ふしふふししと
私が不死になったのは、もうずいぶんも昔のことだった。
ずっと一人で、綿はこの世界に存在し続けている。
お母さまは、私の目の前で消えてしまっていた。もうずっと昔のことだった。
――なんであんなにも安らかな表情をしていたのだろうか。
私には、わからない。
なにもわからないのだ。この白く永遠に続く部屋はなんなのかとか、こんなにも扉が多いのはなぜなのか、とか。
扉をいくつ抜けても、全く同じ白い部屋に辿り着く。まるで均等にソロ際するゲーム銀のマス目を、移動しているかのような気分だった。
この世界は、すべてが私の望み通りに姿を変える。
椅子が欲しければ、それはすぐさま私のひざ元に現れ、花咲く光景を脳裏に浮かべれば、たちまち現実の世界にも花弁が舞い落ちる。
お腹ず減ることも、この少女のような体が成長することもない。
たぶん……私は『神様』と呼ばれる存在なのだろう。
退屈な感情はなかった。お母さまが消えてしまって、寂しいという思いもなかった。
お母さまが消えてしまってすぐは……私はなにを想っていたのだろう?
よく思い出せない。
私は強く、自分の白く透き通った肌に爪を立て居てみる。
旋律でも奏でるかのように肌をなぞれば、皮膚はぱっくりと割れ、真紅の鮮血が零れ落ちた。
しかし、次の瞬間には、時を戻すかのように傷口が閉じていく。零れ落ちた血液は、赤い霧へと姿を変えた後に霧散し、私が付けた傷など、最初から存在しなかったかのようだった。
わずかに残っていた、赤くはれたみみず腫れは、微かな抵抗のようにも思える。けれども、ぷつんと糸が切れたように、腫れた後は消えてしまった。
永久不変が続くこの世界。
私はなんのためにここにいるのだろう。
チェス盤の白いマスだけが続く、変化のない世界。ただひとつだけで佇むクイーンは、どこにでも行けるが、どこに行っても見える景色は変わらない。
私はわかっていなかった。
私は千年もの間生きた。
なぜこの世界に存在し続けているのか。
なぜ、私が昔のことをうまく思い出せないのか。
想像したことすべてが叶うこの世界。
この神のような力を使えば記憶の問題など、どうにもできるはずだった。
白一色のチェス盤にいるクイーンは、どこにでも行くことができる。
この白一色の世界に存在する私は、どんなことだってできる。なのに、いつも同じ場所、同じ状況にいることは、
――何度も同じことを繰り替えている。
その事実を、はっきりと示していた。
◇
最初の一年が、一番楽しかった。
食べたいものを食べ、寝たいときに寝る。健康状態は常に最良が保たれる。
この世界は、私の思うがままだ。太陽や、月をいくつも浮かべてみたり、溶岩で作ったお風呂に入ったりもした。海と大陸を作り、自分だけの世界地図を作り上げた。
私はまさに、全知全能たる神様で、できないことはなかった。
視界が黄金に。
痛覚が静寂に。
恐怖が快楽に。
そうやって感覚が塗り替えられている時は、体が死の危機に瀕している時だと、誰かが言った。
――誰かの祈りで目が覚める。
切実に誰かに想い焦がれている気がした。
静謐佇む城の中で一人、俺はベットから身を起こした。耳を澄ませば、さらさらとした清涼な音が聞こえる。それはまるで、葉の擦れる音のような、小粒の砂が手のひらから零れ落ちていくような音で。
――神秘的に朱く染まる巨大な城の中。
『俺』は『半勇者』だった。静かに立ち上がって椅子に腰かけて、剣模様の彫刻が刻まれた砂時計をひっくり返してみる。これに何の意味があるのかは、わからないけれど。
部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。
その特別な扉ひとつを覗けば、どれも似たような構造の部屋になっている。
どこも大差ない。生きた人間の気配がしない。そういう場所だった。
この広々とした城にいるのは、自分の他にはたったひとり。
『メイド』と呼ばれる幽霊のような女だけだ。
いつからなのか。
どうしてなのか。
鳴りやまない小さな礫の落ちる音。
豊かな草原に囲まれた、周りになにもない場所にそびえたつ堅牢な城。
それはいかにも不自然で、打ち捨てられたかのように見える。
どこか遠い世界から切り離されたような静かな場所。
なにもかもが終わってしまっているような、時間の流れから取り残された場所。
俺は――『半勇者』――は必ずこの城にて目を覚ます。
◇
「お目覚めですか?」
彼女はちょうど、作っていたコーヒーとパンを机の上においているところだ。
否が応でも、目隠しをしている彼女の身なりは目を引く。
彼女の姿はとても印象的なのに、その輪郭はどことなくぼんやりとしている。まるで幽霊みたいな透明感。向こうの景色が透けているように感じることもある。もちろん、それは錯覚だ。確かに彼女はここにいる。けれども、彼女を見ていると、いつも夢の中にいるような錯覚に陥った。
メイドに呼ばれて、体を起こそうとする。しかし、体が異様に気怠く感じた。この身の手足は細木のようで、生きる者に相応しくない。
うんざりするほどの倦怠感。
けれど俺は身を起こさねばならなかった。
「メイドさん、おれ」
「辛いんですか?」
胸の内をぴたりと言い当てられて息が詰まった。
なにかをしていたわけでもないのに辛い。生きていることが億劫に感じる。
気分は最悪で、今まで何度も戦い続けてきたような疲労が心に残っている。
けれど、俺は『半勇者』だ。こんなことで根をあげてはならない存在だ。
だから甘やかされる資格なんてない。
なのにメイドはゆっくりと両手を広げた。聖母のように。
蜜に誘われる蜂のように、俺は彼女に倒れこむ。
「大丈夫ですよ」
「……」
「大丈夫ですから」
「……でも」
彼女は謳うように宣告をする。
「明るく静かに澄んでいて懐かしい文体、少し甘えているようでありながら厳しくも深いものを湛ている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
「……」
「理想の文体、というらしいですよ。まるでこの世界のことを指しているみたいじゃないですか?」
「……」
「あなたは……誰かの優しさの上で存在しています。望まれているんです。だから、大丈夫」
間違えて生まれてきてしまったような後ろめたさ。
誰かに後ろ指を刺され続けているかのような罪悪感。
俺にはずっとそれがある。
体は細く痩せ衰えている。無理やり誰かが生きることを望んだかのようなシチュエーション。
だからきっと、辛いのだ。
ぎゅっとメイドに俺は抱きしめられる。あまりに柔らかで、実感がわかない。夢のような感覚。
でも確かに、それは救いだった。
頑張らなきゃって強く思った。
「おれ、世界を救う……救います」
「はい」
誰かから注がれる無償の愛。
生まれてきたという理由だけで肯定してくれる母性。
理解者になろうとしてくれる歩み寄り。
そういったものを、メイドから感じる。
俺はそれに生かされている。使命感に炎が灯る。
――俺はゆっくり眼を開く。
メイドはわずかに息を漏らした。
「あなたの瞳の剣の紋章」
「……」
「資格を得たということですね」
――ゴーン、と黄金の鐘がなる。
頭を圧迫する重低音。
――鐘は鳴りやまない。
わけのわからない焦燥感が胸中を支配した。ひどく気分が悪かった。
かちり、となにかが動く音がした。
部屋には奥行きがあって、壁には等間隔に並ぶいくつもの扉と、巨大な一つの扉がある。
その特別な扉ひとつを除けば、どれも似たような構造の部屋になっている。
その特別な扉は、今まさに開かれようとしていた。
それは外への世界に通じる唯一の扉。そこを通れば、長い一本道が通過者を迎え入れ、荘厳な庭景色が通過者を祝福するだろう。
俺はそのことをよく知っている。そして、一度踏み出せば冒険が始まってしまうことも。
――おめでとう、おめでとう、おめでとう。
世界の誰かが、俺を祝福している。世界の意思が、俺に勇者になれと囃し立てる。
「さあ」とメイドは俺から身を離した。
そして、完璧な所作で、一礼のお辞儀。
「いってらっしゃいませ」
「……行ってきます」
鳴りやまない小さな礫の落ちる音。
豊かな草原に囲まれた、周りにもなにもないそびえたつ堅牢な城。
それはいかにも不自然で、存在が突然移動してきたかのようにも思われる。
どこか遠い世界から切り離されたような静かな場所。
なにもかもが終わってしまっているような、時間の流れから取り残された場所。
いつからなのか。
どうしてなのか。
俺はなぜかここにいる。
薔薇の咲き誇るバージンロード俺は歩く。
視界が黄金に。
痛覚が静寂に。
恐怖が快楽に。
そんな感覚を静かに思い出していた。ずっと夢の中にいるような気分だった。
◇
「ようやく来たか」
そう言ったのは、白髪の剣士だった。
彼は深くハットを被っており、目元は見えない。背は高く細身で、抜き身の刀のような殺伐とした雰囲気を纏っている。
『剣鬼』と呼ばれる彼は、俺の――。
「師匠!」
嬉しくなって、俺は彼に飛びついた。彼は一瞬身をこわばらせた。俺はそれに気づかないふりをした。
めんどくさそうに彼は俺の頭を撫でる。
「でかい子供か、おまえは」
「だって寂しくて、ずっと会いたくて」
「毎日会ってるだろうが。誰がおまえを鍛えていると思ってる」
俺はその言葉に微かな違和感を感じた。
「師匠、俺――」
その言葉を切って、彼は告げる。
「構えろ。今のレベルをみてやる」
突然突き飛ばされ、土煙を吸い込む。
城から少し離れた大地は、命のない寂寥とした茶色の土地だ。近くにある城は明らかな場違い感がある。
俺は擦りむいた足を気にしながら立ち上がった。
『剣鬼』は俺に抜き身の剣を放り投げた。くるりとした軌道を描き、死んだ土色の大地に、剣が突き刺さる。
俺は呻いた。
「……ねえよ」
「あ?」
「……立てねえよ! いきなりそんなこと言われたって!」
手足は枯れ木のように細く、貧弱。体は干からびていて、生きる者の相応しい肉を纏っていない。
それが俺だった。『半勇者】と呼ばれる、俺の肉体だった。
「ならば唱えろ、勇者の魔法を。苦痛に苛まれようが立ち上がれ。手足が引きちぎれようと噛みつけ。その肉片すべてが消滅したとしても、意志で敵を殺して見せろ」
無茶言うなよ、と俺は思った。
なんでこんなひどいことをされなきゃいけないんだよって、挫けそうになった。
けれども――あのメイドの優しさを思い出す。
俺は『半勇者』だ。
「一つ目の力」
体に赤い光が灯る。勇者の放つプレッシャー。
それで体がまともに動くようになった。痛みは緩やかになり、肉体が強くなるのを感じた。
『剣鬼』が言う。
「1.1倍の身体能力上昇。そして勇者特有のスキルの一つ、再生能力の発揮。さあ、動くだけで肉体が裂けようが、おまえは剣を振るえるわけだ」
その通りだった。直感的に、俺は自分の力を理解していた。
けれど、はやく動けばその瞬間に肉は裂け、激しい苦痛が俺を襲うだろう。
しかし、それが『剣鬼』の望みだった。舐めた動きなんて見せれば、その途端に殺されてしまいそうだった。
――『剣鬼』は鞘に収まった大太刀を構えた。
抜刀の構え。
その太刀は『剣鬼』の身長ほどもある、長すぎるほどの武器だった。しかし、それがこけおどしではなく、しっかりと完璧に機能することを、俺は知っている。
「うあああああ!」
体から意志という意志を振り絞って、俺は『剣鬼』に討ちかかる。強く踏み込んだ足の骨が折れるのを感じた。死に物狂いで、俺は剣を振るった。
『剣鬼』は真っすぐに俺の剣を受け止めた。
「まるで通じない。弱者の剣だな」
――抜刀。
俺は吹き飛ばされる。
土煙と血の味で肺をいっぱいにしながら、俺はよろよろと立ち上がった。体中が痛かった。
――『剣鬼』が剣を構える。
「さあ、もう一度」
◇
それを百回行った。
◇
「もう立てないのか?」
「……はあ、はあ。……もう」
「一度――」
『剣鬼』は恐ろしく冷たい眼差しを俺に向けた。
「殺してしまった方がはやいかもしれんな」
――ぞっとした。
時折思う。俺は大事にされていないんじゃないかって。俺の代わりが、どこかにいるんじゃないかって。
泣きたくなった。でも許されやしなかった。
ふっ、と『剣鬼』から刺々しいオーラが消えた。
「休むか?」
「……うああああ!」
がむしゃらに討ちかかった。自分の価値を認めてもらいたくて。
視界が真っ赤に染まる。平衡感覚がなくなる。一瞬、なにも考えられなくなる。
しくじった、と思った。俺は剣すら振るえずに、バランスを崩したのだ。
衝撃を予感して目を閉じる。しかし、その瞬間はいつまでも訪れない。
ゆっくりと目を開くと、自分が『剣鬼』に抱き留められたのだとわかった。
「大丈夫か?」
「……なんで」
「さっきはひどいことをした」
頭の中が疑問でいっぱいだった。俺には微かな優しさも気遣いも、ふさわしくない気がした。
昔の弱い自分を思い出してしまったんだ、と『剣鬼』は言う。
「だから、すまなかった」
「俺は……」
「大丈夫だ、お前には誰よりも才能がある」
「……」
「私を越えることのできる、唯一の剣士だろうな」
俺はそれを聞いて、冗談をいってもいいものか、ためらいながら口を開いた。
「……持ち上げすぎ。ペテン師かよ」
果たして『剣鬼』はそれににやりと笑って答えた。
「嘘は苦手でな。私は生まれてこの方一度しか嘘をついたことがないんだ」
「バレバレの嘘を吐いたんでしょ?」
「そうとも。だからもう二度と嘘を吐かんと決めたんだ」
いつの間にか、抜き身の刀のような雰囲気は霧散していた。
ここにいるのはときおり冗談を交わす仲の良い子弟かのように見えた。
全部夢みたいなものだったんだ、と思う。
俺は師匠が大好きだ。身寄りがなくただ獣のように扱われていた俺の親代わりをしてくれたのが、師匠だった。城は師匠のものだし、その財産すべては彼に所有権がある。けれど『勇者』に成った暁には、すべて俺に譲るのだと彼は言う。
だから厳しく育てているのだろう。
だから俺に対して必死なのだろう。
『剣鬼』は帽子で隠れていた目に布を巻き始めた。
彼の太刀はとても長く、距離感を掴むのが難しい。だから、空間認識能力を高めるために極力視界を制限している。
「師匠はさ、いつも視界を塞いで得物の距離感を把握するようにしてるよな。生活に影響するのに、徹底しすぎじゃないか?」
改めて考えても不思議な生活だ。
「お前みたいな天才に勝つための凡才の地道な努力さ。笑うなよ?」
「不格好だけど師匠がやるとかっこいいよ。ところで、なんで師匠はいつも俺を天才扱いするんだ?」
「お前が天才なのを、私は知っているからだ」
まるで答えになっていない。きっと答える気がないのだろう。
もうお前は、とっくの昔に私を越えているのだよ、と意味深に『剣鬼』は言う。
「……どういうこと?」
『剣鬼』は俺を無視した。
「待ってくれよ~」
『剣鬼』は馬車へと向かっている。俺はそのあとをついていく。
『とっくの昔に私を越えている』といった時の師匠の表情が頭をよぎった。
恥じ入った表情を、微かにしていた。まるでプライドを損なったかのような。
勇者には超感覚という固有のスキルがある。空間認識能力を含めたあらゆる知覚に鋭敏になる概念スキルで、そのおかげて人の気持ちの機微に気づきたくなくても気づいてしまうことがある。
だから、俺にはいろいろなことがわかっている。
――あの冷酷な、目。
時折俺へと向ける、刺すような感情。
師匠は……俺にとてもよくしてくれている。冗談を言ったり、世話をしてくれたり。
はたから見たら仲の良い子弟だ。
……嘘をつくのは、苦手なくせに。
真っ青な顔をしていたのだろう。『剣鬼』が馬車で座る俺に声を掛けた。
「『半勇者』」
「……なに?」
「私はお前のことを大切に思っている、その人格も含めて」
真っすぐな瞳で、そう言った。
そこから一欠片の偽りも感じられないのは、どうしてなんだろう。
混乱する、けれど安心する。
師匠は嘘が苦手だ。
俺は嘘を見抜くのが得意だ。
だから…………俺は師匠に確実に大切にされている。
それだけは間違いないのだ。
◇
「師匠~」
「ローディングナウー、ローディングナウー」
「師匠ー!」
「ローディングナウー。なんだ?」
「その歌、いい曲だよな」
「そうかもしれないな」
「馬車で移動するとき、いつもその歌を口ずさむよな」
「気に入ってるんだ」
◇
――世界は終わろうとしている。
世界の端は『黒』に飲み込まれていき、円状に大地を追い詰めていった。
世界の淵を魔が蝕み、大地は汚染されていく。
――世界は終わろうとしている。
抵抗する手段を人間は持ち合わせていなかった。原因がわからず、ただ滅びを待つだけだった。
誰もかれもが救世主である『勇者』を望んでいる。
――世界の寿命は推定であと百日。
◇
俺たちは世界の淵から五十キロ離れたところに来ていた。
淵からは魔物が沸く。魔物は近場の生物を見境なしに殺す。だからそれらを駆除しつつ、俺のレベルアップを目的に、ここに来ている。
俺たちは村の宿で休憩をしていた。
師匠と俺の二人部屋。暖炉の前で、座り込んでいる。ハリネズミみたいに体は寄せ合えない。ずっとお互いに黙り込んでいる。
二人で煙の上がらない炎を見ている。
別に寒くはなかった。しかし、こうするのが当然だという気がした。
とにかく、疲れた。体の至る所にヒビが入っているような気分だった。馬車に揺られるだけで、枯れ木のような手足は悲鳴を上げ続ける。その悲鳴を押し殺し、ずっと考え事をして耐え続けなければならなかった。目を閉じ続けていたら、自分の意識は夢の中だった。
いまだって、放っておけば死んでしまいそうなほど体中が痛い。俺は勇者の魔法を唱えようとする。
「やめろ」と『剣鬼』がいった。
「それは、やめろ。くせになるぞ。体を魔法で修復するのは本来ならまともじゃない。麻薬みたいに離れられなくなる」
「……」
「やりすぎれば、お前はモンスターになる。間違った多福感に溺れて、人ではなくなるぞ」
「……でも」
師匠の言っていることは、分かる気がした。体が治っていくときの幸福感と安心感。それはとても強力で、依存性がある。詳しい理屈なんてわからない。けれど、この力は使い続けてはいけないものだという気がした。
「待ってろ、気をそらせるようにしてやる」
そういった『剣鬼』は懐から小さな箱を取り出した。それを開くと、ねじ巻きのついた金具が入っていた。
オルゴールだ、と『剣鬼』は言った。
ねじを巻く。音が鳴る。清らかでいて安らかな音の波動が、部屋中を満たした。
頭の芯をこするような感覚。優しく刺激しているようで、確かななにかを訴える感覚。おおらかに包み込むようで、大事ななにかを侵略していく感覚。胸を満たすようで、頭の中で音がつっかえているような感覚。
でも確かに、それは救いだった。
一時の痛みを忘れられる、頭の中を支配してくれる、救済の音だった。
まるでこれこそ、麻薬みたいじゃないかって思う。
「師匠、おれ……」
「ん?」
「夢を見るんだ、怖い夢を」
「……」
「おれの体は、すべてがキューブでできていて、今にも崩れ落ちそうなんだ。けれど、それをたくさんの手が無理やり抑え込んで形を保っている。圧迫感があって、苦しいんだ。でも確かに俺は善意に生かされている。でも……」
「そんなものは悪い夢だ」
「でも……」
『剣鬼』は真面目な顔になって考え込んでしまった。
俺は揺らめく炎の動きに意識を集中させた。
難しいことは、よくわからない。考え始めると、頭が軋むように痛むのだ。
やがて『剣鬼』は、鼻で笑うような動きをした。
「想像力豊かな、不思議な夢だな」
切って捨てるような言い方は、かえって俺を安心させた。
最初から、気にするような夢じゃないと、そう笑い飛ばしてくれれば、俺はそれでよかったのだ。
「でも、夢は夢でしかない」
「うん、そうだよね」
「世界は精霊で形作られている。その信仰に引っ張られたんじゃないか? 現実に存在するものは精霊が創造している。炎も、人間の体も。精霊の集合意識が、それを保ち続けている。お前の夢は、まさにこの伝承そっくりそのままじゃないか?」
俺はそれを聞いて曖昧に笑った。俺はそんな知識を知っていたっけ?
きっと、忘れていたのだろう。けれど、記憶の欠片が想像を読み込んで、イメージを夢に映し描いたのだ。
夢は、夢だ。気にしたところで仕方ない。
俺は自分にそう言い聞かせる。空気が張り詰めていて、少し冷たくなった気がした。
現実で生きていると、時々無性に寂しいような、虚しいような気持に襲われることがある。
なぜなのかはわからない。いったいなにがそうさせるんだろう。
なにかが欠けているかのような錯覚が時折自分を強く支配する。爪で自分の肌をひっかいても、現実感がない時がある。確かに感覚は伝わっているのに、まるで自分の体ではないような。
鏡を見ても、どこか自分の顔に違和感を覚えることがある。誰かが思い出して作った顔のみたいに、ほとんどは正しいのに、小さく間違っている気がする。
とっかかりのない不安は、いくら考えても無駄なものだ。
考えるのはいけないことだとすら思う。
いつしか体の痛みは消えていて、すべてが悪い夢だったような気がしてきた。
俺は使命感を募らせて立ち上がった。
「そろそろ行こう」
「珍しくやる気じゃないか」
「いつだって俺は夢と希望に溢れた若者だからな」
「たまに零れてるけどな、若者クン」
部屋を出ると、埃が鼻を塞ぐ思いをした。この宿はもう随分と使われていない。
ここは最前線に近い村。新たな来訪者など誰も来ない。けれど、住人は誰一人と退去しない。毎晩流れ込んできた魔物に住人が殺されているのにも関わらず。
こちらを見つめる二対の目がある。輝く純粋さ籠る瞳。そこに込められている感情は『憧れ』だ。
『半勇者』は世界全ての生きとし生きる者に認知されている。こんな小さな子供にだって、しっかりと伝わっている。
「『半勇者』様!」と子供は言った。
男の子と女の子、一人ずつ。背丈からして男の子の方がお兄ちゃんなのだろう。
女の子の方は男の子の方の背に小さくなって隠れている。
そんな女の子の手を引いて、男の子は俺たちの目の前にやってきた。
「これから魔物退治ですか?」
「ああ、そうだよ」
「すごいです! 『半勇者』様は特別な人ですよね。どこにでも行けて、戦える!」
その声質からあふれ出る尊敬の気配に、なんだか照れ臭くなった。
同時に自分の容姿の弱々しさが憎くなった。
「ああ。俺が戦って、世界を救うよ。この村だって、誰も死なないようになる」
「ほんとうですか?」
「ほんとうに、ほんとうだ」
男の子がもじもじし始める。なにかを言おうか、迷っているかのようなそぶり。
その気持ちがよくわかるから、俺は優しく声を掛けた。
「どうしたの?」
「あの……」
「うん?」
「『半勇者』様は……どうやって戦える力を手に入れたのですか?」
俺はその質問に困ってしまった。鍛えたり武器を取ったり、なんらかをすれば一定の力ほ人間は持つことができる。しかし、この男の子が言っているのはそういうことではない気がした。
「僕も……力が欲しいです。妹を守れるだけの力が」
そういって握りしめられた、小さな拳に宿る確かな願い。手のひらに込められた固く、切実な意思の咆哮。兄であるという使命感が、この子を駆り立てているのだろう。
欲しいのは、目先で手に入る結果だ。
俺は少し迷った後、懐から鞘に納められたダガーを取り出した。
子供に渡していいものだろうか?
諫めるべきかもしれない。大人の意見を言い渡すべきかもしれない。
でもこの子の気持ちが痛いほどにわかったから。
だから、根拠もなく信じてやりたいという気持ちになった。
「これは俺の使っているダガーだ」
「え? 僕にくれるんですか?」
「ああ、『半勇者』のダガーだ。きっと君を守ってくれる。正しく使いなさい」
男の子の顔がぱあっと明るくなる。
俺はこの顔を見るために、無責任なことをしたのかもしれない。でも、この小さな体に込められた大きな決意を信じようと思った。
男の子が興奮した様子で女の子にはしゃぎたてている。子供同士の感情は簡単でいて単純に伝染しやすい。女の子の方も、釣られて嬉しそうにしていた。
いつか、と思う。
この男の子が俺のあげたダガーを握りしめて、冒険に旅立つ時がくるのだろうか?
思い出を大切にして、決意を忘れずにいて。
「『半勇者』からもらったダガーをお守りにして、男の子は成長をする。
こんな妄想をするのは、思い上がりかもしれない。
◇
村から出る時は、盛大に村民達に応援された。
家と家が繋ぐ隙間と隙間に、綺麗に村民たちが並びたてられている。はち切れんばかりの表情で、手元の布を振り回している。気合の入った何人かが歌を歌い、旗を振り回していた。まるで英雄の凱旋気分だ。
彼らだって希望が欲しいに違いない。彼らだって夢を見たいに違いない。
――そうだろ? と思う。
俺がその夢を叶えてやるのだ。
こうしてまた一つ、俺の胸に決意の炎が確かに灯る。
村の出口にはこの村の村長が立っていた。背後では、今でも声援が聞こえる。俺たちは期待されている。
でも、少し違和感があった。よくこんな外見の俺に期待なんかできるなって。
見た目だけなら師匠の方がよっぽど強そうに見える。俺は……髪色だとか服装が赤色で派手なだけで、悪目立ちしているだけだ。本来の見た目の貧弱さを、誤魔化している。
それに……。
なんなのだろう。うまくは言えない違和感がある。誰もかれもが俺たちを応援している。そこには純粋な応援の気持ちしか伝わってこない。
……なんなのだろう。超感覚で、村民達のおおよその感情が伝わってくる。マイナスの感情の一切がない。……よくわからない。
「お気楽な奴らだ、とお前は思うか?」と『剣鬼』は言った。
「いや、そこまでは……」
「お前は『半勇者』だ。余計なことは考えなくていい。目の前にある確かな現実を享受すればいい。思考の介在する余地なんてない」
「考えるだけ、無駄なのかな?」
「やるべきことは決まっている。お前は世界に望まれているんだ。お前は期待に応えなければならない」
きっとそうなのだろう。それが正しいのだろう。
考えたって仕方がない。けれど……なにかが気持ち悪い。歯の隙間に異物があると感じているのに、探してもどこにもないような気分だ。
絶対にあると感じているのに、その確信に理屈をつけることができない。
俺はなんの答えも見つけることができないまま、村長に話しかけた。
「いい村ですね」
「あなたの村です。あなたのための村です」
「……なんでこんなによくされてるか、わからないんです。……こんなこと言ったら、『半勇者』失格ですかね」
「いいのですよ。我らはあなたの全てを肯定します。精霊の教えに従って、あなたを頑なに信じます。信じることで、救われます。希望の象徴一つで、人の心は綺麗になります」
わかっている。俺はみんなの象徴だ。象徴は奉られる偶像として、正しい姿を見せ続けなければならない。飾りのような衣装だって――これは正しいのだ。
例え結果を出せるかわからなくとも。
……俺は着飾る必要がある。
「……なんで、皆さんはこの村から退避しないんですか?」
「精霊の教えのためです。我らは生まれた地にその身体を還す。決められた通りに生きて死ぬ。精霊から頂いたこの身体は、精霊のルールにのっとって最後まで使われるべきなのです」
そうだ、それが納得できないのだ。
俺が口を出すべきじゃないことなのかもしれないけど。
「でも……ここにいればみんな死んでしまいます。俺たちは魔物を全滅させれるわけじゃない。淵から魔物は無限に湧くし、淵が世界を侵食し続ければ、いずれこの村も飲み込まれる。……信仰よりも、命の方が大切なんじゃないんですか?」
「そう言えるのはあなたが特別だからですよ」
村長は微笑んだ。
「半勇者様。あなたには特別な力、特別な資格、特別な自覚がある。土地に縛られることがない。精霊があなたに加護を与えているのです。あなたの身体はどこで朽ちても、精霊に還ることが保証されている」
生まれた土地を捨てて逃げること。
それがどれだけ辛いことか、わからないわけではない。でも、優先すべきははっきりしている、と思う。
しかし、そう思えるのは俺が『半勇者』だからだ、と村長は言う。
けど……精霊に一番贔屓されているはずの『半勇者』がその思想に共感できないなど……おかしな話だ。
俺は煮え切らない気持ちのまま、村を出発する。
「師匠……おれ、こんなの間違ってると思う」
「何も考えなくていい」
俺の悩みは切って捨てられる。気にするべき問題は他にあるのはわかってる。
でも、
「あの子供たちも、死んじゃうのかな」
「お前が勇者に成らなければ死ぬ。それだけだ」
世界は黒に侵略され続けている。淵は大地を腐らせながら、世界を喰らいつくさんと侵食を続けている。
俺が勇者に成る前に、この村は侵食されるだろう。現実的に考えて、彼らを救うことはできない。割り切らなければならない。
◇
――世界の中心には『魔王』がいる。
それがルールだった。とにかくそういうことになっていた。
この世界は侵略され、侵食され続ける。
――『半勇者』は覚醒し、『勇者』にならなくてはならない。
そうでなければ、世界を救えない。
それがルールだった。
◇
ローディングナウ、と馬車で歌う師匠に俺は話しかけた。
「師匠。魔王なんて本当にいるのかな」
「どういうことだ?」
「全部馬鹿らしく思えるんだ。村の人たちの信仰も、世界に伝えられている逸話も。……こんなの間違ってるって、強く思う」
きっと考えるな、と言われるのだろう。
そう思っていたが、『剣鬼』からは深みの声で、解が返ってきた。
「間違っていない。人は自分の信じる世界を信じなければならない。なにかに縋るような信仰が馬鹿らしく見えるかもしれないが、それはそいつにとっての世界だ」
「信仰のせいで死んでしまうとしても?」
「それがそいつにとっての世界だ。別に死んでも自分のことを不幸には思わないだろうな」
そうなんだろうか、と俺は考える。
無根拠に声援を飛ばす村の人々。勇者に憧れていた男の子。
自分を救ってくれると愚直に信じている村の人々。
救いのない世界で勇者に希望を見ている男の子。
よくわからなくなってくる。信仰は確かに人を幸福にしているのは間違いない。
信じられるものがないよりも、信じられるものがあった方がずっと幸福なのだろう。
……でも、その信仰のせいで、彼らは村を離れられない。
「おかしいよ、こんなの」
「おまえの思考だって、他の誰かに言わせれば馬鹿げた信仰かもしれないぞ? なんで教えを疑うんだって、感じるに違いない」
「だって人が、人が死ぬんだよ」
師匠の言っていることは、理屈が通っていると思う。けれど感情が、納得を許さない。
きっと、俺が子供っぽいのだろう。師匠はこんなにも大人だ。俺が間違ってる。
黙りこくっていると、『剣鬼』はため息を吐きながらこんなことを伝えてきた。
「なあ、『半勇者』。人は幸せになるために思考するんだぞ? 悩んで不幸になるなんて、損だ。お前に言わせればこれが私の信仰ってことになるんだがな」
「……」
「痛いのも苦しいのも悲しいのも、そういった感情を知っているから幸せになりたがる。お前のいう『なにかに縋るような信仰逃げだ』って気持ちもわかるが、なにかを信じるような文化は人間の進化として必然の流れだ」
――だって、信仰は人が幸せになりたがって生まれた産物なのだから。
師匠は静かにそう言った。
むしゃくしゃして「あああ!」と俺は頭を掻きむしった。
「魔王の顔が見てみたいよ。なんで世界をこんな風にしたんだろう?」
「さあな、もしかしたら特別な事情があるのかもしれないぞ。実は悪い奴じゃない、ってパターンかもしれない」
「どうだか。絶対性格悪いぜ。師匠と似たような性格に違いないよ」
「そうだな。きっと草木を愛で、鳥に餌を与えるような性格をしているに違いない」
「嘘は生まれてこの方、一度しかついたことがないんじゃなかったのか?」
「もちろん。だからこの言葉も真実だ」
「今生まれて三回目の嘘を口にしたよな」
目的地に着いたので、馬車から降りる。
激しい修行による体の痛みはほとんど残っていなかった。けれど、今から痛くなるのだろう。
俺たちは淵をぎりぎり目視できるところまで来ていた。淵から無限に湧く魔物を少しでも間引く。同時に、俺の戦闘能力のレベルアップを計る。効率的な作戦だ。
見渡す限りの荒野が広がっていた。風で砂利が巻き上げられ、重たく陰鬱な雰囲気が毒々しい。太陽の光は鈍く、土色の地面を強調するかのように照らしていた。
地面を見ていると、「なにも生きていない」という思いが自然と湧いてくる。
死んでいる。世界は淵に飲み込まれ、ゆっくりと侵食され、侵略させていく。
悪の魔王が世界を滅ぼそうと目論んでいる。
「見本を見せるぞ」と師匠。
やや遠くから走ってくる犬型の魔物を、目にもとまらぬ速さで一閃。
『瞬閃』という技なのだと、師匠は言った
「まるでできる気がしないんだけど」
「教訓を教えてやる。『自分の信じる世界を信じろ』だ。強い自分のセルフイメージを体に纏わせろ。きっとできる、と思うのがコツだ」
そんな簡単にできるわけがないと思ったが、師匠の言うことなので信じてやってみる。『剣鬼』の目にもとまらぬ一閃。動きは人の理を越えているものだったが、目で追うことはしっかりとできた。師匠の動作を自分の体に当てはめて、何度もシュミレーションを繰り返す。
「一つ目の力」
剣を構え、こちらに走ってくる犬型の魔物を眼前に捉える。
タイミングを計って一歩を鋭く踏み出し、切り裂いた。
――『瞬閃』。
驚くほど綺麗に魔物は両断され、慣性のついた二つの肉片が俺の横を通り過ぎていく。軽く降りかかった血しぶきを気にしながら、俺は師匠に向き直った。
「できた」
「おまえは天才だって言ったろ」
不思議な感じがした。剣は異様に手に馴染み、技は今まで何度も繰り返してきたかのような親近感があった。師匠とは威力も早さも比べ物にならないほど劣っているが、精度という意味では完璧に近い、と直感的に感じた。
これも勇者固有のスキル『直感覚』の恩恵なのかもしれない。
「体は痛むか?」
「ほんの少しだけ。魔法がきいている間は、しばらく戦えると思う」
「急成長だな。昨日まで剣を握るだけでも辛そうだったのに」
「……これも『半勇者』としての力なのかな」
「どうだかな。息子が急に背が伸びたような感じがして、私は嬉しいよ」
「ありがとうなパパ」
「所帯がないのに息子がいるような気分で最悪だ」
冗談を言い合いながら、俺達はしばらく魔物を駆除し続けた。師匠が技を繰り出し、俺がそれを見て真似る。すべて一回で完璧に習得ができた。
なんだかうまく行き過ぎているような気がした。殺すたびに、どんどん力が増していくのを感じる。力は外からもらったというよりも、内側から湧き出るような感覚と共に得ることができた。
強くなることを実感するたびに、誰かの声が聞こえた気がした。ブロックでできた俺の身体を、ぎゅっと押して勇気づけているような感覚を覚えた。
「十分だな」と師匠が呟いた。
「これからは単独行動だ。私は淵の近くまで行って魔物を間引いてくる。『半勇者』はここらで力を慣らしておいてくれ」
「わかった」
「それと……淵には近づきすぎるなよ」
「どうして?」
「どうしてって……そんなの淵に近い方が強い魔物が出るからに決まってるだろ。なんでそんなこともわからないんだ?」
違和感を感じた。嘘はついていない、と超感覚は告げる。
「逃げるだけならもうできる。今のうちに強敵を見ておいた方がいいんじゃないかな」
「いいから黙って言うことを聞け。まだ早い」
「……わかったよ」




