封魔一族十
考える時間はいくらでもあった。
打って変わって満たされた時間。
孤独ではない、誰かが隣にいてくれるという幸福感。
だが嫌でも目に入るものがあった。
それは俺自身ではない、大切な友人のこと。
番人様が俺に言ってくれたこと。
ミーファ教官が俺に言ってくれたこと。
すべてすべて、とても大切で、ありがたい言葉だ。
しかし、現実として俺は忌み子だ。周囲は俺を敵対的に眺め、それゆえに俺の周りすら巻き込む。
現実は現実でしかない。それを認めないのは強さではなく、逃避だ。
――俺はかわいそうなやつか? と胸に問う。
それに対してばかばかしい、なんて感じに答えた。
『俺はかわいそうなやつなんかじゃない』
――俺は弱いやつか? と胸に問う。
『俺は弱くなんかない』
――本当に?
ライルは俺とパーティを組んでくれた。「あそこのパーティは人数がちょっと多かったからな」と彼は言っていた。きっとそれは事実だ。
だけど――。
目を逸らしていた。そんなことないんだって。俺のせいじゃない。俺はなにも悪いことをしていない、だから。
――でも、ライルは俺以外と喋らなくなった。
なんでこんなことになってるんだ?
知れたこと。結局、みんな忌み子には関わりたくないのだ。いじめの類なんて全く起こってはいない。でも、話したりはしてくれない。避けられている。
ライルはずいぶんと社交的な奴だった。普通なら友達はかなり多くなるはずだ。
ライルは面白い奴だし、気立てもいい。友人にするならこれ以上とない存在だろう。なのに、彼が俺以外と喋る様子を、随分長い間見ていない。
なあ、と俺は自分に言う。
――わかってるんだろう? もう十分じゃないか? 楽しい思いをしたはずだ。たくさん遊んだはずだ。でも助けたことにかこつけて、縛り続けるのは卑怯じゃないか?
そうだ。保身に走って、ライルの不幸を見逃すのは、気持ちが悪い。決めたんだ。あの議会で、俺がどういう風に認識されているかを知って、俺は彼にとってどういう存在なるべきか、わかったんだ。
『俺はかわいそうなやつなんかじゃない』と強く念じる。
でも本当にそうだろうか?
今まではそう思い込むことができた。しかし、ライルのことを考えて、俺がみんなから避けられているのを感じると、そうじゃないような気がしてくる。
いやだいやだ、と泣き叫ぶ。
でも現実の俺は平然としていた。表情に仮面をかぶせるのがうまかった。番人様は俺をそういうふうに教育した。
「もう、やめにしようか」
――驚愕の表情が見える。
◇
「……なあ、俺、なんかしちゃったか?」
傷ついた表情で、ライルはそう言った。
「違うよ。疲れたんだ。他者といることが」
「嘘だ」
「嘘じゃない。俺は結局、忌み子で、業魔を内に飼ってるんだ。俺はお前らとは違う」
ライルに縁切りを申し出た。俺の存在がライルの負担になっちゃいけない。だって……こいつはこんなにもいい奴なんだ。
俺のせいでライルに他の友人ができない。忌み子の俺をみんなが避けるから、ライルが喋りかけられないのなら、取るべき行動は一つだ。
――他に手段があればよかったのに。
でも、俺が忌み子である以上、他の解決策なんてないのだろう。それどころかライル以外の友人を作れないのだから、当然のことだ。
これだけは認めたくなかった。
それは俺自身に価値がないことを、自分で認めてしまうことになるから。
これだけは信じたくなかった。
しかし、現実がこうである以上、そこから目を背けるのは弱さだった。
友人のことに対して目を背け、自分の最後の信条を裏切ること。
それだけは、できなかった。
「なあ、正直に言ってくれよ。俺がなんか悪いことしたのか? 気に障ることとか。頑張って直すからさ、教えてくれよ……カルマ」
「なにもないよ。俺が、疲れたんだ」
「……」
「俺は忌み子だ。封魔一族なんかじゃ、ないんだよ。たぶん、それが理由なんだ」
こんなにも突き放して、こんなにも彼を傷つけて。
それでもライルは食い下がった。俺と友達のままでいようといてくれた。
だからこそ俺も引き下がれなかった。俺のせいで、こんなにもいい奴を、不幸にするわけにはいかない。
「納得できない。他にもなにかあるんだろ? 俺も一緒に考えるからさ、話したくないかもしれないけど、話してみてくれないか?」
のぼせあがってくる感情。もう全部言ってしまおうか、という気になる。
でもそれは絶対にしてはならないことだった。言ってしまえばこいつは俺を全力で助けようとする。それでどうなるかなんて、結果は火を見るよりも明らかだ。
……だから。
「もう、やめてくれないか」
「……」
「……頼む」
情に訴えるような言い方をした。こいつが優しいから、だからこそもう聞かないでくれ、と卑怯にも優しさを利用した。
迷うようなそぶりをライルは見せる。
「俺は……」
「頼む、ライル」
「……」
嫌でも目に入る、泣きそうな表情。
罪悪感が胸にあふれる。本当は決定的な悪役になって終わらせるつもりだった。ライルは傷つくかもしれない。でも例え、ライルが俺を憎むようになっても、最終的にはライルには他にも友人ができるようになるはずだった。
俺が受ける損害とか、そういうのを度外視してライルのことだけを考えてそう判断した。だけど、それじゃあ優しすぎるライルには弱くて、こんな卑怯な、情に訴えかけるような言い方をして。
俺は忌み子だった。
事実がどこまでも追ってくるけれども、ライルだって辛い思いをしている。
ほんとうにごめん、と心の中で言う。
苦しい、なんて言う資格は俺にはない。
俺は、ライルを傷つけているのだ。
「ああ」と絞り出すようにライルは言った。
俺はライルに背を向ける。
それで終わりだった。
◇
――なんどもなんども夢を見る。
それは悪夢だ。強い、強い業魔。両親をいたぶって笑う子供。まるで悪魔のような、邪悪な存在。
いつだってそれを近くで眺めていた。
「やめろ」と叫ぶ。でもそれで何かが変わることはない。
夢の中で、涙を流す。ここは現実じゃない。だからいくらだって泣いてもいいんだ、そのはずなんだ。
「カルマ」と呼びかける優しい声。それは俺の母だった。
「愛してるわ」「戻ってきて」
それを笑って殴り飛ばすのだ。業魔は他者の涙など気にしない。
父が立ち塞がる。
「カルマ」「私の声は届いているか――?」
――点で届いちゃいなかった。
全く反応がないのを見て父が焦ったように大鎌を振るう。
迷いのせいか、ずいぶんと中途半端な一撃だった。
業魔は楽々とそれをかわし、父を吹き飛ばす。
やめろ、と俺は言う。もう、みたくない。
――闇より深い静けさから。
仮面を被った男が降り立った。
だれも気づけなかった。気づけばそこにいた。
マントをはためかせ、その仮面から覗く緑の残光が、怪しく線を描く。
まるで、死神だった。
「お前は弱いな」と番人様が言う。
「かわいそうなやつだ」
大鎌の一閃。
たった一撃で業魔は倒れた。
「たぶん、お前はこのままなら死んだほうがいいんだ」
つまらなそうに言う声。
「変われないのなら死んでしまえ」
◇
「………………はあ、はあ……あ、あぁ」
びっしょりと冷や汗をかいていた。
隣にあるペットではディンが寝ている。
ここはどこだっけ? と思う。
寮の中だ。いつも寝ている場所。喋ってくれないディンとの部屋の中。
ひどく頭が痛い。見れば手が震えていた。
まるで現実味がなかった。
――なんで俺は泣いているんだ?
寂しい。なんでこうも俺はひとりでいなきゃいけないんだろう?
助けてくれ、と何かに祈る。しかし――
『祈って願いが叶うほど、世界は優しくない』
番人様の言葉。その意味を俺はよく知っている。
震えが止まらなかった。俺はどこにもいけない。どうやったって救われない。
物音を立てることも構わず部屋を飛び出した。俺は番人様の下に向かう。
封神龍樹の下。俺と番人様しか入れない秘密の場所。
「はあ、はあ………はあっ」
なにかに追い立てられるかのように、走り続ける。決して短い距離ではなかった。
ひどく、のどが渇く。それでも俺は走り続けた。
いろんな考えが浮かんでは消えていく。俺はどうすればよかったのだろう? なにをすれば救われた?
……きっと、なにをしても無駄だ。過去も未来も現在も。
封神龍樹の下につく。
月の光が大木を照らす。それはどこまでも神秘的で、汚し難い神聖さのようなものがあった。
それを見て立ち止まる。こんなところまできて、番人様に縋ろうとして。
きっと番人様に見捨てられてしまう。常々こうならないように言われていたのに、俺は番人様に助けを求めているのだ。それは物理的ではない、心理的な救済だ。番人様は物理的な問題は、例えば議会で起こったようなことは助けてくれるかもしれない。でも――俺の心は、決して救っちゃくれない。
泣き出しそうだった。このままだと見捨てられてしまう。ひとりになる。
それだけは絶対に嫌だ。
でも俺の足は進んでいて、封神龍樹の下に向かう。
なにかに酔ったような頭のまま、俺は木を登り始める。けた外れに巨大な木だ。上のほうは葉で覆われていて、見えない。
木の枝が皮膚に突き刺さるのを感じていた。薄い切りひっかき傷ができたが大して気にならなかった。
そうして封神龍樹のてっぺんまで登る。ジャンプで枝々をわたってきたから時間にしたらほんの一瞬だった。そこには番人様はいなくて……ホッとする。
俺は高いこの封神龍樹の頂上で月を見上げる。月光が目に突き刺さる。じわり涙が滲むのを感じた。
めそめそとみっともなく泣いている。こんなことはすぐにでも止めたかった。でもなかなか涙は止まらなくて、自分が嫌になる。
「大丈夫ですか?」
――誰だ。
振り返る。そこには仮面をつけた女がいた。
それを見て、思わず苦悩を忘れて見つめてしまう。
女は、美しかった。
なびく細い金の髪。すらりと伸びた肢体。
処女雪のような白い肌。凍てつく冷気のような美貌。
この世のものとは思えない神秘的な、超俗的な雰囲気。
――吸い込まれるような翡翠の瞳。
ありえないことが起きていた。いくら精神的まいっていたとしても、俺がここまで気づけないなんて異常だ。こいつはジャスミンや番人様並みに陰術ができるやつだと考えられる。
噂があった。封神龍樹の下で見かけるこの世のものとは思えない美貌の少女。
『秘境のお姫様』なんていうふうに呼ばれている、噂。
「――いったい」
「?」
なぜだか言葉に詰まる。
ひどく胸が苦しい。
「辛いことが、あったんですか?」
そう聞いてくる彼女。どこまでも冷静な雰囲気であり、その声さえも美しかった。歌うような、柔らかな安らぎに似た声。心が弱っていたからだろうか? ぽつり、と俺は呟く。
「友達でいることをやめたやつがいたんだ」
じっと見つめる、吸い込まれそうなほどの翡翠の瞳。
続きを促される。
「俺は忌み子なんだ。だから俺は友達の近くにいちゃいけない。こんな俺にあいつは一緒にいてくれたんだ。いいやつだった。いいやつすぎるくらいだった。だからこそ、俺はそいつの不幸を望まないんだ」
また目の中が熱くなってくる。俺のしたことは間違いではないはずだった。でも、どうしようもなく胸を掻きむしりたくなる。感情を、抑えることができない。
『俺はかわいそうなやつなんかじゃない』と強く念じる。
でもこんなことがあった以上、こんな信じ込みを信じ続けるのは不可能だった。
そっと手が背中に添えられる。
撫でられている。俺を安心されるために、ゆっくりと。
「友達のことが大事だったんですね」
「……初めての、友達だった」
柔らかな手の感触。
――手を握っている。
俺は驚いて彼女を見る。
「優しい人は、救われるべきなんです」
歌うように、彼女はそう言った。
『優しい人は、救われるべきなんです』。
それはとても綺麗な言葉だった。優しい人は報われるべきだ。誰だって正しいと思うはずだ。
……でも、現実はそうはならないのを、俺はよく知っている。
「あなたは友達のことを想っていたんです」
「そうかもしれないけど」
「だから、大丈夫ですよ」
「……え?」
優しい人は、救われるべきなんです、と再び彼女は言った。
確信めいた口調だった。どこまでも軽やかで、そしてちょっぴり楽しげで。
「私はあなたの優しさを知っていますよ」
「……どういう、こと?」
「あなたはひとりぼっちでいる子の手を握ってあげられるひとなんです」
……なんのことだろう?
その綺麗な瞳が俺を見つめる。
それを受けてどぎまぎしてきた。
思わず魅入られる。その綺麗な翡翠の瞳に。
もしかして、と思う。
この子のことを知っている気がした。
ここと同じ場所、封神龍樹の下で、昔遊んでいた、女の子。
ひとりぼっちで、無口だった女の子。
暗がりから手を握って連れ出した、そういう記憶。
「全部うまくいきますよ、たぶん、ですけど」
控えめに彼女はそう言った。だが同時にいたずらっぽく笑っていて、なんだか見つめあうのが恥ずかしくなってくる。
彼女が仮面に手を掛ける。それを少しずらそうとして、それでその中身を俺は少し期待したのだけど、結局彼女は仮面を取らなかった。
「おやすみなさい」と彼女は言う。
うまく答えられずに頷いていると、溶けるように彼女は闇へ消えた。




