エトワール三
まず最初に、少年は僕の両手を掴むことによって速やかに封じてきた。
目にもとまらぬ早さ。
思わず気圧される。
彼の瞳にはずいぶんと塗り固められた熱量があった。
僕は、身動きが取れない。
「ずっと会いたかったです!」
「……へ?」
「ずっと、ずっーと憧れてました!」
……気圧される。その圧倒的な熱量に。
後ろで訝しむ気配がする。デュースさんとアリアが、なにが起こるんだろうかと待っている。
僕はこの状況をどう受け止めればいいのかわからない。
「えーと」
「剣閃エト様ですよね!」
その歓声にも似た、嬉しさがにじみ出る声を受けて、僕はゆっくりとうしろを振り返る。
デュースさんとアリアが目を輝かせていた。
捕食者の目だった。おまえの秘密を見せろ見せろと狙ってくる、猟犬のような。
……さすがは師と弟子、というべきなのかもしれない。
「そ、そうだけど……」
「う、お……やったあああああ!」
どうしよう。
「剣閃エト様、とれあえず握手してあげたら?」
「剣閃エト殿、とれあえずサインの準備をしたほうがいいのではないか?」
第三者視点の野次馬が後ろから好き勝手言ってくる。
ずいぶん気楽なものだ。
「えーと、君は?」
「はっ、申し遅れました。俺はパルティナで勇者と認定されたものです! よろしくお願いします」
……勇者?
それって、魔王を倒したりする、物語で出てくるアレのことだろうか?
よく英雄譚の題材に用いられる象徴だ。でも、現実にそんなものは存在するんだろうか?
「あ、これはその証明です。エトさんはパルティナの王と知合いですよね。彼の直筆の証明と……これです」
彼はペンダントのようなものを渡してきた。
いやな予感を感じながらそれを受け取る。
それをまじまじと見つめてみれば、描かれているのは時計の針が十二にそろっている彫刻。赤と黄色を基調とし、雷と炎が都市に降り注いでいる精巧な絵。
「……これってもしかしなくても物凄く価値があるものだよね」
使われている技術が最高峰のものだ。少なくとも、彼が大物であることは疑いようがない。
「勇者となるときにもらいました。とれあえずそのペンダントの価値が、権力を持っている証拠になるとか。あ、俺自身は平民の出ですよ。何の変哲もない、農民の息子をやってました」
書面を見たが確かに王の直筆だった。一応、王と僕は面識がある。この印鑑も偽造できるものではないし、彼が国に指名された勇者というのは本当のようだ。
とれあえず後ろの二人にこの少年が何者かを説明。
「へー、勇者なんておとぎ話の存在だと思ってた」「ほお……なかなかに興味深いのう」などといった反応が返ってくる。
「エトさん!」
その元気な声に少しびっくりする。
「俺と戦ってください! あなたの剣に憧れてたんです!」
後ろからは「やってあげなよー」とか「人気者はせがまれたら断れないという宿命を背負っているのじゃ……」とか、そういう野次が飛んできた。
……いつか仕返ししたい。
「……僕でよければ、いいよ」
「よっしゃあ!」
喜ぶ勇者。しかし、この勇者というもの呼び方としてどうなんだろうか。
「ねえ、君の名前は?」
「あ……あー、俺、名前ありません」
「……名前がない?」
「神に勇者として指定されたとき、名前を失うんです。勇者とは記号、そういうものだから。だから、民衆からは名前ではなく、『勇者』として呼んでもらうんです」
「……そういうものなのか。答えてくれてありがとう」
《勇者とは》
僕の中で声がする。
もう一人の僕とでもいえる存在。僕が知らないことを知っている、不思議な存在。
《神に認定された使いだ。人間を超えるために魔法がかけられる。そして、勇者の物語はたいていはハッピーエンドで終わる。表面だけが綺麗な、皮肉的な事実を隠しながら》
『……どういうこと?』
《神を信用してはならない。なにものでさえも、すべて、だ》
また、神の話。
今の唯一神は特に今の人類に害を与えていない。貢献も大したことはしていないが、災害を信託として予知し、未然に防ぐ手助けをしてくれたりする。
なぜ『彼』はこうも神について言及するのだろう?
『彼』はゆっくりと気配を消していった。
「……じゃあ、場所はあそこらへんでいいかな?」
僕はデュースさんの家から少し離れた平原を指す。
ここはちょうど村のみんなから離れている場所なので、いろいろとやりやすい。
「はい、お願いします!」
そうして僕は彼と戦うことになった。
「ちょっと待ったあ!」
元気な声。これはアリアのものだ。
「エトってそもそも何者なの? 都市で修行して立派な剣士になったのは聞いたんだけど、剣閃ってなあに?」
それに答えるのは胸をはった赤茶色の髪の少年だ。
「ふふん。剣閃様はだな! 間違いなく都市を壊滅させるだろうと言われた災厄、『魔変異の災厄』を防いだ英雄なのだよ!」
……こうもまっすぐな好意と尊敬を持って褒められると、恥ずかしくなる。
嬉しいんだけども、なんというか……ああ!
「単身にして敗北なし。魔法を使わず、剣にて魔獣を葬り去ることは魔術の才能無き者にとって希望。その剣の閃きは見えず、人に仇名すを切り裂く正義の剣!」
「……前に吟遊詩人が歌ってたやつだね」
「全部覚えましたから!」
どやあ、と誇らしげな顔。
……彼からは本当に、純粋な好意だけが伝わってくる。
さらに勇者は続ける。
「『魔変異の災厄』は国が情報を外に出してないんだけど、それはあまりにも冒険者が死にすぎたからなんだ! 国力の低下を他国に知られないようにってわけだ。エトさんは国の人々から称えられているわけじゃないけど、知ってる人は知ってる。つまりエトさんは影の英雄ってわけだ!」
……そろそろ胸が痛くなってきた。
誉め言葉を貰いすぎて貶されないとつり合いが取れない……いや、貶されたいわけではないが。
む、とした調子でアリアがこちらを見てくる。
そういう意味でも胸が痛い。
「えーなんで早く言ってくれなかったのー?」
「いや……聞かれたら答えるつもりだったんだけど、自分から言ったら自慢みたいになっちゃうかなって」
「意味わかんない!」
誠に面目ないことだ。
「次からちゃんと言ってね!」
「うん、そうします……」
こんなやりとりをしていると、勇者がほー、と呟いた。
「尻にひかれてますね、エトさん」
「いや、ちゃんと互角の状況だから。負けてないから」
「そこでなんで意地を張るんです?」
「男とは弱みを見せちゃいけない生き物なんだ」
「なるほど、深い……」
まずい、適当なことを言ったら普通に受け取られてしまった。
……今度から気を付けよう。
◇
武器を取りに行き、デュースさんの家の近くの平原へと向かう。
またこの剣を手にするとは思ってもみなかった。
手によくなじむ懐かしい感触。
僕は、『彼』に鍛え上げられ、齢にして十という頃には村を出た。
明らかな無茶だった。無謀だった。
しかし、道中は『彼』が助けてくれた。
この魔物はどう倒せばいいか。あの冒険者がお前を殺そうとしている、気を付けろ。貴族相手には礼儀作法が必要だ、ほらいう通りの行動をとるように。
『彼』は僕がたった一人で追い詰められたとき、そばにいてくれたもう一人の人間。ちっとも自分のことを語ろうとはしないし、歳がいくつなのか、どこで生まれたのかも教えてはくれない。
ただ、わかるのは『彼』がおびただしいほどの知識を持ち、技術や失われた情報を持っていること。卓越した剣の使い手で、世の中のもっとも優秀な剣士十人を束にしても敵わないこと。その超越的な力は、いっそのこと剣神じみている。
僕は、『彼』によって鍛え上げられ、おそらく、この世界で最も強い剣士になった。これは誇張ではなく、単なる事実。しかし、あまり自分を誇れるわけではない。
僕の隣には『彼』がいて、『彼』は今の僕も簡単に倒せてしまうような実力者だから。
「おまたせ」
「ふふふ、ついに来ましたねエトさん」
テンションが高そうな勇者がそう言った。
「二人とも頑張ってねー」
アリアとデュースさんが僕らを見守っている。
今回、使うのは本物の剣だ。
もしもケガしたらアリアが傷を癒してくれる。腕がとれるぐらいならなんとか治せるようだ。ただ、ないものからの再生はできないので、どこかが切られても切口は綺麗にしてほしいとのこと。
なかなかにえぐい注文だが、何とかなるだろう。
《勇者は強いよ。神にその身を捧げただけあって、人間を超越してる》
『わかってるよ。彼はいままで見た中でも相当の実力者だ』
《……勇者は、一般の人間とは成長スピードが違う。戦っている最中にほんの少し実力が上乗せされたり、いろいろと特殊だ。神に誓約魔法をかけられている、寿命を犠牲にして》
……今、なんて?
《勇者は成長スピードと引き換えに短命となる。勇者の物語の多くがなぜハッピーエンドになるのか知っているかい? それは彼らが必ず三十代なかばで息を引き取るからだ。勇者と寄り添った僧侶は、夫と喧嘩をしないだろう。生まれた娘は父を嫌いにならないし、息子が反抗期になることもない。子供がそういう行動を起こすまで、勇者という存在は生きていられない》
それが、歪められたハッピーエンドなんだよ、と『彼』は言った。
ハッピーエンドになりやすいのは、生きている時間が短い分、問題が起こりにくいから。
《力のための代償だ。だが、僕はこのやり方が気にくわない》
『……勇者は知ってるんだろうか』
《当然知っている。誓約魔法を結ぶ時、隠し事など許されない》
『じゃあ彼は……』
《なにかしらの覚悟があるんだろう。余計な口出しをしないことだね。君にはなにもできない》
物語の裏側。
魔王を倒す勇者の物語は、いつだって綺麗だ。
途中、勇者が仲間に裏切られるかもしれない。民衆に後ろ指をさされるかもしれない。
でも、最後はそんなひとたちを許して、物語は終わる。
勇者は人々を理解し、愛する人と寄り添って、安らかに息を引き取る。
「エトさーん、行きますよー」
勇者が遠くで手を振っている。
だいたい100メートル離れたところから、勝負は始まる。魔法の使用はありだ。
《変に同情しないことだね。君と勇者は違う人間だ》
『わかってるよ』
――戦いが始まる。
勇者が虚空から剣を取り出す。
――神剣アドニス。
神の信託が受けられる大聖堂の地に突き刺さり、勇者でなくては抜けないといわれる最強の剣。
神剣は、使用者の魂に付与され、なくしてもいつでも持ち主のもとに戻ってくるという。
勇者がこちらに左手を向ける。魔力の集中。
神剣アドニスが光り輝いている。それは権能のひとつ、魔法の強化。
「ファイアブレイブ」
不死鳥の形をした炎が燃え上がる。
ちりちりと大気を焦がす音。
勇者が手を振ると同時に、ハヤブサのように突進してきた。
僕は剣を構える。
不死鳥の炎は僕の目の前で消えた。
魔力の塊が無効化され、こちらは無傷。
僕には通用しない。
「やっぱり、エトさんのその魔法を無効化する能力、ただ火力を積めば突破できるってものでもないか」
勇者が嬉しそうに笑う。
僕はただ剣をゆっくり勇者に向ける。
その瞬間、勇者の姿がぶれた。
地を蹴り、疾走する少年の姿。
なるほど、たしかに人間としての枠を超越している。
――都市で最も強い騎士と手合わせした時のことを思い出す。
騎士は最速を名乗る風の騎士だった。
しかし、勇者はそれ以上にはやい。
「いきます!」
わざわざ宣誓して、剣を振り上げる勇者。
それを正面から受け止めるべく剣を中段に構えた。
剣速で風が唸っている。なにもかもねじ伏せるような一撃が、天からくるような一撃が、降ってくる。
「はっ」
一息と共に剣を振る。
ガキン! と金属の響く音。
剣が宙を舞う。
――剣を手から放したのは、勇者のほうだった。
「……まじかよ」
勇者が野生動物のような身のこなしで飛びのいて後ろに下がっていく。
その手には宙を舞ったはずの神剣アドニス。
どうやら権能のひとつで、もう手元に戻ったらしい。
勇者は冷や汗をかいていた。
全力の一撃を容易く防がれるのは想定外だったようだ。
「はは……これでも一生懸命剣を振ってきたつもりだったけど、こんなにも差があるのか」
「偶然だよ。もう一度やってみなくちゃわからない」
「謙遜もすぎると……嫌味です、よっ!」
力を貯めた勇者が再び駆ける。
ジグザグと接近してくる姿は、野生動物以上のものだ。
やはり、人間離れしている。
横からくる一撃を受け止め、足払い。
勇者は一歩引き、もう一度剣を振ってくる。
一閃、二閃、三閃。
神剣アドニスの美しい鋼の輝き。
僕はそれをすべて防ぐ。
勇者がその場でくるりと一回転。
回転切りを繰り出そうとするのを蹴りつけることによって動きを止める。
多重のフェイントをかけながら剣を振ってくる。
僕は無意味に振られた剣に一撃を与え、攻撃がつながらないようにした。
フェイントも最後の攻撃が繰り出せてこそだ。
苦し紛れに勇者が魔法を放ってくる。
しかし、魔法は僕には通用しない。
《圧倒だね。失望した?》
『いや、楽しいよ』
《どうして?》
『今まであった中で、君を除けば一番強いから。ようやく現実世界で強い剣士に会えたんだ』
《まあ、そうかい》
はあはあ、と息を荒げる勇者。
再び飛びのき、距離を取ってくる。
「……なにもかも通用しない。経験の差? そんなもんじゃない。エトさんは俺と一つしか違わないはずだろ。いったいなんでそこまで強いんだ?」
「いい師に巡り合えたんだ。僕の力は、鍛えてもらって手に入れたものなんだ」
「違うさ、あんたみたいのは――天才っていうんだよ!」
勇者が祈るように剣を構える。
そのまま目を閉じる。まるで隙だらけの動作。
しかし、ここからでは距離がある。走ってもおそらく間に合わない。
「――俺の出せる最大の攻撃だ。いるかもわからない魔王への秘蔵カード。受けてみろ――」
勇者に灯が集まっていく。
いや、これは単なるイメージだ。勇者がしているイメージ。
ひとの魂が浮かんでいる。
小さな火がくべられ、少しづつ大きくなっていく。
灯の中心には勇者がいる。
――彼は、人間の勇者。
人の希望の灯。
勇者が駆ける。
疲れているはずなのに今までで一番早い。
意思のこもった剣が繰り出される。
横殴りの苛烈な一撃。
きっと、まともに受けたら剣ごと切られて死んでしまうだろう。
彼の持つ最強の一撃なだけあって、恐ろしいほどの威力だ。
――集中する。
見えない剣閃の中で戦ってきた記憶。
幾度もなく戦い、圧倒的格上の攻撃をしのぎ続けた、そういう記憶。
――『彼』が剣を振るっている。
僕は、上から下へ、剣を振り下ろした。
ギン! と強烈な一瞬だけの音。
勇者の繰り出す最速の一撃が地に堕ちた。




