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切ト1 潜在するセカイの欠片を


 ――世界は終わろうとしている。

 世界は、端から『黒』に呑み込まれていき、円状に大地を追い詰められていった。

 世界の端を魔が蝕み、大地は『淵』によって汚染されていく。

 ――世界は終わろうとしている。

 抵抗する手段を人間は持っていなかった。原因がわからず、ただ滅びを待つだけだった。

 誰もかれもが救世主である『勇者』を望んでいる。

 ――世界の寿命は推定であと百日。

 滅亡を止めるために、世界の中心にいるとされる『魔王』を殺さなくてはならない。


 ◇

 視界が黄金に。

 痛覚が静寂に。

 恐怖が快楽に。


 そうやって感覚が塗り替えられている時は、体が死の危機に瀕している時だと、誰かが言った。


 ――誰かの祈りで、俺は目を覚ました。


 静謐佇む城の中で一人、俺はベッドから身を起こした。耳を澄ませば、さらさらとした清涼な音が聞こえる。それはまるで、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音で。


 ――神秘的に朱く染まる巨大な城の中。


『俺』は『勇者』だった。静かに立ち上がって椅子に腰かけて、剣模様の彫刻が刻まれた砂時計をひっくり返してみる。これに何の意味があるのかは、わからないけれど。

 目が覚めるにつれて、自分のことを自覚した。もう今年で十七になるのだっけ? わからない。記憶はどこか曖昧で、そもそも自分が本当に存在しているのかさえ確信が持てない。ここで誕生して、ここで生活してきたはずなのに、その実感がない。


 まるで『事実』だけを無理やり現実に切り貼りしたみたいだ。俺は周りを見渡す。

 部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。

 その特別な扉ひとつを覗けば、どれも似たような構造の部屋になっている。

 どこも大差ない。生きた人間の気配がしない。そういう場所だった。

 この広々とした城にいるのは、自分の他にはたったひとり。

『メイド』と呼ばれる幽霊のような女だけだ。


 いつからなのか。どうしてなのか。


 鳴りやまない小さな礫の落ちる音。

 豊かな草原に囲まれた、周りになにもない場所にそびえたつ堅牢な城。

 それはいかにも不自然で、打ち捨てられたかのように見える。


 どこか遠い世界から切り離されたような静かな場所。

 なにもかもが終わってしまっているような、時間の流れから取り残された場所。

 俺は――『勇者』――は必ずこの城にて目を覚ます。


 ◇


 第一章「潜在するセカイの欠片」


 ◇


「お目覚めですか?」


 彼女はちょうど、作っていたコーヒーとパンを机の上においているところだ。

 否が応でも、目隠しをしている彼女の身なりは目を引く。彼女の姿はとても印象的なのに、その輪郭はどことなくぼんやりとしている。まるで幽霊みたいな透明感。向こうの景色が透けているように感じることもある。もちろん、それは錯覚だ。確かに彼女はここにいる。けれども、彼女を見ていると(、、、、、、、、)、いつも夢の中にいるような錯覚に陥った。


 ベッドに横たわる自分の体を見る。この身の手足は細木のようで、生きる者に相応しくない。


「メイドさん」

「おはようございます」


 彼女は柔らかくほほ笑む。俺が小さい頃からずっと、身辺の世話をしてくれている城のメイド。俺は寝ぼけながらも笑顔を返す。すると、メイドが俺を勢いよく抱きしめた。

 突然のことに、もぞもぞと、俺はもがいた。


「な、なんだよ。やめてくれって」

「いや、なんだかかわいくって……。あと冒険に出ちゃうのが寂しいのがやです」

「ありがとうなママ。愛されてて嬉しいよ。でもそろそろ巣立ちしたいんだ」

「むむ、離しませんよ!」

「頼むよ」

「ママって言われて怒ってます。まだ若いので」

「……」


 産まれた時から城で暮らしてきたメイド。彼女は二十台半ばだ。だが十年も世話されてきたことを考えると、ちょっと母親へ感じる情に近いものが出る。俺に親はいないから、余計に。


「そろそろ離してくれよ」

「やです!」

「抱きしめてくれっていっても抱きしめたままなんだろう?」

「なかなか私のこと、わかってるじゃないですか」


 メイドは調子に乗った。なんだかすべてが馬鹿馬鹿しくなる。結局、しばらくするとメイドは俺から身を離して、俺に笑いかけた。とても綺麗で印象的なのに、なんでたまにアホっぽくなるのだろう?

 ……本当は俺と同じくらいの年齢なんじゃないかって、たまに思う。


「なあ、俺本当に魔王を倒しにいけないといけないのかな?」

「……そうですね。世界の中心にいるとされる魔王。あなたは『勇者』として選ばれたのですから。あなたじゃないと、ダメですね」

「『魔王』だなんて。御伽噺チックすぎないか? そもそも悪い奴なのかもわかんないし」

「でも倒さないと世界は百日で滅びちゃうらしいですよ? 世界中の人が知ってることです」

「……そうだな」


 徐々に目が覚めてきて、頭の中の靄が晴れていくような気がした。でも俺はなにも知らない。世界のことが何もわからない。自分のことさえもだ。「選ばれたからですよ」とメイドは見透かしたように言う。雰囲気に暗く影が差す。目は無機質に、機械のように。狂気めいた繰り言として彼女は次々と言葉を吐き出した。


「選ばれたから、選ばれたからですよ」「世界の中からただ一人選ばれた、終焉へと向かう世界を救うための勇者様」「人々は勇者を盲目に崇拝しています。世界の真実を知ってください、すべて」メイドが俺の肩を掴む。その目には光がなくて、言葉は誰かに言わされてるみたいで、とにかく不気味だった。彼女のてのひらからは、暖かみを感じない。まるで、ずっと自分が生きてきた世界が、どこかの誰かに無理やり塗り替えられていくような感覚――。


「やめてくれよ!」


 俺は怖くなって叫んだ。「はて?」とメイドは呟く。

 操り人形のような雰囲気は、すっかり息を潜めていた。何事もなかったかのように彼女は笑顔で笑いかけてくる。俺はたぶん、それに合わせるしかなかった。


「どうしました?」

「……いや、どうして俺が『勇者』なのかなって」

「……さあ」

「さあって」


 なにもかもわからない。俺には……おそらく、一部の記憶が足りてない。

 俺は本当に魔王を倒さなければならないのだろうか?


「メイドはメイドは、ひとまず鏡を持ってきました。ああっ!」


 彼女の手から人間の半分サイズくらいの鏡がつるりと落ちる。耳奥にしこりが残るような鈍い音と共に、鏡はわずかにヒビ割れた。メイドは言った。


「……今のは私の美しすぎる姿に、鏡が恥ずかしがって逃げてしまったようです」

「こらこら」

「こんな下手な言い訳する自分が恥ずかしいです……」

「まあまあ。大丈夫?」


 メイドは落ち込みながら恥ずかしがっている。感情が忙しそうだ。


「ああ、超絶優雅メイドの私がこんな失敗をするなんて……」

「優雅……?」


 俺が疑問形を投げかけると、彼女はぷりぷりと怒りながら言い直した。


「ああ、完璧母性メイドのこの私がこんな失敗をするなんて……!」


 さっきママって言われて怒ってなかったっけ?

 彼女がぷりぷりしている隙に、俺は落ちた鏡に手を伸ばす。メイドの手は給仕で少し荒れていた。ひび割れた鏡でその手が切れてしまわないようにと思って、俺は鏡を拾い上げる。


 ――ヒビが入った鏡に映る自分の姿。


 長い間眠っていた自分の姿。赤い髪に赤い目。げっそりとした表情に肉の足りていない貧弱な肉体。まるで罰を受けたあとのような体だ。なのに目だけには、異様な輝きがあるのが、怖い。赤い目には剣の模様が、浮かんでいた。それは勇者であることの証だった。自分の形姿は、やけに嘘っぽい。俺は不安になって、メイドに聞いた。


「俺がやらなくちゃいけないのかな? 体の中に確かな力を感じる……でも、なんで俺なんだろう?」

「……さあ」


 メイドは困ったような顔をした。あるいは、それは悲しみなのか、諦めなのか。とにかくわからなかったが、彼女は誤魔化すようにして笑った。「あなたは目を覚ましていますか?」とメイドは言う。「『覚醒』してください」と続けて言った。『覚醒』をしなければ決して魔王は倒せない。それがこの世界の『ルール』なのだとメイドは言う。


「あなたは今、いろんな記憶がないはずです。今ここにある現実が、夢みたいに実感がないはずです。記憶を取り戻し、ここが現実だと自覚する『覚醒』。そして覚醒によって引き出される力の習得。それがあなたの旅の目的です」


 メイドははっきりとそう言った。俺はあと百日で滅びてしまう世界を救わなくてはならない。メイドが俺の手を握る。


「帰って来てくださいね」

「……それは」

「あなたが子供の頃からずっと世話をしてるんです。いなくなっちゃったら、寂しいですから」


 泣いちゃうんですからね、とメイドは茶茶目っ気たっぷりに言った。思わず俺は笑った。


「じゃあ、約束だ。全部終わったらお城で暮らそう」

「……はい」

「絶対に絶対に、約束だ」


 彼女はにっこりと俺に笑いかけ、指切りげんまんをした。


 ――ゴーン、と黄金の鐘がなる。


 頭を圧迫する重低音。


 ――鐘は鳴りやまない。


 わけのわからない焦燥感が胸中を支配した。ひどく気分が悪かった。

 勢いだけの音楽や振動に、無理やり心臓をばくばくと動かされているような感覚。かちり、となにかが動く音がした。部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。その特別な扉ひとつを除けば、どれも似たような構造の部屋になっている。その特別な扉は、今まさに開かれようとしていた。それは外への世界に通じる唯一の扉。そこを通れば、長い一本道が通過者を迎え入れ、荘厳な庭景色が通過者を祝福するだろう。


 世界の誰かが、俺を祝福している。世界の意思が、俺に勇者になれと囃し立てる。俺はその声援に恐怖を抱いた。「さあ」とメイドは俺から身を引く。そして完璧な所作で、一礼のお辞儀。


「いってらっしゃいませ」

「……行ってきます」


 鳴りやまない小さな礫の落ちる音。

 豊かな草原に囲まれた、周りにもなにもないそびえたつ堅牢な城。

 それはいかにも不自然で、存在が突然移動してきたかのようにも思われる。


 どこか遠い世界から切り離されたような静かな場所。

 なにもかもが終わってしまっているような、時間の流れから取り残された場所。

 いつからなのか。どうしてなのか。

 俺はなぜかここにいる。


 薔薇の咲き誇るレッドカーペットを俺は歩く。

 視界が黄金に。痛覚が静寂に。恐怖が快楽に。

 そんな感覚を静かに思い出していた。ずっと夢の中にいるような気分だった。

 ◇

 1.勇者は滅亡を止めるために魔王を探している

 2.魔王は世界の中心にいる

 3.勇者が覚醒に至れば魔王を倒すことができる

【4】.勇者は世界の真実を知らなくてはならない

 ◇


「世界の真実、か……」


 直感している。俺は世界のなにかを疑いながら動かなければならない。隠された真実を見つけ出し、なおかつ『覚醒』を果たして力を得る。それが俺にとっての目的だ。

 俺は城からでて、しばらく歩く。前方には一人の人影。


「ようやく来たか」


 そう言ったのは、白髪の剣士だった。彼は深くハットを被っており、目元は見えない。長いマントにくすんだ色のシャツ。背は高く細身で、抜き身の刀のような殺伐とした雰囲気を纏っている。年齢は、おそらく三十台半ば……のはずだ。『剣鬼』と呼ばれる彼は、俺の――。


「師匠!」

「……でかい犬か、お前は」


 嬉しくなって、俺は彼に向かって飛び跳ねる。師匠を見ると、無性に自分が幼くなる気がする。そんな俺の頭を、彼は無造作に撫でた。十七にすることではない。


「おい! なんだよこの手! 子供扱いするんじゃねえ!」

「そういうところがまだ子供なんだ」


 彼は困ったようにため息を吐く。そんな師匠の様子を、俺は大人なので、寛大な心で許してあげることにした。


「まったくしょうがないなあ。師匠は俺がいないといつも寂しがるんだから」

「おーよしよし、わかったわかった」

「俺は犬かなんかか?」

「そうだ」

「犬じゃない」

「そうか?」

「わん」


 師匠が思わず笑いそうになって顔を逸らしたのを俺は見逃さなかった。勝った、と謎の勝利感を得る。


「師匠、笑ったな?」

「笑ってない」

「正直じゃないなあ」

「このクソガキめ」


 俺はくすくすと笑う。思えば俺の口の悪さは、師匠の影響を受けている気がする。


「俺に会いたかっただろ?」

「毎日会ってるだろうが。誰がおまえを鍛えていると思ってる」


 俺はその言葉に微かな違和感を覚えた。


「師匠、俺――」


 その言葉を途中で切って、彼は告げる。


「『勇者』切り替えろ。ここからは真剣だ。お前は『魔王』を倒さなければならない。――甘えたままなら見捨てる」

 突然突き飛ばされ、土煙を吸い込む。城から少し離れた大地は、命のない寂寥とした茶色の土地だ。近くにある城は明らかな場違い感がある。


 俺は擦りむいた足を気にしながら立ち上がった。『剣鬼』は俺に抜き身の剣を放り投げた。くるりとした軌道を描き、死んだ土色の大地に、剣が突き刺さる。


 俺は思わず呻く。手足は枯れ木のように細く、貧弱。体は干からびていて、生きる者の相応しい肉を纏っていない。それが俺だった。『勇者』と呼ばれる、俺の肉体だった。


 ――『剣鬼』の目から紫色の光が迸る。


 どこか不自然な感情の切り替えが感じ取れる。まるで誰かに操られて、無理やりに憎悪をするような。俺の目には彼の背から糸のようなものが見えた気がした。操り人形。彼の昏い目は無機質で人間味がない。


「唱えろ、勇者の魔法を。苦痛に苛まれようが立ち上がれ。手足が引きちぎれようと噛みつけ。その肉片すべてが消滅したとしても、意志で敵を殺して見せろ」


 ――『勇者』。運命や楔から解き放つ使命を持った存在。なら、それなら――俺は一体、なにをセカイから救えばいい? 俺は世界のそのものから孤立してしまっているような、ひとりぼっちのような感覚に襲われた。それでも俺は、魔法を唱える。


「一つ目の(ファーストフォース)


 体に赤い光が灯る。勇者の放つプレッシャー。それで体がまともに動くようになった。痛みは緩やかになり、肉体が強くなる。同時になにかの映像と、記憶の塊が脳裏に送り込まれる。何度も繰り返して殺される『魔王』という概念。俺はその苦しみに共感している。それでも魔王を殺さなくては、世界は救われないということが確かにわかっている――。


 突然ノイズのようなものが発生して、抽象的な映像と記憶は途切れた。

 俺の混乱は置いてきぼりに、『剣鬼』が言った。


「30%の身体能力上昇と再生能力の発揮。お前は記憶を取り戻し、力を得る。セカンド、サードと続く力の習得こそがおまえを覚醒に導く。――さあ、肉体が裂けようが、剣を振るい、戦え」


 その通りだった。直感的に、俺は自分の力を理解していた。けれど、はやく動けばその瞬間に肉は裂け、激しい苦痛が俺を襲うだろう。しかし、それが『剣鬼』の望みだった。


 ――凄まじい殺気を感じる。


 のぼせ上がるような狂気を彼から感じた。おぞましいほどの集中力。妄執に近い執念。

 舐めた動きなんて見せれば、その途端に殺されてしまいそうだった。


 ――『剣鬼』は鞘に収まった大太刀を構える。


 抜刀の構え。その大太刀は『剣鬼』の身長ほどもある、長すぎるくらいの武器だった。しかし、それがこけおどしではなく、完璧に機能することを、俺は知っている。


「うあああああ!」


 体から意志という意志を振り絞って、俺は『剣鬼』に討ちかかる。強く踏み込んだ足の骨にひびが入るのを感じた。死に物狂いで、俺は剣を振るった。

『剣鬼』は真っすぐに俺の剣を受け止めた。


「まるで通じない。弱者の剣だな」

 ――抜刀。俺は吹き飛ばされる。土煙と血の味で肺をいっぱいにしながら、俺はよろよろと立ち上がった。体中が痛かった。

 ――『剣鬼』が剣を構える。

「さあ、もう一度」


 ◇


 それを百回行った。


 ◇


「もう立てないのか?」

「……はあ、はあ。……もう」

「一度――」

『剣鬼』は恐ろしく冷たい眼差しを俺に向けた。

「処分してしまった方がはやいかもしれんな」


 ――ぞっとした。


 時折思う。俺は大事にされていないんじゃないかって。俺の代わりが、世界のどこかにいるんじゃないかって。だって、彼の目は明らかに人間を見るそれじゃない。ガラクタの人形を見る目つき。泣きたくなった。でも許されやしなかった。ふっ、と『剣鬼』から刺々しいオーラが消えた。狂気めいた集中力も消え失せた。


「休むか?」

「……うああああ!」


 ――とても恐ろしいような気持ちになって。がむしゃらに討ちかかった。視界が真っ赤に染まる。平衡感覚がなくなる。一瞬、なにも考えられなくなる。しくじった、と思った。俺は剣すら振るえずに、バランスを崩したのだ。


 衝撃を予感して目を閉じる。しかし、その瞬間はいつまでも訪れない。ゆっくりと目を開くと、自分が『剣鬼』に抱き留められたのだとわかった。その瞬間、安心感が脳に流れ込んだ。自分の体に実感がわかなかった。本当に俺はここに存在しているか、確信が持てないような気分に陥っていた。でも、師匠抱き留められて、俺は自分がここにいることを自覚した。


「大丈夫か?」

「……なんで」

「さっきはひどいことをした」


 頭の中が疑問でいっぱいだった。俺には微かな優しさも気遣いも、ふさわしくない気がした。『剣鬼』が優しく俺の背中を撫でる。私は昔、おまえよりずっと弱かった。なのに、おまえに強さを強いてしまった、と『剣鬼』は言う。


「だから、すまなかった」

「俺は……」

「大丈夫だ、お前には誰よりも才能がある」


 彼との会話は、予定調和や辻褄合わせのようで、なんだか信じる気になれない。俺は彼から柔らかな雰囲気を感じて、冗談をいってもいいものか、ためらいながら口を開いた。


「……持ち上げすぎ。ペテン師かよ」


 果たして『剣鬼』はそれににやりと笑って答えた。


「嘘は苦手でな。私は生まれてこの方一度しか嘘をついたことがないんだ」

「バレバレの嘘を吐いたんでしょ?」

「そうとも。だからもう二度と嘘を吐かんと決めたんだ」


 いつの間にか、抜き身の刀のような雰囲気は霧散していた。ここにいるのはときおり冗談を交わす仲の良い子弟かのように見えた。全部夢みたいなものだったんだ、と思う。俺は師匠が大好きだ。身寄りがなくただ獣のように扱われていた俺の親代わりをしてくれたのが、師匠だった。城は師匠のものだし、その財産すべては彼に所有権がある。魔王を倒した暁には、すべて俺に譲るのだと彼は言う。だから厳しく育てているのだろう。だから俺に対して必死なのだろう。


 『剣鬼』は帽子で隠れていた目に布を巻き始めた。

 彼の太刀はとても長く、距離感を掴むのが難しい。だから、空間認識能力を高めるために極力視界を制限している。


「師匠はさ、いつも視界を塞いで得物の距離感を把握するようにしてるよな。生活に影響するのに、徹底しすぎじゃないか?」


 改めて考えても不思議な生活だ。


「お前みたいな天才に勝つための凡才の地道な努力さ。笑うなよ?」

「不格好だけど師匠がやるとかっこいいよ。ところで、なんで師匠はいつも俺を天才扱いするんだ?」

「お前の真の力を、私は知っているからだ」


 まるで答えになっていない。きっと答える気がないのだろう。

 もうお前は、とっくの昔に私を越えているのだよ、と意味深に『剣鬼』は言う。


「……どういうこと?」


『剣鬼』は俺を無視した。


「待ってくれよ~」


『剣鬼』は馬車へと向かっている。俺はそのあとをついていく。


『とっくの昔に私を越えている』といった時の師匠の表情が頭をよぎった。昔って赤ちゃんの頃かよ、と軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 勇者には超感覚という固有のスキルがある。空間認識能力を含めたあらゆる知覚に鋭敏になる概念スキルで、そのおかげで人の気持ちの機微に気づきたくなくても気づいてしまうことがある。だから、俺にはいろいろなことがわかっている。


 ――あの冷酷な、目。


 時折俺へと向ける、刺すような感情。師匠は……俺にとてもよくしてくれている。冗談を言ったり、世話をしてくれたり。傍から見たら仲の良い子弟だ。

 きっと俺は、真っ青な顔をしていたのだろう。『剣鬼』が馬車で座る俺に声を掛けた。


「『勇者』。大丈夫か」

「……師匠、一つ聞いていいか?」

「なんだ?」

「師匠は俺を憎んでいるのか? それとも憎まされているのか?」


 ――空気が凍り付く。禁句を言ってしまったような、絶対的になにかを致命的に間違えてしまったかのような。師匠は柔らかく笑って見せる。


「『勇者』とは、運命や楔から解き放つ使命を持った者だ。お前がなにを言いたいかは察する。この世界がある種、作為的な力に支配されているのは事実だ。だが私はある程度、運命に対して抵抗することができる。頼っていい、味方だと思ってもらっていい」

「師匠……」

「大丈夫だ。お前は世界のすべてから、祝福されて生まれてきたんだ。お前は幸せ者だ」


 また『祝福』だ。その宗教めいた言葉の力に、俺は益々恐怖心を煽られる。

 ――全部夢みたいなものなんだ。世界の果てまで逃げてしまいたいような気持ちになる。でも、世界の果てまで逃げたからってどうなるっていうんだろう? 世界の真実……。なんだか、世界は俺の見える範囲までしか存在していないような気がした。世界の果てには『淵』があって、そこから世界は『黒』に呑み込まれているというが……。


 その『淵』を超えた先には、いったいなにがあるのだろう。逃げられやしない気がした。


 ◇


「師匠~」

「ローディングナウー、ローディングナウー」

「師匠ー!」

「ローディングナウー。なんだ?」

「その歌、いい曲だよな」

「そうかもしれないな」

「馬車で移動するとき、いつもその歌を口ずさむよな」

「気に入ってるんだ」


 ◇


 整理しよう。俺は本当に魔王を倒さないといけないんだろうか。世界に隠された真実とは、殺されている魔王とは……。なんで師匠は……俺のことを憎む? 愛情を感じる時だってあるのに。世界に抵抗とは……どういうことだろう? そもそも、『黒』ってなんなのだろうか? 世界を蝕むとされている『淵』を超えたら、先にはなにがあるんだ?

 それに……俺はたぶん、誰かに生かされている。本当なら死んでいる存在。そんな直感が働く……気がする。不自然な信仰のようなものが世界中に廻っている気がする。信仰を元に、世界滅亡に関する常識が、当たり前の事実として人々に伝播している。世界そのものに違和感を覚える俺の方が異端なのだろうか? わからない。難しいことを考えると、頭がずきずきと痛むのだ。


 俺たちは世界の淵から五十キロ離れたところに来ていた。淵からは魔物が沸く。魔物は近場の生物を見境なしに殺す。だからそれらを駆除しつつ、ついでに俺のレベルアップを目的に、ここに来ている。実は初めての実戦ということで、少し緊張していたりする。俺たちは村の宿で休憩をしていた。考え事をしていたせいで転ぶ。師匠が冷ややかな目で俺を見たので、俺は宿の床に抱き着いた。


「グッモーニング宿の床。いい朝だな。だからっていきなり体当たりはないだろ?」

「今は夜だし、床が体当たりしてきたという捉え方は物理法則に反しているよな」

「でも求めてくれるのは嬉しいよ。愛してるぜ宿の床」


 師匠の冷ややかな指摘が飛んでくる。なんだよ、転んだ言い訳くらい暖かく見守ってくれていいだろ? 俺は後に引けなくなって床に熱烈なキスをした。反対に師匠の視線はますます冷えていく。些細なドジを挽回するために、余計に大切なものを失ってしまったという気がする。


師匠と俺の二人部屋。俺は師匠の隣へ。二人で暖炉の前で、座り込んでいる。ハリネズミみたいに体を寄せ合えない。ずっとお互いに黙り込んでいる。二人で煙の上がらない暖炉の炎を見ていた。俺は時折、物体以外のものを見ると激しい違和感を覚えることがある。実体のないものを見ると、誰かが頭の中で創造したぼやけたものが、無理やり現実に姿を現したように感じるのだ。


「師匠、おれ……」

「ん?」

「夢を見るんだ、怖い夢を」

「……」

「おれの体は、すべてがキューブでできていて、今にも崩れ落ちそうなんだ。けれど、それをたくさんの手が無理やり抑え込んで形を保っている。圧迫感があって、苦しいんだ。でも確かに俺は善意に生かされている。でも……」

「そんなものは悪い夢だ」

「でも……」


 世界の真実とは、なんなのだろうか?

『剣鬼』は真面目な顔になって考え込んでしまった。

 俺は揺らめく炎の動きに意識を集中させた。難しいことは、よくわからない。考え始めると、頭が軋むように痛むのだ。やがて『剣鬼』は、鼻で笑うような動きをした。


「想像力豊かな、不思議な夢だな」


 切って捨てるような言い方は、かえって俺を安心させた。最初から、気にするような夢じゃないと、そう笑い飛ばしてくれれば、俺はそれでよかったのだ。師匠は言った。


「だが、夢は夢でしかない」

「うん、そうだよね」

「世界は精霊で形作られている。その信仰に引っ張られたんじゃないか? 現実に存在するものは精霊が創造している。炎も、人間の体も。精霊の集合意識が、それを保ち続けている。お前の夢は、まさにこの伝承そっくりそのままじゃないか?」


 俺はそれを聞いて曖昧に笑った。俺はそんな知識を知っていたっけ? きっと、忘れていたのだろう。けれど、記憶の欠片が想像を読み込んで、イメージを夢に映し描いたのだ。夢は、夢だ。気にしたところで仕方ない。俺は自分にそう言い聞かせる。空気が張り詰めていて、少し冷たくなった気がした。


 現実で生きていると、時々無性に寂しいような、虚しいような気分に襲われることがある。なぜなのかはわからない。いったいなにがそうさせるんだろう。なにかが欠けているかのような錯覚が時折自分を強く支配する。爪で自分の肌をひっかいても、現実感がない時がある。確かに感覚は伝わっているのに、まるで自分の体ではないような。

 鏡を見ても、どこか自分の顔に違和感を覚えることがある。誰かが思い出して作った顔みたいに、ほとんどは正しいのに、小さく間違っている気がする。


 ――俺は本当にここに存在しているんだろうか? とっかかりのない不安は、いくら考えても無駄なものだ。考えるのはいけないことだとすら思う。『覚醒』だ。『覚醒』さえすればすべて解決する。そのために俺は旅をしている。それがすべてだ。やれやれと首を振りながら、俺はぼやく。


「はあ、元気がでないな……」

「そうか。ぴよぴよ、と十回言ってみるといいぞ」

「ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよ」

「ははは、お前って単純でかわいいよな、ひよこみたいだ」

「……」


 俺はいったいなにをやらされたんだ? 混乱する。

 部屋を出ると、埃が鼻を塞ぐ思いをした。この宿はもう随分と使われていない。ここは最前線に近い村。新たな来訪者など誰も来ない。けれど、住人は誰一人として退去しない。毎晩流れ込んできた魔物に住人が殺されているのにも関わらず。こちらを見つめる二対の目がある。輝く純粋さ籠る瞳。そこに込められている感情は「憧れ」だ。『勇者』は世界全ての生きとし生きる者に認知されている。こんな小さな子供にだって、しっかりと伝わっている。


「『勇者』様!」と片方の男の子が言った。


 男の子と女の子、一人ずつ。背丈からして男の子の方がお兄ちゃんなのだろう。女の子の方は男の子の背に小さくなって隠れている。

 そんな女の子の手を引いて、男の子は俺たちの目の前にやってきた。


「これから魔物退治ですか?」

「ああ、そうだよ」

「すごいです! 『勇者』様は特別な人ですよね。どこにでも行けて、戦える!」


 その声質からあふれ出る尊敬の気配に、なんだか照れ臭くなった。同時に自分の容姿の弱々しさが憎くなった。


「ああ。俺が戦って、世界を救うよ。この村だって、誰も死なないようになる」

「ほんとうですか?」

「ほんとうに、ほんとうだ」


 男の子がもじもじし始める。なにかを言おうか、迷っているかのようなそぶり。

 その気持ちがよくわかるから、俺は優しく声を掛けた。


「どうしたの?」

「あの……」

「うん?」

「『勇者』様は……どうやって戦える力を手に入れたのですか?」


 俺はその質問に困ってしまった。鍛えたり武器を取ったり、なんらかをすれば一定の力を人間は持つことができる。しかし、この男の子が言っているのはそういう力のことではない気がした。


「僕も……力が欲しいです。妹を守れるだけの力が」


 そういって握りしめられた、小さな拳に宿る確かな願い。手のひらに込められた固く、切実な意思の咆哮。兄であるという使命感が、この子を駆り立てているのだろう。俺は『超感覚』で悲痛な決意を感じ取った。よく見れば男の子の手には剣ダコができている。……魔物が蔓延るこの世界では、身近な人が死ぬことは珍しくない。子供が戦うことは世の中として間違っている。それでも、子供も老人も女も戦えた方が、失われる命は少ない。俺は少し迷った。どちらにせよ、この村にはなにか遺す気ではいた。勇者が村に何かをした、という事実だけで、村人の士気が上がるからだ。


 懐から鞘に納められたダガーを取り出した。勇者の印が入っただけの何の変哲もないダガー。諫めるべきかもしれない。大人の意見を言い渡すべきかもしれない。でもこの子の気持ちが痛いほどにわかったから。だから、根拠もなく信じてやりたいという気持ちになった。


「これは俺の使っているダガーだ」

「え? 僕にくれるんですか?」

「ああ、『勇者』のダガーだ。きっと君を守ってくれる。正しく使いなさい」


 それは意味のある行為だった。世界中から愛される『勇者』の道具を持つことにどんな意味があるのか。そして武器(、、)を持つならば――もし、この男の子がそういった分野を進むことになるなら、これは力(、)になるだろう。


 男の子の顔がぱあっと明るくなる。俺はこの顔を見るために、無責任なことをしたのかもしれない。でも、この小さな体に込められた大きな決意を信じようと思った。

 男の子が興奮した様子で女の子にはしゃぎたてている。子供同士の感情は簡単でいて単純に伝播しやすい。女の子の方も、釣られて嬉しそうにしていた。


 ――いつか、と思う。この男の子が俺のあげたダガーを握りしめて、冒険に旅立つ時がくるのだろうか? 思い出を大切にして、決意を忘れずにいて。


 ――『勇者』からもらったダガーをお守りにして、男の子は成長をする。こんな妄想をするのは、思い上がりかもしれない。


 ◇


 村から出る時は、盛大に村民達に応援された。家と家が繋ぐ隙間と隙間に、綺麗に村民たちが並びたてられている。彼らは、はち切れんばかりの歓声をあげながら、手元の布を振り回している。気合の入った何人かが歌を歌い、旗を振り回していた。まるで英雄の凱旋気分だ。

 彼らだって希望が欲しいに違いない。彼らだって夢を見たいに違いない。


 ――そうだろ? と思う。俺がその夢を、叶えてやるのだ。こうしてまた一つ、俺の胸に決意の炎が確かに灯る。実際、ただの自分のサイン入りのダガーが渡すだけで、こんなにも人々に喜んでもらえるのだ。こんなにお得なことはない。恵まれすぎなぐらいだ。


 村の出口にはこの村の村長が立っていた。背後では、今でも声援が聞こえる。俺たちは期待されている。でも、少し違和感があった。よくこんな外見の俺に期待なんかできるなって。見た目だけなら師匠の方がよっぽど強そうに見える。俺は……髪色だとか服装が赤色で派手なだけで、悪目立ちしているだけだ。本来の見た目の貧弱さを、誤魔化している。


「なぜ期待されているのか、納得できないのか?」と『剣鬼』は言った。

「いや、そこまでは……」

「お前は『勇者』だ。余計なことは考えなくていい。目の前にある確かな現実を享受すればいい。思考の介在する余地なんてない」

「考えるだけ、無駄なのかな?」

「やるべきことは決まっている。『覚醒』だ。お前は世界に望まれているんだ。お前は期待に応えなければならない」


 きっとそうなのだろう。それが正しいのだろう。考えたって仕方がない。けれど……なにかが気持ち悪い。歯の隙間に異物があると感じているのに、探してもどこにもないような気分だ。絶対にあると感じているのに、その確信に理屈をつけることができない。結局、俺はなんの答えも見つけることができないまま、村長に話しかけた。


「いい村ですね」

「あなたの村です。あなたのための村です」


 そのセリフは、あの時の狂気に駆られていたメイドのセリフをなんとなく思い出させられる。


「……なんでこんなによくされてるか、わからないんです。……こんなこと言ったら、勇者失格ですかね」

「いいのですよ。我らはあなたの全てを肯定します。精霊の教えに従って、あなたを頑なに信じます。信じることで、救われます。希望の象徴一つで、人の心は綺麗になります」


 わかっている。俺はみんなの象徴だ。象徴は奉られる偶像として、正しい姿を見せ続けなければならない。飾りのような衣装だって――正しいのだ。例え結果を出せるかわからなくとも。……俺は着飾る必要がある。


「……なんで、皆さんはこの村から退避しないんですか? あと何日かで、魔物が襲来するであろうことはみんな知っているのに」

「精霊の教えのためです。我らは生まれた地にその身体を還す。決められた通りに生きて死ぬ。精霊から頂いたこの身体は、精霊のルールにのっとって最後まで使われるべきなのです」


 そうだ、それが納得できないのだ。俺が口を出すべきじゃないことなのかもしれないけど。


「でも……ここにいればみんな死んでしまいます。俺たちは魔物を全滅させれるわけじゃない。淵から魔物は無限に湧くし、淵が世界を侵食し続ければ、いずれこの村も呑み込まれる。……信仰よりも、命の方が大切なんじゃないんですか?」

「そう言えるのはあなたが特別だからですよ」


 村長は微笑んだ。


「勇者様。あなたには特別な力、特別な資格、特別な自覚がある。土地に縛られることがない。精霊があなたに加護を与えているのです。あなたの身体はどこで朽ちても、精霊に還ることが保証されている」


 生まれた土地を捨てて逃げること。それがどれだけ辛いことか、わからないわけではない。でも、優先すべきははっきりしている、と思う。しかし、そう思えるのは俺が『勇者』だからだ、と村長は言う。けど……精霊に一番贔屓されているはずの『勇者』がその思想に共感できないなど……おかしな話だ。俺は煮え切らない気持ちのまま、村を出発する。


「師匠……おれ、こんなの間違ってると思う」

「何も考えなくていい」


 俺の悩みは切って捨てられる。気にするべき問題が他にあるのはわかってる。

 でも、


「あの子供たちも、死んじゃうのかな」

「お前が覚醒に至らなければ死ぬ。それだけだ」


 世界は黒に侵略され続けている。淵は大地を腐らせながら、世界を喰らいつくさんと侵食を続けている。俺が覚醒へと至る前に、この村は侵食されるだろう。現実的に考えて、彼らを救うことはできない。割り切らなければならない。


 ◇


 ――世界の中心には『魔王』がいる。

 それがルールだった。とにかくそういうことになっていた。

 この世界は『黒』によって、侵略され、侵食され続ける。

 ――『勇者』は覚醒し、『魔王』を倒さなくてはならない。

 そうでなければ、世界を救えない。

 それがルールだった。


 ◇


 ローディングナウ、と馬車で師匠が歌っている。馬の手綱を握ってくれているのは師匠だ。馬車は人二人が寝ころべる程度の広さになっており、木製のベンチや室壁が随分としっかりしている。村で貰った一番立派な馬車に揺られながら、俺は師匠に話しかけようとして舌を噛んだ。


「~~っ!」

「興奮して舌を出しながら喋るんじゃないぞ、わんころ」

「そんなに舌長くねえよ! あんまり調子乗ってっとなめまわしてやるからな?」

「やっぱりお前は犬なんじゃないのか?」

「犬じゃねえよ」

「犬だろ」

「……がるる」


 犬だった。負けた気分になった。


「わん」

「人間の言葉で喋ってくれ『勇者』」

「わんわん」

「……」

「師匠……お腹すいた」

「急に人間の言葉で話さないでくれ、びっくりするから」


 犬扱いしたり人間になれといったりで、俺のお師匠様はわがままだ。


「なあ師匠。魔王なんて本当にいるのかな」

「どういうことだ?」

「わけがわからないんだ。魔王なんて……御伽噺だろう? どうしてみんな頑なに信じてるんだ? それに、『黒』が世界を侵略してるけれど、その『淵』の先にはなにがあるんだ? 誰も知らないのに、気にもしてないみたいだ」

「『勇者』」

「全部馬鹿らしく思えるんだ。村の人たちの信仰も、世界に伝えられている逸話も。みんな宗教に支配されて、与えられた知識を無条件に信じ込んでるんだ。……こんなの間違ってるって、強く思う」


 きっと考えるな、と言われるのだろう。

 そう思っていたが、『剣鬼』からは深みのある声で、解が返ってきた。


「間違っていない。――人は自分の信じる世界を信じなければならない。なにかに縋るような信仰が馬鹿らしく見えるかもしれないが、それはそいつにとって自信の生きる世界だ」

「信仰のせいで死んでしまうとしても?」

「それがそいつにとっての信じた世界だ。別に死んでも自分のことを不幸には思わないだろうな」


 そうなんだろうか、と俺は考える。勇者に憧れていた男の子。自分を救ってくれると愚直に信じている村の人々。よくわからなくなってくる。信仰は確かに人を幸福にしているのは間違いない。信じられるものがないよりも、信じられるものがあった方がずっと幸福なのだ。……でも、その信仰のせいで、彼らは村を離れられない。


「おかしいよ、こんなの」

「おまえの思考だって、他の誰かに言わせれば馬鹿げた信仰かもしれないぞ? なんで教えを疑うんだって、感じるに違いない」

「だって人が、人が死ぬんだよ」


 師匠の言っていることは、理屈が通っていると思う。けれど感情が、納得を許さない。きっと、俺が子供っぽいのだろう。師匠はこんなにも大人だ。俺が間違ってる。黙りこくっていると、『剣鬼』はため息を吐きながらこんなことを伝えてきた。

「なあ、『勇者』。人は幸せになるために思考するんだぞ? 悩んで不幸になるなんて、損だ。お前に言わせればこれが私の信仰ってことになるんだがな」

「……」

「痛いのも苦しいのも悲しいのも、そういった感情を知っているから幸せになりたがる。お前のいう『なにかに縋るような信仰は逃げだ』って気持ちもわかるが、なにかを信じるような文化は人間の進化として必然の流れだ」


 ――だって、信仰は人が幸せになりたがって生まれた産物なのだから。


『人は幸せになるために思考する』。師匠は静かにそう言った。むしゃくしゃして「あああ!」と俺は頭を掻きむしった。


「魔王の顔が見てみたいよ。なんで世界をこんな風にしたんだろう?」

「さあな、もしかしたら特別な事情があるのかもしれないぞ。実は悪い奴じゃない、ってパターンかもしれない」

「どうだか。絶対性格悪いぜ。師匠と似たような性格に違いないよ」

「そうだな。きっとペットとかには優しそうだ」

「……?」

「不思議そうな顔をするんじゃない。私はかなり優しい」

「いやー? うーん。おっさんになると世の中の正しい情報を捉えられなくなることってあるよな」

「おい」

「はい」

「別におっさんでもいいが、私はモテるぞ?」

「誰に」

「例えば城にいるメイドは私にメロメロだ」

「俺もメイドさんにメロメロだよ」

「対抗してくるな。しかも三角関係みたいになってるじゃないか」


 三角関係。俺はメイドさんが好きで、メイドさんは師匠が好き。なら師匠が好きなのは……。ふむ。師匠は俺にめろめろらしい。照れるなあ。


 目的地に着いたので、馬車から降りる。激しい修行による体の痛みはほとんど残っていなかった。けれど、今から痛くなるのだろう。俺たちは淵をぎりぎり目視できるところまで来ていた。淵から無限に湧く魔物を少しでも間引く。同時に、俺の戦闘能力の上昇を計る。効率的な作戦だ。見渡す限りの荒野が広がっていた。風で砂利が巻き上げられ、重たく陰鬱な雰囲気が毒々しい。太陽の光は鈍く、生気のない土色の地面を強調するかのように照らしていた。土地が死んでいる。世界は淵に呑み込まれ、ゆっくりと侵食され、侵略させていく。悪の魔王が世界を滅ぼそうと目論んでいる。


「見本を見せるぞ」と師匠。


 やや遠くから走ってくる犬型の魔物を、目にもとまらぬ速さで一閃。『瞬閃』という技なのだと、師匠は言った。


「まるでできる気がしないんだけど」

「教訓を教えてやる。『自分の信じる世界を信じろ』だ。宗教は人間の進化だからな。強い自分のセルフイメージを体に纏わせろ。きっとできる、と思うのがコツだ」


 そんな簡単にできるわけがないと思ったが、師匠の言うことなので信じてやってみる。『剣鬼』の繰り出す一閃。動きは人の理を越えているものだったが、目で追うことはしっかりとできた。師匠の動作を自分の体に当てはめて、何度もシミュレーションを繰り返す。


「一つ目の(ファーストフォース)


 俺は剣を構え、こちらに走ってくる犬型の魔物を眼前に捉える。

 タイミングを計って一歩を鋭く踏み出し、切り裂く。


 ――『瞬閃』。


 驚くほど綺麗に魔物は両断され、慣性のついた二つの肉片が俺の横を通り過ぎていく。軽く降りかかった血しぶきを気にしながら、俺は師匠に向き直った。


「できた」

「おまえは天才だって言ったろ」


 不思議な感じがした。剣は異様に手に馴染み、技には今まで何度も繰り返してきたかのような親近感があった。師匠とは威力も早さも比べ物にならないほど劣っているが、精度という意味では完璧に近い、と直感的に感じた。これも勇者固有のスキル『超感覚』の恩恵なのかもしれない。


 ――ところでどうして師匠はこんなにも悔しそうなんだ?


「体は痛むか?」

「ほんの少しだけ。魔法がきいている間は、しばらく戦えると思う」

「急成長だな。昨日まで剣を握るだけでも辛そうだったのに」

「……これも『勇者』としての力なのかな」

「どうだかな。息子が急に背が伸びたような感じがして、私は嬉しいよ」

「ありがとうなパパ」

「パパはな、お前みたいな子供知らないんだ」

「認知してくれよ」

「……なんだろう、それ、嫌な言い方だな」


 冗談を言い合いながら、俺達はしばらく魔物を駆除し続けた。師匠が技を繰り出し、俺がそれを見て真似る。すべて一回で完璧なコピーができた。なんだかうまく行き過ぎているような気がした。殺すたびに、どんどん力が増していくのを感じる。力は外からもらったというよりも、内側から湧き出るような感覚と共に得ることができた。強くなることを実感するたびに、誰かの声が聞こえた気がした。崩れかけたブロックでできた俺の身体を、ぎゅっと押して勇気づけているような感覚を覚えた。


「十分だな」と師匠が呟き、さらに言う。


「これからは単独行動だ。私は淵の近くまで行って魔物を間引いてくる。『勇者』はここらで力を慣らしておいてくれ」

「わかった」

「それと……淵には近づきすぎるなよ」

「どうして?」

「どうしてって……そんなの淵に近い方が強い魔物が出るからに決まってるだろ。なんでそんなこともわからないんだ?」


 ――違和感を覚えた。嘘はついていない、と超感覚は告げる。たぶん、師匠が使っているのは建前だ。


「逃げるだけならもうできる。今のうちに強敵を見ておいた方がいいんじゃないかな」

「いいから黙って言うことを聞け。まだ早い」

「……わかったよ」


 師匠の姿がふっと掻き消える。移動をしたのだ。人間離れした、その身体能力で。一人になった俺は考える。俺は『剣鬼』を圧倒するほど、将来的には強くならなければならないことを己に言い聞かせながら、周りを見渡した。


「……魔物はどこだ」と俺は呟く。


 ――気配がする。


 どこか懐かしいような冷たい雰囲気。俺はこの感覚を知っている。同時に身にのしかかるような悲壮感は、いったいなんなんだろうか? 戦いの感覚は何かを俺に思い出させそうになる。


「こい」


 三体の魔物が現れる。俺は剣技を駆使して、すれ違いざまに魔物を斬り殺す。同時に魔物の爪や牙で負った裂傷が、じくじくと痛んだ。――でも、俺はそれで強くなる。


「こい」


 魔物が四匹現れた。俺は魔物を斬り殺す。傷を負いつつも、自分の力が増していくのを感じる。なにかがおかしかった。俺は魔物を殺す度に傷を負い、それが『勇者』の権能によって癒される。力を消費しているはずなのに、それ以上に自分の力が増していく感覚の方がずっと強い。


 次から次へと沸く魔物を、俺は切り払い続ける。戦いが己を支配する。俺は何かを思い出した(、、、、、、、)。魔物を見ると、強烈な憎しみに体が支配されるのを感じた。まるでとってつけられたかのような感情。魔物は確かに世界の敵だが、俺が今抱いている憎しみや怒りといった感情は、度を越している。だが俺にはこの感情は正しいものだと知っている。――超感覚(、、、)だ。この怒りは正しい感情だと、ただそれだけがわかっていた。


「何匹も何匹も……!」


 力は依然として増々と強くなっていく。まずい、と思った。なにかの枷が外れかかっている気がする。そうして魔物を殺し続けて、もうどれくらいたったのだろうか? 優にもう百匹以上は殺している。自分の体や戦い方に変化が起き始めた。まず、枯れ木のような細い手足は、見るからに健康そうな手足へと変化していた。手のひらはごつく、腕には戦士というにふさわしい筋肉がついている。

 肉体が暴走しているかのような赤いオーラに包まれている。細胞が体中で踊り狂い、常に回復と、最高のパフォーマンスを実現させている。そして、俺が剣を振るう一撃は力づくで、低い姿勢で疾走する姿は獣そのものだった。切り裂くように体を跳ね上げ、疾走する。依然として肉体にある不安定感は消えない。悲鳴のような声が聞こえる気がする。誰かが必死に、崩れそうなブロックを押しとどめているような気がする。


「……敵は」


 自然と俺は淵に近づいていく。師匠が消えていった方角へ。体が、感情がいうことを聞いてくれない。妄執が、すべての敵を滅ぼせと脅迫めいた囁きをする。俺は自分を持たない。俺は象徴として存在する『勇者』だ。なにかに呑まれかけているのを感じる。湧きあがり続ける怒りと憎悪。


 ――遠目に、幽鬼のように漂う紫の目が見えた。紫の残光を残しながら走り回る剣鬼の姿。『淵』の最前線で、『剣鬼』が魔物を屠っている。


そこにいる魔物達は明らかにこちらにいるものたちとレベルが違った。体躯が巨大で、まがまがしいものばかりだ。伝承に生きる超生物のような、そういったものばかりが『淵』の近くで蠢いている。しかし、それ以上に『剣鬼』は化け物だった。彼が立っている場には、黒い旋風のようなものが立ち昇り続けている。何度も何度も繰り出される、大太刀による剣閃の数々が、『剣鬼』の周りで残像となって残り続けている。剣に狂った鬼が冷徹な双眸を覗く。彼の視界にある有象無象はいとも簡単に切り裂かれる。そしてその恐ろしい目が俺のことを貫いた。驚き、困惑、そして怒りが剣鬼の目に浮かぶ。次の瞬間、俺は吹き飛ばされた。


「なにをしている!」


 師匠が一瞬でこちらまで移動し、俺を殴りつけたのだ。激しい剣幕に、自身の狂気のような感情が縮こまっていくのを感じていた。『剣鬼』は口汚くこちらを罵る。だがそれは……俺だけに向けたものではないようながする。大太刀を突き付けた『剣鬼』は激高したまま叫んだ。


「死にたいのか! 『淵』には近づきすぎるなといったはずだ! なぜいつもいつも(、、、、、、)、簡単な指示すら守れんのだ!」

「……ごめんなさい」


 弁解する余地すらなかった。ただ今は、師匠のことが恐ろしい。泣きたくなるような感覚。なんで俺は、こんな時に彼から愛情のようなものを感じているのだろう。


「こちらに来るなとあれほど強くいったのに……なぜこうもうまくいかんのだ」


『剣鬼』の態度は異常だ。彼の強さなら、化け物のような魔物からも、確実に俺を守れる。ならば彼がここまで怒る理由はなんだろう? この異常な怒気は? 彼は建前を言うだけで、真実を――世界の真実を、教えくれやしない。背筋が縮むような気分で、俺は黙り込む。言え、と俺は自身に囁く。『言え』言うんだ。そうしなければ……。俺は奥歯を噛みしめる。この機会を逃すわけにはいかなかった。


「師匠、『淵』の向こう側はどうなってるんだ?」

「状況がわかっていないようだな。お前に今、謝罪以外で口を開く権利があると思っているのか?」

「なあ、師匠はいつも俺になにかを隠してるよな。ずっと違和感があったんだ。いったい何を隠してるんだろうって」


 以前、師匠から聞いた話だ。世界は『黒』に呑み込まれ続けている。それは魔王による仕業で、魔王を討つことによってしか食い止める手段はない。世界は滅亡に向かっている。早急に魔王を討ち果たし、この『黒』を取り払おう、と。俺はただ、決められたルールのようなその説明をなんの疑問もなく聞いた。その先になにがあるかなんて知ろうともしなかった。俺は真実を知りたい。――『淵』を超えた先にはいったいなにがあるんだ?

 俺は大きく目を見開いて、『淵』の先を見る。くぐもったベールに包まれた『淵』の向こう側には、虚無だけが存在していた。比喩表現でもなんでもなく、正真正銘『淵』の先にはなにも存在していなかった。


 ――世界は侵食され、侵略され続けている。世界は大きな円として『淵』に囲まれている。そしてその円は均等に世界を侵食し続けている。この話は嘘ではない。『勇者』として世界が均等に蝕まれていることを感じるのだ。俺は『淵』の先――存在と虚無の地平線――を見つめる。だんだんと自分という存在がわからなくなっていった。自分の存在に確信が持てなくなっていった。『淵』の先になにもなかった。俺が認知しているところまでしか、世界は存在していない。ここは箱庭の世界だ。――俺は本当にここにいるのか?


「見るな!」


 頭にあつい感触が走った。『淵』の向こう側にあるものが真実なのだと、『超感覚』が告げていた。意識が闇の中へと消えていくのを感じる。


 ◇


 俺は夢の中にいる。俺はひたすら考え続けている。宗教に支配されている村人たちが理解できない。操られているかのように、発言が不気味になった、メイドと師匠。師匠から感じる仕組まれた憎しみ。自分の存在に確信が持てない感覚。世界から切り離されているような錯覚。そして、『淵』の先には何もなくて――まるで俺が認識できるところまでが世界なんだといわんばかりの状態だったこと。魔王――魔王はいったいどこにいるんだろう? 本当に魔王を倒さないといけないんだろうか? なにもかもわからない。わからないのだ。


 ◇


 ローディングナウ、ローディングナウ。歌声が聞こえる。夕暮れが俺を照らした。俺は馬車に揺られているのを感じながら、目を覚ました。ひどく頭が痛い。殴られた頭を押さえながら、俺は歌を歌う師匠の方を見る。その表情は底抜けに冷たかった。固い拒絶の意思を感じた。見捨てられてしまうのではないかという恐怖心を抱えながら、俺は師匠に語り掛ける。


「なあ、師匠」

「……」

「師匠、師匠」

「…………」


 彼は俺の言葉を無視した。泣きたくなるような気持ちになった。俺は親鳥に捨てられる寸前の雛かなにかなのかよって、自嘲気味に思った。馬車の中から、俺は地平線の彼方の『淵』を見つめる。そこであることに気づいた。


 ――こんなに近かったか?


 うるさいぐらいに警告ベルがなっているような感覚。……なにかがおかしい。


「師匠、おかしいんだ。世界がおかしいんだよ」

「……」

「師匠、『淵』の進行が早くなってる」

「…………」

「なあ、俺たちが寄った村、どこらへんにあるんだ?」

「………………」


 ただ虚しく俺の声だけが馬車の中で回っている。『淵』が世界を吞み込んでいるのを感じる。今までよりずっと速い速度だ。『超感覚』で村の位置を探る。俺たちは今、城に向かって移動している。村はとっくの昔に通り過ぎているのがわかった。そして理解した。


 明日、太陽が昇るころには、村は『淵』に吞み込まれる。


「師匠! 頼む、今だけは聞いてくれ。うまく説明できないけど、村が危ないんだ。今日中には『淵』に呑み込まれるんだよ。俺たちが助けなきゃ!」


 手綱を握った師匠がゆっくりと振り返る。恐ろしいほどに冷酷な視線は、痛みすら感じるほどだった。


「全部お前のせいだ」

「……え?」

「全部お前のせいだ」


 師匠は憑りつかれたかのように繰り返す。頭の中が真っ白になる。

 俺のせい? 俺のせいだって? どういうことなんだ。いったいなにが起こっているんだ?


 せめて説明して欲しかった。俺はなにもわからない。なんで『淵』の向こうにはなにもないんだとか。本当に世界を救っても、意味があることなのか、とか。なんでこんなにも師匠は俺に怒っているのか、とか。全部教えて欲しかった。


 たぶん、俺に原因があることだけがわかっていた。ここが箱庭の世界であると知った時点で、俺の力が急激に跳ね上がったからだ。

 言い訳はするな、と師匠は刺すように言う。

 まるで心の中を読まれているかのようだった。言葉少なく、師匠は俺の心を砕きにかかる。


「結果が在るだけだ。もう挽回することはできない。無知も無力も関係ない。結果として、お前のせいで人が死ぬ」

「やめてくれよ!」


 村でのことを思い出す。ダガーを渡した子供たち。宗教に溺れていた村長。俺のことを祝福してくれた村民たち。師匠は冷たく言い放つ。


「受け入れろ。そして恨め。他ならぬ己自身を。お前は無能で無価値で無力だ。役立たずの藁人形だ。城に戻り、そのまま死んでしまえ。そして二度と目を開かずに、苦痛の中で眠り続けろ」

「いやだ。お願い……」

「なぜだ? お前はそれだけのことをしただろう? お前がみんなを殺すんだ」

 俺は歯を食いしばる。そして一つだけ頼んだ。

「……わかった。けどせめて、村の人たちの避難に協力してほしい」

「断る。そして許可しない。無意味だ」

「なんでだよ」

「お前もわかっているはずだ。村民たちはその土地と共に死ぬ。誰もお前の言葉を聞き入れない」

「けど、子供はどうするんだよ。なにも知らないまま、信仰を植え付けられて、選択できないまま死ねっていうのかよ」


 わかっている。あの異様な雰囲気を、俺も感じた。救うと彼らに手を差し伸べても、誰も俺の手を取りはしないだろう。正真正銘、全員、子供も含めて。でもそれは村が異様な雰囲気に支配されているからだ。助けてほしい、逃げ出したい、と言い出せる環境がないからだ。


 そうだ、と師匠は言う。


「信仰のために死ぬ。それが彼らの生き方だからだ。彼らの文化を踏みにじるな」

「いやだ! それでも助けなきゃいけないんだよ!」


 泣き叫ぶような声が出る。きっと誰からも感謝されないということはわかっていた。むしろ憎まれることになるだろうということも。独りよがりな偽善だと自分でも思う。それでも俺は、人に生きていて欲しい。全員は救えないなら、せめてあの子供たちだけでも。自分勝手な感情論。精霊信仰のために死ぬなんて狂ってるって強く思う。絶対に間違ってる……そのはずだ。

 俺は馬車から飛び降りる。何度も地面を転がって、体中が傷だらけになった。

 馬車が止まる。そして師匠がこちらを見つめた。


 ――殺意。


 呆然とする。師匠は本気だった。


 ――俺のことを殺してやりたいと、本気で思っていた。


 彼の憎しみが『超感覚』で伝わってくる。ずっと、師匠からは怒りを感じていた。なぜか恨まれていることを、たびたび思い知らされる瞬間があった。でも、気のせいだって思ってた。憎しみに満ちた目は操られているからで、本当は俺のことを愛してくれているんだって。でも違った。師匠はずっと昔から、俺を殺したいのだ。師匠は切り裂くような目つきで、俺を睨みつけると、もう一度馬車を走らせ、去っていた。俺は一人ぼっちになった。


「……行かなきゃ」


 自分が崩壊しそうな感覚を覚えながら、俺は立ち上がる。師匠、師匠、と呟く。現実がまるで信じられなかった。それでも俺は唱える。村の人々を救わなくてはならない。


「一つ目の(ファーストフォース)


『勇者』の権能による自己強化を発動する。傷だらけになっていた体が再生していき、痛みが消えていく。でもなぜだか、胸のあたりだけがひどく痛かった。一つ目の(ファーストフォース)の出力を上げる。けれどどうしても、胸部の痛みだけは治ることがなかった。


「……助けなきゃ」


 俺は駆け出した。これが終わったあと、俺はこの世に存在していないだろう。


 でも最後の使命だけはやり遂げなくてはならない。これだけは、自分で選んだことなのだから。獣のように疾走する。程なくして、村の様子が目に映る。


 ――村が燃えている。遠くから人々の悲鳴が聞こえる。


 耳をすませば、肉が爪に引き裂かれる音が消えた。目を凝らせば、人が魔物に食われているシーンが映った。

 村人たちが痛みに苦しんでいることが『超感覚』でありありと感じられた。


「やめろ……」


 そして刻々と命は消えていった。吹けば消し飛ぶ小さな命の篝火が、着々と消されていく。残酷な狼の魔物達が格好のおもちゃを見つけたかのように、軽々と、なんの罪悪感もなしに、人の命を奪っている。


「やめてくれ……」


 俺が村に着いた頃には、すべての命は消えていた。耳元にぱちぱちと家が焼ける音が聞こえる。狼の魔物どもの狂宴が、命ない肉によって興じられている。


 村に立っていた家のほぼすべてが打ち崩され、炭の臭いを漂わせている。のどかだった畑は何度も踏みにじられ、萎れた稲穂には血のしずくが乗っている。


「……」


 魔物達を縫うように避けて、俺は村を歩く。やつらは宴で忙しく、気を付けて動けばこちらに気づくことはない。その途中、俺はなにか思念のようなものを受け取った。耳を澄ませば、『超感覚』によって、痛みと悲鳴をこらえた感謝の声が聞こえる。それは死者の念だった。みんな狼の魔物に殺されていた。みんな苦しんでいた。なのに、彼らはみんな感謝していた。この土地と共に死ぬることに。世界のルールに従っていることに。信仰に殉じた悦びに、みな浸っていた。そのことに、俺は強く恐怖を感じた。


『勇者様!』『勇者様!』


 超感覚による、死んだ村人達の声が聞こえる。彼らは死んで、精霊へとその身を還す。

 その過程はとても苦しそうなのに、俺が通りかかると途端に嬉しそうにするのだ。


 ――その様子を感じ取ると、使命感よりも恐怖心の方が勝った。


 俺は自分が泊まっていた宿まで来ていた。爪痕が残された扉を蹴破って、その中に入る。


 ――中には魔物が侵入しなかったらしく、綺麗なままだ。


 もしかしたら、と思ってしまう。そして次の瞬間には自分を見下したい気持ちでいっぱいになった。俺はいったいなにを期待しているんだろう? ここに命の気配は、一つもない。


『すごいです! 『勇者』様は特別な人ですよね。どこにでも行けて、戦える!』


 あの小さな子供が言っていた言葉を思い出す。瞳をキラキラとさせて、憧れをたっぷりと含んだあの表情を。

 一つ、一つと部屋の扉を開けていく。思い出したくないのに、子供たちのことを思い出す。


『僕も……力が欲しいです。妹を守れるだけの力が』


 あの小さな子供の勇気に。その燃えるような決意に。どれほど救われたことか。世界を救うことは義務だと思っていた。誰かに対する恩返しのために、やらなくちゃいけないことだと信じ込んだ。でも、あの子供を見て初めて俺は『頑張りたい』と思えたのだ。この滅亡していく世界で、あの子供たちは、俺にとってようやく見つけた希望だった。


 ――そして俺は探していたものを見つけた。


「ああ、あああ……」


 ダガーをあげた子供たちの死体があった。妹の方は喉を一突きされて死んでいた。兄の方は、その手に固く握りしめられたダガーが、喉に突き刺さったまま死んでいた。


『僕も……力が欲しいです。妹を守れるだけの力が』


 なにが起こったのか理解した。この宿が荒らされなかったのは、宿にいた命が魔物に察知される前に失われたからだ。だからこんなにも宿の中は綺麗だった。


 二人の子供の目元に涙の跡があった。苦しかったんだろう。恐ろしかったんだろう。


 ……力。兄は妹を苦しませないよう、その手を血に染めたのだろう。子供なのに、凄まじい勇気だ。そう、その悲惨な決意は尋常ならなざるものではない。


「……どうして」


 その勇気を与えたのは他ならぬ俺だった。きっと兄は、『勇者』様から与えられたダガーを握りしめて、必死に奮い立ったのだ。妹を苦しまないように、『僕が助けないと』って。


「俺が与えたかったのは……妹を介錯するための力じゃない……!」


 守るために与えた力だった。兄も本当はそのためにダガーを握りたかったに決まっていた。


「……俺のせいか?」


 頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。自分を正当化したくてたまらなかった。どうせ死ぬしかなかったんだって。魔物に弄ばれて殺されるよりも何倍もましな結末なんだって。

 でも、兄の気持ちはどうなるんだろう? 最愛の妹を自らの手で殺した彼の気持ちは?


「ああああああああああああ!」


 泣いて泣いて、何もかもがわからなくなって。結果として自分の中に残ったのは激しい怒りだった。無理やり正当化したくて、魔王と魔物を憎んだ。力任せに宿の壁をぶち破り、天に向かって吠えた。魔物どもを一匹残らず殺すために。自分の目から、赤い液体が流れ落ちる。


 ――怒りが力を呼び覚ます。


『勇者』としての力の一部が解放されたのを感じた。


「二つ目の(セカンドフォース)


 頭の中に篝火のイメージが出現する。自分を中心に杯に炎が注がれる。小さな炎たちが引っ付きあって、自分の中の炎が激しく燃え盛る。すべての能力が劇的に上昇したのを感じた。身体能力は50%上がり、なにより生命力が無限にも思えるほどになったのがわかった。不死鳥が何度でも蘇るように、俺が自分の中で炎を灯し続ける限り、俺は死ぬことがないだろう。


「皆殺しにしてやる!」


 獣のように駆け、切り裂く。

 数匹の狼の魔物が一瞬でバラバラになった。けれどすぐに新たな群れが現れる。


「ちっくしょおおおおお!」


 もはや自分は人ではなかった。噛みつかれれば噛みつき返し、爪で抉られてもすぐに蹴り返す。自分の血液が大量に飛んでいく。失われた分だけ、自分の体には新たな血が生成される。

 戦いの中で、傷ついては治る自分の体のすべてを、嘘っぽく感じていた。

 半狂乱のまま獅子奮迅と戦い続ける。陽が落ち、月明かりが戦場を照らし上げる。


 そうして陽が昇り始めたころ、俺は片膝をついた。狼の魔物達は最初よりもむしろ増えていた。俺は絶望しながらあたりを見渡す。魔物の死体は残らない。黒い粉のようなものを残して消えるだけだ。それらが家の炭と俺の血と交じり合って、赤黒い大地がここにはある。それだけだった。何の成果も目には映らなかった。見渡すばかりの、魔物魔物魔物。おまけに無限にも思えた俺の力は尽き欠けている。笑いたくなった。


「殺してやる!」


 俺は最後の力を振り絞って、狼の魔物の群れに突撃する。数匹を斬り裂くが、片足を嚙み砕かれる。再生が遅い。残った片足で跳ねて、狼の魔物の頭を殴り飛ばす。

 腰のあたりに魔物の顎が来たので、両腕で抱きしめるようにしてすり潰した。そして残った片足が噛み砕かれて、動けなくなった。俺は這って移動を続ける。

 遠巻きに、狼の魔物達が爛々と俺を見つめている。


「ちくしょう、ちくしょう……」


 泣きたくなるような、笑いたくなるような。

 すべてにムカつくような気分になりながら、そう呟く。


「くそ、お前らなんか、こんな……」


 狼の魔物達が遠吠えを上げる。一斉にやつらがこちらに向かってくる。


「ぐああああああ!」


 体中を嚙みちぎられる。嚙みちぎられた瞬間から、俺の肉体は再生を始める。痛い、痛い。体が灼けるようだ。神経がぶちぎれていくのがわかる。そしてその瞬間から再生していくのも、よくわかる。妄執に囚われながら、俺は足掻き続ける。動けないまま狼の魔物に食われ続ける。耐え難い痛みだった。耐え難い恐怖だった。自分がいくら食われても、再生するせいで終わらない。まるで永遠の地獄が続くようだった。自身の悲鳴が響く中、俺は聞いた、見た。


 馬車の蹄の音。『剣鬼』がこちらに駆け付ける姿。


「――」


 叫ぼうにも口がない。手を上げようにも、肩が上がらない。


「――」


 師匠が来てくれた。自分は助かる。死なずに済む。


 ――助けてくれ!

 あれだけ決意したのに、俺はみっともなく生きたがった。瞳だけで、師匠に助けを求める。けれど、師匠はなにもしなかった。無感動な目で、俺が食われているのを眺め続けているだけだった。俺は絶望しながら、耐え難い苦痛と恐怖に耐える。


 ――俺はいったいなにを信じればよかったのだろう?

 世界に蔓延る宗教か? 世の中の流れに従って、それを頑なに信じ続けていれば、幸せになれたのか? 目からなにかが溢れだしたと感じた時には、俺はもう死んでいた。


 ◇

 視界が黄金に。

 痛覚が静寂に。

 恐怖が快楽に。


 そうやって感覚が塗り替えられている時は体が死の危機に瀕している時だと、誰かが言った。


 ――誰かの祈りで目が覚める。


 静謐佇む城の中で一人、俺はベッドから身を起こした。耳を澄ませば、さらさらとした清涼な音が聞こえる。それはまるで、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音で。


 ――神秘的に朱く染まる巨大な城の中。


『俺』は『勇者』だった。静かに立ち上がって椅子に腰かけて、剣模様の彫刻が刻まれた砂時計を手に取る。これに何の意味があるのかは、わからないけれど。


 ただ、自分が一度死んだということだけはわかっていた。じくじくと、胸の中を蝕むように、影が心の中を巣くっている。俺は周りを見渡した。部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。その特別な扉ひとつを覗けば、どれも似たような構造の部屋になっている。どこも大差ない。生きた人間の気配がしない。そういう場所だった。この広々とした城にいるのは、自分の他にはたったひとり。

『メイド』と呼ばれる幽霊のような女だけだ。「目が覚めましたか?」とメイドは言った。


 彼女の姿は以前会った時よりも増々透けて見える。自分の体を見る。あの枯れ木のような肉体はここにはない。あるのは強靭な肉体。鍛え抜かれた両腕。飛ぶように駆けることのできる獣のように早い足。

 まるでずっと夢を見ているような気分だった。


「メイドさん、俺」

「大丈夫ですよ」


 彼女は聖母のように、慈しむような表情を俺に向ける。

 体中が痛む気がした。けれどそれは、気のせいだ。


「俺、俺は……」

「大丈夫です。大丈夫ですから」


 俺はさめざめと泣き始めた。まるで夢の中にいるような気分だった。遠くでまた、祝福するように鐘の音が鳴るのが聞こえる。ひどく頭が痛かった。俺は思わず目を瞑る。ようやくなにかがわかった気がする。理解できたという気がする。どうやら、この世界は思った以上に俺を中心に回っているらしい。世界は『黒』に侵略され、侵食され続けている。世界は『淵』によって囲まれていて、ゆっくりと世界を呑み込み続けている。それを止めるには、世界の中心にいるとされる魔王を殺すしかない。なぜ俺が師匠に憎まれているのか。なぜ俺が誰からも特別なのだと言われるのか。


『勇者様。あなたには特別な力、特別な資格、特別な自覚がある。土地に縛られることがない。精霊があなたに加護を与えているのです。あなたの身体はどこで朽ちても、精霊に還ることが保証されている』


 そう村長は言っていた。俺はどこで死んでも、きっとこの城で蘇るのだろう。きっと、俺は死ぬことができない。泣きたくなるような気持になる。

『淵』が世界を侵略する速度を速めたのは、俺が原因だ。俺が特別だからだ。『淵』の向こう側を覗いてみてわかった。俺が世界について知れば知るほど(、、、、、、、)、世界は終焉へと近づいていく。


 なにが勇者しか魔王を殺せない、だ。

 俺は世界から、死ぬことを望まれている。

 俺が世界の中心だ。


 ◇


 第一章「潜在するセカイの欠片を」―fin―

 ◇


 1.勇者は滅亡を止めるために魔王を探している

 2.魔王は世界の中心にいる

 3.勇者が覚醒に至れば魔王を倒すことができる

【4】.勇者は世界の真実を知らなくてはならない

 5.勇者が世界について知れば知るほど世界は終焉に近づいていく。


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