封魔三十五
ソラファの元へと急ぐ。
俺が傷つけてしまった彼女。
すべては誤解だった。
彼女は俺を心配していたし、会おうともしてくれた。
彼女の時間が充実していて、その時に俺が苦しんでいたとしても、彼女は俺のことをまじめに考えていたのだ。彼女のなりの考えがあり、会わない方がいいと判断した。それだけのことで。
そう考えると少し焦る。
はやくソラファに会わなければならない。
会って謝らなければ。
家に着く。一応、場所は前もって聞いてあった。
封神龍樹から少し離れた山の中。
隠され、秘匿されている場所。
意識しなければ気づけない、最高レベルの陰術が張り巡らされている結界の中。
その中に侵入する。
密度は濃いが、小規模な結界だ。
すぐに家を見つけ、扉の前に立つ。
コンコン、とノック。
「ソラファ?」
返事はない。
熱を出した、とジャスミンは言っていた。
他にも、こんなことを言っていた。
『あのね。言いづらいんだけど、ソラファは無理をしてカルマとの訓練をしていたの。もともと体が弱かったから……。それで無理が重なって、そういう理由もあって、倒れちゃったの』
無理をしていた。
俺のために、わざわざ。
思えば、ソラファは最小限を徹底した動作ばかりを行っていた。
俺はそれを余裕だと思った。
しかし、本当はそれは俺と長く戦うための体力温存だった。それをしても、本当は彼女は疲れていたのだ。全くと言ってもいいほど、そうは見えなかったのは、ただ彼女がそういう姿を見せていただけだ。
戦い終えた後、彼女の動作は精彩が欠けていた、気もする。
それは気のせいだと思っていたが、今は彼女が疲れていたのだとわかる。
無理をさせてしまったこと。
彼女にひどいことをいったこと。
償いきれないぐらいに、鋭く、尖った言葉を吐き捨てた。
彼女は、許してくれるだろうか?
今更謝ったって、そんなもので……。
「ソラファ、入るよ」
しばらくたっても返事がないので、起きられない状態だと判断して扉を開ける。
カギはかかっていなかった。
誰もいない家。
なんだか泥棒でもしているような気分になる。
いや、ソラファがどこかにいるはずだ。
探さなくては。
いくつかある部屋の扉を開け、ついにソラファを見つける。
うめき声。
彼女は熱にうなされていた。
いかにも辛そうで、ベットの上で手を閉じたり開いたりしている。
体が弱い、とは聞いていた。
だがまさか、こうまでひどい状況になるとは。
封魔一族は風邪なんてよほどのことがなければ引かない。
実際に見るのは、これが初めてだ。
動転しそうな胸を押さえる。とりあえず頭を冷やしてあげないと、と思い、家のどこかにあるであろう水を探そうとした。
「カル……マ……ごめんな……さい」
――ソラファの声。
うなされている。
それに胸が激しく痛んだ。
彼女が謝っている。何も悪くないのに、それなのに。
「い、や。いや……です……お父様……カルマに会わせて……会わせて……お願い……します」
つー、と彼女の頬に涙が流れていく。
苦しみに喘ぎ、体を震わせている。
何度も父を呼んでいた。
それは、とても辛い記憶のようだった。トラウマのような、ずっと追ってくる黒い記憶。
彼女が苦しんでいるのを、いてもたってもいられなくて、そばに駆け寄る。
でも俺はなにもできない。
こんなことをしている場合じゃないのだ。
はやく看病の準備をしないと。
なにかを求めるように、ソラファの手が動いている。
俺は思わず、その手を握りしめた。
優しく、包み込むように。
ここにいるんだって、ひとりじゃないんだって伝わるように。
彼女の目がうっすらと開く。
同時に一滴の涙も頬を伝って落ちていく。
やばい、と思ったが、今更手を放すこともできない。
「……かる、ま?」
「えーと、おはよう」
バツが悪い。
どう振る舞えばいいのかわからない。
「手」とソラファが呟く。
「夢、でしょうか……?」
「……」
「カルマが、許してくれるわけないのに」
「そんなこと、ないよ。君は何も悪くない」
手を握ったり、離したり。
そんなことを彼女は繰り返した。
柔らかい、女の子の手。
ソウルウェポンを握っているからか、激しい鍛錬を積んだはずなのにマメはなく、まるで一度も武器を握ったことがないみたいで。
握りしめたら壊れてしまいそうなほどだった。
こんなにもか弱い、なのに強い、彼女。
彼女は熱っぽい視線で俺の方を見上げる。
「なんだか、都合がよすぎて……きっと、夢なんでしょうね」
「それは……」
「なんで許してくれるんです? 私は、あなたが辛い目に合っているなんて知らなかった。考えたこともなかった」
「違う。君は知らなかっただけだ。俺のことを考えてくれていた。ただ行き違いのせいで、俺の境遇なんて知らなかっただけで。君は、絶対に悪くないんだ」
むしろ、責められるべきは俺の方だ。
彼女の境遇をうらやみ、嫉妬した。
俺はこんなにもつらい目にあったのに、彼女はむしろ楽しいことばかりで。
それで彼女に拒絶感を感じてしまった。彼女は、俺に悪いことをしたわけでもないのに。
「都合……良すぎて、現実じゃないみたいです」
ぼうっとしながら、彼女はそう言った。
夢遊病者のように同じようなことを繰り返す。
「ソラファ。とりあえず、水取ってくるよ」
「……イヤです」
「え?」
「やくそく、したじゃないですか」
寝返りをうち、もう片方の手も俺の手へと添えられる。
そして俺の腕に体で絡みついてきた。
絶対に離さない、とでも言いたげな感じに。
「ずっと一緒にいるって、やくそく、しました」
「えーと、確かにそうかも。でも――」
「――嘘、だったんですか?」
熱っぽい、潤んだ翡翠の瞳が、まっすぐ俺を見つめる。
吸い込まれそうなほど綺麗な翡翠の瞳。
逃げられない。捕らえられてしまう。
なんとなく、逆らえない。
逆らいたく、ないのかもしれない。
「だから、一緒にいなきゃ、ダメ、です」
ぎゅうっと、腕を抱きしめられる。
くらくらする。
甘い香りと、柔らかな感触。
彼女は綺麗で、冷たさなんて感じられなくて。
潤んだ瞳。
少しだけ乱れた服装。
桜色の唇から漏れる吐息。
綺麗な容姿もなにもかも、作り物みたいに完璧な彼女。
しかし、今は甘え、子供みたいなわがままをいい、抱き着いてくる。
不覚にも胸がときめく。
かわいい、と思ってしまった。
わけのわからない感情が、のぼせ上がるのを感じていた。
風邪が移ったかのように、頭が熱っぽくなってくる。
まともに物事を考えるのが難しい。
とても、とても。
「子供のころの約束。時間が、経ちすぎちゃったのかもしれませんね」
「そう……なのかな」
「だから、もう一度」
甘い、匂い。
「ずっと、一緒にいましょう」
「うん」
「もう、離れたくないです」
「……うん」
「私、カルマのこと……」
ソラファはそこで目を閉じる。
その先をいうのを、恐れているかのように。
彼女は大きく首を振った。
それで、
「きっと、ここは夢の世界ですよね」
確かめるように、そんなことを言った。
どうなのだろう、と俺は思う。
確かに、ここはまるで現実じゃないみたいだった。
周りには誰もいなくて、静寂が辺りを包んでいる。
まるで、世界で二人っきりになったみたいだなという思ってしまうほどで。
錯覚なんだってわかってる。
でも、それでもいいや、なんて思って。
「夢、なのかもね」
困ったように、俺は笑った。
「そうですよね。だから、きっと」
頭をこすりつけてくる。
猫が甘えるみたいに、すりすりと、ゆっくりと。
「カルマ」
彼女が俺の名を呼ぶ。
「カル……マ」
そして力が抜けたみたいに、目が閉じられていく。
眠りに落ちる寸前の、そんな状況。
相変わらず頭は熱っぽかった。
混乱していた。
でも、確かな温かみが、腕から伝わってくる。
彼女がそばにいる。一緒にいる。
なにもかもわからない。
きっと、これから言うのは俺らしくない言葉だ。
でも、今なら。
「ずっと一緒にいよう」
と言った。
体が全体が、熱くなってくる。
これっぽっちの言葉にも大きな勇気を必要とした。
俺にとって、大事なひとことだった。
閉じかられかけた目が少しだけ開く。
そして、その表情が、花が咲くみたいに明るくなった。
濁りのない、純粋で、どこまでも美しい。
自然と体に力が入る。
「はい」とソラファが言った。
とても綺麗な、笑顔だった。




