切望3 妄執の剣鬼
◇
人は幸せになるために思考する。
そのために、様々な手段を使って幸せになろうとする。
人は幸せになるために試行する。
どんな人間だって、みんな幸せになりたがっている。
人はみな、至幸へと至ろうとしているのだ。
思考して、試行して。
だが何をやっても、いくら考えてもうまくいかないことだってある。
その時は、最後には自分自身が試される。
自分の信じる世界を信じて、最後には納得するしかない。
◇
第三章「妄執の剣鬼」
◇
私はずっと名家のものとして、城の君主として過ごしてきた。
王家を除けば、国で断トツで強い権力を持つ、貴族として。それ故に王家には疎まれていた。
ある日、『贈り物』が王家から届く。『贈り物』と称された檻の中には、赤い髪色の人間が入っていた。将来、『勇者』と呼ばれる人物。「なんだ……この獣は」と思いながら、『贈り物』を受取った。この赤い獣は爆弾だった。『古代の勇者』の血を引いているらしいどこかの孤児。うまく育てれば、最高の戦力になる。という建前で私はこれを押し付けられた。しかし、失敗すれば責任を取らされる。くだらない妨害工作。
自室に赤い獣を持ち帰ると「あらあら、お兄様。あれ、わんちゃんもいる」と私の妹は興味を示した。その瞳はアメジスト色にキラキラしている。見た目だけで言えば、高貴な出のものらしく、凛とした美しさがある。まるで抜き身の剣が、宝石店に飾られているかのような美しさ孤高と優雅さが合わさったような雰囲気。流れるような金髪は、豪奢にして絢爛。武の心得がある女として、無駄な贅肉が一切ない。
「人間だ。名前ぐらいつけてやれ」
「ええー。お兄様がつけてあげてよ。ところで、わんちゃんとお話ししてたの? お兄様?」
「してない」
「してたでしょ」
「してない」
「してた」
「……」
……してない。
妹はにっこりと赤い獣と目線を合わせ、両腕を使って猫のようなポーズを取った。
そして妹は言った。
「わんわん? わんわーんわん?」
「がう!」
「わんわん、わん!」
「がう!」
「……やめろ、変なコミュニケーションを取ろうとするな」
私は眩暈がした。
「妹よ。おまえは高貴な血を引いているんだぞ? 馬鹿なことはよすんだ」
「お兄様うるさーい」
「うるさくない」
妹のことは諦めていた。それでも別によかった。私がしっかりと城主を務めればいいだけだったから。妹は平穏に過ごしてくれればいいで生きていた。……とはいえ、もう少しだけ身分をわきまえては欲しかったが。
妹は楽しそうに赤い獣と戯れている。
「お兄様、この子の名前、どうするの?」
「……知らん。アギト、でいいんじゃないか?」
「おー、いいじゃん。お兄様、かっこいい剣の名前考えるのは得意なだけあって、一発でいいの出してくるね!」
獣ががうがう言っているから、顎、と名付けただけなんだが……。妹はにこにこと言う。
「お兄様、この子かわいいじゃん」
「……」
「大切にしてあげよ?」
「私は、ごめんだ。勝手にやっていてくれ」
私は政争に明け暮れた。部下のために、妹のために。幸いにして権謀術数は性格が悪い奴の方が強いのだ。絶対に城を守り切るつもりだった。あの日、第二王子がこなければ。
◇
三年の月日がたった。
驚いたことに、アギトは一年が経過した時点で人間のように喋れるようになっていた。たまに獣のような癖がでるが、もうほとんど一般の子供と変わりない。
「師匠」とアギトは私のことを呼ぶ。私はこいつに碌に教えを施したことはないのに。
そんなある日、いつものようにサボりで私の修練場に奴は訪れた。修練場は石造りでできていて、武骨な硬さが部屋に押し込められている。広さは城の大広間ほどもあり、十分なスペース。奥には私の宝物庫があり、私が貯めこんだ秘宝と呼ばれる武器の数々が眠っている。
「師匠はさ、ずっと技を極め続けるの?」とアギトは聞いてきた。
私はそれに曖昧に答える。なぜなぜの多い子供を適当にあしらっている気分だった。
だがアギトはよくわかっている。私のことをよく知っている。だからこそ、アギトはたびたび私の修練場に来て、私の技を盗もうとしていた。
至高の剣を達成する。私だけの剣を。空気を切り裂く鋼の美しさを。理を超越するほどの機能美を。そのために私は剣を振り続けていた。
ある日、気まぐれにアギトの剣を見てやった。その才能は恐ろしいほどのものだった。とはいえ、さすがに子供に遅れをとることはなかった。だが二十までに私を越してしまうのだろうな、という予感があった。嫉妬心を押さえて、私は彼に宝物庫の武器をくれてやった。努力するものに褒美を与えるのは城主として当然のことだったからだ。私は宝物庫の鍵を取り出し、扉を開く。アギトは緊張しているようだった。ありえない幸せを突然享受して、思考が止まってしまったかのようだった。奴が柄にもなくなにか言い出したのは、きっと感情の衝撃が頭を殴りつけてきたせいなのだろう。
「なあ師匠、夢を見るんだ」
「夢?」
「ああ。たぶん、勇者の力の一部なんだと思う。予知夢みたいな。俺は結局みんなとは一緒にいられなくて、一人遠くの場所で戦うらしいんだ」
「へえ」
私は子供の戯言を流した。
「だからさ、覚えておきたいんだ」
「……」
「この城で過ごした時のことを。みんなに優しくされたことを。人間にしてもらったことを」
アギトは宝物庫から持ってきた剣を大事そうに抱えた。祈るように、願うように。
心を込めて武器を抱きしめるアギトの姿は、まるで神様みたいに思えた。
なぜだろうか。わからないが、アギトの体の内側に押し込められていた想いが、皮膚の間を縫って漏れ出したかのようだった。強い思いの放出が気となって、神聖さを帯びるのかもしれないと思わされた。
「俺、俺、絶対に忘れないから。俺、ずっとこの剣を大切にするから」
「……馬鹿言え。お前は勇者の血を引いてるんだ。成長したらもっとふさわしいものを用意してやる」
私の言葉にアギトは目を丸くする。そしていたずらっぽく言った。
「どうしようかなー。この剣だけで十分だから、いらないかなー」
それを聞いて、私は不機嫌そうにため息を吐いた。けど、実は悪くはない気分だった。
◆
剣をアギトに与えて間もなくして、第二王子が城へとやってきた。傲慢で子供っぽく、また世界で最も強い魔術師と言われている人間兵器。彼は当然の権利とでもいうように城を踏み荒らし、私の部下を傷つけた。いうことを聞け、部下になれ、余にに剣を教えよ、と。私は世界で最強の剣士だった。しかし、世界の条理として、等級の剣士と魔術師が戦えば、ほぼ必ず魔術師が勝つ。それは世界で一般の常識だった。常識に則って、私は第二王子にズタボロにされた。妹も傷だらけだった。城のメイドの一人が、片目を失明した。
――今でもあの時の高笑いを思い出す。
はははははははは! と狂気的な笑い。弱いのが悪いと言わんばかりの態度。
こんな奴が世界にいるから、と当時の私はそう思った。
――そんな時、私たちを助けに現れたのはアギトだった。
最強の魔術師、人間兵器、怪物、として知られている第二王子を一方的に叩きのめした。そのことに関しては、第二王子の人間性の欠陥はあまりにも周知の事実だったため、対してとがめられはしなかった。殺していればまた違ったかもしれないが。
そんなことはどうでもいい。重要なのは、アギトがあまりにも強力な剣士だったということだ。アギトの身のこなしはまるで奇跡の集合体のようだった。アギトはゆっくりと歩いているだけなのに、ジグザグと魔法の方がアギトをかわしているかのように見えるほどだった。不可視のはずの重力魔法を、アギトは昏い目のまま進み続け、第二王子の意識を奪った。第二王子はアギトを怪物呼ばわりし、無様にそのまま倒れた。
――たぶん、このまま終わっていれば私はおかしくはならなかった。
後処理のため、私は気絶した第二王子の首根っこを掴み、第二王子の部下に引き渡しに行く。アギトには宝物庫で渡した剣を抱きしめながらついてきた。国でそこそこ偉い立ち位置にいる奴――紳士のような男は、気絶した第二王子の姿を見てこう言った。
「ははは、これはこれは……とんだ収穫だ。齢八になる子供が、国の最高戦力を、どうやら無傷で倒して見せたらしい」
第二王子の性格を鑑みて、今回の件は不問にするかもしれないと言われした。アギトは返還すること。それだけが条件だった。いうことを聞かなければ城ごと潰す。国としての力をもって、ほしいものだけを真っすぐに要求してきた。
『たぶん、勇者の力の一部なんだと思う。予知夢みたいな。俺は結局みんなとは一緒にいられなくて、一人遠くの場所で戦うらしいんだ』
いつかアギト言っていた言葉。
「アギトは渡さない」
私はそう言い切った。アギトが首を振っている。自分のせいで迷惑がかかるが嫌だとでも言いたげに。私はアギトに向かって言った。
「アギト。命を救ってもらった恩は必ず返す。それだけだ」
「師匠、でも、それじゃあ」
「心配するな。お前は必ず、私が守る」
貸しは作っても借りを作ることは許されない。それは私の絶対の信条だった。ほんとうはそれだけではなかったかもしれない。情に絆されてしまっていたのかもしれない。懐いてくるアギトを無下にしたくないと思ってしまったのかしもれない。しかし――きっと――私の弱い心が、『一人遠くの場所で戦うらしいんだ』と語っていたアギとの表情を見てしまったことが、私の判断を曇らせたのかもしれない。紳士のような男が反逆罪を認定する直前、アギトは叫んだ。「待てよ!」と。
「アンタの望みは俺なんだろ? 従うよ。だからもう、やめてくれ」
私はアギトの発言を許さなかった。剣を振るってでも、四肢を切断することになってでも止める気だった。回復魔法とアギトの再生力があれば、いくらでもくっつくからだ。どんなに痛い目に合わせても、アギトが『一人遠くの場所で戦う』ことを許す気はなかった。
果たして私とアギトは互いに剣を向けることになった。互いに殺意のない切っ先。
「バルハーデさん、やめてください」と言うアギトを無視して切りかかる。
渾身の一撃だった。自分でも驚くぐらい美しい太刀筋だった。狙いは篭手。剣を失わせて戦意を削ぐ。それで、終わりのはずだった。
――アギトの剣がぼやけた。
意図も容易く、私の剣を払った。私は驚きながらも、次の太刀を放った。私の剣は跳ね飛ばされ、地面に深々と突き刺さった。
「おまえ……」
いったいなにが起きたというのか。
少しした後、様々なことを理解した、理解させられてしまった。師匠、師匠だって? 私はアギトにほとんどなにも教えていない。だが、なんだその太刀筋は。なんだ、その剣の型は? 私の模倣をしたのか? 私よりも遥かに完成度の高い状態で?
アギトは少し悲しそうな顔をした。そんな目で私を見るな、と思った。それじゃあまるで、そんな目で見ていたらまるで……私を同情しているみたいではないか?
そうしてアギトは行ってしまった。私はアギトとの間にある彼我の実力差に絶句していた。プライドをズタズタにされ、すべてを失ったような気分になった。
それで、この話はおしまいだった。私は今でもこの光景を夢に見る。
私が剣に捧げてきた人生はなんだったのか。アギトとは何者なのか。何のために生きてきたというのか。アギトを守るという決意は傲りだったというのか。私はこの悪夢にずっとうなされている。私はいったいどうすればいい? 愛せばいいのか? 憎めばいいのか?
◇
後の処理は忙しいものだった。私は日課の剣を握る時間すら作れなくなるほど仕事に追われた。妹すらも王家への対応と城への修復のために忙しく働いていた。目が回るほど忙しかった。でも、それはそれでかえって良かったのかもしれない。その間は何も考えずに済んだ。こんがらがったことすべてを、忘れることができた。でも、それらの後処理がすべて落ち着いて、城が平和になった時、私はアギトのことで頭がいっぱいになった。
アイツはうまくやっているんだろうか、とか。つらい目にあっていないだろうか、とか。
……なんでアイツは私の剣を軽々と凌駕したのだろうか、とか。
頭では、アイツは恩人なのだとわかっていた。だが、それ以上に込み上げてくるものがある。劣等感が、怒りが、憎しみが、不甲斐なさが。なにもかもを押しつぶすやるせなさが。いったい私は何のために生きてきたというのだろう? 私の三十年は、奴の八年に満たないというのか?
とても、認めることができない。久しぶりに剣を握ると、なにもかもが信じられないような感覚に陥った。自分の振るう剣は拙く、まるでお遊びのようだった。私の剣は、奴の剣の劣化の劣化の劣化だ。あの日のアギトの、完璧な剣の軌道が脳裏に焼き付いている。私は剣を握れなくなった。握ると、どうしても頭の奥が軋むように痛むのだ。私は自室に籠るようになった。浴びるように酒を飲んだ。溺れた。何もかもどうでもよくなった。妹が城のことに対応していた。それでうまくいっていた。最初から私はいてもいなくてもどちらでもいい存在だったのだ。
……私はなぜ躍起になって肩肘を張っていたのだろう? もう何もかも、どうでもよかった。
◇
酒でダメになった頭で考える。私は天才だ! この世界で最も強い剣の担い手だ!
「ははは!」
私は自室で一人笑う。何もかもがおかしかった。最高のジョークだという気もした。
「天才の発想だ……」
一人呟き、虚しくなる。もう一度浴びるように酒を飲んだ。頭がダメになっていく感覚がある。だが、確かに私の中には万能感がある。今ならなんだってできるという気がする。
「あのクソガキだって、あんな奴、簡単に……」
捻りつぶしてやる。
剣を振るう想像をする。確かな軌道。煌めく剣閃。私はアギトを圧倒し、一人笑っている。
「――ああ」
いったいなにをやっているんだろう? 妹はなにも言わなかった。誰も私に声をかけなかった。世界中から取り残されているという気がした。人間とずっと喋っていないという気がする。城の住人達が私のことを恐れているのを感じる。ダメになってしまった城の主様。いったい、いつになったら立ち直ってくれるのだろう? と。
「黙れ!」
怒りに任せて、手元のグラスを投げつけた。音を聞いて、自室の外に待機していたメイドが駆けつけてくる。第二王子に傷を負わされた、眼帯を付けるようになってしまったメイド。メイドとして眼帯はあまりにも似合わせない。それでも城から離れられないのは、どこにも行き場がないからだ。
「旦那様、大丈夫ですか……?」
「……うせろ」
「ですが」
「うるさい。もうほうっておいてくれ」
私はいったいなにがしたいんだろう? こんなことをして、何になるっていうんだろう?
メイドは俯いた。その目尻にうっすらと涙が滲んでいる。嗜虐心が鎌首持ち上げる。なにもかも壊してやりたかった。
「旦那様、なにを――きゃっ」
「静かにしてろ。すぐに終わる」
私はメイドをベッドに引きずり込む。ひどく怯えた表情。細い手足が震えている。どうにでもなれ、と強く思った。
◇
人として終わっている、と強く思う。だがもうどうすることもできない。酒を浴びるように飲んでいる。なにもわからない。なにをするべきか、どうすればいいのかわからない。
眼帯のメイドは度々私の世話をしに来た。馬鹿なやつだ、と私は思った。性欲のはけ口にされるだけだというのに、なぜこうも世話をしに来るのだろう? 恐らく、他に居場所がないのだろうということがわかっていた。誰も私に関わりたがらない。暴力的で、すぐに怒鳴り、下手に権力がある城の主様。なにかの拍子で逆鱗に触れたら何をされるかわかったものではない。
そうやって半年が過ぎた。眼帯のメイドの腹が大きくなってきている。
――近頃噂を聞く。
ただでさえ「傷物」の眼帯をしているメイドの噂だ。存在が城の景観を損なう。身寄りのなく、城に居ついている乞食。誰の子かもわからない種を孕み、醜い姿で城での給仕をしている。例の城の暴君のお手付きになったのだろうって。女は暴君の自室に入るのは危険だって。
……その通りだと思った。眼帯のメイドは日に日にやつれていった。服を脱がすと、殴られた跡などが残っていた。これは私がやったものではない。たまに体から食べ物の臭いがすることがあった。火傷の跡が残っていた。たぶん、そういうことだった。メイドは陰湿ないじめを受けているようだった。それでも彼女はどこにも行くことはできない。この城にしか居場所がないから。ずっと城で生きてきた彼女は、今更外で生きることなど考えられないから。そもそも、どうやって女手一人で外の世界で生きていけというのか。
眼帯のメイドの腹は少しずつ大きくなっていった。最初は給仕服で腹の大きさを誤魔化していたが、今や腹の大きさは誰の目にわかるようになった。彼女は何かを堪えるように、精一杯笑っていた。とても気分が悪そうだった。無理をしていた。
どうでもいい、と私は思った。なにもかもどうでもいい。私はもう、剣を握れない。城の執務もできない。いっそのこと、誰か私を殺してくれればいいのに。
ある日、眼帯のメイドがふらつきながら部屋に訪れた。明らかに体調不良を起こしていた。足元がふらついていた。気分が悪そうだった。それでも精一杯笑っていた。……いつもみたいに。と、思えば、彼女は突然さめざめと泣き始める。もう耐えられない、といったように。
彼女が泣いている。ずっとずっと辛かった――たぶん、そういった感情が溢れてしまったのだろう。世界の何もかもが終わってしまったような感覚。ありとあらゆるものに対する絶望。生への執着が薄れ、なにもかもがどうでもよくなってしまう感覚。
なあ、と私はメイドに声をかける。
「酒をやめる。執務を再開する。剣を握る。そうしようと思う」
「……旦那様?」
「結婚しよう」
私はなんでこんなことを言ったのだろう? だがこのままではだめだという気がした。
眼帯のメイドは驚いて固まり、少しして頷いた。
「いいんですか?」
「ああ」
「じゃあ……はい、よろしくお願いします」
――なんで。
なんでこいつは、こんなにも幸せそうな顔をしているのだろう? こんな屑が放った言葉を、なんでこんなにも信じているのだろう? 馬鹿な女だ、と思った。
だが本当に幸せそうなその顔を見て、なんだか救われたような気分だった。私に期待なんてするなよ、と思う。なんにもできない無能に。どうしようもない屑に。誰も救えないなまくらに。……期待なんてするなよ、って強く思う。私は強く目を瞑る。
だが、期待されたというのならば。
望まれたというのならば。
私は必ず成し遂げなくてはならない。
◇
「旦那様、今お腹動きました。触ってみてください」
「ああ」
なんでこんなにも胸がどきどきするのだろう。なんでこんなにも満たされているのだろう。ずっと剣だけが私の人生を支配していた。こんな手で幼い命の鼓動に触れるのは初めてだった。
――あれから一か月経って。
私は宣言通り、酒を辞め、城の執務を再開した。剣を握った。今でも剣を握るとひどく気持ちが悪い。それでも私は強く在らねばならなかった。私には守るべきものがあった。
「どうです?」
「……どうって、すごいな」
「もう、口下手なんですね」
「うるさいな」
「おまけに口が悪いんですよね。旦那様は」
「ほっとけ」
眼帯のメイドは幸せそうに私に頭をこすりつけてくる。この女はいったい私になにを期待しているのだろう? 馬鹿な女だ、と思う。まともな神経で、こんな屑に好意を寄せれる意味がわからない。しかし……期待されているのならば、私はそれに応えるべきだ。
「不思議そうな顔、してますね」
「そりゃ……だって、変だろ。こんなの」
「理由、いいましょうか?」
いたずらっぽく眼帯のメイドは言う。私は黙って頷いた。
「私の境遇。旦那様は知っていると思いますが、天涯孤独なんです。父親は誰かわからなかったです。母は幼い私を残して病気で死んでしまいました。私、城で生まれて城で育った唯一のメイドなんです」
「……それで?」
「母が死んで最初、私をどうするかで揉めたそうです。なんにもできない子供は、奴隷として売り飛ばすか、適当に国の施設に放り込んでしまえって」
「……」
「当然私は嫌でした。母がいたこのお城にも居たかった。でも私は子供だったから、なんの選択権もなくて、使えない、お荷物の子供は本来ならこのお城から追放されるはずだったんです」
「……まあ、そうなることもあるだろう」
「でも、旦那様が手を差し伸べてくださいました。自分の傘下にあるものはすべて自分の所有物であり、自分に責任があると。だから衣食住は全部負担すると」
「……そこまで特別なことじゃない。良心的な領主や城主だったらそうするだろ」
「そうかもしれません。でもそれは私にとって確かに救いだったんです。一生ついていこうって思いました」
「変な奴」
「でもでも、そういう人達結構多いみたいですよ? 旦那様って、責任感が強いから。城の人達そういうところを慕ってるみたいです」
「それは……うむ、光栄だな」
「ひょっとして照れてます」
「照れてない」
「嘘だあ」
「うるさいな」
メイドの話を聞いて、目が覚める思いだった。同時に胸がじくじくと痛む。私は、私を慕うものたちを裏切っていたのだと。本当に、ここしばらく、私は屑そのものの生き方をしていた。なにかを取り戻したくなるような気持ちになって、私は彼女の手を握る。手は私の手を握り返してきた。
「旦那様って以外と甘えん坊なところありますよね」
「お前も似たようなものだろう」
「さすがに敵わないですよ」
「いやいやいや」
「ほーら、旦那様? よしよーし」
彼女が私の頭を撫でてくる。不服だったが、負い目があるので強く出ないようにしてやった。
「ほーら、むくれててかわいいですねー」
……負い目があるので強く出ないようにしてやった。
でもこの気持ちはなんだろう? なんでこんなにも満たされるんだろう?
怒りや憎しみが薄れていくような、この不思議な気持ちはなんだろう?
「旦那様、お慕いしております」
とても幸せそうに、メイドはそう言った。私はその言葉に応えなくてはならない、と思った。期待されているのならば、と思った。
言葉がつっかえて、気恥ずかしくなって、正直な話、かなり勇気を振り絞って彼女に言った。
「愛してる」
「きゃ」
彼女はわざとらしい反応を見せる。なんなんだよ、と思った。
彼女が私の腕に抱きついてくる。悪い気分ではなかった。
◇
私は彼女と結婚した。お腹の大きいままの彼女と。
みんな安心していた。素直に祝ってくれた。妹は感動したように泣いていた。
肖像画を描いてもらった。私の腕に飛びついてくる妻と、仏頂面の私の画。
なんでこんな肖像画なんだよ、と思ったが、正直少しだけにやけた。
何もかもが終わってしまったと思っていた。でも、私は取り戻すことができた。
これからもみんなと――そして彼女を守ろう。そう固く決意した。
◇
私は愚かだったのだろう。頭が悪かった。なにも考えていなかった。
――なぜ第二王子と相談役はあんな急な強硬策を実行した?
どうやら世界は滅亡の危機に瀕しているらしかった。世界は『黒』に吞み込まれて、『淵』から魔物が無限に湧き出る。世界はゆっくりと侵略され、侵食されていく。世界の中心にいるとされる『魔王』を倒さなければ、この侵略は止まらないらしい。発見した頃にはもう手遅れに近い状態だったらしい。手の打ちようは全くなかった。魔王は影も形もない。世界の中心がどこかわからない。そうと思われる場所にも魔王はいない。おまけにこの伝承は、出自がよくわからない。王家が吹聴している伝説ということがわかっている。詰まる所、これは作り話だ。都合のいい物語を作って、希望を抱かせて、民衆の暴動を抑えている。ただそれだけの話だった。私が世界の危機を知った時には、もう魔物の軍勢が城へと押し寄せてきていた。城の兵士もほとんどが死んだ。妹も戦災の傷が痛々しい。かくいう私もボロボロで、全滅は必須だった。
「逃げてください」と妻は言った。なにを馬鹿な、と思う。
妊娠している妻によれば、もうここが全滅するのは時間の問題だった。そして包囲を突破できるのは、腕っぷしが特別に強い者しかいない。それは私と妹ぐらいで、生き残れる命は生き残った方がいいと。そして城の者たちはそれに納得している、と。
私はここで死ぬつもりだった。主が配下を捨てて逃げるだと? そんなことあってたまるか! と。
だが身重の妻は懇願した。生きてください。どうしても生きてください、と。それだけが私の願いです、と。
それに――。妹のことはどうするのですか? と聞かれた。自分の誇りよりも優先するべきものがあると、妻は強く言った。
私は動揺した。理屈で言えば、この城にある命すべてがもう尽きてしまう。ここから脱出できるのは私と妹だけ。救える命があるのに、くだらないプライドで命を見捨てるのか? と。
「お願いします」と妻は言う。 お願いします、お願いします。と祈るようにそう言った。
せめてお前もつれて脱出する、と私は言った。妻はそれを断った。「私は身重ですし、城の主の妻として、ここで指揮をとらねばならない」と妻は言った。
私と妹はすべてを捨てて逃げ出した。大切な配下すべてと妻とお腹の子供を見殺しにして。秘密の地下道を使って城からの脱出を図る。外に出れば、すぐさま魔物に見つかり、追い回されるだろう。馬はこの道を通れない。魔物の群れから走って逃げきるなど……私と妹ですらできるか怪しい。だがやるしかなかった。私と妹は暗い地下道を進んだ。じめじめして、鬱屈な気分にさせられる道のりだった。長く長く長い地下道は、置いてきた者達のことを否が応でも考えさせる。傷を負っている妹を励ましながら暗い道を進んだ。誰かのためにって考えていないと、屈服してしまいそうだった。足を進めるたびに、胸の痛みが酷くなる。
暗い道を歩み続けるのは、目を閉じ続ける行為に似ていた。目を閉じ続けていれば、いろんな暗い考え事が頭の中に回り始めた。私が生涯を通して愛していこうと決めた女。私を救ってくれた女。……私の大切な妻のことを。お腹に触れて、命の鼓動に感銘を受けた。責任感という言葉を真の意味で自覚した。彼女に告白をして、一層大切にしていこうと誓った。生まれてくる赤ん坊をどうやって育てようかと考えていた。やっぱり剣を教えたいなあ、と。でも無理に戦いに関係する道を歩ませるのは気が乗らないなあ、と。私が妻に対して感じたように、誰かを救えるような人物になって欲しいなあと、希望を込めて祈っていた。
――でも、それも全部過去の話だ。
私の手元には、なにもない。何もかも失ってしまった。いや、まだだ。私には妹がいる。すべてを裏切って、すべてを見捨てて生き延びてしまうのだとしても、妹だけは私が守らなければならない。もう、それだけしか残されていないのだから。力さえあれば、と強く思う。アギトのような圧倒的な力があれば、この状況もどうにかなったのかもしれない。どうなのだろう。剣の鍛錬は怠らなかった。実力は伸びていた。でも――アギトほどの強さには確実に至っていない。至っていたとしても、この魔物の群れから城を守れたとはとても思えない。
「お兄様」と妹は言う。辛いくせに私のことを心配する声。それを感じて、私の頭はぐわんぐわんと揺れた。
「おいてきちゃったね」
「ああ」
「本当によかったのかな?」
「……よくないだろうな」
もうなにも言わないでくれ、と悲壮な気持ちでそう思った。これ以上自分のことを許せない気持ちになりたくなかった。苦しかった。やめてしまいたかった。そうして出口までたどり着き、明かりが見えた。魔物が城の城壁を攻撃している。あと防備は何日持つのだろうか? ひょっとしてそれは今日ではないか?
「いこう、お兄様」
「……」
「……お兄様?」
――城へ真っ黒なドラゴンが飛翔していた。
今までとは何かが違う。明らかな別格。根源的な恐怖すらも感じる。黒いドラゴンはブレスを城へと吹きかけた。城から火の手があがった。聞こえるはずもないのに、城の者共の悲鳴が聞こえてくるかのようだった。痛い、痛いって。助けて、助けって。私を求め、そして恨む悲鳴が木霊している。
「だめだ……」
だめだ。だめなんだ。やっぱりだめだ。
「すまない」と私は妹に言う。
心臓がうるさいぐらいに早鐘を打っている。頭の中全てが真っ赤になる。耳鳴りがする。
「だめだ。やっぱり私は、城に戻る」
「わかった。そうしよう」
中途半端な私の決断を妹は止めなかった。きっと誰も助けられないのに、私は地下道を使って辿った道を引き返す。いったいこの行動に何の意味があるのだろう? 遅かれ早かれ城の者たちはみんな死ぬ。私の自己満足と中途半端な偽善に妹まで巻き込んで、私はいったいなにがしたいのだろう?だめだ、と思う。何もかもが中途半端だ。行動が無駄ばかりだ。碌に責任も取れないくせに、感情だけで行動している。同じことを他人がしたら、絶対に私は非難するというのに。それでも私は、地下道を進みながら妻のことばかりを考えていた。
――会いたい。
生きていて欲しかった。元気な姿で、笑っていて欲しかった。それだけが私の生き甲斐だった。私の配下はすべて私が守る。それだけが、それだけが私の――。
――城の中心についた頃、城はもはや廃墟と変わらない姿になっていた。
炎と瓦礫が崩れていく音だけが聞こえていた。まるで命の気配がしなかった。すべてが死に絶えてしまっていた。震える足で城を歩く。死体、死体、死体。爪や炎で、無残になった死体ばかり。妻は私の自室の前で死んでいた。涙すら出なかった。妹が慰めるように私の肩に手を置く。もうなにもかもが嫌だった。ふらふらと幽鬼のように歩く。妹も似たような状況だった。
「なあ」と私は妹に言う。
「もうここで全部終わりにしてしまおうか?」
「……ダメだよ、お兄様。死んだ人たちの遺志を継がないと。――復讐、しなきゃ」
突然、目の前が炎一面に染まった。強烈なブレスが私たちを襲った。私の目の前には妹が立っていた。溶けていく顔で私に向かって笑顔を向けた。……もう、だめだ。
意識が朦朧とする。すべてが夢のような感覚だった。
妹の焼死体が私の目の前にはあった。妹が私をかばって前にでたからだった。私の体はかなりの部分が焼けこげていた。だが、頑丈すぎる肉体が、まだ死を受け入れてはくれなかった。轟くような音がした。それは最初、ただの騒音に過ぎなかった。その音は徐々に意味を持ち、やがて笑い声に変わった。
――黒いドラゴンが、私の前に立ち塞がっていた。
「――!」
咆哮。
――大気が震える。
根源的な強さを秘めた、黒いドラゴンが絶叫する。否定と悲嘆が世界に訪れる。この黒い生物一匹で、世界は容易くぼろぼろへと朽ち果てていく。私は膝をついた。もう駄目だ、と思った。それでも剣を握りしめた。私はこいつを殺さなくてはならなかった。命がけで飛び掛かる。爪で容易く防がれる。轟音のような笑い声があがった。そいつは邪悪に私に笑いかけた。
「ああ勇者! 勇者よ! ここがお前の育った場所か! ここがお前の愛した場所か! 見よ、お前の大切な師の哀れな姿を! どうしてこうも宿縁に恵まれているというのか! お前のせいで、おまえの大切な者、みんな死ぬ!」
黒いドラゴンは笑っていた。悦に浸っていた。ただひたすらに邪悪だった。
ぼんやりとした頭で、私はその独演を聞いていた。
――アギト。
黒いドラゴンはアギトの苦しむ姿が見たいらしかった。体中に傷が残っていた。黒いドラゴンはアギトのことを語る時に、その傷を掻きむしっていた。つまりはそういうことらしかった。
なんだかな、と思う。どうしてこうなったのだろう、と。何が悪かったのだろう、と。誰が悪いだろうって。わからない、わからないが――アギトが憎かった。もっと力があればって思った。その思考の裏には必ず奴がいる。なにを考えるのも、すべてアギトに帰結する。あの日、私がすべてを諦めてしまった日。すべてを失いかけて、取り戻した日々の軌跡。その裏に、ずっとアギトの存在がある。
「師匠!」
幻聴か? と思った。怒声がする。耳をつんざく絶叫が響く。黒いドラゴンは一瞬でズタズタにされた。片目を失って、弱々しく羽ばたき、逃げていった。城の中は炎で溢れ、私の視界もすべてを朧げに映す。炎の中に立っていたのは『勇者』だった。根源的な力を秘めるドラゴンをも容易く撃退する、人類の希望だった。
――成長した姿の、勇者アギトが、炎の中に立っていた。
「師匠、大丈夫か! 生き残った人たちは――」
「――死んだよ、全員」
「そんな……」
そんな、だって? どうしてそうも悲しそうな顔をする。なんでそんなにも辛そうな顔をする? なんで黒いドラゴンがここに来たと思っている?
――ふざけるなよ。
なにを善人ぶって、いっちょ前に傷ついていやがるんだよ。
だって――あのドラゴンが来たのは、おまえのせいじゃないか。
「師匠、歩けるか?」
私は差し出された手を振り払った。憎しみを込めてアギトを睨めつけた。
「なんで私たちに関わったんだ」
強い強い呪詛を込めて、アギトを憎む。
「お前がいなかったら、こんなことにならなかったのに」
「……それは……俺、そんなつもりじゃ」
「死ねよアギト。死ねよ、死ね、死ね、消えてしまえ。お前の存在が、すべてをどん底に突き落としたんだ」
アギトから、悲しそうな、絞るような声が僅かに聞こえた。けれど結局、アギトは何も言わなかった。それを見ても、私の中で怒りが増すだけだった。いくら傷つけても足りやしなかった。私は下を向く。身を焦がす怒りの炎を、なんとか抑えようとわが身を抱きしめる。歯を食いしばる。アギトはしばらく動かなかった。沈黙だけが場を支配していた。やがて奴は一言「周りの魔物を片付けてくる」というと城を出ていった。そのまま死んでしまえ、と思ったけれど、奴は傷一つなく戻ってきた。とても、涼しい顔をして。とても、余裕そうに。それを見て、余計にアギトが憎くなった。妬ましくなった。死ねよアギト、と私は思う。死ね、死ね、そうでなければ、頭がどうにかなってしまいそうなんだ。
◇
黒いドラゴンは『帝龍カーディナル』というらしい。夕暮れに居つくもの。終焉の端で佇むもの。終わりへと続く扉の番人。永遠の愛、永遠の友情、永遠の忠誠。それらすべては存在しないとあざ笑う。終末の夕暮れに位置する『帝龍カーディナル』は永遠性を否定するドラゴンだ。そんな奴が、この『黒』の発生理由だとされていた。世界が続くという『永遠』を否定する気なのだと。奴を討つために、力を貸して欲しいとアギトに言われた。私の力が必要なのだ、と。嘘を付け、と私は笑った。アギトはあの頃よりも何倍も強くなっている。私が十人いたって、アギトには敵わない。いったい私がなんの役に立つ。アギトが言うには、私は魔法を払う素養が高い、らしい。この体に巡る血が、それを可能にするのだと。
結局、私はアギトの弟子になった。すべては『帝龍カーディナル』を討つためだった。プライドを捨てて、かつての弟子に教えを請い、復讐のために生きる。嫌になるぐらいに実力が跳ね上がった。アギトは独特の理論を持っていた。奴の弟子は例外なく圧倒的な強さを手に入れた。アギトの弟子限定で、「同格の剣士と魔法使いは、戦えばほとんど剣士が勝つ」という常識ができた。奴は世の中の常識を逆転させたのだ。勇者の率いる騎士団として、私は実力も権限もナンバー2の座に収まった。『魔』と戦うために、あちこちの戦場を駆け回った。仲間たちは簡単に死んでいった。私は執念で生き延びた。何度も何度も戦って、体にガタがきはじめる。獅子のような戦いぶりを見せていたアギトも例外ではなく、明らかに再生力が落ち始めていた。
そして最終決戦――『帝龍カーディナル』を討つための作戦が決行された。夕暮れの中、アギトは友軍を守るよう説得しようとしてきた。切実に。祈るように。私がいなければ友軍は全滅してしまう、と。友軍側は民間人を守っている。女も、子供も、老人も。罪のない人々たちがたくさんいる。すべては救えないかもしれない。本当は自分が行きたい。でも、自分が行かなければ『帝龍カーディナル』は討てない。だから、バルハーデさん……いや師匠、本当にこれだけは、お願いします、と。
◇
「私の復讐はどうなる?」
「……頼みます、バルハーデ……さん」
「嫌だね」
「罪のない人々がたくさん、死んでしまうんです。だから」
「そんなこと、どうでもいいだろ?」
「……そんなこと、言わないでください」
勇者アギトは、かつて師であった私に丁寧語で喋りかけた。たまに素の口調が出る時があった。そのたびに罪悪感を浮かべた顔をしていた。そのたびに私はひどくムカついた。なにに?……さあ、なんなのだろうか。
「どうせ人間なんてもう碌に生き残ってないじゃないか。土地もほとんど『黒』に削られた。未来に希望なんてないだろう。もう世界は終わったんだよ、アギト」
「……」
「それならせめて、憎い奴をこの手で殺してやりたい。わかるだろう?」
「でも、それじゃあ」
アギトはなにかを堪えるような顔をしている。不愉快な顔つきだった。
「なあ、我がお師匠様? 勇者様? おまえは一体なんのために生きてるんだ? 幸せになるためだろうがよ。なら、私の気持ちだってわかれよ」
「わかります、わかりますよ、痛いほど。でも、理屈として間違ってる。バルハーデさんが選んでいる道は、不幸な道です」
私は笑った。
「お前が決めるのか? いいや、私が決めるんだ。すべてを賭けて『帝龍カーディナル』を討つ。それが私の至幸だ」
一度言い始めたら、止まらなかった。私は怒鳴るように言う。
「間違ってることも、歪なことも、理屈にそぐわないことも、頭ではわかっているに決まってる! だが、私は誓った。一つのことを信じて生きると。憎しみに身を焼き尽くしてしまおうと。それ以外のことはどうだっていいと、決めたんだ。そう決めなければ私は死んでいた」
すべての道が閉ざされて、生きる理由がなくなった時。
それでも「生きろ」と誰かに言われてしまっていた時。私は妄執で理由を作り上げる他なかった。それが歪でも、間違っていても、理屈にそぐわなかったとしても。それを信仰のように掲げて生きるしかなかった。いくら苦しくても、ただ頑なに自分の信仰だけを信じた。自分の信じる世界だけを信じた。誰にも理解されない自覚のある信仰は、増々頑なになっていく。それがわかっていたとしても。
「もうずっと続けてきたことだ。間違っていても今さらやめるわけにはいかないんだ。わかるだろ?」
別に理解なんてされる必要はないが。
「憎しみだけが私の人生だった。今更この信念を曲げたら、死んだ者たちに、あの日誓いを立てた過去の自分に申し訳が立たないんだよ」
苦しい苦しいとずっと呻き続けてきた過去の自分と、妹と妻、城の住人たちの幻影が肩にのしかかる。痛みと苦痛を和らげてくれたのは、この間違った信仰だげだった。だから私は、この思考に最後まで殉じると決めた。そう、誓っている。「バルハーデさん」とアギトは言う。
「あなたが一番憎んでいるのは、俺でしょう」
歯を食いしばって、アギトは続ける。
「あなたはどこまでいっても人間で、理屈に囚われ続けている。気持ちでは帝龍カーディナルよりも俺のことを憎んでいるはずなのに、過去が、恩情が、借りが、あなたに感情の暴走を許さない。――本当に憎いのは、俺なんでしょう?」
「……ああ」
「じゃあ、そのために手段を講じるべきでしょう」
「……ああ、そうだな」
アギトはとても苦しそうにそう言った。無性に胸がむかついた。こいつはこんな顔をする資格がないというのに。私はアギトの首元に剣を突き付ける。アギトは身じろぎもせずに、私を見つめる。
「世界のことなんてどうだっていいっていうのなら、今すぐ俺を殺せばいい」
「……ああ」
「でもできない」
「どうしてか、わかるよな」
「剣士としてのプライドでしょう。俺が魔法使いだったら、きっとここで殺されてたんでしょうね」
「よくわかってるじゃないか。お前、私がお前を殺そうとしても抵抗しないんだろう?」
「はい」
世の中のすべてにイラついた。すべて壊れてしまえばいいのにと思った。妄執に囚われ続けている。自らを炎で焼き続けるのはひどく痛かった。そろそろ終わりにしよう、と思った。
「――貴様に決闘を申し込む。今回は『帝龍カーディナル』はお前に任せよう。代わりに、お前はその後私と戦うんだ。技術を凝らし、手加減抜きで、どちらかの命が尽きるまで」
お互いボロボロの身だ。相打ちになってでも殺してやる、と思った。
「はい、わかりました」
夕暮れが終わる。キラキラと輝いていた陽光が閉ざされた静けさが、異様なほどに身に染みた。永遠の愛、永遠の友情、永遠の友情。かの黒き龍は、それらすべては存在しないとあざ笑った。その通りだ、と思う。永遠なんてない。絶対なんてない。信じられるものなんてなにもない。特に、『情』なんてものは不確かで、時間と状況によってはいくらでも塗り替わる。私はアギトを憎んだ。
剣を奪われ、絶望し、酒に溺れ。彼女に救われ、すべてを失い、プライドを捨て、従者となって。
逆恨みだってわかっている。意味のないことだって知っている。
だが、私は空虚に信仰を掲げ続ける。
これが私の信じた世界だから。
◇
1.勇者は滅亡を止めるために魔王を探している
2.魔王は世界の中心にいる
3.勇者が覚醒に至れば魔王を倒すことができる
【4】.勇者は世界の真実を知らなくてはならない
5.勇者が世界について知れば知るほど世界は終焉に近づいていく
6.人が死ねば死ぬほど、勇者の力が増す。
7.アギトはバルハーデと決着を付けなくてはならない。




