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犠牲の都市四

 犠牲の都市4


 薄暗い取引現場。

 危険物の取引など、並みの場所ではできない。この<スラムという場所が見捨てられているからこそ、可能な芸当だ。ここでは誰も罰せられない。誰も救いに来ない。ここには法がない。

「ああ、じゃあ手筈通り頼む」

「了解」

 羅門と男が話し込んでいた。漂う緊張感と、鋭い言葉の応酬。

 本題自体はうまくいったようで、次の段階に進みそうだ。

 僕らは小さく、少々の家具がある部屋に案内された。しばらくここで待ち、物を受け取り、それで終わりのようだ。

 軽い食事を出される。コーヒーとパン。

 卓也は食べ終わるやいなやトイレに行った。緊張とかで腹が痛い、みたいなことを言って。

 僕は食事を終えた。羅門はゆっくりと食べていた。なんというか、見た目に反して紳士みたいな……なんというか。

 気まずい雰囲気が流れる。「なぜ僕をそんなに嫌うのか」と聞いてみたい。だが、そんなことをしても変わるものはないもない。拗れるだけだ。

 そして、羅門も食事を終えた。そのあとに祈りをささげるような仕草をした。

「どうした、珍しいか?」

 彼をじっと見ていると、そんなことを聞かれた。

 返答に困る。羅門は明らかに僕を嫌っている。下手に会話をしたくはない。

「そうですね」と僕は答えた。

「俺のところでは、これが普通だったんだよ」

「普通?」

「カミサマ、っていうのを信じるんだ。信じていれば救われる。そういう風に教育された」

 ……なんとなく、気づいたことがある。カミサマを信じれば救われる、という慣習は一般的には存在しない。そして『羅門はスラム出身だ』という言葉を思い出す。つまりは、スラム独特の考えだろうか。

 そもそも、なぜいきなりこんなことを?

「……」

「だが信じていれば救われる、なんてありえない。所詮、空想みたいなものだ。現実的に、そうやって何かを縋っても何も解決しない」

「そうですね」

 俺は、と羅門が言った。

「あまりお前のことが好きじゃない。何もかもが平気そうなお前が」

 いきなり。そんなことを言った。

 それは外見、個人の主観による意見。だが実際は、何かも、平気なわけじゃない。そう見えるというだけだ。

「人間味が無さすぎるようにも思えるだ。割り切りがうますぎる。お前という人間は効率よく生きすぎている。お前自身にも腹が立つし、お前には関係のないことでも腹が立つんだ」

「じゃあどうしろと?」

「どうしようもないな」

「……そうですか」

 本当に、どうしようもない。おまけに僕には関係のことでも腹が立つらしい。

「お前は外と中の人間では価値観、物事を考える選択肢が違っている、と言ったな。確かにそれは事実だ。じゃあ誰が何をすればいい? ずっとこのままか?」

 そんなことを羅門が問う。彼は僕のことを嫌いだと言った。だが彼は言う。いったいどうすればいい? お前はどう思うんだ? と。

 試しているのかもしれない、と思う。だがそんな権利は羅門にはなかった。それどころか、ほかの誰にだってない。そういうことを、彼はしている。

「……バカみたいな理想論を抱いてるんですね」

「なんだと?」

「誰も、何もできない。わかりきったことでしょう」

 ……きっと、羅門は現状に不満を抱いているのだろう。スラムの人々に救いはこない。羅門にもそれがわかっていて、自分ではどうすることもできなくて……腹が立っている。そんなところで、僕がそれが当たり前だ、仕方ない、と言ったのだ。まあ、腹が立つのはわかる。わかるけれど。

「あなたの考えはなんとなくわかった、とても綺麗な思いだ。でも理想の押し付けはよくない。きっとその思いは正しいんですよ、でも」

「……」

「別に僕はあなたと争いたいわけじゃない。仲良くしましょう。そもそも、羅門さん。別に僕はスラムの人々がどうなってもいい、なんてことは思っていませんよ」

 必要以上に誤解を受けている、気がしていた。

 羅門は黙った。しばらく、何も言わなかった。

「悪かったな」

「……」

「自己嫌悪みたいなもんなんだ。――俺はスラム出身だ。自分では奴らを否定するくせに、他人に否定されると……なんともな」

 わからない心境ではない。羅門はわりと正義感がつよい、気がする。……頭がそれほど良くないように思えるけど。

「八つ当たりみたいなことをしてしまったな、本当に悪かった」

 頭は悪いけれど……正直な人だ。こんなことまでいわなくてもいいのに。

 大人の容姿をしているくせに理不尽なことに腹を立て、糾弾するような人物。一応|間違っている(、、、、、、)ということには気づけるタイプであり、それを認められる人物だ。経験上、このタイプは一度打ち解ければあとは大丈夫なことが多い。あくまで経験上、だけど。

「こちらこそ、生意気なことを言ってすいませんでした」

「いやいや俺が悪いんだよ。こんなバカな俺が――」

 謝罪の譲り合いになってしまった。

「ところで羅門さん」

「ん?」

「僕には関係のないことで腹を立てている、というのはなんでしょうか」

 羅門は、言葉に詰まったような顔をした。もうある程度和解はできたはずだ。なのに話せない、というのは……他人が関わっている? 人を売るような性格とは思えない彼は、もしそうならきっと話してはくれない、これ以上掘り返しても関係が悪化するだけだ。

 人間関係。処世術。妥協はある種の必然か………。正直、嫌な気持ちにはなる。だが無駄なものは無駄だろう。

 それでも聞き続けるは、ただの我儘に近い。

「ところで羅門さん今日は――」

 僕は話を切り替えた。諦めが肝心、だから。

 羅門はほっとしたような顔をしていた。僕の話に快く乗り、肯定と賛成の意を示す。

 やがて、卓也が戻ってきた。

「あれ、仲良くなったの?」

「まあ、そんな感じかな」

「よかったよかった。羅門さんは見た目以上にいい人なんだぜ?」

 なんだと、と羅門がいった。

 たしかに、と僕は答える。

 もう険悪な関係とは言えない状況だろう。

 ひそかに思う。幹部である羅門との軋轢は正直まずかった。もう一人の幹部、照からはいやに好かれている状況ではあるが。

 ……僕の目的には障害がいくつもある。

 一つずつ、一つずつ取り除いているけれど、まだまだ問題は山積みだ。

 僕は彼女を救わなければならない。そのためには逃げ場を探さなくてはならない。逃げ場はレジスタンス内ぐらいしか思いつかなかった。でも、わざわざ爆弾を抱えたいと組織が思うわけがない。

 だから、爆弾には素敵な贈り物もつけなければならない。爆弾なんて些細なものに見えるぐらいの、不良債権と有用な株の抱き合わせのような、素敵な、素晴らしい贈り物。

 幸い組織はそういったものを欲しがっていた。欲しいものは、有用な人材。

 上に立つような人材はなかなか現れなくて、幹部が二人というのはまずすぎる状況だと、照は言っていた。

 ――彼女の救出にまでは、組織は手を貸してくれない可能性は高い。だが、僕が政府の目を欺きながら、そこまで組織に被害を受けないように彼女を助けられたら?

 きっと、彼女ともども僕を受け入れるはずだ。犠牲者が変わったところで、抵抗組織レジスタンスが気にするはずがない。

 僕は組織内での人間関係を円滑に、そして能力の有用性を示さなくてはならない。

 人心の掌握として、人がやりたがらない仕事を率先してやった。会話では相手が欲しがるような回答と、怪しまれないための反論を少量挟み込んだ。

 全て、全てうまくいっている。

 そう思っていた。



 ◇



「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。

 なにもかもが実現させたい、そういうバカげた願い。

 超人、英雄、完璧者。そういった単語が脳裏に浮かぶ。

「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。

『どうして?』

 闇より沈む、深淵から、そんな言葉が返ってくる。

 どうして? なぜかって? なぜだっけ?

『完璧な人になってなにがしたいんだい?』

 願いがあったから、望んだ。

 僕は、誰かが不幸なのが嫌だった。できることなら生きとし生けるもの全てが幸福であることを望んだ。

 誰だって、一度は考えたことがあるはずだ。

 誰だって、他人の幸福をうれしく思うことだってあるはずだ。

 妬みや羨望、そういったものを除いた、純粋に人の喜びを感じたときに感じる幸福感。それをずっと見つめていた。

 だからだろうか。できることなら全てを救ってしまいたかったのだ。

 踏み殺されたアリを瞬時に治し、飛べなくなった鳥に力を与えて飛べるようにし、泣いている子供に手品を見せる。

「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。

『なれると思っていた?』

 まさか。そんなはずはない。

 とてもとても、現実的じゃない。夢見がちな幼少期はとっくに卒業した。大人に近づいて行った。最善を選んだ。

 全ての生命から人間へ。人間から周りに見える世界全てへ。周囲に見える世界全てからほんの一握りの大切な人へ。

 年を取るにつれて、少しずつ現実的に調節していった。持っていけないものは置いて行った。今でも、全てが救われてしまえばいいのに、と思うことがある。だが実際、僕ができるのは、ほんの一握りの大事な人を大切にすることだけだ。それに納得している。

「完璧な人になることを、目指そうとしたんです」と僕は言う。

 目指すということ。努力するということ。

 それは、決して無駄なものではない。優しくあろうとするから、より人は優しくなれる。意識することによって、人は変わる。意味があるのだ。

『だから祐樹さんはそういう生き方をするわけだ』

 声が変わる。それはより身近な者へ。

『ずっと考え続けてるわけだ。これ以上の正解はないって知っているのに。なのに苦しんでるわけだ。意味もなく、救われなかったもののことを考え続ける』

 怒りの混じった声。

「そうだ。僕はそういう生き方をしている。考えれば考えるほど八方ふさがりなのがわかって。それでも考えることはやめられないんだ」

 そういうものだった。彼女と話すことによって変容した僕の思想は、そういうふうになっている。

 不変の意思。くだらない理想論。無意味でもったいぶっていて、本人ですら価値を認めてはやれない。

 それでも、それでもこれは、間違った考えじゃない。

『なんでなんだ?』

「正しいことだと、信じているからだよ」

『苦しいだけなのに? なのに他人のことなんかを考えてるのかよ』

 ふざけるな! と声が叫んだ。

『それで祐樹さんになんの得があるんだ? なんで身を削ってるんだよ! なんで祐樹さんが苦しい思いをしなきゃいけないんだよ! 犠牲になる必要なんてないじゃないか!』

 苦しむようにのたうつ影。

『なんでそんなに優しいんだ? なんでそこまで他人のことを考えるんだ? 義務なんてないのに、なのになんでそこまでするんだよ!』

 ――優しい、ね。それは意味がない。

「でも僕は結局、誰も救えちゃいないんだよ。偽善行為の自己満足だ。結果が出せていないんだよ。だから、誰かが僕を庇う必要はないんだよ」

『それは違うよ』と誰かが言った。

 影の形が再び変わる。女の影。

『少なくともキミは、私を救ってくれた』

 救った? 救われた? そうか、それは正しいのかもしれない。

 でも、

「でもきみは犠牲になるんだよ。死ぬんだ。ひょっとしたら魂が消耗される痛みに、何十年も苦しむことになるかもしれない。きみは救われちゃいない」

『そんなこと……』

「そういうことなんだよ。結果的に僕は何もできていない。結果が全てなんだ。努力? 努力すればきみが苦しんでもいいのかよ!」

 やるせなさがこみ上げる。完璧な人になりたかった。目指すんじゃない、完璧そのものになってきみを救いたかった。犠牲なんてシステムがなくても、都市の人々は生きていけるような、そういう創造をしたかった。

『でもキミは私を助けようとしてくれている』

「今してるのは現実的な話だ。現実的に考えて、僕はきみを救えない」

 進むと決めた道だった。だからといって成功を信じられるほど、夢に狂っちゃいない。

『そんなに自分を責めないで』

 優しい、柔らかな声。

『キミが苦しんでると私は悲しいよ』

 僕は震える声で言う。

「でも考えることを止められないんだ。こんなことを考えずに最適解を選べ続ければいいってわかってるのに、考えてしまうんだよ」

 無駄なことをしている。僕が苦しんだところで誰かが得するわけじゃない。わかっている。わかっているんだ。

『優しいね』と声が言う。

 それに沸き立つ否定の感情。

 何かを言おうとする。だが影が口を塞ぐ。

 また、影の形が変わっていく。

『悲しいぐらいに君は正しい。少なくとも僕はそう思うよ』

 知らない影だ。どこかであったことがあるのかもしれない。だとしても、覚えていない。

『無駄に苦しんで損をしているように見える。だけど、その考え方は人ができる中で最も現実的で、尊い』

 口が解放された。

 僕は影に言う。

「それでもなにか意味があるわけじゃない。押しつけの独善を禁じたから、誰かに影響をあたえることもできていない。まるで無意味だ」

 だから、嫌なんだ。結果が欲しい。意味はあったんだと、誰かに認めてほしい。

 何の意味もないなら、いままでのことは全て無駄だ。それだけは嫌だった。

 影が消える。僕はひとりぼっちだ。

 あたりは徐々に暗くなっていった。それは、まるで趣味の悪いショーの幕切れのようで。

 たったひとりで何かを求める。

 人はゆっくり手を伸ばす。けれど決して届かない。

「だれか……」

 孤独だ。

「だれか……」

 無意味だ。

「だ……れ……」

 何かを成し遂げたい。僕が絶対に正しいはずなのに、世界はそれを否定する。でもそれが、嫌になるぐらいに現実的だった。

 何もかもが足りない。資源が、優しさが、能力が。

「完璧な人間になりたかったんです」




 ◇


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