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切ト2 繰り返される白のセカイ

 第二章「繰り返される白のセカイ」

 ◇

 俺はあれから、何度も魔物と戦った。そして師匠と何度も修行をした。真剣勝負で戦って、何度も師匠に殺されること。……ふざけんなよって思う。死ぬことがどれだけ怖いことか、痛いことか。死ぬことは眠りに落ちることと似ている、と誰かは言った。でも実際はまるで違う。死という現象には、意識が消滅していくという自覚を伴う。その喪失感は、完全にひとりぼっちの感覚と言ったら……何度感じても慣れない。

 ――師匠は世界に抵抗できる、と言っていた。

 それはいつだよって思った。今じゃないのかよって強く思った。弟子がこんなにも苦しい思いをしているのに、師匠はまるで助けてくれる気配がない。俺は憎まれてない。憎まれているはずがない! 俺に『修行』をする時、師匠が操られたかのように別人へとなってしまうのはわかってる。でも……けれど……。

そうして何度も死を繰り返し、俺は気づいたら、景色すべてが白の空間にいた。頭がおかしくなったのだろう、俺は地面を拳で殴る。俺一人が万苦しんで世界全体が救われるのなら、そうすべきだ。逃げたいって思うのは俺のわがままだ。わかってる、割り切れてる。でも……。

「あああああああああ!」

 俺のいる世界はおかしい。相変わらず、『黒』は世界を侵略している。住人は逃げることはせず、自分の住処で死ぬことを選ぶ。そんなの幸せじゃないって俺は思ってしまう。

 俺は認めたくない。自分の信じる信仰のため、死んでしまうことを、幸せだなんて。

「あの……大丈……夫?」

 声がする。女の子の声。誰かがいたことに驚き、俺はすぐに声の聞こえた方を振り向いた。目の前にいたのは、俺とおんなじくらいの年の女の子だった。神秘的で神様みたいな白銀の髪の女の子。その超俗的な容姿に、しばし目を奪われる。……どこかで見たことがある気がする。いやいや、と思い、俺は彼女に声をかける。

「あ、あの」

「ひっ」

 両手で顔を隠された。

「な、なんだ……?」と俺が動揺すると、彼女は「隠れました、私は見えません」と宣言した。変な子なのかな?

 真面目に考えてみる。なんで顔を隠したのだろう? 別に俺の姿は普通はずだ。着眼点が違うのかもしれない。もしかして俺が今臭いのかもしれない……とか(まさかな)。死ぬとだいたい体は綺麗になっている。自分が臭いはずがないと思いながら、自分の臭いを嗅いでいると、「……獣みたい」と感想が返ってきた。ありがとう。俺はなぜだがちょっぴり傷ついた。

「……」

「……」

 混着状態が続いている。まずは警戒されている状態を解くべきだろう。俺は脳内でシミュレーションを始める。「俺は変な人じゃないです」と説明するのはどうだろうか? しかし、これでは完全に変な人だった。不審者が不審者でないことを説明できない。悪魔の証明。

「穴があったら入りたい……」

 つい小声でぼやいてしまう。すると、不思議なことが起きた。瞬きする間に、俺は白い地面に埋まっていた。なんだか地面がグネグネしている。女の子が慌てたように言う。

「ご、ごめん! それ私のせいだ……」

「どうなってるんだ、これ」

 脱出しようともがいてみる。もがくと地面も一緒になってグネグネと動く。結果として、俺と地面が一緒になって踊っている愉快な光景を作り出してしまった。

「ふふふ、なんだかかわいい」

「……」

「あ、ごめん! 今すぐ出すね」

 彼女は楽しげにそう言った。楽しくなってんじゃねーよって思う。……さっきはあんなに緊張してたくせに。俺は彼女の助けを借りて地面から脱出した。

「俺、人生において、地面から産まれるって経験をできるとは思わなかったな」

「地面の中はどうだった?」

「どうって……結構よかったよ」

 なにがよかったんだ?

「ごめんね。私、この世界では自分の頭の中で想像したことが現実に反映させちゃう力があるの……。びっくりしたよね」

「まあ、そうだな。突然世界に抱きしめられたのかと思ってびっくりしちゃったよ」

「地面に埋まっただけだよ?」

「冗談にまともな返事をするのはやめてくれ!」

 俺が悲鳴のような声を上げると、彼女は楽しそうに笑った。一時はどうなるかと思ったが、徐々に打ち解けられている気がした。

「でも変なの。『穴があったら入りたい』って。すっごく恥ずかしがり屋さんなんだね」

「そういうことわざがあるんだよ! 実際に恥ずかしがる度に穴に入ってたら生きてけないよ」

「ふうん。願い事かと思って叶えてあげただけなのにな。神様みたいに」

「ありがとう神様。でも世界全体を幸せにしてくれって願っても叶えてくれないんだろう?」

「神様なんてそんなもんだよ」

「確かに」

 彼女は最初、沈鬱な空気を纏っているかのように見えた。冷酷、物静か。良く言えば超常的で近寄りがたい存在。でも、今の彼女は明るくてキラキラとして見える。人との会話をするのがたまらなく楽しいという気配が伝わってくる。

「なあ、ここがどんなところなのかとか、君がどんな人なのかとか、いろいろ聞きたい。いいかな?」

「うん! うんうん! 私も話したい! ゆっくり話したいから、場所を移さない?」

 彼女は白い部屋のどこかを指さす。指さす方向には、ぼんやりと扉のような輪郭が見えた。

 俺は頷こうとする。しかし、眩暈がして頭を押さえた。やけに……眠い。眠たいのに、自分が覚醒へと向かう矛盾を感じる。俺はゆっくりと意識を失う。

 ◇

 夢を見ている。夢。夢から覚めるには、覚醒して現実を受け入れる必要がある。俺はたびたび夢を見てきた。目が覚めれば、記憶の一部が蘇り、『覚醒』に近づいていくのを感じていた。おそらく、夢で自分の記憶を繰り返し見ていて、目が覚めたら一部の記憶を現実に持ち越せるのだろう。……そして、今回の夢はひときわ特別なものなのだと直感している。

俺の視界には、白一色の世界が映っていた。その世界の中心にとても綺麗な女の子が佇んでいる。絹のような白銀の髪。神秘的な光を宿す銀色の目。年は俺と同じくらいの、十六・十七程度見える。華奢でいまにも消えそうな雰囲気の彼女。しかし、彼女の放つ神秘的なオーラが、超俗的な不思議な存在感を醸し出している。

 ――それは俺にとっての運命の子だ。

 体に切り刻まれた確信が、自身にそう囁く。この子はきっと、『魔王』の手がかりだ。夢の世界では自分は万能で、すべての情報に手綱を付けることができた。彼女のことはほとんどすべてわかった。彼女が不死となったのは、もうずいぶんも昔のことだった。ずっと一人でこの世界に存在し続けている。彼女の母は彼女の目の前で消えてしまっていた。とても安らかな顔をして、消えてしまった。

 ――いったいどうして?

 でも、さすがにそこまでは俺にはわからなかった。俺は彼女の知っていることまでしか知れないのだ。例えば、この白く永遠に続く部屋のことはわからなかった。どうしてこんなにも扉が多いのかも、はっきりしなかった。扉をいくつ抜けても、まったく同じような部屋に辿り着くということがわかっていた。それはまるで、均等に存在するゲーム盤のマス目を移動しているかのような事象によく似ていた。

 ――この世界で、彼女はまるで神様だった。

 彼女が望めば、すぐさま足元に椅子が現れる。花咲く光景を脳裏に浮かべれば、たちまち世界には花弁が舞い落ちる。腹が減ることも、眠ることも、少女のような体が成長することもない。天使のように麗しく、儚く漂うようなその姿は永遠性を確立している。

 少女には感情がなかった。退屈も寂しいもなかった。人間らしさが欠乏してしまっている。彼女の母が消えてしまってから、何年も生き続けたことによって。

 皮肉にも、人間性の欠如は、ますます彼女の神様らしさを確立させている。 俺が彼女を見ていると、彼女は突然、その白く透き通った肌に、強く爪を突き立てた。そのまま旋律でも奏でるかのように肌をなぞれば、皮膚はぱっくりと割れ、真紅の鮮血が零れ落ちた。

 しかし、次の瞬間には、時を戻すかのように傷口が閉じていく。零れ落ちた血液は、赤い霧へと姿を変えた後に霧散し、彼女が付けた傷など、最初から存在しなかったかのようだった。

 わずかに残っていた、赤くはれたみみず腫れは、微かな抵抗のようにも見える。けれども、ぷつんと糸が切れたように、腫れた後は消えてしまった。

 永久不変が続くこの世界。

 俺には今彼女がなにを考えているかが手に取るようにわかった。

 何のためにここにいるんだろうって彼女は静かにそう思ったのだ。その考えはまるで人間みたいだった。それが、彼女にとってのきっかけだった。人間になってみる、というのは面白いのではないか? という試案の。神様のように完璧な存在の彼女。どんな創造だって願えば叶う。人間になることは容易かった。

「私は人間になる」と彼女は言った。

 ――チェス盤の白いマス目だけが続く、永久不変のこの世界。

 ただ一つだけで佇むクイーンは、どこにでも行けるが、どこに行っても見える景色は変わらない。

 彼女は知らない。

 彼女は一万年もの間生きていた。

 彼女は昔のことを思い出せなかった。

 なぜ存在し続けているのかもわからなかった。

 だがそれは矛盾だった。彼女の力はまさしく神様そのもので、その力を使えば記憶の問題など、どうにでもできるはずだからだ。

 ――白一色のチェス盤にいるクイーンはどこにでもゆける。

 この白一色の世界に存在する彼女は、どんなことだってできる。なのに一万年もの間、彼女が同じことを考え、同じことを実行しなかったのはなぜか。

 ――白一色のチェス盤に居座るクイーンはどこにだってゆける。

 チェス盤に鎮座する万能のクイーン。けれど、どこに行こうとも、見える景色は一切変わりはしない。同じ景色を繰り返し見たとしても、白のクイーンは気づけない。例え彼女が人間になって、感情が孤独に耐えられなくなって、発狂して記憶を削除してしまって、それが繰り返されているとしても。

 彼女は永久の時を過ごし続ける。永久不変に繰り返し続ける。

 彼女が発狂を繰り返して、植物人間のようになるループは終わることがない。

 ――誰かが介入しない限り。

 ◇

「大丈夫?」

 声がした。俺は長い夢を見ていた気がする。だが彼女の立っている位置やその他の状況などを見渡して、数秒しか意識を失っていなかったことになんとか気づいた。

「ああ、大丈夫。扉まで移動しようか」

 扉まで移動する間、少し彼女と話をした。彼女から聞かされるこの世界のことは、不思議と聞き覚えのあることだった。この『白無限の世界』には無限の白い部屋がある。一つ一つが広大で、四隅に扉がある。それを通って、別の部屋に行く。すると、大抵は彼女が『創造』した部屋に辿り着く。その部屋ではありとあらゆることが起きうり、自然法則すら無視されていることがある。そんな感じに。

 自分の話もした。自分の記憶が一部欠けていること。世界の『淵』の先になにも存在していないのが不自然だということ。それを誰も気にしていないことが不思議でたまらないということ。精霊と勇者に関する信仰が世界で廻っていること。……そして、魔王のことは詳しく話さなかった。「勇者が世界を救う」、程度にぼかした。

 扉を開けたその先は、大輪のひまわりが咲き誇る、とても綺麗な場所だった。天から降り注ぐ陽光を、ひまわり達が鮮やかに反射している。そしてひまわり達に囲まれた場所に、小規模な茶会場がある。天蓋に覆われた白い茶会場は、周りのひまわりの存在も相まって、まるでおとぎ話かなにかで出てきそうな雰囲気を醸し出している。この世界にあるものすべては彼女の創造物らしい。「……どう?」と遠慮がちに彼女は聞いてくる。俺は思わず圧倒された。

「綺麗だ」

「ん? なんて?」

「すごく綺麗だよ」

 彼女はとても気分がよくなったようだった。

「ふ、ふーん。よかったね。見れてラッキーじゃん」

「うん、ありがとな」

 彼女の頬が朱に染まる。なんでも彼女は、ずっと人間と話していなかったのだという。久しぶりのコミュニケーションで距離の取り方を計りかねているのだろう。彼女は上ずった声を上げながら、俺の肩をぺちんと叩いた。

「て、照れるわいっ」

「え?」

「あっ、その、えっと…………照れてしまいます」

「……そうなんだ」

 変なテンションになってしまった彼女は、変な行動をしてしまった。そして落ち込んだ。そんな彼女をみて、思わず笑ってしまう。

「ぬ、なによー」

「いや、おかしくてさ」

「……誰かさんが地面と一緒に踊ってる方がおかしかったよ! ワカメか何かなのかと、勘違いしそうになっちゃったもん」

「あれは……ちょっと地面の中に埋まっちゃってテンションが上がっちゃっただけだ! 決して踊ったわけじゃない。体で喜びを表現したんだ」

 自分でもよくわからないことを言っていると思う。でも実際……地面の中に埋まって、頭だけでてたら楽しそうじゃないか? 砂浜で埋まることに夢見る人はいるはずだ。

「えー、楽しかったのー?」

「めちゃくちゃ楽しかったよ」

「うっそだー?」

「嘘じゃない」

「うそでしょ?」

 噓だった。

「まぬけさんだね」

 クスクスと笑う彼女に、俺は白旗を上げた。

「あー! わかったよ! もういいから早く座ろうぜ。もう二度と地面に突き刺さらないって誓うからさ」

 とんでもない誓いを立てた俺は、例の白い茶会場を指さす。

「ほんとー? 約束だよ?」

「誰が好き好んで地面に刺さるかよ」

「生きてればたまには大根になりたくなることだってあるかもしれないよ?」

「なんじゃそれ」

 俺たちは大輪のひまわりの中を進む。花弁が舞い、黄色に染まった陽光を柔らかに反射する。決して命尽きることのないひまわり達。これらは彼女が創造したものだという。花弁は削られたその瞬間から再生を始める。それは呪いか祝福か。彼女が存在するこの世界は、基本的にすべてのものが永遠のものになっているらしい。「なんだか夢みたい」と彼女は言った。

「私、すごく久しぶりに人と喋るの。ずっと一人だったから。……なんでお母さんはこの世界で私を一人にしたんだろう。なんでお母さんは、私を神様みたいだっていつも褒めたんだろう。ずっと、創造を試行してねって、言われてた」

「……」

 彼女の声はひどく透き通っている。綺麗なひまわり畑で、陽光を浴びる彼女は、それこそ神話の中の女神のようだ。綺麗な世界にただ一人で存在する彼女の姿は、箱庭の世界における捧げものみたいに見えた。

「ごめんね! いきなりこんな話」

「センチメンタルにもなるさ。ずっと一人でいたら。人は欠乏が満たされた瞬間、余分にそれを得ておきたくなるものさ。俺もお腹が減りすぎた時に、めちゃくちゃキャベツを食べて、師匠に青虫みたいだってかわいがられたよ」

「君ってかわいいよね」

「青虫みたいで?」

「ふふふ。綺麗なチョウチョになってくれそう」

 まもなくして、私と彼は白い茶会場に到着する。両者座り、佇まいを正した。

「……」

「……」

「あの」

「あの」

 二人同時に声を出し、黙る。……なんだこの状況は。

「いいところだな。すごく神秘的だ」

「うん、そうだね」

「おまけに君も。なんていうか、すごい神々しいというか。綺麗というか。素敵だ?」

「どうも?」

「いや、ごめん。俺馬鹿だからさ。なにもわからないし、なにも気づけないんだけど、なんていうか」

「……?」

 俺は頭をぽりぽりと掻いたあと、真面目腐った顔で彼女に言った。

「俺、君を楽しませたいんだけど、女の子との喋り方がわからないんだ」

「なんだか犬みたいな男の子だなあ」

「……がるる」

「あはは、怒んないで怒んないで。私は十分楽しいよ?」

「嘘だあ」

 俺が困っていると、彼女は明るく笑った。まあ、彼女が楽しんでいるのならそれでいいのかもしれない。

「と、とりあえずだな、自己紹介から始めようぜ……」

「うん。じゃあ私からするね。私は『創造柱』イルフィア・ガーデン。この『白無限の世界』の主よ」

「他の人たちは?」

「昔、私のお母さんがいたくらいで他に人間はいないかな」

「……やっぱりずっと一人だったのか?」

「うん。……そうだね。でも慣れたから、大丈夫だよ」

 胸騒ぎがする。俺にはなにもわからない。でも、超感覚がなにかを囁いている。彼女の苦しさや孤独感、胸に押し込め続けた、吐き出したくなる感情。「えらいんだな」と相槌を打って、話を続ける。

「俺は『勇者』だ。世界を旅して、魔王を探してる」

「……君の名前はなんていうの?」

「名前? どういうこと?」

「いや、ごめんね。続けて」

「それでいろいろ探し回っているうちにこの世界に来たんだ。どうやって来たかは……記憶にない」

「なんで魔王を探してるの?」

「なんでって……魔王は悪い奴なんだぜ? あいつのせいで世界が滅びるんだ。だから、殺さなきゃ」

「世界? 滅びるって? 一体どういうこと?」

 彼女に俺の世界のことを話した。世界が『黒』に呑み込まれて、滅亡の危機にあることや、世界に蔓延る信仰のこと。勢いあまって個人的なことまで話してしまった。師匠の異変や、世界の抵抗のことまで。でも、俺が魔王かもしれないということまでは話さなかった。死に場所を求めているだなんて、さすがに言えない。

「俺は確信しているんだ。この世界にはなにかある。……ここに来てから、益々俺の力が増した。魔王を倒すヒントが、ここにあるはずなんだ」

「なんでそこまで魔王に執着するの?」

「なんでって、それは」

 世界の中心に存在する魔王を殺せば、世界は救われる。魔王がいるから、あんなふうに村人たちは死んだ。子供たちも死んだ。俺は歪な信仰を受け入れられない。でも、元凶が断てるなら、歪な信仰が世界で廻っていても、なんの問題もないのだ。

 彼女は衰弱者を労わるような表情で言った。

「全部投げ捨てて、この世界にずっといればいいよ。ここは安全だから」

「そんなことできやしないさ」

 必ずやり遂げなければならないのだ。それが俺の役割で、そのための『勇者』だ。俺は世界に望まれている。なにを投げ出すことになって、『魔王』だけは討たなくてはならない。

 自分を蝕むような悪寒に襲われながら、俺は必死に自らの熱を呼び起こす。

 俺は死んでも魔王を滅ぼす。悲壮な決意で誓い続ける。

「その……魔王にもなにか事情があるのかも」

「はっ! 事情なんて知ったことじゃないね」

 恨みを込めて、怒りを込めて、俺は怒鳴るように言う。

「たくさんの人が魔王のせいで死ぬんだ、死んだんだ! 世界を滅ぼす? いったい何の権利があってそんなことするんだよ! ……魔王は、絶対に討たなきゃいけない敵だ。例え、俺の命に代えたとしても」

 例え道連れだとしても。それは魂の内で唱え続けてきた自己洗脳だ。迷いはなかった。淀みはなかった。俺は魔王を討つために生まれてきた。それだけが、俺の使命だった。なんでこんな熱くなってるのか、きっと彼女にはわからない。そう思うと少しだけ寂しい気持ちになった。

「……きっと君ならできるよ。でも、そのあと幸せになってね。魔王を倒して終わり、なんてやめてね」

「……優しいんだな」

「だって、君の顔、復讐者みたいだもん。全部終わってもいいって顔してる」

「……」

「『人は幸せになるために思考する』。昔から言われている言葉でしょ? 執念や決意を燃やすのはいいよ。でも、そうやって自分を奮い立たせるのは、最後には幸せになりたいからじゃないの?」

 痛いところを突かれた、そんな気分だった。実際、今の自分の生き方が人として正しいかと言われれば、そうではないと感じている。人は誰しも、幸せを望みながら生きている。目的を持つのも、幸せのためだと置き換えられる。……でも、俺は思考を抑えつけた。自分が幸せになりたいなんて感情、持ってはいけない気がした。俺は世界中から期待されているから。自分の全てを捨て去る覚悟で動かなければ、死んでいった者たちに申し訳が立たないから。

 彼女が言った。「魔王はこの世界のどこにもいないよ」と。

 魔王なんてこの世界にはいない。魔王なんてどこにもいないんだよ。

 繰り返される彼女の言葉は――俺にはよく理解できない。

 俺の方を見て、彼女は悲しそうに笑った。話を変えるね、と彼女は言った。

「そういえばね、君の力が増しているっていうことについて考えたんだけど……君は自分の力の根源について知ってる?」

「いや、よくわかってないんだ」

「教えてあげる。君は人神のことはわかる?」

「あー名前だけは? 俺の住んでる城に四つの柱があるんだけど、そこに『人神』って刻まれてたな」

「なるほどね。ともかく、『人神』は古代の勇者というべき存在かな? 彼が人の心を説き、その精神から精霊という概念を発生させたの。その精霊という概念が、君の力の根源になっているわ」

「なんとなくわかるよ。俺の世界では、精霊は信仰対象で、勇者は精霊の寵愛を受けているって話だった」

「どっちかというと、君が精霊から信仰を受けているって感じだよ。君は精霊に切望されてこの世に存在しているんだ」

「……どういうことだ?」

「えっと……精霊の元は人の魂なんだけど、死んでしまって一つのことを信仰する存在に昇華しているの。その祈り先が君。例えば、君は炎を灯す大きなゴブレット。精霊は小さな灯で、君にゆっくりと寄り添いながら炎を大きくしている感じ。伝わる?」

「……まんま同じのイメージが、頭の中に描かれるよ。いや、待ってくれ、じゃあそれって」

「……」

 胸がバクバクと鼓動する。記憶を取り戻すだけで力を取り戻せるのは、どこか不自然だとは思っていた。目の前が暗くなるような気分に襲われながら、俺は固く目を瞑る。

「……死んだ人間は精霊になる。そして精霊が俺の力の源なら、人が死ねば死ぬほど俺は強くなるってことか?」

「……そういうことになるね」

 彼女が心配そうな顔をしている。自分でも余裕が無くなっていくのがわかった。

つまりは、世界が『淵』に侵食されると、死者が増える。死者が増えると、力が蓄えられる。力と記憶は結びついていて、記憶を取り戻すとより世界は滅亡の速度を上げる。

時間経過の侵食、死者の増加、力の取得、記憶、そして再び侵食速度が増加する、という順番。完璧な方程式だった。俺のせいで世界はますます終焉へと向かっているのだ。

「これは俺の予想なんだけど、聞いてくれるか?」

「うん」

「……魔王を倒す条件ってさ、ひょっとしたら俺以外のすべての人間が死んでしまうことなんじゃないか? それでゴブレットの炎は満たされて、魔王を打倒するに足る力になる。そんなことってないよな?」

 きっと俺はひどい表情をしていたのだろう。、彼女は「大丈夫だよ」と優しく言った。

「一定の数の精霊の力が集まると、力がドーン! って跳ね上がるわけじゃないよ。一つにつき、少しずつ力は増す。だから君が、魔王を打倒するに足る力を得たと思ったら魔王に挑んでいいんだよ」

「……わかった」

 今すぐにでも動かなくては、と思った。俺は一秒たりとも、のうのうと生きてはならないと思った。だって、今も俺の力は増している。世界のどこかで、今も誰かが死んでいる。

「俺、もう行かなきゃ」

「え?」

「今も力が増しているんだ。――今も人が死んでるんだ。一秒たりとも無駄にできない。だから、行かなきゃ」

「無理だよ」

「……え?」

「ここからは出れない。君は……でれるかもしれない。けど、今はその方法は思いつかない。たぶん、私じゃ無理だ」

「どういうこと?」

「私、この世界にずっと一人で閉じ込められてるの。私はここでは全能に近いけど、ここから出ることはできないの」

「……そうなのか」

 彼女の声音から恐怖や寂寥感を感じて、少しだけ冷静になった。彼女の心の声が聞こえるようだった。一人になりたくない、寂しい、って。ずっと一人でいるのは、もう無理だって。

 彼女一人のために、世界を見捨てるわけにはいかない。でも……

「ごめんな。俺、ちょっと焦った。どちらにせよ。今はまだ力が足りない。自分でこの世界から抜け出す方法を探すよ。だからさ」

 俺は彼女に手を差し出す。

「その間、俺と一緒にいてくれないか?」

 果たして彼女は、うしろめたそうに目をそらしながら俺の手を取った。別にいいんだよ、って伝えてあげたいけれど、それは彼女の罪悪感を煽るだけだろう。代わりに、彼女てのひらを僅かに握りしめる。――俺はここにいる。

 俺になにができるかわからない。ずっと一緒にいることはできない。でも一緒にいる間は、彼女のことを助けてやりたい。俺は君と、ここにいる。

 ◆

 1.勇者は滅亡を止めるために魔王を探している

 2.魔王は世界の中心にいる

 3.勇者が覚醒に至れば魔王を倒すことができる。

【4】.勇者は世界の真実を知らなくてはならない

 5.勇者が世界について知れば知るほど世界は終焉に近づいていく

 6.人が死ねば死ぬほど、勇者の力が増す。

 ◆

 あれから一か月、彼女と過ごした。

 力は益々増している。不気味なぐらいに。力は内側から溢れるようにして増大していくのがわかった。かつて、この感覚に恐怖したのは、本能的に死者の魂が俺を強くしているのを感じ取ったせいなのだろう。力が増すにつれて、体は熱を帯びていった。俺の体に、収まりきらないほど、炎が注がれているかのようだった。この世界に来て、力は二倍以上増していた。

 ……ひどく体調が悪い。

「なあ、イルフィア。次はどこにいくんだ?」

「ん? んーとね。どうしようか」

 彼女と旅する世界は、無限のスペースがあった。一つの部屋ごとに、彼女の創造した世界観が部屋に広がっており、部屋の四つの端にはそれぞれ扉がある。その扉を開けば、次の部屋に移動することができる。目的はあったが、あてのない旅路だった。俺は修行僧のような気持ちで旅をする予定だった。でも、彼女との旅が楽しくなかったと言えば噓になる。

 建造物もなにもかも、お菓子で作られた世界。

 綺麗な雪が舞い落ちながらも、なぜか気温は暖かな不思議な世界。

 凍った砂漠が見られる、自然法則を無視した超越世界。

 俺たちが旅してきた世界は、彼女が頭の中で考えたファンタジーな世界で、魅力的だった。楽しんでしまうことに、幸せを感じてしまうことに、罪悪感がある。自分の気持ちを抑えつけようとするけれど、彼女といるとつい笑ってしまう。かなわないなあ、という気持ちになる。

「なあイルフィア。俺さ」

「なあに?」

「元の世界にいたとき、たまに思ってたんだ。『全部夢みたいだ』って」

「うん」

「なんだろう。不思議なんだけど、イルフィアといる時は現実味があるんだ。元の世界では、自分の体が嘘っぽくて、炎の温度を不自然に感じて、体に流れる血に重さを感じなくて。なんでなんだろう。俺、初めて同じ人間に会えたような、そんな気持ちなんだ」

「へんなのー。まあ、私たちって運命的な出会いをしたからじゃない?」

 なんだか頭がぼんやりした。彼女の笑顔は神々しくて、されど無邪気なかわいらしさもあって。いたずらっぽく笑うその表情に心奪われた。こんなにも誰かと一緒にいて安心したのは、初めてかもしれない。

 ……ひどく体が熱い。

 うまく思考がまとまらない。彼女のことを考えているか、なんなのか。……いや、違う。ふっ、と全身から力が抜けて、思わず膝をついた。自分の荒い息遣いが聞こえる。わざとらしいくらいに吐き出される呼吸音は、なんだか他人のものみたいに感じる。

「だ、大丈夫?」

「……ああ、大丈夫……大丈夫さ」

 どこか体が悪ければ、勝手に回復するはずなのに、熱は益々増していく。激しく咳き込む。熱いのに寒い。気持ち悪い。俺の中でなにかが暴れている。立ち上がろうとするも、バランスを崩してもんどりうちそうになる。

 ――彼女がてのひらを合わせ、祈る。

 文字通り、世界が根底から塗り替えられた。物寂しかった白の世界は、暖かな気候を持った。俺はベッドの上に横たわっていた。彼女が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。お姫様が寝ていそうな豪奢な天蓋。キラキラと吊るされた小さなシャンデリアに、かわいらしい白馬の模型がついている。俺は分厚い布団に包まれていて……最初にこの世界に来た時、地面に埋まった時のことを思い出した。しかし、熱に苦しんでいる状況で、この布団はあまりにも分厚い。

「あ、あつい……」

「はい!」

 布団が消え失せる。同時にひんやりとした心地よい冷気が周囲に広がった。

「の、のどが……」

「はい!」

 哺乳瓶が宙に現れ、口元に突っ込まれる。喉に水が通っていく感触がある。

 やれやれ、俺は赤ちゃんではないんだがな。なんてことを思う。

「し、死ぬ前に……」

「!? う、うん!」

「馬がタップダンスをしている光景がみたい……」

 馬が現れて愉快なタップダンスを踊りだす。……便利すぎやしないか、彼女の能力は。いったいどこまでのことができるんだろう?

「死ぬ前に……百一匹の犬たちがフラフープを腰で回しながら、右手でけん玉を、左手でソロバンを弾き、飛び交う手裏剣をかわす姿が……みたい」

「ねえ」

「はい」

「もしかして、ふざけてる?」

「ごめんなさい」

 彼女が冷たい視線を向けてくる。ははは、と俺は笑った。

「俺は元気だよ」

「やせ我慢でしょ。わかるよ、長い間一緒にいたし」

「なにもかもお見通しってわけか」

「まあ……あと君って答えたくないこととかを誤魔化そうとする時、首元を触る癖があるよね」

「……まじか」

 知らなかった。

「どう……? 治りそう?」

「ああ、こんなのへっちゃらだよ」

「首に手」

「ああ……これは裏をかこうとしただけなんだ」

「はいはい。全部正直に言ってね。私が助けてあげるから」

 なんだか申し訳ない気持ちになる。でも、彼女には頼っていい気がした。彼女なら優しく受け止めてくれる、と思った。……気持ちが弱っているから、甘えているのだろうか?

「実は……さっきからずっと体が熱いんだ。それで、イルフィアが周囲の空気をひんやりしたものに変えてくれたのはわかったんだけど……実感がないんだ。空気がひんやりしたのは頭では理解したんだけど、現実には影響してない、みたいな」

「……冗談、じゃないみたいだね」

「……それと、水も体に届いてない。この世界で食べたものは、栄養になってなかったんだ。味はしたんだけど」

 なんで餓死していないのかは、よくわからない。この世界が特別な世界だから、としか説明のしようがない。ずきり、と頭が痛む。熱のせいで、激しい頭痛がする。体は燃えるようなのに、寒くて寒くてたまらない。熱が抜けていっているせいで、体の芯にあった熱がどこかに行ってしまったみたいだった。

 視界が点滅する。自分の脳みそだけ、ゆっくりと蛇がとぐろを巻いている上を移動している気分だ。嫌な浮遊感。いつ落ちるかわからない恐怖が、延々と続いている。

「イル……フィア」

 俺は彼女を呼ぶ。彼女がしっかりと俺の手を握っていく。同時に気づいた。足の爪先の感覚がすっかりなくなっている。すっぱりと切り取られてしまったみたいに。それがじわりじわりと広がっていくのを感じた。たぶん……おそらくこれは……徐々に体の感覚が失われていくのだと思う。俺はなにかを言おうとしたんだと思う。でも、何も言えずに気絶した。次に気づいた時には俺の周囲に、俺を治療しようとした形跡のようなものが広がっていた。体を温めたり冷やそうとしたり、いろいろ試したんだなって思った。

「イルフィア……どれくらい時間、経った?」

「……三日ぐらいだよ」

 彼女の目元は腫れていたが、一瞬でそれは元通りになった。最初、彼女の目元が泣き腫れていたのは見間違えかと思ったぐらいだ。だが違う。彼女が『創造』で自分の顔を治したのだ。俺に心配をかけないように。

「もう、目覚めないかと思った」

「大丈夫さ。勇者はいつだって目覚める。物語ではそう相場が決まってるだろう?」

 とはいえ、かなりまずい状況だ。膝下の感覚はゼロ打。おまけに音がくぐもって聞こえる。

 体を蝕む熱も、焼け付くような渇きも、尋常ではない。

 ――このままでは死んでしまうだろう。

 俺は熱に浮かされたまま思考を続ける。そうか、死ぬ、死ぬのか。死んでしまうのかって。今になって、死ぬという概念に改めて気づく。そう――俺は死ねば城へと戻る。死ねばこの世界から脱出できる可能性は、極めて高いのだ。なぜ試さなかった? 今も世界のどこかで、誰かが死んでいるのに? 忘れていた? 違う。考えないようにしていたのだ。なにもわからないって思考に蓋をした。……俺は死にたくなかった。

 甘えか? 決意が足りないのか?

 自分なんていくら削れてもいいって誓った。それで世界が救われるならば、と。

 魔王よくたばれ、と魂の底から憎み続けた。

 …………。

 声が、漏れる。

「ごめん、ごめん、ごめんな……さい」

 なにが世界を救いたいだ。なにが『勇者』だ。結局我が身がかわいかったのだ。死んでもいいといいながら、自殺を試みなかったのがその証拠だ。

「俺は……ほんとうに……ごめん……ごめんなさい……」

 こんなこと、気づきたくなかった。

 涙が頬を伝っている。こんな時でも、俺は死を目の前にして恐怖していた。じっくりと体の自由は奪われていく。音は聞こえにくくなっていく。視界は僅かに閉じていく。

 彼女が俺の膝に手を当てるが――感覚がない。もうそこまで進行しているのだ。心配そうに彼女が俺を呼ぶ。その声がどんどんかすれていくのがわかって、俺は恐慌状態に陥りかける。

「はあ、はぁ……はあ……!」

「ねえ……ねえ……大丈……夫?」

「……大丈夫。大丈夫さ」

 彼女が俺の目元の涙を指先で掬う。その仕草から、俺はぽかぽかしたなにかを見つけた気がした。体の片隅に残った熱の余韻。彼女は確かに俺を救おうとしてくれている。だから、せめてって思う。俺はできる限り穏やかな声で彼女に言った。同時に、左目が見えなくなった。

「俺、死ぬかもしれない」

「……え?」

「ごめん。もう少し、イルフィアと一緒にいたかった」

 左手がもう、持ち上がらない。これは罰なのかもしれない。楽しんだ罰。世界で誰かが死んでいるのに、俺は彼女と一緒にいることを楽しんだ。だからせめて苦しんで死ねと、世界が俺に言っているのかもしれない。そして戦えと言いたいんだろう。魔王を討て。世界を救え。

「や、やだ……」

「……ごめん」

「やだ……やだよ……せっかく、一人じゃなくなったのに……」

 俺を治療しようとした形跡。ベッドの周囲には様々な食糧があった。俺の着ている赤い服もいくつも転がっていた。イルフィアの服も。たぶん、この世界で『創造』されたものは俺に直接作用しない。特に、体内には影響を与えないのだと思う。俺に影響できるのは、俺が身に纏っている服と、俺の手足といった自分自身だけだ。それと……イルフィア自身も俺に影響できる。手を握った時に、そう感じた。

両足の感覚がない。音が聞こえにくい。片目が見えない。左手の感覚がない。じっくりと蝕むように病魔が侵攻していく。でも神様が気を利かせてくれたのか、この右手だけは、右手だけはまだ感覚がある。なにも聞こえなくなっても、なにも見えなくなっても。体のほとんどが彼女存在を感じられなくなっても、きっとこの右手だけは最後の最後まで彼女の存在を教えてくれるのだろう。だってほら、今だって、彼女は壊れそうなくらいに、俺の右手を握ってくれている。だから、きっと死ぬのは怖くない。

 病魔に襲われている俺から見ても、かわいそうなぐらい彼女は震えていた。

「しんじゃ……やだよ……」

「イルフィア。厳密には俺は死なない。前に話したように、俺は死ぬと城で目が覚めるんだ。永劫の別れってわけじゃない」

「……ほんと? またここに、戻ってきてくれる?」

「それは……」

 たぶん、無理だ。超感覚がそう囁いている。体に切り刻まれた自覚がそう言っている。もうここには二度と来ることはできない。それは世界にとってのルールなのだ。理屈なんて関係なしに、そういうものだと決まっている。そう……俺は……現時点で魔王と戦えるだけの力を蓄え終えている。次に目覚めた時、俺は魔王と対決するだろう。それで……その結末は……たぶん……俺は……。

 ――世界を救うのだろう。きっと。

 俺が返答に窮しているのを見て、彼女の小さなてのひらが俺をひしと掴んだ。

 それが彼女の決意の合図だったのだろう。彼女は俺に馬乗りになる。互いに目が合う。

「イルフィア、なにをして……?」

「これは、治療だから」

「なに?」

「全部試した。創造したものすべては、あなたの内部に影響できない。皮膚の表面を僅かに冷やすだけで、体調に直接影響しない……だから」

 彼女がひしと俺に抱き着く。悪寒で震えていた身に、確かに彼女の熱が届く。

 これは治療だから、と彼女は繰り返す。その声は羞恥に震えている。

「イ、イルフィア!? なにしてるんだよ!」

「仕方ないでしょ! 生きててほしいんだもん!」

「こんなことぐらいでどうにかなるわけないだろ!」

「なるよ! 絶対……!」

 その途端、彼女の目から迷いが消えた。とはいっても、頬は染まり、動揺で息は上気している。しかし、彼女は自らの決意を果たすであろうことがわかった。まさか、と思う。

「これは、治療だから」

 ――唇を塞がれる。

 なにが起きたのか、一瞬わからなくなる。唇に彼女の感触がある。やけに彼女の顔が近い。近すぎるぐらいに。喉元に水が注がれる。それには確かな実感があった。不思議なぐらいに。

「はぁ、はぁ、はぁ」

「イルフィア、君は」

 これは治療だから、と彼女は繰り返す。先ほどの行動をもう一度行った。いったいこの水はなんなのか。体の熱がわずかに鎮静していくのを感じる。彼女の口から、俺の口へ。特別な力を持った、命の水が直接注がれていく。

 治療、治療だ。治療か。治療なら……仕方ない。これは医療行為でしかない。他の感情なんてないはずだ。けれど唇を合わせる回数と、時間が長くなるにつれて、彼女の抱擁が強くなるのはどうしてだろう? 指を絡ませて手をつないでいるのはどうしてだろう?

 ――なにか、とてもいけないことをしている気分になる。

 病魔ではなく、別の意味で死んでしまうのかってくらいに頭が熱い。せっかく彼女が治してくれているのに。そして医療行為が十回目に差し掛かろうとして……。

「イ、イルフィア! ストップ、ストップ! もうだいぶ元気になったから!」

「嘘だ!」

「嘘じゃねえって!」

 信じてくれ!

「だって、君はすぐに強がるんだもん」

「……まだ少し体はだるいよ。でも、だいぶ良くなった」

「……君は死なない?」

「ああ、死ぬことはしばらくなさそうだ」

「よかったぁ」

 彼女が安心したようにふにゃりと笑う。俺の胸にそのままふにゃりと頭を乗せる。俺は自分の心臓の音が相手に聞こえないように、微妙に彼女の頭が右の胸に乗るよう調整した。俺は努めて冷静に言う。

「なにやってるんだ、イルフィア」

「……治療行為?」

「もうしなくても自然に治るよ」

「でもした方がはやく治るかもしれないでしょ?」

「それは……そうだけど」

「なら、仕方ないでしょ?」

「仕方ない、かも」

 彼女にはかなわないという気がする。体の感覚が戻っていくのを感じる。じっくりと蝕まれるように体の感覚を失っていくのは、この世の終わりを生身に直接感じさせるみたいに感覚だった。じわり、じわりと。ゆっくりと自分の存在が無くなっていくこと。自分の命を蝋燭に見立てて、それが最後の方まで溶けていく光景を、無理やり直視させるような様。思い出すと、恐怖心が心中を支配する。不安になって、彼女の頭を抱きしめてしまう。抱きしめてしまった後、安心したせいか少し冷静になった。イルフィアが言った。

「これは、なに?」

「……治療行為?」

「マネしないでよ!」

 怒るとこそこなのか?

「いや、その……」

 優れた言い訳が思いつかない。俺は何を言えばいいんだろう?

「その……例えば突然ボールが胸に飛び込んでくるとするだろう?」

「うん」

「それでボールが来たら……やっぱりキャッチすると思うんだ。本能的に」

「私なら避けるけど」

「ほら、俺重病の身だから。動けなかったんだ」

「ふうん」

「意識がぼやけててさ。イルフィアの頭のこと、ボールだと勘違いしちゃったんだ。あはは」

「それにしては、今も君の心臓の音うるさいね?」

「!?」

「ドキドキしてるの? ねえ、どうして?」

「うっ……うっせえ! ばーかばーか!」

 俺は理屈を捨ててばーかを連呼した。彼女はいたずらっぽく俺を見つめる。気恥ずかしくて視線を逸らすと、逸らした先に彼女の顔が現れようとする。なんなんだ。

 俺の抗議の視線を感じ取ったのが、彼女が適当なことを言い始める。

「私は今、お医者さんなので。患者の表情をドクターチェックしてます」

「おい、何楽しくなってるんだよ」

「ばれた?」

 彼女が俺の胸に頭を戻す。そしてすりすりと頭をこすりつけ始める。甘えたような仕草。いったいなんなんだ、この子は。

「やめてくれ! 死んじゃうから!」

「やめてほしいんですか?」

「……やめてほしくないです」

「素直でよろしい」

 彼女には、かなわない。そんな世界を信じてた。運命がそうなっていると、そういう星の下で生まれたんだと。

 ――こんな日がずっと続けばいいのに。

 この日のことを、俺はずっと後悔している。

 なにもしなかったことを。

 できることを、もっと探さなかったことを。

 だが、何かしたところで結果が変わるわけではなかった。

 彼女は永久の時を過ごし続ける。永久不変に繰り返し続ける。

 彼女が発狂を繰り返して、植物人間のようになるループは終わることがない。

 誰かが介入しない限り。

 ◇

 体調が快復に向かってからは、歩けるようになるまで一瞬だった。念のため、一日だけ俺はベッドにずっと横たわっていた。その間、彼女はずっと俺のことを看病してくれた。感謝してもしきれない。「元気になったぞー!」と俺はベッドから跳ね起きる。冒険の再開だ。

 俺の勢いに、彼女は思わずといった感じに微笑した。そして俺の頭に手を乗せる。そしてそのまま撫でる。しかし、彼女の様子は恐る恐るといった感じだ。あの日の行為は特別で、いまだに彼女は俺に触れる時、どこまでが許されるのかを手探りで試しているふちがある。

 俺はびっくりして彼女の手を払いのけた。

「ちょっ、なにすんだよ!」

「いや、かわいいなあって思って」

「普通そういうのはこっちがいうセリフだろ……! てかなにをそんなお姉さんぶってるんだ? どうせ同い年くらいだろ?」

 俺は十七だ。彼女は俺と同い年か、外見的に一つ下の十六程度だろう。

「私お姉さんだよ? だいたい百歳は優に超えてると思うし」

「へえ、じゃあ俺は千歳だ」

「そっかあ、まあそれぐらいなら私のちょっと下ぐらいかも」

「あ~そういえば、実は俺は一万歳ぐらいだったわ」

 突然オークションが始まった。馬鹿な会話をしながら、彼女がまた俺の頭を撫でる。「一万歳ですごいねー」って。もしかしたら馬鹿にされているのかもしれない。距離が近いな、と感じる。でも近づくのはここまでだった。たぶん、お互い変に義理堅いのだろう。あの日のことは特別だった。あれは医療行為だ。それ以上の意味なんてない。最も、俺はかなり彼女を意識してしまっている。そもそも、最初から人間的に好ましく思っているし(最初にあった時はてのひらで自分の顔を隠して「自分はいない」と言っていたので変な子だとは思ったが)、容姿だって幻想的な美しさがある。というか、俺は今まで女の子と手を繋いだことがない。握手が最大だったのだ。「どう?」と俺の頭を撫でながら彼女が聞いてくる。

「別に……結構いい感じだよ」

 彼女は距離感を計ろうとしている。現在は、たぶん、達人の間合い。

 もしかして、俺は異性として見られてないのではないだろうか? 弟的な。いや、そもそも異性関係とかは俺の旅に必要ないのだけど、そんなことしている場合ではないのだけど。

 ――助けてくれ師匠!

 心の中で叫ぶ。心の中の師匠は言った。

『うじうじ悩まずに、抱きしめろ。男は、ハートだ』

 心の中の師匠はまるで役に立たない。適当言いすぎだろこの人。

イルフィアが、俺を撫でながら、小首をかしげて聞いてくる。

「結構いいの? 結構?」

「めちゃくちゃいいよ」

「めちゃくちゃ?」

 何を言わせたいんだ。

俺は空気が読めて心優しい男なので、仕方なく彼女に言ってやった。

「……ちょっと幸せだなって思う。これからも定期的にしてほしいなって……思ったり、思わなかったりする」

 この発言はリップサービス――のはずだ。

 お返しに俺も彼女の頭を撫でてやる。彼女がびくりと反応した。

 ゆっくりと俺の手首を両手で包み込み、俺の目を見てはにかんだ。

「えへへ」

 彼女の仕草は小動物みたいで、やけに庇護欲をそそる。こんなやり取り、あと何回くらいできるんだろうか? 時は刻々と進んでいる。やるべきことがある。手段も見つけてしまっている。お互い、もうわかってしまっている。俺は真剣な声で彼女を呼んだ。

「イルフィア」

「……なあに?」

「この世界から脱出したい。手助けしてくれ」

「……いいよ」

 彼女はとても儚げに笑う。じくじくと胸が痛んだ。だが、俺の抱く感情が何だろうが、俺にはすべきことがある。そう決められている。ねえ、と彼女は言う。

「……どうしてもこの世界からでたい?」

「…………そうだな。でたい」

「私が、どうしてもっていっても?」

「………………ごめん」

 彼女の抱く孤独への恐怖が、尋常ではないものだということが伝わってくる。身を切る思いで、彼女に向き直る。自然と見つめあう形となった。

「んっ」

 彼女は目を閉じて唇を突き出した。

「え、ええっ!? なんだよ急に」

「いいからはやく」

「そんなこと言われても……」

「いくじなし」

 覚悟を決めなければならないらしい。

 目を瞑る彼女に、ゆっくりと顔を近づける。

 息遣いや、心臓の音まで聞こえる気がした。

 そして、互いの距離はゼロになって……唇を押し付ける。甘く、柔らかな感触がした。

 彼女が固まった。俺はドギマギしながら、彼女を見つめる。彼女は真っ赤になっていた。

「あの」と彼女は言う。

「……」

「えっと」

「……」

「その……」

「……」

 彼女は居心地悪そうにもじもじしている。

 その間、俺はなぜか痛いぐらいに脈打つ自身の心臓の音を聞いていた。

「あのね……」

「うん」

「その、違うの。額を合わせたかっただけなの」

「――――え?」

 俺の声は木の葉の擦れ合う音よりも小さかった。頭がカッカする。湯気が出ているかもしれない。現実逃避している場合じゃない。穴があったら入りたい。

「うあああああああ――」

 俺は、耐えきれなくなってその場から逃げ出そうとした。

「あっ、待って」

 俺はダッシュで逃げようとしたが、見えない壁にぶつかって、そのままこけた。本当に厄介な世界だ。彼女の案内がないと、すぐにこういうことになる。

「ぐ、ううっ」

「……大丈夫?」

 彼女の心配そうな顔が視界に映る。いつかの看病の時のようなシーン。

「あのね、嫌だったわけじゃないよ」

「――え?」

「最初はびっくりしたけど、別に嫌な思いはしてないというか、むしろ嬉しかったというか、なんというか」

「――え?」

「その反応、わざとやってるでしょ」

「ごめんなさい」

 彼女はぷくっと頬を膨らませた。

「なんなのー」

「いや、ちょっと本気で動揺して。なんというか、嫌じゃなかったの?」

「別に……嫌じゃ、なかったよ」

「……へぇー」

 安心すると、なんだか彼女をからかいたくなる気分になった。。

 だが、彼女が先制の一言を放ってくる。

「あのね! 許可なく女の子にキスなんてしちゃダメでしょっ! 何考えてるの!」

「え? いやいやいやいや! じゃああれはなんだよ! すごい唇を尖らせてこっち向いてきたじゃんか!」

「尖らせてない!」

「目も瞑ったし!」

「瞑ってない!」

 瞑っていた。

「いやいやいや、こっちも勘違いするって! あんな状況キスしてくれっていってるようなもんじゃんか!」

「違うもん! そもそも、私は額を合わせてっていったのに、君は全然いうこときいてくれなくて……!」

「言ってないじゃん!」

「言ったもん!」

「嘘つけ!」

「……言ってないけど言ったことにしてください」

「わかりました」

「君は案外、心が広いところがあるよね」

 褒められて嬉しい。

「じゃあ、だいたいは俺が悪いってことで……許してくれるか?」

「んー仕方ないなあ」

「ありがたき幸せ」

「んっ」

「なにこの手?」

「今私、手が寒いの。暖めて」

「わーかったよ」

 彼女と握手した。そう、これは握手だ。別に意味なんてない。自然とおしゃれな音楽が流れ始めた。二人が座る用の椅子もある。月明かりが俺たちを照らす。イルフィアの仕業だ。

「なに勝手に創造してんの?」

「……えへへ」

「まあ、いいんだけどさ」

 ずっとこうしていたいなあと思った。抑えつけていた欲望が止まらなくなりそうだった。俺と彼女は、手が繋がっている。たったそれだけなのに、どうしようもないくらいの多福感に溺れそうになる。

しばらくそうやって過ごしていた。お互いなにも言わなかった。静寂を破ってしまえば、そのまま夢から覚めてしまいそうな気がした。きっと、その予感は正しい。やや重い雰囲気を募らせて、彼女が口を開いた。

「さっきは説明不足でごめんね。今の君なら、魔王に勝てるかもしれない。だから君を、この世界から脱出させようと思ったの。それで、君の記憶を覗いて、ヒントを得ようって。そのために額と額を合わせる必要があったんだ」

「……なるほどな」

 そういうことなら納得しかない。

 ――やりたくない、そんなことしたくない。

 きっとお互いそう思っていた。それでもやらなくてはならなかった。

「じゃあ、額合わせよ?」

「――わかった」

 そう言いつつも、俺は動けない。心に迷いがあるのだ。

「ねえ、君は世界を救うんでしょ?」

「……」

「やらなきゃいけないことが、あるんでしょ? 誰かに報いなきゃ、ダメなんでしょ?」

「……そう……だな」

 迷いながら、憂いながら、決意を決めて彼女を見る。泣きそうになりながら、俺は言った。

「なあ、間違えて額じゃない方をくっつけちゃかもしれないや」

「いいよ、別に」

「本当に?」

「ほんとうに」

 キスをした。今度こそ本物のキスだった。たぶん、生涯で一番幸せな時間だった。とろけてしまうような気持ちだった。これさえあれば、なにもいらないって、そう思えるくらいだった。ぼうっとした目で、お互い見つめ合う。合図もなしに、お互い同時に額を合わせた。

 ◇

 俺と彼女は一つになっている。俺たちは共にある。

 記憶を見る方法について彼女が思考を張り巡らせている。彼女が用いているのは、過去に戻る特性を持った技術だ。

 ――彼女は俺の知らない記憶すらも覗き込むことができる。

 しかし、なにかがおかしかった。俺の記憶は、いきなり城から目覚めたところからスタートする。ずっと眠っていたから。しかし、それならその直前の記憶を見られないのはありえない。そもそも彼女の力は本人の知らない過去ですら覗くことができるのだから。仕方なしに、覗ける記憶を手あたり次第彼女は覗いていく。

世界の仕組みがあまり理解できていない状態で目を覚ましたこと。勇者として目覚めたこと。メイドに慰められたこと。師匠に殺されたこと。

 自分の人生を物語としてみている気分だった。師との辛い修行、子供に励まされたこと、宗教に違和感を覚えていること。ずっと自責と違和感に包まれたまま生き続けた。一つの村が滅びる光景を目にした。繰り返される光景を見て、俺は益々決意を固めた。やっぱり俺は――死ななきゃならない。世界のために。平和のために。誰も死ななくていい世界を作るために。

 ――違うよ。彼女が優しい口調で言う。――君は悪くないよ。

 記憶の旅は読書と似ている。魔物に食われていく光景を眺めていた。生きたまま食われる苦痛。彼女が痛いほど拳を握りしめている様子が伝わってくる。彼女は俺のために本気で怒ってくれている。師匠は俺を平気で見捨てた。やるせなさ、喪失感、怒り、愛情、絶望、後悔。

 そういった感情に苛まれながら、俺は一度死んだ。でも、仕方ないよな、と思う。

 ――俺は魔王だから。

 俺がいるから、世界全体が幸せになれない。だから。

 ――違う!

 彼女が感情を込めて俺の中で叫んだ。その本気具合に、なんだか泣きそうになってしまう。世界は俺の認知によって、侵略の速度を速める。俺が知れば知るほど、世界は滅亡へと近づく。違う、と彼女は俺に言う。そして曖昧な情報を俺の頭に流し始めた。

 ――『祈りの種族』は魔に対抗するため、ただひたすらに祈った。

 どうか神様、助けてください、と。人々がある一つの炎を崇めている。炎はどんどん広がって、世界を覆いつくさんばかりになった。祈りの種族は神様を望んだ。そのために、ただ一人にひたすらエネルギーを集中させた。すべては、真に世界を創造できる神を産み出すために。

 ――ノイズが走る。誰かに邪魔されたみたいに、頭の中の情報が乱れた。無理やり現実世界に引き戻される。

 ◇

 私は、言葉を選ばなくてはならない。

彼が知ることができる情報の量は限られている。彼が知れば知るほど、世界はより早く滅亡に近づく。

 でも、一つだけ伝えたかった。

 彼の無念を、やるせさなさを、自己嫌悪を、

 せめて取り除いてやりたかった。

 こんなにも優しい少年が、魔王を殺すという昏い決意を抱いているのが、悲しくて仕方がなかった。

 こんなにも正義心に満ち溢れた男の子が、

 こんなにも他人のことで涙を流せる男の子が、

 やるさせさで心はいっぱいで、地獄の業火で焼かれているかのように苦しんでいるなんて、間違っている。

 きっと、復讐なんて肯定するべきじゃない。でも、私が彼を認めなければ、いったい誰が彼を認めるというのだろう? 

 私は彼に伝えなくてはならない。

 ◇

「イルフィア?」

「……」

「イルフィア? 大丈夫か?」

「……………」

 突然、イルフィアが思いっきり強く抱きしめてくる。動揺して、ジタバタともがいた。けれど、彼女は俺を離そうとしない。

「ちょ、ちょ、なんだよ急に」

「よしよし、よく頑張ったね」

「……え?」

「えらい、えらいよ。君は悪者なんかじゃない。君は一人じゃない」

「あ、ありがとう。ところで今してるのって、なんなんだ……?」

 彼女の目元に涙を滲んでいる。きいて、と彼女は言う。

「村が滅びたのも、子供が死んだのも、師匠が冷たいのも、君のせいじゃない。君は何も悪くないんだよ。君はすごい頑張ってる。君は本当に世界に望まれて、生まれてきたんだよ」

 ――君は、

「この世から望まれ生まれてきたんだ。君の優しさは誰かから優しくされたからなんだよ。だから、誇りに思って生きていてほしい。君を望んだ人たちも、そう切望しているんだよ」

 ――世界に仕組まれて、世界に愛されて、君は生まれてきたんだ。

 誰もかれもが君の誕生を望んで、この世界が生まれた。

 そんな君の名は、

「アギト」

「……」

「君の名はアギトだよ」

『覚醒』を意味する名。

 強く強く、抱きしめられる。まるでこれが最後であるかのように。

「ねえ、アギト?」

「どうした?」

「あなたは魔王じゃないの」

「……どうして?」

「根拠は言えないけど、それだけは信じてほしいの。あなたは悪者なんかじゃない。――魔王なんて、どこにもいないんだよ」

 アギト、アギト、と刻むように彼女は俺の名を呼ぶ。

「ねえ、アギト。私、ほんとうに、ほんとうに――」

「アギトと一緒にいられて、本当に幸せだったの――」

「私、アギトのことが――」

 ◇

 彼女が俺の目の前から消えた。俺は呆然と自分のてのひらを見つめる。あまりにも突然のことだった。突然ライトが切れたかのように、世界は暗黒に包まれた。まるですべてが反転してしまったかのようだった。

「アギト」と俺は呟く。なぜだかわからない。わからないが、俺は彼女が残してくれたこの名を、名乗らなければならない気がする。

――どろりとした空気が、体中に纏わりつく。

 景色は黒一色。それが灰色のペンキをぶちまけたかのように崩れ、歪む。なにかしらの光景が映し出される。それは誰かの思い出だった。

 ――イルフィアのものだ、と直感的に思う。

 十歳くらいの白髪の女の子が、母親と思われる女の膝に座っている。二人とも息を呑むほど美しく、女神だとか、天使だとか言われても信じられる容姿をしていた。

 二人はよく似ていた。白い肌は陶磁器のように滑らかで、処女雪のように完璧だった。流れる白髪は清涼で、風で柔らかに揺れている。触れてしまえば壊れてしまいそうなぐらい儚げで、夢の世界の住人のようだった。違いといえば、二人の表情だろう。母親は芸術家が完全な「笑顔」を作るとしたら、このような形になるだろうな、というような表情をしていた。ある種、作為的な、社交界でみられるようなものに近い。一方、イルフィアはあどけなく、天真爛漫な天使といった表情だ。純粋で、傷がない。きっとこんな子が傍にいれば、癒されるだろな、と思った。

「お母様!」

 イルフィアは母にとても懐いていたようだった。なにをするにも母と一緒にやりたがった。『創造』を習い、成功のたびに母に撫でることを命じていた。「早く私を褒めるのです!」って。

 愛情。イルフィアの母親が、確かにそういった感情を抱いているのはわかった。けれど、その感情はあまりにも希薄で実体がほとんど存在していないように見える。それでもイルフィアは喜ぶ。彼女が頑張るのは母のためで、結果を出すのは母の歓心を買うため。イルフィアの母は、ほとんどの時間は動かずに固まっているだけだ。だが、イルフィアが『創造』に成功すると動き出す。失敗すれば、時が止まったかのようにじっとしている。その様子は、はっきり言って不気味だった。

 ◇

「まるで神様みたいね」とイルフィアの母親が言った。

 その時の様子は、いつもとは違った。

「そう?」とイルフィアがはにかむ。なにも知らない天使は、ただ母を喜ばせたということだけを信じて、嬉しがっていた。

「素晴らしいわ。私のお姫様」とイルフィアの母が言う。

「王子様もいるのかなあ」とイルフィアが言った。

 イルフィアの母がほほ笑む。きっといるわよ、とイルフィアの母が言う。

 ――あなたはすべてを創造できるのだから。

 その彫像のような美しい笑顔が、いっそのこと不気味だった。それから、イルフィアはずっといろんな創造を続けていたようだった。創造、といってもそれは頭の中でなにかを描けばうまくいくというものではない。頭の中の光景がそのまま(、、、、)生み出される。

試しに俺もやってみる。椅子を頭の中で想像してみる。しかし、どことなく輪郭がぼやける。完全な再現ができないのだ。実際にやってみたらわかる。椅子を思い浮かべても、時間が経つと、どうして細かな箇所がよくわからなくなってくるのだ。

「ひたすらに試行しなさい」とイルフィアの母は言っていた。

 ひたすらに試行しなさい、と。『人は幸せになるために試行する」、とイルフィアの母は歌うように言った。イルフィアは創造の試行を、絵を描くことによって訓練していた。頭の中の光景がはっきりしているのならば、それをそのまま描くことができるはずだからだ。その絵の中にある椅子は直線で描かれない。現実にある椅子は完全な直線ではなく、極々僅かな滑らかな曲線を描いているはずだからだ。頭の中の椅子を描く時、絵の椅子の輪郭はどことなくぼんやりとしている。俺にはできない、と思った。

 何年も何年も、イルフィアは椅子の絵を描き続ける。『自分の信じる世界を信じる』ことがコツらしい。彼女のおぞましいほどの努力は、『現実の椅子』を現実に降臨させることに成功させた。彼女は達成感で満ち足りた顔をしていた。本人も苦しかっただろうに、それでも続けられたのは愛ゆえの行動だろう。母の歓心を買いたかったのだ。そしてそれは母側もわかってやったことだった。……残酷だ。イルフィアの母はずっと彼女をこうやって教育した。

 その日(、、、)が来るときまで、ずっとそうだった。その日は彼女が十七の誕生日だった。

「おめでとう」とイルフィアの母は言った。「そしてさようなら」と続ける。

 動揺するイルフィアを、彼女の母は優しく、壊れ物を扱うかのように抱きしめた。

「お母様……?」

「……」

「ねえ、どうしたの?」

「……」

「じっとしてればいいの? 何か、私の中に入り込んできて……」

 長い長い抱擁が続いた。それが終わった時、イルフィアの母は見たこともないような安らかな顔をしていた。

「ごめんなさいね、でも、ふふっふふふふ」

「……お母様? どうしたの?」

「ふふふふふふ」

「わからないけど、なにかを達成した? みたいな? 私、頑張ったよね……?」

 イルフィアはもう子供ではなかった。嫌な予感を抱えながら、縋るように自身の母に語り掛けた。イルフィアの母は幸福とか不幸ともわからない、歪んだ笑顔で答えた。

「イルフィア、あなたは今日から神様よ」

「……どういうこと?」

「あなたは私を確実に超えた『創造』の使い手になった。ただの人の身でありながら、特別な力なんて、私と同じ血くらいしかないのに。たった十七年で一万年生きた私を追い抜くなんて……天才よ」

「ええっと、ありがとう?」

「だからおめでとう、イルフィア。あなたは今日から神様よ」

 ――永遠にね。

ぼそり、と呟かれた一言に、イルフィアは触れた。

「永遠って、どういうこと?」

「これから先、ずっとってことよ」

「わかってる、わかってるよ! いい加減にしてよお母様! なんでいつもみたいに褒めてくれないの? 今日はいったい、今までとなにが違うの? お母様、いつもと変だよ……!」

「あ、ああ……ごめんさないね。ふふふ、なんというか、ふふふふ」

 イルフィアの母は突然叫んだ。

「私は今日、解放されたの!」

 イルフィアは気圧された固まっている。

 イルフィアの母は頭を搔きむしり、わけがわからないとでもいうようにあたりを見渡した。

「ああ、ごめんさない、ごめんさない。あなたを愛しているのは本当よ。本当なの。でもでもでもでも、でも! それよりも苦しかったの……。勝手? 悪い? でもそれが? 私はずっと死にたかった。消えたかった。それが私の夢だった」

「……お母様、死のうとしてるの?」

「ああ、そうね。そうかしらね。わからない。あなたのこと、本当に大切だったのかしら? おそらく、と私は思うわ。でも、でも、それよりも、ふふふふふ。あーはっはっはっはっはっ!」

 イルフィアは恐ろしい母の姿から目を背けていた。

 だが、俺は見ていた。イルフィアの母の目から、涙が零れている。

「私の代わりに、あなたは今日から神様よ! あなたはずっと永遠に生きるの! 新たな世界を創造する、神となって!」

 イルフィアの母の体が光の粒子に変換されていく。その間、イルフィアの母はずっとひきつった笑いを上げている。

「やだ、おかあさん、待って」

 イルフィアが母を掴もうとする。果たして、彼女は触れられない。つま先からてっぺんまで、イルフィアが自身の母を掴もうとした場所も光の粒子となって消えていく。

 イルフィアはその間、もがくように、母親の体に触れようと必死だった。

「やだ、やだよ。なんでこんないきなり。説明してよ!」

 光の粒子の量が増していく。イルフィアの母はもはや瞼を閉じていた。

「ダメだよ、置いていかないでよ。お母さん、おかあさん!」

 イルフィアの声が激しくなっていく光の粒子に搔き消される。光の粒子は嵐のように激しくうねり、イルフィアの周りを包んだ。光の粒子の嵐のような音だけが場を支配していた。ほとんどなにも、他の音は聞こえなかった。けれど、俺は彼女の一言を聞き取ることができた。

「一人は、嫌だよ……」

 ◇

 それから、イルフィアは何年も何年過ごした。

 母の死を乗り越えてしばらく経ってからは、楽しそうにしていた。彼女は神だ。彼女の世界ではなんだって思うがままだ。望めばすべてが叶う。どんなに美しい光景も、おいしい食べ物も。そう、自分の話相手だって創造すればいいだけだ。彼女はいろんな人間たちに囲まれていた。そこで彼女はお姫様だった。しかし、その人間たちはどことなく不自然だった。輪郭のぼやけたその人間たちは、同じような言葉しか喋らない。イルフィアが母以外の人間をあまり知らないというのもあったのだろう。どちらにせよ、創造された人間はイルフィアの考えた言葉しか喋らない。創造された人間たちは色褪せていき、やがてうっすらとした影になった。

 イルフィアは孤独だった。寂しかった。楽しい創造はとうの昔にやりつくした。

『人は幸せになるために試行する』

 なにかしていないと気が狂ってしまいそうだった。

 ◇

 三年目。

 彼女はようやく母親の死を乗り越えた。自分にできることを知り、母の遺言通り創造力を高めることにした。彼女は神として、世界を創造した。

 十年目。

 研究は順調だった。知識の探求は無限の道へと続いていく。いくら時間があっても足りない。

 だが少し、人と喋れないのが寂しかった。

 十五年目。

『人間』の創造に成功した。これで孤独から解放される。やりたいことの幅も広がった。自分以外がいるならば、その人たちが喜ぶような世界を創造しよう、と思った。

 五十年目。

 人間の創造に限界を感じてきた。気づかないフリをしてきたが、自分がしてきたのは人形遊びだと自覚してしまった。それでも、彼女は寂しかった。

 百年目。

 すべての人間が影のように薄くなってしまっていた。もはや、彼女は『人間』を創造できなくなっていた。それでも、彼女は楽しそうに影のような人間と喋る。彼女は自分自身の脳に手を加えていた。彼女は自分を騙している。認知を創造の力で歪め、偽りの幸福に浸ろうとしている。

 二百年目。

 彼女は完全無欠の存在だ。怪我をすれば一瞬で直り、眠くなることはなく、腹も減らない。常に最高のパフォーマンスに、自動的に創造されるのだ。自分自身を騙すというのは『完璧』な状態ではなかった。だから、時間が経つにつれて、彼女は自分を騙すことができなくなっていった。時間が経てば経つほど、見たくもない自分の現状について自覚してしまった。わずかな自覚の前進が、彼女を『正常』へと戻す。

 五百年目。

 終わってしまいたかった。

 消えてしまいたかった。

 死にたかった。。

 千年目。

 無。

 千一年目。

 発狂を止めることが限界だとわかった。眠ることもできない体では、どうすることもできない。彼女は自らのすべての記憶を抹消した。

 千百年目。

 記憶を失った彼女は自分の記憶が気になった。

 千百二年目。

 再び記憶を失った彼女は、植物のように過ごしていた。

 何も考えず、ぼんやりとしている。幸せも不幸もなにもない。

 だがふと思った。『人間になりたい』と。

 二千四百年目。

 彼女は記憶を消し、思い出し、植物人間となり、人間になることを繰り返した。無限の地獄だった。

 ???年目。

 もう何度繰り返したかわからない。

 ◇

 俺はイルフィアの記憶が描かれる部屋を何度も何度も通った。あまりにも悲惨で、あまりにも痛々しくて。見ていられなかった。俺には想像すらできない地獄が広がっていた。永遠に生きること、それがいったいどれほど苦しいんだろう? 生きて生きて生きて、発狂寸前まで追い詰められて。それで、自ら記憶を消してしまう。けれど、ある日ふと思ってしまう。『人間になりたい』と。記憶を消してしまっているから、まったく同じことを何度も繰り返してしまう。繰り返しだから、絶対に救いはない。このループを自力で抜け出すことは不可能だ。

俺は何度も何度も部屋を潜り抜ける。ただイルフィアがじっとしているだけの光景の部屋が、一番多かった。彼女は無限に等しい時間を苦しんでいる。

 俺は、と思う。こんなの間違ってるって強く思った。彼女ほど苦しんだのなら、絶対に幸せになるべきだって。だが、彼女を救うものはいない。母は彼女を見捨てて命を絶った。彼女自身はループに囚われ、自殺すらもできない存在だ。ならば……。

そう、誰も彼女を救わないのなら。

 決して彼女がこの先救われることがないというのならば。

 ……誰もやらないのなら、俺がやる。

 でも、どうやって? 手段を考えると、俺は泣き出したい気持ちになった。

俺は部屋を潜り続ける。

 ――終点が近い。

 ◇

 記憶の扉をすべて潜ると、最後に待ち受けるのは真っ黒な扉だった。ここが終点なのだろう。

 ――扉の向こうから、凄まじい威圧感を感じる。

 この先に、この先にイルフィアがいるんだろうか? いなかったら……きっともう、会えない。扉を開けると、細く白い道があった。俺はそれに沿って、歩みを進める。

「ローディングナウ」と呟く。

 ローディングナウ――LoadingNow――と。師匠が口ずさんでいた歌。思えば、俺はずっとなにも考えないようにしてきた。それは本能からくる行動だったのだろう。

 俺が知れば知るほど、世界は滅亡に近づいていく。だから、なにも気づかないフリをした。だから、なにも知らないフリをした。世界の真実を読み込めば読み込むほど、人は死に、俺は強くなる。『淵』は益々それに比例して進行していく。師匠は「ローディングナウ」と俺に世界のことを少しずつ読み込むように促してきた。ゆっくり、時間をかけて。

 魂に切り刻まれた事実。確信。記憶。この世界の人たちは俺のせいで苦しんでいる。それは情報の塊でしかない。本の上で並び建てられいる登場人物の苦悩と同じだ。それに同情してしまうのは、想像力と感受性が引き起こす錯覚でしかない。

 どうしてそこまで言い切れるのか? 

 ――なぜならこの世界に生きる人間たちは。

「ローディングナウ」と俺は口ずさむ。

 世界に破滅の足音が近づくと知りつつも。俺は世界を知ろうとする。イルフィアが『創造』したものはどこか輪郭がぼやけていた。それは頭の中で描いたものがそのまま現実世界に存在するからだ。思い返せば、いくつか思い当たりがある。俺を無条件に信仰してきた村の人達。『精霊』という神を信じていた、この世界の人々。それは宗教というには、あまりにも盲目的で、絶対的なルールに縛られている気がした。そして――。

「ローディングナウ」と俺は口ずさむ。

 城のメイド。とても印象的なのに、その輪郭はどこかぼんやりとしている。まるで幽霊みたいな透明感。向こうの景色が透けているように感じることもあった――。

 ――創造されたものは、どこか輪郭がぼやけている。

 自分の存在に確信が持てないことがあった。『超感覚』ですらなにも見抜けなかった。自分の顔は作り物みたいで、自分の皮膚を引っ掻いても嘘っぽい感覚に襲われた。

 ――この世界の人たちは最初から誰も生きていない。

 ――誰かに創造されて生まれてた産物に過ぎない。

 それならば、俺が世界を救う意味なんてなにもないのだ。でも、俺の足は進み続けている。

「ローディングナウ」と俺は口ずさむ。

 俺は自分のてのひらを見つめる。どこもぼやけていない。あるいはそう思いたいだけなのか。わからない。でも、今まで出会った人すべては、よく見ればどことなく輪郭がぼやけていた。さもすれば炎や、空や、大地だって。

 ――イルフィアだけが、輪郭がはっきりとしている存在だった、そんな気がする。

 輪郭がぼやけていたのは人だけじゃない。世界全てがぼやけていた。夢の中にいるような気分だった。とっくの昔にこの世界は終わってしまっていた。最初からこの世界は偽物だった。炎に温度がないなんて、嘘の現象だ。俺はゆっくりと目を閉じる。ここまで理解しているのに、なぜ俺は進み続けるのだろう? 心中は虚無と絶望でいっぱいで、足が挫けて仕方がないはずなのに。

 ――イルフィアだ。

 イルフィアだけは創造されていない、本物だった。でも、そんなことはどうだっていいのかもしれない。俺は彼女といられて幸せだった。ずっとこんな日が続けばいいのにって思った。

 俺が進み続けている理由、それは。

 ――彼女への恋心が、俺が進み続ける理由だ。

 ◇

 進み続けた先に、一つの影が浮かんでいた。俺がその存在を認めると同時に、あたりがぱあっと明るくなる。どこまでも白い空間。イルフィアが創造した、世界の空間。

「……ようやく、見つけた」

 イルフィアが宙に浮かんでいた。キラキラと輝いて見えるほどの真っ白な髪。どこまでも吸い込まれそうな白い瞳。一切の穢れがなく、儚いのに圧倒的な存在感を放つ彼女。超俗的な雰囲気。今にも消えそうなのに絶対の存在で、今にも壊れそうなぐらい華奢なのに彼女は決して滅びる事がない。

「イルフィア!」と彼女の名を呼ぶ。彼女の目は虚ろで、どこか様子がおかしい。そう、他にもおかしな点はあった。彼女の背には、まるで無理矢理縫い付けられたみたいな黒い翼が生えている。感じるオーラはどこか暴力的で、闇の力のようなものを感じた。そして、彼女には『超感覚』が通用しなかった。こんなことは初めてのことだ。『超感覚』は勇者固有の能力で、知覚したものに対して絶対の回答を得ることができる。何も感じられないなんて、明らかにおかしい。そう、こんな特殊な能力を無効にできる存在など限られている。例えば、『勇者』の対策を専用にしてくる奴くらいしか……。

「『勇者』よ」

 美しい声音が鳴り響く。心に入ってくる澄んだ声。慣れ親しんだ、何度も聞いた彼女の声。

 彼女の声で、彼女の顔で。ソイツは俺に語り掛ける。

「ここでお前の旅は終わりだ」

 体の奥底から、激情が迸る。

「お前は誰だ?」

「わかっているだろう」

「そうか」

 俺は頷く。

「お前は『魔王』だ」「お前は『勇者』だ」

 問答を交わす。

 自分の中のなにかが抑えきれないくらいに暴れまわっていた。

「ずっと、会いたかったぞ……!」

 思えばこの日のために生きてきた。戦ってきた。ずっと思っていた。この世界に本当に『魔王』は存在するのかって? よもや自分が『魔王』なのでは? って。

 でも、違った。イルフィアが言った通り、『魔王』は俺じゃなかった。

 初めて……初めて、魔王への手がかりを見つけた。ならばやることは決まってる。

 ――彼女を救い出し、魔王を見つけて討つ。それでハッピーエンドだ。

 俺の中で炎が大きく燃え上がった。

三つ目の力(サードフォース)

無限光装気インフィニット・セブンスオーラ

 お互いに力を引き出す。俺は真紅の赤いオーラ。彼女は白と黄色の聖なるオーラ。

『魔王』がとり憑いた彼女の力は圧倒的だった。確実に俺を超えていることがわかった。

 思えば、彼女は最初からそうだった。

 彼女はまさしく完璧な存在だった。

 願えば全てを叶えることができた。

 欲しいものがあれば、どんなものでも手に入った。

 人間すらも『創造』することができた。

 彼女はまさしく、完全無欠の存在だった。

 俺は強く剣を握りしめる。

 ――創造神イルフィア・ガーデンが俺の前に立ち塞がる。

 ◇

 大きな黒翼をはためかせ、彼女は優雅に宙を舞う――。黒い羽片が宙を舞い、それはまるで神話のワンシーンのようだった。神秘的に、彼女は空を泳ぐ。慈しむように、奏でるように、彼女は唱えた。黒翼の天使となった彼女は『創造』を開始する。

滅びの炎球よ(クリムゾン・ソレイユ)

 ――空に黄金色に輝く太陽が顕現する。

 彼女のてのひらから放たれたそれは、最初はとてつもなく小さく見えた。しかし、こちらに近づくにつれて巨大になり、村一つを一撃で消し飛ばせそうなサイズとなった。

 俺は冷や汗をかく。

「なあ嘘だろ。『魔王』よりも強いだろ、これ」

 彼女は軽くてのひらを返して、黄金の太陽を投げてくる。黄金の太陽が接近するにつれて、凄まじい熱気を感じた。地面に近くなればなるほど、この白い世界の床がめくれ上がる。

 俺は体中から、炎をすべて集めてくるイメージをした。

「がああああああああああ!」

 力を集中する。イメージする。

 灯が寄り添うように集まって、俺の中にあるゴブレットを満たした。誰かの声が聞こえる。誰かに期待されているという気がする。

『君は君は』『望まれている祈られている』『勇者として』『救世主として』

『『世界を創造してくれ、勇者よ』』

「たたっっっ切る!!」

 ――魂を込めた斬撃は、黄金の太陽を真っ二つに切り裂いた。

 半分になって灼け落ちていく太陽を横目に、俺は地面を強く蹴り、浮遊している彼女に突進する。彼女の救い方は、わからない。『超感覚』も機能しない。だが考えてもわからないのなら、思うがままにやってやろうと思った。まずはその目障りな翼を断ち切ってやる……!

 彼女はゆっくりとてのひらを向けた。無感動に。空虚に。ただてのひらを向けて、攻撃を受け止める構えを取った。

「うおおおおおお!」

 剣を突き立てる姿勢のまま、突っ込んだ。激突する。剣とてのひらの間に、力の場が生じている。ぱちぱちとスパークがまき散らされて、火花がいくつもいくつも零れ落ちた。

「ぐっ」

 出力が足りない。俺はほとんどすべての力を出し切っているのに。

 彼女の力には底が見えない。それはそうだろう。なぜなら彼女は神様なのだから。

 完全に圧倒され、俺は跳ね飛ばされる。ものすごい轟音と共に、地面にぶつかった。

 地面はひしゃげ、細かなキューブのようなものがあたりに散らばる。それは間もなくして、自動で地面に吸い込まれていき、何事もなかったかのように完全な修復をした。

「げほっげほ。……追撃はなしかよ。余裕だな」

 彼女はすーっと地面につま先で降り立ち、浮遊する。

 ダメージを負った俺をなんの感情も無しに見つめた。俺は激しく魔王への怒りを燃やす。体の調子を確認する。肺に骨が刺さっていたようだが、もう治った。いける。三つ目の(サードフォース)は再生力だけでなく、エネルギーすらも回復する。どこまでが上限かわからないが、今のコンディションは戦う前と同じぐらいにはいい。

 ――だが、力が足りない。一度に放出する力では勝てず、リソース面でも絶対的に負けている。彼女はこの世界の神だ。この世界で戦う以上、すべての条件は絶対的に彼女に分がある。

「だがそっちも動揺しているなんだろう?」

 俺は不適に笑って見せる。

「『魔王』。お前は知らないだろうが、彼女は俺の体を直接操作する、とうことはできないらしいからな。そもそも、お前は彼女の力を使いこなせちゃいない。誰かの悲鳴や苦しみを想像できない、『創造力』不足のお前なんかじゃ、決して」

 俺が最初にこの世界に来て地面に刺さった時、彼女は力を使って俺を助けられなかった。

 なぜかはわからない。だが俺は、どうやらこの『白無限の世界』でも特別な存在らしい。

 俺は全身に力を込めた。

「ははは!」

 俺は駆ける。なぜか地面を降りてきた彼女に向かって。獣のような疾走。身を低くして、彼女の背中に回り込む。剣を叩きつけるように翼へと振り下ろした。

 しかし、彼女の姿はたちまちに消え、振り返ればてのひらをこちらに向ける彼女の姿があった。

裁断の雷(ポルテニス)

 彼女のてのひらから幾筋もの雷が放たれる。俺は心臓を剣で守るが、他の雷筋が体中に直撃し、電撃に身が震える。ぐっと体中に力を込めて痛みと震えに耐えた。

 雷の勢いで、また彼女との距離があく。

「はあっはあっ」

 体中が痛い。肉が焼けこげ、嫌な臭いが鼻腔をくすぐる。

 笑えてくるぐらいに不愉快だった。こんな弱い自分も、現実も。

 そして、今敵対している『魔王』のことも。

「おまえみたいな」

 誰かの痛みに鈍感なやつ。

「おまえみたいなやつが……」

 悲しんでいる人にも、共感できずに見捨てるやつ。

「おまえみたいなやつが、いるからッ――!」

 他人の苦しみを、無関係だと平気で切り捨てられるやつ。

 血の味がするほどの大声で、怒鳴った。魔王にも事情があるかもしれない、とイルフィアが言っていた。そんなこと、知ったことじゃなかった。こんなやつがいるから、世界に不幸が増えるんだ。こいつは必ず、滅ぼさなければならない悪だ。怒りが、憎しみが、感情を爆発させ、己の炎を燃え上がらせた。まるで目が覚めたような感覚。自分が一度に出せる力の上限が、一時的に上がっている気がする。彼女は俺の様子を虚ろな目で眺めている。けだるそうにてのひらを掲げて、唱える。

「……私は裁きの剣を呼ぶコール・オブ・デュランダル

 彼女の周囲に大小様々な夥しい量の剣が出現した。紫色のオーラを放つ剣達は、互いが互いを召喚し、数を増やしているようだった。

 ――数千本の剣が飛来する。

 俺は歯を食いしばって力を引き出す。時間の流れがゆっくりとなっていく錯覚を覚える。予備動作なしで、はじかれたように俺は疾走した。右へ左へ。ジグザグと稲妻のように駆ける。彼女は俺のルートを予想して、剣を飛来させる。何本もの剣が俺を貫いた。再生する時間を稼ぐために、何度も距離を取らされた。どうしても接近できない。

 弱気を気取られ、彼女は待機していた剣を一気に飛ばしてきた。

 飛来中にも数を増やす、剣と剣と剣。よけきれず、俺は剣を振るって紫色の剣を叩き落とす。

 何度も何度も剣戟音が鳴った。地面に次々と突き刺さっていく剣達。そして、ハリネズミのようになっていく俺。

「……」

「……」

 そして俺は防ぎ切った。大きく息を吸い込んで、彼女との距離を詰める。

「『魔王』。おまえみたいなやつ」

「……」

「赦して、たまるかぁ!」

 彼女はゆっくりとてのひらをこちらに向ける。堂々と、威圧的に。

 しかし、前と違っててのひらの中心が光っていた。

五重の光の盾(メギスト・シールド)

 彼女を中心に、彼女全体を包み込む光の盾が五層、出現する。

 いいだろう、と思う。真っ向勝負だ。すべてを賭けて、その防御を断ち切ってやる。

「うおおおおおお!」

 さらに力を込めて、突撃。肉体が耐え切れなくなって崩壊を始める。しかし、崩壊と同時に再生が働く。自分の身に余る力を、無茶な再生力で維持している。

 この一撃の後、さすがに重い反動がくるだろう。

 ――激突。

「あああああああああ!」

 一つ目の層は容易く破壊できた。

 二つ目は歯を食いしばって破壊した。

 三つ目でこちらの勢いが落ちてきたが、なんとか破壊できた。

 四つ目は……。

 じりじりと剣と盾がぶつかっている。自分の身が灼けていくのを感じる。

 怒りが、熱が、憎しみが、力が、自分の体内を破壊していく。

「返せよ……」

 四つ目の盾の層が割れる。

 五つ目の盾の層は、今までと違ってびくともしなかった。

「返せよ、彼女を、返せよ!」

 力が再び湧き上がってくる。けれども盾は、びくともしない。

 今までの盾の層とレベルが違いすぎる。

「彼女は、俺の――」

 怒りが、悲しみが、自分の中に溢れかえる。どうしてもって、俺は思った。

「返せ、返してくれよ……」

 その時、彼女は一瞬動揺したかのように身じろいだ。盾の防御力がわずかに弱まる。最後の力を振り絞って、俺は盾に突き刺さった剣を振り払った。バリーンと音を立て、光の盾がバラバラに砕け散る。

 ――まるで鏡でできた世界を破壊したみたいだった。

 光の欠片達が万華鏡のように俺たちの姿を反射し、映し出す。

 ――彼女は泣いていた。

 突然肩が軽くなった。肩が軽くなった?

 俺の両腕は地面に落ちていた。その両腕に握りしめられたままの剣が、敗北の空気を重くする。次に、両足が消えてしまった。不自然なぐらいすっぱりと。切断面からは血すらも出ない。

 凄まじい勢いで俺は吹き飛ばされる。ダルマになった俺は地面に転がり、そして頭上に三本の光の剣が浮かんでいるのを見た。

「まっ……」

 ――光の剣が俺を貫いた。

「なん……で……」

 きっと俺が弱いからだ。

 ◇

『人は幸せになるために思考する』と誰かが言っていた。

 いったいこれは誰の言葉だっけ?

『人は幸せになるために試行する』とイルフィアは言っていた。

 でも、それで幸せになれたんだろうか?

『自分の信じる世界を信じろ』と師匠とイルフィアの母は言った。

 二人には共通のなにかがあるらしかった。

幸せになるために。幸せになるためになにをすればいいんだろう?

 わからない。そもそも俺は幸せになりたいのかすら、わからないのだ。

『ほんとうに?』

 どうだろう、わからないな。いつだって俺は、思ったことを叫ばせてもらえなかった。ただ魂だけに溜め続けた。

 ――俺は願いを叫ばせてもらえなかった。

 そんなことよりも、救わなければならない世界があった。

『俺は何がしたかったんだっけ?』

 わからない。わからないんだ。

 でも、実は、本当は……。


 ――俺だって、幸せになりたいんだよ。

 ◇

 たぶん、それは俺自身が持つ最後の炎だった。

 俺はふらりと立ち上がる。体は一切の無傷だったが、中身はボロボロだ。

 それでも俺は立ち上がらなければならなかった。

「そこにいるのか、イルフィア」

 俺の体に突き刺さった光の剣が砕けて消えて、バラバラに。

 光の粒子がさらさらと俺の体をくすぐっていった。

「イルフィア。今、そっちに行くから」

 彼女は俯いている。

 激しい戦いで、彼女の背にある黒翼がボロボロに傷ついていた。そして黒翼は、塗装が剥げてしまったようで、中に純白の翼が見てとれた。

 そうだ、と俺は思う。

 ――魔王なんてどこにもいない。

 どこにもいなかったんだ。この世界にいるのは、俺と、彼女だけだった。

 ――世界に吹雪が立ち込める。

 凄まじい吹雪だ。視界がおぼつかない。彼女の姿は、うっすらとした影としてしか見えない。おまけに俺の体力もどんどん奪われていく。

「イルフィア、イルフィア……」

 足を引きずりながら歩く。そんなにも距離は遠くないはずだ。でも、気が遠くなるくらいに遠く感じる。寒さが時間の感覚を鈍らせる。何も考えられない。何も感じない。

 ――俺は本当にここに存在しているんだろうか?

 俺は……。

「ここにいる」

 俺は、ここにいる。

「俺はここにいるぞ、イルフィア。聞こえてるんだろ、イルフィア!」

 異常な激しさの吹雪で、俺の音は掻き消されていく。だが、確信があった。『超感覚』がなかったとしても。俺の声は彼女に届いている。

「君が好きだ、イルフィア!」

 ――吹雪が僅かに弱まった。「こないで」とか細い声が聞こえた。俺は、一歩前へ。

「そりゃ、無理な話だ」

「来ないで、来ないでよ」

「無理だよ。寒いし。人肌に触れたいからさ」

 ――吹雪がさらに勢いを落とした。

 ……この発言で弱まるなんて、絶対彼女の頭もうまく働いていないと思う。

「この気温だしさ。君のことを抱きしめたいんだ、イルフィア」

「……」

「仕方ないだろ? だって、寒いもん」

「…………」

 吹雪が勢いを増した。

 ……どうやら調子に乗りすぎたらしい。でも、もう十分に距離は縮まった。俺は最後の力を振り絞って、走る。そして、前方に身を投げた。直前に、驚いた顔をしているイルフィアの姿が目に入る。

「とりゃ!」

「きゃっ」

 俺は彼女を抱きしめながら、押し倒した。彼女の涙の湿り気を皮膚で感じる。俺は、壊れそうな彼女を優しく抱きしめる。彼女はもぞもぞと動く。

「こないでって、いったじゃん」

「いやだ」

「……離してよ」

「いやだ!」

「離してってば!」

「いやだ!!」

「ばかあ」

 決して離すもんかって思った。こんなにも苦労したんだ。もう、逃がしてなんかやらない。

 彼女がさめざめと泣き始める。

「……ダメだよ」

「なにが?」

「私、最低なんだよ。自分のために、アギトを殺そうとしたの。私、赦されちゃいけないんだよ……」

「いや、でも好きだし……」

「……っ!」

「これからも一緒にいたいし……」

「……っ!?」

「赦すとか赦さないとか、どうだっていいだろ? てか赦してるし、そこらへんは俺馬鹿だからわかんないや」

「うそつき」と彼女は言う。

 そうかもしれない。でも、見たくない現実を永遠に見ていたいとは、俺は思わない。

「なんでなの」と彼女は恨みがましい口調で言った。俺はそれに答える。

「わからないよ。俺は。イルフィアのことは。長い間苦しかったのは知ってる。でも、それは君だけの苦しみだ。軽々しく共感なんてできないぐらい、大きな苦しみだ。でも、俺だって欠片ぐらいは君の気持がわかるから。だから、いいやって思ったんだ」

「……」

「ずっと苦しかったんだろ? これからは、俺が一緒にいるよ」

 彼女はとても綺麗に涙を流す。

「ダメだよ」というくせに、彼女は強く俺を抱きしめた。

 どっちなんだよって思ったけど、気にしないことにした。

 俺にはよくわからないので、ひとまず彼女を抱きしめ返しておく。

「ねえ……アギト」

「どうした?」

「私、アギトのこと、好きだよ」

「知ってた」

「えへへ、そっかあ」

 吹雪の影響で、少し空気が肌寒かった。小さな粉雪が、ゆらゆらと揺れている。白い床には、多くの剣と、太陽の残骸が残っている。戦いのあとに降り積もる雪が、よりいっそう幻想的だった。あたりに残る魔力の残滓がキラキラと輝いている。それを、光の盾の破片が反射して乱反射。粉雪の影響も相まって、限りなくロマンチックな光景だった。粉雪が降り注ぐ中、乱反射した黄金の光が俺たちを包むように照らしている。イルフィアの翼はすっかり純白に戻り、天使を抱きしめているような気分になった。正確にいえば神、なのだけども。

「ねえ、アギト」

「どうした?」

「ごめんね」

「大丈夫だよ」

「ううん、違うの」

 ――腹にずぶり、と何かが刺さる感触。

 どういうことだ? 洒落にならないぞ? 「ごめんね」とイルフィアは言う。

 俺は突然、突き飛ばされる。イルフィアが黙ったまま立ち上がっていた。その手には光の盾の破片がある。

「どういうことだよ……」

「……」

「どういうことなんだよ、イルフィア。どうして……?」

 イルフィアは静かに目を閉じて言った。

「私ね、ずっと、ずっーと死にたかったの」

「……」

「お母さんが私を見捨てた時、最低だって思った。悲しくて悲しくて仕方がなかった。でも、いざ自分の番になると仕方がなかったんだってわかったの」

「……イルフィア」

「自己中だとか、最低だとか、自分のこと思うよ。でもね」

 でも、と彼女は続ける。

「例え誰を傷つけても、殺しても、辱めても、そうまでしてでも、私は死にたい。永遠に生きるのは、もう嫌なの、ほんとうに」

「……俺が一緒にいたとしても?」

「それで、あなたも一万年生きるの? ……無理だよ。私がそれを望まない」

 言葉に詰まった。理解できなかった。一体どうしたらいいんだろう。俺では彼女を救えない。彼女は言葉を続ける。

「私を殺せるのは、勇者か魔王しかいない。魔王は、もう新しい人に成り代わってしまったから、私を殺せないし、この世界はそもそも魔王だけは絶対に通さないようになってるの。そして私はこの世界から絶対に脱出できない。私を殺せるのはあなただけ」

「……」

「もう一つだけ条件があるの。それは、あなたが死ぬこと。アギト、この世界は君のために生まれたんだよ。君が死んだら、私も存在の意味を失って、死ぬことができるようになる」

「……」

「それにさあ、アギト。私失望しちゃったな。あれだけ世界を救うって言ってたのに、人ひとりを助けるために諦めるの? わかってるだろうけど、もう世界は滅亡寸前だよ。君は一刻も早く、この世界から脱出しなきゃ」

「イルフィア殺して、か?」

「そうだよ」

 彼女はまるで、悪役のように世界の滅亡を謡う。幸か不幸か突き飛ばされた先には俺の剣が転がっていた。だが、俺は剣を拾わない。はっきりいってさ、とイルフィアが言う。

「公平性を期して言うけど、君が私一人を殺す方が得だよ。だって無理心中なんて……もったいないじゃん? まあ私はそういうのちょっと憧れちゃうけどね」

「そんなこと、いうなよ」

「あーあ。残念だな。今も世界のどこかで、アギトを求めている声が聞こえる。なのに君は諦めようとしてる。救える命があるのに。『勇者』なのに」

「……やめろよ」

「もういいや、死んじゃってよ。こんな弱虫じゃ、どうせ世界を救えない」

 彼女は光の盾の破片を、光の剣へと変化させた。

「アギト? お互いボロボロだね。もうわずかな力しか残ってない。多分、君もオーラみたいなやつはもう出せないんでしょ?」

「……やめろ」

「私も一緒。公平に行こうよ。ちょうど近くにアギトの剣もあるし、これで正々堂々、決着を――」


 俺は怒鳴った。

「うすら寒い演技をするのを、やめろっていってるんだよ!」

 彼女は怯んだ。

「わかるさ! そのくらい。なんで一緒に生きようとしてくれないんだよ! 俺、もっと頑張るからさ。頼むよ……。全力で、できること全部するからさ……!」

「……」

「なあ、イルフィア……」

「私、アギトのことが好きだよ」

「じゃあ……!」

 彼女は黙って首を振る。

「なにもわかってないんだね。君は世界のことを知りすぎた。もう本当に時間が残ってない」

「でも、あと少しだけ……」

「あと少しなんて、ないんだよ? もう二つに一つしかないの。一緒に死んで、世界もすべて滅びるか。アギトが生きて、世界が救われる可能性を残すか」

「なあ、イルフィア……本当は助けて欲しいんだろ?」

「ううん、思わない」

「聞こえるんだ『超感覚』で。君が助けを求める声が。苦しいから助けてくれっていう心の声が」

「――舐めないでよ!」

 彼女が怒鳴った。初めて見る彼女の姿に、俺は驚く。

「舐めないで、舐めないでよ。生き続けることがどれだけ苦しいと思ってるの? それにあなたが耐え切れる保証なんてどこにあるの? あんな地獄、知るのは私だけでよかったんだよ……。 力だけじゃ、意志だけじゃ、どうにもならないことだってある。……私、君のことが好きだよ。でも、私は死にたいの。ううん。死ななきゃならないの」

「頑張る、じゃ意味ないの」と彼女は言った。

「アギト、剣を取って」

「……」

「もう、本当に時間切れだよ」

 やるしか、ないんだろうか?

 本当に時間がないのは、本当なのだろう。

 ……判断ができない。頭が重い。熱いんだ。決断ができない。

 この剣を取ってしまえば、もうおしまいだという気がする。

「アギト、世界を救うんでしょ?」

「……」

「報いるんでしょ? 死んでいった人たちのために。あなたを慕っていた人たちのために」

「……」

「例え偽物だったとしても、誰かの優しさには報いたい。……そう思ったんでしょ?」

 俺は剣を握りしめた。

 彼女が剣を振りかぶる。

 振り返って、彼女の姿を見て、その瞳に溜まった涙を見て。

 ためらってしまった。なにも考えられなかった。

 彼女の光の剣が俺の首元に届く――。もう遅かった。しかし、体は反射で動いて、敵対者の心臓を真っすぐに貫いた。

「アギト、ごめんね。ひどいことして」

「……どうして」

「ごめんね、ごめんね」

 俺は確かに切られたはずだった。でも……あれは……イルフィアが能力で見せた幻覚だった。

 でも、彼女はもう力は残っていないって。

「――もう力は残ってないって、嘘だったのかよ」

「……えへへ。こうでもしないと、アギト頑張ってくれないもん」

「なんで」

 彼女はみるみるうちに力を失っていく。彼女は不滅のはずなのに、どうして。

 思わず彼女の手を握った。小さくて華奢なてのひらが、俺の手を握り返す。

「ごめんね、アギト。私、いっぱい、いっぱい、嘘ついちゃった」

「いいよ。別に。全部、いいんだよ……」

「優しいね。アギトは。正直、ひどいこと言ったやつさ……私が嘘をついてるってわかってても傷ついてたでしょ」

「……それ以上に、イルフィアが傷ついてただろ……!」

「あはは。お互い様でしょ? ああ、嬉しいなあ。アギトがこんなにも私のこと考えてくれて」

「ずっと……ずっと考えるよ。これからも、ずっと……。だからさ、治せよ、傷。できるんだろ……?」

 そういいながらも、それは無理だとわかっていた。だって、それなら彼女は黒く染まった翼が、戦いの途中で白くなってしまった部分を直しているはずだった。

 ――おそらく、『勇者』は『創造』を否定できるのだ。

「……ごめんね」

「なあ、嫌だよ。俺、君がいなくなったらどうすればいいんだ? 自分がわからないんだ。俺は――」

「――世界を救う。そうでしょ?」

「……」

「お願い、アギト。私、君の昏い決意が好きだったの。こんなこと言うの、ひどいと思うけど」

「…………俺は」

「君の怒りと憎しみは、優しさの裏返しだから。それがたまらないくらいに悲しくて、かっこよかったの。君はやっぱり……『勇者』なんだって」

 ただひたすらに、彼女を抱きしめた。俺の命すべてを受け取って、生き延びてほしかった。「ねえ」と彼女は言う。

「聞いてほしいの」

「……聞くよ」

「私、君と過ごした時間が幸せだった。すっごくすっごく楽しかったの。私ね、君ともう一度出会えるなら、もう一度一万年を生きてもいい、ってふと思っちゃったの」

「俺もだよ。わけがわからなくなるくらい、君を求めたくなった。君と一緒にいた時間は、かけがえのないものだった……。俺、実はこんなにちゃんと人と喋ったの初めてなんだ」

「私と一緒だね」

「だな」

「一人でずっとこの世界に閉じ込められていた。私、君が『王子様』に見えたんだ」

「おしいな。来たのは『勇者』様だったわけだ」

 彼女は小さく笑う。「そうだね」って。

「ねえ、私の『勇者』様」

「どうした?」

「一つだけお願いを聞いてくれる?」

 俺は頷いた。

「じゃあひとつだけ」

 ――どうか、幸せになってください。

 彼女は祈りを込めて、俺に言った。そして、口を塞がれる。

 キスをした。たぶん、この世で一番悲しいキスだった。だって、きっとこれが彼女とする最後のキスだから。口伝えになにかが流れ込んでくるのを感じた。

 長い長いキスを終えて、彼女が切なげに笑う。

「ありがとう、私のすべてを受け取ってくれて」

 彼女は『創造』の力を俺に継承した。不死の力以外のほとんどすべてを、彼女は俺に渡した。

「私ね、私……」

 彼女は力なく俺の手を握る。

「本当は、もっとアギトと生きたいよぉ……」

 ◇

「ねえ、アギト」

「どうしたんだ?」

「私のこと、好き?」

「――当たり前だろ。この世界の何よりも、君のことを愛してる」

「よかったぁ」

 ◇

「イルフィア。いい夢を」

 彼女は安らかな顔をしている。まるで眠っているみたいだった。

 いい夢を見ていて欲しい、と思った。幸せな夢を見て欲しい、と思った。

 俺は静かに立ち上がる。――世界の脈動が聴こえる。

『扉』の気配があった。地響きの音がした後、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音が聴こえた。

 それは城にある砂時計の音だったのだと、今になって気づいた。

『超感覚』が囁く。剣模様の砂時計の中身の砂は、もう十分の一もない。

 つまり、世界の滅亡まであと数日ということだ。俺は背後にある扉に振り向くことができない。ここを立ち去ることができない。泣き出してしまいたかったけど、それは許されない気がした。

 喉の音からわずかな声が漏れそうになるのを、自らの首を絞めて耐えた。

 絞めて絞めて絞めて。耐えて耐えて耐えた。

 苦しかった。悲しかった。

 けれど俺は、彼女の言葉を思い出す。

 彼女は俺に幸せになって欲しいと言った。

 彼女は俺に世界を救って欲しいと言った。

 だから、俺はゆっくりと扉へと振り返った。

 俺は彼女の『勇者』様だから。

 ◇

 第二章「繰り返される白のセカイ」 ―完―

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