犠牲の都市2
犠牲の都市2
暗い照明が地を照らす。
この地下都市では、夜を表現するために暗めの明かりが用いられる。朝はもっと明るい光だ。
大勢の人々がたむろしている。息苦しい、むせかえるほどの人ごみ。
流されていく。行き場のないまま。なにもみえないまま。
思えば、そんな風に生きていくのが、一番嫌だった。生きていく目標が欲しかった。
何のために生きる?なんのために死ぬ?
世情を見て、その答えを出した。
世の中を、変えてやるんだ。生きた証をどこかに刻もう。そうだ、できれば人のためになることをしよう。
所詮、子供の考えることだった。だが、その思いはどこまでも純真で、それだけに僕の基盤となった。
『裕樹クンは立派だねー』
……思えば、他にも要因があった気もする。
『私、雪っていうんだ。ユウキ、から一文字とればユキ。これって運命じゃない?』
人に認められるということ。
『そっか。じゃあ私が応援してあげるねー』
ほんの少しの勇気をもらうということ。
『君ならできる!』
……。
だが、だからと言ってなんだというのだ?現実には刃向かえない。
小さいころは何でもできると思っていた。でも今はそんなことはないと、十分わかっている。
大人になるということ、何かをあきらめるということ。それら二つはよく似ている。もう、僕は大人にならなければならない年だ。
突然何かにぶつかる。違和感を覚える。前に何かがある気配はなかった。
「おっとすまないね」
その人物が口を開く。
どこまでも異様な雰囲気を放つ人物だった。確かにそこにいるはずなのに確信が持てない。しかし、強い存在感を感じる。矛盾の塊。
男は笑っている。
「認識できるみたいだね」
注意してみれば案外、その声は若い。
「……だれ」
「謎の人物だよ」
「はあ」
「ところで君に聞きたいことがあるんだけど」
目が合う。吸い込まれるような黒い瞳。
「君はどれぐらい生きたていたい?」
瞬間、身動きが取れなくなった。人ごみの中でとまっているのに誰も気に留めない。異様な状況。
「ぼくは」
たった一つの目標のために。
「ぼくは」
感情は犠牲にしなければ。仕方のないことだから。
こみ上げてくるものがあった。自分の奥深くからくる、理屈ではない感情。
「彼女が生きている間……まで」
「普通、こういう話には他人はでてこない」
男は驚いていた。そしてなにか見定めるようにこちらを見る。
「じゃあその彼女が死んだらどうするの?」
そんなもの……。
「君は死ぬのかい?」
諦めが心を満たす。そんな気がした。
誰が死のうと、結局人は生きていく。そして忘れる。それが現実だ。
「そんなものだよ。答えなんて」
だがそれでも。
「じゃあどうすればいい?」
受け入れるのは許容しがたい。
忘れたくない。失いたくない。だが取れる手段なんてない。
詰んでいる。終わっている。意味を失っている。
「消去法的選択というのがある」と男は言った。
例えば、君は武器を持った大量の敵によって崖に追い詰められている。崖の下は深く、底が見えない。でも君は飛び降りなければならないんだ。飛び降りるのがどんなに怖くても、敵の元に向かえば、絶対死ぬのだから、身を落とすという選択肢しかない。
さて、君は崖の上に立っているか?
「どうだろうか」
「僕は……」
彼女はそこまで大切だろうか?
要するに僕には藁にすがるという選択肢が残されている。だが失敗すれば全てを失う。成功しても全てを失う。あまりにも釣り合わない、愚か者の選択。大人にならなければならない。もう、いいかげんに。
『ずっと一緒にいようね』
それでも……感情が否定している。
泣きそうだった。もういい加減にしてほしかった。だって無理だ。前例だってない。前例をださないように、この都市は徹底している。
僕は崖に立っている。
「彼女は死なない」
「そっか」
男は優しく笑っていた。
もし他人の、第三者がいればきっと僕を否定する。
諦めたほうがいい。 だって仕方のないことなんだから。
「世の中意外と何とかなるものだよ。世界には手段が溢れすぎているから。そして君には素養がある」
立ち去ろうとしているのが気配でわかる。
「最後に聞かせてほしいんだけど、もしその彼女が永遠に生き続けるなら、君も永遠に生き続ける?」
「うん」
「いい答えが聞けたよ。じゃあね」
違和感が消える。どこまでもいつも通りに。
世の中のルールは規則的に回り続ける。逆らうことは許されない。秩序を守るために。
枠外からはみ出ることを、愚か者と、世間一般は呼ぶ。
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彼女を助ける。そしてそのあと、どうやって生活していくのか。
この二つの問題を見つれられなければ、助けることなんて諦めるしかない。今までの僕は手段を考えることさえしなかった。今は考えてはいる。だがあまりにも難しい。
最も重要なのは助ける前よりも後だ。すぐ捕まりました、では意味がない。
試しにこの都市の地図を眺め、隠れひそめそうなところを探ってみた。なんとか見つかりそうにもないところを見つけ出した。しかし……政府の本気には対応できない。何年かは防ぐことができる。だが一生逃げ切るというのは確実に無理な話だった。
頭を悩ませる。土台、無理な話だ。民間人が普通に立ち回って出し抜けるような隙間。そんなものは万が一つもない。
本来なら諦めるところだった。いくら思いが強くても、無理なものは無理。駄々をこねたって揺るがない、意味がない。現実に逆らうというのは不可能だ。
しかし、
『俺はレジスタンスに入るよ。なんとかして姉さんを救う手段を見つけるんだ』
卓也の言葉。
本来詰んでいて、諦めるしかない状況だが、まだ全てを試したわけではない。彼の言葉がそうさせたのだ。
彼女の一つ年下の弟は、なぜだかレジスタンスの繋がりがあるようだ。現在、何一つ問題は解決していないが、解決方法を探す手段を探す、という頭の痛くなるような道だけは残されている。
だが卓也はいなくなっていた。その親も行先は知らないらしい。
ということは、卓也は組織に潜り込めた……あるいは殺された、ということだ。状況は動いている。
レジスタンス……あまりにも危険な相手だ。馬鹿げた空想ともつかぬ妄想を謳い、殺人をするだけの組織。300年ほど前に大きな事件を起こし、最近だと40年ほど前に人を殺した。だが皮肉なことに、彼らの存在はこの都市の人々の結束を高めている。法に仇名す、唯一の脅威として。……実際、長い目で見れば、彼らは良い影響を与えている。だいぶ昔に、僕はそう結論付けていた。
目隠しをとかれる。
「……」
彼らを捜索して三日目。僕はようやく手掛かりを得た。革命論を唱える演説かあたりに目星をつけ、そこに出席する共通人物を探っていった。
「小僧、ここから先はもどれないぞ」
そんなわけで、僕はレジスタンスの拠点の前にいる。接触してきたのはあちらからだ。政府が見つけられない場所を、個人が見つけられるはずもない。
「わかってますよ」
いかつい面の男が扉を開ける。埃っぽい雰囲気。
そこにはいかにもおおものらしいオーラを出す男と……。
「裕樹さん!やっぱり来たんだね!ボス、あの人が俺が言っていたひとだよ」
卓也がいた。ほっと一息をつく。一つ年下の彼は、生きていたのだ。それどころかなじんでいるような感じもするが。
ボス、と呼ばれた男がじろりと頭のてっぺんからつま先まで、観察するようにこちらを見た。
「なあ、おまえ。俺たちの組織に入りたいらしいが……志望動機をきかせてもらおうか」
この場を支配する雰囲気。背負っているものがあるという自負が、決意が、感じられる。
「現在の貧富の格差を強く感じたからです。だから世界を変えたい。それにはここしかない、と」
「で?」
――見抜かれる。
まともじゃない。ただのうのうと、生きてきた人間じゃない。
冷や汗が滲むのを感じる。下手なことはいえない。真に迫る何かを、引き出さねばならない。
「法は絶対に正しく、また、そうあるべきです。実際、そういう流れはあります。――でも今の法は完璧ではありません。それを変えようとする答えが、ここにいる理由です」
つっかえずによく言えたものだ、と我ながら思った。
ふと思う。これは真から出た言葉。つまりはそういうことではないか?
「まあ、いいだろう」
ボスと呼ばれた男は頷く。気配は緩まっていた。もう見定め終えたということだろう。
「これから俺のことはボスと呼べ。慣れんだろうが形からだ。照!こいつは賢そうだ、図書室へ連れていけ。教育は任せる。羅門!お前はこいつの訓練係だ。ほかの新入りと同様かわいがってやれ」
とたんに敬礼をした順番で誰が誰だかわかった。照、と呼ばれたのはスキンヘッドの優しげな男だ。羅門、と呼ばれたのは僕を連れて来たいかつい男だ。
照がこちらに近づいてくる。
「じゃあ付いて来てくれる?」
「はい」
卓也がこちらを心配そうに見ている。卓也の時とは違う誘導なのだろうか?
歩く照の後をついていく。通路は武骨なつくりだった。まるで飾り気がない。機能性を追求したような作り。
「座って」
本がずらりと並んだ部屋。いわれるまでもなく、図書室とわかるその場所で、椅子をすすめられる。
恐る恐る、慎重に座る。
「君ってさ、何か大きな力に憧れてここに来た?」
いきなりそんなことを問われる。
「……え?」
「あー違うか。気にしないで。じゃあ、何か欲しいものがあるのかな?それとも別の目的があるのかな?」
それに答えようとする、寸前で咳がこみ上げる。通路が埃っぽかったのか。
「大丈夫かい」
「あ、はい。ぼくは――」
……待てよ?この質問に答える必要がどこにある?最初にこの組織のボスにいったことを繰り返す、それでいいはずだ。
ふと気づく。この照という男の人の好さそうな顔。そしていつの間にか緩まっていた緊張感。
会話がどこかに誘導されようとしている。
「最初に言った通り、世の不平等を正すために来ました」
「なるほどなるほど。立派なことだ」
それから世間話が続いた。あれはほんとはこうするべきだ、こっちにすればもっとよくなるのに。博識だねとかいい考えだ、とか、時々僕を褒めるようなことを照は言った。だが一度違和感を感じると……それがますます確信的になっていく。
「照さん。もうやめませんか」
照は人のいい笑顔のままだ。スキンヘッドにもかかわらず、威圧感というものが全くない。細められた目のパーツ、頬のあたりのえくぼ。それがこんな印象を生むのだろうか。
「やっぱり頭がいいみたいだね。名前を聞かせてもらっても?」
隙あらばこんなことを言う。家族に迷惑がかかるかもしれないのだ、いうわけがない。だが一瞬答えそうにはなってしまう。会話術、というものだろうか。
照が明るく笑い始める。
「いやーまいったまいった。どこらへんで気づいた?警戒心が強いのか、気づくという能力に長けているのか。わからないけど君みたいな人は良い」
「まだそんなことを――」
「いやいや、待ってくれ。今回のは本心だよ。そう怒らないでくれ」
ウインクをしてみせる。その程度で一度根付いた猜疑心は消えやしない。
「君は有望だよ。是非ともうちに欲しい。でもだからこそ、一度チャンスを上げよう」
「……はあ」
「君は一度帰っていい。戻ってくるかは君しだいだ。今日のことをまるまるなかったことにしてもいい」
到底意味が呑み込めなかった。
「なんでですか?」
「作戦会議が必要なのさ」
「作戦会議ですか」
話す気はなさそうだった。
「まあ、こっちの事情は置いといて君ももう少し考えてみるといい。わざわざ暴力に訴えてまで世界を変えたいといってるんだ。君はそういうタイプに見えないけれど、内側から変えるには成績がたりないとか、法を変える立場は一般人がいけるものじゃないだとか、何かしらあるんだろう。でも現実の生活を脅かしてまで理想を叶える必要があるのか、本当にこんな道でいいのかゆっくり考えるべきだ」
「……わかりました」
再び基地の入り口まで送られる。そこでは羅門という男が待っていた。
目隠しを渡される。確かに、本当に僕が戻ってこないと決めたなら、通報をさけるためにも基地の機密性は重要だ。
「じゃあね。また会うことを願ってるけど……君次第だ」
照の声が聞こえる。
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ずっと考え事をしている。
結局、何事もなく僕は帰された。明日にでも革命派がどうたらこうたら言っている場所に行けば、レジスタンスに入ることになるだろう。きっとあちらから僕を見つけられるはずだ。
「……」
考える。いまならまだ、引き返せる。だが引き返すといってもどこまでだ?彼女はいない。彼女の弟、卓也だって。ここまで来たんだ、今更引き返せない……なんて考えは捨てる。ギャンブルに嵌る思考だ。もっと論理的に、指針を見つめねば。
なんで今更迷うんだろう。
『現実の生活を脅かしてまで理想を叶える必要があるのか』
照の言葉。わかっていたことだ。だが、他人に言われると、また違う方向で心に来る。失敗すれば何も残らない。僕の親だって悲しむ。僕の親は生き残るだろう。僕は今までずっと法を勉強してきた。
『犠牲者の血縁関係があるものがその奪還を目論んだ場合、その血を絶やす』
この法に穴があるのは実際の奪還の例が一度しかないからだ。もう一度でもあれば見直しが行われ、きっと塞がる。今の社会は、そういう体制だ。何年も何年も努力し、法を考察してきた。だから確信がある。
そう、失敗すれば、僕は死に、親は生き残る。考えが及んでいなかったわけではない。だが浅かった。僕が彼女を救うがために、親を悲しませる。成功しようと、きっともう会えなくなる。
頭が混乱する。結局、今更悩むのは成功を信じていないからではないか?他人に現実を突き付けられ、自信を失ったのだ。決心が弱かったわけではない。あの時の思いは本物だ。だが、何よりも自分自身が成功するはずがないと思っているのにどうして自分の道を信じていられる?僕はそこまで強い人間ではない。
こんな時に彼女がいてくれたら、なんてことを思う。誰かに背中を押してほしい。お前ならできるといってほしい。でも赤の他人に聞けば、きっと無理だというだろう。それが現実だって、そんなことはわかっている。
トントン、と扉が叩かれる。「どうぞ」という言葉の後に開かれる。入ってきたのは、父だった。
父は老けた容姿をしていた。母が病で死んで以来、白髪が増えた。きっと男手一つで息子を育てるのはさぞ苦労しただろう。だが代わりに、父と僕の関係は良好だった。
「裕樹、悩みごとか」
「……」
何も言うことができない。言ったところでなんになる?否定の言葉なんて聞きたくない。その後に来るのは同情とか、おまえは悪くないだとか、そういう生ぬるい言葉だ。そしてこう言うのだ。「そこまで思うことができるなんて、お前は優しいな」優しさを尊ぶ父は、きっとこう言う。優しい父は、絶対に最後は僕を肯定する。
「聞いたよ。連れていかれたんだってな。その……残念だったな」
そう思っていた。だからこそ沈黙を貫いたのに、向こうから踏み込んできた。怒りにも似た感情。でも父は悪くない。父は優しいだけだ。『結果が実らなくても、努力や気遣いは、特に身近な人に対しては、認めるべき』
彼女と僕が考えた結論。彼女がいない今、絶対に守らなくてはならない誓いに似た約束。優しい親に当たり散らしてはならない。理屈ではわかっているし、当然のことだ。だが、こみ上げる感情を抑えることのなんとも難しいことか。
承認と肯定が欲しかった。だが父が僕を大切に思うからこそ、きっと父は彼女を助けるという行動を止めるだろう。
「大丈夫、なにも問題はないんだ」と僕は言う。父と争いたくない。どうせ互いに認め合うことができない。誰かが悪いわけじゃない。けれど、これが現実だ。せめて、何事もなく出て行こう。……申し訳ない気持ちはある。
そんなことを思った。仕方がないんだと。だが父はさらに踏み込んできた。
「あのな、裕樹。聞いて欲しいことがあるんだ」
背筋がざわつく。やめろ、と叫びたい。
「お前は優しすぎるから、自分を責めているかもしれない」
やめてくれ。
「でもお前は、悪くないんだよ」
――歯を食いしばった。
誰も、何も悪くない。能力の欠如による失敗は社会では咎められる。結果がすべてだからだ。だがせめて、身近な人だけはそれを咎めないであげよう。だってそこにいる自分は最後の見方なんだから。
だから、僕は耐えなければならない。それが正しいと、誰よりも、僕自身が信じているから。
「どうだっていいよ」
「諦められないのか?」
まだ、続けるのか。
「……」
「時間が解決してくれるさ。というよりも、それしかないだろう」
月並みな言葉。月並みな慰め。父はそれを繰り返す。別に父が悪いわけじゃない。でも……欲しい言葉は何一つくれない。それでも、誰かが悪いわけじゃない。
向けられる感情は憐憫、そして愛情。思いやりの心。それだけだった。
「父さん」
父は紛れもなく味方だった。だから、この悩みを聞いて欲しい。背中を押してほしい。
「彼女を助けたい」
そう言った。
父の顔は歪んだ。
「やめなさい」
「迷惑はかけない。法に穴が開いているんだ。とれあえず、被害を被るのは彼女の家族と、実行する僕だ。父さんは大丈夫だから」
「そういうことじゃないんだ」
「無理っていうわけ?」
この瞬間も、父は次の言葉を考えている。どうやって説き伏せるかを。なんとかして、僕を傷つけない言い方を。
「それもある」
僕は目を瞑る。わかっていたことだ。
「だがな、それ以上にお前には危険な目にあってほしくないんだ。お前が雪ちゃんを助け出せて、命が無事な可能性がどんなに高かったとしても、父さんは感情的には……言ってほしくない。理屈はまた別の話になるが」
わかっている。わかっているんだ。父は息子のほうが大事なだけ。感謝こそすれど、恨むなんて筋違いだ。
……だけど、
「もう決めたんだよ。応援してほしいんだ」
「……無理だ」
嘘を言うことのない誠実さ。いや、今、嘘をつくのは、最悪の事態を招くとでも思ったのかもしれない。
沈黙が続く。夜の静寂が、逆に耳に突き刺さる。
はあ、と心の中でため息をつく。気持ちが揺らぎすぎている。自分自身が嫌になる。身動きが取れない。息が苦しい。
溺れている。もがいて苦しんで、答えを探している。
いったいどうすればいいんだろう、と胸に問う。答えは返ってこない。
「なあ、裕樹」
と、父が言った。
「なに」
「人は何のために生きるだと思う?意味はあるのか?きっとないんだろう」
父は首を振る。僕は黙ってそれを見ている。
「結局、意味なんて自分で決めるしかないんだ。心の奥底では、誰だって気づいてる。神様は意味があって人を生んだんじゃない。理不尽な現象が存在するのがその証拠だ。迷路の話、覚えてるか?」
「うん」
頷いて答える。
以前、父にこの世はまるで迷路のようだという話をされたことがある。
その迷路に出口はなく、自分がどこにいるのかがわからない。みんな出口を探している。途中でそんなものはないと何人かが気づく。だから代わりに目的地を探す。でもそれだってほとんどの人間は見つけられずに死んでいく。だから、多くの人は死を目的地と定め、いい人生だった、なんて言って死んでいく。「父さんはな、それが納得できないんだ」と言っていた。納得したふりをすることはできる。でもそれは嘘だって、他の誰よりも、自分が気づいているんだ。だからずっと悩み続けているんだよ。そしてこの問題が解決することはないんだろうって思っているんだ。
そんなことを言っていた。
「お前の目的地は……彼女と共にあるんだろうな。父さんはどうしても、お前が危険な道に行くことを応援することはできない。でもな、
やっぱり、自分の道は自分で決めるべきだし、他人が決めれるわけじゃないんだ。……お前が本当にその道を進むと決めたら、どんなものに逆らうことになっても進むしかない」
父は気弱そうな笑みを浮かべる。
「応援してあげられなくてごめんな。でもこれは、変えられないことだから」
父の言葉は、確実に欲しい言葉ではなかった。要するに、自分のことは自分で決めるしかない、とながながと説いただけだ。突き放した言葉だった。助けてはくれなかった。
……だが確かに、父は信念を僕に伝えた。
「そっか」
「ああ、本当にすまない」
「……ありがとう」
きっと。きっと、僕が決心をしていなかったら、この言葉は決定打にはなりえなかった。
父は僕を助けなかった。信念だけを与えた。でもそれで十分だった。元々考えは固まっていた。自信がなくなっていただけだ。
父を見つめる。
「明日からはもう会えない」
父は悲痛な表情をしていた。
「アテはあるのか」
「あるよ」
「そうか」
僕は身支度を始めた。長くとどまることはあまりいい効果を生まない。
そして最後に、言うことがあった。
「お父さん、今まで育ててくれてありがとう。本当に、感謝してる」
「……ああ」
扉に手をかける。
「裕樹……頑張れよ」
応援はしないって言ったくせに。
最後につぶやかれたその一言にただ頷いて答えた。
照が僕を出迎えた。
「ああ、結局、来たんだね」
彼は穏やかに笑う。
「いい目をするようになったね。さて、歓迎するよ。茨で作られた、反逆者の道へ、ようこそ。ここから先の道は、君次第だ」




