるわけにはいかないので、アシャスから大きなマントを借りている状況だ。

 といっても、その下にはなにも履いていないのでいろいろと物寂しい。

 街に着いたらそこらへんはなんとかしてやるし、装備も整えてやると言ってくれた。金には困っていないのだとか。


 俺たちは街の門へと到着する。

 女門兵が俺たちの一行を品定めするように見た。


 戦士風の男にフードを深く被った魔術師。がっちりとした鎧を着込んだ女騎士。

 そしてぶかぶかのマントを羽織った少年。


 女門兵は俺を特に注意深く観察してきた。


「なんだか怪しいな。マントがでかすぎる。その下になにか物騒なモノでも持ってるんじゃないか?」


 咎めるようにそう言われたので、俺は「まあ、ぶっそうなのものを確かに股間にぶら下げてるけどな」と言い返してやろうと思ったが言わなかった。あんまりなセクハラだ。


 とりあえず、俺はなるべく無害そうな表情を作ることに努める。


 その時、アシャスがなにかのカードのようなものを女門兵に突き付けた。

 女門兵はうろたえる。


「ぶ、無礼を働いてしまい、もうしわけ……」

「どうでもいい。いくぞ」


 アシャスを先頭に、俺たちは街の中に入っていく。

 このメンバーではっきりとした優劣はないが、一行のリーダー的な存在はアシャスのようだ。


「なあアシャス。あの門兵、すごいうろたえてたけど、なにを見せたんだ?」

「ああ、冒険者カードだ。いっちゃなんだが俺たちは高位の冒険者でな。見せれば信用になる」

「へえ。アシャスたちはどのランクにいるんだ?」

「Sだ。実質の最高ランクだな」


 アシャスとレイはS。エレナはA。

 さらに聞いてみると、そんな返答が返ってきた。

 俺は思った以上にすごいやつらに拾われたらしい。


 父さんから聞いたところ、俺の実力は一応Aには届くとのこと。

 ……一応、俺の実力はかなりの水準にあるはずだが、これほどすごい冒険者たちの足を引っ張らずに済むだろうか? 少し不安だ。


「アイザードは街は初めてなのよね?」


 街の中に入ると、エレナが俺に声をかけた。


 俺は改めてエレナに目を向ける。

 女にしては平均的な男の背と同じぐらいの身長。ウェーブのかかった綺麗な蒼い髪、ぱっちれとした蒼い目。動くのが窮屈そうながっちりとした鎧を着込んでおり、女騎士という言葉が似合う容貌。

 あんまり強くないから、装備はしっかりとしているの、と彼女は言っていた。たしかに、このメンバーだとレイとアシャスの実力は頭一つ分抜けているように見える。実際に戦うところを見たわけではないので、あくまで雰囲気がそんな感じ、というだけだが……。


「ああ、俺は閉鎖的な森の中で育ったんだ。なにもかもが、目新しいものばかりだよ」


 俺の境遇、あそこでなにがあったかは一通り新しい仲間には話している。

 エレナはそんな俺に同情的だった。


 俺は周囲を見渡す。

 舗装された道に、いくつもの木造建築物が並んでいる。これらは商店だろう。もっと奥の方を見てみれば、民家らしきものも目に入る。

 それに加え、道の端には長い金属の棒が突き立てられている。その先端はふっくらとした形状をしており、なにに使うのかは不明だ。


「ああ。あれは街灯っていうのよ」


 聞いてみると、エレナはそう答えてくれた。


「そこそこの規模がある街には、夜の暗い時間帯に道を照らすために街灯が設置されているのよ」

「そんなこと可能なのか? 相当出費がかさむと思うんだけど」

「うーん、私は頭悪いからわからないわね!」


 突っ込んだ質問をするとエレナはそう答えてくれた。

 正直さと恥を恐れないその姿勢は美しいものだと思う。

 俺は微笑んでレイに質問した。

 フードを深く下した彼はめんどくさそうにしながらも、質問に答えてくれた。


「察しているようですが、まず街灯には魔道具がはめ込まれています。田舎者にはこれだけで驚くべきことなのかもしれませんが」


 田舎者を笑う、皮肉げなレイの声。


 魔道具が使われているのは、なんとなくわかっている。

 だがそれが真実だとすると、出費が恐ろしいことになるのだ。

 魔道具というのは役に立たなそうなものでも大変高価なものだ。


 それには魔法というエネルギーの特殊さが関係している。

 この世界には『魔力は混ざり合わない』という鉄則がある。魔力というのは油のようなもので、他の油ともなかなか混ざらないし、水――星のエネルギーや思想エネルギーと言った他種のエネルギーとも混ざらない。

 さらには流動性があるから、魔力というものは一か所に留まることを基本的に拒否するのだ。魔法という現象は強引にエネルギーを一か所にあつめて奇跡を起こす、自然から外れた技であり、この奇跡は魂を持つ知的生命体、もしくは魔道具以外は引き起こすことができない。


 魔力はそこにあるだけで、周辺のものを劣化させてしまう。剣に魔力を込めると一日でその剣は木の枝みたいに折れやすくなるし、魔力を込めて機械を作るとたちまちその機械は壊れてしまう。


 そんな扱いにくい「魔法」という奇跡を、劣化しにくい道具で引き起こせるというのは大変便利なのだ。この世界の人々のたいていは、ろうそくに火を灯せるぐらいの魔力を持っているが、逆にいえば大半はその程度しか能力を持たないので、魔道具に魔法を代行してもらうことに恩恵を感じる者は多い。


「うん。魔道具が設置されてるのはわかるんだ。けどその費用はどこからでてるんだ? 原料のマナタイトはそんなに安いものじゃないはずだ」

「その通りです。ですがここは流通が多い街。街の規模こそ小さいものの、商業が盛んな工業都市として知られています。ここではかなりの魔道具が毎日作られてるんです。その際に、マナタイトをはじめとした原料の残りカスが大量に余ります」

「それを使ってるって? でもそれだって普通に買い取ればそこそこの値がするんじゃないか?」

「ここで商売をするなら、残りカスは比較的安価で街に渡さないといけないルールがあるんです。ちょろまかすことは難しくないですが、所詮は個人が抱える残りカスなので、街に睨まれるぐらいならと、素直に渡す人が多いですね」


 へえ、わざわざ街にルールを設けて、それでうまく回しているということか。


 なんとなく感心する。思えば冬なんかは日が落ちるのが早いし、そのあとはずっとどこかに閉じこもっていなければならないのも不便だ。『税』というシステムのことは知ってるが、こういう使い方もあるんだな。


 そんな雑学に花を咲かせていると、アシャスが俺たちの方を振り返った。


「冒険者ギルドに寄る。近道をするぞ、ついてこい」


 指さす方向を見ると、そこは建物同士の隙間のような道。つまりは裏路地というやつだった。普通の大通りを使わずに、時間の短縮のためにそのルートを選ぶという。

 俺はそこに入るのが少し嫌だった。なんたって裏路地といえばすごく治安が悪そうだ。


「追い剥ぎが俺を狙ったら、きっと気絶して倒れるだろうな」


 俺は明るくそんなことを言う。


「確かに、マントの下がすっぽんぽんとは思わないでしょうからね……」


 エレナが神妙に呟く。

 俺の人間として尊厳を代償に、追い剥ぎが白目を向いて倒れる姿を想像してみる。

 ……ろくでもないな。


「あ、ちょっと待って。私これ入れないかも」


 エレナが裏路地に通じる狭い通路を見て、そう言った。

 エレナは女性にしては巨大な鎧を着ている。確かにこのままでは通れないかも。


「ちょっと私が先に行くわね」

「鎧脱げばよくないか?」

「めんどくさいじゃない?」


 そう言って彼女は果敢に狭い通路に入り込んでいく。


 俺たちはその様子を見守る。あと少しだ、というところでエレナが急に動かなくなった。


「……動けなくなっちゃった」


 ……脱げばよかったのに。


 アシャスがため息をつく。

 彼はするりとエレナの傍まで行ったかと思うと、壁の一部を拳で破壊した。

 エレナがほっとしながら狭い通路を抜ける。


「よし」とアシャスが言う。


 なにもよくねえ。


 底を抜けた後も、裏路地は暗く、基本的に建物同士の壁が近くにあるので狭い。

 いかにもゴロツキが住み着きそうな場所だ。危険なものとかがここで頻繁に取引されていたとしても、俺は驚かないだろう。

 俺は注意深く周囲に目を見張らせた。


 俺たちの一行は進んでいく。すれ違う人をかわし、時に狭すぎる通路に体を這わせ、足元のものにこけそうになりながらも着々と進んでいく。


 なんとなく、こういう暗いところにいるといろいろと考えてしまうことがあった。

 もしも、もしも父とシーナが生きていたら、なんてことだ。

 生きていたら……生きていたら、俺とシーナは今頃この道を通っていたんだろうか?

 それにもしかしたら、子供を送り出すことに不安を覚え、父が途中までついて来てくれたかもしれない。

 人生経験豊富な父は、周囲に見える物事についてを語り、俺とシーナがそれに小さな歓声をあげる。

 そうやって皆で歩む冒険は、ずいぶんと楽しそうだ。

 ……嫌なことを考えてしまった。死んだ人間の「もしも」を考えるのは精神に悪い。


 一度嫌なことを考えると、俺の気分は沈んでいった。

 この一行についていくという選択は間違っていなかったはずだ。だがこの冒険は平穏なものとはいかないだろう。正しい選択とは、どこまでも逃げることだったのかもしれない。

 ひっそりと暮らして、誰にも見咎められることもなく。

 大きな感動に胸を躍らせることもなく。

 死んだような安全な選択ばかりをする人間になるべきだったのかもしれない。


 怖い思いも、痛い思いもしたくない。

 俺は死にたくない。

 俺は一人で冒険なんてできない。

 第一、俺が外の世界に憧れたのは隣にシーナがいてくれることが前提だった……。


 裏路地を歩いている途中、身軽そうな女性が通りかかった。こんな危険そうな場所を女性が通るものなのか、と思ったが先に進んでいくと一般人と思われる人たちと何人かすれ違った。それを見て、少し意外に思う。

 アシャスが『近道するぞ』と言っていたことを思い出す。

 この道はわりかしそういう用途で使われることが多いのかもしれない。


 すれ違う人々のたいていは、先頭のアシャスを見ると道を譲った。

 通路が狭いから、場所によってどちらかが道に身を寄せないと通ることができなくなるのだ。

 軽く頭を下げ合い、俺たちは進んでいく。


「あと少しで着くな」


 とアシャスが言った。


 暗くじめじめとした裏路地。

 窮屈で気分が落ち込む考え事をするのに向いている。


 だからここから出られるのは大歓迎だ。

 もう不幸になる思考を張り巡らせるのはやめにしてしまいたい。


「――調子に乗るんじゃねえぞ!!」


 いきなり聞こえて来た大声に、はっ、となる。

 なにがあった、と思うが別にそれは俺たちに向けられたものというわけではない。

 音の方向を聞くに、ここを左に曲がったところでなにか揉めているのだろう。


 はあ、とめんどくさそうなため息が後ろから聞こえてくる。レイのものだ。


 怒鳴り声が続く。


「邪魔だって言ったんだろうが! 俺がいらついてるのがわかんねえのか?」

「す、すみません。わざとぶつかったわけじゃ……ううっ」


 騒音公害みたいな声と、すすり泣く声。

 俺たちは進み、怒鳴り声の発生源にまで到着する。

 そこではイラついた様子の大剣を担いだ冒険者が、いかにも駆け出しといったように見える若い冒険者を恫喝している現場だった。

 若い冒険者の年齢は十四ぐらいだろうか? とにかく、明らかに俺よりも若い。


 かわいそうだな、と思う。

 なにがあったのかは知らないが、こうも怯えている姿を見ると……。


 嫌だなあ、と思う。

 通路は狭い。となると、こんな騒ぎの前を俺たちは通らなければならないわけだが……。


 先頭のアシャスはなにごともないかのように素通りした。やつはメンタルが強すぎる。


 エレナは立ち止まっておろおろしている。俺もどうしたものかと迷った。


 止めに行こうか? と思うが今の俺の装備が貧弱なのがきつい。

 圧倒的に戦闘力が足りない。そりゃ、はだければ相手を圧倒できそうだがそれは嫌だった。


 だが、俺はあくまで英雄に憧れる少年。この程度のことを解決しないわけにはいかない。


「さて、俺が一肌脱ぎますか」と呟く。

 エレナが「いや、お前は脱いじゃダメだろ」と律儀に突っ込んでくれた。


 それで少し俺は元気が出る。にやり、と笑いグットサイン。

 前に進もうと一歩踏み出す。


 と、肩を掴まれる。レイだ。彼は俺を押しとどめ、ローブをはためかせながら喧騒の中へと向かった。

 それを意外に思う。俺にとってのレイの印象はあまりよくはない。

 理屈っぽくて皮肉屋。蒼い双眸は恐ろしいし、ところどころ人を見下している様子が見受けられる。決して優しい奴ではない。

 だがレイはこの騒動を止めに行った。俺の持っている印象とはかけ離れた行動だ。


 レイはその二人の前で足を止めると、開口一番でこう言った。


「邪魔です」

「……ああ?」


 頭を抱えたくなる。

 レイは思いっきり喧嘩を売りに行っていた。

 それでは余計に面倒なことになるだけではないか!


 慌てて止めに行こうと駆け寄ろうとする。


 ――ぞくりと背筋が逆立った。


 魔術師はフードを外し、そのくすんだ蒼い髪が薄暗い通路にさらけ出されている。

 だが恐ろしいのは、その後ろ姿ではない。

 これは直感だ。だが確信がある。

 この嫌な雰囲気は、あの魔眼(・・)が発しているものだろう。

 一度見たら忘れられない、あの恐ろしい蒼の双眸。がりがりで、肉体だけで見れば虚弱と思われても仕方ないだろうに、あのギラギラした目が威圧的な雰囲気を与えるのだ。

 俺が最初にレイを見た時に感じたのは胡散臭さと――絶対に折れないであろう、鋼鉄のような意思を持っているんだろうな、と思ったのだ。


 大剣使いの表情に怯えが走った。先ほどの強気は見る影もない。


「邪魔です」とレイは再び唱えた。


 悲鳴こそ上げなかったが、大剣使いはすぐに踵を返し、逃げていった。


 レイが若い冒険者の方に顔を向ける。

 みるみる内に、若い冒険者の顔が青ざめていった。

 傍目から見てもわかるほどにぷるぷると震え、大きく目が見開かれている。


「う、あ、あ、ああああああああああ」


 まるでこの世で最も恐ろしいものを見たかのように、涙をまき散らしながら逃げていった。

 俺はレイの後ろ姿を見つめる。


 固まっていた。そんな気はなかったのか、なんなのか。

 俺の目からは、少なからずともショックを受けているように見えた。

 きっと大剣使いの冒険者はわざと追い払ったのだ。けれどきっと、若い冒険者の方を怯えさせるつもりはなかった。


 ――おっと失礼。悪気はないんですよ。生まれつき持っていたものです。お許しを。


 最初にレイと出合った頃、俺にその蒼眼を向けてきた彼の言葉を思い出す。

 この時も、レイは本当に悪気はなかったのだろう。

 彼の持つ魔眼は生まれつきのもので、コントロールが至難。常時発動の魔眼を隠すために、普段はローブを深く被っている――。


「レイ、大丈夫か」


 気づけば、俺は彼に声をかけていた。

 たぶん、彼はわざとこんなことをしたわけじゃない。むしろ助けようとしたのに、かえって助けようとした者に怯えられる……。


「別に。慣れてますので、こんなこと」


 落ち着いた声音からは、もう彼の動揺や失望を感じ取ることができなかった。


 なあ、と俺は言う。


「レイは悪くないよ。助けようとしたんだから」


 そう言うと、レイは冷たい目線をこちらに向けてきた。

 依然、その魔眼は隠されたままだけれども。


「……あまり、僕の事情に踏み込まないでもらえますか? 嫌いなんです。同情するような声をかけられるのが」


 静かな声音に、込められたかすかな怒り。


 それを受けて、少しむっとしそうになる。

 だがその前に、一歩引いて彼の気持ちを考えた。


 同情されること。

 それは人によって、嫌な思いをするものなのだろう。

 同情とは結局、見下すという事柄に近い。

 俺はレイの苦しみを知らないから、レイの葛藤を知らないから、平気でなんだっていうことができる。

 俺はレイと同じ立場ではないところから、意見を言う。

 持つ者は持たざる者の気持ちがわからない。


 ……出過ぎた真似をしたな、と思った。


 レイはプライドが高い。

 同情されることを嫌う。自分の魔眼のことを気にしていて、あまり触れられたがらない。


 ――幼い頃から魔眼が発動していて、誰しも彼しもから恐れられたのだとしたら。


 ……やめよう、と思う。

 これは空想だ。事実かどうかもわからない想像。

 レイは同情されたがらない。なら、俺が彼について考えることだって間違っている。


 ナギル兄さんの時と同じだ。

 ほんとうに傷ついているやつの助けにはなることはできない。

 心の中に踏み込むことはできない。


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