創世・転生者の住まう理
――正義とはなんだろう?
例えばの話、世界全体のためならば、自分含め身の回りの大切なものを失ってもいいのだろうか?
僕ら兄弟は世界最大の宗教団体に追われる宿命にある。弟を守るために取れる手段は――逃げるか、殺すかだ。
この世界では、一度死んで蘇ったものしか生存していない。転生者達は、死んで蘇った回数が多ければ多いほど、魔力は増大し、やがては世の秩序を壊す存在になっていく。
僕はこの世で最も死んだ回数が多い者だった。だから、宗教団体は僕を危険視し、抹殺しようと目論む。
……そのせいで弟も狙われている。きっと、僕はこの世に存在しない方がいいに違いない。けれど、それに弟が巻き込まれるのは間違ってる。
――逃げるか、殺すかだ。
正義とは。正しいとはなんなのか。
世の中全体のためならば、おとなしくこの世から去る方がいい。二度と蘇らない方がいい。
でも、僕は正義の濁流が許せなかった。弟のような小さくて弱い命をもついでに奪い去っていく、その濁流が。
僕らは逃げることを選択した。けれど、結局、それは時間稼ぎにしかならない。
物事の本質を解決するには、殺戮者になる他なかった。
世界のためじゃない。自分の身の周りの大切な人を守るという、正義のために。
◇
僕らは生と死の螺旋を回り続ける。死んだ者は「死にたくない」という意志さえあれば現世に戻れる、不死鳥のように。そういうシステムになっている。
転生者のみが世界で暮らしている。どの人物も後悔や恐怖を抱えながらも、ただ「生きたい」という意思を胸に現世へと蘇る。
蘇ればすべてを忘れてしまうけれど。自分が消えてしまう感覚を味わわなければならないけれど。
最後に直面した死への恐怖を思い出しながらも、光へと突き進む。
もう一度生まれるために。
――水中の中で泡が生まれる音が聞こえた気がした。
自分ではもう数えきれないほど転生をしてきた。過去はなにも思い出せない。けれど、今ある十七年間が築き上げてきた、家族愛、技術、知識、を僕は大切に思っている。
――そして僕は、静かに目を覚ました。
ベットに横たわる自分の肉体。肌を包む柔らかな黒い天鵞絨の感触。
僕の横には、疲れて眠ってしまった弟がうつぶせでベットに頭をかけている。つやつやとした灰色の髪。幼い体躯は七つという年齢にしてはやや細く、庇護欲を誘われる。弟の頭の近くには物語本があって、僕に読み聞かせてもらうために持ってきたものであることが推測できた。
弟にとって、僕は崇拝と親愛の対象だった。僕にとっては、弟は守るべき愛おしい存在だった。
申し訳ないな、という一末の罪悪感を胸に、僕は弟の頭を撫でようとする。
――ピキリ、という嫌な音が聞こえた。
それはきっと自分の体の中のみで発した音だった。弟を撫でようとした手はひび割れていた。手の甲に生まれた黒い筋の隙間から、青白い粒子が飛んでいる。
亀裂は一瞬で広がって、自分の指すべてが自分から分離された。
「あ、あああ……」
脳内に広がる動揺が、全身に毒を回らせたかのようだった。片手のみならず、体という体すべてから嫌な音が聞こえた。
自分は大量の光の粒子に包まれて、四肢のすべて、足も手も指も、一本一本がその手から分離され、すっかり達磨のような形になってしまう。
痛みもなく、血の一滴もでない。自分の肉体なのにどこか他人事で、誰かの空想事を見させられているような感覚が、より一層不気味だった。
「ううっ、うあああああ! ああ、ああああああああああああああああああああ!」
恐慌に襲われて、手足をばたつかせようとする。視界の隅で自分の指が死にかけの虫みたいにぴくぴくと動いているのが見えた。
恐怖と恐怖と恐怖が頭の中を駆け巡り、自らの体に受けた理不尽を呪った。目の端に涙が浮かぶ感触を覚えながら、恐怖に支配された頭でうっすらと弟のことを考えた。起こしてしまったら悪いな、と。
残酷なほど美しい光の粒子に包まれていく自分の体。粒子は綿毛のようにあたりを一定で漂い、そして静かに消えていく。
消失の光景は皮肉なほどに美しく、それは天へと還る者に与えられた、最後の褒美のようだった。
天井を見上げるばかりの視界に、僕の肉体の欠片がゆっくりと漂う。散らばっていく体の欠片達を、血走った目で追いかける。戻ってこい、戻ってこい。僕の体だろ、なにしてる。なんなんだ、なんでこんなことになってるんだ。
激情に支配された頭が、自分のなにかを刺激した。
それは魔力と呼ばれるものだった。ずっと自分が親しんできた超常的な力の根源。魔力が細い糸となって、かろうじて僕の肉体の欠片達を繋ぎ留めている。
「兄さん」
か細い声が自分の横から聞こえた。弟を起こしてしまったのだ。
……どうしてだろう。こんなにも精神的に追い詰められてるのに、なぜだか弟のことを思うと、少しだけ優しい気持ちになれる気がする。
「兄さん……消えないで……お願い……消えないで…………」
誰かが誰かを慈しむ時に奏でられるような、心に透き通るような入り方をする声。パニックが少しだけ収まる。そうだ、自分は消えてはならない。僕には弟がいる。この世界に一人、残していくわけにはいかない。
だから消えるわけには……消えるわけには……?
なぜ「消える」という表現なのだろうか? 「死ぬ」ではないのか?
言葉の使い方一つに目くじらを立てているわけではない。確かに「消える」という表現は、僕に違和感を与えた。
「大丈夫」と僕は言う。大丈夫だよ、と繰り返す。
思えば自分の体からは一滴も血は出ていない。解釈を改める必要がある。自分から離れていく体の欠片は「切断」されたのではない。「分離」されたのだ。ならばこの自分の周りを漂う光の粒子が血の代わりか? これが放出しきったら自分は終わってしまうのか?
なにもかもわからない。推測は推測を呼び、不確定な想像を呼び起こし続ける。
落ち着け、と自らを叱責する。僕は消えるわけにはいかない。それは確かだ。それだけは純然たる事実だ。
冷静に状況を把握するために、自らの体の隅々まで神経を張り詰める。すると、自分の目の前で浮いている人差し指が確かに動いた。
よし、これは動かせる。自分の意志で。ただし、薄いガラスの向こうから自分の体の一部を動かしているような奇妙な感覚だ。伝達する動きの指示の一割程度しか受け取ってくれていない。
すぅ、と息を吸い込む。思えば自分の四肢はばらばらなのに失血死する様子はない。やはりこれは「切断」ではなくて「分離」なのだ。さらに言えば僕の体は細い糸のようなもので、かろうじて繋がっている状態だ。
『糸』は魔力で作られていた。僕は体中から魔力を呼び起こし、コントロールを掌握する。
カチリ、と自分の体の一部が引っ付いた感触があった。安堵のため息をつき、自分の目の前で浮いている人差し指を自分の顔に向けた。
弟の視線を感じながら、僕はこう囁いた。
「お前は誰だ」
「……兄さん?」
特に意味はなかった。いや、せっかく自分の指が浮いているのだから「お前は誰だ」と問いかけたらホラーテイストな面白さがあるかな、と思ったのだ。
「どう、面白い?」
「兄さん、怒るよ」
怒られた。
それもそうだろう。真剣な場ですることではない。自分の本性半分、やせ我慢半分で、ふざけてみた。偉大なる弟様はお冠だ。
僕は苦笑する。弟様は兄に振り回されてこれからも苦労するだろう。
「ごめんごめん」
すっかりと要領を掴んだ僕は、自らの体を次々と繋げていく。自分から漏れ出ていた光の粒子は次第に収まっていく。
指一本一本、手首足首ひとつひとつを自分の体に接続するたびに、背筋に悪寒が走った。まるで作り物のように自分の体が繋がっていく様子を見て、生きた心地がしなかった。
そこで再び自覚する。自分達はイレギュラーなのだと。
――この世は一度以上死んだことがある人間のみが存在する世界。
転生者だけがこの世界に存在することができる。そして転生した回数が多ければ多いほど、死ねば死ぬほど、力を増して生まれ変わることができる。
そして、この世界はなによりも秩序を重んじている。そこから外れた者はただちに排除される仕組みになっている。
例えば世界の秩序から外れた者――無限という単位を扱う者や、未来を読み取る者、そして一度も死んだことがない者――はこの世界では抹消の対象とされている。
――弟はまだ一度も死んだことがないイレギュラーだ。
そして十歳年上の兄である僕は、弟のまるで真逆で、千回以上は死んでいる。世界に存在する者達の中で圧倒的に抜きんでて死んだ経験がある。
弟は世界の秩序から外れているがために、周りに気づかれれば「排除」されるだろう。そんな弟を守るのが、僕の使命だった。
「兄さんのばか、心配したんだから」
弟がぷりぷりと怒っている。その小さな姿を見て、心の奥がじんわりと温かくなるような愛おしさに襲われた。
「僕は消えないよ。ずっとシュラの傍にいるからな」
優しく優しく、弟の名を呼ぶ。
弟の頭を撫でていると、胸中を包み込むような安心感を得ることができた。ご立腹で嫌がるそぶりを見せる弟の姿も、無理に出している尖ったような声音も、なにもかもが愛おしくなる。守ってやりたい、ずっと傍にいてやりたい、と痛感する。
泣きたくなるような思いになるのだ。
弟に触れている自分の体の異質さを思い出す。常に魔力が高速で体内を循環し、不安定な肉体を強力な魔力で無理やり持続していることを自覚する。
僕は死に過ぎたのだ。体があまりにも不安定になっている。……僕はあと何年生きられるのだろうか?
わからない。わからないが、ともかくずっと弟と一緒にいたい。残された時間を過ごしたい。
悲しませたくない。心配そうな顔をさせるわけにはいかない。兄さん、兄さん、と人懐っこくつきまとってくる時の笑顔を大切にしたい。
切実にそう思う。
弟が叫ぶ。
「なに笑ってるんだよ! 心配した分返せ! 兄さんなんて嫌いだ!」
「はいはい」
怒っている弟を静かに抱きしめる。ジタバタともがく姿は小動物が愛の抱擁から逃れようとする様のようだ。
ばかばか、と弟からしてみれば本気の拳が心地よく僕の胸元を打つ。どん、どん、と心臓の鼓動と同じに思えるリズムで、確かに僕の体を打っている。確かに僕はまだこの世で生きている、と実感した。今は、まだ――。
なぜだろう。死ぬことは、消えることは、何度も味わってきたはずの現象なのに、僕は今の生を手放したくない。
「生きていたいだけなのにな」
僕は呆然と呟く。
自然と弟を抱きしめる力が強くなる。
不思議に感じたのか、弟は灰色の瞳を僕に向けた。
「……兄さん?」
僕は自分が幽霊なのかもしれないな、と思った。浮かび上がって、地に足がついていない。自分がこの世に存在する実感が持てない。
自分が生きていていいのかの確信が持てない。
「僕は」と吐き捨てるようにただ呟いた。
――ただ、生きていたいだけなのにな。




