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夢の続き

手を取り合って、私たちはこの世界から脱出した。

第二世界には帰れなかった。おそらくは物語的終止符が打たれていないせいで。


このなにもない空間から脱出するのは簡単なことだった。だって、私たちの手元には物語の書がある。ここに一文記述するだけで、元いた泉に帰還することができた。


クロルは……最初の世界のことを何も覚えていないようだった。


――今でも私は、最初の世界で彼と過ごした時間を覚えてる。


鮮明に思い出せる。細かなところまで。私が言った言葉に何を返すのか、私にはわかる。


「クロル」

「ん?」

「ううん、なんでもない」


私は彼の腕に縋りついて甘える。彼はそれを許した。

元々、殺し合いさえした私達。語り手を倒すまで、彼は私を敵として認識していただろう。なのに、私から結婚を申し込むと彼の態度は驚くほど柔らかくなった。

たぶん、彼もそれを求めていたのだろう。私と同じだ。最初から最後まで、私だって彼を殺したくなんてなかった。


そんなことを確認すると少しだけ嬉しくなる。


私達はふさわしい決着を迎える。読者がこの世界を書物として見ている。物語的終止符を果たせと迫る。


いいだろう、と思う。

私達は決着を迎える。勇者と魔王は結ばれて、永遠に幸せに過ごす。


――運命に負けてたまるか。



あれから私たちは何度も結ばれた。

この世界のルールなのだろうか? 子供はできなかった。

それも当然かもしれない。私たちは第二世界出身。生命を宿せば、なにかしらのバクが起きるかもしれない。それを防ぐため、強いルールとして第二世界の生命の誕生を阻止するためのなにかを、語り手が置いておいたのだろう。私だったらそうする。


もう三年も経った。日々は相変わらず平和なまま。

そろそろ忘れてもいいのだろうか? あの辛い、戦いの連鎖を。殺し合って苦しめて、嬲って追い詰めて痛めつけた、あの日々を。

大好きな人を傷つけて、残酷な笑みを形作っていたあの日々を。


……必要なことだったのだ、と思う。語り手や読者を騙すには、あれぐらいする必要があった。


でも、たまに罪悪感が溢れ出す。あれほどにまでクロルを傷つけてしまって、自分はここにいていいのかって。

資格がないんじゃないかって、考えてしまう。だから精一杯、私は彼に尽くそうと思う。


「無理してる?」と言われたのは、その次の晩のことだった。


「ううん。どうして?」

「いや……最近すごく苦しそうだから」

「そんなことないよ! 私はクロルと一緒にいられてすごい幸せ」


にっこりと笑って見せる。彼に一ミリたりとも不安を負わせたくないから。

彼は黙って私を抱きしめた。大丈夫だよ、わかってるよって言うみたいに。

不意を打たれて、なにかが目元に昇る。けれど必死に耐えた。


「あはは、今日のクロル、なんか変だよ」

「……そう? 僕も不安なのかもしれないね。ここは夢の世界みたいだ。いつか消えて、無くなってしまうんじゃないかって思ってしまう」

「……夢なんかじゃないよ」


私はクロルの手を握る。


「私はここにいるよ。ずっとクロルと一緒にいるよ」

「……ありがとう」


力強く抱きしめられて、多福感にくらくらする。いまだにどうして、こんなにも彼のことが好きすぎる。


ずっとこんな時間が続けばいいのにって思った。

過去の不安から解放されて、この幸せだけを噛みしめられればいいのにって。


彼の腕は、私を過去から遠ざけてくれる。

彼の唇は、私を現在に縛り付けてくれる。


溺れてしまいそうだった。溺れかけていた。

私はこんなにも幸せだ。


「大好きだよ」と私は言う。


もう一度だけ、キスをする。



五年経った。一回目の世界とは違い、こんなにも罪悪感に襲われるなんて考えてもいなかった。

けれど、私の中に彼から離れるという選択はない。どうしようもない、追い詰められている、袋小路。


でも、こんなことで負けてたまるかって思った。

私は運命に負けない。ふさわしい決着(ラスト)を飾るのだ。

私達は幸せに生きる。これが私たちの物語的終止符(ラストピリオド)だ。


幸い、私の悩みはクロルに隠し通し続けられている。


彼は今、一人で眠っている。私は朝焼けに照る泉を見て、膝を抱えている。


「こんなところで一人で、どうしたの?」


けれどやはり、私の勇者様はやってきた。私を救うためにやってきた。

失敗だった。なんとなしに辛くなって一人で泉を眺めてた。でもそれを察知して、クロルは私を助けに来てしまった。


「……なんでもないよ」

「そっか」


クロルは静かに私の隣に座る。ちゃっかり手を繋いで。


「……何でもないって言ってるでしょ」

「そう?」


怒ったようにいう私に嫌気がさしてもいいだろうに、彼は飄々と受け流した。

それで私は、涙が溢れる。彼だって私が打ち明けないの、辛いだろうってわかってる。


「ごめんね」


縋るように、私は言う。


「ごめんね、ごめんね、クロル……」

「うん、いいんだよ。僕はただ君の傍にいる。君が手を伸ばせば、届くところに」


僕は、とクロルは言う。


「いつだって君の勇者様だ。どんな無理だって聞いてやる。どんな手を使っても助けてやる。わかるだろ?」


クロルは私の勇者様だ。私を殺しに来た、私の勇者様。

今となっては、すっかり意味は逆転しているけれど。


「昔とは逆だね」と私は笑う。

「不思議なもんだね」とクロルは軽口を叩いた。


そうだ、この人ならばすべてを任せられる。

抱えていても無駄だ。きっとすべて見通されてしまう。

だから全部話してみようって思った。


私の罪悪感も、物語的終止符のことも。


「あのね、クロル、物語的終止符のことなんだけど――」



『白の勇者』は物語の書を手でなぞる。


「あのね」

「ん?」

「もしも私が――」


私は喉を抑えた。なんでこんなことに。


「ああ」


涙が溢れて止まらない。


「うあああ、あああ、やだぁ」


あんなにも頑張ったのに。あんなにも苦しんだのに。

あんなにも優しくしてもらったのに、なんで全部消えちゃうの?


「ああ、クロル、クロル――」


体から力が抜けてしまって、その場に膝をついた。

助けはこない。驚いたようなクロルがその場で固まっている。

彼はまだ私の勇者様じゃない。私は彼にとっての敵で、殺すべき宿敵。


そう思っていたのに、クロルは私を抱きしめた。

何も覚えていないはずなのに。


「大丈夫? シルファレア?」

「う、あ――うん。うん。うん……」


私は情けなくも、敵に縋って泣いてしまう。彼の胸の中で。

抱きしめられながら泣いてしまう。こんなことじゃだめなのに。


しばらくしたら落ち着いて、私はようやく涙を止めることができた。


「大丈夫?」と心配そうに聞いてくれるクロル。

「大丈夫」と私は答えた。


十分休憩したはずだ、と自分に言い聞かせる。まだ心は折れていない。ただ少し、悲しかっただけだ。

だから私は、胸いっぱいに空気を吸い込んで、もう一度あの時と同じ言葉を吐き出す。


「あのね、クロル」


もし私が――。


「もしも私が、結婚してくださいって言ったら、どうする?」


三回目のプロポーズ。



三回目の世界は三か月と持たなかった。

なぜだろう、と思う。

まず条件として、クロルは周回世界の記憶を持ち越せない。持ち越せるのは私だけだ。


そして世界を四回、五回と繰り返す。


それでわかったことがある。物語的終止符のことに触れると、世界は確定で巻き戻る。ならば触れなければいい、と思って試してみた六回目。原因がわからず、また私は戻された。


……。


十回、二十回と試行回数を繰り返す。

多くの世界の規則が分かった。それらをすべて切り抜けているはずなのに、不可解なタイミングで世界が戻る。


百回、二百回。


そろそろ何回世界を繰り返したかわからなくなってきた。戻った時に必ず、自分の体に数字を刻むことにする。

ここまで来てようやくわかったことがある。

物語的終止符。これについて私が考えた回数がトリガーとなって、世界は巻き戻されるようだった。

ならば、と考えないようにしながら生きることにする。


すると、最高記録である十年間の安住ができた。これならば、と私は引き続き繰り返しを続行する。


そして五百回目。

限界を感じてきた。どうしても物語的終止符のことを考えてしまう。どんなに考えないようにしても、ふと頭に浮かぶ。当然なのかもしれない。それを乗り越えるために私は世界を繰り返しているのだから。


……七百回目。

もう私はどれくらい生きたんだろう。一回の世界で平均五年程度だから……まあものすごくおばあちゃんだ。もうやめてしまいたい。

それでも運命に屈するわけはいかなかった。


そして九百回目に入る頃――。


滞在時間がどんどん減っていった。三年と持たない。

私は悟った。ここが限界なのだと。

でもそれでもけれども、諦めるわけには諦めるわけには諦めるわけには?


…………。


クロル、助けて。


……………………。


辛いよ。


………………………………。



九百三十一回目。

一年が経過した頃だった。もはや頭が働かない。今、私は何のために生きているんだっけ?


いまだにクロルのことが大好きだった。永遠の愛。自信をもってそう言える。

でも、あまりも心がすり減っていた。私の心はあまりに荒み、歪んで、捌け口を求めていた。


平和そうに暮らす奴ら。誰のおかげで生きているのかわかっていないやつら。

魔人も人間も、ただの人形に過ぎない。感情めいた行動をするが、その実彼らは魂を持たない。

機械仕掛けの人形が苦しそうな音を奏でる。悲鳴に似た機械音が、誰かの鼓膜を揺らす。それに同情する人間は馬鹿というものだろう。感情に流されている。感情を浪費している。

人形たちの顔なんて見るだけでも不愉快だ。この世界で生きているのはクロルと私だけでいい。


だめだ、と心を落ち着ける。こんな考え間違ってる。

……この内問答をしたのは何度目だろうか? 十回目? 百回目? 千回目? どれも同じこと。


もう疲れてしまった。何回繰り返せばいいのかって。

今も誰かの視線を感じる。きっと今、私は描写されている。そいつはきっと私を笑っているんだろう。苦しむ姿をエンターテインメントとして読書して、物語のスパイスだと楽しんでいるのだろう。


そんな奴ら全員死ねばいいのに。


ただ平和な世界で生きる奴ら、当然のように服を着て、物を食べ、親がいる奴ら。

当たり前に日常を享受して、退屈だからって他の者に楽しみを求める奴ら。


そんな奴ら、全員、全員、消えてしまえばいい。

心当たりがあるのならば、せめてここから読むのをやめてしまえばいい。私はお前たちの娯楽なんかじゃない。


……不毛だ。


わかってる。私はこの世界をどうにかしなくちゃならない。クロルと幸せに生きて、決着を付けなければならない。

でも、よくわからなくなってきた。なんで私はこんなにも必死なんだろう。十分生きたのだから、自殺したって悔いはない。


……わかってる。クロルを置いてはいけない。だからまだ死ねない。わかってる。



わかってる、わかってる。

全部なにもかも、そうだ、そうなんだ。


……。


まだ続けなきゃ、だめなんだろうか?


苦しい、苦しい……何回も何回も何回も何回も何回も、何回も!


……何回も、あれ?


私、なにしてるんだっけ?


よくわからないや。クロル、助けて。


……いない、どこにもいない。また私は一人だ。


生きているのが苦しい。辛い。もう嫌だ。

こんな世界なんて、こんな世界なんて。



九百九十九回目。

私は決断を下すことにした。この世界に終わりを告げてやろう。そののちにこの物語の幕を閉じるとしよう、永遠に。敵対して対決して決着する。それが答えだ。


私は泉に一人立つ。

決着を付けなくてはならなかった。


「シルファレア」


クロルが私の名を呼ぶ。

私は、答えない。


「どうしたの、怖い顔して」

「別に」

「……」


私のやることは決まってる。

もう、全部諦めた。


私はこの世界が憎い。



第四章『千回目のプロポーズを越えて』




『白の勇者』は物語の書を手でなぞる。


「あのね」

「ん?」

「もしも私が――」


『白の勇者』は狂気的な笑みを見せる。


「もし、私が世界を滅ぼすって言ったら、どうする?」

「……え?」


『白の勇者』は物語の書を閉じる。それを指で軽くはじくと、物語の書は無重力空間にあるかのような軌道で、『白の勇者』から離れていった。


――なに驚いてるの? と『白の勇者』は嘲笑う。


「私が言ってることってそんなに変かな? この世界に生きるやつらはすべて人形。魂の籠ってない、見せかけだけの人間。そんな奴らしかいない世界なら、無くなってしまってもいいでしょう?」

「……本気で、言ってるのか?」

「あなたならわかるはずよ。もう世界の仕組みが理解できたでしょう? この世界で生きるものすべてに価値はないの」

「それでも!」

「それでも?」


クロルは首を振る。彼女の言うことが理解できないわけではなかった。彼としても世界の仕組みは十分理解できたし、この世界が作り物だということもわかっている。人間すらや魔人は、正しくは魂なき人形なのだということはわかっている。けれども……。


「……それでも、彼らは笑ったりする。当たり前のように喜んで、悲しんで、生きている。それをただ消すなんて――」

「だーからー、それは錯覚だって言ってるでしょ? 機械仕掛けの人形が、苦しそうな動作音を奏でる。それにあなたは同情するの? 馬鹿らしい。それらしく見えるからって感情論で守ろうとしてるだけだよ、そんなの。もっと理性的になってみて?」

「それとこれとは、話が違うだろう」


クロルは『白の勇者』を言い負かせない。機械仕掛けの人形とこの世界の人間とでは明らかに違うはずだ。比喩が間違っている。


いいえ? といつしかしたように、『白の勇者』はその心を読んで先回りに否定する。


「あなたがそう思うのは、この世界にいるからだよ。第二世界に戻ってしまえば、ここにいる人間の感情なんて、紙の上で書かれたただの文字の羅列に過ぎない。そもそも、ほとんどの人間は描写すらされないわ。そんなもの、無と同じよ。あなたは一時の感情で物事を判断しているに過ぎない」


超越者めいた存在感で、圧倒的な口ぶりで、クロルの言葉を封じにかかる。

ある意味、『白の勇者』の言葉は正しかった。いや、ほぼ完全に正しいのかもしれない。クロルが引っ掛かりを覚えているのは感情の面だ。きっとそれは、間違いないのだろう。


でも、そう言い切ってしまえるのは人間として歪んでいた。実際に喜び、悲しむ人間たちを見てきたものならば、そう断じることできないはずだった。いくら理性がそうと決めても、そう思うのは難しい。人間性が壊れている。

こんな世界はなくなっても問題ないって断言できる彼女は……もはや歪んでしまっている。


「じゃあ、僕は?」

「……?」

「僕は第二世界の人間だ。僕のことはどうするの?」


その言葉を受けて『白の勇者』は心底不思議そうな顔をする。


「馬鹿ね。そりゃ殺すに決まってるでしょう。あなたが生きてちゃ、私は第二世界に帰れない」

「……それなら!」


どうしても腑に落ちなかった。それならなんで、こうも彼女は説明をする?


「それなら、僕を背後から刺せばよかったじゃないか!」

「いいえ? それは違うわ。かつてあなたが私を殺したこと、覚えてる?」


――僕は君を尊敬してる。君のことを好いている。わかってる。だから、正々堂々と決着を着けるしかないんだよ。


「私はね? あなたのことを嫌いになってなんかない。でもそれとこれとは別のこと。私はあなたを殺さなくちゃならない。第二世界に帰るために」

「本気で言ってるの?」

「もちろん」


くいっと『白の勇者』は指を向ける。すると物語の書が滑るようにして『白の勇者』の手に収まった。彼女は『世界の接続者』。語り手が消えた今、彼女は世界権限が最も高い。よって物語の書は彼女に従うだろう。


【『白の勇者』は黒の魔王を殺す決意をした】


そう記述する。


【それは紛れもない、真実だった。もう書き込んでしまった以上、変えることはできない】


「やめろよ」


【もしかすると『白の勇者』は黒の魔王を殺す気がない――という道も経たれてしまったことになる】


「やめろ!」


クロルの叫び声を受けて、『白の勇者』は肩をすくめる。


「もう遅いわよ。まあ、これ以上物語の書を使うのはやめてあげる。剣にて決着をつけましょうか」


彼女がそう言うと、物語の書は滑るようにしてまたその姿を消した。


「さあ、踊りましょう。一歩踏み出せば、どこまでも落ちてしまう橋の上で。心臓を刃の上で弄ぶような死闘を演じましょう――」


クロルはもはや動揺しなかった。ただ、悲しかった。

覚悟の面で、もはや彼に隙は無かった。こうなるかもしれないと予想していたのもある。

なんにせよ、戦わなくてはならない。自分はこの世界唯一の抑止力として、『白の勇者』を殺さなくていけない。


――物語的終止符。


勇者と魔王の決着にて、物語には終止符が打たれる。


それがこの場ということだった。


剣を片手に携えて、シルファレアは余裕ぶった表情で笑っている。

そうしてゆっくりと仮面を被る。クロルもそれに倣い、仮面を被った。


「……」

「……」

「――いくよ、あなたを殺す」

「…………そうか」


クロルの手には、すでに犠牲の剣がある。


――最後の戦いが始まる。


「クロル!」

「シルファレア!」


戦いに煩雑な思考は不要だ。旨を掻きむしりたくなるような思いは置き去りに、クロルは剣を振るう。


衝突。剣と剣がぶつかり合い、力と力が歪な音を奏でる。


両者は衝撃で吹き飛んだ。吹き飛んだ距離が大きいのは、クロルの方だった。


あはは! と高笑い。シルファレアが肩を揺らして笑っている。


「ほんとうに強くなったね! でもその程度じゃ、ちょっと世界格が追い付いたくらいじゃ、私には勝てない。私が背負うのは物語に対しての業。深い恨みと絶望が、私の力を絶対の物にする」

「どうだろう? 君はまだ第二世界を知らない。僕にはまだ君の知らない底がある」

「――そう?」


シルファレアが剣を振るう。凄まじい剣気が纏われたそれを、一閃。

クロルはそれをギリギリのところでかわした。


「敵うと思う? 何も知らない、あなたが!」


シルファレアは何度も何度も剣を振るう。夥しいほどの斬撃が飛び交い、クロルを襲う。防いでいる、防いでいる。けれども抵抗虚しく、膝から崩れ落ちた。


そんな彼の目の前に、シルファレアは降り立った。


「弱いよクロル。あなたには絶対に殺してやるという執念が、狂気の狭間からくる焦燥感が、殺意に必要性が足りてない。甘い……甘いよ……もっと私に殺意を向けてくれなきゃ」


振りかぶられるシルファレアの剣。それを受け止めようとクロルは構える。

しかし、剣の一撃は訪れず、代わりに差し出された強烈な蹴りが、クロルの脳を揺らす。


「……まだ!」


打ち鳴らされる剣戟音。連なる鋼の音の連鎖。


クロルはシルファレアをよく観察する。


――おぞましいほどの集中力。

――妄執に近い執念。


絶対に殺してやるというおどろおどろしい気迫。

憑りつかれているかのような狂気奔った白亜の瞳。


「それでも!」


クロルにだって背負うものはある。自分が救わなければならない魔人。世界で生きている人々。もはや自分にしか救えない。ここで負ければ、比喩ではなく本当に世界が終わってしまう。


だからクロルは自らの身を削って技を放つ。


犠牲の剣の出力を無理やり上げる。寿命を削って放たれる高エネルギーは、クロルの体中をずたずたにした。

気味悪く体というからだから浮き出る血管。圧力に耐えきれず、皮膚を破って血が噴出する。


「うあああああああああ!」


全身全霊の一撃。それは確かに、第三世界に存在する最強の技だった。


――けれどもシルファレアの背負う業はそんなものではない。


「あなたじゃ私には勝てない」


――くっきりと目に残るほどの剣閃。


互いの振るった初撃で、差はありありと現れた。のけぞったクロルはそこから防戦一方で、責める隙など万が一つもなかった。


振り下ろされる鋭い剣撃。止めたかと思えば次なる致死の刃がクロルを襲う。

そうして削り削られ削られてしまっていって、目の前が真っ暗になりかけた。


――どうしてこうも。


こんなにも意思を込めているのに。必死に戦っているのに。集中力振り絞って、使命感を滾らせて戦っているのに。


「なんで――」

「――弱いからだよ」


くっきりと目に焼き付くほどの斬線。

クロルが吹き飛ばされる――。


「弱い」とシルファレアは言う。


弱い、弱い、と。このままでは物語は盛り上がりを迎えることもなく、終わってしまう。つまらない結末で幕を閉じてしまう。


――でも、そんなこと起こるわけがなかった。


物語がそれを許さない、そのはずだととシルファレアは考える。


「ほら、そんなところでみっともなく跪いてないで、もっとクロルの力を見せて? 黒の勇者としての神髄を、黒の魔王としての最後の力を! 無理やり引き絞って繰り出して、発現させて、神様になった私に抗ってみてよ!」


圧倒的にクロルはシルファレアに及ばない。ならばまだ先がある。

覚醒をシルファレアは待っている。どうせ今手を出しても無駄だと知っているから。



クロルもそれを理解していた。だからこそ、今だけが最後に話し合える機会なのだと、理解していた。


「……なんで世界を滅ぼそうとするんだ? 真意は? 本心は? ……教えて欲しい、納得できない」

「無駄だよ。それは止められてる(、、、、、、)。わかってるはずだよ?」


何度も世界を廻ったシルファレア。彼女は世界に絶望している。

彼女の気持ちが消えたわけではない。いまだにクロルのことは大切で、いとおしい。


……けれどそれ以上の絶望が。やるせなさが、虚しさが。もう全部終わってほしいという破滅思考が、彼女を突き動かす。


何度も何度も繰り返した。彼女はもはや、狂気と正気の狭間にいる。


――この世界を滅ぼさなきゃ。


それは強迫観念的なものとして、彼女に植え付けられた意志だった。何度も繰り返される世界というものがそうさせた。


果たして、クロルはその真意を知れない。周回世界を知れない彼にとって、シルファレアがそれまでしてきたことから彼女のことを考えるしかない。


魔人を皆殺しにしてきたこと。参謀を殺したこと。……自分の精神を極限まで追い詰めたこと。


それでようやく、クロルは納得をする。


「君は……化け物だ」

「……」

「高尚な理念と、誰かを蔑む強烈な意思。君は強い。まさしく超越者といっていい。……だからこそ、自分以外を軽んじられる。君は世界を滅ぼす怪物だ」


仮面を被ったシルファレアは、自らを抱きしめて、わざとらしく肩を揺らす。


「ああ! 大正解だよクロル! この世界には何の価値もない。ならせめて、それを踏み台にして私が第二世界に帰るのは自然なことじゃない? だってここは本の中にある世界。登場人物の悲鳴なんて、ただの文字の羅列に過ぎない」

「……僕は?」

「愛してたよ? でも、仕方ないじゃない。こんな不毛な世界で生きていく気になんてなれない。あなたを殺してでも、私は前に進む」

「そっか」


クロルはため息を吐いた。深く、深く。

それは見る者によっては絶望のため息だった。見る者によっては諦めの線引きに見えた。見る者によって、やるさなさから込み上げるしわがれた嘆きだった。


「私は第二世界が住人『世界の接続者』シルファレア。第三世界の力が集約されたあなたを殺しましょう」

「僕は第二世界が住人『世界の適合者』クロル。世界に仇名す敵として、君を討滅する」


この世界には『職種』『名前』『役』がある。

例えば、聞き手や黒の魔王といったものは『職種』であり、世界での称号を示すものだ。

そして『名前』はシルファレアとクロルだけが持つ、真の人間とされているものだけがつけられている第二世界の住人である証だ。語り手は最初から世界から退出する気だったので、名前を持たなかった。

そして最後に、『役』。シルファレアが世界の接続者として世界を観測し続けたように、クロルにも役がある。


それが世界の適合者という『役』。クロルは世界の適合者として、第三世界の力すべてに適性がある。


そして彼が持つのは第三世界最強の二つの力だった。


「宿命の翼、犠牲の剣、リミット解除」


黒の勇者としての力すべてを開放する。彼の身は高潔な黒のオーラに包まれ、すべての能力を引き上げた。


そして――。


……これを使えばもう戻れなくなる。


このままではクロルはシルファレアには勝てない。絶対に。

ならばすべてを引き出して戦う必要がある。


――物語において『お約束』というものがあります。決して叶わぬ敵がいる。それと登場人物が相対する。そうした時、どういう解決が選ばれてきたと思いますか?


クロルが語り手に向けて放った言葉。

そして今、相対しているシルファレアは語り手と同じ神としての世界格がある。


物語において絶対的な敵がいる。何をしても勝てない、そういう存在がいる。

その時、主人公たちはどういった手段に出たか?


――道連れですよ。


クロルの両目から黒い雫が溢れ出した。

それは心臓をキーとして発動する呪法。人間としてのカテゴリーを越えるための禁忌。

心臓を魔力に変え、流れ出る血すべてが魔力を含んだものとなる。

それは生を放棄した力だった。心臓は以前の機能を果たせない。禁忌を犯せばただ魔力に包まれた化け物として、数刻のみを生きることになる。


それでもこの力を使うしかなかった。



禁忌の魔王(カーガンドゥルローザ)



|クロルの体から黒い液体が溢れだした(、、、、、)

どす黒く、異臭のする霧が立ち込める。

その身は穢れていた。宿命の翼から不気味な液体がしたたり落ち、翼の羽ばたきは穢れを辺りに撒き散らす。

黒い汚水の勢いは止まらなかった。

ゆっくりと血を流すかのように、一刻一刻がクロルを弱らせていった。

しかし、それでもなおは強かった。

圧倒的な暴力が、そこにあった。


「……」


シルファレアが沈黙する。彼女はひしひしと感じていた。これが第三世界の力の集約点。自分を止めるための世界の抑止力。


「……クロル」


命を投げ捨てて発動する禁忌の呪法。それが自分に向けられている。自分を殺すため、ただそれだけのために。


「……殺す」とクロルが呟く。


黒い翼を持つ化け物のような見た目。体中から流れ出る穢れた黒い汚水。

そんな状況になっても、クロルは理性を保ち続けている。


クロルは(こいねが)うように手を伸ばす。その先にはシルファレアただ一人がいる。

手のひらに映る彼女を、クロルはゆっくりと握りしめた。


――瞬間、黒い棘がシルファレアの足元から生える。


何本も何本も。


棘は止まらない。数えるのも億劫になるほどの殺意ある棘が、上、右、左、下、から降り注いで、あまりの量にシルファレアが見えぬほどになる。


「……確かに、強いね」


黒い繭とか化したそれを、一閃の剣が吹き飛ばす。中から顕わるるは『世界の接続者』シルファレア。しかし、彼女の頬にはわずかな傷がある。


しかし、この攻撃は前座に過ぎない。

強力な攻撃を退けた彼女に、次なる攻撃が迫りくる。


『世界の適合者』は、宿命の翼をめいいっぱい広げていた。その大翼は十メートルはくだらない巨大さを誇る。

黒の旋風吹き荒れ、汚水がまき散らされる。敵を認識し、その動作を計っている。


――飛ぶ。


瞬速といっていいほどの速さ。けれどそれだけでは、シルファレアには届かない。


――クロルはシルファレアの目の前でぴたりと止まった。


さすがの彼女も、この速さからの完璧な急停止に意表を突かれる。


「宿命の翼、八枚羽」


大翼が花を咲かすような展開を行い、長く細い翼となった。

射程と手数、二つの武器をもってして――これより敵を滅多刺す。


シルファレアは歯を食いしばった。


「やあああああ!」


攻撃攻撃攻撃。嵐のようにぶつけられる、重い重い一撃一撃一撃。

弾く、切り裂く、かわす、いなす。全神経を集中させて、八枚羽の攻撃を防ぎ続ける。しかし、羽は切り裂こうともすぐに再生した。嵐のような猛攻に近づくこともできない。リーチだって負けている。


防戦一方を強いられ続け、完璧だった彼女の肌に傷が少しずつ増えていく。

それは時間にしては分を数えるほどのものではなかった。だがあまりに多い手数に、無限にも思える攻防を思わせた。


何とか防ぎ切ったシルファレアだが、肩では荒い息をしている。


そして大上段から振りかぶられる犠牲の剣を、何とかといった体で目が捉えた。


「――終わりだ」


黒き一閃。大上段からの構えを、彼女は素直に受け止めるしかなく、犠牲の剣から放たれる斬撃が、彼女の体を運んでいく。


シルファレアは叫ぶ。力を体という体からかき集める。

それでようやく、黒の斬撃は消滅した。


剣を地に立て、シルファレアは膝を着く。

クロルは攻撃の反動で動けない。


どちらが優勢かは明らかだった。



「――物語の記録(ストーリーレコード)接続。スキャニングコード読み込み開始」


シルファレアが機械的な単語を呟く。彼女の周りで数字と文字と本が踊り廻る。


「一部制限を解除。クリア。不可逆性の登録を抹消。コード『世界の接続者』。完全な第二世界との接続を開始」


数字が、文字が、本が、シルファレアの体に吸い込まれる。

今、情報の奔流が彼女を襲っている。膨大なデータの数々。脳がはち切れそうになり、自分とそれ以外の境界が曖昧になる。


常人ではとても耐えきれないものだった。しかし……彼女は不遜なる超越者。今までがそうであったように、今回も容易く乗り越える。彼女はそういう存在だ。


白亜の瞳が幾何学に光り、シルファレアは宣言する。


「我は世界の接続者。理を飛び越え、掌握する者」


反動から回復したクロルが再び黒い棘を放つ。加えて、手のひらから黒の閃光を放った。


先ほどよりも強力な攻撃。それをシルファレアは――。


「――魔時計」


彼女は円を描くようにして剣を一回転。クロルの攻撃はその円に吸い込まれるようにして消えた。


「……なんだ、その技」


ふっ、とシルファレアの姿が消える。

この黒い空間で、足音だけが木霊する。とん、とん、たっ、という短い連続音。しかしその音はどこか不気味な違和感があった。音の発生の仕方が、どこか狂っているような、そんな感覚。


音の聞こえ方からして、まだクロルとシルファレアの間には距離がある。だからクロルは力を溜めて、次の一撃に備えようとした――。


そのクロルの背後に、ぬっとシルファレアが現れた。


――死神の足音は遅れて聞こえる。


シルファレアが剣を一閃。不意を打たれたクロルの手から、剣が弾き飛ばされる。

宿命の翼をはためかせ、なんとかクロルは距離を取った。犠牲の剣はその特性で、離れてもすぐに手元に戻る。


――本来ならやられていた。


知覚において、完全に不意を打たれていた。宿命の翼の特性のおかげて、なんとか逃げ切れたが、それがなければ今頃クロルは死んでいた。


「わかる? クロル」


剣を構えるシルファレア。彼女からは無色のオーラが迸り、つい先ほどまでとは別人かのようだった。


「これが私の権利。私に備わっていた力。何度も言ったよね? 私はこの世界じゃ無敵だって。『世界の接続者』として生き続けてきた私は、第二世界をよく知ってる」


第二世界では、この第三世界よりもありとあらゆるものが発達している。魔法はより高度で規模が大きく、剣は凡才が天才へと昇華する。


第二世界の天才剣士が、第三世界では世界最強の剣士となる。超越者として称えられ、繰り出す剣技は魔法のようだと、奇跡そのものだと揶揄される。


シルファレアはその第二世界の剣技を多く知る。


「今、私は第二世界の技をこの身に宿した。そのどれもが、この世界では理を破るほど強力な奥義となる。そんな技の数々を、あなたは受け止めきれる?」


シルファレアは己の親指に噛みつく。そこから流れる血は、花瓶から滴り落ちる雨粒のようで、神秘的な赤の輝きを放った。


「クロル? 今から私が放つのは、剣に狂った鬼の技。剣に生き、家族を持ち、その家族が皆殺しにされ、そしてようやく正しい殺気が籠った、剣にのみ生き続けた狂った男の技だよ?」


剣腹に親指を押し付ける。そのまま印をつけるように指を回し、剣身に一本の血の筋が描かれた。


「避けるか受け止めるかしてね? 下手にいなしたり相殺なんてさせようものなら、死んじゃうから」


――裏の太刀業剣・淘汰。


恨みと憎しみと殺意の調合が、剣気に纏わりつく斬撃と化す。

薙ぎ払うようにして放たれた斬撃が、クロルの作った黒の棘、黒の壁を易く易く破壊した。



――敵わない。


放たれた技には歴史があり、人の意思が乗っている。その技のためどれほどの時間がかけられたか、葛藤があったというのか、想像もつかない。人生そのものを賭けた、第二世界の誰かの究極の技。


シルファレアの技はわずかに逸れ、クロルの体を掠めるに留めた。

その斬撃の軌道にあったものは、すべて切り裂かれてしまっている。そして、クロルの犠牲の剣も――。


「ぐ、ぁ……ぁぁぁぁああああ」


魂により作られた犠牲の剣。それに切れ込みが入っている。それは魂が直接切り裂かれたことを意味している。

魂の根源からくる痛みは、いかなる修行・苦痛を受けたところで耐性を得られない。今まで苦痛に慣れ親しんだ、クロルでさえ、ほんの少しの切れ込みで、膝を着いてしまうほどの激痛が身を蝕んだ。


そんな隙を、シルファレアは待ってはくれない。


祈るように剣を構えた彼女は、紫のオーラを纏って技を放つ。


「紫閃」


放たれた斬撃は、空間を無視して敵に届く刃の奥義。

かわすことなどできるはずもなく、クロルの身が深く切り裂かれる。しかし、宿命の翼と、禁忌の魔王の術によって、斬撃が身に触れた瞬間、クロルの肉体を超強化。なんとか致命傷を避けた。傷ついた身体がたちまち再生し始める。


――このままでは負ける。


いくつあるかもわからない技に対応しきることなでできるはずがない。できるのは、技を繰り出す隙を与えず、苛烈に攻め続けること。シルファレアの命に、常に王手をかけ続けるしか道はない。


勝機はある。シルファレアはただの人間だ。回復能力はない。ただの人間が死ぬ程度の切り傷一つを作れば、彼女はそのまま死ぬ。


宿命の翼をはためかせ、クロルはシルファレアに接近する。同時に斬撃を放ち、彼女がそれを受け止めている隙に背後回る。


「――なにしてるの?」


クロルの腹に、熱い感触。見れば腹からはシルファレアの剣が顔を出していた。

高らかな笑い声。素早く剣を引き抜かれ、強かに蹴りつけられる。ダメージが抜けきらず、ふらついたところに、シルファレアは素早く身を滑らこませ、クロルの胸にてのひらを当てた。


目と目が合う。交錯は一瞬。ただ純然とした力の差が、ありありと現れ始める。


――白の波動が燃え上がる。


「極螺旋・絶魔」


彼女の手のひらから、白い玉が螺旋にうねりながら放たれる。ゼロ距離から放たれたそれは、禁忌の魔王の肉体強化を容易く破り、クロルを遥か彼方まで吹き飛ばした。


「……かはっ」

「負けを認めたらどう?」

「……」

「敵いませんって。もう負けですって、てのひらを地面に当てて? そしたら優しく殺してあげる。禁忌の魔王、さ。開発したのは私だからわかるけど、その超再生を相手にするのは骨が折れるわ」

「……そんなこと言って、時間でも稼ぐつもり、か? それだけ強力な技だ。なにかしら代償があらんだろう」

「ないわよ、そんなもの」


シルファレアは物語の書に、自身の能力に関する説明を指示する。


【世界の接続者の能力に代償はない】。そう物語の書に記述された。


クロルは大きく目を見開く。物語の書にそう記述できたということは、絶対に正しいということだ。回りくどい表現をすることなしに、ただただ事実を端的に表している。世界の法則として、物語の書に書かれる記述は誰しも同じ認識をできるものではなくてはならない。また、偽りの文を書くことや、一度書いたこと翻すことはできない。読者からの不興を買うからだ。

語り手によって構成された物語の書は、そういったルールに縛られている。


「そもそも、時間に制限があるのはクロルの方でしょ?」とシルファレアは言う。


禁忌の魔王はその臓器、血、肉をすべて魔力に変換する呪法。一刻一刻が、確かに術者を弱くする。その状態は、強力な力を得た代わりに、常に大量出血をしているようなものだ。


もはや、クロルには全盛期の力の半分も残っていない。もっと言えばそれほどの刻を待たずして、もうすぐ勝手に干からびて死ぬだろう。


「そんなあなたになにができるの? 全盛期ですら歯が立たない相手に。あなたは死にかけている。そしてこうしている間にも力は弱まるばかり。魔法も剣も通じない」


今、シルファレアがしているのは完封するためのトドメだ。この世界において、世界の格は登場人物の活躍や、本著に書かれる情報によって、読者が判断することになる。誰がどうみても、クロルはシルファレアに敵わない――。そう印象付けることによって、シルファレアの勝利は揺らがなくなる。


「勇者としての力も魔王としての力も底が尽きた。禁忌の魔王は魔王最大の技。いくら勇者の力を引き出そうが、もはや全盛期に届かない。詰んだんだよ、クロルは。犠牲の剣も万全じゃない。ほら、あなたにもう手札はなにも残っちゃいない」


自信満々に言い切って見せるシルファレア。トドメにトドメを重ね、確実に追い込む。どう足掻いてもクロルはシルファレアに敵わない。きっと誰が見てもそう見える。この物語の書そのものも、もはやそう断言しつつある。けれど一つだけ、シルファレアが知らず、クロルが知っている力がある。


「……なに?」


シルファレアは物語の書に記述された文字の羅列を読み取って、わずかに眉を顰めた。しかし、彼女の中ではクロルだけが知っている力があるのは腑に落ちない。だって彼女は、この物語すべての出来事を知覚している。だからそんな力があるわけが――。


「君が、物語的終止符に身の自由を奪われてる時だ」


クロルがそう言い放つ。確かに、あの時シルファレアは物語に縛られ、行動を制限されていた。

だからその時だけ、シルファレアの知らない物語が展開されていた?


「僕はあの時、第二世界へと渡った。そこで語り手と話をした」

「……ありえない。そんな奇跡、起こるわけ――」

「起こるよ。だってそうでもしなきゃ、一時期的にでも物語的終止符を止められない。そして君はしっかりと奇跡の力を知っている。君が教えてくれたはずだ、第二世界に存在する、奇跡の力のことを」


『「これ……ほんとにすごいね。まるで魔法みたいだ」

 「魔法そのものだよ。本当に、理を破って奇跡を起こす術だもの。この世界限定だけど。本当は魔法にもルールがあって、エネルギーをどこからから持ってきて事象を起こさすってのが第二世界でのルールなんだけどね」

 「どこからかって?」

 「魂よ」』


シルファレアが目を見開く。繋がっている。自らの発言がキーとなり、クロルの理屈を過不足なく補ってしまっている。そして何より、その理屈がシルファレアを納得させてしまった。


こうしてシルファレアは言い負かされ、ひとつ世界格が落ちる。

舌戦が、口の強さが、登場人物の強さに影響を与える。それはさながら、何かの物語で起こる、戦い中の信念のぶつかり合いによく似ている。互いの正義を諳んじ、せめぎ合って、いい負かされたものの気勢が削がれ、そのまま敗北する。


読者は今、どちらを優勢とみる?


「……ダメだよ、クロル。その力は」


シルファレアがそう言った。今までのものとは違う、挑発的でもなく、陥れるでもない、必死の声音だった。


――でもそれは演技かもしれない。


クロルはそう考える。常に自分を役に置き、読者の目を意識して演技してきた彼女にとって、態度を真のものに見せかけることなど容易いだろう。


「止めても無駄だ。君は負ける」

「違うよ、違うんだよ……! クロルが使おうとしてるのは、魂の力でしょ? それに、もはや禁忌の魔王で体がぼろぼろになったクロルは、もう私と道連れを狙うしかない……」

「決死の攻撃が怖いか? 『世界の接続者』よ。確かに、今まで君は圧倒的だった。第三世界の力では君には敵わないという、ある種暗黙の了解のルールの上で君は戦ってきた。でもこれから使うのは第二世界の力だ。もはや君の計算通りにはいかない」

「違う、違う! クロルはわかってない! 魂だけは、絶対に失っちゃいけないものなの! どんな方法を使っても復元できない! 心臓も体も脳も、情報媒体として表現できるものは何とかなっても、ブラックボックスの多い魂は無理なんだよ!」


クロルはシルファレアの言うことを無視した。

彼女の必死さに、魂の力は彼女を打ち負かすものだということを確信した。


――思えば、この力の発動のために、自分の名前はあったのかもしれない。


クロルとシルファレア。『ル』の名が刻まれたものは、第二世界の住人であることの証になる。シルファレアの他の文字列には対した意味はないのに、クロルの『クロ』には意味がある。


クロは魂の色。感情に色がついたとしたら、感情すべてを統合した魂の色は黒となる。


まさしく、クロルは魂の力を発動するための名を背負っていた。ずっと暗示されてきた。伏線として敷かれていた。


この力をもって、ようやくシルファレアに並びたてる。


――これが本当に最後の力だ。


これより先は、ない。


次に行われる攻防で、勝敗が決まる。


クロルは自らの魂に勝利を願う。世界を守るために、神にも等しい敵を打ち負かせられるように、と。



魂よ、失われよ(ソウルロス)



宿命の翼が消え去り、体から噴出する汚水はその流れを止めた。

肉体は崩れて消えて、魂がむき出しとなった姿が現れる。


『クロル』という概念がそこにはあった。


黒く高潔なオーラを放つ騎士甲冑が、一本の長剣を携えている。

鎧の隙間から見える肌は、禁忌の魔王発動前のものと同じだが、ただの人間のものだ。


もはやここからは、再生能力に頼れない。シルファレアと同じ、人間というカテゴリーに収まったクロルは、ただの切り傷を受ければそのまま死ぬ。現実の人間というものは、銃一発の弾丸を受けてそのまま死亡する。


「クロル!」


シルファレアが吠える。その声はどこか悲鳴がかって聞こえた。まるで絶望しているような、激怒しているような。


彼女は剣腹に親指を押し付ける。そのまま印をつけるように指を回し、剣身に一本の血の筋を描く。


それは剣鬼が生涯をかけて生み出した業の技。強力かつ圧倒的な一撃で、クロルを仕留めようと力を溜める。


――クロルは剣腹に親指を押し付ける。そのまま印をつけるように指を回し、剣身に一本の血の筋を描く。


「……え?」


両者、剣を左から右へ、薙ぎ払うためのモーションへと移行する。その剣にはおぞましいほどの殺気が乗っている。


――そんなことがあり得るのだろうか。


シルファレアが繰り出すは第二世界が究極の奥義の一つ。世界の接続者でもないクロルが、どうやって技を繰り出す?


どうせ無理に決まってる。揺らぐ迷いを捨てて、シルファレアは必殺の刃を繰り出す。クロルもまた、まったぐ同じ動作で、技を繰り出した。


――裏の太刀業剣・淘汰。

――裏の太刀業剣・淘汰。


恨みと憎しみと殺意の調合が、剣気に纏わりつく斬撃と化す。

薙ぎ払うようにして放たれた斬撃が激突。二つの斬撃はぶつかり合い、拮抗したのち消滅した。


「……ありえない」

「……」

「理を破る第二世界の剣技。……確かに、クロルは修行すれば、同じ技を使える可能性は十分にある……。けど、こんな短時間で? 見ただけでコピーだなんて、あり得ない」

「君は技を第三世界の質へと落としたんだよ。本来僕たちは、紙の上にインクを塗るだけで、登場人物を消せる。机が存在した、という記述をするだけで、無から有を生み出せる。けど……ここにいる僕らはそんなことできない。この世界にいる時点で、本来の力が制限されているんだ。今繰り出した技も同じだ」

「……」

「力が制限されている。圧倒的だけど、あくまで第三世界の技として発動している。そして……第三世界の技ならば、『世界の適合者』として、僕はそれを扱う資格を得る」

「はっ、長々しい説明をご苦労様。それに何の意味があるの?」

「意味はあるさ。僕の力を読者に知らしめる。そして君が理解できなかったルールを、僕は理解していたことを宣伝する。ほら、また僕らの差は縮まった」

「それで? まだ私には剣にて圧倒的な才がある。これはどう足掻いてもクロルじゃひっくり返せない」

「どうにかするさ。これからの戦いなり、魂の力なりで」


ぎりっ、とシルファレアは歯を食いしばる。状況は明らかに悪くなってきている。いまだに、身体能力も動体視力も瞬間的な力も、なにもかもこちらが上だ。

けれど、物語には流れがある。こうしてずるずると長引けば、差は縮まり、クロルの剣はシルファレアに届くだろう。


――そうするわけにはいかない。


シルファレアは無言で歯を食いしばった。



――これが何回目の世界なんだろう。


自分の腕を見れば、九百二という数字が刻まれていた。


今がどういう状況なのか、よくわからない。時間軸がどこにあるのかさえ知れない。

……私、正気を失い始めてるんだ。


それでもまだやめるわけにはいかなかった。私はいい。けれどこの世界には、まだクロルがいる。彼だけを助けなきゃ。彼だけを生き永らえさせなくちゃ。


――でもそれにいったい何の意味があるんだろう?


何度も何度も繰り返される世界。私とクロルがいる世界。

もう……十分なぐらいに繰り返したではないか? クロルは周回世界の記憶を持たない。でも十分なぐらいに存在した時間は長い。

それなら……それならもう、彼を生き永らえさせようとしなくても、いいのではないか?


どうなのだろう。私にはもう、わからない。

自分の考えの真偽にすら執着が持てない。だってもう、なにもかもがどうでもいい。私は長く生きすぎた。存在時間を歳にすれば、もう私は千歳を越えたおばあちゃんだ。


虚ろなる狂気が、殺意と悪意を増幅している。

私に共感する者はない。声を掛けてくれる人だっていない。思えばずっと一人だった。昔も今もきっと未来でも、私はずっとそうなのだろう。


――私は物語の書をなぞる。


『×××』は物語の書を手でなぞる。


「あのね」

「ん?」

「もしも私が――」


×××はかろうじて狂気を堪える。……あれは、私だ。

なんなのだろう。自分が世の中で浮いている。当事者じゃないみたいに、俯瞰している。


×××が膝を着く。すると、慌てたクロルが助けに行こうとする――。


「やだよ」と×××は呟く。


「やだ、やだ。やだやだやだやだやだ。なんで!」

「……シルファレア?」

「こんな世界なんて! こんな無価値な世界なんて!」

「シルファレア!」


クロルが×××を抱きしめる。そして言った。


「……僕がいるから。大丈夫だから。終わったんだ。もう語り手はこの世界にいない。君は僕が守るから。だから」


耐えきれなくなって、×××は言ってはならないことを口にする。


――あのね、この世界は


そして当然のように、世界は巻き戻される。


……。……。……。


当然のことだ。

奇跡なんて起きない。

悲劇だけが望まれている。

だから、救いなんてない。


……ねえ、クロル?

……許して。


――私は物語の書を手でなぞる。


自分がどこにいるかがわからない。今……私はどこにいる?

しばらくして、暖かな感触が自分の身を包んだ。誰かの腕。


半狂乱になって振りほどいた。目の前の敵を滅多切りにする。


「……レア」


敵はしぶとかった。何度も何度も切り裂いているのに、亡霊みたいに近づいてくる。ゾンビみたいに、二つの腕を伸ばす。私はその腕を切り飛ばす。


「…………ア」


ついに倒れ、動かなくなる黒の塊。私は泣き叫びながら剣を刺した。

やがて私の体から力が抜け落ちて、剣を落としてしまった。私は跪きながら、縋るようにして剣を抱きしめる。


――背後から、悪寒がする。


何度も突き刺したはずの化け物が、私に迫ってきている。

切り飛ばしたはずの腕は、ぶよぶよとした黒い液体が代わりのものとして生えており、化け物からは汚水が垂れている。

化け物はゆっくり私を抱きしめて、こう囁いた。


「……好きだよ、シルファレア。君は、生きてね」



ざんねん。つまらない終わりはダメだよ

次はもっとうまくやってね

勇者と魔王は、壮大なる決闘で果てなくてはならないのだから


つづける  o r 狂気に身をゆだねる


            ?



物語的終止符。

ラストピリオド。



あああ……。

あああああああ……。

あああああああああああああああああ!


壊れる。壊れる壊れる壊れれれれ――、こわ…………まだだ。


まだ……私は正気でいる。


――本当に?


今も涙が止まらない。涙腺は持ち主の命令を無視して、流したくもない涙を流し続ける。……もう、限界だ。


今も誰かの声が聞こえる。必死に私のことを求め、戻ってこいと叫んでいる。


そんな気がした。


――ごめんね。



次に目を覚ましたのは、泉がさざ波を立てる優しい場所だった。

これは、夢?


頭がひどく痛む。

私はベットに腰かけている。簡素な服を身に着けていて、病人みたいだった。


――愛しい誰かが私を呼ぶ。


「シルファレア!」


――クロル?


彼が私を力強く抱きしめた。


「シルファレア……うああ……あああああ。ほん……とに……ほんとに、よかった」

「……クロル?」

「もうだめかと思ったんた。僕は一人じゃ生きていけない。ダメなんだよ、君じゃなきゃ。君がいいんだ。君に生きていて、欲しいんだ」


真っすぐな芯の籠った愛の言葉。泣きじゃくる彼の頭を「よしよし」と撫でてやる。

こんなにも愛されていいんだろうかって考えてしまう。



――そうして新しい生活が始まった。


廃人となった私を、クロルは長い間看病してくれたらしい。

物語の書を使い、いろんなことを試した。しかし、自分では筆が通らなかった。どうしようもなく、ただひたすら私の世話をし続けた。ずっとうわごとを言い続ける私にの世話を。呪いの言葉を身に受け続け、クロル自身も正気と狂気の狭間にいた。


けれど……私は戻ってきた。報われた、と思ったらしい。


それからはずっと幸せな日々を送っていた。彼の言葉を聞き、彼の笑顔を見て、彼のキスを受ける。

暖かな体温が、私を抱きしめる。これが世の中のすべてだって思えるほどに、充実してる。

でも、これが偽りの幸せだってわかってた。やがて終わることが確定している、泡沫の夢。


――それを知っていたのはクロルも同じだった。


「シルファレア。あとどのくらいで世界は終わりそうなんだ?」

「……なんで」


クロルはずっと私のうわごとを聞いていた。それで、この周回世界のことを知った。

確信はなかった。けれども、やはり彼もまたこの世界の主人公。なにかしら、このままで終わるはずがないと感じるところがあったのだろう。

彼は私のうわごとを事実として受け止めた。世界はいつか終わる。だから何か、できることをしよう、と。


私はすべてのことを彼に話した。

彼は……この世界が始まって唯一の、私を理解する味方だった。


「シルファレア、君はもう限界みたいだ」

「……でも」

「もう終わらせていい。苦しまなくていい」

「でも! クロルが!」

「僕のことはどうだっていい。だって、それぐらいには君のことが大切だ。この世界は、いわばバク世界だ。今のうちにすべての対策を立てないと」

「……どうする、の」


クロルはその深い漆黒の瞳で私を見つめた。愁いを帯びた、さもすれば湿り気すらあるかもしれない。


まばたき。


私が今感じた感覚は、クロルが一度まばたきをした瞬間、すべて消え去ってしまっていた。


「シルファレア。一緒に死のう」

「…………」

「君はもうすぐ発狂する。もう時間がない。君は世界のことを憎んでる。君は……もう限界だ」

「一緒に生きられないの?」

「うん。きっと無理だ。これだけ繰り返した以上、きっと」

「私、やだよ」

「……」

「クロルと一緒に生きたいよ……! 一緒に手を取り合って、笑って、キスをして。あんなこともあったねって顔をくしゃくしゃにして、幸せに年を取って死んでいきたいよ」


私は弱い。叶わない願いを並び立て、彼を困らせてしまう。目からは流したくもない涙を流し、弱い少女みたいに駄々をこねる。

もう大人にならなきゃって、わかってるのに。


クロルが私を抱きしめる。彼は辛そうに私に呟く。


「物語的終止符は、僕らがまともに戦わないと完遂できないだろう。だから、君は悪になる必要がある。僕を挑発して激怒させて、全力を引き出して、それを叩き潰す必要がある」

「……わたし」

「できるね?」


力強い声音。


わかってる。なにをすればいいか、わかってる。


私は――頷いた。


「私が世界を終わらせる」

「こんなことしか言えなくて、ごめん」


救いなんてない。どうしようもない。どうにもならない。

絶望だけが暗黒のように立ち込めている。絶対のルールが鎖として私たち捕らえる。だからクロルは私のすべてを知って、「すべてを終わらせること」を推奨した。


勇者らしくない選択だった。それほどにまで、状況は徹底的に終わっていた。


「君は世界を終わらせるために、全力を尽くさなきゃならない。その苦労は、自分の喉にナイフを突き刺すだけじゃ足りなくて、刺した後に体にぐりぐりとナイフを押し込まなくちゃならない。それぐらいやって、ようやく君の最期は成る」

「……」

「でも、君はやり遂げるだろう。やり遂げなくちゃならない」


絶大なクロルの信頼。それは励ましのためか、なんなのか。

彼もまた、周りの人形のように私を超越者としてみるのだろうか?


「ごめん……ごめん……」


クロルが震えている。


「こんなことしか言えなくて、ごめん。ただ命令するだけで、代わってあげられなくて、ごめん。ほんとうに、ほんとうに……」

「ううん。わかってるよ。クロルは私のこと、大事に思ってくれてる。私のために涙を流してくれている」


私達はお互いに、熱い感情が、かっと込み上げて、抱きしめあった。

これは猶予期間のようなものだった。今、この世界にはバグが起きている。程なくして、物語の書がこの世界はそれを修正するだろう。


――そう、いまこの瞬間にも、世界は終わってもおかしくない。


するりと私の体から力が抜け落ちてしまって、クロルが私を受け止めた。

私は彼の肩に頭を乗せて、目を瞑る。病魔の熱にうなされているみたいな気分だった。じりじりと身を焦がす熱からはどうやっても逃げられなくて、もがき苦しんでも体は熱くなる一方だった。


どんな意思も思いも通用しない。祈っても願っても、どんな思考を張り巡らせようとも、現実は変わることがない。いつだって、そんなものだろう。



――そうして世界は終わる。


暗い空間の中で、私は考え続ける。どうすればいいんだろうって。

なにか打開策はないのかって。


なにもなかった。

それでも諦めるわけにはいかなかった。


だから私は、満身創痍で何度か世界を繰り返す。運命に抗うために。

でもすべて無駄だった。

狂気がこの身に迫るのを感じる。逃れられないって感じる。


悪意が、殺意が、諦念が、憎悪が、哀愁が。


私の体を支配している。感情はこの体に収まりきらなくて、どこかに捌け口を探してる。


ある時、完全に心が折れてしまった。

そうだ、もうなにもかも救われない。


――職を思い出すべきなのだ。


私は魔王。『白の魔王』。魔王とは世界に仇名すもの。

そうだ。これは決められていたことだ。ならばきっと、それは成る。


――私にかかれば、世界を滅ぼすことなど容易い。


きっと、きっと。


それが私の役割だ。


さあ……さあ!


繰り広げましょう。悲劇の剣舞を!


救われない、報われない、おまけに誰も喜ばない、無毛で無意味な闘争を!


私は白の魔王だ。


私が世界を滅ぼす。



ああああああああああああ!


クロルクロルクロルうぅぅぅぅぅう!


なんで、なんで?


何回も何回も何回も何回も! なんでこんにも世界を繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して!


いいつけを破ってごめんなさい。抵抗なんてしてごめんなさい。


言う通りにすればよかった。


なんでクロルは世界を終わらせてもいいっていったのに、私は一人で足掻いたの?


あれから九十九回の世界を繰り返したの?


わけがわからない。


あたまがぐるぐるまわるここはどこ。


どこかだ、あはは。


もう全部全部全部……ううっ……あああぁ……やだよ……やだ……。


滅ぼさなきゃ、と私は思った。シルファレアは魔王であった。ならばその職を果たすのが使命なのだろう。


私は物語のように宣告する。決めつける、言い聞かせる。



つづける  or 狂気に身をゆだねる ←はい




世界の接続者シルファレア。

世界の適合者クロル。


この両名が、互いに剣を握って対峙していた。


格はどちらが上か測れない。

クロルの発動した魂よ失われよ(ソウルレス)によってもはや実力を数値化できなくなった。


彼が使うのは魂犠牲の技。この世の理を破り捨てる、奇跡の技。


――一方シルファレアは。


彼女の体に白の波動が螺旋となって渦巻く。

力が脈動する音が聞こえる。白く綺麗な巻きあがる。

彼女は自らの長いスカートを剣によって短くした。機能性のかけらもない服装を捨て、戦闘のためになりふり構わなかった。


「……クロル」


拳を握りしめて、目を、くらく、暗く、昏くして。

業を背負って彼女はクロルの前に立ちふさがる。


白のプレッシャーが迸り、シルファレアは剣を向けた。


「私の職は魔王。世界を滅ぼすもの。これより私の爪、血、肉、骨、皮、肉体にあるすべてを以てして、あなたを滅ぼす」

「……世界に仇名す怪物め。君はここで倒れる。死ぬのは僕だけじゃない。君だけでもない。斃れるのは二人ともだ」


――最後の戦いが始まる。


【もうこの二人の力に先はない】


物語の書にそう記述される。これが正真正銘、全力全開の戦い。

爪も、血も、肉も、骨も、皮も、魂すら削って、二人は最後の戦いに挑む。


――昏く、業を背負った白亜の瞳。


長く練りこまれ続けた狂気が、彼女の強さを絶対的なものとする。

おぞましいほどの集中力。どこか現実的ではない、不安定な力の波。


妄執に近い執念をもって、幽鬼のように、シルファレアは体を揺らめかせていた。


「――裏の太刀業剣・淘汰」


先に仕掛けたのはクロルの方だった。

恨みと憎しみと殺意の調合が、剣気に纏わりつき斬撃と化す。

その斬撃どこまで黒く、魂の籠った一撃だった。威力だけで言えば先ほどより数倍高い。


――それをシルファレアは。


「――裏の太刀業剣・淘汰二連」


二度の斬撃を放ち、相殺させた。クロルが目を剥く。

理を破る第二世界の剣技。それを二連で打つことは……第二世界の中でさえ、理を破り捨てていることなる。


だがその代償は明らかだった。


技を放ったシルファレアの腕から、血が噴き出す。血管はどくどくと脈打っていて、体に異常な負荷がかかっているのが見て取れた。


「――裏の太刀業剣・淘汰四連」


痛みに喘ぎそうなところを、歯を食いしばって耐え抜いて。

彼女は命を削る技を放つ。


技の反動から回復しきっていないクロルが四連飛来する斬撃を受け止めた。黒いオーラが立ち上り、それを切り裂く。


――シルファレアがクロルの眼前に迫る。


白亜の瞳から狂気を迸らせ、重い冷たい意志を持って、クロルを見つめた。


――シルファレアの剣が輝く。


そこに白の波動が発生していた。それは魔王として彼女が持つ力のベース。

彼女がこの世界で磨き続けた力の原初。


クロルもまた、波動の力を持っていた。

自分の原初となる力。第二世界から持ち込まれた、もっとも自分の体になじむ力。


すべての枷から解き放たれ、ようやく二人の自らの波動を操ることに成功している。


「クロル!」

「シルファレア!」


――白と黒の激突。


二色の波動が荒れ狂い、光の粒子と波動の波が、周りにまき散らされる。


続いてシルファレアはクロルを蹴りつけた。それをクロルは片腕で受け止める。


「あああああああ!」


憑りつかれたような形相で、シルファレアは剣を振るう。

高鳴る鋼の連撃音。連なる凶刃が奏でる音の波動。その攻めはあまり苛烈で、命失うことを厭わない極端な攻撃に次ぐ攻撃で。

しかし、その攻めの激しさに、クロルは防戦一方を強いられた。彼女にどこかで反撃をすることかできる。しかし、振りぬかれた彼女の腕を狙って剣を振るえば、それよりも先に自分の腕が飛ぶような予感があった。


しかし、弱気でいれば攻めはさらに苛烈になり、複雑なものとなる。


何度目かもわからない剣による一閃。そのあとシルファレアはくるりと回し蹴りを放った。

防ごうとするクロルの腕を、艶やかに足で巻き取り、どけさせた。


もう片方の足による連続の蹴りがクロルに迫る。


「――百鬼八連脚」


人間技とは思えない、連撃がクロルの体、脳、臓器の各所にダメージを与える。

歯を食いしばって、それを耐え抜き、クロルは黒の波動を片手に溜めた。


シルファレアはそれを正面から迎え撃つ。


「天喰らい・月魔」

「極螺旋・絶魔廻天」


てのひらに圧縮された波動の二つが、ぶつかり合ってせめぎ合う。

力と力の衝突が、力場を作り、大気を震わせた。お互いのてのひらで暴れ狂う波動は回転しており、弾けるようにして消滅。

莫大なエネルギーが消滅した衝撃で、二人を吹き飛ばした。


クロルはなんとかその二つの足で、地面に引きずられるようにして踏みとどまった。

一方、シルファレアは吹き飛ぶ力が強すぎたせいか、ろくに踏みとどまれず、背中を打って吐血した。無理に力を使った代償が漏れ出ている。


その瞬間、二人の間に張り詰めた空気が漂った。二人は同時にセリフを放つ。


「君が弱かったから吹き飛ばされた」

「私の技の威力が強くて吹き飛ばされた」


二人の力は拮抗している。完璧なぐらいに。

だからこの戦いでは、なにかしらでどちらかを切り崩さなければならない。


この物語において、登場人物の格は、その活躍・読者の印象によって決定される。


――今、読者はどちらを優勢とみる?


少なくとも、今回のセリフの真偽は闇の中へと還っていった。


「……馬鹿らしいわね。クロル。あなたはそれだけの犠牲を払って、結局私に圧倒されている。防戦一方ばかりじゃ、勝てないよ」

「残念。君の力は底が知れた。観察を繰り返せば君を攻略するとは容易い。もう、君は僕に勝てない」


そのセリフはハッタリなのか、なんなのか。

読者はどちらのセリフに説得力を感じるだろう? どうなのだろうか?


シルファレアは圧倒しつつ、消耗しているように見える。体中から血を流している。

クロルは痛い蹴り技を喰らったものの、そのほかは無傷だ。今のところ完璧に防いでいる。


「ふんっ」とシルファレア。


彼女は剣を垂らし、ゆっくりとてのひらをクロルに向けた。


私は裁きの剣を呼ぶコールオブデュランダル


彼女の体から流れる血が浮かび上がって膨張。白い波動で覆われた、ショートソードをいくつか形成する。


彼女が指揮者のように手を回せば、白の裁きの剣はぐるりと回り、指さす方へと一斉に飛来した。


クロルは黒の波動を身に纏って、抜刀の構えを取る。

抜き放たれる剣による斬撃がいくつかの白の裁きの剣をかき消した。続いて目にもとまらぬ速さで剣を振り上げ、すべての白の裁きの剣を撃ち落とした。


――しかし、このシルファレアの攻撃はあくまで時間稼ぎ。


今、彼女のてのひらには白と黒二つの波動が渦巻いて、太陰大極図のようになっている。


「ねえ、クロル、知ってた? 私達に備わる二つの波動は、合わされば掛け算となって威力を増す」

「……」

「もしかしたら、物語の設計として、私たちは力を合わせてなにか強大な敵を倒すことになっていたのかもしれないね? でも、私が二つの力を扱える。あなたはもういらない」

「なにを。君がいくら力を振り絞ろうが、理を破ろうが、僕はそれを受け止めよう。僕は君に対する抑止力。魂の力で、君を討つ」

「へえ、揺らがないね。大した自信だ」


怒りと絶望がないまぜになった声で。

重く昏い決意と業を背負って。

シルファレアは二色の波動をてのひらに宿す。


矢のように飛び出し、姿勢を低くしてそのてのひらをクロルにぶつけた。


――白黒合体・


クロルの背中に翼が顕現する。どこまでも黒く、概念的な犠牲の翼。魂の宿るそれは、高潔に黒くぼうっと光る。


両手を胸の前へ。片足を後ろへ。

シルファレアの最高の攻撃を、真正面から受け止めた。


両手には、自らの魂がある。そこにはぶちかまされる白と黒の波動は、揺らいで消えて、何事もなく消滅した。


その瞬間、お互いが息を切らしたかのように空気を吐き出す。

二人を襲う恐ろしいまでの倦怠感、何か大切ななにかを失ってしまったような感覚。

互いの全力が肉体からエネルギーを抜き取り、ひどい飢餓状態に近い状況を作り出した。


「あああ!」

「あああ!」


それでも二人は剣を振るわなくてはならない。

互いに息が整わぬまま、精彩を欠いた一撃を放つ。それは戦っているふりをしているような、無意味な行動に見えた。今までの攻防が苛烈すぎて、おもちゃの剣で子供が遊んでいるようなシーンだった。


二人はそのままつばぜり合いの態勢へ。

力はほとんど入らず、代わりに口を開く。


「クロル。こんな世界、ほんとに守る価値があると思ってるの?」

「何を馬鹿なことを。僕には君が理解できない。世界を滅ぼすなんて、まるで魔王だ」

「何をいまさら。それが私たちの『職』でしょ? 私達二人だけが主人公、名前持ち。私は魔王で、あなたは世界を守る勇者。前やったみたいに、私をもう一度殺してみなさいよ!」


わずか体に戻り始めた力を注ぎこんで、シルファレアは剣を迫らせる。


「君はあんなにも魔人を大事にしてた。その気持ちは、本物だったはずだ! なんでなんだよ! 君の優しさは本物で、高尚だった。君が世界を滅ぼしたがってるだなんて思えない!」

「馬鹿ね……愚かね……呆れた、本当に現実が見えてない。参謀が私になんていったかわかる? 彼は私を魔人の敵と認めたわ? 今更改心できるって、なんで思える?」

「それでも僕は……君を信じたい……!」


クロルの腕からわずかに力が抜けかけた、瞬間。

シルファレアがさっと飛びのき、物語の書を召還した。


「愚かなクロル。優しすぎるクロル。高潔で、騙されたって仕方のない、愛しいクロル。現実を教えてあげるよ」

「……なにを」


シルファレアは筆を取る。


【魔人の半数が


「――やめろ!」


病魔によって死亡】


物語の書が強い輝きを放つ。

法則無視の天からくる強制。それによって……魔人の半数は死滅した。


「う、うそだ。こんな」

「全員殺せば物語は成り立たない。気遣いができるでしょ、私。感じるでしょ、今魔人が大量に死んだ」

「……フェイクだ」

「現実逃避はやめなよ。物語の書に偽装はできない。わかったらそこで悲しそうな顔をして、膝を着きそうになって、絶望に溺れてる感情を引きずってる場合じゃ、ないんだよ?」


――クロルの腹の底から、憎しみが強く湧き上がった。


「シルファレアあああああぁぁぁぁ!」

「……本気になるのが、遅い」


犠牲の翼をはためかせ、クロルがシルファレアに突進する。

彼が動けば、魂の残滓による残光が尾を引く。それは陽炎のようで、ひどく美しいものだった。


どこまでも絵になる物語の主人公。高潔でいて、正しく、誰かの死や悲しみに涙を流す、クロルという人間。


「――そんなのでどうやって勝てるっていうのよ」


シルファレアは業と絶望を背負ってここにいる。

誰かを守ろうだとか、期待されてるからとか、使命のためだとかいう理由ごときに、自分が負けるわけにはいかないいのだ。


作るより壊すほうが、生まれるより死ぬほうが、生かすより殺すほうが、ずっと容易い。


世の中では負の現象の方がずっと強い。それが彼女の持つ信仰。

きっと、読者だってそう思う。現実では幸せなことより不幸なことの方が起こりやすい。


だから――この物語では。


「私が勝つ」


――より業を背負う、私こそが


白の波動を滾らせて、クロルの剣を正面から受け止める。そのまま力で弾き飛ばして、喉元に剣を突き刺す。

亡霊のようにクロルは移動し、シルファレアの剣をかわす。翼による移動の補助が、不可思議な軌道を描き、黒の波動籠った剣をシルファレアに叩きつけようとする。


シルファレアはそれをすれすれでかわした。白の髪が剣圧によってわずかに切り裂かれる。


「があああああ!」


シルファレアは狂気の交じる吠え声と共に、額を敵に向かって打ち付けた。

クロルがよろめく。


「あんな思いをしてきた私が! 何度も繰り返してきた私が! 永遠にも思える時を過ごした私が!」


――負けてたまるか。


強引に振るわれるシルファレアの剣。

血管がぶち切れ、大量の血液をまき散らしながら。

酷い苦痛と自分が失われていく恐ろしさに襲われながら。


身を削って剣を振るう。限界を超えて。


クロルはそれに必死で抗った。魂の力を振り絞り、致命傷を避けながらすべて防いだ。


――でもこれでは、明らかにシルファレアが


「まだ、負けてない」


と、クロルが呟いた。


鬼気迫る表情のシルファレアを蹴り飛ばし、距離を開ける。

肩で息を吐き、剣をぶらりと垂らした。


「シルファレア。これから放つのは僕のすべての力を振り絞った一撃だ。――受けてもらおうか」

「ふふ、強引だね。このまま戦えばクロルの劣勢は増すばかり。だからこうやって強引に決着をつける? あはは、そんなの勝敗は目に見えてる」


クロルがシルファレアに指を突き付ける。


「いいや。見えてないのは君だよ、シルファレア」

「……は?」

「見えないのか。君が殺してきた幾人もの魔人達が。参謀が、雷迅卿が、翼の魔人が、聞き手が、妖魔が。君を恨みの籠った目でじっと見てる」

「……なにを馬鹿なことを。つまらなすぎるハッタリね」

「どうだろう?」


その問いかけに、物語の書が答えた。


【幾人もの亡霊が、シルファレアを恨んでいる。結末を眺め、憎しみの声援がうるさいほどに鳴り響く】


かっ、とシルファレアは目を見開いてあたりを見渡した。


「う、嘘よ」

「事実だ。もう僕は君を信じない。君は……戯れみたいに魔人を殺した。君は悪辣なる虐殺者だ」

「黙れ、黙れ黙れ黙れ! 私がなんのためにこんなことをしたと思ってるのよ! 所詮、この世界の命は模造品。偽りの紙の上でしか存在できない命。……ないも同然のもの。いくら消費したところで!」

「どうでもいい。これが結果だ。君はこの世界に恨まれてる」


――恨まれてる?


「降参するんだ。魔王シルファレア」

「黙れ!」


シルファレアが剣を振り上げる。

そこから発せられるオーラは今までのものと明らかに別格だった。


彼女の体が小刻みに震える。第二世界からの膨大な情報が脳に埋め込まれていき白亜の目が幾何学に光り狂う。

血は碌に回らず、体の細胞次々と壊死していく。力が無理に体に籠り、その力を放ったあとは、体というからだから血が噴出し、大ダメージを負うことが決まった。


「クロ、ル?」


シルファレアが不気味な笑みを浮かべる。狂気に染まった白亜の瞳。


「今なら、降参してもいいよ? これから私が放つのは第二世界最高の概念奥義。放たれて斬撃は絶対必中、どんなものでも切り裂く。それが放たれた斬撃につく概念。どんな技を繰り出そうが、クロルは絶対に死ぬ。……降参しても、いいんだよ?」


第二世界最大の技。臨界剣。

限界と停滞の狭間から、繰り出されるすべてを裁断せし切っ先。

その斬撃は概念によって構築され、避けることも防ぐこともできない。どんなものでも切り裂く、切断属性が付与されており、第二世界最強の英雄が使える裏技だった。


「無駄だ。僕には世界がついている。僕は第三世界のすべてをもってして、君を討つ。抑止力として、君と共倒れになる。君は……敗北する」


もはや、どちらが勝つかは予想がつかなかった。理屈だけで言えば、シルファレアの放つ技でこの物語の幕は閉じるだろう。


しかし、物語は往々にして理屈を超えることがある。

主人公は仲間の力を得て蘇生したり、覚醒したり、湧き上がるパワーを得ることがある。


さあ、ここで、主人公としてふさわしいのは?


高尚な理念を持ち、世界が味方としてつくクロルなのか?

怨嗟たる世界を廻り、狂気の果てに踊るシルファレアなのか?


――ふさわしい(、、、、、)のはどちらだ?


その文字を認識するシルファレアは歯を食いしばった。

強い怒りと狂気が、彼女を支配した。


「このおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」


一方クロルは、極限の集中と静謐の精神で佇んでいた。


――世界の声が聞こえる。


怨嗟の声が鳴り響く。殺せ殺せと泣き叫ぶ。


その恨みのエールをすべて飲み込む。狂気に支配されそうになりながらも自分を抑え、練り上げられた波動によって最後の技を放つ。


黒、白、魔王、勇者。

世界から送られてくる意志の力。


自らに存在する黒の波動。魂の力。

犠牲の翼の力の供給。


それらすべてを、自らの魂である『犠牲の剣』にかき集め、クロルは剣を振り上げた――。


――そして同時に、剣を振り下ろす。


臨界剣。

限界と停滞の狭間から繰り出される、すべてを裁断せし切っ先。

概念による刃が、すべてを切り裂きながらクロルへと迫る。


犠捧剣。

自らの魂を賭け、世界のすべてを内包する白と黒混じる斬撃。

世界全体という概念をもって、臨界剣を消滅させようと迫る。


――衝突。


「うああああああああ!」

「ああああああああああああ!」


二人が吠える。もはやどちらがなにを言っているのか、聞き取るのすらままならない。

斬撃は世界に破壊の限りを尽くしながら、拮抗した状態で留まる。

その衝撃に空間がひび割れ、力の余波が空間を伝って第三世界を破壊した。

世界の端々が破れ、紙の上に鉛筆で穴をあけたかのようになる。穴からはただ白い光だけが覗いている。


「シルファレア!」

「クロル!」


そうしてやがて、二つの斬撃は去って。

衝撃と力の混沌が晴れて、二人の姿が露らになる。


シルファレアがよろめく。ほぼすべての力を失って。

彼女はもうぼろぼろだった。体という体から、血が噴出している。技の代償の大きさが、彼女の瞼を重くする。今にも倒れる寸前。意識を失う寸前。


――シルファレアは言い放った。


「私の勝ちよ」


――クロルは答えなかった。


彼は日本の足で立っている。しかし、その身体はずたずたに引き裂かれ、満身創痍を越えていた。彼は理屈ではない、意志だけの力で立っている。彼が主人公だから、なんとか成り立っている。


そしてなによりも決定的なことが起きていた。

シルファレアの目に、クロルの戦闘力の数値が映る。

もはやクロルは第二世界の力すべてを失っていた。残る力はカスのようなもので、この世界の一般兵程度の力もない。


それはシルファレアにも同じことがいえた。彼女にもはや第二世界の力は残っていない。しかし、わずかに余力が残っている。

白亜の瞳に映る戦闘力の数値も、こちらがだいぶ上回っている。


二人はもはやただの人間だ。

再生能力などない。血を流しすぎれば死ぬ。肉体を失えば、もう戻ることはない。

力もきっと、いくら待っても戻らない。


「やっ……た……私の勝ちだ……これでようやく……」

「……」

「……クロル」

「なんだよ」

「二人で一緒に、生きない?」

「なにをいまさら。さっさとかかってこい。怪物」


その返事を聞いて、シルファレアは――。


頭の中が真っ白になって、よくわからない感情が込み上げて、ただ叫んだ。


「ああああああ! クロル――!」


どこに眠っていたかもわからない力が込み上げて、一瞬でクロルと交錯。

その腕を切り裂いた。


シルファレアの顔が悲痛に染まる。


「あっ……クロル、腕が」

「何をいまさら、こんなことで動揺してるんだよ!」


振り向きざまに、クロルが切られた腕を振るう。

そこからあふれ出る鮮血が、シルファレアの目を潰した。


「あ――っ」


――クロルの剣が、シルファレアを切りつけた。


シルファレアの脳裏に今までの思い出が巡る。

手を取り合って、一緒に歩いたこと。泉でおしゃべりして、笑い合った。

熱いまなざしで見つめ合って、キスをして、結ばれたこと。

クロルのことが大好きだったこと。


「……この世界で味方が誰一人としていない、私を」

「……」

「そんな私の、唯一の理解者だったクロルが、私を殺すの?」

「…………」

「ただ一緒にいられるだけでよかったのに。クロルだけがいれば、世界のすべてが敵でも、平気だったのに……!」

「……シルファレア」

「あなたのことが大好きなのに! あなたこそが私を殺すの?」



「ねえ、クロル?」

「どうしたの? シルファレア」

「だーいすき」

「……僕もだよ、シルファレア」

「なんだか馬鹿みたいだね」

「そうだね」



肩から脇下まで。致命傷。クロルの刃が、シルファレアを切り裂いた。

ただの人間としての力しか持たないシルファレアはもう助かることはない。


大量に零れる自らの血を抑えるように、シルファレアは自らを抱きしめる。

わけのわからない感情に支配され、目から涙を流し続ける。


「く、クロル」

「……」

「わたし、わたし……」


恐れているかのように、シルファレアは声を震わせた。

怯えながら、死相が濃く刻まれる表情で。


「私、わたし………のこと」

「……」

「――好き?」


縋るように、願っているかのように。

ダメなんだろうって思いながら、シルファレアはそのことだけを聞いた。


果たしてクロルは――。


絶望した表情で、クロルは告げる。


「決まってる。この世界で誰よりも、愛してるよ、シルファレア」

「――よかったぁ」


シルファレアは倒れた。

クロルが亡骸を抱きしめる。








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