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犠牲の都市3

 


「どういう自分になりたい?」

 きっかけは、気まぐれの一言だった。いや、彼女はわざとこんなことをいったんだろうか。

 幼年期の、少しだけ分別が付き始めた頃。

 アリの死骸を見つけたら、悲しくなるということをわかり始めた頃。

 相手が嫌な気もちだと、自分も嫌な気持ちになるんだと、気づき始めた頃。

 当時、僕らはまだ、七歳だった。

「すごいひとになりたい」

 すごいひと。漠然とした、子供のふわふわした思考。

 子供の頃、世界はもっと狭いと思っていて、周りが幸せなら、世界全体は幸福だと思っていて。

 不可能なことはなかった。世界とは、自分のもので、自分そのものだった。

 ――願えば、なんでも叶うと、思っていた。

「どんなすごいひとになりたい?」

 僕よりほんの少し、具体的な考え方。ふわふわを、ほんの少しハッキリとさせる思考法。

 思えば、子供のわりに、彼女は大人なびていた気がする。

「しあわせにできるひと!」

「どうやってしあわせにするの?」

「なんとかする!」

 ひどい答えだった。

「あはは」と彼女は笑った。

「ねえいま、しあわせなの?」

 と僕は聞く。

 君、キミ、きみ。恥ずかしがって、僕らはお互いの名前をあまりよばなかったっけ?

 彼女はとても幸せそうに笑っていた。

「もちろん。キミはどう?」

 小さかった頃の僕は、幸せそうに笑っているきみを見ていた。それで。

「しあわせだ!」

 わけもわからず、そう叫んだ。

 それは、まやかしや、ごまかしに近いのかもしれない。風邪がうつるように、つられて笑っていただけかもしれない。

 単純だった。でもそれが悪いことだというわけではなかった。

 そうやってきみの笑顔を見て。単純にいい気分になって。

 人の笑顔を見ると、自分も楽しいんだなあ、と思って。

 子供、だった。

 そんなあやふやな状態で、いろんなことを思った。

 すごいひとになりたいと思った。すごい人とは誰かを幸せにできる人だった。笑顔は幸せの象徴だと、信じた。

「きみはなんでわらってるの?」と僕は問いかける。

「しあわせだからだよ」

「ほんとうに?」

「ほんとうに」

 だから。

 ふわふわとした考えは少しずつ形を作っていった。いまだにそれは曖昧だった。

 それは、僕の基盤となった。



 ◇



「いいことをするのは本当にいいことなの?」

「どうしたの急に」

 大きくなっても、僕らは結構な頻度で会っていた。周りにそんな関係を笑われたりもした。だから表ではあまり関わらなくなった。だからといって、彼女と一緒の時を過ごさなかったわけではない。

 秘密の場所があった。子供のころからの、ふと寄ってみれば彼女か、僕がいる、そんな場所。

 中学に上がった時も、それは続いていた。

「なんだか……わからなくなってきちゃってさ」

「いいことをすることが?」

「そんな感じ」

「そんなに深く考えなくてもいいんじゃない?」

「どうして?」

「……」

「じゃあ、宿題ね」

「えー」

 もともと、僕はそこまで、物事を深く考えるほうでは、なかった気がする。複雑で無意味な考え事は、彼女の受け売りで、彼女が答えを求めるから、僕も答えていた。最初はどうだってよかった。だが、だんだんと、影響された。

 鳥はなぜ飛ぶ? 人はなぜ生きる? 私たちの目指す形は何?

 互いに疑問と主張をぶつけ合った。話のタネが欲しかっただけなのかもしれない。僕らの間に何があるかなんて、点でわかっちゃいなかった。だから、理由のような、言い訳のような、何かを、手放さないためにそういう話をしていたのかもしれない。

「考えてきたよ」

「ほお」

「僕は結果(、、)が大事だともう」

「どうして?」

「みんなが幸せなら、なにも問題ないでしょ?」

 僕は熱弁した。

 例えば、嘘をついて、ある人を幸せにしたとしよう。それで結果がよかったから、めでたしめでたし、で終わるのは問題ない……わけではない。嘘をつけば嘘をついた人が不幸かもしれない。嘘をつきとおせる保証もない。だから清廉潔白に、できる限り王道で良い結果をだす。それがいいこと、だよ。

 そんなことを言った。

 この答えには穴がいくつもあった。実際に、それができない時はどうするかは想定されていない。

 だがひとまずこれは正しい答えだとは思っていた。これに当てはまらないものは、またべつの時に考える。問題を細かく砕いて、最初の土台を作る。これは、物語でいえば序章のようなものだ。

「なるほどねー」

「こっからもいろいろ考えたよ。これが現実的に当てはまらない時も多いしさ」

 そうやって、少しづづ砕いていって。少しずつ、答えを出していった。

「じゃあ嘘は絶対にばれなかったらいいの?」

「大丈夫だと思う。でもそれは嘘をつく人が嘘をつくことに納得している時だけだし、絶対にばれない状況なんてほぼないけどね。失敗したら全部本人に降りかかるわけだし」

「なるほどね。じゃあさ」

「……?」

「結果が全て、ってキミは言ったけど、努力して失敗した人は、頑張ったのに咎められるの?」

「本当は咎められないほうがいいんだ。でも現実は許してくれない。そういうものだよ」

 話は理想と現実に移る。

「そんなの、おかしい……いやわかるよ。私は、納得はいかないけど理解はできる。だけど」

「……僕もそう思うよ。もっといろんな人が幸せになりやすい、そういう世界だったらいいのにって、何回も思った」

 でも、現実はそうじゃない。努力は結果が出なければ認められないし、努力を見てくれる奴なんていない。

「もっと優しい世界だったらよかったのに」

「誰かが不幸になるような世界じゃなければいいのに」

 僕らは同じようなことを言う。

 現実はあまりにも残酷すぎる。でも、僕らが立っているのは現実だった。

「もっと資源があればよかったのか、法でもっと人を正しく導けれはよかったのか」

「私もそんな感じのことを思ったよ」

 現実には現実的な解決策というものがある。そういうのも考えた。理想は現実に持ち込むことができない。

 答えが少しずつ固まり始める。



 ◇



「どうしたの?」

「なんでもないよ」

 彼女は笑っている。悩みなんて無さそうに、辛いことなんてまるでないかのように。

 思えば、僕は彼女の異変に気付くことが、あまり得意ではなかったかもしれない。それはそもそも、彼女がそういう態度を取るのがうまかったとか、暗い印象が彼女には無さすぎたとか、そんな理由もあったかもしれない。彼女は、僕よりもすごい人だ、なんて意識が漠然とある。

 だからあっさり信じてしまった。違和感は勘違いで、彼女は僕に対して嘘はつかないと思っていて。

「ならいいんだ」

「うん」

 そういうところが、嫌になる。優しさゆえの嘘だとか、いくらでもありえそうな選択肢はあったのに。狭い思考では、そういうものを見ることができなかった。

 ――完璧な人になりたかった。

 自分の低い能力が許せなかった。なんでもっとできることがないんだと、悔しかった。

「毎日が楽しいね」

 そういって彼女は笑った。


 数日後。

 僕は彼女が苦しんでいるのに気付いた。最初、彼女は認めようとはしなかった。でも、隠し通せるものでもなかった。

 ――もっと自分に能力があればよかったのに。

 そうすれば、彼女がこんなにも傷つくことはなかった。

 颯爽と登場し、ヒーローは仮面を被り、彼女の問題を裏から解決する。そうであればよかったのに。

 彼女は泣いていた。

 僕は正面から問題を問い詰めた。現実は、そういう手段しか取れなかった。

 ……彼女はいじめられていた。

「私は、弱いね」

「……」

「最後まで隠そうと思ってたのに、嘘をつくからには結果が全てなのに」

 自身の弱み。それをさらけ出すというのは、随分とプライドを傷つける。相手と対等でありたいと思うなら、わざわざ弱みをみせる、なんてことは、避けたいに決まってる。誰だってそうだ。

 自分をしっかりと持ち、正しく生きたいと願い、正しくあろうとした彼女は、周囲から疎まれた。ポイ捨てを注意する。他人のいじめを止めようとする。

 それ自体は、正しい行動だ。だが鼻につく。何様なんだと疎まれる。

 彼女は正しかった。間違っているは世界のほうだった。だが、世界とは、現実のあり方というのは、そういうものだった。

「私はね、自分が正しいって思ってた」

 善意の押し付けは独善行為だ。それはとっくに彼女と話し合ったことで、そういうことはしないと互いに決めていた。

「私は失敗したんだよ」

 もともと、彼女は押しつけ善意の独善者だったのだ。それは間違っていると、途中で気づいて止めた。でも、周囲の目には、いったんついた印象は、彼女をそういうやつと見る。

 処世術、対人関係の基本。

 最初に間違えた彼女は、次が正しくても色眼鏡を通してみられる。

「どうすればよかったのかなあ。ふふふ」

「……」

「キミは私が間違ってたと思う?」

 何と言おうか、なんと庇おうか。下手な嘘はただ彼女を傷つけるだけだ。

 だから「そうだよ」と僕は言った。

「そうだよ、ね。そんなこと、聞かなくてもわかってたんだよ。つまらないこと言ってごめんね」

 彼女は賢い。間違いを認めることができる。だが、完璧な人間など存在しない。ミスをした後の行動をほぼ完璧にできても、ミスをゼロにするということはできない。

「それでも」と僕は言う。

「現時点のきみは間違っちゃいなかった」

「ふふふ。慰めてくれるの?」

 ああだめだ。これでは彼女には届かない。

 直観的な感覚は僕の口を縫い付けた。

 なにもできなかった。何も言えなかった。

 彼女が泣いている。泣いているのだ。

 何とかしてやりたいと思う。

 ……でも。

 二人で風の吹く景色を眺めていた。ほの暗い空間。取り残されたような感覚。

 場は、限りなくロマンチックだった。僕と彼女だけが存在していた。

 取り残された世界で僕は考える。

 法、という文字が頭に浮かぶ。それはルールだ。

 現実、という文字が頭に浮かぶ。それは拒めないものだ。

 理想、という文字が頭に浮かぶ。それは役に立たないものだった。

 ……本当に? 本当にそうか?

 僕は口を開く。

「現実にはルールが存在する。理想が付け込める場所はない。そんか結論だったよね」

「そうだね」

「そうかな?」

 細かく要素を抜き出す。かみ砕いて消化する。

「きみは正しい行動をする必要はない」

「……そんなこと、ない」

 彼女はいつだって清廉潔白で、誰もが救われるべきだと、信じていて。

 絶対に正しい、されど現実に通用しない理想論。

「妥協しなきゃいけないんだよ。誰かのために動いて自分が破滅したら意味がない」

「そんなこと、ない!」

「でもここは、現実なんだ」

 不可能なことは不可能だと、誰だって気づいている。

「じゃあ諦めるのが正しいの? そんなわけ、ない」

「でも現に僕らはなにもできない」

 彼女は、何も言えなくなった。

 僕の言い方は、卑怯にも思える。でも、必要な言葉だ。

 だから。

「誰かを助けれるときは助けよう。自分を犠牲にしないようにしよう。本当に叶えたい理想は、胸の奥にしまっておこう」

「……」

「ただ祈るだけでいいんだ。優しい世界でありますように、って」

 僕らに誰かを助ける義務なんてない。

 ……身の程を知った。僕らは何もできない子供だと。

「それで、いいの?」

 彼女はそれを認めなかった。認めたくなかった。僕だってそうだ。

「それでも」と僕は言った。

「僕らがするべきことは現実の範囲で、できる限り正しいことをすることなんだよ。それだって十分に尊い」

「そうだけど」

 彼女の瞳が揺れる。迷いとわけのわからない感情が、ごちゃ混ぜになったような表情。

「現実は結果に依存する。僕らは間違っていると言われたら間違っていることになる。独りよがりになる」

「結果を常に出すような行動をしなきゃいけないの?」

「そうだよ」

 彼女は悲しそうに笑った。

「この結論は正しいね、きっと。悲しいぐらいに一つも否定できない」

 もう、お互いに納得はできた。

 言いたかったのは先にあった。

「じゃあ、私はそれを踏まえて話すよ」

「うん」

「私は結果を出せなかった」

「でも君は間違ってない」

「……なんで!」

 怒声が滲む。

「なんで中途半端に私を庇うの? 私は間違ったんだよ!」

「世界からみたらそうだよ。でも僕からみたら違う」

 ずい、っと彼女に詰め寄る。

「努力が認められないんなんて悲しすぎる。……それでも! それが現実だとしても! ……僕だけはきみを認めるんだ!」

 彼女はぽかん、としていた。気圧されたような、そんな表情。

「……ありがとう?」

「どういたしまして」

「……混乱してきた」

 つまりは。

「現実は僕らの努力を認めてくれないこともある。でも、せめて身近な人の努力は、身近な人が認めてあげよう」

「なるほど」

「だから、きみも僕を認めてね?」

「……もちろんだよ」

 約束事。身の程を知らされた、僕らの妥協案。

 でもできる限りのことはできるようにしよう。身近な人のことだけは、周囲が否定しても、自分だけは味方になってあげよう。

 もうすぐ、あたりが暗くなる時間だ。この地下都市は、ある時間を境にどんどん照明が暗くなる。

「すっきりした?」

「おかげさまで」

「帰ろう」

「帰ろっか」

 重い腰を上げる。

 現実的な問題は、何一つ解決しちゃいなかった。

 でも、これからはきっとよくなる。

 影が揺れる。まだ彼女は立ち上がらないのかな、と思って足元の影を見た。

 彼女の影。両手を広げている影。

 僕は後ろを振り返った。彼女は今にもなにかを抱きしめようとしているような、そんな恰好をしていた。

「……」

「……」

 沈黙。

「なんでもないよ?」

「なんでもないね」

 時間が再び流れ始めたような感覚。

 二人並んで歩く。家路につく道へ。

「さっきのは内緒だよ?」

 彼女の言葉に僕は頷く。はっきり言って混乱していた。

 ――ふと、彼女の横顔を見る。

 少しだけ見惚れた。漂う甘い香り。安心感と、心臓の音。

 きっと――なんてことを思う。

 この子と僕は切っても切れない縁があるんだろう。どこかでは告白して、付き合って、キスをする。一緒に子供を育てる。「幸せだね」なんていう彼女の笑顔を見て、余韻に浸る。

 そんな未来を信じていた。運命がそうなっていると、そういう星の下で生まれたんだと。

 ――だから、まだ焦らなくていいや。

 後悔している。

 なにもしなかったことを。

 勇気を出さなかったことを。

 だが、何かしたところで結果が変わるわけではなかった。

 結局、なにをしても後悔だけが残る。




 ◇



 ◆◆











 ――影が踊っている。

 笑い声。否定の嘲笑。

 白衣の男が、私のほうが正しいと勝ち誇っていた。これで理想の世界が来るのだと。

 相対する男は首を振る。そんな保証はないと。

 両者の関係は、もとはといえばとても親密だった。互いが互いの最大の理解者だった。認め合っていた。

 絶望の歌が鳴り響いていた。ほとんどの命は今日で絶える。大いなる星が、終末の時が、人類を滅ぼす。

「あなたの気持ちはわかるんだ」と男が言う。

 でも結果が保証されるわけではない。理想のために犠牲になる人々のことを考えなければならない。

 そんなことを言った。

 ――前に進むためには犠牲が必要だ。

 しかし、

 ――人を犠牲にする権利は誰にもない。

 世の中は理不尽に回っている。誰かがそれを変えたいと思った。人々は幸せになるべきだと、報われるべきだと説いた。

 その結末がこれだった。

 誰よりも理不尽に納得していなかった。腹を立てていた。

 そんな奴が何人もの命を犠牲にしようとしている。そう、いつだって、世の中は理不尽だ、だから。

 小を切り捨て、大を取る。

「今現在の百億を捨て、未来の千億のために」と白衣の男はそう謳う。

 民族、宗教、政治。異なる価値観によって起こる紛争、夥しい死体の群れ。それらはすべて必要のないものだった。

 星は本来、人類への贈り物。しかし、それは人の滅亡のために利用される。白衣の男は同じ思想をもつものと自身を犠牲にして、星を堕落させた。人を滅ぼすための道具に、変えてしまった。

 ――大いなる星が堕ちてくる。

 もう、止め手段は、存在しなかった。

 人間賛歌。肯定と肯定と肯定。人は理想の姿に生まれ変わる。普遍的な価値観は共有され、争いは最低限にしか起こらない。誰も無意味に死ぬことはない。互いが互いに権利を認め合う。そこには嘆きだって、差別だって生まれる。だが、最小限なのだ。綺麗事を限りなく現実で成功させる、現実に迎合した理想。

 誰もがその理想を肯定した。「価値観の壁などの障害さえなければ可能かもしれない」と、誰もが諦めた。

 白衣の男は笑っている。「私が正しい」と。

 ほとんどの人間からはそう見えた。だが、たったひとりの男の眼には、違うものが見えた。

 ――罪を背負っていると自覚している表情。

 犠牲なんて、本当は誰も望んでいなかった。もっと違う手段があったらよかったのに。誰も悲しまない、誰も死なない世界があればいいのに。

 互いが互いの最大の理解者だった。だから、その本当の心情が、誰よりもわかった。

「やめろ」と男が言う。

「手遅れだ」と白衣の男は答えた。

 ――星が堕ちる。




 ーーーーーーーーー











 この一か月、僕はありとあらゆることを仕込まれた。照には知識を。羅門には力を。比重は知識のほうが多かった。つまりはそちら側に僕は期待されているらしい。

 彼女はいつ犠牲になるのか。焦る気持ちはあった。だが無闇に動いて解決するほど現実は甘くはない。

 犠牲執行の日にちは、ある程度なら想定可能だ。ようは僕が犠牲の取り組みを決めるとすればどうするか、それを考えればいい。

 犠牲が都市の命運を握る以上、マージンはとるはずだ。仮に一日の間で犠牲が引継がれるとしよう。それで、もし手違いやミスで失敗が起きたらどうなる?

 ――何人もの人が死ぬ。

 絶対に失敗は許されない、重い、重い責任だ。だから日にちは余裕をとる。おそらく、早くて三か月、遅くて一年以上。……だいたい六か月というのが妥当な気がする。目標は彼女がいなくなった日から三か月――今からで言えば、二か月以内に何とか助け出す、といったところか。ここまでの推測に、断固たる根拠はない。ただ、この程度の期間は最低限必要だからここまでに救出しよう、と思っているだけだ。

 選ばされているな、なんてことを思う。あまりいいことではない。本来なら、できる限り早く彼女を助けなければならない。でもそれは、現実的に無理だからそうなった。消去法的選択。これしか取れる手段がないから、こうするしかない。

 僕はパラパラと本のページをめくる。ここには一般開放されている図書館にはないものが、たくさんあった。思うに、政府が一般人に必要のないと定めたものは公開されていなかったということだろう。

 確かに情報の統制はある程度必要だ、と僕は考える。規制しすぎるのは、一般市民の権利を無視しすぎることになるから、やってはならないことだ。だが都市壊滅の可能性を誘発するものは……多少、権利を侵害してでも統制したほうがいい。

 例えば『犠牲』に関する本。この本には次のようなことが書かれている。


 犠牲の装置『メギナラムシステム』について。

 犠牲の装置は対象者の魂の容量と比例し、奇跡の業を起こす。十のエネルギーを持つものを犠牲にし、都市を守れる時間を百とする。そしてこの場合、百のエネルギーを持つものを犠牲にすると五千の期間守れることが、わかっている。このことから犠牲者は、より高い魂容量を持つものが選ばれるのが、少しでも失われる命を軽減する助けになる。また、魂容量は魔力容量と比例していることが多く…………


 そんなことが書かれていた。そして問題なのはこの後だ。


 仮説ではあるが犠牲者はその身体を装置に収めた後、魂としての意識は生き続けているのではないか、というのがある。もしそうであれば、犠牲者はさらなる苦しみを過ごしているのかもしれない。また、この仮説が正しければある意味人間の寿命の数倍を過ごすことが…………


 犠牲者は、死んでもなお、苦しんでいる可能性がある。作者は仮説、と定めているがどこか確信があるような文体だった。

 ……これが本当なら、あまりにも惨い。これを知っていて、自分の大切な人が犠牲になるという人がいたら……間違いなく、奪還を目論もうとするだろう。全員が政府に抗おうとするほど怖いもの知らずではないかもしれない。だが、間違いなく大切な人を救おうとする人の増加は避けられないはずだ。

 そういうわけで、情報の統制は仕方ないことなのだ。例え死んでもなお、犠牲者が苦しむとしても、それでも犠牲は必要だ。あまりにも過酷で、不平等な重荷が個人に課されるとしても……何人もの命が失われるよりもは、そうあるぺきだ。法を学んだ身としては、痛いほどこれが最適解だとわかる。

 綺麗事は現実では通用しない。本当はこんなことにはならないほうがいい。それでも。

 僕はかぶりを振る。せめて犠牲者を減らさなければならない。理想通りには確かにならないかもしれない。それでも、理想にできる限り近づこうとするべきだ。本の作者も、暗にそう言っている。

 僕は本をめくる。今は魂、という言葉の意味を探していた。どれもはっきりとした答えは書かれておらず、唯一まともな情報は犠牲の装置の製作者がそういった説明を残した、ということぐらいだった。他のものは『どうにも存在する可能性は高いらしい』のようなことしか書かれていない。

 魂。カルト的な馬鹿げた妄想に近いものだ。死んだらそこで終わりだと認めたくない奴が願うようにして信じている、幽霊のような存在。

 だが、魔法というのも奇跡の力で、本来ありえないものと、昔はされていたらしい。ならばあるいは……。

「裕樹さん!」

 鼓膜を揺らす大声。思わず頭をおさえる。

「聞いてなかったでしょ」

「……ああ、ごめんごめん」

 そういえば途中で卓也も来たんだっけか。彼も彼で、調べたいものがあったらしい。

 僕と彼女より一つ年下の彼は、調べるということに秀でている。元は僕と同じ、法の番人を目指していたが、能力の関係で諦め、歴史の方面に向かった。「裕樹さんはやっぱりすごいや」とその時の彼は言っていた。何を言っても卓也を傷つけるような気がして、僕は何も言えなかった。

「それでなんだけどさ、やっぱり不自然なんだよ」

「えーと、なにが?」

「ほら、やっぱり聞いてなかった!」

 ごめんごめん、と僕は謝る。こういう変わらない彼を見ると、少し安心する。

 彼はむすっとした顔でこちらを見た。

「この都市って独裁政治でうごいてるだろ?いちおう複数人で動いてるけど王の権力が強すぎてなんでもできる状態だし」

「まあ、特に問題はないし、いいんじゃないかな」

「問題がないのはおかしいんだよ。常に優位な地位にある人間が、下位に位置する人間の権利を脅かさないなんておかしいんだ。罰する役割の人がいないんだから、普通自分の権力をさらに大きくするはずなんだよ。しかもこんなにも長い間!」

 この都市の歴史は五百年程度だ。

「まあ、確かに王を止めれる人はいないし、少なくとも王自身はなんでもできるけど」

 僕の言葉は若い熱弁者に遮られる。

「しかも王の継承は長男って決まってるんだぜ? それなのにボンコツな暴君が現れないのはおかしい。いや、現れてるはずなんだ。なのに俺たち一般人がなにか押し付けられたことは一度もない。絶対におかしいんだ」

 卓也の言葉には熱が籠っていた。

 確かに、人間のメカニズム的に、人間は自分をより有利な状況にしようとするはずだ、という理論を鑑みれば、王の暴走が五百年間で一度もないというのは不自然かもしれない。おまけにそれを止めれる者もいない。

 そういう点で考えてみれば確かにおかしい、という気がしてくる。だが言われなければ絶対に気づけなかっただろう。なにしろそういう視点で見る機会がない。人間の基本的な本能と、王の独裁体制。自力で繋がりを見出すのは難しい。

「前々から思ってたんだ。『星堕ち』前の人類の歴史では、大きかった国のいくつかは反乱が起きて、滅んでる。だいたいそれは官僚間での賄賂の横行、ボンコツ暴君の圧政、とかの政治体制の腐敗が原因で起こってるんだ。なのにこの都市にはその傾向が一切ない」

 聞けば聞くほど、納得させられる話だ。

 卓也は自分には能力がない、と言っていた。だがこうして彼の理論を聞いているとそうは思えない。多角的に物事を捕らえ、調査能力による不自然の発見ができる能力。その点でいえば、彼は断トツだ。卓也は、法に関することが、ただ向いていなかっただけなのかもしれない。

「卓也、すごいよ」

「え、そう?」

 努めてそっけないフリをしているように見える。

「こんなこと普通は思いつけないよ。少なくとも僕には無理だ」

「へへ……そうかな、ふふふ」

 卓也はレジスタンスのメンバーと比較的早く馴染んでいた。彼のこういった素直な態度が、そうさせているのかもしれない。

「すごいすごい」

「へへへ」

 なんだかな、と思う。もう少し、卓也は変わってしまうと思っていた。……僕らは人を殺す手段を、多少なりともだが、教わった。卓也は僕よりも上達が早かった。それは才能の差もあったかもしれない。僕が人よりもできなかったわけじゃない。だが怯えや躊躇、そういった覚悟の差が、あるような気がしてならない。だが卓也は依然として卓也だ。人懐っこく、すぐに人の輪に溶け込み、敵を作らないタイプ。冷酷な人間に変わってしまうと思っていた。でもこうもアレだと……。

「卓也はさ……いや、なんでもない」

「……?」

 異常な空間にいるからこそ、というのもある。

「なあ裕樹さん」

「ん?」

「こっからが俺が言いたかったことというか、なんていうか」

「どうぞ」

「笑わないで聞いてくれる?」

「……それは聞いてみないとわからないけど」

 それでも彼は「笑わないでくれよ?」と僕に念を押した。

「俺が言っていた『矛盾』の話の続きなんだけど。これはなにかが裏で動いててるからだと思うんだ。俺たち一般市民どころか、政府の中でもほとんどの人が知らないよう何かが。陰謀論臭いけどさ」

「うん」

「俺の中で二つの仮説があるんだけどさ。一つは完璧な人工知能が人間を統治している。もう一つは……価値観の変わることのない不死身の人間が裏で政府を操ってる」

 なかなか、現実的にあり得そうにないな話だ。だが魔法、というものが存在している時点でそうとも言い切れないような気もする。昔の人類は火をおこすことさえできなかった。電気をつかってものを動かすなんて考え付く土台すらなかった。

 ……ならありえない、と切り捨てるほどでもない気がする。まあ、空想にすぎないという可能性のほうが高いのだが。

「笑わないのか?」

「まあ、笑うほどでもないというか」

 僕は奇跡を必要としている。彼女を助けるなんて普通に行動するだけじゃ無理だ。

 縋りつくこととよく似た願望。それが、こういった考えを引き起こしているのかもしれない。

「それで俺が考えてるのは人工知能よりも、不死身の人間のほうなんだけどさ。機械だと故障とか、なんとなく無理がある、っていうあやふやな理由でそっちを押すんだけど……」

 まあ、いろいろ考えた結果らしい。

「不死身の人間がいれば月日がいくら経っても考えが変わるはずがないんだ。歴史の引用によれば、『もっともよい政治方式は賢君による独裁体制だが、継承の問題とそれほどの能力をもつ人間は生まれにくい。だから我々は民主主義的な競争体制を取る』なんだけど、不死身の人間がいればその問題は全部解決するんだ」

 永遠の命があれば継承に問題はない。能力は最高峰のものになるし、手が足りないなら組織を使えばいい。一貫した思想による統治なのだから良い環境に進み続けることができる。

「不死者たる英雄」と卓也は言う。

 それはある意味、民衆が焦がれていた偶像であり、これ以上にないくらいの安定をもたらす人類の英雄。

「まあ、全部俺の妄想なんだけどさ。いたとしてもあんま現実に影響なさそうだし」

「確かに」




 ーーーーーーーーーーー




「お、裕樹クン。勉強熱心だね。君、ほとんどの時間、ここにいないかい?」

「気のせいじゃないですか?」

 確かに、僕はしょっちゅう図書室に来る。法の原点など、学ぶべきものが多いからだ。だが図書室に籠っている頻度は卓也のほうがたぶん多い。過去の歴史の宝庫であるここは、彼にとってととても楽しい場所なのだそうだ。

 おそらく、照の勤務時間とかそこらへんが僕と被っていないのだろう。

「いやー、『図書館の後光、照』の名の返上は近いね」

「はあ」

「ところでなんだがボスがお呼びだ。ちょっと来てくれる?」

「ボスが?」

 ボス。このレジスタンスのボスは正直、そこまでかかわりたくない存在だ。恐ろしいとかではなく、力強さというか、気を緩めれないというか、そんな理由。

 あまり姿を見せない人だ。そんな人が僕に何の用だろう。

 僕は照の後についていく。

「最近どう?」

「普通です」

「そりゃよかった。そういえばさっきの『図書館の後光、照』の話なんだけどさ。この頭、禿げてるだろう? だから光を反射して図書室を照らすから名づけられたんだ。このつるつる頭が坊さんみたいだから後光、っていう寺っぽさを表現してるらしい」

 人の自虐ネタほど、反応に困るものはない。

 まもなくボスの下についた。大きめの削られた机に、椅子に座り、その人は待っていた。

 首の骨を鳴らしながら、ボスはこちらにニヤッと笑いかける。

「待ちくたびれたぞ。照、コーヒーを出せ」

「はいはい」

「小僧、お前は座れ」

「はい」

 照が湯気の立つコーヒーを運んでくる。ちゃっかり三つぶん持って来ていた。照は椅子を引きずり、ボスの近くに座った。

 僕はコーヒーに口をつける。……っと、物凄い苦みが舌を締め付けた。今すぐに吐き出したいぐらいの苦み。

「おっと、子供には苦すぎるか?」

 ボスがニヤッと笑う。顔に出ていたようだ。……まあ、それぐらい苦かった。普通じゃないくらいには。

 少し悔しくてもう一口コーヒーを喉に注ぎ込む。あまり量は減らなかった。ボスはそれを見てほくそ笑んだ。

「無理しなくていいぞ」

「……」

 今度こそ、コーヒーを流し込む。毒を飲んでいるような気分だ。だが顔には出さず、平然を保った。

「男気があるな」

「これぐらい誰でも飲めますよ」

「そうか。照、砂糖を持ってこい」

「はいはいはい」

「……」

 ボスは角砂糖を入れた、二つ分。普通、こういうのは一つしか入れない気がする。

「裕樹、とかいったか? よくこんな劇物そのまま飲めるな。普通の奴は無理だぞ」

「……は?」

 どういうことだ、と思うと照が声を堪えて笑っているのに気付いた。そもそも、照がコーヒーと同時に砂糖を持ってきていれば……つまりはわざとということだ。

「俺は、子供には苦すぎるか? と言ったが大人にとって苦すぎないとはいっていない」

「……」

 ボスはニヤニヤと笑っていた。

「あんまり警戒するな。余裕を持て。真面目すぎる奴はからかわれるぞ。こんな風に苦い経験を味わうことになる」

「そうですか」

 ボスは砂糖が十分溶けたのを確認し、コーヒーをうまそうに飲んだ。なんだかもやもやする。

「コクっていうんだがな、あえて甘い部分と苦い部分を混ぜすぎないようにして味の差異を引き立てるんだ。そのために特化した特注のコーヒーと砂糖を使ってるんだよ。単一で飲める奴なんて照みたいな変人だけだ」

「趣味が合うので私の好みと同じにしてみたんですよ」と照が白々しく言った。明らかな確信犯だった。僕は照を睨み付けた。

 照がもう一杯コーヒーを運んでくる。今度は砂糖もある。

「裕樹、今度は砂糖入れて飲んでみろ」

 正直、あまり飲みたくはなかった。

 さきほどの感覚を思い出す。毒のような、じわりじわりと染みこむような味。今度はそんなことにはならないとは思う。……なるようになれだ。

 砂糖を溶かす。口をつける。

 ……悪くない。

「うまいだろ?」

「そうですね」

「ほら見ろよ照。お前よりこいつは俺との相性がよさそうだ」

 確かに、そうかもしれない。僕が思っていたより、ボスの性格は違う。

 照が苦笑する。

「たかがコーヒーでそんなこと、わかりませんよ」

「じゃあ本人に聞いてみようか。俺たちのどっちのほうが気が合いそうだ?」

「ボスです」

「わはは」

 照は職務乱用がどうだかと呟いた。でも実際、僕はボスとのほうが気が合いそうだ。

「さて、本題なんだが……裕樹、お前にはスラムのほうに行ってもらいたい。なに、危険はない。羅門と一緒におつかいをするだけだ」

 ……いきなりどういうことだろう?

「まあ、たまには外に出てみようってことさ」

 と、照が言った。

 僕は頷く。

「わかりました」

「あーそうそう」

 ボスはコーヒーを飲んでいる。

「羅門はスラム出身だ」



 ーーーーーーーーーーーーー



 羅門の後ろをぴったりと歩く。周りには無気力な人、人、人。小汚いぼろを纏い、物乞いをする彼らを横目に、僕たちは進んでいる。

「なんか、可哀想だな」と卓也が言う。

 羅門との同行にはついで、ということで卓也も付いて来ていた。つまり、おつかいは羅門、卓也、僕、の三人だ。あまり危険はない、ということなのであまり外に出ない卓也と僕はたまには外の空気を吸え、と今回のおつかいに参加している。

 一方、羅門はほとんどの時間、外で活動している。基本的にはボスの身辺警護を承っているとのことだが、訓練係であり実力者である彼は、レジスタンスの中でも活動時間が長い。

 いかつい表情に、明らかに堅気ではない雰囲気。それが物乞いたちを近寄らせず、僕らの進行を楽にさせていた。

 大男は卓也の言葉に反応する

「可哀想? なぜだ?」

 不機嫌そうな声。

「いや、あんまり……裕福には見えないから」

「それは奴らが何もしていないからだ。自分の状況を仕方がない、と受け入れ、自分で腐っていくことを選んだからだ」

「そりゃそうですけど」

 羅門の言うことは、実際、正しい。法によって支配されたこの世の中は犯罪を許さず、限りなく限界まで秩序を守っている。だが世の中のすべての人を裕福にすることはできない。いくら切り詰めようが、こういった人たちは出てきてしまうのだ。減らすことはできる。だがなくすことはできない。そのはけ口がここだ。ここは、一般的な人が存在を知りながら無視され、見捨てられた場所。僕だって、ここについては考えたことはある。例えば、ここにいる人たちを救うために救済資金を作ったとしよう。だが結局、今いるここの人たちを救っても、また似たような人たちが現れる。

 イタチごっこ、徒労、無意味。

 やがてスラム救済資金は尽き、民衆は税の無駄遣いを糾弾し……。

 つまりはそういうことだ、必要悪。

 そもそも自分のことさえ手一杯の子供に何ができる? そうやってかつての僕は諦めた。

「物乞いは無視しろ。構ってる時間が勿体ない。それに一度施せばうようよとわいてくるぞ。ゴキブリみたいにな」

 羅門の言葉は辛辣だった。必要以上に貶めている気もする。確かに言っていることは正しい。だが言い方が……。

 だからといって、僕はその言い方を改めるように言うのはお角違いだ。別に正義感ぶりたいわけじゃない。そもそも、人の価値観というのは個人の物で、批判できるものじゃない。思想の押しつけは独善的な偽善行為となり果てる。そう、彼女と一緒に、話し合ったことがある。

『羅門はスラム出身だ』

 ボスの言葉。いやに引っかかる。なぜボスはこんなことを言ったんだろう。

 試されているのかもしれない、と思う。だが思うだけだ。

 ぼんやりと辺りを見渡す。それになぜか目をつけられた。

「小僧、お前もだ。聞いてるのか?」

 咎めるような言い方。

 価値観の押しつけは独善的な偽善行為となり果てる。それを羅門は僕にしようとしている。年長者だとか、そういうこともあってこういうことを言っているのかもしれない。

 だが、

「そうですね」

「気に食わなそうだな」

 因縁をつけられている。そんな気がする。先程から卓也と比べて、僕に対してのあたりが強い。基地に羅門はあまりいないので、卓也が羅門と仲がいい、というわけでもない。

 少し、腹が立つ。

「努力をしないやつは救われる権利がない」と羅門は言った。

 だからどうした、と僕は思った。

「努力をするきっかけがないんですよ、この人たちは。努力したところで結果が保証されているわけでもないんだから、仕方ないでしょう」

 そんな言葉を返した。

 羅門は僕を睨み付ける。

「だが何もしなければ確実に腐っていくだけだが? 助けようとする奴がいても、徒労に終わるだけになる」

 助けようとする奴?

 ――違和感を感じる。

「それは羅門さんの価値観でしょう。ここの人たちは本当に救われる、という可能性を信じることができない。選択肢を持っていないんですよ。僕ら外部の人たちはそういう考え方ができるけど」

 卓也が注意を促すように僕に触れる。羅門は目に見えて怒っていた。僕はそれを見つめ返すだけだ。

 怖くないわけじゃない。羅門の容姿は、今まで出会ったどんな人よりも、恐ろしい。だがきっと、力で押し通すことはしないはずだ。それはボスが信頼しているから、とか義理堅いという評判を落とすようなことを簡単にはしないだろう、とか、そういった理由もある。だが以上に、彼からは信念めいたものを感じていたから。接点はほとんどなかったが、多少はある。小さな行動から、どういった人物なのかはうっすら見えてくる。

 羅門は何かを言いかけ、やめた。

「確かにそうだな。わかってるさ、その程度」

 そういって背を向ける。拍子抜けだった。突然怒りが収まったかのような、諦めたかのような。

 ……。

「何やってんのさ裕樹さん!」

 卓也が鋭く、小さな声でそう言った。

「あ、うん」

「うんじゃないでしょ!」

「これからは気を付けるよ」

 卓也は相当心配していたようだ。あの容姿の男から怒りの感情をぶつけられたら、確かに心配もするだろう。

 僕は羅門の背を見る。誰も寄せ付けない、大きな背中。そびえ立つような、孤高のような。

 なんだったんだろうか。よく……わからない。


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