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 誰もが傷つき、倒れ伏すその荒廃した戦場にて。

 仮面を被る黒の魔王は闊歩する。


 周囲では、苦しみに喘ぐ者たちと、宿願を泣き叫ぶ魔人達の声が木霊する。


 ――怨嗟の声が鳴り響く。


 殺せ殺せと泣き叫ぶ。


 それは絶望した者たちの自死を望む声なのか、自らの敵の死を願う声なのか、なんなのか。


 感情の籠った声々が鼓膜を震え上がらせる。そんな地獄を、黒の魔王は闊歩している。


「……」


 黒の魔王は助かる見込みのあるものを順に治療していった。彼は『犠牲の翼』をはためかせ、他人の痛みを受け入れる。


 ――すべてを背負い、痛みを肩代わりする能力。


 魔人には強力な再生能力があるが、魔人は魔人としての能力を使う程にその病状を悪化させていく。それを肩代わりし、引き受けるのが黒の魔王の使命だった。


 感謝の声は聞こえない。黒の魔王は救っても救っても、親しまれることなく、畏怖のまなざしを向けられる。


 ――それは、なぜ?


「ううう、あああぁ」

「助けて、助けて」

「いたい、いたい……よ」


 休むことなく黒の魔王は魔人化進行の毒素を引き受ける。そうするうちにようやく最後。彼の使命はたった二人を残すばかりとなった。


 翼の生えた小さな子供の魔人と、角を生やしどろどろとした液体を目から流す大人の魔人。


 黒の魔王は犠牲の翼をはためかし、二人の魔人をその翼で包み込んだ。


 ――痛みと苦しみのフラッシュバックが始まる。




 大人の魔人は降り注ぐ弓矢から子供の魔人を庇い、逃げ惑う。この子だけは守らなくてはと、必死の形相で手を引く。手、足、背中、至る所に弓を受け、それでも子供を守り切った。けれども、戦線から離脱する寸前、残忍な人間兵一人が、大人の魔人を切り裂いた。


「なんだよ、愛ある行動、子供を守るみたいな行動をとりやがって」


 汚らしい、と人間兵は怒鳴る。


「大陸に病魔を振りまく害虫が! 人間らしい行動なんてしてんじゃねえっ!」


 子供の魔人が吠える。自分を守ってくれた大人が死の剣にかかるのが、嫌で嫌でたまらなくて。


 そうして魔力は覚醒し、人間兵は炎の魔法に焼かれた。衰弱していく子供の魔人を、大人の魔人は急いで抱きかかえ、戦場を駆ける。


 子供の魔人はもごもごと呟く。


「父さん」


 彼らの関係に血のつながりはなかった。魔人は非迫害者。追い詰められた者同士が寄り添い合って、互いを助け合っている。


「父……さん」

「しゃべるな!」


 子供の魔人は幼少の頃にて親に捨てられた。醜い翼が生えたことをきっかけに、奴隷商に売り飛ばされた。それでも親を愛してた。だから、この大人の魔人を親として呼んだことはなかった――。


 そして今、子供の魔人の体中に、呪いのような醜い痣が浮かび上がっていた。


「とうさん。ぼく、まだ生きられるかな?」




 ――そうして、彼らの記憶の追跡は終了する。


 黒の魔王の体の中に、痛みが入り込んできた。弓を受けながら駆ける痛み。大事なものを失うかもしれないという恐怖に押しつぶされそうになりながら、胸が圧迫されていく感覚。


 大人の魔人のどろどろとした涙が引いていく。子供の魔人の体中にある、蛇のようにのたうち回るような痣が薄れて消えていく。


 黒の魔王の意識は浸食されていく。彼らの痛みを追体験し、ストレスに苛まれ、苦しみ抜いた思いを、黒の魔王は背負い込む。


 僕は、と黒の魔王は思った。

 僕はもうだめかもしれない、と。


 意識を失いかけながら、仮面抑え、何とか自分を奮い立たせながら、黒の魔王は踏ん張った。絶対の支配者として弱い姿を見せることなく、彼はこの場を去らなくてはならなかった。


 まるで黒のカーテンのような犠牲の翼が、その瞬間取り払われた。黒羽根の欠片が天を舞う。木の葉が風に揺られて舞うような、神秘的な光景。しかし、そこにはどこか圧がある。魔力を孕んだ羽根の欠片は、見る者を畏怖させる。


「ま、魔王様……」


 大人の魔人が深く深くお辞儀する。

 それできっと、黒の魔王も気が緩んだのだろう。


 自然と手を伸ばし、子供の魔人の頭を撫でようとした。


「……ひっ」


 絞り出すような、胸の底の底側から鳴らす、恐怖の籠った小さな悲鳴。


 ――黒の魔王は伸ばしかけた手を引いた。


 大人の魔人は血相を変えた。彼は子供の魔人に怒鳴りつける。


「なにをしている! なにをしたか、わかっているのか!」


 彼もまた恐怖に支配された愚鈍なる民衆の一人。


 必死で子供の首根っこを抑えつけ、子供の頭を黒の魔王の御前に差し出した。


「申し訳ありません魔王様、何卒、何卒お許しを……失礼を、ご容赦ください……何卒……」


 ――僕はもう、だめかもしれない。


 黒の魔王はそう思う。


 大人の魔人は子供の魔人の頭を、再び黒の魔王に撫でさせらようとしていた。それがいかに狂った行動なのか、おかしいことだということが、まるで理解できていないのだろう。


 恐怖に支配された愚かなる民は、圧倒的な支配者を目前にして、理性を失ってしまっている。恐怖が理性を麻痺させる。大量の負の思いを蓄え、ますますと力を増した黒の魔王に慄いている。きっと彼の目から見た黒の魔王は、地獄の悪魔より恐ろしく映るに違いない。

 行動が恐ろしいから、見た目が恐ろしいからという理由ではない。ただただ、その纏うオーラが陰鬱で圧倒的だから。ありとあらゆる痛みと絶望を体験し、魔王という名が背負う象徴が恐ろしいから、それでこんなことになっている。


 黒の魔王は孤独だった。


 黒の魔王は許しを請う大人の魔人の声に応えず、背を向ける。

 彼はゆっくりと陣営に戻っていく。その頭には、先ほどの出来事が何度も蘇っていた。彼らが経験したこと。痛かったこと、苦しかったこと。迫害者に、強者に一際強い恐怖心があること。剣に追い立てられ、血を流しながら走り続けたこと。

 全部全部、その出来事は黒の魔王の頭の中にある。


 ――けれども。


 そんなことよりも、子供の魔人のあの表情が忘れられなかった。

 黒の魔王が手を伸ばしていく時に見せた、あの恐怖の表情が。


 ◇


「なにをしているのです?」


 帰還し、疲れ果てた黒の魔王を迎え入れる言葉は、そこから始まった。

 天幕の中、佇むその男は、参謀と呼ばれていた。

 参謀は重い魔人病を患っていた。彼の体には異常が多く起きている。その四肢は捻じれ、頭には醜悪な角が二本。唇は紫色で、指先や片耳など、体のあちこちが欠けている。これは魔人病を患った者特有の欠陥障害だった。彼は日常生活を送るのに不便するほどに体が欠けている。


『参謀』と呼ばれるその男は、確かに黒の魔王を憎んでいた。


「……」

「仮面越しに見えるその疲労。絶対の支配者としての自覚がおありで?」

「……」


 ヒステリックに喚くその声はとてもうるさく、とても耳障りで、聞くに堪えないものだった。そこに内容は存在しえない。


 ただただ、言葉は他人を傷つけるために存在している信仰するかのように、参謀は吠え続ける。


「このクズが。彼女から力を横取りした簒奪者のくせに」

「……」

「言い当てて見せましょうか? 胸の内を。なんで自分は感謝されないんだって、そう嘆いているんでしょう? こんなにも身を粉にして頑張っているのに、なんでこんなにも孤独なんだって」

「…………」


 参謀は頭が良かった。優れた戦術を考え出す彼は、人の心にもまた聡い。だからこそそれを武器とし、巧みに心を傷つける。演説するかのように、重要なセリフでは声色を変え、強調し、心の奥底に傷をつけようと工夫する。


「なんとかいったらどうなんですか! え?」


 参謀は黒の魔王の仮面を剥ぎ取った。憔悴し、涙をぽろぽろと流す黒の魔王の顔が露になる。


「やめてくれ……!」


 黒の魔王は蹲り、必死で顔を隠した。その様子を見て参謀はせせら笑う。


「その被害者面! まるで傷ついていますといわんばかりの! ……いったいどの面下げてその立場を気取れるんです!」


 参謀はさらに言い詰る。その言葉には熱が籠り、制御を失いつつある。

 怒鳴り声が黒の魔王の精神を圧迫する。それでも反撃しないのは、黒の魔王自身が大きな罪を抱えているからだ。


 そうだ、と参謀は呟く。


「お前は一生苦しみ続けるべきなんだ。彼女を殺した、お前みたいなクズは。愛を語って彼女の心を引きずり込み、殺さないでという懇願の中、お前は彼女を殺した。最愛の人に殺されるだなんていう苦痛を合わせた、悪魔なんですよ、お前は」

「やめろ……!」

「自殺をしないのが不思議でたまりません。生きている価値がない。お前みたいなやつ、生まれてくるべきじゃなかった」

「やめろ!」


 黒の魔王の体から魔力が昇り、参謀を強く吹き飛ばした。

 天幕の中のものが錯乱し、散らばる。木箱は砕け、食糧諸々の物資がダメになる。埃と果物の液体を浴びせかけられた参謀は、憎々しげに黒の魔王を睨め付けた。


 しかし、その眼差しには確かな黒の魔王への恐怖がある。


「死んでくださいよ、クズ野郎」


 それでも参謀は黒の魔王を呪うことをやめない。確かに恐怖を感じているのに、怒りを原動力に黒の魔王を口撃し続ける。


 怒りを胸に宿すものの心情。


 売られ、裏切られ、抉られ、切り刻まれ、拷問され、見世物にされる。貴族のおもちゃとして犯され、壊れてしまえば捨てられる。

 そのほとんどを受けて生き残った参謀という男は――救世主であった白の魔王を一際慕っていた。もしくは、崇拝していたとも言えるだろう。


 騒ぎを聞きつけたのか、黄色の髭を蓄えた魔人が様子を見に来た。

 魔王軍にて高位の立場にある魔将という存在。黄色が特徴的な彼は雷の魔将としての職を持つ。

「参謀、ここはわしに任せて下がるんじゃな。どうにもお前は魔王様に対して度がすぎる態度を取りがちじゃ」

「あなたには関係のないことでしょう?」

「ある。我らは結束せねばならん。ただでさえ人間達に我らは追い詰められておるのじゃからな」


 黒の魔王はそんな二人のやり取りを見ていた。

 ああそうだ、と黒の魔王は思う。


 ――僕らは結束せねばならない。けれどこの行軍が続いて三か月。僕と参謀の間にはなんの絆も生まれちゃいない。……むしろ悪化している。


 年配然として、雷の魔将は参謀を追いやった。そして黒の魔王に歩み寄る。


「大丈夫でしたかな? 我らが君よ」

「……僕が恐ろしくないのか?」


 その瞬間、雷の魔将はぷっ、と唾を飛ばしながら噴き出した。


「なにを言っておられます。わしは魔将最強の魔人。わしがあなたを恐れるなら、魔人の誰があなたに普通に接することができますかな?」

「……そうかな」

「まあ、立場上言葉遣いは直すことはできませんがな」

「残念だよ」

「そうですかな?」


 茶々たっぷりに、雷の魔将は笑って見せる。


「失礼ながら、昔話を一ついかがで?」

「ああ」

「わしには息子がおりました。あなたと同じ、黒髪黒目。内向的でしたが、笑った時の表情はそれはもう豊かなものでした。心根が素直な、大切な息子でした」


 我が君よ、あなたは少しわしの息子に似ています。


「わしにとってどちらも大切な存在です。苦しい時、悲しい時、辛い時、そんな時ぐらいは、この老骨の胸をお貸しいたしますぞ」

「……ありがとう」


 黒の魔王は胸の中が温かくなるような錯覚を覚えた。

 いつも感じる、狂おしいほどの寂寥感。この世に味方は存在しない。一人で戦わなければならない。白の魔王のように、一人で敵を殺戮し、もたれかかるべき存在はどこにもありはしない。


 それが恐れらるる『魔王』という職。


「我が君よ。あなたは能力の特性上そうなるのかもしれませんが、一人で抱え込もうとしすぎです」

「仕方のないことだ」

「そうでしょう。けれどあなたは一人じゃない。それを覚えておいてください」


 そう言うと気恥しそうに雷の魔将は微笑んで見せた。


 ――けれど、


 雷の魔将は新たな人間の勇者によって、殺されることになっている。

 ただ一人、孤独に。めった刺しにされて殺される。

 これはそういう物語だ。

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