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誰だって、なにかに対する憧れを持っている。
例えば俺にとっては、兄さんだったり、父さんだったり。
外の世界に対してだったり、人々を守る英雄だったり。
そういう漠然とした憧れを抱かされるものだ。
そして今、その憧れのひとつが、もうすぐ叶おうとしている。
俺は――俺たちは、もうすぐ外の世界を冒険するのだ。
血は別の繋がっていないけれど、家族として一緒に育ってきた少女、シーナ。
幼馴染として共に育ってきた、俺にとって最も信頼における存在。そんな彼女と共に、冒険をするのだ。
ずっとずっと、冒険するということに憧れていた。考えるだけで、胸が高まるほどに。
彼女と約束をしていた。絶対に一緒に旅をしようって。
……しかし、これは長年過ごしてきた父さんとしばらく会えなくなることを意味している。
俺が家族として過ごしてきたのは、いつも一緒にいる幼馴染のシーナと、冒険者で放浪をしているナギル兄さん、そして最後に俺たちを大切に育ててくれた父さんだ。
父さんは早くに母さんを亡くし、忘れ形見であるシーナと、捨て子である俺を拾った。ナギル兄さんは、父さんの弟子だ。
時にはナギル兄さんの手を借りながらも、男手ひとつで父さんは精一杯俺たちを育てた。
きっと大変だったに違いない。
だが遂に父さんはやり遂げた。俺たちを立派に育て上げ、外の世界に冒険させれるぐらいの実力にした。
もじゃもじゃとした髭面の父さんに「外の世界に行っておいで」と言われた時、ひどく寂しい思いが心中を支配したことをよく覚えている。
こんなにも必死に俺たちを育ててくれたのだ。きっと父さんにとって別れは寂しいものだ。なのに、笑顔で祝福して、俺たちの成長を喜んでくれて、それで外の世界に送り込んでくれる、俺たちの大切な父親。
だから、旅にでるという選択は、すべてにおいて喜べるわけではなかった。
無邪気な子供時代とは違う。この絆がなによりも大切なもので俺にとってのすべて。なのにそれを捨ててまで、冒険への憧れを選択するのは正しいことなのだろうか?
しんしんと雪が降っている。丘の上に立つ家の中で、俺たちは残りの一日を過ごす。
いつもと変わらない日常を過ごしていた。食事の用意をして、家族三人で食卓を囲み、団欒を過ごす。
こんなことができるのも今日で終わりだ。
俺とシーナは明日には旅に出る。もうしばらくは、父の顔を見る機会はないだろう。
シーナが食事の用意をしているのを見て、手伝おうとそれに加わる。しばらくして、それに父さんが加わった。
俺は手を動かしながら言う。
「準備を手伝うなんて珍しいね父さん」
「まあ、たまにはな。お前たちに任せてばかりだったし」
「別にいいんだよ。俺たちは子供の頃に父さんになんでもかんでもやってもらってたんだし」
「たしかにな。でももうお前たちと一緒にいられるのも最後だ。だからこういう時間も大切にしたいんだ」
そういうと少し照れくさそうに「ちょっと愛情表現が直接的過ぎるかな」と父は言った。
「今日ぐらいいいんじゃない?」
そう言ったのはシーナだ。
金色の大きな瞳と、なびく透き通った白い髪が特徴的な、同い年の女の子。その白髪によく似合う白のワンピースを身に纏い、控えめな胸元に結ばれた黒のリボンが動作と共に揺れる。
その印象的な姿がとても綺麗に見えるのは、俺のひいき目だろうか?
彼女はふんわりと微笑んでいた。はにかむ姿は本当に幸せそうで、こういった家族の愛の確認をとても喜んでいるように見えた。
優しくて当たり前にある愛情が大好きな彼女。その素直な心根は俺にまで影響を与えるほどで、ちょっとくさいぐらいの綺麗事も、彼女の前では言ってもいいような気がしてくる。
「俺、父さんにはすごく感謝してるよ。正直言って離れるのは寂しいなって思う」
「それでもお前は外の世界に行くんだろう? 英雄に憧れる物語の少年みたいなやつがお前だから」
「まあね」
「すぐに戻ってくるなよ?」
「わかってるって」
俺と父さんは笑いあう。
俺の英雄願望めいた、少年のような冒険への渇望は家族たちにとって共通認識だった。いつだったか、『英雄騎士ソルの物語』に俺はのめり込み、その魅力を家族に伝えようとしたことがある。
たぶん、その日から俺は剣の修行に身が入るようになった。魔法の勉強も一生懸命になった。
だからわかりやすかったのだと思う。俺がなにに憧れ、なにを目指そうとしたのかも。
「任せてよお父さん」とシーナが言う。
同時に彼女は俺の手を握った。
突然の行動にどきりとさせられる。
「私がアイを引っ張っていくから! ねーアイ」
彼女は俺のことを愛称として『アイ』と呼ぶ。
なんだか異性として見られていないみたいで少し悔しいけど、ともかく親しみは籠っている。だからなくとなく、その呼び方を変えるように俺は言わなかった。
「お、俺が引っ張っていくんだし……」
思わず声が小さくなってしまう。
たぶん俺の声が小さくなっていくのは、彼女の容姿が麗しいことと、俺の心が少年みたいに純粋なことに原因があるのだろうと思う。
彼女は一緒に過ごしてきた幼馴染。別に恋愛感情なんて持つ余地がないはずだ、と自分に言い聞かせる。
だが冒険心以上に高鳴ったこの心は、なかなか落ち着きを取り戻す様子がなかった。
父さんはニコニコと笑っている。
「おう、頑張るんだぞアイザード」と俺の名前を呼んで応援してくれた。
なんだか含みがある言い方だった。
「当たり前じゃないか、俺の方がシーナより強いんだぞ!」
「ふふふ、そうだな」
「父さん!」
「応援してるぞ」
状況がわかっていないのはシーナだけだ。
俺たちの会話を、いつものほのぼのした会話ぐらいにしか、彼女は思っていない。
「アイとお父さんは仲いいよねー」
「……まあ仲良しだからな」
「そうだな。父と息子が仲良しなのは素敵なことだ」
俺たちは適当な会話をする。
とても、これ以上にないってぐらいに、俺は満たされている。
だが込み上げるような寂寥感を押しとめることができなかった。どうしようもない不安感。
幸福と期待の中に混ざり込む後ろめたさ。
俺はシーナと父さんが楽しげに話しているのを見つめる。
いい光景だなあ、と思った。ほんとうに。
◇
俺には隠し事が存在する。
それは俺が一度死んだことがある人間だということだ。
確信を得たのは七歳の頃だった。
俺たちは森に囲まれた家に住んでいる。だから少し歩けば森の中に入れるし、俺たちの家自体が人里離れた場所に建っているから、すぐに森の深部にまで入ることができる。
この森には魔獣はいない。普通の動物が闊歩している。死体が森にさらけ出されることは、とても珍しい。
七歳の頃、嫌な予感がして家を出た。自分の勘を信じて森の中を歩いた。
見つけたのはまるで森の主のような巨大な鹿の死体だった。老衰で倒れた動物の死体。
初めて見た大きな生物の死体に戸惑った。仲間らしき若い鹿が大きな鹿の死体を鼻でつついている。
そして若い鹿は俺を見つけると、時が固まったかのようにこちらを凝視し、俺が近づこうとすると一目散に逃げていった。
俺は戸惑いながらも、大きな鹿に触れた。
冷たくなって死んでいる。なんで嫌な予感がしたんだろう? なんで俺はこんなところに辿り着けたんだろう?
怖くなった。
死体を見つけたのはおそらく偶然ではなく必然。ハイエナみたいに死を予感して嗅ぎ取って、俺はここに辿り着いたのだ。
自分の手のひらを見つめる。
震えていた。自分のことが恐ろしい。俺は何者なんだ? なにか間違ったことをしたんじゃないか?
答えはわからなかった。
俺は若い鹿を見つめる。
返ってくるのは睨めつけるような表情。
拒まれている、と思った。この世で間違って産まれてきてしまった存在。そんな風に見られている気がした。
――なんで俺は死を感じ取ったんだろう?
俺は捨て子だった。それは父から聞いた話だ。
だが拾われたのはいつだ?
父からは五歳だと聞いていた。だがなんで捨て子の年齢なんかを父は知っていたのだろう。
自分の記憶を探ってみる。
人はどんなに頑張っても産まれた瞬間のことを思い出せないと言われている。それができるのは普通ではないやつで、大抵の人間は三歳以上の記憶までしか辿れない。
しかし――俺には産まれた瞬間の記憶があった。
今まで一度もしたことがなかったことだが、俺にはできた。
俺は人間の腹から産まれなかった。
聖なる光が降り注ぐ穴倉で、虚空から突然現れた。
丸裸の赤ん坊はその時から喋れたし、歩くこともできた。
産まれたばかりの癖に、泣き声をあげることさえしなかった。なにもかも、異常だった。
もしかして、と思う。
――産まれる前の記憶だって辿ろうと思えば辿れるのではないか?
それは禁忌だった。
もしそれができたとして、産まれる前のことを思い出してもいいことが起こるはずがない。
自分が脳みそだけで浮かんでいる状態の記憶を持てたとして、それは幸せなんだろうか?
だがそんなデメリットがあるなんて、俺は思わなかった。
子供、だったから。
◇
最初は楽しかった。
未知の記憶に触れて、いくらでも溢れ出す自分の記憶を思い出すことは本来の自分をよく知れているみたいで嬉しかった。
だがそれは長くは続かない。
俺はなにもない暗闇にいた。そこが記憶の最前線。
それ以上前は思い出すことができない。
暗闇にいた俺は絶望していた。赤ん坊よりも前の存在であるはずなのに、明らかにそれよりしっかりとした思考回路を持っていた。
だがそれは、十七の俺よりも拙く、ひどく苦しみに満ちたものだった。
『俺』は魂だけの存在としてそこにいた。
ずっと、ずーっと長い間。
十年? 百年? 千年?
……そんな生易しいものではなかった。
過ごした時間はまさに永遠と呼ぶのに相応しい。その間、ずっとひとりぼっちで俺は暗闇の中にいた。
周りにはなにもなかった。俺には目が存在しない。口がない。耳がない。
光を見ることはない。喋ることができない。音を拾うこともない。
考えるということだけができた。まさに脳だけが培養液に浮かんでいるような、そんな状態。
最も記憶に古い俺は苦しんでいた。もう終わりたいと思っていた。
消えてしまいたいと思っていた。しかし、ぎりぎりのところでそれを拒んでいた。
――拷問されながら生き続けることと、素直に死んでしまうこと。
前者を選ぶやつなんて、どれぐらいいるんだろう?
俺はたぶん、死を異常に恐れるやつだった。
果てない拷問のような苦しみが続いていて、それは永遠に終わらないことを知っていて、それでも俺は『死ぬ』ことを拒否していた。
……消えたくなかった。
それから何年も何年も永遠の時を過ごして――光が見えた。
俺はその時なにがあったのか思い出せない。
しかし、その光こそが俺をこの世に蘇らせた。
それだけがわかっている。
◇
死ぬのが怖い。
もうあの暗闇に戻りたくない。
永遠の地獄が続くことを、俺は知っている。
だからどうしようもなく、考えただけで吐き気がするほどに怖いのだ。
――俺は死にたくない。
◇
――俺は、と思う。
くだらないことを思い出したな、と首を振った。
今はひとり森の中。
みんなが寝静まるころ、どうしても寝付けなくて、俺はひとり外に出ていた。
もう明日には俺はシーナと一緒に旅に出る。それは興奮と……本当にいいのか? という疑問を投げかけ続けていた。
舞い落ちる雪が、寒さを俺に伝えてくる。
暖かいところから寒いところに移動したからか、やけに身に染みる、そういう寒さ。
本来、冷たさや寒さといった『氷』に関することは俺の専売特許だった。いつだって、寒いと言っているときは、俺にとって平気な温度だった。
だがこうも冷たく感じるのは、気分の問題だろう。
木の上に昇る。
魔力を纏って身体能力をあげるのは、剣士としての基本だ。
こうしてジャンプ一回で高いところにいけるのも、外の世界の騎士なら簡単にやってのけるだろう。
そうして木の枝に座って、月を見上げる。
二つの月。白の月『ソラニム』と赤の月『ルーサス』
どちらか片方の月だけが出ているとき、大気中の魔力濃度が増すという不思議な月だ。
両方あるときは普段と変わらず、両方出ていないときもとくに変わらない。
二つの月は重なりそうで、いつも重ならない。天体を観測する学者によれば、その軌道はやや不自然なのだそうだ。
しかし、そのパターンも少しずつ分かり始め、あと二年か、三年もすれば重なるだろうといわれている。
その時いったいなにが起こるのか。なにも起こらないのか。
学者たちは期待している一方、魔術師たちの意見は「たいしたことは起こらない」というものだった。
たしかに、今までこの二つの月がなにかをしたということもないし、まっとうにいけばなにもおこらないだろう。
ふわー、とひとり伸びをする。
月はとても綺麗だった。
こうして眺めていれば、少しだけ気分も休まる。
悩みと不安の種が、どうしても主張し続ける。
俺は死にたくなかった。
家族と離れたくなかった。
ナギル兄さんに会いたかった。
英雄のように、なりたかった。
断続的な思考が波を立てて消えていく。
高い木の上から大地を見下ろす。高さにしては四メートルもないぐらいだが、ここから見ると結構距離があるように感じる。
そろそろ帰るか、と思考を打ち切って移動しようとする。
ほんの少し、座る位置を動かした瞬間だった。
手が木の枝から離れた、その時だった。
「アイ?」
つられて振り返って、手を滑らせた。
驚いたような彼女の表情が目に浮かぶ。
次に感じたのは、浮遊感。
見つめ合う。まるで、時が止まったかのようだった。
「ぎゃああああああああ!」
ぶざまにおっこちていった、俺が。
「ちょ、あ、アイー!」
シーナが悲鳴を上げる。
そうして俺は彼女の目の前に墜落したのだった。
「……大丈夫?」
腰を強打した痛みでうめき声がでる。
体自体は頑丈だから死んではいない。
「大丈夫」
「今、手当するね。じっとしてて」
「うん」
シーナが俺の腰に手を当てる。
ぼんやりとした光が、そのあたりを包んだ。
そして安らぐような気持のいい感触。シーナの治癒術だ。
彼女は俺と違い、戦うことは苦手とする治癒術師だった。
パーティにひとりは欲しいけど、なかなかいない。そういう、けっこう貴重な存在。
その才能は目を見張るものがあり、世界最高峰といっても過言ではない――と父は言っていた。
治癒術は生まれもった才能もあるが、その人間の善性に影響して力を伸ばすといわれている。
こうやってまっさきに心配してくれるような彼女だから、この実力もあたりまえなのかもしれない。
「よし、治ったよ! 調子はどう?」
「……お見事。毎度思うけどシーナの治癒術は完璧だよ。どんな怪我も一瞬だ」
「えへへ、そういってくれると嬉しいな」
自然とはにかむ彼女から目をそらす。
見つめ合えないのは、俺が思春期だからということにしておこう。
「こんなところで、どうしたの?」
とシーナが言う。
それに確かな気遣いを感じた。
それに少し安心して、でも、言ってもいいんだろうかとなんてことを思うが……ええい、いってしまえ。
「えっとそのだな」
「うん」
「笑わないで聞いてくれよ?」
「大丈夫だよー」
「なんか寂しいなって思って」
「お父さんと離れることが?」
「そうそう。たぶん俺、今が一番幸せで……。ねえ、めっちゃ恥ずかしいこと言ってるよね? 俺」
シーナはくすくすと笑った。
「でも自然なことだと思うよ。口に出さないだけで、私たちはお互いがお互いのことがだーいすき! そういう考え、私は好きだけどなあ」
「ん、なんかありがと。で、旅にでることに本当に意味があるのかな、って思うんだ。今ある幸せを捨ててまで、わざわざ新しいものを求める必要があるのかなって」
「不安?」
「……うん」
「アイが嫌なら、私はここに残ってもいいよ」
その言葉に心臓が止まりそうになる。
こんな簡単に受け入れてもらってもいいのかと思ってしまって、罪悪感がたまらなくて。
「アイが不安なら、私がずっと一緒にいてあげる。きっとお父さんも話せばわかってくれるよ」
「……でも」
「約束のこと? いいよ。重荷に思わなくても大丈夫」
揺らぐ。
思いもしなかった提案。
『いつか一緒に旅をしよう』と言った、大切な約束を破ること。
どうして、彼女はこんなにも優しい。
彼女だって外の世界のことを望んでいたはずだ。なのに、俺の身勝手な不安感で、決心を腐らせて「いいよ」と言わせて。
やっぱりダメだ、と思う。そして彼女にその旨を伝えようとした。
シーナが柔らかくほほ笑む。
「ダメだよ? 自分の決断をおろそかにしちゃ。自分の人生だから、そこは遠慮しちゃダメ」
でもね、と彼女は言った。
「本当に大切なことも、考えなきゃだめだよ」
続くのは、俺の思考を紐解くような言葉だった。
「アイは外の世界と、英雄に憧れてる男の子。でも、家族のことが大好きでもある、そういう優しい子」
――あなたがしたいことはなに?
「俺は」
俺が、欲しいもの。
大切なもの、憧れていたもの。
俺はここに残ったら、たぶん、後悔するだろう。
英雄騎士ソルなどの偉人に憧れていた。
外の世界の不思議な魔法を、見てみたかった。
死ぬのが怖かった。
家族のことがなによりも大切だった。
――それでも、後悔だけはしたくなかった。
「なあ、シーナ。わがまま言ってもいいかな?」
「いいよ。大丈夫」
「俺、家族も外の世界も、なにもかも諦めたくない。優先順位がつけられないんだ。でも、このまま残ったら確実に後悔すると思う。それだけは、絶対に嫌なんだ」
だから、と俺は言った。
「……ころころ意見を変えて悪いけど、やっぱり俺は外の世界を旅したいんだと思う」
彼女の目を真剣に見つめる。
あたたかな金色の瞳。
彼女は、笑った。
「いいよっ。アイは男の子だもん。それも冒険心のひときわ強い、ね」
見抜かれていた気がする。
俺がなにを考え、なにを迷っていたのか。
それで、彼女は俺を支えてくれた。
ほんの少しだけど、たしかな支え。
背中を押してくれること。俺が『シーナに悪いからこのまま旅に出る』という妥協の考えを選ぶことをよしとせず、しっかりと、俺の考えを展開することを、助けてくれた。
結局、俺は憧れを捨てきれない人間だったのだ。
――彼女の優しさが、言葉が、俺を救ってくれた気がした。
「ううっ、寒い。私はそろそろ戻るけど、アイはどうする?」
「もう少しここにいるよ。落ち着いたら戻る」
「感激して泣いちゃった?」
「まさか」
あはは、と彼女は明るく笑った。
雪が積もる中、帰っていくその姿を見送る。
とても雪景色に似合う、綺麗な白い髪。
しんしんと降る雪と、木が並ぶ中を歩く彼女は、よりいっそう幻想的だった。
それを見て胸が熱くなってくる。
のぼせ上がるようなこの感情の意味を自覚していた。
俺は、彼女のことが、好きだ。
とても綺麗な白い髪と、金色の瞳。少しちっこいけど、優しくて、こまかな動作がかわいらしくて……思わず心奪われる。
彼女はわざわざ俺を追って外までやってきてくれた。俺がなにかを悩んでいることを見抜いて、話し合ってくれた。
突然シーナが振り返る。
そして手を口にそえ、のけぞり、
「おやすみー!」
と大きな声で言った。
それを聞いて、なんだかなあ、という気持ちになる。
どうしてこうも元気づけられてしまうのか、俺が単純なのか、それとも彼女が上手なのか。
上がっていく口角を押さえながら、俺は手を振る。
そして俺も、彼女の言葉に返事をしようとした。
――声が出ない。
目を見開く。
彼女は俺に背を向けていて、こちらの姿は見えない。
のどがおかしくなったのかと思って自分ののどを触ろうとした。
しかし――手が動かない。
彼女が遠ざかっていく。
なにかを言わないといけないのに、伝えなくてはならないのに。
恐怖感。
追い立てるような焦燥感。
影か忍び寄ってくるのを感じる。
なにかが俺を捕まえている。
その影が、心臓部分まで手を伸ばす。
狂おしいほどの感情が溢れてくる。
今更、気づいた。
俺は確かに、死ぬのが怖かった。
でも、家族が死ぬのはもっと怖いかった。
どうして気づかなかったんだろう。
俺がこんなにも不安がったのも、怯えていたのも、しっかりとした理由があったんだって。
俺は一度死んだのだ。だから、失われるということを、俺は知っている。
そのせいか、その感覚にはひときわ鋭敏だった。
それは、予知に近い予測で、確信に近い第六感。
そして、それを高めているのは――。
体が侵食されていく。
指一本一本がいうことを聞かない。
奪われていく。
俺が、俺でなくなっていく。
なにもかもを失いながら、抗って抗って抗って。
ふと抵抗が緩み、その時に、ほんの少しだけ、体を動かすことができた。
でも、その程度ではなにもできないことに変わりはなく、もう負けは見えている。
返事をしなくては、と思った。
それだけが頭の中にあった。
「おやすみ、なさい」
俺の目に映るのは、彼女の姿のみ。
◇
俺は子供の頃のことを思い出していた。
自分の予感にしたがってひたすら森の中を探索する。
そうすると死体を見つけることができる。いろんな動物の死体を。
なんでこんな行動を続けたかったのかはわからない。
おそらく、自分のこの予感が間違ったものだと思いたかったんだろう。
非情にも、俺の予感は当たり続けた。
行きつく先には、必ず死体が転がっていた。




