そ五
そして一日が経った。
母さんを殺すなんていう覚悟を持つことができず、かといって他の代替案も思い浮かばない。
家族に試練のことを信じてもらうように話すことも考えた。
……でも、信じてもらえないだろう。前提が死者の蘇生という荒唐無稽な話だし、時間の巻き戻りだって到底あり得ないことだ。そんなことを信じるぐらいなら、俺がどこかで頭を打ったということにかけた方が早い。
それに厄介なのが、この家族たちは残念にも、基本的には善人なのだ。殺人なんて良しとしない、一般的な感覚の持ち主。だからこそ、俺の言葉によほどの確信持たせれないまま、「人を殺さなければならない」と説明したら、逆に俺を止めにくるだろう。どうしようもない。
試練……試練!
馬鹿馬鹿しい。何が試練だ。命の秤を取るために、他者に死を押し付ける。そうはいったが、あれほどの力の持ち主なら、そんな代償は無視できる気がする。それに、少なくとも俺の身の周りの命、と限定する必要はない。
天秤を釣り合わせるためというため、というのはあくまで建前で、本質は俺に試練を与えたいがためだ。
……俺のせいで、家族が死ぬ。
俺はなんと謝ればいいんだろうか。俺がこの世に生まれてきたせいで、俺なんかがこの世に存在するせいで――大切な人たちが死ぬ。
いっそのこと蘇れなければよかった……と普通の人は思うに違いない。
俺が最も嫌悪するもの。許せないもの。
それは、家族の命を踏み台にしてでも、自分が蘇れてよかった、と思ってしまう自分の心境だ。
……死者の魂の溜まり場はとても苦しくて、一秒だって耐えられないほどだった。
俺は怖い。死んでしまうことが。
俺は怖い。完全に消えてしまって、なにも思い出せなくなることが。
……だからといって、それを他人に押し付けていいわけではない。
ここまでわかっていて、それでも俺は自分が生きていることに、安堵している。
◇
そして二日目。
もう後がない。ここで母さんを殺すかどうか決めなければ、間に合わなくなる。
だが俺は覚悟を決めることはできないだろう。
剣を出そうとしても、ぴくりとも反応しない。剣は俺の本心を残酷なまでに正確に表す。
意気地なしで言い訳ばかりの俺はなにも行動しない。ろくでなしの腐った魂はあまりにも脆弱で、厳しくも正しいはずの選択についていけない。
延々と考え込んでいる。どうにかする手段を。
手はいくつも考えた。だがどれも、失敗に終わるとしか思えない。
もう俺は半分楽になることを望んでいる。あと一日経てば、強制的に試練は達成できずに終わる。自分の手を汚さなくて済む。
――こんな考えではだめだ。
俺のせいで家族が死ぬ。それだけは許容できない。でも、どうせ母さんを死なせなくてはならないのに、こんな考えは矛盾していないか?
木の上でずっとずーっと同じ考え事をしている。最近フレイムやシーナとも会っていない。
人と話す機会が減った気がする。だが俺には余裕がないのだ。ずっと考えていなければならない。
「――アイ?」
そうやってずっと過ごしていたからだろう。
シーナが心配して、俺に会いにやってきた。
◇
「最近どうしたの?」
「……いや別に」
そっけない返事なのはわかっている。冷たい対応を取りたくないという気持ちもある。だがそれ以外に言うことなんてない。俺には余裕がない。追い詰められている。
ぼーっと考えことをしていると「よっこらせ」と声が聞こえた。
なんだなんだ、と思ってそちらを見ると、シーナが木をよじ登って俺の隣にやって来ていた。
目が合う。「えへへ」とはにかむシーナ。どきまぎして目を逸らす。
「悩み事でもあるの?」
「ち、違うよ。その……うん」
なんだかうぶな少年みたいな対応をしてしまう自分が恥ずかしい。
そしてしまった、と思った。俺は「悩みがある」と告白してしまった。優しいシーナはきっと俺に構って、問いただそうとするに違いない。
「ふーん」とシーナは言って、俺の方に頭を持たれかけた。甘い匂い。
だがそれ以上なにも言ってこない。それどころか目を閉じてくつろいでいて、思わず俺はそれに見とれてしまって……ええい!
「……なにも聞かないの?」
「聞いてほしい?」
「……聞いてほしくない」
「なら、いいよ」
そんな答えに、少し驚く。
大なり小なり、俺の異変は家族みんなが感じ取っていて、気になるはずだ。父さんだってそうだった。
「私はね。アイが辛いなら、辛いままでいるべきだと思う。アイはそういう人なんだよ。自分で解決しないと気が済まないタイプ」
勝手な印象なんだけどね、と彼女は笑う。
「だからね、私はアイに寄り添ってあげるの。苦痛が少しでも楽になるように。アイが少しでも嫌なことを忘れられるように。……アイって、英雄が好きでしょ?」
「うん」
「英雄になりたい?」
「……たぶん、なりたい」
シーナの言うことは……すべて正しかった。
偶然かもしれない。なにも考えずに起こしただけの行動が、今の彼女なのかもしれない。
でも俺は、それを望んでいた気がする。
世の中で絶対に救いようがない事実があったとして、そこから自分を救ってやれるのは、自分であってほしい。俺はそんなことを考える人間だ。
誰かに助けてほしい。もちろん、そう思う時だってある。
だが俺は、自分を救えることが、自分にとっての理想の姿なのだ。
憧れる自分。英雄。とても強くて、完璧な人間。
「私がずっと一緒にいてあげる。アイは悩んでいていいんだよ? でも、一人にはしないから」
彼女はゆっくりとそう言った。
彼女は俺を救ってはくれない。だが支えてはくれると、そう言ってくれた。
ならそれこそが、俺にとっては救いなのかもしれない。
どうせ何も話せないなら、どうせ自分一人でやり遂げるしかないのなら。
これで、いいのかもしれない。
◇
『ああようやく決めたのか。死を恐れる魂よ』
暗い空間。剣の領域。
俺と剣だけが存在する、そういう場所。
『もうお前の心は揺るがないのだろう』
「……」
『聡いな、お前は。お前の予想通り、お前の母を殺すことがこの試練の鍵だった』
「……性格が悪いな」
『我が決めたのではない。これは世の理だ。ずっと前から決まっていたことだ』
「それで、なんだ?」
『お前の家族は死ぬ』
「……」
『お前がなにも選択しなかったせいで、お前以外の人物がツケを払うことになる』
「…………」
『まあ、嘘だがな』
「……は?」
どういうことだ、と思う。
冗談を言った? この剣が?
……いや、そんなわけがない。
『嘘とはお前の見たもの、感覚、この二日の経験だ』
「……何を言って」
『時を巻き戻すことなどできない』
「……なんだって?」
『私はお前が思うほど偉大な力を持っていない。蘇りの力など欠片もない。ただ未来は予知できる。お前の家族が死んでしまうというは知っている』
「どういうことだ。嘘? この二日間が? 時間が巻き戻らないって、どういうことだよ」
『こういうことだ。お前は何も選択できなかったことを経験した。これは真実だ。お前は後悔する。きっとこの先、強くなる』
――そういえばこの試練の名を告げていなかったな、死を恐れる魂よ。
『此の試練の名は破滅の試練。確定した未来で苦しみ、お前を成長させる試練』
「……お前」
『お前の家族は襲撃を受ける。お前はその場にいない。お前だけは生き残る。これが未来だ』
「おまえ!」
騙されていた、のだろうか。
勝手にこの剣は公正なものなのだと、そう思っていた。だが全てが嘘で、剣は状況を利用しただけ。俺の家族が死ぬという未来は確定していて、俺に決意だけをさせた。
すべては夢幻想。
この二日間はすべて嘘。剣が作り出した虚像で、なにも起こっていない。
……じゃあ、今は何日なんだ? 雪が降る日、剣に体を乗っ取られて、あれから何日経っている。
『一日の四分の一。それが経過した時間だ』
勝手に俺の思考を読み取って、剣は言った。
いまだに信じられなかった。
考えてみれば、死者の蘇生も時間遡行も、絶対にできないのが世の理。
できるとしたら、創世のクリスタルだけだ。この破滅の剣が世の理を破れるわけじゃない。
思えば、創世のクリスタルは一度も俺に接触してきてはいなかった。つまり、この場は完全に剣が握っていて、コントロールしていたのだろう。使えるのは、この剣の力だけだった。
『これより、我が課す最後の試練を始める』
「……やめろ」
『死を恐れる魂よ。お前は家族の死を見届ける。さあ――時は動き出す』
◇
いやだ、と思った。
今までの思考が、努力が、すべて無駄だった。
家族が死ぬ。それが確定した未来。
あれから時間が経っていないのなら、俺は次にどこに飛ばさせれるんだろう。
諦めたくなかった。家族が死ぬということがわかっているなら、それを止められるはずだ。
剣はあれから四分の一日――六時間が経っていると言っていた。それだけの時間しか経っていないなら、十分死の未来を止められるはずだ。
だって、俺は未来を知っている。早く家族の元に辿り着いて、それを教えて逃げてしまえば――。
――お前だけは生き延びる。
不可解な言葉。
なんとなく、意味はわかっている。
だが認めたくない。家族は全員助かる。俺がそうさせて見せる。
絶対に、絶対に。
そう誓って――。
◇
雪が、降っている。
目が覚めてみれば、暗い森の中に立っていた。
シーナと別れた、あの場所だ。
月光が木々の隙間を通って地を照らしていた。頭に粉雪を乗せた梟が、こちらを覗き込んでいる。
周辺には何の変哲もない木がどこまでも並んでいた。もし、ここに一度来たことがなければ確実に迷子になってしまうであろう深い森の中。
二つの月の内一つが沈んでいるのを確認。あともう少しで夜が明ける。
急がなくてはならない。一刻も早く、家族の元に戻らなければ。
一歩、足を進めようと歩こうとする。だがそれだけで冷汗がでた。
異常は自分の体だけではなかった。空気の中にじっとりと、重い魔力が漂っている。森の中は魔力濃度が高くなりやすい傾向があるといえばある。それにしてもこれは異常だ。
今漂う魔力はただただどろりとしたもので尋常ならぬ、おぞましくて残酷な感じがする。まるで、この世界のものではないような異質感。
早く早く、家に帰らなければならない。
……でも、体がうまく動かない。
ふと気づく。これは呪いだ。剣が俺に課した呪い。未来を知った俺が家族の元にいけないようにかけた、鎖のようなもの。
憎しみに近い感情が溢れる。どこまでも邪魔しにくる剣の意思。第一、未来を知れるなら剣が俺の家族のことを教えてくれればよかったのだ。
わかっている。それは俺の考えで、剣の考えではない。俺と剣の目的は違う。
時間をかけながらも、家に向かって歩いていく。歩いているだけなのに呼吸が乱れる。呪われてるみたいに、体力が削られていく。
――遠くで魔力が膨れ上がるのを感じる。
ここからはあまりにも木が多すぎて、家の様子がわからない。おそらく、戦いが起きている。俺の、俺たちの家がある場所で。シーナとフレイムと、父さんと母さんがいる場所で。
「……あっ」
木の根元に足を取られて躓く。
地に積もる雪が、優しく身を受け止めた。
口には雪の感触と、溶けてぐちゃぐちゃになった泥の味。
いまだに、この身を縛る倦怠感は消えてくれない。目を閉じたら、そのまま眠ってしまいそうだ。
だがそんなことをすれば、確実に後悔することになる。
俺は、進まなければならない。
なんとか立ち上がって、揺れる視界を固定する。
はやく、家へ帰らなければ。
でなければきっと……きっと。
いかなくては、いかなくては。
死んでしまう。大切な家族が。シーナとフレイムが、父さんと母さんが。
けれど、もうまともに歩けそうになかった。
剣の力は創世のクリスタルに及ばなかったとしても依然強大で、ただの人間である俺を縛るぐらいの力はある。
息切れする。ただ歩いているだけなのに、体が鉛のようだ。
それでも俺は進まなくてはならない。
家族のことが好きだから。
皆がいないと、俺は生きていけないから。
だから俺は――進まなくてはならない。
そうやって何度もくじけそうになって、ようやく家まであと少しというところまできた。
意思だけでなんとかここまでやってきた。限界だ、という自分の声が、いつまでも頭の中で鳴り響いている。
それでも俺は、ここまで進むことができた。あと少しで、家が見える。
ここからはなにも聞こえない。予想していた戦闘の音も、なにもかも。
あと数歩進めば、家の様子がわかる。
力を振り絞って進む。そして首を伸ばそうとして――。
「伏せろ」
乱暴に頭を掴まれて、しゃがまされる。
敵か? と思ったが、それは父だった。
とても暗い森の中、フレイムと同じ太陽のようなオレンジの髪が揺れている。
爛々と目を光らせている。
口をきつく結んでいて、前方を睨めつけている。
――未来が変わった、そう思った。
父には会えた。あとは皆も助けるだけ。
これなら、これならきっと――。
「……進むぞ。ついてこい」
父の指示で、芋虫のように地をはいずり進む。
そうすれば当然、目前だった家の様子が目に入った。
覚悟をもって、おそるおそる覗き込む。
――燃えている。
家が燃えている。そしてなによりも、なによりも――。
――真っ白な雪が、赤く血に染まっている。
誰かの血。きっと、殺されたという理由で流れた、そういう証拠。
目の前には、凄惨な光景が広がっていた。死体、死体、死体。
――襲撃を受ける、と剣は言っていた。その結末が、これなのか?
黒く、巨大な棘が地面から生えていた。その先端には少年の躯。
目に光はない。内臓が貫かれたのか、口からは点々と血が垂れている。
その少年はもうきっと「なーにしょげた顔してんだ!」などと言って、誰かを励ますことはしないだろう。誰かと一緒に、馬鹿なことをいって笑ったりはしなくなるだろう。一緒に頑張って、一緒に旅をすることなど、できはしないだろう。
「あ……あああ……」
小さな黒い棘がびっしりと刺さった物体があった。成人女性ぐらいのその物体からは、白銀の髪がついていた。きっとこれから、その成人女性はパンとミルクの香りの中で、息子に愛情表現をされることはないだろう。ましてや息子をからかうこともできなくなるはずだ。たまに寂しそうにする誰かに、母性をもって接して、本物の母親みたいに抱きしめてくれることなんて、もう二度とできないはずだ。
「……シーナ…………は?」
それでも。
それでもたった一人、生き残っていればなんとかなると思っていた。
俺が好きな、ちっこくて元気な少女のこと。優しい金色の瞳を携えて、「アイ」と呼んでくれる、女の子のこと。
彼女がいて、どれだけ楽しかったことか。焦がれる恋慕に、どれだけ胸をざわめかされたことか。
――俺が好きだった彼女は、首なしの死体となって、燃える家に寄りかかっていた。
激情が体の中でのたうつ。どす黒く、熱いものがこぼれそうになる。
父が俺の背に乗って拘束、そのまま手で俺の口を塞いだ。
こんなところで叫んでしまえば、家族を殺したやつに居場所がばれてしまう。父をも巻き込んでしまう。俺だって殺されてしまう。
そんなことはわかっていた。でも、止められなかった。
目から涙がこぼれ、雪へと吸い込まれていく。
父の拘束をほどこうと、がむしゃらに暴れまわる。
わかっている、わかっているのだ。こんなことをしたって、現実は変わらない。ちゃんと向き合って、静かにしているべきだ。敵に見つからないためにも。
感情が故の愚かな行動だった。涙を流すのなんてやめてしまいたい。もっと冷静に、冷酷に、敵を見据えなければならない。父と協力して、それで――。
やがて、もともと体力など残っていなかった俺の体は動かなくなった。それでようやく、父が背中からどく。
「落ち着いたか?」
「…………うん」
頭が、体が、なにもかもが熱い。全身が燃えているみたいに。
激情が体に籠っている。憎しみがとめどめなく溢れて、頭がどうにかなりそうになる。
怒るしか、なかった。怒らなかったら、俺は空っぽになってしまう。なにもかもを失って、なにも残っていない俺という器に、なにかを注がなければもう動けなくなるような気がする。
でも本当は――怒っているのなんて、見せかけだった。なにもかもどうでもよかった。だって、フレイムが、母さんが――シーナが、死んだのだ。
怒ったところでなんになるっていうんだ? 復讐? それで?
それでも俺は自分を燃やすしかない。俺は怒っている。死んだように空虚でなく、復讐してやろうと激情が体を焦がしている。
そういうことにするしかない。
ギラギラと己の双眸を輝かせて、暗がりを覗く。
家が燃えてその周辺が明るいせいで、そして家族の死体のせいで最初は気づかなかったが、その集団はこの場所から燃える家を挟んだ場所にいた。
集団がいる場所に影が落ちている。
月明りと燃える炎が、ちらちらとその姿を晒す。
そいつらは異形だった。人間ではない。
汚らしい黄色い目や、曲がりくねった角。牛や馬、羊や鳥といった動物たちの体を無理やりくっつけた歪な姿。
それは、悪魔だ。よくある、人の苦しみを喜んだり、人を悪の道に落としたり、そういう役割のために物語で出てくる存在自体が罪な生命体。
知識として、現実に存在していることは知っていた。しかし、まず悪魔は現世に出現したりせず、魔力の濃い場所でしか生きられない。悪魔は魔力こそが本体であり、ただ倒すだけでは殺すことができず、時間の経過とともにまた復活する。魔力こそが、正真正銘、彼らの生命源なのだ。
つまりは、ここに現れることなどありえないない存在だった。
いったい、なにが起こっているのか。
さらにその集団の様子をうかがう。そしてその中にいる、明らかに異質な存在を目にした。
そいつは人間の形をしていて、人間ではなかった。
髪は長く、黒いマントに闇を塗りたくったような黒い肌。目は赤く、いくつもの命を殺して流れた血がそこに集まっているかのよう。
まるで、魔王だった。
異形の集団を引き連れた人型の主がそいつらをコントロールしていた。
異形たちが、賢しく、プライドが高いはずの悪魔たちが文句もなしに恭しく従っている。
異形の悪魔たちは俺の家族の死体をみて笑っていた。同時に、この魔王のような男を恐れているようだった。
腸が煮えくり返る。俺は敵を認識した。あいつこそが親玉だ。あいつだけは、殺さなくてはならない。
だが今出て行ったところで、返り討ちに合うだけだろう。悪魔の強さは未知数だ。それでも一応、俺だって数匹ぐらいなら勝てるかもしれない。それぐらいの実力はあるつもりだ。
しかし、目の前にいるのは集団だった。三十匹はくだらない。
そしてなにより、あの魔王のような男に勝てる気がしなかった。底抜けに強いと俺が評価している父の力をもってしても、絶対に勝てない、そういう相手だった。
指をくわえて、隠れているしかないのだろうか。
そう思っていると――。
魔王のような男の口が動いた。同時に、父の顔色が俺のことを強く掴んだ。
――まだ一人足りないな。
「アイザード」
父の声。
なにか策でもあるのか、と期待してその表情をみる。
しかし、その目は昏かった。
歯を強く食いしばったのか、口元は荒れて血が垂れていた。
強い意志を秘めた表情だった。けれども――死ににいくことを選んだ、表情だった。
やつらの情報になにか間違いがあったのかもしれない。とにかく、やつらが求めているのはあと一人だった。
「いいか、よく聞け。私はこれからやつらと対決する。お前はここでじっとしていなさい」
「……え」
わけがわからないことを言っている。そう思った。
「これが最後だろうから言っておく。私たちは全員で家族だ。みんながみんな、お互いが好きで、孤独感を感じる必要なんてなかった」
「何を言って……」
「きっとおまえも、みんなが大好きだったはずだ。だからこそ忠告する。復讐はするな」
「待ってくれよ……!」
しかし、父は俺の言葉を無視した。
そのまま足を踏み出そうとして、敵の集団に向かおうとして。
そんな父の足を、縋るように掴んだ。
目と目が合う。感じ取れるのは、燃えるような怒り、憎しみ、殺してやるという強い決意。
手に取るようにその思考がわかった。せめて敵を道ずれにしてやろうという殺意からくる切実な願い。
父は俺を守るために敵の目の前に出ていこうとしていた。同時に相手への憎しみを抑えきれないようだった。
「おいて……いかないで……」
みっともなく、懇願するように、哀れっぽい声で、そう言った。
父は、少し笑った。
昏い瞳のままに。
「アイザード。おまえは賢い。だからわかるはずだ。私の後を追ってはならない。復讐してはならない」
「……」
「復讐、するな。自分のために生きるんだ。――じゃあな」
そう言い残して、父は進んでいった。異形の集団、悪魔の群れの中へ。
俺は、動けなかった。ついていくべきなのだろうか。
それは父に止められた行動だ。それに逆らってでも、ついていくべきなのだろうか? 飛び込めば死んでしまうのに?
――俺は間違いなく、後悔するのだろう。
俺は動けなかった。体力の低下のせいもある、父に止められたこともある。
――でも、死ぬのは怖かった。
俺には今、背を向けて敵と立ち向かっている男は、大切な人のはずなのに、なのについていくことができなかった。
言い訳ならいくらでもあるのだ。冷静に考えて、自殺のような行動に付き合うのはばかげている。
でも、俺は後悔するのだろう。ここでついていけばよかった、と――。
「何者だ?」
魔王のような男が父に気付いた。
父は姿を隠そうとしない。
燃える家を背景に、燃えるような髪を持った男が魔王と向き合う。
一方は暗がりに異形とともにたたずみ、一方は単独、燃える炎と共に立ち向かう。
「俺か?」
せせら笑うように、父は笑った。
虚空から剣を取り出す。
それは、以前見せてもらった特殊な武器、ソウルウェポン。契約を行い、どこからでも取り出せる業物。持ち手はその武器と魂を接触させ、武器を自分の体の一部のように扱えるようになる。どんな重い武器でも、自在に使いこなせるのだ。単純にそれを持っているだけで、戦闘能力は跳ね上がる。しかし、代償は武器の破損が持ち主の発狂へと繋がってしまうこと。
まさに、強力がゆえに諸刃である、そういう武器。
それはすなわち、父が本気を出すということだ。いままで一度も見たことがない、いつもより数段を上の力を引き出して、戦うということだ。
今現在、俺が父と遭遇したことで未来は変わっているはずだ。
だからもしかしたら――もしかしたら。
「人間ごときが、威風堂々と結構なことだ」
魔王のような男が虫けらに向けるように言葉を放つ。
父はそれがなんでもないことのように笑っていた。ソウルウェポンである緋色の刀身の剣をぶら下げ、おかしそうに笑っていた。
「簡単に他者の大切なものを奪っておいて平然としている奴。そんな奴は見下している奴に殺されてしまえばいい」
父が突然剣を頭上に掲げる。
天を衝くような構え。
その周辺から炎の渦が巻き起こる。それは頂点にいけばいくほど収束していき、よりいっそう燃え上がる。
「――炎 獄 の 魔 装」
まるで、神話のようだった。
燃え盛る炎柱は、はるか遠くからでも見ることができるだろう。
その膨大なエネルギーは、薙ぎ払えば軍団一つをも葬りさることができるだろう。
人の身に過ぎたる力。明らかにそういうものだった。
人類の頂点といわれる英雄騎士ソルだって、こんなものを受け止められるわけがない。
魔王のような男の顔色が変わった。
その黒い肌からは表情の切り替えは掴みずらかったが、それでも簡単にわかるものだった。
それは侮りから、敵と認めたも表情だった。
認めよう、人間、とひとりごとが聞こえる――。
「――禁 忌 の 魔 王 」
闇色の粒子が、世界を撫でた。
メキメキと音を立てて、背から禍々しい翼が生える。悪魔たちを隠してしまえる、なんてほどちっぽけな大きさじゃない。
全長は二十メートルはくだらない。決して小さくはない魔王のような男が、小さくみえるほど巨大な翼だ。
羽ばたけば、闇色の粒子が辺りに飛散していく。血色の瞳が父を見つめている。
それがどうした、とでもいうように、父はその炎柱を振り下ろした。
それを禍々しい翼を用いて魔王が受け止める。
巨大な質量と質量のぶつかり合い。
地面は捲れ、衝撃が渡りに渡って、木々に火がついていく。
目の前が見えなかった。スケールがまるで違った。
そして目の前が晴れてみれば、魔王が父の胸を手刀で刺し貫いていた。
父の目から、憎しみの涙がこぼれる。
「殺して……やる……!」
「そうか」
返す手刀を一閃。父の首を刎ねる。
それで終わりだった。
伝説に匹敵するような戦いは、一瞬で片がついた。
「戦士だったな」と魔王はひとり、短くこぼす。
そして悪魔の群れの中へ引き上げていった。
悪魔たちは父の死体をごちそうを見るかのような目で見ていた。
そして我慢できない、というかのようにその死体駆け寄ろうとした一匹の悪魔を、魔王が撫でるように手を振って殺した。
「引き上げる」
悪魔たちはそれ以上逆らわなかった。
そうして異形たちと一人が引き上げ、辺りには静寂が漂う。
地に伏したまま、俺はそれでも、いまだに動けなかった。
目の前で起きたことが信じられなかった。
あんなに強かった父が、負けたのだ。俺が知っている中で最強の人物が、負けてしまったのだ。
そして自分の中の憎しみという名の炎が、消えかかっているのがわかった。
絶望、そういものを今、強く感じている。
みんなみんな、死んでしまった。誰一人救われることはなかった。
生き残った者は己のみ。あとは晒し貫かれ、死体にびっしりと棘が生え、首がなかったりする。
これで、俺はこれからどうしろというのだ?
家族は俺のすべてだった。
愛していた。みんなのことが、大好きだった。
「父さん」
だが今は、誰一人として息をしていない。
死体はなにも喋らない。
語りかけるのは、生きている者の自己満足か、それに似たものでしかない。
無意味なのだ。俺がなにをしたって、どう嘆いたって。
取り返しがつかない。水の入った盆を裏返してしまったら、もう水を盆の中にいれることはできない。どうすることもできやしない。
「嘘……だ……」
体にどうすれば力がいれられるんだっけ?
俺は家族の元に行きたい。でも、どうしたって立ち上がることができない。
別に体が動かないというわけではないはずだ。
今だって痛いほど土を握りしめているし、涙だって止まらない。だから俺の体はまだ、まともなはずだ。
「嫌だ……嫌だ……」
――何者かが口早に語り掛けている。
力を貸してやろう。体をかしてくれ。お前を救ってやろう。敵を殺してやろう。
恐ろしいほど魅惑的な誘い。
剣を杖に、俺はなんとか立ち上がる。
よろよろと前に進む。
最初に通りかかるのは、首のない戦士の死体。
「……父さん」
次に視界に入るのは、刺し貫かれ、晒されるように掲げられている少年の死体。
「……フレイム」
それでも俺は進まなくてはならない。
俺はみんなと旅をしなくてはならない。
だって、そういう決まりだったのだ。フレイムとシーナと、約束をしたのだ。
感情を忘れてしまったかのように、ぼうっとした頭。
知らなければ人間の死体だとわからないようなものの横を通り過ぎる。
白銀の髪が印象的な、大切なひと。
「……母さん」
そうやって大切な人全員を通り過ぎて、俺はたどり着かなければならない。
最愛の人のもとへ。俺の恋した少女のもとへ。
その子は、優しい子だった。
俺は自分だけが血のつながりがないことに気付いていた。
フレイムは父と同じ髪と瞳を持ち、シーナは母と同じ髪と瞳を持っていた。
俺だけは違った。灰色の瞳に灰色の髪。なにも受け取れなかったみたいな色のない容姿。
俺は孤独だった。俺だけが家族じゃなかった。
彼女は、そういう俺の感情にいちはやく気が付いたようだった。
俺が寂しそうなとき、一人で離れた場所に座っているとき、決まって彼女は俺の隣に座ってくる。
「アイ―」なんて、男につけるにはかわいらしすぎる愛称で俺のことを呼び、可憐な笑みを見せる。
彼女は俺の孤独に触れてくることはなかった。彼女がしたのは、決まって寂しい思いをしているときに俺の傍にいてくれることだけだった。
それが――それが――いったいどれだけ、救いになっていたことやら。
どうして俺がこんなにもみんなのことが好きになれたのか、わりかし素直に、愛情を表現することができたのか。
全部全部、彼女のおかげだ。氷のような心の壁を、彼女が溶かしてくれたのだ。
なんでもないことのように、傍にいてくれた。救ってくれた。
彼女はまるで、俺にとって絶対の英雄のようだった。
俺はただ一人、彼女の前に立つ。首のない死体。
「シーナ」
優しく優しく、その名を呼んだ。眠りに落ちた姫を呼び覚ますように。
反応はなかった。当たり前のことだった。
「大好きだよ」
俺は彼女を抱きしめる。
まだ暖かい。さっきまで、確かに生きていたのだ。
俺は自分がしていることが恐ろしくなって身を引く。
死体を抱きしめるなど、冒涜的なような気がする。いまさらのことかもしれないけども。
思わず、笑ってしまいそうになった。頭でもおかしくなってしまったのかもしれない。
シーナの死体が倒れ伏す。首のない死体がこちらに倒れる。
その断面から血が流れてくる。俺の足元の雪を赤く血色に染める。彼女の生きた、赤い血が。俺の方へ、ドクドクと流れてくる。
「はは……ははは……」
吹雪がひゅんひゅんと唸っている。
馬鹿みたいに綺麗な雪景色。朝日が顔を覗かせる。
仄かな光が雪に当たって乱反射。辺りを眩い光が照らしている。
本当に、馬鹿みたいに綺麗な雪景色。
「シーナ?」
俺は彼女の名を呼ぶ。
返事はない。
「ははは……ああ……うえっ、あ、あ、あああ……」
辛い、苦しい、悲しい。
もう何も残っていない。孤独だ、ひとりぼっちだ。
大好きだったんだ、家族のことが。俺は寂しがり屋だった。そういうのを感じて、暖かく接してくれる皆のことが、言葉では表せないぐらい大切だったんだ。
――誰か返事をしてくれよ。
「ああ……あああ……」
――ひとりぼっちじゃ、生きられないんだ。
「ああああ……あ、ああ」
――おいていかないで。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
◇
たぶん俺は、これから死んでしまうのだろう。
今望んでしまったのは、『もう死んでしまいたい』という願いだった。
比喩ではなく、本心からこの身の破滅を願った。
きっと剣は願いを叶えてくれる。試練を突破できなかった弱者に失望しながら。
――だからたぶん、俺はもう幸せな夢を見ていいんだ。
都合のいい夢。
木の上に座っていて、隣にはシーナがいる。最も幸福だった時間。
「辛い?」とシーナが聞いてくる。
俺の望んだ幻が、俺に優しくしてくれる。
「うん、もう頑張りたくないんだ」
「……どうしても?」
「だって意味なんてないだろ? 家族は俺のすべてだ。みんな死んでしまった」
「……そっかあ」
彼女は俺を止めたりはしないだろう。だって、この世界はとても救いようがないものだから。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
「アイはなにも悪くないよ」
「いいや、俺が全部悪い。死者は死んでいるべきだった。苦しみ抜いて消えてしまうべきだった」
「私はそう思わないよ」
「……そう」
こんなことを彼女が言うのは、たぶん俺の心が弱いからだ。
自分に甘いから、幻想の彼女は肯定の言葉を吐く。俺が望んだ幻想が彼女の形をしているなら、俺がそれをコントロールできるなら、俺は彼女になじってもらうべきなのに。
――お前のせいで皆死んだ。他人を犠牲して生きる命はさぞ尊そうだ。罪人のくせに悲しむふりをする偽善者。お前のせいで皆死んだのに、愛してるという言葉を言い訳に自分が苦しんで、そんな自分は良い人間だって喜んでいる。お前のせいで、お前のせいで……。
「今さらだけど、俺は死のうと思う」
そんな言葉が出たのは、最後に残った自分へのちっぽけな期待や誇りのせいだった。
死ぬことで罪の清算なんてできっこない。だが死ねば、俺は家族の死を踏み台にして生きた、という事実は残らなくなる。それならばまだ……自分を自分と認められるような気がする。
たぶん俺は、家族の死よりも自分の死の方が怖かった。
だがそれを認めるのは、他ならぬ自分が許さなかった。
幻想の彼女がが手を握ってくれる。
結局、彼女は俺にとって優しさと救いの象徴で。
俺を責めてはくれない。ただ死ぬという選択肢を肯定してくれる――。
「――ダメだよ」
否定は想定しない形で行われた。
「アイは生きて。生きなきゃ、ダメだよ」
どこまで俺は意地汚いんだろうか、と思う。妄想の中の世界で、俺は他人の姿を使って自らをいかそうとしている。
今ある光景は、まるで俺が彼女の姿かたちを使って死ぬのを止めているみたいで、ひどく気分が悪い。
「うるさいな」と俺は言う。
馬鹿げたことを言う自分の幻想に向かって。
「まだそんなことを言うのか。いい加減認めるべきなんだ。俺は望まれなかった子供。生きる価値のなかった命。自分をかわいがることを卒業しなくちゃならない」
「違う……違うよ。悪いのは世界のせい。なんでもかんでも自分のせいにするのは間違ってる。アイが望んで世界がこうなったわけじゃない」
「俺の意思なんて関係なくて、いつだって正しいのは結果論だ。俺が存在するからこういう結果になった。それが事実だ」
「そんなの……それなら、この世界じゃほとんどの人は救われないよ」
「逆に、世界が人を救うのか? どうせ死ぬ瞬間、ほとんどの人間は不幸になる」
俺は座っている木の枝から腰を浮かす。
救済なんて世の中に存在しない。理想論と机上の妄想の中か、物語の中でしか人は救われない。現実では誰だって苦しむ。生きているうちに感じる幸福より不幸が勝る。
「俺の選択を尊重してくれ」
「……わかった、よ」
木の上から地上を見下ろす。。
この木から落ちていけば、俺はきっと終わる。
凄惨で趣味の悪い人形劇は幕を閉じられる。誰からも後ろ指を指される俺の物語を完結することができる。
きっと、きっと――。
そうやって落ちていこうとするも、なにかに阻まれる。
止められるのはただ一人。俺の隣の幻想。
「いや……だよ」
泣いている。
嘘みたいに綺麗な涙。
「私は……アイに、生きてほしいよ」
縋るようにそう言う姿は、父を止められなかった誰かの姿に似ていた。
きっともう自分には止められないだろうと思っている奴の姿。
「我儘なのはわかってる。でも私は……アイがどんなに辛くても、それでも私はアイに生きてほしいよ」
耳を貸すはずがなかった。
なにもかも消えてほしかった。
俺の生を望む声など、あまりにも耳障りだ。
「知ったことか」と俺は言う。
手を振り払って飛び降りる。
「アイ……アイ……」
声が俺を追いかける。
「じゃないと……私は……」
どうしても大切なもののために祈る少女の姿。
「私は……」
追いかけてくる声は俺の浅ましさの象徴で、聞くにたえない我儘だった。
俺は生きたくないと証明するために身を投げた。
いつだって、正しいのは結果論だ。誰が何と言おうと、俺は家族の命を踏み台にしたかったわけじゃない。
か細い声を聞きながら、悲痛の籠る泣き声を聞きながら、迫りくる地面を凝視していた。
接近し続ける終点。望んだ結末。最終的な結果。
ゆっくりと流れる時の中、地面に辿りつくまでのカウントを数える。
三、二、一……。
――私だってもう、生きていけない。
俺は死ぬことを望むのだ、と強く念じる。
誰が何と言おうと、例え彼女が本物だったとしても、俺の意思は揺るがない。
俺はゆっくり目を閉じる。




