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 ……寒い。

 もうどれぐらい、ここにいるんだろう。

 みんな先に逝ってしまった。

 ずっと一人だ。

『もう、限界だ』

 そう言ってどんな強靭な精神を持つ者も、決意は叶わず消えていった。

 ここにずっといるけれど、別に自分が強い存在だとか、特別な存在だとか、そういうわけではない。単純に消えたくなかったから、自己の喪失が恐ろしかったから、それだけでずっとここにいる。

 でも、もう、限界だ。

 魂はとっくに擦りきれている。形を保つも辛うじて。手を離せばすぐに消える儚い存在。

 ……もう、限界だ。

 ――突然、光が現れた。

 朱、蒼、緑、黄、紫、白。

 神々しい七色の光。

 世界が万色に色づいた。

 うち震え、賛美する音の波動。

 それは真っ暗な世界に、意味をもたらした。

 《 消 え た く な い の か 》

 眩しかった。この光がきっと救いをもたらしてくれる。そう思った。

 《 覚 悟 は あ る か 》

 声は問う。

 なんどもなんども、確かめるように。

 そして誓えと、そう言った。

 《 最 後 に 辿 り 着 く こ と を 願 っ て い る 》

 辛かったこと、楽しかったこと、辛かったこと、辛かったこと、辛かったこと。

 少しづつ忘れていく。でも、自分と言う存在はそのままで、たいして怖くはなかった。

 ――もういく時間だ。

 暗く、淀んだ穴が空く。

 そこに少しづつ吸い込まれていく。

 魂が次の世界に移動するために。


 ――よかった、と思った。


 自分は死ななくてすむと、そう思った。

 後悔していたことが山ほどあった。


 かくして俺は剣と魔法の世界へと送られる。

 来世はなにかになれたらいいな、と思いながら。


 ◇


「アイザード」と呼ばれる。自分の名前だ。死んでしまったはずの自分に、意味を与える名前。


 生前の自分はどんな奴だったか、覚えていない。ただ自分は自分であると、その確信だけが自分自身を支えた。

 記憶のない自分は、本当に自分なのだろうか?

 そういう不安はある。けれどこれが自分であると認めないと、気が狂ってしまう。


「アイザード」と再び優しく呼ばれる。


 生を受けて呼ばれたその名は、しっかりと自分に刻み込まれた。

 俺は過去の何物でもない、「アイザード」なのだと、そう思った。

 そうして目を開けて、自分を覗き込む男が映って。

 産声をあげる。何かに感謝を伝えようとする――。


 ◇


 アイザードという少年のことを――俺自身が語るとしたら、次の過去は外せない要素だろう。

 幼い少年は身の丈に合わない夢を持っていた。拙い信念を持っていて『言葉』を胸に抱いていた。


『人はなにかになりたがっている』

『人はなにかしらの理想の姿を持っている』

『人は誰かに憧れる』


 誰かが言った当たり前でありきたりな事実。

 少年時代、俺もその例に漏れなくて、常になにかになりたがっていて、理想の姿を持っていた。

 男の子らしく物語の英雄に憧れて、ヒーローになりたいと、剣と魔法を使いこなすかっこいい人物になりたいと、そう願っていた。


 けれどたぶん、それは身の程知らずで身の丈にあわない欲望だったのだろう。

 まず十年間、俺はこの世に生を受けてずっと修行していた。師となったのは父だった。とてもとても、厳しい人だった。


 告げられるのは子供には酷すぎる修行のノルマ。

 魔力を用いずに、毎日腕立て百回、腹筋百回、十キロ走れ。あまりにも無茶だった。

 しかしそれができなければ――。


『なぜその程度もできない』


 そんな言葉が、何度も何度も投げかけられるのだ。


 子供がやれば明らかに体を壊すであろう内容。しかし、この世界には魔法がある。

 薬で無茶をしても修復できる。そういうことができてしまう。

 だからこれからの修行は不可能とは言い切れない。


『その程度で諦めるのか』


 呆れたような声。これも、何度も聞いてきた言葉だ。

 努力。それは人によってどれぐらいやり続けられるかというのかが違う。

 俺は大して頑張れないやつだったのだろう。俺は全力で頑張っていても父にとっては『その程度』と言われてしまう程度の量。


 ――俺は。


 自分が情けなかった。頑張ろうとしているのに頑張ることができない。修行がきつくて逃げてしまう。毎日机に座って知識を教えられる。耐えきれない。

 肉体的にも限界までしごかれる。もうこんなことは嫌だ。


 ――もう頑張りたくない。辛いことは嫌いだ。


 そう思ったけれどなりたいものがあったから、父の期待を知っていたから、だからもっと自分が強くなれることを望んだ。心が折れず、努力し続けられる自分に変わりたいと自分なりに頑張った。

 ……けれど、気づけばいつも逃げてしまっていた。

 変わりたいのに変わることができない。なんとかしたいという意志はある。しかし、体がそれについてこない。結果が伴わないけれど、頑張る意思はあるというのに。


 だがそれは、まるで負け犬の遠吠えようだった。「やる気はあります」と言いながら口だけでしかやる気を示せない軟弱者。

 それがどうしようもなく嫌で、自分は口だけなんかじゃないんだって。

 自分を変えたい、自分を変えたいんだって何度も何度も意思を込めて、自分なりに頑張って――。

 それは「その程度」のものだった。俺の必死は他人にとっての言い訳でしかなかった。


 でも待ってほしい。俺は自分的にはかなり頑張っているのだ。認めてくれよ。だめなのか? 俺の努力はそんなにも価値のないものなのか?


 まだ十という年齢だったから、そのせいもあってそんなことを考えたのかもしれない。


 俺のせいじゃない。おかしいのは俺じゃない。俺は頑張っている。

 おかしいのは父だ。父が凄すぎるだけだ。父が超人すぎるだけだ。父が努力できすぎるだけで、俺は頑張っている方だ。


 ――世の中は甘くない。そんな叱咤を、一体何回聞いたんだろうか?


 頑張っているのにそれを認めてくれない父が恨めしかった。憎んですらいたかもしれない。


 しかし、大抵の子が親に口答えできないように、反論なんてすることはできず。

 そして――子として産まれた宿命か、父のことを深く尊敬してしまっていた。


 決して頑張りを認めてくれない父。

 超人のような意思を持つ父。

 とても強く、俺の壁としていつまでも存在し続けるであろう大きな背中――。


 嫌いだったのに、尊敬していた。

 父のようになりたくないと思っていた。でも父を超えたいと思っていた。


 だからこそ、何度も何度も心を折りながらも、結局俺は父の元へと戻った。

 泣きわめいて逃げ出して、もう二度と頑張るもんかと叫んでも、最後には父に謝りに言った。

 父は失望の表情を隠さなかった。お前は頑張ることができない屑だと罵られた。

 それでも俺を見捨てることはしなかった。

 それは愛情だったのか、ただの義務感だったのか、わからなかったが――。


 俺は自分の理想の姿を持っていた。

 それだけは諦められない。最後に残った意地のようなもの。

 大きな力が――欲しかった。


 ◇


『認められたいかい?』


 始まりはそんな一言だった。

 この世に生を受けた自分は期待していたほどすごいやつになれなくて、あまりにも弱い自分に失望してしまっていて。

 そんな時に囁かれた甘い言葉は、ひどく胸に突き刺さった。


「兄さん?」


 兄――ナギル。

 兄、娘、俺、父で構成された家族の一人。

 奥深い緑の瞳。そよ風のように流れる緑の髪。優男にしか見えないのにどこか芯のある強い人間。冒険者としても成功して、かっこよくて、非の打ち所がない。

 英雄。ナギル兄さんをみると、よく、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 俺にとっての一番の身近な憧れで「兄さん兄さん」といつも俺はナギル兄さんの後をついて回っていた。子供である俺を構ってくれる、優しくて穏やかな兄だった。


「アイザードが悪いわけじゃないよ。君はとても頑張ってる」

「……そんなことない。辛いのが嫌で逃げちゃうんだよ。もっと頑張りたいって思うのにどうしても逃げちゃうんだ。こんなこといっても、誰も信じてくれないだろうけど」

「信じるよ。アイザードは頑張ろうとしている。それに普通の人よりも頑張っている。僕らの父さんが強すぎるだけで、君は悪くない」

「でも……」

「父さんは昔とある国の英雄だったんだ。だから普通の人のことが理解できない。強すぎるから、自分ができることを周りに求めてしまう。強者は弱者を理解してくれない」


 その言葉には嫌になるほどの真実味があって――同時に、俺は「普通の人」なのだと思い知らされて。

 たぶん、自分が特別弱い奴というわけじゃない。でも特別強い奴というわけでもなかった。

 そんな自分はきっと理想に至れない。目指したものには届かない。物語の英雄などになれるはずがない――。

 ナギル兄さんの言葉は甘く、優しかった。縋りたくなってしまうぐらいに。

 だがそれに縋ってしまえば、俺はいろんなものを諦めてしまうことになる。


「ナギル兄さん、俺、俺――」


 べそかいて、その袖を掴む。遠慮がちに見上げて、それで口から吐き出す言葉は。


「強くなりたいよ」


 諦めたくなかったから、縋るようなことはしなかった。欲しがったのは励ましと肯定。努力を促してくれること。

 ちっぽけで弱っちくてだめでしょうがないのが自分だけれども。

 子供ながらに秘めた思いは。

 いつか抱いたその夢は。

 決して燃え尽きることはなかった。

 まだ幼かったから、完璧に絶望したわけではなかった。


「あるよ、方法」


 そんな俺の言葉は、予想外の切り返しをされた。


「アイザード。君に足りないのは強い心だ。だが――それ以上に能力が足りない。魔力が、剣の才能が、反射神経が。それを埋める手段がある。増幅させて、上に昇る手段がある」

「……それは?」


 ナギル兄さんが手を差し伸べる。俺はその大きな手を握る。

「僕について来てくれ」とナギル兄さんは言った。

 そして、連れてこられたのはどこまでも灰色が広がる景色の中だった。

 そこにはなにもなく、日が差さず、色という色が存在しない。

 いつの間にこんなところに迷い込んだのやら、なんなのやら。

 色を失った木々が生い茂っている。そこに影があるのは理解できる。だがそれすらも灰色で、距離感がうまくつかめない。のっぺらな絵の具が塗りたくられたような、背筋が寒くなるような灰色の世界。


 俺の髪と瞳は灰色だったから、この灰色だけが広がる空間はひどく恐ろしかった。

 まるで自分が溶けてなくなってしまいそうな感覚。前を行くナギル兄さんの緑の髪だけが色を持っていて、あとはなにもない。目印がない。きっと手を離せば帰れなくなってしまう。


 しっかりと握った手から、時々安心させるように握り返してくれる感触。

 かっこよくて快活で、優しい兄さん。きっと世の中が闇に覆われても、兄さんについていけば大丈夫だ。

 そう思って兄さんの顔を見ると――能面のように表情がない。


 いつもの暖かさが一切感じられない冷たい表情。

 今までが偽物だったみたいな。

 だがきっとこの景色のせいだろうと、目を逸らした。兄さんが本物でないのなら、もう俺は帰れなくなってしまうから、見なかったフリをした。


「着いたよ」


 灰色の大地に二振りの剣が刺さっていた。

 氷を描く青色の剣と、時が止まったような灰色の剣。

 片方は景色と同じで色がなく、片方の氷色の剣は、灰色の中で輝く剣は美しく、印象的だった。


 ナギル兄さんが俺の手を離す。

 突き放すような離し方、


「アイザード、いまから僕が言うことをよく聞くんだ」


 快活な兄の姿。そんな雰囲気は微塵も感じられない。


「君はいつか一人でなにかに立ち向かうことになる。誰もおまえを救えない。誰も守ってくれない。――君はこの世界に生まれついてから、そう決まっている」


 剣が振動を始める。耳なりのする音。つんざく悲鳴がこだまする。

 ただ、ただ、畏怖の感情が込み上げる。


 ――それを“怖い”と思った。


 ずっと触れてきた、しかし忘れてしまったなにかをそいつは持っている。

 今か今かと、獲物を待ち構えている。そんな気がする。


「触れるんだ。一度『死んだ者』なら、その剣を抜くことができる」


 グイ、と前に押しやられる。

 剣が待っている。


「怖いよ……兄さん……」


 振り向く。兄さんは優しいひとだった。そう思っていたし、いままではずっとそうだった。

「早くした方がいい」と兄さんは言う。

 後悔するぞ。いま動かなければおまえはなにもできない。なにも守れない。なにも救えない。

 そんな感じのことを、吐き捨てるように言った。


 ――その緑の瞳に引き寄せられる。


 少しずつ、色が濁っていった。

 混ざり合う。

 じっくり、淀むように。

 まるで別人のように。

 黄色と黒。

 光と闇。

 ――剣が待っている。


 ◇


 人は産まれ落ちてから罪を背負っていると誰かが言った。

 それは誰が始めてしまったんだろうか。

 罪人は二人。

 弱すぎて力に魅入られた少年と、それを利用した青年。

 弱い少年は削られた自己承認のせいで道を堕とされた。

 青年は少年のことを愛していなかったし、自分の目的に利用しただけでそれ以外の感情は存在しない。

 どちらがより罪深いんだろうか?

 だがそれがわかったところで、本質なにかが変わるわけではない。

 だから結局、物語は進む。

 きっと真の意味で二人が対決するとき、物語は終結する。


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