エトワール終
――ずっとずっと、私は彼の傍にいる。
約束したから。子供のころの話だけど、たしかにそう言ったから。
村は救われた。勇者さんも私も、元いた場所に帰れたし、変異も止まった。
お師匠様は、見つけられなかった。
……最後の部屋で、倒れているのを見たから、あれは、死んでいたのだと思う。
なにが起こったのか、私は知らない。彼がなにと戦ったのか。お師匠様となにをしていたのか。
でも確かに、彼は村を救ったのだ。あの広大な世界を見たからわかる。放置していたら、きっとこの村は災害に飲まれていた。
「ふははは! 今日も私がやってきたぞ! エトよ!」
私は彼の名を呼ぶ。
もしかしたらひょっこりと起き上がってくることもあるかもしれない。
……あれから、一年が立つ。
私もそろそろ十七という歳を超えるころだ。
私がひとり、彼の看病をしている。お父さんとお母さんがたまに手伝ってくれたりもする。でも基本、私がひとりでやっている。
彼はきっと、村を救った。
しかし、それは村民たちにとっては他人事というか、飲み込み切れないというか。
変異が起こってはいたが、それほど危機的状況ではなかった。彼らはエトに感謝を述べはしたが、やがて忘れていった。
……それを私は、憎めばいいんだろうか?
そうではない。彼はきっと村を救った。そこにいる人間だって誰一人死なないかった。
私と、勇者さんを除いて、それは誰にもほめたたえられることがない。皆、救われた実感など持っていないのだから。
でもきっと、彼は嫌な顔はしないだろう。褒められたいわけでもないしね、と笑うに違いない。なら、私もそれに従うべきだ。
「起きてよー、ねぼすけさん」
彼の頬をつついてみる。
そんなことをニコニコとつつけていたが、やがて虚しくなってきた。
「エト、私ね、もうすぐ冒険にでるんだよ? 冒険って憧れるよね! ほんとはエトと一緒に行きたかったんだけど、おねむなエトはベットから動けないのです」
挑発めいた一言も、当然効果はない。
演じるのも苦しくて、私は黙ってしまった。
嫌な沈黙が漂う。別に、私が喋らないといけないわけじゃない。ここに喋れるひとは、私しかいないんだから。
勇者さんも最初こそここにとどまっていたが、もうとっくに村から出て行ってしまっている。
私しか、エトに話しかけるひとはいない。仲が良かった村民も、時が経つにつれてここには来なくなってしまった。
誰もここにはいない。なら、もう、明るく振舞うのも疲れてしまった。
「私ね、冒険にでるんだよ」
ひとり呟く。
これは、独り言。
「世の中は不思議なことがたくさんあるから、もしかしたらそのうちのひとつに、今のエトを治せるものがあるかもしれない。そう思わない?」
言い出したらもう、止まらなかった。
「たぶん、エトがこの村を救ってくれたから、だから私は君を助けることに人生を捧げるよ。責任は感じなくていいよ? 私がしたくてするんだから」
でも、どうしても。
「あーあ、めんどくさいなー。ひとりで冒険なんて寂しいし。でも私がエトの目を覚ます手段を見つけたら、一緒に冒険できるね。そしたら楽しいかも。……起きてよ、エト」
なんで、なんだろう。
「もうここには、戻ってこないよ。今日が最後。ここには大好きなひとがたくさんいるけど、エトを助ける手段を見つけるまでは帰ってこない。……だから起きてよ、エト」
嫌に、なりそうだった。
もうどうしようもない希望に縋って、それで外の世界で助ける手段を見つけてくるなんて息巻いて。
心の奥底で、なにをしたって無駄だってわかってる。
それでもなにかを言わずにはいられない。
こんなことをしたって、何の意味もないのに。
「起きて……起きてよ……エトがいないと、寂しいよ……」
声が震える。
ひとり、膝を抱えてうずくまった。
◇
ここはどこだろう――?
自分が何者なのかわからなかった。
思い出のようなものが次々と浮かんでは消えていく。
しかし、僕はそれを認識できない。写っている情景がなんなのか、なにを喋っているのか。
僕はゆっくり目を閉じる。
わけもなく、苦しかった。
おんなじことが何回も何回も何回もぐるぐる回って……息が詰まりそうだった。
ここは、終わりのない地獄。
厄介なのは、その回想に、ひとまつの幸せのようなものを感じてしまうことだった。地獄のくせに、幸せな部分がある。
だからいっそ、ここは苦しい。
なにも、感じなければよかったのに。
幸せなんて、知らなかったらよかったのに。
「まだ正気なんだね」
それは、誰の声なんだか。
たまにだけど、その声は聞こえた。
予想だけど、たぶん、その人は僕の大切な人。
「耳をすましてごらんよ。きっとなにか聞こえるはずだ」
珍しく、その発音を聞き取ることができた。
久しぶりの、意味ある言葉。
僕は闇の中で耳をすます。
そうしてみれば――誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。
――起きて、エト。
誰かがなにかを言っている。
なにを言ってるのかよくわからなくて、僕はもう一度耳をすます。
――寂しいよ、エト。
誰かが僕を呼んでいる。
僕の名前を呼んでいる。
なにかをしなければという焦燥感。
でも、なにもできやしない。
「そうでもないはずだ。誰かが君を呼んでいるなら、それを辿っていけばいい」
僕を助けるように、声が言った。
言われたとおりに、誰かの声の方向に歩いていく。
とてもとても、誰かの声は遠くから聞こえた。
どれぐらい歩き続けていればたどり着くんだろうか?
一生かかっても、無理な気がした。
「弱音を吐くな。ほら、歩くんだ」
それを叱咤してくる存在がある。
もう膝をついているのに、もう歩きたくないのに、無理やり叩き起こされる。おせっかいなことだ。
僕はもうこの無意味な行為をやめたかった。
だがどこか胸にくすぶる使命感が、感情が、僕に前進を促した。
――誰かが泣いているのが聞こえる。
ひやりとしたものが体に当たった。
それはきっと、涙。
急がなくては、と思う。
僕は走り始める。
「君は、愛されてるんだ。君は、生き返らないといけない」
声がそんなことを言う。
僕に、『口』ができる。
「どうして?」
「君もその人のことが好きだからだよ」
「でももう、僕の足は動かない」
「じゃあ僕の出番だね」
手を引かれて、歩き続ける。
懐かしい感触。師と弟子の関係。
僕の身体が優しくゆすられるのを感じた。
押し殺すような嗚咽が聞こえてくる。
胸が苦しくなる。
僕のことを想ってくれているひとがいる。
もう泣いてほしくないと、そう思った。
「止められるのは君だけだよ」
周りの風景が見えてくる。
もう、闇なんかじゃない。
僕は思い出を獲得する。
思い出して、それで言った。
「なんで君が僕をわざわざ助けるの?」
「理由なんてどうでもいいじゃないか」
「いや、聞いておきたい」
「……まあ、僕も案外、君のことは嫌いじゃなかったってこと、なのかな」
長い長い旅が、終わりを迎える。
ここからは光が見える。
『彼』が珍しく笑っている。
「君だけができるんだ。泣いている女の子を男の子が助ける。君は彼女の特別だ」
「ずいぶんとキザなセリフを吐くんだね」
「その言い方だと記憶は戻ったようでなによりだよ」
彼に案内されて僕はその場所まで歩く。
いってらっしゃい、と『彼』が言う。
僕は「さよなら」と答えた。
◇
目はなかなか開こうとしなかった。
誰かが泣いている声が聞こえる。
その誰かが立ち上がった。
もう、行ってしまうのだ。
僕は焦って体を動かそうとする。
「じゃあね」
その人物が離れていって――手を掴んだ。
その人物の息が止まったのを感じた。
僕はその手を決して離さない。
「なんだっけ、僕と冒険にいけばいいんだっけ?」
「……うそ、こんな、ことって」
「もしかして冒険に出るのは、あの日が来たから?」
「……うん、そうだよ」
彼女が震えている。
結局、彼女はまた泣いている。
でもこれは、今の彼女の涙は、けっして悲劇じゃない。
僕は彼女の手を握りしめる。
綺麗な泣き顔がへにゃっと歪んで、嬉しそうに頷くのが見えた。
僕は恐る恐る彼女を抱きしめる。
生き返ったという実感が、ようやく戻ってきた。
この暖かさを知っていられる自分は、とても幸せだと思う。
「ねえ」と僕は言う。
帰ってくるのは彼女の不思議そうな瞳。
言わなければいけない言葉があった。
僕は再び目覚めた。それで、今日という日が、彼女にとって喜ばしい日であってほしいと思った。
だから僕は、彼女に祝福と提案を捧げる。
断られるかも、なんて思いながら勇気をだして。
「誕生日おめでとう、アリア。それはそうと、僕と一緒に冒険、してみる?」
~fin~




