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3

 

 ナギル兄さんはすでに冒険者をやっていて、基本的にはこの家にはいない。

 だから今この内の世界にいるのは父とシーナと、俺だけだ。

 いつも俺はシーナと一緒に過ごしている。じゃあ、父はなにをしているのだろうか?

 いつもは父が恐ろしくて、詮索しなかった。というより、極力関わらないようにしていた。

 だがもう、そういう時期は終わりだ。父は俺のことを認めてくれた。理解しようと歩み寄って、そういうことをしてくれた。

 なら俺だって同じことをしなければならない。

 いつもいつも、父のことを知ろうとしなかった。昔はとある国の英雄だったというのも、ナギル兄さんから聞いたから知っているだけで、父からそれを聞いたわけではない。

 俺は十七年間も父と過ごしておいて、父のことを何も知らない。


「父さん、入るよ」


 いつも父が籠っている書庫。ドアをノックして入る。


 父は俺に厳めしい顔を向けてきた。だがいつもより気迫がないというか、柔らかな気がする。


「ああ、アイザードか」

「やっぱり気になったんだけど、どうして急に旅にでろ、なんていうんだ?」

「……そんなに変か?」

「まあ、うん」


 もう父は師ではないので、普通の口調で接してみる。叱られるようなことはなく、普通に受け入れられた。なんだかこう、家族って感じだ。普通に接している、普通の家族。


「ついてこい」


 ぶっきらぼうに父は言い、俺に背を向けた。

 本棚のひとつに手をかざし、早口で呪文を唱える。

 ゴゴゴ、と本棚が動く。そこから道が続いている。

 ……こんな道があるなんて、知らなかった。


 俺は父についていく。道はそんなに長くないようで、すぐに目的の場所へと着いた。


 そこは言うなれば、小さな庭だった。

 まばらに白と黄色の花が咲いていて、大きな墓石がある。そこを中心に二十メートルぐらいから、半透明な膜が周囲を覆っている。この膜から外の様子は見えない。見たところ、外からも中からも視界を遮る結界の類のようだ。

 秘密の場所に誘い込まれた、そんな感じがする。


 父は墓石を眺め、しばらくなにも喋らなかった。

 俺もそれに倣い、黙りこくっている。

 やがて父がゆっくりと口を開いた。


「妻の墓だ」


 それは父の妻だ、ということは言われなくてもわかる。俺にとって母さんと呼ぶべき者の墓。

 ここから見える父の大きな背中は、いつもより小さく見えた。なんだか、寂しそうだ。

 何かに必死に耐えているような、堪えているような。そして、それを見せないようにと無理をしているような、そんな父の姿。


「大切な人だったの?」

「もちろんだ」

「どんな人だった」

「今のシーナそっくりだ。なにもかも似ている。他人の機敏を感じ取ることがうまくて、誰かを救えるような、そんな奴だった」


 それを聞いてなるほど、と思った。

 父は俺とシーナに対して明らかに違う態度で接していた。それは俺が男だからとか、出来損ないだからとか、そういう理由だと思っていた。

 シーナは最高峰の腕を持つ治癒術師ヒーラーで、俺はそこらへんにいそうな魔法剣士。

 治癒術師とは難儀なもので、その能力は本人の優しさや他人を思う心によって成長の幅が大きく変わる。だからシーナはスパルタな教育を受けるわけにはいかなかった。

 だがそれ以外にも、シーナは母にそっくりだったという理由があるらしい。

 思えば、父はシーナにあまり関わらないようにしているように見えたし、それはかつての妻のことを思い出すから、ということだろう。


 なんとなく、今の父の姿を見ていると、母さんへどれだけ深い愛情を持っていたのかが想像できる。


「お前は……」


 父がためらうように口を開く。

 ここに連れてきた意味。それは今まで伏せていた秘密を話すということだ。

 俺は父が言わんとしていることの予想がついた。そして言いにくそうだから、こちらから言おうと思った。


「わかってるよ。俺は誰とも血の繋がりがない。たぶんナギル兄さんもだ。そうでしょ?」

「……なんでわかったんだ?」


 俺は思わず苦笑した。

 俺と父とナギル兄さんは、驚くほど容姿が似ていない。全員髪の色が違うし、顔の造形も違う。シーナだって父さんは似ていないが……。


「父さん、俺には厳しすぎたからさ」


 初めの頃、父は俺のことをあまり好いていないように見えた。まるで拾ってきた犬に向けるみたいな視線。

 反対に、シーナへ向ける視線は違った。話しかけたいのに、ためらってやめてしまう。しかし、その瞳の中の愛は深く見えた。


「す、すまん」


 父の謝罪に、慌てて俺は言う。


「いやいや、気にしてないよ。ここまで育ててもらっただけでも感謝してるんだから」

「……私のせいとはいえ、そう卑屈になるな。お前はもっと怒っていいんだ。ずっと薄い差別を強いられて、私の勝手な感情で辛い思いをしていたんだから」


 言われてみればそうかもしれない。

 だが……まあ、それは終わったことだ。


「いや、ほんとにいいんだよ。だってそれって、俺とシーナは血がつながってないってことだろ?」

「おまえ……父の前でそういうことを言うのか」


 軽く茶化すと、父が唸った。

 いやまあ、実際父に対して思うところは多々ある。

 俺は父のことが嫌いだったし、父も俺のことが嫌いなんだと思っていた。

 そう思っても相変わらず強い父を尊敬していたし、本心から憎むことなんてできやしなかった。

 だが今となっては、そんなことより気になることがある。確信に近いおかしな点だ。


「――理由があったんだろ?」


 父はひどく狼狽した。なぜわかった、という表情。

 俺は父のことを誤解していた。父は俺のことを嫌ってなんていなかったし、俺のことを理解していなかったわけじゃない。

 初めからわざと理解していないように見せたのだ。鬼のような存在となり、俺を鍛えるために、厳しすぎる父親像を演じたのだ。

 父は元英雄だが、弱い者の気持ちがわからないわけではない。そう思ったのが、「理由がある」と確信している理由だ。


「そう、だな」


 父は墓石を撫でる。

 そしてふうっ、と息を吐いた。


「明日か明後日か、そこらで期限が来るんだ」

「期限?」

「お前は外の世界に行こうとしたことがないから知らないと思うが、森の周辺には結界が張ってあってな。妻の残した思想結界だ。思想で世の中のルールを捻じ曲げて設定する結界。魂を込めた、犠牲の力を利用して作り上げた、絶対不可侵の結界」


 概念エネルギーの使用は、父から以前習ったことだ。

 この世には魔法がある。そしてそれ以外にもエネルギーが溢れている。

 例えば時の力とか、星の力とか――とにかくいろいろあるのだが、概念エネルギーは人の思想を利用して練り上げる最高難度の奥義だ。


 世界に「重力」という概念があるなら、その概念を思想の力で上書きできる。例えば、一定の範囲を指定して重力をなくし、すべての慣性を逆方向に捻じ曲げることが可能だ。

 そこは右に行こうとすると左に動いてしまう不思議な空間となる。


 ……だが、規模によっては人の能力では限界がすぐに来る。

 魂は魔力を生み出している器官だと言われてる。それは三次元空間からは見えず、何段階か上の次元に存在し、人体に宿っているといわれているが……。魂の持つ力は大きい。それを爆発させれば、あり得ないほどのエネルギーが手に入るほどだ。

 だから究極の思想ルールを紡ぐなら、魂を破壊してそのエネルギーを使った術が最高のものである、とのこと。

 どうやら母が行ったのはそういうことらしい。


「明日の夜に、この結界は消える。そうすると、『選ばれし者』を殺そうと奴らがやってくる」

「……やつら?」

「知らなくていい。重要なのは、狙われるのはこの場所にいる者で、人間としてはあり得ない資質を持つ者が目を付けられるということだ」


 つまり、と父は言う。


「私がここにいれば、やつらは勘違いして私を殺そうとするだろう。そしてそれが終われば、本来狙われている者はもう狙われなくなるはずだ」

「……ちょっと待ってくれよ。本来狙われる者って?」


 父の瞳が燃える。それは悔しさか、世の中の理不尽を憎む炎のようで。


「シーナだ」

「……どうして?」

「お前も気づいているはずだ。あの子が持つ力は『再生』だから、大きな力とはわかりにくいが、あれが次元が違う能力だと。たぶん、あの力は……伝説の『継承の白』だ」


 それはうっすら聞き覚えがある。

 世の中は各色のクリスタルによって創造された。

 朱、蒼、緑、黄、紫、白。

 クリスタル継承者。神に成れる可能性を持った現人神達。

 英雄譚にでてくるような話だ。古代の『朱』を継承した王様が百万の軍勢をたった一人で止めたとか、『蒼』を継承した魔術師が地形を破壊して地図を修正させたとか。

 だがこれらははっきり言っておとぎ話のようなものだ。

 たまにでてくる異常に強い突然変異種に色を当てはめ、それが神の再来だと謳う物語の一要素。


「『継承者』を排除しようとする組織がある」


 父が囁くようにそう言った。


 父はそれ以上のことを知らないようだった。なぜ突然変種と揶揄される『継承者』が狙われるのか。大きすぎる力を持つから、ただ単に何者かが排除したがるだけなのか――。


「私はその組織と対決する」


 父が言い切る。

 だがそれは……囮になって死ぬということではないだろうか? 母の張った結界で今までその組織を退けて来た。だがその思想結界も、もうすぐ解けてしまう。


「前々から練ってあったんだ。ナギルは二重スパイ。相手は私が『継承者』だと思っている。私が狙われれば、シーナは安全だ」


 理由。

 父が無理にでも俺を強くしようと鍛えた理由。


「――どうかシーナを守ってやってくれないか?」


 父は――深々と頭を下げた。


「こんなことを言う道理がないのはわかっている。お前とは血の繋がりがない。義務がない。危険な役割だ。逃げてしまっても文句は言わない」

「……よ」

「だが頼む。妻の忘れ形見なんだ。どうか――どうか――」

「やめてくれよ!」


 父の表情が絶望に染まる。だが俺はそういう意味で叫んだわけじゃない。


「なんで諦めるんだよ! みんなで逃げられないのかよ! せっかく父さんが俺を認めてくれたんだ。俺のことを理解してくれたんだ。なんでみんなで生きようって思わないんだよ!」


 俺の言葉は、我儘なのだろう。

 きっと父だってそうしたいはずだ。

 だが――。


「――勘違いするなよ?」


 突然、父の声に力が籠る。


「……へ?」

「なにも死にに行くわけじゃない。しばらく会えなくなるだけだ。やつらは強大だが、絶対じゃない。逃げてやつらを巻けば、また合流できるさ」

「……じゃあ」

「ああ、なにも私は犠牲になるわけじゃない。しばらくお前とシーナに会えなくなるが……その間はどうか、お前にシーナを守ってほしい」


 思わず気が抜けた。

 早とちりだったのだ。父の悲壮感と、重々しい話にすっかり飲まれてしまっていた。

 そうだ、考えてみれば父が簡単に死ぬわけがない。父は元英雄で、俺が絶対に越えられない壁として立ちふさがる最高の戦士なのだ。世界でも一、二を争うほどの能力がある(ナギル兄さんが言っていた)父さんなら、どこぞの組織に狙われたぐらいで死ぬはずがない。


「……なんだよ。それなら全然かまわないよ」

「頼もしいな、任せた、息子よ」


 父はニヤリと笑った。こんなやりとりは初めだ。

 血は繋がっていないけど、本当の息子と認定されているみたいで、少し嬉しい。


「任されたよお義父さん」

「お義父さんっていうな」


 父は歯をむき出しにして唸る。

 どこの世もそうであるように、父は娘を渡したくないものらしい。


「手を出したら地獄の果てまで追いかけまわしてやるからな」

「そりゃ勘弁してほしいところだ」

「今まで知らなかっただろうが私はシーナのことが大好きなんだ」

「へえ、いきなり大胆な告白をするんだな」


 俺たちは馬鹿みたいに笑う。

 正しい父と子のように、冗談をかわしあった。

 今日はずいぶんと、生まれて初めて体験することが多い。

 父さんに認められて、父さんに本当の息子みたいな扱いをされて、父さんと冗談を言い合って……。

 おかしいな、全部父さんに関係することだ。突然ファザコンに目覚めたのかもしれない。


 父さんとはもうしばらくは会えないだろうけど、今日でわだかまりがすべて溶けた気がした。

 それに、いろいろと印象が変わった。

 もう父が怖いとも、憎いとも思わない。

 父は娘が大好きすぎるおっさんで、まあ、そこそこには息子にも愛情を分けてくれる良き父親だ。

 変わらないのは、俺がいまだに父を尊敬しているということだ。

 どこの世でも変わらないように、息子は父に一定の尊敬の念を抱く。

 俺はたぶん、父への尊敬を世の平均よりだいぶ強く抱いていそうだ。



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